では、筆者の英弱が露呈したところで、ベルクーリとの勝負です、どうぞ。
湯で濡れ滑る床の上を駆け出し、ベルクーリの挙動に注目する。彼はいつものようにゆったりとした構えで待ち受けている。防具は一切着けていない着流しではあるが、そもそもとして俺の攻撃を受ける気などないのだろう。
ベルクーリの神器である《時穿剣》は少し先の未来を斬ることができる。俺が彼を間合いに収める前に、ベルクーリは宙を斬り払う。それは正確に俺の軌道を捉えており、このまま前進を続ければその斬撃を受けることになるだろう。かと言ってここでその斬撃を避けることはできない。浴槽の狭間で戦闘を行っているため左右に逸れることはできず、またその前で止まろうにも床で滑って隙を晒すだけだ。濡れた石の床では、靴を履いた俺よりも素足のベルクーリの方が小回りを利かせられるだろう。
―――さあ、行くぞ!
俺が息を整えて剣を振るえば、それは中空で硬い音を立てて弾かれる。いや、
―――ベルクーリが斬った場所には、透明で一撃だけ放ってくるベルクーリがいると思えばいい。
実際にそうであれば俺の負けは必至だが、その斬撃の軌道自体は先に明かされているのだ。集中すれば決して把握できない攻撃ではない。
二、三回周囲を斬り払いながら前に出る。手応えのないものもあったが、それはそれで牽制になったと思えば良い。しかし逆に言えば処理していない斬撃が後方に残っているということでもあり、戦闘中の迂闊な後退はできない。
「っは、面白れぇ!」
ベルクーリが自分の直前を二度斬る。そして間合いに入った俺へ、その剣を振り上げた。
―――三方からの攻撃!
そのどれもが、一撃必殺を掲げる整合騎士長の斬撃だ。ツーと俺の蟀谷を汗が流れ落ちた。しかし焦る内心と裏腹に、自分の口角が上がっていることに気づいた。俺は心の底からこれを面白いと感じているのだ。
ベルクーリの斬撃は三本が一斉に襲いかかってはこなかった。それぞれに僅かながらも時間差がついている。つまりはまとめて対処されることを避けつつ、こちらの逃げ道を塞ごうということだ。
ゆらゆらと湧き立つ白い湯気が、ふっと途切れる。この大浴場という戦場はベルクーリの武装完全支配術を見切り易くしていた。
斜め右から降りかかってきた一本目の斬撃を足を止めずに軽く受け止め、左に受け流す。滑る前に足元を踏みきって跳び上がる。そうすれば左からの二本目の斬撃も避けられる。勢いをつけたままに跳んだ俺は、真正面からベルクーリの神器に俺の神器を叩きつけた。
一瞬の均衡。それは即座に破られ、次の瞬間には宙に浮いた俺が押し負けて背後に吹き飛ばされる。しかし溜めを作られた上でのベルクーリの斬り下ろしという、単純に足を止めていても弾き飛ばされる技を流せたのは上出来だ。
ベルクーリは俺に打ち勝ったその勢いのままこちらに迫る。俺は後方に飛ぶ身体の制御を空中で取り戻し、そのまま《雲上庭園》での二人のように体勢を整えた。
早くも俺に追いつきかけているベルクーリは再び強斬撃の構えを取る。それに慌てることはせず、俺は身を捩った。
耳の脇で風切り音がし湯気が斬り裂かれる。構えを取ったまま剣を振らなかったベルクーリは、己の罠を見破った俺を見てニッと片頬を上げた。彼は巧妙に俺を罠に追い込んだつもりだろうが、普段よりも彼の踏み込みは甘かった。
彼に応じるように、俺も片頬を吊り上げる。宙で整えた体勢も身を捩ってしまえば崩れ去り、俺は床に転がり落ちた。そしてそのまま横に転がって湯の中に沈む。
先程までベルクーリが入っていた湯は、当然人が入っても問題ない温度だ。だがベルクーリはまさか俺が自分から落ちるとは思っていなかったようで、一瞬その横顔に驚きの表情が浮かぶ。しかし俺が剣で湯を撥ね上げれば、瞬時にその着流しの袖で顔を覆った。
ベルクーリが自ら視界を塞いだ。これが常人であればこれ以上ない隙だろう。だがベルクーリにそんな簡単な思惑は通用しない。この一瞬程度であれば、彼ほどの実力者は自らに向かう剣気を察すだけで切り抜けられる。
