「誰だソイツ」
はてなマークを大量に浮かべた夜凪さんと共に帰路に就き、彼女の目的地であるスタジオに入ると、無精髭を生やした目つきの悪い中年男性に睨まれた。整った顔つきをしているが、その殺人すら平気で行いそうなほどに鋭い目つきのせいで、恐ろしい印象を抱かせる。
私は彼のことを知っていた。
黒山墨字、映画監督。
日本国内での知名度はあまり高くないが、作品への評価はとても高い少し珍しい監督だ。写真は見たことあるが、実物は初めて見る。緊張。
彼の撮った映画を見たことがある。何かのドキュメンタリー映画だった。紛争地帯の兵士の物語だった。
それを見た時、私は驚愕した記憶がある。
まるで、そこにはカメラなんて存在していないのかと思ってしまうほどに、自然に撮られた映像。私たちが目の前で広がる現実をそのまま自分の目で見ているかのような。
ただ単に映像を撮っているのではない。カメラマンが役者と感情を合わせて動いている、ダイナミック且つ繊細な技術。ただのカメラマンに出来るようなことではなかった。
その黒山墨字が、何故こんなところにいるのだろうか。答えを求め夜凪さんを見る。夜凪さんも困ったような表情でこちらを見ていた。
「クラスメイト?」
「なんで疑問形なんだよ……」
「あ、初めまして。夜凪さんのクラスメイトの、犬山千景です」
「犬山……?」
どうやら黒山さんは私のことを知っているらしく、怪訝そうな表情でこちらを見た。
「どっかで聞いたことある名前だが……」
いや、知ってはいなかった。どうやら名前は知っているみたいだが、そこまで詳しくはないようだった。まあ、助演ばかりでもう引退してしまった役者のことを覚えている監督なんていないだろう。そうだ、私は百城千世子ではないんだ。私のことなんて、皆すぐに忘れてしまうのだから。
そんなことを考えていると、すぐ傍から別の声が聞こえて来た。
「犬山千景。元スターズの子役ですよ」
「ああ、そういえばそんな奴いたな」
振り向くと、一人の女性が椅子を回してこちらを見ていた。
肩口まで伸ばした髪をアシンメトリーに編み込んで結わえた、燻んだ灰色の髪の毛。その髪型は、どこか不安定で、しかしその不安定さがまた綺麗だった。残った髪は後ろで小さく纏められている。旋毛からぴょこんと飛び出している髪の毛が可愛らしい。
椅子を回してこちらを見ている女性は、にこりと笑い「こんにちは」と挨拶をしてきた。愛想のないジャージのような服装だが、それもまた彼女に似合っていた。多分、どんな服を着ても似合うのだろうと、ぼんやりと考えた。
とても綺麗な女性だった。
ほっそりとした体躯に、無邪気そうな顔つき。下手をすれば未成年と間違えられそうだが、ここで働いているということは二十歳以上なのだろう。
挨拶を返す。なんだか、柔らかな雰囲気の彼女の前では、どんな明るい挨拶もぶっきらぼうに思えて仕方がなかった。
何故彼女は私を知っているのだろうか。そんな思いが頭の中に浮かび上がる。
その視線で察したのか、彼女は口を開いた。
「ああ、ごめんね。私は柊雪。スタジオ大黒天の映像作家です」
「あ、こちらこそすみません。犬山千景、えと……夜凪さんのクラスメイトです」
「よろしくね、千景ちゃん。私、映像作家だから、勉強のために色んな映画見たりするの。それで千景ちゃんのこと知ってたの。あっちは黒山墨字。一応このスタジオの代表で、監督」
柊さんは黒山さんの紹介を雑に終わらせる。それが気に食わなかったのか、黒山さんは眉根を寄せた。
「なんだその適当な説明は」
「間違ってはないじゃないですか。ていうか、映画監督のくせになんで役者の名前も覚えてないんですか」
「あ? 無名の子役なんて一々覚えてられっかよ」
「本人目の前で何て事言ってんだお前! ……ごめんね! この人ちょっと頭がアレだから」
「え、あ、ああ。大丈夫です」
