まずはプロローグです、どうぞ。
#0 迷子
目を、開いた。ぼやけた視界に青い空が眩く輝く。
何か、長い夢を見ていた気がする。寝過ぎたように頭が重い。むしろ痛いほどだ。
しばらく頭がゆっくりと冷めていくのを待っていた。冷涼なそよ風が頬を撫で、髪を揺らし、次第に脳にかかった靄が打ち払われ流れていく。
―――空? 風?
バッと
「は……?」
口からはホロリと目の前の現実を疑う音が零れる。
俺は、だだっ広く広がる緑の中で身体を横たえていた。
******
地面で寝たからか、少し違和感のある身体を動かして立ち上がると、どうやらここは小高い丘のようになっているようだ。
「――ぅわぁ……」
空の抜けるような青さはどこまででも広がり、それと沿うように地平には様々な色合いの緑が広がっている。この丘は辺りで最も高く、眼下に広がる丘陵地帯がよく見渡せた。あれは街道――と言っていいかは分からないが――だろうか、丘陵地帯が数多の畑――育てられているのは小麦のように見える――に区切られる中を曲折しながら這い回る茶色い土が目に入った。
体を動かすうちに気づいたが、俺が今着用している衣服はまるで身に覚えのないものだった。植物由来らしいゴワゴワした素材で雑に織られた布製の、――楽ではあるが――どうにも寝巻きのように思えるラフなシャツとズボンである。
シャツは半袖だったが、それでも十分快適に過ごせる外気温だ。寝ていた場所は広葉樹の木陰で心地良い風がそよぎ、日向へと出れば燦々と照る太陽のエネルギーを肌に感じる。だからこそ、視界に広がる畑もまだ青々としているのだろう。
また、寝起きだから違和感を覚えると思っていた身体だが、どうやら違和感の原因はそこではないようだ。
俺は腕を広げ、ゆったりと回るように全身を見回した。是非とも鏡が欲しいところだが、鏡面がなくとも自分の身体に現れた異常は何となく把握できた。
―――めっっっちゃ嬉しいんだけど!!
最近の悩みの少し丸めだった全身は引き締まっており、記憶よりも視点が高いということは身長も伸びているのだろう。自分の身体を摩れば、身に覚えのない筋肉が感じられ少しの恐怖すら覚える。
―――嬉しいんだけど、こっわ……。
身体が改造されている恐怖に俺は身震いした。
目を覚ますと肉体改造済みで、よく分からない服を着ていて、見ず知らずの土地にいる。泣き叫びたくなるほどに不可解な現象が積み重なり過ぎて、一周回って溜め息が漏れる。
何から悩んでいいかすら分からない現状を解決する術を、俺は何一つとして持っていなかった。
しばらくその木陰に座り込んで、ぼけーっと成長中の麦を風が揺らすのを見ていた。それこそ、目を覚ましたときには中天にあった太陽が大体地平線より拳一個分くらい上の位置に落ちるほどの間だ。
ふと、俺は視界に異物が入り込むのを認識した。
街道とも言えない例の道を、何か大きな影が沈みかけた太陽の方からこちらへ向かってきていた。彼我の距離が狭まるにつれ、その大きな影の正体が判明する。
それは行商の一団だった。時代外れの馬――みすぼらしくどちらかというとロバ――に荷車を牽かせ、その馬の轡を取って中背の人が歩いている。そのセットが……四つあった。荷車には全て布がかけてあって積荷は判別できないが、形からして恐らく樽は積まれているだろう。
俺は少しの間逡巡して、それから立ち上がってその行商の一団を目指して駆け出した。
駆け出して、改造された肉体に比例してか、走り易くまた速く走れていることを自覚する。知らずのうちに履いていた革の茶色い靴も、粗末な見かけに反して履き心地は良かった。
丘を下りてぐんぐんと道に近づくと、向こうも俺のことに気づいたようで先頭の一人がこちらに向かって大きく腕を振った。それにこちらからも腕を振り返し、そのまま俺と行商の一団は道――丘から移ってみれば、明らかに整備された道だった――の上で合流した。
行商団のリーダーと思われる、腹の出た中年の男性が代表して俺に話しかけてきた。
「やあ! こんな道の真っ只中、いや、君は丘にいたが、何にせよこんなところでどうしたんだい? もうそろそろ日も暮れる。私達に何か用でもあるのかな?」
黒いカイゼル髭を撫でながら、優しさを声に滲ませて男性は尋ねた。
「……用がある、というわけではないのですが、少し困っておりまして。私にはなぜここにいるのか、ここはどこなのか、今がいつなのか、そういったことが一切分からないのです」
―――……なるほど、ねぇ。
現時点で判明したのは、
この丘陵地帯、はっきり言って日本にこのような場所が残っているとは考えにくい。まず育てているのが麦という時点で中々見られるものではないし、視界のどこにも山や海が映らないというのも山の多い島国の日本では珍しいものだ。
そしてこの行商人達の格好だが、大まかに言ってしまえば俺が着ている簡素な服と同等のものだった。彼らが時代外れなのは馬車からして言わずもがなだが、その服装からも――信じがたいが――現代であるとは到底考えられなかった――これが大がかりなイベントやドッキリ企画でもない限り――。
だから俺はまず、日本ではないどこか――恐らく欧州――の過去に何かしらが原因でトリップしたものだと考えていた。
だが、先程も言ったように
―――これは、異世界転生来た!!??
