最高司祭アドミニストレータは真っすぐこちらを見た。診た。観た。
胃の腑まで透けて見られているかのような感覚に陥る。これが、アドミニストレータの持つ独特の雰囲気だ。
―――でも、今なら分かる。
以前はこの不可思議な超越した空気感の原因を理解できなかった。しかし、こうして敬神モジュールから解放されて記憶を取り戻し、更にはキリトから
アドミニストレータは、ある意味では正しく
本来、自分が何者かによって作り出された人造の生命体であるということは受け入れがたい事実のはずだ。正規の手順を踏まずに生み出された命を人は軽視する傾向にある――その最たる例がこの世界の住人達であるAIだろう――。その人工蔑視とも言える傾向を持つのが人間だけであるかは分からない。しかしこの価値観が人々の間で、親から子へと受け継がれていることは確かだ。
この世界の住人がいくらAIであろうとも、『外』での肉体を持たないということ以外人間と何ら変わりない存在であるならば、きっと第一世代のAIは『外』の発明者達によって養育されたはずである。となれば、俺達が持っている先述の価値観も脈々と受け継がれていることになる――実際に俺はこの世界で『神の創り給いし命に対しての冒涜』というそういった価値観の発露を聞いたことがある――。
その価値観に基づけば、自分自身こそが蔑視、異端視の対象である人工生命体――どちらかと言うと人工思考体だが――であると判明したときにアイデンティティが揺らがされなければおかしい。いくら聡明なアドミニストレータ、いやクィネラとしても衝撃を受けたことは間違いない。
そして彼女はその衝撃を乗り越えた。乗り越えながら、その事実を受け止めて自身の思考のステージを一段階進めたのだ。言ってしまえば『外』の世界の存在が彼女にとっての啓蒙だったというわけだ。
アドミニストレータは他とは違う。彼女の視点は、思考は、一つ上から見下ろしたものだ。生命倫理の超越、いや、それだけでは言い表せない。もしかすれば中国の神仙に近い思考なのかもしれない。何にせよ、俺やキリトのような『外』の人間だろうと関係なく囚われている、生命への根源的敬意を彼女は捨て去っている。それがこの冷たい、ただ観察するだけの視線に繋がっているのだ。
「あれが、最高司祭アドミニストレータ……」
キリトが呟いた。どこか居心地の悪そうな顔をしている。腑分けを待つ家畜の気分を味わわされているようだ。
「……はい。六年前と、一切何も変わっていません。容姿も、威圧感も」
アリスがそれに応える。アリスよりももっと長く、それこそ十年単位で見てきた俺も、初めて会ったときからアドミニストレータの容姿に変化を感じたことはない。天命値の自然減少停止及びこの世界では時間を巻き戻すに等しい天命最大値回復。この二つの術によって彼女はその美しい容姿を保ち続けている。
ほっそりとした指で顎を撫でながら、アドミニストレータは口を開いた。
「……ベルクーリとファナティオはそろそろリセットする頃合いだったけど、アリスちゃんはまだ六年くらいしか使ってないはずよね。論理回路にエラーが起きている様子はないし……。やっぱりそこのイレギュラーユニットの影響なのかしら。いえ、でも同種のイレギュラーユニットでもこの現象は確認できていないわね。個体差ということでいいのかしら」
聞かせることが目的なのか、それともこちらのことなど気にしていないのか、アドミニストレータは自らの分析を口に出す。
彼女が『外』のことを知っているという俺の情報を信じきっていなかったキリトも、今のアドミニストレータの言葉で彼女が『外』を知っていることを認めたようだ。
『リセット』、『エラー』、『イレギュラーユニット』。どれもこの世界では《神聖語》と呼ばれるものに類する言葉だ。神聖術の詠唱で用いることもあるかもしれないが、決して日常語ではないし、そもそもとして単語の意味を理解している者はほとんどいない。つまりは会話に混ぜ込まれることなど有り得ない言葉なのだ。
―――『外』を知らなければ、ね。
「ねえ、アリスちゃん」
アドミニストレータが手の中で薄紫の結晶を弄びながら言った。
「貴女、私に何か言いたいことがあるのよね。怒らないから、今言ってご覧なさいな」
