Fate/Unlimited Engel's cofficient 作:空想病
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「ったく! 朝っぱらから! 何なのよ! もーっ!」
遠坂凛の叫びが、冬木の雲一つない青空に吸い込まれる。
背後からは敵の弓矢が雨霰のごとく降り注いでいる。それらは実体のある鏃ではなく、弦の音によって奏でられる破壊の連撃というべきか。
彼女を抱いて市街地の屋根を跳梁跋扈する赤い
事の発端は数分前。
遠坂凛はいつもより早めに自邸を出た。
通学路を歩きながらひとつ大きな
『いささか根を詰めすぎたのではないか?』
「大丈夫よアーチャー」
『気にかけるなとは言わんが、気にし過ぎるのも禁物だぞ。深入りすれば』
「わかってるわよ……ええ、わかってる」
昨日、屋敷に戻ってすぐに、七騎の英霊同時召喚という未曽有の事態について、父の残した聖杯戦争に関わる文献を紐解き、私的な調べものに没頭した結果、とくに何の成果も得られず終わった。それでも骨折り損とは思わない。わからないことをわかろうとした努力は、確実に己の中へ蓄積されたと実感する魔術師の少女。凛は足音も鋭く歩を刻みながら、一人の同級生のことを考える。
(さすがに、気にならないって言ったら嘘になるわよね)
少し早く通学すべく──ついでに、こっそり衛宮邸の様子でも観察していこうかな、いやいや、別に聖杯戦争へと巻き込まれた同級生の男の子のことを案じたわけではなく一度に七騎も召喚された英霊の動静が気がかりなだけだからと、いらぬ世話を焼きに出発した言い訳を脳内で
「──ッ!!」
彼女はサーヴァントから狙撃を受けた。
無論、凛への敵対攻撃を、彼女のサーヴァントである弓兵は見逃すはずもない。白と黒の夫婦剣が攻撃を弾いたことで、彼女はすぐさま状況を理解した。
「そりゃ、
見やった方角は道路わきの雑木林……その木影の奥。そこから攻撃を受けたことを見抜く。
しかし、次の瞬間、意外なことが起こった。
冬木の管理者たるものを奇襲した英霊が、あろうことか自ら姿を見せたことに、遠坂凛はひどく驚かされた。
伏せた瞼の内に、悲壮の彩に揺れる瞳を隠した男が、哀惜に濡れる風韻で告げる。
「────ああ、悲しい。悲嘆の内に産み落とされたこの身が、美しくも気高き少女を、この手で
まるで竪琴のごとき弓を
凛は勘繰った。
わざわざ狙撃してきたくせに、何故こいつは姿を現したのか、納得のいく理由が見えてこない。
無論、相手がサーヴァントであることは、現代日本にあるまじき装束は勿論のこと、マスターに与えられたステータス表示の視界によって、容易にそうだと判別できる。
それでも、
問答無用に攻撃を放った敵が、どうして悲嘆にくれているのか、理解不能すぎた。
「されど、与えられた王命は絶対。再び仕えることをお許し下さった我が王のために、我が弦は確実に敵の命を刈り取るのみ」
「
赤い弓兵が凛を背に護りながら双剣を構える。
アーチャーの至極まっとうな指摘に、赤髪の弓使いは悲壮な表情で頭をさげた。悲嘆の吐息が、形の良い唇から深くこぼれだす。
「ああ、誠に申し訳ございません。一撃で済めば、それに越したことはないと、そうすれば、美しくうら若き乙女が死の痛みに苦しむこともないだろうと、随分と無作法な手段を講じさせていただきました。ですが、やはりそれは騎士としてあるまじき行為──その迷いと葛藤が、このような不始末を生み出したるは我が不徳の致すところ……重ね重ね、申し訳ない」
そういうのを申し訳というのではないかと笑ってやろうと思う凛であったが、敵の告げた“騎士”という単語を考える。
相手の出自や謂れを読み解き、その英霊がどのような特性なり弱点なりを帯びる歴史上の人物であるのかを解読することは、聖杯戦争における必勝手段のひとつであった。
「私は「哀しみの子」──我が主君、水着獅子王に召喚されしサーヴァント・アーチャー、名はトリスタン」
その大前提を見事に覆されてしまった。
凛は思わず「はぁ?」と素っ頓狂な声を出してしまうほどに気抜けした。
「騎士として尋常にして清明な勝負を挑むことを、我が王はお許しくださっております。なので、ここにあらためて名乗らせていただいた次第」
「いやいや、いやいやいやいや、そういうことじゃないわよ!」
顔の前で手を振って、赤い髪の騎士へと物申す凛。
訝しげに六つの弦をはった弓を掻き鳴らすトリスタンに向けて、赤い少女は人差し指を突き付ける。
「じ、自分で自分の真名を明かすとか、いったいどういうつもり? これは聖杯戦争よ? 正体を明かすリスクなんて、負うべきじゃないことぐらいわかってるはずでしょ?」
「勿論です。ですが、我々にはそのようなことに拘泥する理由がないだけ。我が王の寛恕と慈愛の深さは、まさに至高の位階にあるといわざるを得ません」
凛は軽く混乱の頭痛を覚えながらも、相手の情報を必至に精査する。
何故か、自分のサーヴァントと同じ“
召喚主は“水着獅子王”。真名は“トリスタン”。
(いや待って。水着獅子王って何よ?)