心の裡で激しく飛び回る期待に合わせて心臓が律動するのを感じた。
「なんと! 本当に記憶がないのかい? だとするなら、《ベクタの迷子》かもしれないな」
「《ベクタの迷子》……。それは何でしょうか」
「んん、そこからか。この世界には稀に自分が何者か、どこから来たのかも分からずにそこに現れてしまう者がいるのだ。そういった者は《ベクタの迷子》と呼ばれる。ああ、可哀想に《暗黒神ベクタ》の手遊びにその人生を弄ばれてしまったのだ」
……ふむ。《暗黒神ベクタ》、か。聞いたことのない神の名であるし、少なくともこの中世ヨーロッパ然とした男性が日本語を口にしている時点でおかしいのだから、この異世界の神とでも取るべきだろう。
《ベクタの迷子》とはすなわち神隠しのことを指すのだろうが、こういった異世界もののテンプレとして神は実在する可能性が高いから、《暗黒神ベクタ》も強大な力を持った存在として実在するのであろう。
ここはその《ベクタの迷子》を装うのが一番都合が良いと俺は判断した。
「私はその、《ベクタの迷子》なのでしょうか……。これから、どうすればいいのでしょう」
「むむむ。……そうさな、ここで私達と出会ったのもステイシア様のお導きゆえなのだろうな。君、記憶が戻るか居場所が見つかるまで私達と一緒に来ないか?」
「――良いのですか!? それは、本当にありがたいことです。目が覚めたら見覚えのない場所に独りでいてとても心細かったものですから、皆さんと一緒にあれるなら非常に心強いです」
―――よし!
転生して最初に出会った第一村人と親密になる、これは正しくテンプレというものではないか。ひとまずこの世界のことや、俺がなぜこの世界に来たのかを探るためにも彼らと共に行くのが最善策だろう。
「ははは、そうか! というわけだ、みんな! 今より我らが行商団に新しい仲間が加わる! さあ、そろそろ日が暮れる。少し時間が押しているからな、急ぐぞぉ!」
再び男性は馬の轡を取って歩き出した。彼の呼びかけに応じて後方の三台の荷車からも声が上がり、キャラバンは再び進みだした。
男性はにこやかに俺の肩を叩きながら笑った。
「記憶もなく不安だとは思うが、私達がいる。安心したまえ。ああ! そういえば自己紹介がまだだったな。私はグルト、グルト・ボーグルだ。このボーグル行商団を率いている。君は、自分の名前は覚えているかい?」
グルト、服装から察してはいたがやはり日本風の名前ではない。かといってヨーロッパ系の名前というわけでもなさそうだ。これは本名だと少し浮く可能性もあるか。
パッと出てくる名前は、普段からゲームなどで使っているハンドルネームだけだった。グルトと音が似ているからきっと大丈夫、この世界でもそれほど浮かないはずと信じて声に出す。
「……レント、です」
「私はレントと呼ばれていたような気がします。すみません、それしか思い出せません」
「なるほど、レント、か。良い名前だな。これからよろしく頼むよ、レント」
「はい、グルトさん!」
俺はグルトと握手を交わし、こうしてこの俺――レントの異世界物語は始まりを告げた。
今作も平均六千字を維持できるのかは分からないところですが、まずはプロローグということで短めに。
連載を始めておいてなんですけれど、多忙につき定期投稿は難しく、頻度は安定しないと思いますが、どうかこれからよろしくお願いします。