アドミニストレータがその笑みを変えずにアリスに尋ねる。笑みは変わらない。ずっと、こちらを見下し続ける笑みだ。アリスは一瞬だけアドミニストレータの気配に圧された。隣に立っているから分かるが、あの騎士アリスが、足を恐怖から震わせた。
しかしアリスは鋭く呼吸をして気を取り直し、浮いた踵を床につけた。
「最高司祭様、栄えある我らが整合騎士団は本日をもって壊滅いたしました。私の隣に立つ僅か二名の反逆者達の剣によって。そして、貴女がこの塔と共に築き上げた果てしなき執着と欺瞞ゆえに。我が究極の使命は、剣なき民の穏やかな営みと安らかな眠りを守ることです。しかるに最高司祭様、貴女の行いが人界に暮らす人々の安寧を損なうものであるのならば、私はそれを看過することなどできません! 最高司祭様がそれをお認めにならないのであれば、この剣を以て、私自身の手で最高司祭様の間違いを正しましょう」
アリスは強い語調で言いきった。だが、アドミニストレータは依然として穏やかな表情を崩さない。当たり前だ。そもそも価値観が違うのだから、アドミニストレータにアリスの言葉が届くわけがないのだ。
取り乱したのは糾弾された当人のアドミニストレータではなく、その信奉者であるチュデルキンだった。
「だま、だ、だま、黙らっしゃぁい! こ、この、半壊れの騎士人形風情がぁ! お前ら騎士どもは所詮あたしの命令通りに動くしかない人形なんですよ! それが最高司祭猊下に歯向かうなど畏れ多い! 片腹痛いですね、たかが二人に負けるような使えない木偶のくせにぃ!」
チュデルキンは俺とアリスを代わる代わる指差しながら木偶人形と叫ぶ。甲高い耳障りな声が、特に意味のない言葉を掻き鳴らし続ける。俺はチュデルキンに人差し指を向けた。
「元老長、少しその口を閉じろ。その木偶人形にすら反逆された、使えない道化師はな」
チュデルキンはうっと言葉に詰まる。彼とて分かっている。この距離でなら俺やアリスの抜き打ちの方が術式よりも速いと。実力を鑑みればキリトやユージオでも彼を殺すことは可能だろう。神聖術の腕は確かだが、決して戦闘において強いわけではないのだ。
アリスの言葉を聞いてもアドミニストレータは決して冷然とした態度を崩さなかった。むしろより温度のない瞳でアリスを見つめていた。
ぼそぼそと動く口からは『論理回路』『敬神モジュール』『コード』のような言葉が漏れ聞こえてくる。
―――やっぱり、ね。
あの手の人間は他人のことなど一切気にしていないのだ。『怒らないから言ってみろ』とは随分と婉曲的な言い方だった。あれは要するに『お前の発言の内容などどうでもいいから言ってみろ』という意味だったのだ。アドミニストレータはアリスがバグを起こしているのか、起こしているのならば何が原因か、起きていないのなら彼女の行動の理由は何だ。そういったことを
「……ま、これ以上は実際に解析してみないと分からないわね」
アドミニストレータは悠然と寝台から下りた。そして俺達――
「さて、チュデルキン」
先程まで喚いていた元老長は、その言葉だけでビクリと身体を震わせた。
「私は寛大だから、下がりきったお前の評価を回復する機会をあげるわ、喜びなさい。――あの四人をお前の術で無力化してみなさい」
アドミニストレータが一歩踏み出すと同時に、寝台が床の中へと消えていく。チュデルキンは彼女の言葉を一度咀嚼して声を上げた。
「さ、さぁ、最高司祭猊下ぁ!」
「なあに、チュデルキン?」
チュデルキンはべったりと床に頭を擦りつける。横でキリトとユージオが何をするのかと不思議そうな顔をするが、彼のことを知っている俺からすればこの後の言動は十分予測できた。アリスもチュデルキンが土下座をしたところから、嫌悪感を隠そうとはしなかった。きっと俺の眉間にも皺が寄っていたことだろう。
「元老長チュデルキン、猊下にお仕えした長の年月におきまして初めての不遜なお願いを申し上げ奉りまする!」
その言葉から始まったチュデルキンの言葉はとても聞くに堪えないものだった。そもそも、これから殺し合う相手に背を向け、尻を向け、土下座するなどこちらを舐め腐っている。キリトとユージオは驚きから、アリスと俺は呆れと僅かな騎士道精神から剣を抜いていないが、これがもっと冷たい人間なら既に背中から
―――……?