軽くつっこみかける自分を戒め、傍らに侍る弓兵に問いかける。
「──どう、アーチャー……いけそう?」
「さてな。相手の戦闘方法が、弓兵らしく遠距離戦だけ、という感じではなさそうだ」
凛は同意するように頷いた。
トリスタンは鎧の腰の位置に帯剣している。凛のアーチャーのように、近距離戦闘を難なくこなすタイプである可能性は十分。サーヴァントの戦法は千差万別。クラスによって得手不得手は当然あるが、それですべての戦闘力が推し量れるものではない。
さらに、あの弓の形状も奇妙だった。竪琴のようにポロロロンと音階を奏でる様など、本当にただの楽器かなにかではないかと錯覚しそうなほどである。
「むこうのマスターが近くに見当たらない以上、少しだけこっちが不利ってところかしら?」
「おや? いつになく弱気だな? 昨夜のランサーとの戦いでは、よく踏みとどまっていたと思うが?」
「なんていうのかしら。ああいうナルシスト系は生理的に苦手というか、鼻について嫌なのよね」
「ふむ──まっすぐ真面目な男が好み、というところか?」
「うぐ」
意外にも正解を射られたことで、凛は二の句が告げなくなる。顔を真っ赤にしつつも下知を飛ばした。
「ふ、ふざけたこと言ってないで! 迎撃よアーチャー!」
「承知した」
赤い弓兵が握りしめる双剣を投擲し、トリスタンの気勢を削ぐ。敵の弓兵は何の感情も動かされない調子で弦を爪弾いてみせた。透き通るような弦の音色が奏でられた──たったそれだけの工程で真空の矢が連射され、白黒の斬影は見事に撃ち落とされる。どうやら、トリスタンには
その間に、アーチャーは自前の弓を用意していた。
漆黒の弓に歪な形に捻じれた矢を番え、瞬く間にトリスタン目掛けて射かける。
敵の迎撃直後を狙いすました一射は、確実に赤い髪の間に見える眉間へと吸い込まれた、ように見えた。
しかし、
「──そう
アーチャーの正確無比な射撃が、何故か別の方角にそらされ無力化される。
魔術で身体機能を強化している凛でも容易に判別不能な現象のたねを、赤い外套のアーチャーは即座に見抜いた。
「随分と使い勝手の良い“弦”──いや“糸”を持っているな」
「さすがにアーチャークラスの英霊は誤魔化せぬ御様子……我が宝具“
二十メートルほどの先に位置するトリスタンが、何もない空中を
その動きに呼応して、アーチャーは凛を抱いて飛び退いた。
「ぇ、なに────ッ!」
凛は起こった事象を理解した。
先ほどまでアーチャーと凛がいた地点めがけて、不可視の斬撃が四方から襲い掛かっていた。
周囲には他の伏兵──サーヴァントの気配や、魔術師の類は確認できない。
だとすればこれは、トリスタン個人のなした技巧に他ならなかった。
「ああ、同じアーチャークラス同士でなければ、このように無用な苦しみを、罠の刃による残酷な死を張り巡らせる必要もなかったのでしょうに」
トリスタンは弓を持たない手を大きく振るった。
それだけで、不可視の糸が空を切って、凛とアーチャーを包み込むように展開される。
「我が王の命です──どうか、速やかなる死を」
死刑宣告を行う騎士に対し、凛は真っ向から挑みかかった。
「そうは、いかないわ、よ!」
懐から取り出した宝石三つに魔力を通す。
暁光よりも眩い光に、トリスタンは腰を落として身構えた。
対魔力Bのクラススキルを持つトリスタンに、生半可な魔術では傷をつけることは難しい。
しかし、凛の狙いは────
「逃がしはしない」
騎士は読んでいた。
トリスタンの視界を一時的に奪ったところで、どうということはない。
アーチャーの肩に抱かれ、糸の包囲網から脱出せんとする凛に向かって糸を伸ばす。華奢な少女の胴を、完全に断絶する一撃が叩き込まれる、はずだった。
「────
赤い弓兵が何ごとかを唱えた、次の瞬間、
「? ──なに?」
しかし、凛とアーチャーは逃げ果せた。
