アンダードッグは彼女の横で   作:島流しの民

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Scene8 : わかんない

「自分の定義を増やせ。それがお前の課題だ」

「……は?」

「課題だよ。お前をより強くするための」

「……それで、友達作り?」

「そういうことになる」

 

 静まり返ったスタジオ大黒天の中を、二人の言葉が飛び交っていく。

 柊さんは目を点にして黒山さんを見つめている。多分、私も同じような表情になっているだろう。

 私の場合、いきなり話題に引きずり込まれたという驚きのせいでもあるが。

 

「全く、舐められたものね」

 

 不意に、夜凪さんが言った。その顔からは自信が溢れ出している。それに同調するように柊さんが口を開く。

 

「どんな難題が押し付けられるのかと思えば……まあ、確かに墨字さんにとっては友人作りは至難の業でしょうけど……」

「お前サラッとディスってんじゃねえ」

 

 徐々にざわめきを思い出し始めたスタジオの中、私だけが固まったまま動けないでいる。

 友達になるって、どういうこと? 

 頭の上に? マークを大量に浮かべる私を置いて、スタジオ大黒天のメンバーたちは話を続ける。

 

「要は、私は犬山さんと友達になればいいだけの話でしょう? なら簡単だわ」

「言い切ったぞこいつ。絶対できないから見とけ」

「意味はよくわかんないけど、そんなことなら一瞬よ」

「一方通行の友人関係築くつもりかお前?」

「一週間で親友になってみせるわ」

「明日から収録だろお前」

「謀ったわね!」

 

 あの、と声をかけてみるが、熱論を繰り広げている二人(主に一人だけだが)には届いていないようだ。そんな私を見かねてか、柊さんが話しかけて来た。

 

「ごめんね、勝手に決めちゃって」

「え、あ、ああ……別に友人になるくらいなら大丈夫なんですけど……けどなんでいきなりそんな話が?」

「うーん……私も全部理解できてるわけじゃないけど……けいちゃんの演技のためじゃないかな」

 

 演技のために友人を作る。字面にすれば何やらいかがわしい雰囲気が出ているが、多分彼女にはそれが必要なのだろう。

 高校の彼女を見る限り、彼女に友人はいない。彼女の中に、普通の人間が送る人生という定義は存在していないのだ。

 黒山さんが彼女にしようとしていること、それは、彼女の中の定義を増やすこと。彼女がメソッド演技によって自分の帰る場所を忘れてしまわないために、目印を作ろうとしているのだ。

 何だか食い物にされているような気がしてならないが、まあよしとしよう。

 

 

 私としては夜凪さんの演技がより良くなるのならば、なんだってするというものだ。というか、そんな課題なしにしても夜凪さんとは仲良くなりたいと思っていたし。

 

 すると、黒山さんと夜凪さんの会話が終わったらしく、夜凪さんがこちらを向いた。その目はぎらりと光っている。

 そして足早にこちらに向かってくる。その形相に、私は思わず身を固くした。柊さんがサッと逃げた。裏切られた気分だ。

 夜凪さんは私の目の前に仁王立ちすると、こちらを見下ろしながら。大きく息を吸った。

 そして覚悟を決めたかのように、先程まで柊さんが座っていた椅子に腰をかけ、キャスターをフル稼働してこちらに近づいて(肩が当たっている)、私の横顔を至近距離から見つめながら言った。

 

「隣、座ってもいい!?」

「…………うん……」

 

 彼女の必死な表情を見れば、もう座っているではないかとは言えなかった。

 私の言葉を聞いて、夜凪さんが黒山さんとその隣にいつの間にか移動していた柊さんに向かって徐に親指を立てた。黒山さんが腹を抱えて笑っている。謀ったなヒゲ。

 夜凪さんは再びこちらを向いて(嬉しいのか、その顔は少しばかり綻んでいる)、興奮のため紅潮した頬を隠そうともせずに再び口を開いた。

 

「私たち、友達にならない!?」

「……ア、ハイ……」

 