それが分かるから俺は無理に攻めない。代わりに口の中で神聖術を唱えた。
ベルクーリが着流しの袖を払う。そして浴槽を見下ろしつつ、上下の地の利を活かしてこちらに斬りかかる。それを俺は湯に潜り込むことで躱し、同時に神聖術を解放する。瞬間、大浴場を光の奔流が埋め尽くした。
余り知られていないことだが、神聖術で作れる鋼素には種類がある。何も意識していなければ鉄になるが、別素材の金属も意識すれば作成できる。そして作成可能な金属の中に、燃やすと激しく発光する金属があるのだ。それを熱素と共に鋼素――こちらは鉄材だ――で作った隙間の空いた球に入れて放り上げた。当然、途中で熱素により火が点いて金属は発光する。
俺は反応を確認してすぐに立ち上がった。俺は目を逸らしていたし、そもそも何が起こるかを知っていた。しかしベルクーリは違う。目の前で直接あの光を浴びせかけられたのだ。俺が放り投げたのだから球には十分注意を向けていただろう。
案の定、立ち上がった俺の目の前でベルクーリは反射的に目元を手で覆って呻いていた。発光と共に爆音も鳴らす球により、きっと耳もおかしくなっている。ベルクーリは俺が立ち上がったことに気づくのに数瞬遅れた。
この状態では圧倒的に俺が有利だ。それを認識したベルクーリは後ろに下がろうとする。
―――だが、俺の方が速い!
抜き打ちの剣。ベルクーリの胴を横一文字に斬り抜くはずだったそれは、しかし間に《時穿剣》が挟まれることによりベルクーリには直接届かない。
―――流石です。
視覚と聴覚を奪われながらも俺の剣気に反応した歴戦の勇士に、俺は心の底から尊敬の念を抱く。動揺しているだろうに、爆発に圧されながら後退しているというのに、その《時穿剣》は安定感を持って俺の剣を受け止めた。
―――ですが……そこまでは、予測済みです!
「リリース・リコレクション!」
式句を俺が叫べば、《白夜の剣》がそれに反応して輝く。
輝く神器は武装完全支配術のときと同様にその表面を隆起させ、巨大な水晶染みた岩石の塊へと変わる。しかし今度は一回り大きくなる程度では止まらない。止まるどころか、むしろ増大する速さは増していき、かち合った《時穿剣》すらもその成長する岩の剣身に呑み込んでいく。
《白夜の剣》は、南帝国に存在した巨岩の欠片を元に最高司祭様が錬成した神器だ。巨岩は圧倒的な硬さと大きさ、そして光を吸収して高熱に換える性質で人々を悩ませたのだという。そんな《災厄の岩》が変成した《白夜の剣》の記憶解放術は、その巨岩を疑似的に再現するものだ。ゆえにこの岩は人が簡単に壊せるものではない。
瞬きする間に《白夜の剣》はすっかり《時穿剣》を呑み、ベルクーリの手首までも捉えた。ここまで来てしまえば、いくらベルクーリといえども逃れることはできなくなる。遂にはベルクーリの身体もその剣身に呑まれ、巨岩の外に覗かせるのは首から上だけになった。
「……これは、参った」
渋面で、実に悔しそうにベルクーリは呟いた。閃光の影響はもう抜けており、こちらを睨む目の焦点はきちんと合っている。実は人に向かって実践するのは初めてだったので復帰できるかどうかだけは少し心配だったが、無事そうで何よりだ。
「まだ剣だけの勝負では勝てそうになかったので、少しこういった搦め手も――」
そこで、俺は背後にぞわりとした気配を感じた。
勢いよく振り返れば、赤と青の二色で構成された鞠のような球体が大浴場を跳ね回りながら近づいてきていた。同時に喜色の悪い高い笑い声までも響き渡る。
この記憶解放術は神器を巻き込んで一体となって発動するもの。つまりは、神器を別のことに使うためには術を解除しなければならない。そうなれば職務に忠実なベルクーリを解放することになってしまう。
俺は《白夜の剣》から手を離し、その球体に向かって神聖術を放とうとした。
だがその瞬間には、俺の両手首に鉄枷が嵌められていた。俺が神器から手を離す瞬間を狙って、その一瞬のうちに俺の両手を塞いだのだ。