「おい! なんだ頭がアレって! てかお前も納得すんな!」
「事実じゃないですか」
矢継ぎ早に交わされる会話についていけず、私は夜凪さんを見た。夜凪さんもこちらを見ていた。
「あなた、子役だったのね」
「まあね……全然有名ではなかったけど」
「けど、役をもらえていたんでしょう? ならそれだけですごいと思うけど」
「そんなことないよ。所詮助演ばっかりだったし」
そう言うと、夜凪さんは首を傾げた。
「助演だとしても、演技をしたんでしょう? ならそれは誇らしいことだと思うわ」
「……そうかもね」
静かに笑う。純粋な瞳でこちらを見る夜凪さんが眩しすぎた。
何も言うことが出来ずに、私は静かに彼女を見つめていた。彼女もまた、私を見つめていた。まるで世界に二人きりみたいだった。
ひそかな静寂を破ったのは、黒山さんの声だった。
「それで、その犬山とやらはウチに何の用だ?」
ちらりと視線を動かすと、面倒そうな表情の黒山さんがこちらを見ている。言葉に棘はあるが、怒ってはいないようだ。
「夜凪さんに興味があったので、ついてきました」
「興味があってねぇ……まあうちの看板役者である夜凪は今忙しいからな。クラスメイト如きに時間を割く必要はないな」
「嫌味な言い方。ちょっとくらい一緒にいさせてあげてもいいじゃないですか」
「邪魔はしません。ただついてきただけなので」
「……あっそ。勝手にしろ。ただし忙しいってのは嘘じゃないから、変な事はすんなよ」
「わかりました」
柊さんが空いた椅子を勧めてくれたので、ありがたく腰を下ろす。
夜凪さんは黒山さんと何か話している。どうやら稽古を始めるらしい。
黒山さんが何か指示を出し、夜凪さんがそれに従い徐に目を瞑った。
「あの……何をしてるんですか? 彼女たち」
横に座っている柊さんに尋ねてみると、彼女は苦笑しながら言った。
「幽体離脱の稽古……かな」
「幽体……離脱」
そういえば、昨日百城千世子がそんなことを言っていた。自分は幽体離脱が出来るような人間に見えるかどうか。それと彼女が今行っている稽古、何か関係があるのだろうか。
「黒山さん、何この稽古?」
夜凪さんも疑問に思ったのか、目を瞑ったまま目の前にいる黒山さんに尋ねた。
黒山さんのぶっきらぼうな返事が飛ぶ。
「いいからさっさと答えろよ。何が視える」
「何って、何も見えるはずないでしょ。目を瞑っているんだから」
「知ってるよ! 目が開いてると想像して答えろ!」
「……資料の並んだラックデスクにチェア」
「──そうだ。今お前の目玉はお前の背中についている」
その答えに、私はなるほど、と心の中で頷いた。
理解した。黒山さんが何をしたいのかを。何を彼女に教えたいのかを。
百城千世子は、夜凪さんの演技は不自然すぎるくらい自然だと言った。それの意味が今、やっと理解できた気がする。
彼女は自分を客観的に見ていないのだ。飽くまでも主観的に、自分を中心に物事を考えて、演技をする。だからこそ、その演技は鋭いほどの自然さを伴い人々を驚かせるわけだ。
もちろんそれは、他の役者からすれば迷惑極まりないことである。自分が今何をすべきなのか、どう視られるべきなのか、それを彼女は理解していないからだ。
自分勝手に演技をする、諸刃の剣の演技。
自らに仮面をつけ、大衆のために自分を捨てた百城千世子が『白』だとするのならば、自分の目で見て行動を起こす彼女は『黒』なのだろう。
ああ、なんて面白い。
私は食い入るように、目の前で稽古を続ける夜凪さんを見つめる。項がゾクゾクする感覚に身を任せ、拳を強く握りしめた。
なんて下手くそで、美しくて、粗削りで、滑らかで、滑稽で、煌びやかで、巧妙な、素晴らしい役者なのだろうか。彼女は!
彼女の演技をもっと見ていたい。彼女をもっと愛していたい。
もっと近くで、もっと近くに。
観客席で見ているだけでは収まらないこの興奮は、どうすれば収まってくれるのだろう?
