彼女が天へ帰るまで   作:雲寺香月

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※注意!!
女主人公・GLあり・原作キャラ死亡あり・原作主人公は出ないお話になっています。これらの単語に不快感あるかたは回れ右推奨いたします。


それでも読んでやるぜ!っていうみなさま。ぜひ、楽しんでいただければ幸いです。




 秋の高い夜空には雲がほそくたなびいている。澄んだ空気で満月がきれいに見えるある夜のこと、今や建業一帯を統べる領主であるにもかかわらず、孫堅は一人で居城である城を抜け出していた。

 彼女が向かったのは裏手にある森だ。夜だと言うのに膝まで伸びた雑草をかき分け、大きな猪の足跡の上を平然と踏み荒らしながら、しっかりとした足取りで進む。

 

 だんだんと水の流れる音が大きくなり、やがてぽっかりと視界が開けた広場に出る。先ほどまでうっそうと茂っていた草はなく、岩が混じった固い地面が見えている。孫堅から向かって左手にある川のほとりに、二つの木が絡み合いながら城の外壁ほど高く伸びる大樹があった。その大樹が、孫堅の今夜の目的地であった。

 

茘枝(れいし)!ここに居ることはわかってんだ、降りて来いや」

 

「やーだーよ」

 

 大樹の下から上を見上げる孫堅の視線には、一番高い枝に腰掛けて、杯を傾ける女がしっかり写っていた。暗がりでよく見えないが、かえってきた声は若々しく、成人したばかりの年頃のように感じられた。

 鴻村(こうむら)茘枝(れいし)。落石の罠にはまって命を失いかけた孫堅の前に突然現れた、記憶を失った異国の女。行くあてのなかった彼女は、今は客将として孫家に身を寄せていた。

 彼女には姓名はあるが、真名はない。そのため今は、自分の名を真名のような扱いとして孫家の面子に預けていた。

 

「こんないい月夜にごきげん斜めの炎連(いぇんれん)さんとは飲みたくない」

 

「てめえ。大して月夜が好きでもねえくせに、うだうだぬかすな。てめえがいないせいで、面倒なことになっちまったじゃねえか」

 

「出てない宴会のことまで知らないよ。ご当主、がんばって」

 

「あーもう、まずは話を聞きやがれ」 

 

 言葉とは裏腹に、孫堅の声は楽しそうに弾んでいた。

 炎連(いぇんれん)とは、孫堅の真名である。

 真名とは本人が認めた者だけが呼べる本当の名前のことで、許されていない者が呼べば惨殺されても文句は言えないほど大切なものとされていた。孫堅は自分の家族と、家族同然に生きてきた数少ない者達にしか真名を許していない。茘枝と呼ばれた女との親密さがうかがえる。

 

「俺の可愛い可愛い雪蓮(しぇれん)がなあ、また大口叩いてよ。俺が若い頃に人食い虎を一人で退治た話を聞いて、今のあたしなら一人で三匹は片付けるわ、なんて言いやがった。家臣達の前で言い放ったんだ、なら俺の前に虎の尻尾三つ献上してみせろって、そういうことにしてやった。もちろん俺の部下はつけねえぞ、とな。あいつ、強がっていたが青くなってなあ。普段強がってるぶん、可愛くてしゃあねえ」

 

雪蓮とは孫堅の長女である孫策の真名である。明るく行動的な性格で、時期当主だが部下達とは友人のような気安い関係を築いている。大きくなって孫堅との差を強く感じるようになったのか、最近は焦って空回り気味だった。今回の騒動も意地を張って引っ込みがつかなくなっただけで、後悔しているだろうなと孫堅は思う。

 

「もう。野性的に可愛がりすぎると、雪蓮泣いちゃうよ」

 

「はっはあ!学習しねえあいつが悪いのさ。放った言葉は返ってこんのだ。だが、周りのババアどもがうるさくてな。やれ若い者の軽口を本気にする者があるかだの、せっかく俺よりまともに育った世継ぎが虎ごときに食い殺されたらどうするかだの、うるせえのなんの」

 

「みんな雪蓮が大好きだから」

 

「はん。それが雪蓮に良くないのだと、あのババアどもはわかっちゃおらん。だから俺が、こうして張り合う機会をくれてやらにゃならんのだ。ああん?」

 

 孫堅は心底いまいましいというように、鴻村が座っている木を拳で殴りつけた。江東の虎と異名をつけられるほどの暴れん坊の攻撃により、大樹の枝は大きく揺れ動く。

 

「わっ」

 

 酒を飲むために枝から両手を離していた鴻村が突然の揺れに耐えられるはずもない。半端に黄色に染まった大量の落ち葉と一緒に落下する。今まさに酒を注ごうとしていた格好のまま、なんとか落ち葉の上に着地してみせた。 

 

「お酒がこぼれちゃった・・・・・・」

 

「はっ、とっとと降りてこねえからこうなるのよ。次からは俺が来たらすぐに落ちてくるようにするんだな」

 

「いや」

 