 言いたい。今どきそんな友達の作り方をするやつがあるかと言いたい。けど言えない。彼女の純粋な瞳の前では、私は口を紡ぐことしか出来ない。なんだかその純朴で無垢な表情の前では、私は、私自身が酷く矮小な存在に思えてきてしまった。

 夜凪さんが遠巻きにこちらを見ている二人に再び親指をあげる。今度は柊さんも袖で口元を隠しながらもはっきりと笑っていた。笑い方が可愛いので許す。

 

 すると、笑いによる涙を拭った黒山さんがこちらに近づいてきた。

 

「ま、そういうことだ、犬山とやら。悪いがこいつにちょいと付き合ってくれ」

「そ、それくらいなら構いませんけど……」

「そうか、それは有難いな。な、夜凪」

「友達なんだから一緒に帰りましょ!」

「話聞けよ」

 

 夜凪さんは既に黒山さんの話を聞いていないらしく、私の手を掴んで立ち上がった。白魚のような、ほっそりとした指は滑らかで、しかし同時に柔らかでもあった。

 

「じゃあ、私たちは帰るわ」

「お邪魔しました」

「じゃーね、けいちゃん、千景ちゃん」

 

 柊さんに手を振り返しながら、夜凪さんに手を連れられてスタジオ大黒天を出る。春の暖かな陽気が私を包んだ。

 

 スタジオ大黒天を出てから、私たちはゆっくりと歩き始める。帰り道は同じ方向らしく、スタジオ大黒天からそのままお別れという悲しい結果にはならずにすんだ。

 

 暫しの間静寂が流れる。

 先にそれを破ったのは夜凪さんだった。

 

「黒山さんの課題、どういうことだったのかしら」

 

 どうやら、彼の下したミッションに今更ながら疑問を感じたらしい。まあ、無理もないだろう。友達を作らなければ役者を辞めさせると言われたのだから。

 しかし、その解答を私の口から言う訳にはいかない。これは、夜凪さんが自分で見つけ出さなければいけないものだろうから。

 

「まあ、黒山さんにも色々あるんだと思うよ。夜凪さんのためだろうし」

「それはそうなんだろうけど……謎だわ」

 

 ため息を吐く夜凪さんに愛想笑いを浮かべ、私はぼんやりと辺りを見回した。この辺りはあまり来たことがないので、目に映る全てのものが新鮮に見える。

 翠の生い茂る街路樹も、桜の花に彩られ薄紅色の冠を被った信号機も、人々が優雅に午後のティータイムを楽しんでいる喫茶店も、テーブルに置かれたガラス製のティーポットの中を静かに沈んでいく紅い茶葉さえも。

 なんだか、世界が新しくなったようだった。隣にいる彼女のおかげで、全てが美しくなった気がしていた。

 

「夜凪さんは、なんで役者をやろうと思ったの?」

 

 知らず知らずのうちに、そんな言葉が口から転び出ていた。夜凪さんはちらりとこちらを見て、少しの間考え込んだ。

 

「妹が、私に向いてるって言ってくれたから……かな」

「……そうなんだ」

「犬山さんは、どうして子役をやろうと思ったの?」

 

 その質問が来ることを、私は大体予想していたにもかかわらず、すぐに言葉を返すことが出来なかった。まるで見えない誰かが私の首を絞めているかのような、苦しさ。

 いや、誰かなんて曖昧な言い方はよそう。私はもう理解しているんだ。

 いつだって、私の首を絞めているのは私自身。醜いプライドや自尊心が、必死にその言葉を言わせまいと、私の喉を締め付けているんだ。

 一度、大きく深呼吸してから、口を開く。

 

「もうずっと前のことだから忘れちゃったけど……多分、負けたくなかったのかもね」

「誰に?」

「百城千世子に」

「……」

 

 空を見上げる。青い空はどこまでも澄んでおり、そこには一切の穢れを見出せない。私の心も、これほどに清くなれたのなら、心からの笑顔で百城千世子と友人になれたのだろうか。

 

「夜凪さんは」

 

 頭の中の考えを振り払うかのように、私は口を開いた。

 

「ちょこのこと、どう思ってる?」

 