「──私も千世子さんみたいに『商品』になればいいの?」
不意に、そんな言葉が耳に飛び込んできた。
見ると、夜凪さんが不安げな表情でソファに座る黒山さんを見ていた。
どうやら、彼女は選択を余儀なくされているようだ。
百城千世子のように、大衆に向けラッピング、コーディネートされた新商品になって仮面の演技を見せるか、今のまま、不安定なまま自分を尖らせて周りに迷惑をかけながらも自分なりの演技を突き詰めていくか。
商品になるのなら、もちろん彼女の今の演技は無駄といえる。役に深く入り込みすぎる演技をしながら周りのことを気にすることなど不可能だからだ。
自分の二つしかない目玉を潰し、仮面をつけるか。
むろん、私は二つの目玉で演技をする夜凪さんを見ていたい。まるで自分がその役になったかと思ってしまうほどにハラハラする演技を、間近で見ていたいと思う。
ぞわりと、思い浮かんだ自分の考えに鳥肌が立つ。
そうだ、私はこの演技を目の前で見ていたいんだ。
他のどこでもない、彼女の目の前で。彼女と共に。
カチンコと共に彼女の演技に酔いしれて、カチンコと共に現実に戻ってくる。
私は、彼女と共に演技をしたい。
そんな考えが、ふと私の頭の中に浮かび上がってきたのだ。
あり得ない。第一、私は既に引退した身だ。今更彼女と共に役者をするなんて不可能だろう。
『大丈夫、私がアリサさんに話してあげるし』
ふと、百城千世子の言葉が頭の中に浮かび上がったが、すぐに消し去る。
また私は、地獄を見るつもりだろうか?
百城千世子に加えて、今度は夜凪さんもいる。そんな中に私が入って行けば、どうなるかは火を見るよりも明らかだろう。
ぞわりと粟立つ二の腕を抑えて椅子の背もたれに深く凭れかかる。
先ほどまで興奮で熱くなっていた胸が嘘だったかのように冷めている。
危なかった。もう少しで淡い夢に呑まれて茨の上を歩くところだった。そうだ、私は脇役なのだ。主演の笑みが向けられるのは、私ではない。私以外の誰かなのだ。
もう夢は見ない。悪夢に苛まれている現実だけでじゅうぶんだ。
「なりたいか?」
黒山さんが、鋭い視線を夜凪さんに投げかける。辺りに緊張が張り詰める。
緊迫した空気の中、夜凪さんは珍しく表情の中に焦燥を見せながら言った。
「私はもっと……知らない自分を演じたい。もっと自由に」
夜凪さんは力強い瞳で黒山さんを見据え、言い放った。
「私は私のまま天使みたいになる」
「だから『盗め』つってんだ。全部吸収して取り込んで来い」
その言葉に、黒山さんがにやりと笑った。
多分、彼女の演技はこれから化けるだろうと、私はぼんやりと思っていた。百城千世子から技術を盗むのは簡単な事ではない。彼女は並々ならぬ努力を重ねた結果、今の仮面を手に入れたのだから。
だが、夜凪さんならそれが出来ると、私は何故かそう思っていた。
落ち着いていた心が再びざわめきだす。抑えきれない興奮が、どくんどくんと私の心臓を加速させている。
何とか抑えようと我慢するが、歯止めが効きそうにない。
私はもう一度、演者をやりたいと思っていた。
▼
「その前に、お前に一つミッションを与える」
唐突に、黒山さんがそんなことを言い出した。
話し合いは終わり、さて帰ろうかと思っていた時に急に放たれたその言葉によって、夜凪さんが首を傾げる。肩に乗っていた髪がさらりと滑り落ちた。
「ミッション?」
「そうだ。お前が役者を続けるのに必須の課題だ」
「……レッスンとか?」
「そんな簡単なものじゃない。夜凪、このミッションはお前にとっては何よりも難しいものかもな。ちなみに出来なかったらお前は役者を辞めることになる」
「ちょ、ちょっと墨字さん。なんでそんなことを急に……もうデスアイランドの撮影近いのに」
急な発言に、柊さんは焦燥気味だ。まあ、今から売れにいく準備をしている役者の卵に、難題を押し付け出来なければ役者を辞めさせると言われれば、困惑もするだろう。夜凪さんも眉根を顰め黒山さんを見ている。
「意味がわからないわ……なんでいきなりそんなこと」
夜凪さんの冷静な言葉に、柊さんが強く頷く。
すると黒山さんが嘲るように鼻で嗤い、言った。
「まあ、怖いというなら今じゃなくてもいいが。素人役者に負わせるには重すぎる荷だしな」
「やってやろうじゃないの!」
即答だった。全然冷静じゃなかった。あんなクールな見た目をしているくせに案外煽りに弱いようだった。
いやまあ、夜凪さんの演技がもっと上手くなるなら私的には大歓迎だ。私赤の他人だし。傍から見て楽しければ問題ない。
すると突然、黒山さんがこちらを向いた。その飢えた野獣のような鋭い目に、怯えてしまう。
そして彼は、にやりと笑って言い放った。
「よし、よく言ったぞ。ならお前のミッションは、そいつと友人になることだ」
「…………は?」
ちょっとずつ話が動き始めてきました。それはそうと柊雪が可愛い。