雑木林の木陰に突っ込み、トリスタンの殺傷圏外へ。
何が起こったのか、瞬時に判断がつかない。
トリスタンは検証する。そして仮定する。
「あのアーチャーの仕業でしょうか?」
哀しみの子は思い出した。
トリスタンの王──水着獅子王がトリスタンたちの出陣の際に、懸念していた通りであった。
曰く『あの冬木のアーチャーは、非常に厄介な相手となるであろうな』と。
騎士は片手で瞼をおさえた。
「ああ、私のせいだ。私の不覚によって、敵マスターとはいえ可憐な少女に追撃を与え、死の恐怖を延々と与え続けることになるなど」
病的に悲観的な言動を繰り返すトリスタン。
しかし彼には、膝を屈して許しを請う暇などない。
「ですが、逃がすわけにはいきません……我が王の命令は絶対。我が忠義を、今度こそ遂行しなければ。──最後まで」
トリスタンは追跡を開始した。
雑木林を抜けた先、数多の障害物の林立する冬木市の街へ。
敏捷Aランクを誇る騎士の速力に、赤い弓兵の背中は容易に捕捉できた。凛が驚愕する表情を振り向かせる様さえ、閉じた瞼ごしによく見通せる。
「え、ヤバ! もう追いついてくるなんて!」
「致し方なかろう! 私のステータスよりも、あちらの方が上のようだからな!」
そう言いつつ、アーチャーは片手に二刀の短剣を握って、振り向きざまに投射。
トリスタンの放つ真空の矢が、曲がりくねった短剣の強襲を弾き落とし、続け様に不可視の矢の雨が、アーチャーと凛の行く手を阻んだ。
「──チぃ!」
「ああ、どうか……どうか、お願いです。無駄な逃亡はおやめいただきたい」
「ふん! 敵の指図なんて絶対に受けないわよ! ああ、もう!」
そうして今に至る。
サーヴァントの高速移動は、気の敏い人間でも目に追いきれる次元にはない。
仮に、朝の空を見上げ、少女を担ぐ弓兵や追撃する鎧騎士を遠目にしても、次の一瞬でどこぞに姿を消してしまえば、何かの見間違いだろうと自動的に納得を得てしまうものだ。
それでも、凛は言っておかずにはいられない。
「ちょっと! 朝っぱらの市街地で、こんな派手に戦っていいと思ってるわけ!?」
振り返った凛は制服の裾を翻し、トリスタンの涼し気な表情に訊ねた。
魔術の儀式は秘匿されてしかるべき。聖杯戦争が遂行される上で、魔術師とは無縁の一般人を巻き込みかねない時間帯に動くというのは、遠坂凛の主義に反していた。
赤い髪の騎士は、少女の問いへ丁寧に答えを返す。
「良いことなどとはまったく思っておりませんが──どうか、ご安心を。
我が王の君命によって『一般人への危害行為は絶対に禁ずる』とされております。──もっとも、建物などへの被害は言及がありませんでしたが」
「あ、そ! 随分とお優しいことで! ──アーチャー! あの廃ビル! あそこで作戦タイム!」
凛の指さす先には、ところどころが朽ち果て、屋上の一部が崩落した高層建築物が鎮座している。
人的被害や市民の目などを考慮するに、一度体勢を立て直すのに持ってこいな物件だと判断した凛。
指示に頷き、方向を転換する赤い弓兵。廃ビルの屋上に着地し、跳躍してくるトリスタンへ弓での同時三連射を射かける。その間に、凛はガンドを屋上の床に連射し、飛び降りるための陥穽を作り上げた。
トリスタンの足止めを多少成功させたことを確認した後、あらためて凛とアーチャーは屋上の破損部から建物内に。遠方から狙撃する弓の名手にとって、ひとたびこういった遮蔽物・閉鎖空間に逃げ込まれれば、遠距離戦闘など望むべくもない。対応としては定石通りというべきだろう。
そんな二人の“愚かな行動”に、トリスタンは悲嘆にくれるしかない。
「ああ、悲しい。このような“死地”に、私にとって最も“狩りやすい”場に、自らの足で逃げ込まれるとは……致し方ない」
トリスタンは今にも泣きそうな面差しで、宝具の糸を無数に張り巡らせた。
「我が