チュデルキンは焼け焦げた靴を脱ぎ捨てる。後ろに跳び退いたキリトとユージオは油断なくそれを眺め、俺とアリスは前に出て彼らの横に並んだ。
チュデルキンは病的に白く短い指を俺に突きつけた。
「貴様が、貴様がぁぁぁああ!! いっつも、いっつも、邪ァ魔なんですよぉ!」
言葉と同時に、無詠唱で指先から風素が放たれる。先程と同様にそれを《白夜の剣》に収めた瞬間、隣のアリスが息を呑む音が聞こえた。
神器を振り抜いたその空間には、瞬きの内にチュデルキンが肉薄していた。驚きで後ろに仰け反る。グワッと開かれたチュデルキンの掌は、しかしアリスが即座に剣で手首から斬り飛ばした。
だが追撃は叶わず、その勢いに乗ってチュデルキンは後方に宙返りして退避する。その途中で分断された手首を逆の手で掴み取り、切断面を合わせる。眩い光に包まれたそこは、支えの手を離したときには元通りに繋がっていた。
一連の完成された突撃戦術に、表面には見せずとも俺は心底動揺していた。
チュデルキンは俺に向かって風素を放つのと同時に――恐らく足指から――後方に向かって風素を炸裂させ推進力とし、風素の処理に使った神器で俺の視界が刹那の間とはいえ塞がれた隙に懐まで潜り込んできたのだ。そのスピードは、――いくら不意を突かれたとはいえ――アリスが防ぎきれなかったという点から見ても一級品だ。
さらにその後の対処も見事だった。強襲が失敗したと分かるや最もスムーズな後退の仕方を迷わず選び取り、失われるはずだった手首を回収し神聖術で完全に復帰した。エレメントの生成に指を使用する神聖術師にとって手は――チュデルキンの場合は足も――欠かすことのできない要素であり、アリスもそれを理解しているからこそ手首を刎ね飛ばしたというのに。
ゴクン。唾を呑む。チュデルキンは、決して戦闘の不得手な術師ではない。どこにこんな実力を隠していたのかは知らないが、紛うことなく彼は強敵だ。
認識を改めると共に、白剣の柄を握り直す。
「……さて、今のは驚かされたが、気圧されるなよ」
三人に言うと同時に前に突撃する。チュデルキンの狙いはまず間違いなく俺だ。広域殲滅術を使わないのも、ひたすらに威力を高めた単体攻撃を繰り返すのも、全ては俺を殺すことだけを考えているから。ならば俺が後衛にいたとしても普通の後衛としては振る舞えない。それなら自分から前に出て突撃した方がマシだ。
「それッ!」
「たぁうっ!!」
俺が神器を振るえば、チュデルキンはカポエイラのような動きで鋼素で硬化させた爪先を俺に向けた。ガンという音と同時にチュデルキンの足を弾く。こちらは地に両足をつけて剣を振るっているのだ、片足立ちの小男との力比べで負けるはずもない。
しかしチュデルキンもそんなことは計算ずくで、弾かれた勢いのままに彼は身を回して次の一撃に入る。
もう片足の蹴り上げに注意を割いていた俺の耳に、キリトの忠告が聞こえた。
「手に、剣ッ!」
思わず前屈みになっていた頭を跳ね上げる。そのタイミングで、丁度首があった場所を薄い鋼板が通り過ぎていった。
足を入れ替えて蹴るとこちらに思わせたチュデルキンは、死角になっていた手指でこの鋼板を作り、足の代わりに振るい抜いたのだ。
―――嫌らしい!
