彼女が天へ帰るまで   作:雲寺香月

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姫の虎退治
獣たち、邂逅す


 太陽が雲に隠れて、冷たい風が岩肌を凪いでいく。孫策と鴻村(こうむら)が虎退治のため建業の城を出てから、一月が経過しようとしていた。

 目的地は州刺史(りゅう)(よう)が納める曲阿近郊の農村部だ。孫堅が出た端から退治してしまう孫家の支配地域にくらべて、劉繇(りゅうよう)の支配地域は虎の目撃情報が多々報告されている。いずれ倒す相手の本拠地の様子もついでに探ろうということで、少し遠くまで足を伸ばすことになった。

 

 そんな彼女たちがいるのは通常の旅人達が進む街道ではない。

 街道の横にそそり立つ崖にできた、片足よりわずかに広いかといえるような岩肌のでっぱりの上だった。この張り出した岩の足場を下から見ようとしたら、崖に向かって大きく反り返って必死に目をこらさないといけないくらいの場所だから、下の街道を歩く人々は誰も二人に気がつかない。

 

 ところどころ風化し日々が入っている不安定な足場だと言うのに、孫策は甲の部分がおしゃれ紐でつないれあるだけの踵の高い靴で軽やかに進んでいた。上着から伸びた布を腰元で締めただけの装束はときおり風にあおられて、孫策の美しい下半身と紐の下着をあらわにしている。

 その後ろを、皮靴の鴻村(こうむら)が淡々と続いていく。こちらは洒落た格好の孫策と対照的に、全身を肌の見えない男物の上下で包んでいた。孫家に身を寄せている者のたしなみとして、こちらも緋色のゆったりとした者を着用している。 

 

「風が強くなってきたなあ。雪蓮、落ちないようにね」

 

「ええ。・・・・・・あー、高いところってやっぱり空気が美味しいから大好き。口うるさいのがいないと普段できないことが堂々とできるわねえ」

 

「はは。冥琳なら顔を真っ赤にして怒るんだろうね」

 

「愛故に、ってのはわかってるんだけどー。信頼してくれているなら、もうちょい自由にさせてくれてもって思うわけよ」

 

「高いところに登るくらいいいじゃないと」

 

「そうそう。ここなら『お嬢さん、ちょっと休んで行かないか』って身体目当てに襲ってくるやつもいないし。ついでに前から虎が走ってきたら美味しいんだけどなあ」

 

「え、この高さに登ってくる虎とか足腰強くて超強いに決まってるやつじゃん。美味しいどころか美味しくいただかれちゃうって」

 

「大丈夫よ。虎だってこの狭い足場にならこう、足を四本とも一列にして踏ん張るしかないでしょ?身体だって私たちより大きいから、崖に沿って身体をちっちゃくして落ちないようにして。落ちるのが怖いからちょこちょこ前に進むしかない」

 

「それ斬っちゃうの?」

 

「可愛そうだけど、これも乱世の定めってやつよ。心を鬼にしてばっさり・・・・・・ふふっ」

 

「あはははっ」

 

 馬鹿な話をして笑いあう二人。今までは旅人や商人達が通る街道を通ってきたから、なんだかんだ二人とも常に気を張っていた。今は本当に二人だけの空間だから、気をゆるめて友達同士の会話ができる。

 

「この下、山道で足場も悪いのにけっこう人が通るんだね」

 

「建業近辺から曲阿に向かうにはここを通らないといけないのよ」

 

「ふうん。大事な道のはずなのに、でこぼこだよね。さっき下を通った商隊っぽい荷車も、なんかに引っかかって立ち往生してたよね」

 

「州刺史の劉繇(りゅうよう)は自分の住んでいるところだけは囲って統治しているから、曲阿の町中は安全で、人が集まってくるのよ。ま、本当に自分の近くだけだから、移動に重要な道の整備も不十分なところが多いし、盗賊も出るし、野生動物も出るってわけ」

 

「なるほど。そうやって動かないから炎連さんのとこに救助要請がきて、炎連さんの領地が広がっていくのか」

 

「そ。母様は朝廷なんかに手回ししたりしながら、上手いことかすめ取ってるの」

 

「散々に言うねえ」

 