 孫堅は落ち葉の山に膝をつく鴻村の腕に自分の腕を絡ませ、自らの服の袖が酒でぬれるのもかまわず、その身体を無理矢理抱き起こした。

 鴻村は支えを失ったかかしのようにぐったりしている。酒に強くないくせに、飲み過ぎだ。

 

「おら、しっかりしろ。・・・・・・てめえもたまにはババアや冥琳(めいりん)みたいに慌ててくれてもいいものを」

 

「雪蓮ならなんとかなると思ってるから。それに、こんな私にできることってほとんどないよ?いつ消えるかもわからないのに」

 

 ふらふらとした足取りで孫堅から離れながら、己の右手を月明かりにかざして見せる。とっくりを持つ手は、手首から先が透けていた。

 

「・・・・・・悪くはなってねえんだろ」

 

「うん。範囲も変わらず、透けているのも満月が出ている間だけ」

 

「記憶は」

 

「相変わらず。こっちに来てからはちゃんと私がやったって記憶が残ってるのにさ。こうなってる時だけでも、私の記憶が戻ってもいいのにな。炎連さんたち見ると、寂しくなる。家族とか、友達とか。私にもいたはずなのに。薄情者だ」

 

 鴻村は己の右手を何度かひらひらと振ったあと、諦めたように杯ごと袖に隠してしまった。

 

「ま、一般常識とこっちの読み書きができるだけ運がいいしありがたい。と思ってはいる。ここ数年ずっと」

 

「いずれ天下統一する俺の命を救ったってことで、なけなしの運を使っちまったろうしなあ」

 

「使っちまったろうしなあじゃないよ。返して。向こうに帰る方法が見つかるくらいの運量でいいから」

 

「ばっかやろう、俺の運は俺のもんだ。それに運は分け与えるもんじゃねえ。自分でつかみ取るもんだ!」

 

「このジャイアンめ。やたら格好いい正論で返してからに・・・・・・」

 

「俺の知らねえ言葉をつかうな」

 

「傍若無人の化身ってことだよ」

 

「はっ。乱れまくった世の中を部下率いて成り上がってんだ、傍若無人にきまってらあな」

 

 孫堅は呵々と笑ったあと、なぜか一拍おいてから乱雑に頭をかきむしった。向かい合っている鴻村からわざとらしく視線をそらして、ぼそぼそと言葉を続ける。

 

「まあなんだ。あれでも俺の娘の一人だからよ。その、気分転換のついでに、雪蓮についてってやってくんねえかって話なんだが」

 

「わあ、突然しおらしくなって気持ち悪い」

 

「ああん!?」

 

「素直な気持ちが出ちゃったごめんなさい!わかった、ついてくよ。・・・・・・多分、炎連さんが来なくても、夜明けに冥琳が雪蓮連れて部屋に乱入してきたあとに同行する流れになっただろうけど。きっとたぶんおそらく」

 

 冥琳とは、孫家の軍師の周瑜の真名である。武人が目立つ孫家の中ではめずらしく頭脳派であり、身も心も孫策にすべてを捧げると公言している眼鏡が似合う美人さんだ。仕事は真面目でつけいる隙がないが、意外にも私生活では人をからかったりおちゃめなところもある。

 未だ若いことからあまり表には出てこないようにしている節はあるが、周瑜の策で楽に戦を進められたことも多く、孫堅に長く使えている者も彼女を頼りにしていた。

 

「冥琳の動きなんかしらねえさ。これは、俺のガキの問題だからな。まずは俺が話ををつけるのが筋ってもんだろう。・・・・・・わかってるだろうが、今いったことはあいつらに言うんじゃねえぞ。何度も甘えられてもたまらんからな」

 

「かしこまり。炎連さんもね」

 

「毎回確認すんな。言わねえよ」

 

「うん。ありがとう」

 

 心配されたって治らないなら、心配がもったいない。そんな理由で、鴻村はこの身体のことを孫堅以外には伝えていなかった。

 

「じゃ、また朝方に。おやすみなさい」

 

「危ねえからもう飲むんじゃねえぞ」

 

「わかったよーい」

 

 鴻村は未だ酒の残った(とっく)()に栓をして懐にしまうと、一歩の助走で軽々と川を飛び越えた。短く刈り揃えられた後ろ髪は、こちらを振り向くこともないまま、あっさり対岸の藪の中に消えていく。

 鴻村は満月の度に城から消える。今夜もいつものように月明かりを避けながら、朝日が昇るまで時間を潰すのだろう。 

 

「人食い虎退治のついでに、茘枝のこともなんか良くなってくれるといいんだが。くそ、また借り分が増えちまった」

 

 なかなか全部は上手くいかねえなあとぼやきながら、孫堅も広場に背を向けて先ほど来た道を戻っていった。

 いくばくもしないうちに猪の断末魔と見られる叫びと柄の悪い女の笑い声が響いたが、それ以外はいつもの静かな夜だった。

 翌日、孫家の食卓には朝だというのに豪勢な獅子肉料理が並んだという。

 

 

 




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