―――伊達に
動きの止まった俺の足首は床から伸びた茨に絡め取られ、とうとう床に膝をつくことになる。
俺とベルクーリの目の前で毬は止まり、くるくると回転して小太りの男の姿になった。
「おーほっほっほっほ。いけません! いけませんねぇ、騎士長殿。まさかそのままそこの二十号を取り逃すつもりじゃないでしょうねぇ?」
二十号、つまりは二十番目の整合騎士である俺を捕らえた男は、まずベルクーリに声をかけた。
「そいつは明白な反逆ですよぉ? 麗しき最高司祭猊下への。お目覚めになられましたら、きっとお怒りになりますよ」
「……元老長チュデルキン、テメェみたいな俗物が剣士の戦いに口出すんじゃねぇ。俺は正面から戦ってレントに負けた。それは事実だ」
「ほっほー。騎士長殿、貴方《時穿剣》の『裏』を使わなかったでしょう。それを使えば、この二十号もすぐにぶっ殺せたでしょうに。その手加減が反逆だと言っているのですよ!」
チュデルキンはそこから体の向きを変えて、俺に指を突きつけた。
「ですが! そんなクソみたいな手加減をしたクソ騎士どもの長は置いといて、テメェだよ、二十号」
両手両足の動きを封じられた俺の髪を掴み、チュデルキンは俺の顔を引き上げた。
「なぁに勝手に裏切っちゃってるんですかぁ? まったく、お前が憎らしいことに猊下のお気に入りじゃなければ、人格全部停止して置き物にしてやったというのに」
チュデルキンは俺の顔に唾を吐きかけた。
「ペッ。猊下がお目覚めになられたら、まずはお前から再処理ですよ! その後、クソ騎士どもも半分以上は再処理しなきゃいけませんねぇ」
「チュデルキン、テメェ何言ってやがる?」
ベルクーリがチュデルキンを睨みつけた。巨岩に閉じ込められてはいるが、ベルクーリ自身に損耗はほとんどない。その一睨みには気の弱い人間なら気絶してしまうほどの殺気が込められていた。
「けっ、お前には関係ないことですよ! どうせ忘れてしまうのですしねぇ」
―――キリトの言う通り、か。
どうせ忘れてしまう。それは最高司祭様とこのチュデルキンが共謀して整合騎士の記憶に手を加えていることを意味する。裏づけが向こうから来てくれたわけだ。このことも、『再処理』を受けてしまえば忘れてしまうのだろうが。
「元老長、チュデルキン殿」
「何ですか、二十号」
蔑んだ目でチュデルキンは俺を見下ろす。
「私は最高司祭様に反逆をしようと思ったのではありません。最高司祭様にお伝えしなければならないことがあると思って、上階に行こうとして運悪く騎士長殿と戦うことになっただけなのです」
ジロリとチュデルキンは馬鹿にしたような目で俺を見た。口から出まかせだと思っているのだろう。その口が開いて俺の口を塞ぐ前に、急いで残りの言葉を紡いだ。
「最高司祭様のお考えなら『再処理』を受けるのも吝かではありませんが、お伝えしたいことを忘れてしまうことがどうしても耐えがたいのです。どうか、最高司祭様に最も近い人物であるチュデルキン殿に私の代わりにお伝えしていただけないでしょうか」
この男がどんな人格であろうと、俺に対してどんな感情を抱いていようとどうでも構わない。俺がするべきことが行えれば十分なのだ。
チュデルキンは俺の見え透いたお世辞に口角を上げて唇を歪めた。
「ほほー! ええ! 私こそが最高司祭猊下に最も近いのです! して、二十号。寛大な私はお前がその内容を口にすることを許可してあげましょう。それからただちにお前は再処理行きです!」
「……では、伝えたいことは二点あります。一つは単純に事務的なものになりますが、セントラル・カセドラルの壁の強度に関してです。カセドラルの壁は確かに外からは何物も通さないものなのでしょうが、内からの衝撃は想定されておられなかったようで予想以上に脆いものでした。万が一今回のようにカセドラル内に敵が侵入した際に内から壁を壊されては外からの敵の侵入を許す可能性がありますので、補強をお願いしたく」