「事実だもの。悔しいけれど、有能なのよあの人。あーもう、腹がたつ」

 

 孫策の心が乱れた影響だろう。羽が生えているかのように歩んでいた足運びが乱れた。その影響だろう、孫策の通り過ぎた場所の岩の一部が割れて、乾いた音を立てながら落下していった。

 背後の鴻村(こうむら)は苦笑いでできたばかりの裂け目を跨ぎながら、孫策の機嫌がこれ以上悪くならないように話題を変える。

     

「そういえば、さっき真下で轍にはまった荷車を押し出そうとしてた人たち、けっこういたけど。誰もこっちを見なかったね」

 

「そりゃあ普通はこんな上を人が歩いているなんて思わないわよ」

 

「まあ商人とか農民とか戦わない人たちは上なんか見ないかもしれないけど。武装してた人もいたから、誰かは気づくかもと思って警戒してたんだ。主に雪蓮の下着とお尻を守るために」

 

「あー、なんか距離を詰めてるなーって感じたのはそういうことね。触りたいのかと思ってたわ」

 

「違う。・・・・・・触られるかもって思ってたわりには、ずいぶん無警戒だったね」

 

茘枝(れいし)ならいいかなーって。もちろん、あとでお代はもらう予定だったけど。茘枝(れいし)が触ってくれてたら、今夜の代わり映えのしない野宿が、少し楽しみになるところだったのになあ。建業に帰ってからも、いい酒のお供になったのになあ。つまーんないの」

 

「私が雪蓮のお尻触った話が酒の当てになるかなあ」

 

「もちろん、その後の夜の話まで込みで。粋怜(すいれい)とか(さい)とか食いついてくるに違いないもの。で、真っ赤になった茘枝(れいし)をみんなでからかうの!楽しい!」

 

ちなみに(さい)とは黄蓋の真名で、粋怜(すいれい)とは程普の真名だ。両名とも孫堅が若いころから付き従う猛将で、孫家の両翼として名が通っている。普段は酒飲みでちょっとだらしないお姉さんたちだ。

 

「多分だけど、真っ赤になる前に、冥琳の視線で凍るよ、私。凍死しちゃうよ」

 

「大丈夫よ。冥琳はやさしいもの。というわけで、どうぞ」

 

「いらない」

 

「冥琳には黙っててあげるから」

 

 鴻村(こうむら)がきっぱり断っているというのにもかかわらず、孫策はわざわざ足を止めて尻を後ろに突き出し、挑発するように左右に振る。反応しなかったらずっとうるさいことを知っている鴻村(こうむら)は右手を振り上げた。手のひらが向かった先は尻ではなく背中だ。孫策が体勢を崩さないように慎重に、ただそれなりの力を込めて、手のひらが振り下ろされる。

 一拍の後、肌同士がぶつかる大きな音がして、孫策の背中はそっくりかえった。痛みから目には涙が浮かんでいる。

 

「痛っ。もう、ちょっとからかっただけじゃない」

 

「最大限の手加減です。つっかえてるから前に進んでね」

 

「ぶーぶー。面白くなーい」   

 

 くだらないことをいい合っている間に孫策の脳内からは孫堅が出て行ってくれたようだ。

 孫策は孫堅を尊敬している。だからこそ、早く孫堅のようにようにならなければと思っていたし、虎退治出る前も意識しすぎて無鉄砲な行動が増えていた。

 孫家の者達は、孫堅と孫策を比べるような発言を多くする。孫堅は我が子をからかう意味合いが大きいが、ほかの者達は孫策に孫堅を超えてほしいと考えているから、そう言うのだろう。

 比べられるから、跡取りとして孫策にかかる無駄な重圧がどんどん大きくなる。

 

 記憶というのは美化される。孫策の頑張りを黄蓋などの古参も認めているが、自らが従うと決めた主の方が、強く優れているという認識は絶対に変わらない。

 心の奥底では主より優れていると認める気がないのに、主を超えるように焚きつける。無意識であるが故に残酷なことだ。孫堅が孫策を虎退治として乱暴に外に出したのも、鴻村(こうむら)しか側につけなかったのもこれにつきる。

 

 鴻村(こうむら)は、あくまでも主として上に立ち皆を守る孫堅も、部下を懐に入れて大切な家族として扱う孫策も好きだ。どちらも間違っていないし、そもそも別の人間を比べるものじゃない。

