「――何階をご利用ですか」
昇降機の前で足踏みをしながら待っていれば、昇降板が下りてくる。相も変わらない無表情の昇降係がお決まりの台詞を口にした。
「さっき乗せた黒髪と金髪が上がったところまで」
「かしこまりました」
言葉少なに昇降係は責務を果たす。風素術により決して不快感を覚えない速さで昇降板は上昇する。
「……先程の二人は教会に対する反逆者だ。何か、言われたりしたか?」
「はい。ここでどれほどの間働いているのか尋ねられ、お答えすると、この任を解かれたときに何をしたいかを重ねて聞かれました」
「それに、何て返したんだ?」
「……この昇降板で、空を自由に飛んでみたい、と」
「分かった、覚えておこう」
そこで昇降係はバッとこちらを驚愕の眼差しで見つめた。思わずといったところだったのだろう、次の瞬間には慌てて再び目線を手元に落とした。
俺は反逆者を追いかける中で厳しいものになっていた顔つきを柔らかく解す。
「たしか、勤続一〇七年だったよね」
「……はい」
「それだけ長い間仕えているんだ、そのくらいの望みなら叶えてあげたいと思うんだ。最高司祭様もきっとお認めくださるだろう」
昇降係の少女――実年齢を考えれば到底少女ではないが――は困惑と喜びの混ざった複雑な表情を見せた。俺はそれに思わず笑みが零れる。
整合騎士を始めとして、最高司祭様のお近くに仕える者はとても長い時を過ごしている。きっと短命な生き物からすればそれは羨ましいことに思えるだろうが、ただ同じような日々を繰り返して生きているだけでは心が感情を忘れてしまう。整合騎士は――不謹慎な話だが――戦い成長する日々が変化に繋がる。逆にセントラル・カセドラルからほとんど外に出ないままに天命の減少を止められた昇降係は、……きっと感情を失くしてしまっている。完全にではないだろうが、思えば俺も彼女が笑っているところなどは見たことがない。
―――そういうところが、最高司祭様はよろしくない。
最高司祭様がどれだけご立派な方であっても、人心というものは複雑で儘ならないものだ。要するに、今回の反逆者の反逆の理由がそうでなかったとしても、最高司祭様の今の在り方は反感を買い易いものだということだ。
あの方自身が恐らく感情を失くしてしまっているのか、もしくはそもそもの格の違いがあり過ぎて俺達のような矮小な存在のことが分からないのだろう。そういった点は周囲が補佐していくべきだと俺は思うのだ。
そんなことを思っているうちに、昇降板は滞りなく八十階に辿り着いた。
「ありがとう」
「――いえ、勤め、ですので」
昇降係はペコリと頭を下げてから昇降板に乗って下がっていった。
簡単に呼吸を整え、頬を軽く叩く。緩めた顔を引き締めて大きな扉を押し開いた。
無機質な塔から視界が一転する。《雲上庭園》という名に違わぬ、草花が咲き誇る穏やかな庭が広がる。
と同時に、俺の耳はこの穏やかな庭に全く相応しくない叫びを聞く。
「ユージオ! その剣を叩き落とせ!!」
声の方向を向けば、黒髪の青年が叫んでいた。その指示に従った金髪の青年は、すぐ側の氷塊から突き出た黄金の剣に自らが持つ水色に透き通った剣を叩きつけた。
ガンという硬い音と共に黄金の剣は床に転がり落ち、柄を握っていた腕が見えた。
「これで……!」
「――させると思ったか?」
黒髪の反逆者が氷塊からはみ出た掌に――何の意味があるのか――極小さな短剣を突き刺そうとしていた。一見無害なものでもどんな危険があるかは分からない。俺がそれをみすみす見逃すはずがなかった。神器でその短剣を打ち払う。カンカンと何度か跳ねながら短剣は飛んでいく。
「な、……に……?」
俺の接近に気づいていなかったのだろう、青年は呆然とした表情で俺を見た。
「まったく、アリスちゃんまでこんな負け方をして。少し油断が過ぎるんじゃないかな?」
俺が言えば、それを否定するかのような剣気が氷塊より漏れ出て、見えない刃のようなものが氷を削った。僅かに生まれた亀裂は瞬く間に氷塊全体に広がり、氷塊が弾け飛ぶ。その中から、鎧に纏わりつく氷の残滓を軽く払いながら、黄金の鎧に身を包んだ女騎士が現れる。
「これはっ、……確かに、貴方の発言を私は否定できません。彼らを侮っていたことは事実です。しかし、決してあれで私の負けが決まったわけではありませんし、貴方の助けがなくとも彼らを斬り伏せていました」
「負け惜しみにしか聞こえないよ、アリスちゃん」
こちらを睨むアリス――整合騎士団序列第四位のアリス・シンセシス・サーティの視線を軽くいなして、俺は未だに反応を見せない反逆者の方を見た。
「さて、お初にお目にかかる、と言っておこうかな。君達が勇気と実力を兼ね揃えた件の反逆者二人でいいかな?」
金髪の方は警戒した様子でこちらを窺っているが、俺はもう一人が気になった。警戒しているわけではない。彼はただただ俺の存在に驚いていた。
「……そっちの君は、俺の顔に何かついているのかな? 流石にそれだけ眺められると恥ずかしいんだが」
「貴方が恥ずかしいとは、これまた戯言を」
アリスの口調がいつもよりも鋭い。これは、先程の弄りが中々に癇に障ったようだ。
「――お前、レント、か……?」
―――!