 夜凪さんは「ちょこ……?」としばらく考えて、それが百城千世子であることに気づき、おずおずと口を開いた。

 

「うーん……少し苦手、かしら」

「それは、なんで?」

「あまりにも人間味を感じないから」

 

 その率直な物言いに、私は思わず噴き出してしまった。確かに、演技をしている百城千世子からは人間味を感じることはできない。

 

「確かに、そうかもね」

「機械みたいな、そんな気がしてしまうの」

「わかるよ、わかる。ずっと見てきたから、わかる」

 

 横目で見た夜凪さんの表情は微かに不安げだ。多分、百城千世子とちゃんと共演できるだろうかと、不安に思っているのだろう。

 

「夜凪さんはさ、ちょこが本当に中身のない機械みたいな人間で、ただただ演技のことだけを考えているように思える?」

「……正直、思ってしまうわ。彼女の表情を見ようとしても、仮面のようなものしか見えない。けど、そんな人間って、存在しているのかしら……」

「いないよ」

 

 ポツリと私が言った。自分に言い聞かせるように。

 

「いないよ」

「……」

 

 二回同じことを呟いた私を、夜凪さんはそっと見つめてくる。その視線を感じながらも、私はずっと前を見ていた。

 

 もしも百城千世子が本当に機械のように、演じることだけしか考えていなかったのなら、どれだけ良かっただろうか。

 私のことをなんとも思ってもいないような、血も涙もない非人道的な人間であったのなら、どれだけ良かったのだろう。

 

 エゴサーチや研究を重ね、その小さな体躯に負担をかけながらも自らの演技を極めていく姿を、私はずっと見ていた。

 オーディションで私から役を勝ち取った時に見せる辛そうな表情と、その口から紡ぎ出されるごめんねの四文字に幾度となく苦しめられた。

 彼女は人間だ。どうしようもないほどに人間なんだ。

 ただ、背負っている。周りの期待や、民衆からの視線を、その細くて頼りない背中で、全て。自分を周りから切り離し、一人ぼっちになりながらも背負っているのだ。

 百城千世子の幼馴染である私は、そんな彼女を助けるべきだったのだろう。彼女の仮面の中身を理解して、そっと寄り添うべきだったのだ。

 だが私はそれを理解出来なかった。自分のことだけを考えて、被害妄想に酔いしれて、彼女の目の前から去ってしまったのだ。

 あの時の私は、子供だった。百城千世子の気持ちなんて理解していなかったんだ。

 

 ……いや、子供なのは今尚、か。

 今だって、私は百城千世子の気持ちなんてわかってはいやしない。ただ自分の想像を彼女に当てはめているだけだ。

 

「一つ、聞きたいことがあるんだけれど」

 

 不意に夜凪さんがそう言った。ちらりと見ると、背筋をぴんと伸ばし顔だけをこちらに向けた夜凪さんと目があった。

 

「あなたにとって、千世子ちゃんの存在は何?」

「私にとって……」

 

 幼馴染。そう答えられたのなら、どれほどに簡単だったのだろうか。

 だが、何も言えない。何も応えられない。

 そんな私を追い詰めるかのように、夜凪さんは言葉を継ぐ。

 

「何故犬山さんは、そんなに千世子ちゃんに執着するの? ほかにもいっぱい役者はいるのに」

「なんで……だろうね」

 

 確かに、彼女の言う通りだ。仲のいい役者友達なら何人もいたし、百城千世子に執着する必要はなかったはずだ。彼女のことを幼馴染というのなら、同期の子役たちも全員幼馴染だろう。

 だが、私にとっての幼馴染は百城千世子だけだ。他の誰でもない、彼女だけなんだ。

 私にとっての彼女とは、どんな存在なのだろうか。彼女にとっての私は、どんな存在なのだろうか。

 

 口を噤んだまま、二人で歩く。桜の花びらを踏んだ。私みたいな花びらだった。

 

「犬山さんは、千世子ちゃんのこと、好きなの?」

 

 首を傾げて、夜凪さんが問う。私はきっかり七歩歩いてから答えた。

 

「わかんない」

 

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