 孫堅の部下ではなく、孫策だからついてくるという人間が周瑜の他にも見つかれば、孫策も呼吸ができるようになるのに。 

 

茘枝(れいし)

 

「ん」

 

「・・・・・・まだ怒ってるなら、もう一回叩いて終わりにしてほしいかな、なんて」

 

 孫策は甘えた声で鴻村(こうむら)に伺いを立てるように言った。後ろからであっても、眉を下げて縮こまる幼子のような姿が目に浮かぶ。こんな可愛くて憎めないところが、孫策の魅力の一つだ。鴻村(こうむら)は笑った。

 

「叩かない。考え事してたんだ。ごめん」 

 

「ならいいけど・・・・・・っ」     

 

 そのとき、孫策の耳にかすかに届いたのは多数の悲鳴。次いで剣戟の音と、柄の悪い叫び声が聞こえる。道は少し先で左に折れており、ここからでは様子を探ることができない 

だが、曲阿から離れたこの道は盗賊の被害が多数報告される場所。時間はない。

 孫策は探るように剣の柄に右手を這わせた。

 

「このまま走るわよ、茘枝(れいし)

 

「わかった、といいたいところだけど。私は無理かな。下から行くよ」

 

「ええ!」       

 

返事をすると同時に、孫策は黄土色の岩肌を蹴る。振り返りはしなかった。通り過ぎた端から足場にした岩が崩れ落ちていくが、孫策は気にせず走る。

 鴻村(こうむら)は背負っていた二人分の荷物を抱え直して、そのまま下に飛び降りた。

 肩から受け身をとって一回転。

 突然振ってきた鴻村(こうむら)を見た旅人達が駆け寄ってくるが、問題ないと手を振って人を散らす。視線を上げた先に、もう孫策の姿を捉えることはできなかった。

 

「あまり遅れるわけにはいかないな」

 

 これからの乱闘に備えるべく、鴻村(こうむら)も二つの荷物が邪魔にならないように一つの風呂敷にまとめてから背中に強く括りつけてから、地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「見つけた。・・・・・・あら」

 

 ほどなくして、孫策は数十人の賊が商人と思われる一行を襲っている現場へと到着した。だが、一方的な虐殺現場が広がっているかもしれないという孫策の予想はいい意味で裏切られて、商人が雇った護衛達が善戦していた。

その中で、護衛達の指揮をとりながら槍を振るっている女性が孫策の目を引いた。崖を背にする形で荷馬車と商人達を囲うようにして賊の襲撃から守っている。護衛達のさらに前に出て戦う彼女は、孫策とは違い身体に吸い付くような赤い服を翻し、足や腹を惜しげもなくさらしながら、踊るようななめらかな足運びで戦っていた。賊の刃は全く届いておらず、すべて裁いて彼女自身に傷一つついていない。相当な手練れのようだ。

 

「なんか面白そうな子がいるじゃない。母さまには及ばないけど、うちの(さい)よりも粋怜(すいれい)よりも強いわね。もう、よわっちそうな賊よりあの子と戦いたいわ」

 

 眼下の様子を見てから孫策の心からは焦る気持ちが消え、代わりにこれから彼女と同じ空間で戦えるという高揚感が足先から身体を駆け巡ってくる。

 飛び降りるため身をかがめ、舌なめずりして賊を見る様は、まさに餌を目にした猛虎だった。

 とはいえ、人数からいっても守る者達がいる女性側が不利には違いない。奇襲よりは、名乗りでもあげて注意を引いた方がよさそうだ。

 久々の名乗りのせいか、自然と身体に力が入る。孫策は大きく息を吸い込んで叫んだ。 

 

「民を襲う狼藉、見逃す訳にはいかない。ここに居合わせたのも何かの縁、孫伯符、助太刀する!」

 

 突然どこからか響いてきた声に驚いた盗賊、槍の女性を含む護衛達が戦闘を中断し、周囲を探っている。

 一方、賊の注意を完全にこちらに向けることができなかった孫策は、舌打ちした。今の名乗りで、彼女が一人や二人は殺れる隙を作れると思ったのに。

 