黒髪の反逆者の口から俺の名前が零れ出る。俺は目を瞠った。
「……君は、まさか俺が整合騎士になる前の知り合い、とでも言うのか?」
「整合騎士になる前? レント、貴方は何を……!?」
「レント? お前も記憶がない、のか?」
「キリト! 彼は君の知り合いなのか?」
――…………。
「アリスちゃん」
「……何でしょうか」
「一旦、剣を下ろしてくれないかな。そっちの二人も」
「何をッ! 彼らは教会に対する反逆者です! そんなことッ」
「下ろして」
「ッ……。――分かり、ました」
アリスが黄金の剣を鞘に収める。反逆者二人も顔を見合わせた後に剣を仕舞った。俺も腰の鞘に《白夜の剣》を戻す。
「さて、俺はまだお前達反逆者のことをよく知らないんだ。それと、キリト、と言うのか? お前が俺の何を知っているのか、もな。話の通じる相手の話を聞かないままに殺してしまうのは、流石に不憫だと俺は思う。言いたいことがあるなら面倒だから先に言ってくれ」
不憫だと思うのは事実だが、教会への明白な反逆者にこれほどの猶予をくれるのは俺の本意ではない。しかしエルドリエのことを思えば、戦闘中に何かしらを言われた方が俺にとって不利になる。それを思えば致し方ないことだった。
加えて、アリスの態度を見るに、実際にアリス一人でも反逆者の処理は可能だったのだろう。ならば俺もいるのだからどれだけ反逆者に余裕を与えても問題はないという判断をした。
「……」
反逆者二人は顔を見合わせて、ゆっくりと黒髪の方が口を開いた。
「まず、……そうだな、自己紹介をしよう。俺はキリト、それでこっちがユージオだ。俺達はある目的を持って《ノーランガルス北帝国》の辺境、《ルーリッド村》から央都に来た。……その目的は、アリスを取り戻すことだ」
「へえ、続けて」
アリスがピクリと指を動かすが、それを黙殺する。俺の気配に少しキリトは身を震わせたが、そのまま言葉を続けた。
「……そのために、整合騎士になろうと思って修剣学院に入った。そこで、俺とユージオの後輩が卑劣な手段で汚されそうになった。それを俺は斬り捨てた」
「なるほど、それでここに連行されて、脱獄。カセドラルまで来れたのをいいことに、目的を遂げるためにこの塔を上ってる、と」
「……ああ」
話の筋は通っている。……アリスを取り戻す。彼らの視線からしてその『アリス』がこの『整合騎士アリス』であることは間違いないだろう。だが、肝心のアリスにその気は全くなさそうだ。
これは、『アリス』と『整合騎士アリス』が本当に別人――よく似ていてキリト達が誤解している――場合と、……最高司祭様が『アリス』の記憶を封じている可能性がある。
―――これは、困ったな。
エルドリエに起こったこと。デュソルバートが語ったこと。彼らの様子。アリスのこと。それらを踏まえると、客観的に見れば彼らの言う通りのことを最高司祭様が行っている可能性が高い。
「それなら、俺のことは?」
俺が聞けば、ユージオと呼ばれた金髪の青年は純粋な疑問を顔に浮かべてキリトを見た。どうやら、彼は俺に一切の心当たりがないらしい。
「……お前は、レント。俺の、以前の知り合いだ。だが、ここにいるはずがない……。そもそも、整合騎士だって? そんな馬鹿なことが……」
「キリト! 君、記憶が戻ったのかい?」
「あ、ああ。少し、だけどな。だがそれでもレントがここにいることがおかしいってのは分かる」
俺は頭を巡らせる。今のユージオの言いぶりからすれば、きっとキリトは今まで記憶喪失でいたのだろう。それが記憶を取り戻すほどの衝撃を俺と出会ったことで受けたわけだ。これは、彼の知り合いに俺がいたことも事実なのかもしれない。
だが、
「……キリト、お前、歳は分かるか?」
「い、いや、記憶が、ないから」
「ああ、そうか。なら質問を変えよう。お前の天命の最大値は減少しているか?」
「そんなわけないだろう。俺はまだ若い」
「なら、俺の知り合いなはずがない」
キリトは目を何度か瞬かせる。未だ俺の言葉の意味が理解できていないようだ。
