アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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Scene6 : 夜凪景

 緊迫した空気がその場に流れている。

 静まり返ったその場には、野次馬に囲まれた二人の人間が立っていた。否、一人は立っていない。あまりの恐ろしさに、腰を抜かしているのだ。

 恐ろしさに震え、目尻に涙を溜めているのは、まだ小さな少女。

 市松模様の着物の少女は、普段は快活に笑みを浮かべているであろうその顔を恐怖に歪めている。その瞳は不安に揺れていた。

 彼女の目の前には、一人の武士らしき人物の姿。少女の何倍も大きなその男は、きらりと鈍く光る刀を少女に向けて振りかざしていた。

 

 私はそれを見ながら、静かに、大きく息を吐いた。

 ドラマのワンシーンだと知っていても、ハラハラする場面である。

 

 だが、私のハラハラは、少女が斬り伏せられるシーンを見なければいけないという絶望感からのものではない。むしろその逆だ。少女が生きるという選択肢が今まさに現れるからだった。

 

 刀を振りかぶる武士。その切っ先が少女に向かう。

 

 次の瞬間、一つの影が飛び出した。

 女性にしては長身なその体躯を鮮やかに駆使し飛び上がったその影は、何を隠そう夜凪さんだった。

 夜凪さんはあろうことか、着物姿のまま飛び上がり、少女を斬り伏せようとしていた武士に向け飛び蹴りをかましたのだ。

 静まり返る画面の中。野次馬の唖然とした表情が特徴的だった。

 夜凪さんが立ち上がる。彼女は平然とした表情で言った。「大丈夫?」

 その言葉に、斬り捨てられる役であるはずだった子役が泣き始めた。台本とは違う唐突な展開に驚いてしまったのだろう。まだ二桁もいっていないであろう年齢なら、仕方のないことだ。

 

 

 私はリモコンの一時停止ボタンを押し、画面を止めた。

 このシーンを見るのは、既に七回目だった。何度見ても彼女の行動は私にとって新しく映り、その圧巻の演技に呆れながらも尊敬してしまうのだった。

 

 やはり彼女は他の役者とは違う。私は固まった画面を見つめながら、そんなことを考えていた。

 

 百城千世子はまだ寝ている。彼女は寝起きが悪いのだ。

 大きく伸びをすると、パジャマの向こうから骨が鳴った。先ほど注いだコーヒーの香ばしい匂いが漂っていた。

 

 彼女の演技は、何度見ていても飽きない。見る度に、今まで気づかなかった新しい事実が目に入ってくるのだ。

 

 例えば、その表情。

 例えば、その口調。

 例えば、その佇まい。

 

 全てにおいて、彼女は他の役者とは一線を画していた。

 まるで引き込まれるような。まるで連れ出されるような。

 

 彼女の演技を見る度に、彼女に対する興味が沸いてきた。

 

「ちょっと話してみようかな」

 

 そう思い、まずは朝食を食べなくてはと、テレビを消した。その際に、左下に表示されていた時計が目に入った。

 

 

 既に八時を過ぎていた。

 

「あ」

 

 二日連続で遅刻だった。

 もう、笑うしかなかった。

 

 服を着替えるために寝室に戻ると、スターズの天使こと百城千世子が無邪気な顔で眠っているのが見える。

 何時もは大衆のための仮面をつけ、本当の自分を隠している彼女も、当たり前の話ではあるが寝顔まで作ることはできない。

 年相応の寝顔を晒す幼馴染を起こさぬようにそっとハンガーにかけられている制服を取り、手早く着替える。彼女は役者をしているので、学校にはあまり顔を出せていない。今日も撮影やらが色々とあるのだろう。

 

 支度をして、外に出る。朝食を食べる時間はない。コンビニで買えばいいだろう。

 エレベーターを降りて、外に出る。どうせ遅刻なので、そこまで急ぐ必要はないだろう。

 

 

 ▼

 

 

 教師に遅刻しましたと告げると、怪訝そうな表情をされた。まあ、二日連続で遅刻をするやつがいたら私だってそんな表情をするだろう。しかし今日は二時限目が始まる前に教室に入ることが出来たので、そこまで注目の的になることはなかった。

 席に着く。それと同時に隣の席に座っている夜凪さんを見る。

 今日もまた、ぼんやりと虚空を見つめていた。まるで、失ってしまった自分自身を探しているかのような。

 