今、何か自分の思考に不可解な部分があったように思われた……のだが、それは掴み取る前にぬるりとどこかへ行ってしまった。
首を傾げているうちに、チュデルキンの醜い欲望はすっかり流れ出ていた。
「ぃ一夜の夢を共にするお許しを、何卒、何卒、何卒頂戴したくぅ……!」
既に興奮しているのか、涎を垂らしながら呂律の回らない口でチュデルキンは叫んだ。かのアドミニストレータですら僅かな間呆気に取られてきょとんとした表情を見せた。
その表情も、すぐに嘲笑へと変わる。声を上げてチュデルキンの無様な姿を嗤い、それから口元に歪な笑みを浮かべつつチュデルキンに告げた。
「――っふ、ふふっ、んふふ! ……いいわよ、チュデルキン。創世神ステイシアに誓うわ。お前があの四人を討ち取ってきたら、この身体の隅々まで一夜お前に与えましょう」
今度こそ本当に虫けらを見る目で、アドミニストレータは自らの身体を撫でながらチュデルキンに許可を与える。しかしそれを聞いているキリトは複雑な表情をしていた。
彼は善人だ。チュデルキンを気持ちの悪い男だと思う心があったとしても、しかしだからといって騙されるのをただ黙って見逃すのはどうにも具合が悪いらしい。そんな顔だった。
……アドミニストレータは『外』の世界を知っている。ならば、《創世神ステイシア》などという存在が実在しないことも――彼女の性格なら『外』を知る前もそう思っていそうだが――重々承知している。つまり彼女は存在もしない、何の根拠にもなりはしない神に誓っただけだ。たとえチュデルキンが俺達を下したとしても、本当にチュデルキンの願いが果たされるときは決して来ない。
そんなことを知りもしないチュデルキンは、滂沱の涙を流し顔中汁塗れにしながら喜びを口にした。
「ぉお……! 小生、ただいま、無常の歓喜に包まれておりますよぉ!」
俺はそっと溜め息を吐いた。チュデルキンに呆れたのではない。アドミニストレータに呆れたのだ。
チュデルキンが騙されたのは《創世神ステイシア》に誓ったときではない。もっと前からだ。アドミニストレータは、端からチュデルキンが勝つことを期待してはいなかった。
『評価を回復する』だなどと乗せて、結局したかったことは簡単な話、俺達四人の戦力調査でしかない。そのためなら別に――最低限俺達に実力を出させさえすれば――チュデルキンだろうが、理性のないそこらの獣だろうが違いはなかった。
詳細な評価は後回しにしたが、アドミニストレータは最初に俺達四人とチュデルキンとで俺達の方が強いと概算した。整合騎士の序列第三位と第四位――実力的に言えば同列二位ほど――の二人と、道中で他の整合騎士を悉く打ちのめした二人。コンビネーションも悪くなく、神器の相性も良い。相手が人界最強のベルクーリであろうと容易に正面から相手取ることができる――勝てるかは分からないが――戦力だ。文官であるチュデルキンでは、いくら神聖術に長けていようと勝利の可能性は限りなく低かった。
微塵も期待されていない、むしろ実力を引き出すために限界まで絞り尽くして死ぬことを望まれているとは露と知らずに、チュデルキンは意気軒高に叫んだ。
「今なら、高い空の上まで飛んで行けるような気がしておりまするぅ!」
喜色満面でチュデルキンは跳び上がり、こちらに指を突きつけた。
「お前達はさっさとあたしの足元に平伏すのです!」
無詠唱で、その指先から熱素が飛び出す。それは俺の目の前で見えない壁に弾かれるように掻き消えた。
「この後はアドミニストレータも控えている。余り全力を使い過ぎるな」
俺は小声で三人に呟いた。視界の端でキリトが頷く。
「よし、行くぞ!」
その言葉で、四人は同時に床を蹴った。チュデルキンも両手の指を構える。
言葉もなく、かといってハンドサインのような合図もなく、アイコンタクトすらせずに俺達は別々の方向からチュデルキンに迫る。
チュデルキンはおよそ聞き取れないような速さで詠唱を終え、右手に三個、左手に二個のエレメントを宿らせる。
「バースト・エレメントぉ!」
五つの光は混ざり合い、チュデルキンの目前で爆発。その風圧と飛び出した氷の破片は全てこちらに飛んできていた。流石に神聖術の実力は確かなようだ。
チュデルキンは五つずつエレメントを生み、隙を生み出さないように先程の爆発を連鎖させた。かの有名な――後世の創作という説が有力だが――織田信長の三段撃ちと同じ理論だ。エレメントを
爆発によって煙幕のような状況になっているのもまた、お互いの姿を視認させず俺達に容易に剣を振るえなくさせている。
まあ、そんなものは簡単に破れるものでしかないのだが。
「エンハンス・アーマメント!」
アリスの凛とした声が聞こえると同時に、黄金の風が吹き荒れて煙幕が一気に晴れる。同時に爆発も掻き消された
「チィッ、バースト!」
チュデルキンは苦し紛れに残りのエレメントをまとめて撃ち出す。
「エンハンス・アーマメント」
しかしそれらのエレメントは完全支配状態の俺の剣に触れた瞬間、ただの指向性を持たない神聖力へと解けて剣の内部に蓄積された。俺の《白夜の剣》の属性は蓄積増幅。周囲の神聖力を吸収し剣の内部に蓄積、内部で増幅してから外部に破壊力として放出することが基本的な完全支配術だ。つまり蓄積するのに限界はあるが、エレメントの状態の神聖術ならばこうして吸い込むことができる。
両手にエレメントを備えず、完全に無防備な状態になったチュデルキンにキリトとユージオが迫る。
―――!
「下がれ!」
反射的な叫びであったが、二人は俺の声に反応して足を止めた。瞬間、その目前を足元から火球が通り過ぎる。その射線を遡れば、チュデルキンの靴の先が焼け焦げて足指の先が見えていた。
「……ちっ」
静かに舌打ちをしたチュデルキンは、いつものピエロではなかった。空中で脚を組んでいるアドミニストレータもそれにやや驚いている素振りを見せた。
チュデルキンの目はただの苛立ちだけではない、明確な憎しみを籠めて俺を貫いていた。
いやあ、主人公の視点で外来語が使えるの良いですね。擬音と人物名に使われているのでカタカナ自体は見ていたんですが、ついついタイミングとか使ってしまうんですよね。もう気にしなくて良いのでほっとしています。