すぅと息を吸った。
「――人界歴三二四年、俺は公理教会最高司祭アドミニストレータ様により、この人界に整合騎士として天界より召喚された。分かるか? 俺が整合騎士となったのは今から五十六年前だ。たとえ俺が元々は人間であったとしても、少なくともお前が俺の知り合いであることはあり得ないんだよ」
「……は? 五十、六年……?」
キリトがすっかり驚いた表情を見せる。
俺は剣の柄に手を置いた。
「というわけだ。さて、キリト。まだ何か言いたいことはあるか? いくら俺がお前の知り合いに似ていたとしても、それは他人の空似だ。名前まで同じなのは運命の悪戯というものだろう。諦めろ」
「…………」
「アリスちゃん、止めて申し訳なかったね。ここからは俺も加勢するから、さっさと終わらせよう」
「……ええ」
アリスも彼女の神器である黄金の剣、《金木犀の剣》の抜剣体勢を取る。
「――不意討ちは気が引ける。キリト、ユージオ、剣を抜け。ここまで辿り着いたことに敬意を表して、整合騎士が二人がかりで丁重に斬り殺してやる」
キリトが一度こちらを見るが、視線に殺気を乗せれば一度瞼を強く閉じてから目を開く。
「ユージオ、行くぞ」
「キリト……」
「やらなきゃやられる、仕方ないだろう?」
キリトは片頬を吊り上げて笑った。ユージオも頷き、二人がそれぞれの剣の柄に手をかける。
「それじゃあ、始めようか」
俺は告げると同時に床を蹴り、キリトに接近する。右手の剣を構えつつ、左手を背中に回し親指でキリトを指した。
キリトの目前で踏ん張って急激に前進方向を切り替える。一蹴りで横に飛び、キリトの前からユージオの前に立つ。
「ッ!」
「ふうん」
キーーン!!!
甲高い音が鳴り、俺の斬り下ろしはユージオの剣に防がれる。不意討ちは気が引けると口にしながら不意討ちに近い攻撃をしたのだが、中々に良い反応を見せる。
後方を確認すれば、アリスは俺の合図を理解しており動揺したキリトに斬りかかっていた。
俺の初撃を防いだユージオは、俺の剣を弾くと逆に果敢に攻めかかってきた。
―――面白い!
ユージオの攻撃は猛烈だった。右に左に上に下。斬り上げや斬り下ろしに、水平斬りや袈裟斬りまで様々な斬撃を組み合わせて俺に畳みかける。
だが、それも俺には通じない。ユージオは剣士としては優秀な腕を持っていたが、騙し合いには向かない素直な心根の人間だ。狙いが、目に表れる。剣先を見ずとも目さえ見ていれば剣の動きが読める。
アリスとキリトの斬り合いを横目で眺めれば、アリスの巧妙な攻めをキリトが凌ぎきり、逆に踏み込み攻め込みだす。
誰であろうが間断なく攻め続けることはできない。アリスですらそうなのだから、彼女より腕が劣るユージオは尚更だ。一瞬息を吸う瞬間に、その苛烈な攻めに緩みが生まれる。
「それ」
右腰に差してあった剣――鎧を変形したもの――をその隙に突き刺す。俺の懐に再度飛び込もうとしていたユージオは、それを髪ほどの差で避ける。ユージオの頬の皮膚が薄く裂けた。
「これも避けるか」
一歩退いたユージオに対し、その一歩分を俺から詰める。左手を後ろに下げて右手の神器を逆袈裟に斬る。ユージオは胴体との間に剣を辛うじて挟み込み、二本の剣は火花を散らしながら互いの表面を削る。
「システム・コール、フォーム・オブジェクト、チェイン・シェイプ」
手首を素早く返しながら、再び神器を振るう。それを体が流されたまま剣で受けたユージオの身体は後ろに重心を崩した。
神器を振るいながらの詠唱により、左手の剣は鎖へと形を変える。それを体勢を崩したユージオの足元へと投げ、素早く手元に引き寄せた。
「う、わっ!?」
狙い通り、ユージオは鎖に足を絡ませる。手首で捻りを加えれば、鎖はよりユージオの足首に絡みつく。
横目でアリスを確認すれば、武装完全支配術である金木犀の花弁をキリトに叩きつけていた。キリトはそれに対し剣の腹で防ぐ構え。
―――あれは、飛ぶな。
花弁の勢いによりキリトはアリスから離れるだろう。それはキリトに一瞬の余裕を与えることに繋がる。彼にはそういった時間は与えるべきではない。