 ふと、教室がざわついているのに気が付いた。生徒達が、なにやら携帯を弄りながらこちらをちらちらと見ている。

 いや、見ているのは私ではない。夜凪さんだ。彼ら彼女らは驚いた表情で夜凪さんをじっと見つめていた。

 何かあったのだろうかと思っていると、誰かの声が聞こえて来た。

 

「一般公募組十二人のキャストの中に、うちのクラスの奴がいんだよ!」

「……え」

「夜凪景? って、あの夜凪さん!?」

「ちょ、声かけてこいよ!」

「えー、なんか怖いな」

 

 徐々に騒がしくなっていく教室の中。競い合っているかと疑ってしまうほどにヒートアップしていく生徒達を止めれる者はいない。

 すると、今さっきまで夜凪さんについて喋っていたグループのうちの一人がおずおずと夜凪さんに声をかけた。

 

「よ、夜凪さん。『デスアイランド』出るって本当?」

「うん」

 

 恐る恐る投げかけられた質問に、夜凪さんは平然とした態度で答える。

 その言葉を聞いた途端、教室が沸いた。

 

「うんって言った! おおお!!」

「じゃあさ、千世子と会った!? 生千世子と!」

 

 生千世子とはなんとも奇怪な言い方である。生チョコか。

 夜凪さんは、騒ぐ生徒達をおっかなびっくりといった表情で見渡しながら、小さく「会ったわ」と答えた。

 その解答が今まさに興奮の渦の真ん中にいる生徒達を更に焚きつけるものだったことは言うまでもないだろう。

 

「うおお、すげえ! どうだった!? どうだった!?」

 

 私は、ひっそりと横目で彼女のことを見ていた。彼女が百城千世子に対してどんな感情を抱いているか、知りたかったのだ。

 夜凪さんは思い出すかのように手に持っていた本を閉じると(よく見ると、デスアイランドの台本であった)、両手で頭を抱え震え始めた。

 

「と、とても綺麗だったわ……」

 

 どう見ても怯えている。百城千世子に何か意地悪でもされたのだろうか。

 しかし、百城千世子はどちらかというと初対面の人間にはあまり踏み込まないタイプの少女だ。いくら興味があったからといって、夜凪さんを怯えさせるほどのことをするだろうか? 

 

 そういえば忘れていたが、昨晩の百城千世子の瞳の中には怒りの感情があった。何か、夜凪さんと関係があるのだろうか。後で聞いてみよう。

 私は鞄から本を取り出して、読み始めた。

 

 

 ▼

 

 

「夜凪さん、一緒に帰らない?」

 

 放課後、チャイムが鳴るなり帰宅の準備をし始めた夜凪さんに話しかける。

 夜凪さんは目を上げ、私を見ると、少しだけ首を傾げた。どうやら私のことを覚えていないらしい。

 

「えっと……」

「犬山千景。あなたの横の席に座ってるんだけど」

 

 そう言うと、夜凪さんは少しだけ申し訳なさそうな顔で頭を下げた。

 

「ごめんなさい。私、これから用事があって」

「映画の撮影? それとも台本でも読むの?」

 

 困ったような表情を浮かべる夜凪さんを見ながら、私は自分の行動に内心首を傾げていた。

 何故私はこれほどまでに彼女に執着しているのだろうか。百城千世子のお気に入りだとしても、彼女の演技が特別上手くても、私が彼女と仲良くなる必要はないはずだ。

 しかし、何故かはわからないが、彼女と話がしたい。そう思っていた。

 教科書などを鞄に詰め込み終わった夜凪さんは、立ち上がる。

 私より少しだけ背の高い彼女は、私の額辺りを見つめながら言った。

 

「ちょっと疑問があって、話し合いをしなきゃいけないの。だから、ごめんなさい」

「どこに話に行くの?」

「え、ええ……?」

 

 余りにも引き下がらない私に、夜凪さんは明らかに困り顔だ。対する私は、にっこり笑顔を張り付けたまま微動だにしない。

 暫くの間視線を彷徨わせていた夜凪さんだったが、観念したのか、口を開いた。

 

「ちょっと、演技の稽古をするためにスタジオに……」

「そう、じゃあ私もついていくね」

「………………え?」

 

 

 




千世子の家のどこにコーヒーフィルターがあるのか理解している幼馴染が尊い。
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