アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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Scene17 : エステル

 

 

「それがお前と夜凪の違いだ」

「私と、夜凪さんの違い……」

「感情は臭うもんだ」

 

 

 

 その言葉は、先程黒山さんにも言っていたもの。

 感情が臭う、その意味が私にはわからなかった。

 

 

 

「臭ぇ役者ってのは、役を演じている時にその役柄の臭いがするもんだ。殺人鬼を演じれば、そいつからは死と恐怖の匂いがする」

「……よく、わからないんです。その匂いという存在が」

 

 

 自らの心の内を隠さずに話す。巌さんの前では、隠し事など意味が無いように思えた。

 巌さんが私の目を見る。暗闇の中に広がる木々のように、静かで、力強く、見ているだけで不安になるような瞳だった。

 

 

「わからないんです。天才語が。感情なんて匂わないし、匂ったところで私にはわからない。巌さんがなんの話しをしているのかも、何も、わからないんです」

 

 

 それは、私が凡才だから。

 そして、彼らが天才だから。

 

 

 この世界は理不尽だ。生まれた瞬間に全てが決まっているのだから。私にはわからない何かが、私にはわからないままでどこか遠くへ行ってしまうような、そんな気分になる。

 

 

 巌さんは何も言わずに、手に持っていた炭酸を再び飲んだ。

 

 

「説明すんのは難しいんだが……要は、どれだけその役に入り切ってるかってことだ」

 

 

 

 ペットボトルのキャップを締め、喫煙所の磨りガラスをぼんやりと見つめながら、巌さんが口を開く。

 

 

「入り切る……ですか」

「言葉を変えるなら、取り憑かれるか」

「…………」

 

 

 沈黙が横たわる。巌さんは沈黙に耐えられなかったのか、煙草を取りだし火をつけた。着けてから私の方を見た。煙は嫌いだが、消せという訳にはいかない。私は大丈夫ですよといったふうに微笑んだ。

 

 

「お前、エステルって知ってるか?」

「エステル、ですか?」

 

 

 煙草をくゆらせながら、静かに遠くの山を見つめるその姿には、退廃的な美しさが充満していた。

 煙草の火種だけがこの世界に彩りを与えている、そんな気がしてならなかった。

 

 

「化合物のヤツですか」

「それじゃない。なんでそんなん知ってんだ」

 

 

 影が静かに喫煙所の中へと忍び込んでくる。上を見上げると、丁度大きな雲が太陽を多い隠そうとしているところだった。

 

 

「女王の方だよ、エステル。旧約聖書の登場人物だ」

「えっと……ペルシャ王国の女王でしたっけ?」

「そうだ。絶世の美女で、自分の民族を全滅の危機から救った救世主だ」

 

 

 巌さんはそこで大きく息を吸うと、煙草を灰皿に押付けた。押し付けられた煙草はゆっくりと倒れ、先程立てられた煙草を巻き込みながら灰皿の中で横たわる。

 

 

「エステルがなぜ、ああも美しかったのか、わかるか?」

「美しかった理由……ですか?」

「ああ。なぜエステルはこれ程まで後世に名を残すような、素晴らしい女王になったのか」

 

 

 その理由はなんだろう、私は喫煙所のベンチに腰を下ろして考えた。しかし、いくら考えても、美人だったからという理由しか思い浮かばなかった。自分の浅ましさが、少し嫌になった。

 そんな私の顔を見て、巌さんは苦笑を滲ませた。

 

 

「面が良かったからじゃねぇのかって顔してんな」

「え、あ、いや、まあ……」

 

 

 思っていたことを言い当てられ吃ってしまう。しかし、自分の全てが見透かされているというのは、恥ずかしいと同時に、どこか心地よいものでもあった。

 

「面が良いだけで名前が残るほど、この世界は甘くはない。それは今も昔も変わんねえ」

 

 それは、そうだ。

 

 容姿が良いだけで人気者になれるのなら、この世界にはスーパースターが数多くいるはずだ。しかし彼ら彼女らのうちの多くは、日の目を見ないままにその人生を過ごしていく。

 

 ならば、その基準はなんなのだろう? 

 人気者とそうではない人間との違いは、一体何なのか? 

 

 頭を捻りながらうんうんと唸っていると、巌さんが立ち上がって自動販売機の横に置いてあるビンカン用のゴミ箱にペットボトルを捨てた。

 

 

「我もし死ぬべくば、死ぬべし」

「……え?」

「エステルの言葉だ。もし死ななければならないのならば、死ぬ。10代そこらの小娘が、自らの民のためにこの言葉を吐いた。それが、エステルがこれほどまでに美しい理由だ」

「それが理由、ですか?」

 

 

 いつの間にか、影は喫煙所全体を覆っていた。熱されていた旋毛が急速に冷えていく。薄暗くなった辺りに紫煙が横たわっていた。

 

 

「エステルは美しかった。亜麻布のように煌めく毛髪、あどけなさを含む、赤らみを残した頬、蛭のように艶めかしく輝く唇、物憂げに伏された睫毛。その全てが芸術のようだった」

 

 

 頭の中でエステル像を描いていく。何故か、百城千世子になった。

 

 

「しかし、それらはエステルの本当の魅力の付属品に過ぎない」

「付属品、ですか」

「エステルの本当の美しさは、その危うさだ」

 

 

 巌さんの三白眼が私を射抜く。青白い白目が妖しく光っていた。

 

 

「危うさ……」

「他の人間のために命すら捨てるヤツがどこにいる? ましてや、それがガキとなればどうなる? 人々はその爆弾の如き危うさに恐れ戦き、そして崇めた」

「……」

「とすれば、人間を一番鮮やかに彩るのは、何だ? 化粧か? 容姿か?」

「…………危うさ」

 

 

 そうだ、と巌さん。

 夜凪さんの演技を思い出してみる。武士のような格好をした演者に飛び蹴りを喰らわせる、彼女の姿。

 危なっかしかった、ハラハラした。

 

 

 

 ──それでも、惹き込まれた。

 

 

 

「人は演技力で演者を見るんじゃない。その人間の魅力によってだ」

 

 

 

 何も答えられなかった。答えるべきだったのかもわからない。

 

 ただ私は、片手に持ったおしるこの缶を強く握りしめていた。熱さなんて気にならなかった。

 百城千世子も、そのような考えを持っているのだろうか。演技のために死ねるほどに、彼女はそれを愛しているのだろうか。

 

 

 もしそうならば、私は彼女に勝てない。追いつけるわけがない。

 

 負け犬はいつまで経っても負け犬のまま、努力している人間に吠え立てるのみ。

 ああ、なんて惨めなんだろうか。こんな脇役、いっそいなくなってしまえばいいのに。

 

 

「もし」

 

 

 知らず知らずのうちに、口を開いていた。

 

 やめるべきだ。口を閉ざすべきだ。もう自分自身を受け入れて、脇役のまま生きればいいだけだ。

 

 

 

「──もし」

 

 

 

 それでも、諦められない。

 

 百城千世子。夜凪景。

 

 遥か彼方に見える彼女たちの背中。それに、少しでも縋りつきたかった。

 

 

 

 私は彼女(千世子)に、追いつきたいのだ。

 

 

 

「──もし私が、演技のために死ねるのなら、私は彼女たちみたいになれますか」

 

 

 


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