「誰だ!どこにいやがる」

 

「いや、だから孫伯符って名乗ってるじゃない。あなた、そのとぼけた頭でよく賊のおかしらなんかやってるわね」

 

「なんだと!」

 

 頭目は右手の剣を振りかざして威嚇しながら怒鳴る。が、孫策のいる場所がわからないのか、未だに右に左にとせわしなく視線をやっている。

 

「見えないところにいるからって、いい気になるな。俺たちが怖くないなら降りてこい、怒鳴るしかない臆病者め」

 

「上よ、上。声の方向からわかるでしょ?お馬鹿さんたち」

 

「上だと?まさか、上には空しかない・・・・・・」

 

 ちょっと頭が緩い頭が空を見上げるのにつられて、何人もの賊が戦闘中なのに手を止め、上を見上げる。釣れた。孫策はにんまりと口角を上げる。

 さよなら、彼女から目を離したらどうなるのかわかっていないお馬鹿さんたち。

 

「隙ありっ。はあああっ」

 

 苛烈な槍のきらめきが、賊の胴体を凪いでいく。土煙の中から吹き上がったかのような血の噴水を気にも止めずに、槍を手元で引き寄せてくるりと返して佇む女性の姿がある。

 

「この、俺の手下になにしやがる!不意をつく卑怯者め!」

 

「集団で襲いかかってくるあんたたちには負けるよ。部下の命が大事だったらとっとと逃げたらどう?」

 

「俺たちが逃げるだと?他の護衛から引き離されたことも気がつかねえ馬鹿女めが、背中ががら空きだぜっ」

 

「あら、あたしのことも忘れないでくれるかしらっ」

 

 孫策は岩を蹴って飛び降りながら、腰の剣を引き抜いた。鞘は着地に邪魔な気がしたから、背後に適当に投げ捨てる。着地しながら、横薙ぎに剣を振るうと、背後から女性に斬りかかった賊の首が五つ空を飛ぶ。

 

「臆病者、見参っと。お望み通り降りてきたわよ」

 

 槍の女性と背中合わせの位置をちゃっかり確保した孫策は、肩ごしに女性を振り返る。緑の目と視線が合う。一瞬の交差。

 その一瞬で孫策は彼女を『特別な存在』と認識したし、彼女もそう考えたことが、預けた背中から鼓動として伝わってくる。

 押さえていなければ手足がちぎれて踊り出してしまいそうな高揚感に、身体の血が泡立ち、駆け巡っていた。

 

「孫策。字は伯符よ」

 

「大史慈。字は子義。今は傭兵だよ。よろしく、江東の麒麟児」

 

「今は、ね。・・・・・・ねえ大史慈、こいつらを蹴散らしたあと、私と戦ってくれる?」

 

「ごめん、すぐには無理なんだ。後ろの商人達を曲阿に連れて行くお仕事中なんだよね。それが終わってからなら、私からお願いしたいくらいなんだけど」

 

「ああ、あたし達も曲阿に寄るつもりだったから、問題ないわ」

 

「ほんと!嬉しいよ、孫策」

 

 賊の死体が散乱する血だまりの中、周りの賊達などなんとも思っていない美女二人の様子に、頭目の顔が怒りで真っ赤に染まる。

 

「このやろう。俺たちを雑魚扱いしやがって。こっちはまだ三十人も残ってるんだ。おいてめえら、馬車は後回しだ、この女どもを先にやっちまえ。ぼこぼこにして地面に這いつくばらせて、死ぬまで犯し潰してやるからな」

 

「頭、当然俺たちにも分けてくれるんだろ?」

 

「おう。女どもを倒した奴に、一番は譲ってやる。手心を加えるんじゃねえぞ、かかれっ!」

 

 頭目の言葉に志気の上がった賊がすべて、孫策と大史慈に殺到する。  

 自分たちが束でかかっても勝てない二人だと判断できない時点で、賊達の運命は決まってしまった。 

 孫策は唇についた血をなめあげて、大史慈にささやいた。

 

「どっちが多く殺せるか、勝負しましょ」

 

「いいねえ。ま、当然、私が勝たせてもらうけどさっ」

 

 

 そして、二匹の獣が三十の餌に牙を剥いた。

 

 

 

   

 

 

  




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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