「ったく、その敵を侵入させないようにするのがお前らの仕事でしょうに。ですが確かにそれは猊下にお伝えしましょう!」
ベルクーリはこちらを見遣る。彼も分かったのだろう、この次が真に伝えたいことだと。
チュデルキンは俺達整合騎士を嫌っている。ならば、整合騎士に頼らないカセドラルの防備のことに関しては積極的に受け入れるだろう。一つを受け入れれば、二つ目も受け入れ易くなる。そう信じている。
「もう一つは、整合騎士の記憶処理に関してです」
「ほぉー?」
「私は最高司祭様が我々に行った処理に反対しているわけではありません。しかし、何も事情を知らなければ敵につけ入る隙を与えることになるとご理解していただきたい。今回も、エルドリエ殿は敵に記憶を揺さぶられ敗北することになりました。情報の秘匿が我々の士気を妨げ得ると、そう私は考えていると伝えていただきたい」
チュデルキンはフンと鼻を鳴らした。下らないと言いたげではあったが、俺の言葉が最後まで遮られなかったことを思えば、中々に上首尾に終わったのではないかと思う。俺の考えに納得していないチュデルキンからこれ以上の結果を引き出すのは無理というものだ。
「で、話はそれだけですか?」
「はい」
俺の返答を聞いていたかも怪しい段階で、チュデルキンは今度はベルクーリに指を向けた。
「それでは、騎士長殿。猊下がお目覚めになるまで、お前は凍結処分です!」
ベルクーリは諦めたように目を閉じた。彼も最高司祭様に逆らう気はないのだ。そして最高司祭様が元老長と同じような判断をすることも理解していた。となれば、彼もこの凍結処分は甘んじて受け入れる他ない。
「システム・コール! ディープ・フリーズ・インテグレータ・ユニット・アイディー・ゼロゼロワン!」
指差されたベルクーリの体から赤い光が猛烈な勢いで立ち昇り、彼の指先から段々と色が抜けていく。ピシピシといった音を立てながらベルクーリの身体は固まっていき、頭の先までくすんだ灰色に染まってしまえば、すっかり石像のような姿になってしまった。
俺も最高司祭様が目覚めるまではこの凍結状態にされると思っていたのだが、チュデルキンは俺には指を向けなかった。
「それでは行きますよ、二十号!」
代わりにチュデルキンは俺の両手足をより強く縛り上げ、完全に身動きが取れなくなった俺の白髪を鷲掴みにした。そしてそのまま上階の方へと歩き出す。当然、俺は髪だけでチュデルキンに引き摺られることになる。
頭皮と床の上で跳ねる身体に激しく痛みを覚えるが、ただでさえ整合騎士が嫌いなチュデルキンに要求をぶつけたのだ。きっとこのくらいの八つ当たりは我慢しなければならないのだろう。
俺は大浴場の扉を抜ける瞬間、後方で黒い人影が動き出したことに気づいた。幸いなことにチュデルキンは気づいていない。
俺は頭を必死に回し、あることを思いつく。後ろ手で足首を縛り上げる茨に触れ、自ら指先を切った。プツリと血が指に浮かぶ。
その血で床に『両親』と書いた。引き摺られながらであり字も掠れて引き延ばされたものになってしまったが、きっと意味は通じるだろう。
俺は《雲上庭園》でキリトの話を聞いた。デュソルバートからも聞いていたし、言ってしまえば最初のエルドリエのときから頭に閊えるものを感じていた。
失くした記憶を自分で思い出そうと考えて、大切な記憶に当て嵌まりそうな単語を脳裏に並べた。『妻』、『子ども』、『恋人』、『親友』、そして『両親』。『両親』以外の単語と比べて、『両親』だけが額の辺りを疼かせた。
きっと、『両親』こそが俺の最も大切な記憶なのだ。
勝負、どちらかと言うと勝って負けたというところでしょうか。
《白夜の剣》の記憶解放術が《青薔薇の剣》の下位互換になってしまいそうです。《青薔薇の剣》が強過ぎるんだと思います。……もしかして、というかきっと東西南の竜も同じように強い剣を守ってたんでしょうね。どんな神器なんでしょうか、気になります。