「こんの、余所見、するな!」
足を取られてしゃがみ込んでいたユージオが剣を構えてこちらに向かって走り出す。
俺は手元の鎖を一度反動をつけてから、思いきりアリスの方へと放った。ついでに手も離せば、ユージオは鎖に引っ張られて鎖を伴ったままアリスに向かって飛ぶ。
そのアリスはキリトに剣を当てたときにはユージオの飛来に気づいており、キリトを弾き飛ばした返す刀でユージオを迎え撃つ。
「先に言ってください!!!」
アリスが叫ぶ声が聞こえるが、俺はユージオの姿勢維持能力に目を瞠った。ユージオは片足を取られたまま、空中で体勢を整えてアリスの神器に自らの剣を合わせたのだ。鎖も、先を誰も握っていないのならさしたる妨害にはならない。そのまま鍔迫り合いに持ち込んだ。
俺の方はそれを観察しながらも、こちらも空中で姿勢を立て直したキリトに追い縋る。
「中々やるね、二人、ともっ!」
アリスと斬り結ぶ相手を交換し、再び攻勢を再開する。いくら空中で体勢を整えたとしても、駆けつけた勢いを乗せた斬撃に抗し得るわけではない。剣で防御したとしてもそれを弾き飛ばすことができる。
剣を弾き丸見えになった胴体に足裏を叩き込み、キリトを《雲上庭園》の壁際まで追いやる。そこで、俺と立ち合ったときより更に苛烈を極める攻めを見せるユージオにアリスが後退を強いられていることに気づく。
俺と同時にキリトもそれに気づいた。俺を振りきって一旦ユージオと共にアリスを斬り伏せるべきか悩んだのだろう。キリトは乱雑に俺を振り払うように剣を振った。
―――何!?
それは、簡単に避けられるはずだった。狙いの定まらない斬撃など恐れるに足らない。
しかし実際には。その斬撃は俺の前髪を僅かに斬った。目前に落ちてきた刃に足を止める。
まるで、
キリトは俺が見せたその隙に、アリスに向けて踏みきる。ユージオはアリスに斬りかかりながら記憶解放術の詠唱を行うという高度な技術を見せ、壁際に追い詰めたアリスを再び氷漬けにせんと床に剣を叩きつける。
凍らされた瞬間に駆けつけようとしたキリトの背中は、俺の眼前に無防備に晒される。
キリトは自分が俺の間合いの外にいると考えて、こうも無防備に背を向けたのだろう。しかし――
「エンハンス・アーマメント!」
俺が武装完全支配術を解放すれば、俺の神器である《白夜の剣》は一回り大きくなる。滑らかだった剣の表面にはゴツゴツとした透明な岩肌のような隆起が生まれ、剣自体も少し伸びる。
それを振り下ろせば黒い背中を斬り裂く、その瞬間にキリトは身体を反転させた。
「何ッ!」
「お前ならそうすると思ったよ! エンハンス・アーマメント!」
キリトも武装完全支配術を使用する。その黒い剣も俺の神器と同様に、僅かに
ガゴンという剣がぶつかり合う音は、まるで金属とは思えない自然の音だった。
―――庭園よ、力を借りる!
俺の神器は、その刃を通して空間神聖力を物理的な破壊力に変えて放出することができる。刃に庭園の草花から漏れ出た光が集中し、段々とその刃が高熱を蓄え赤熱化する。
その熱は鍔迫り合う剣を越えて、相手に熱を伝える。剣の柄を握る手を焦がす。そのはずだった。
しかし、俺の神器から放たれた高威力の空間神聖力の粒子は、そのままキリトの黒い剣に吸い込まれていく。
「くそッ!」
これは、相性の問題だ。神聖力を放出する剣と、神聖力を吸収する剣ではこちらが不利だ。
舌打ちを漏らしながら、これ以上の形勢悪化を避けるために俺は小手先で剣を操る。キリトの剣をこちらの剣に滑らせるようにいなして、その威力を逃がすように壁に叩きつけた。
「――な」
これが、今回の戦闘で一番の想定外。誰も聞いていない。
カセドラルの壁が、内部からの衝撃に弱いなんて。
原作には勝てなかったよ……。ところで、原作だと直接当たってもないのに壊れるってカセドラルの壁脆過ぎませんかね? 整合騎士がちょっと本気で神器解放して殴りつけたら簡単に崩壊しそうです。
邂逅ってのは