チュデルキンは非常に小柄だ。それと戦うことになれば、基本的にはこちらは上から彼を見下ろすことになる。それは彼の手足の先、つまりは神聖術の初動が悉く彼の身体の裏側に隠されてしまうということだ。腕利きの術者に対してそのアドバンテージは痛過ぎる。
かと言って、ここまで接近してしまった今、後ろに下がろうとするのは悪手にしかなり得ない。先程の急加速を後退の最中に対処する術がないからだ。
「……チッ」
「ほーほっほっほぉ!! そうです、その顔ですよぉ! もっと苦しみなさぁぁい!」
チュデルキンはグルグルと回りながら、硬化させた爪先を振り回す。同時に指先からは散弾銃のように様々なエレメントを乱射する。それは俺に対してよりも、俺の後ろから飛びかかる隙を窺っている三人に対しての牽制だった。
詠唱も何もなくワンアクションで放っているはずのそのエレメント達は空中で混ざり合いつつ、一つ一つがまるで違った爆裂の仕方を見せる。そんな爆弾は処理するのが面倒なことこの上ない。特に、エレメントに対しての絶対的優位性を持つ俺の剣は使えないのだから。キリトの剣も同系統だろうが、樹から作られたであろうあの神器は、『光を取り込んで吐き出す』ではなく『栄養を吸い上げて蓄える』ことがメインの属性だ。つまり炸裂した狂暴な神聖力を抑え込むことは専門外というわけだ――その分、剣に蓄えられる量はあちらの方が優っているだろうが――。
チュデルキンが俺を執拗に狙いさえしなければ、俺とアリスが後衛、キリト達が前衛で完璧な役割分担となったというのに、悔しくてならない。感情任せの暴走にも思えるチュデルキンの行動は、結果としてこちらに対して絶妙な妙手となっていた。
チュデルキンは繊細な神聖術を使いながら、さらには肉弾戦を行いながら、俺に対しての恨み言を口にする。
「お前はぁ! 猊下に気に入られていたというのにっ! 勝手気ままに振る舞いやがってぇ!! 何たる不敬ぇぇ!!」
―――どうせそんなことが動機だろうと……。
―――ッ!?
その発言で自分が狙われる理由を俺は理解した。そんな折、突如としてチュデルキンの両目から
確かに、手の指先を用いるのは指示を明確にするためだ。神聖術の行使に絶対必要なものではない。チュデルキンは先程足指を使ってみせたし、アドミニストレータはその髪の毛先から神聖術を放つこともある。強力な術師になれば、加えて《心意》があれば、余計に手指の必要性は薄まる。
だが、まさか眼球を神聖術の媒体とするとは思わないだろう!
至近距離で撃たれたその水流を回避する術はなく、無防備な顔面に二本の細い水流がぶつかる。威力自体は乏しいが、俺の視界は奪われた。
―――落ち着け! 気配を捉えろ!
この絶好の隙、チュデルキンは間違いなく仕かけてくる。それに対応できなければ、そのまま無様な死が待っているだけだ。
気配を探る。最後に視認できた位置情報、耳から得られる僅かな呼吸音や衣擦れの音、そしてエレメントの音を分析、解析する。肌に触れる微細な空気の振動に敏感になる。
「死ねぇっっ!!!」
その間は実際には二秒となかっただろうが、俺はその数倍の時間剣戟を続けたかのような疲労感を覚えていた。
しかしその甲斐もあって、突き出された貫き手は先に察知し、首を傾げて避ける。禍々しいほどの殺気の籠ったそれはある意味では避けやすいものであったが、僅かに掠った首筋から全身の力が漏れ出すような感覚に襲われる。
抗えない脱力感に襲われ、膝が折れ曲がる! どれだけ叱咤してもまるで動かない。回復した視界に、黒紫色のオーラを纏ったチュデルキンの右手が映った。
闇素
そんなエレメントを何重にもした貫き手は、俺の身体の『力』を抹消してしまったのだ。それにより俺は完全な隙を晒した。水鉄砲を顔に食らったとき以上の、回避不能な隙を。
次の一撃をそのまま食らってしまえば、『力』どころか天命までも抹消されてしまう。チュデルキンの右手は正しく必殺の一撃だった。
だが、その一撃が俺に届くことはない。
チュデルキンの右手は金色の花弁に包まれ、瞬く間に細切れになった。噴き出る血も、指だった肉片も、端から暗黒の元素に飲み込まれて消失する。
チュデルキンが手にエレメントを集中した時点で、牽制の外れた俺の仲間が黙っているわけがなかったのだ。
「きぃえええぇぇぇぇ!!!」
血走った目でチュデルキンは俺を睨む。口から漏れる音は意味をなさず、痛みによる苦悶の叫びなのか、恨みによる怨嗟の声なのかすら判別がつかなかった。
逆の左手までも同様の暗黒の中に浸し、それでもチュデルキンは俺の命を真っすぐ狙った。こちらはユージオが一刀の下に斬り落とし、先程手首を接着した光素とは真逆のエレメントによって、右手同様にその手先は分解される。
「ぐぬあああぁっぁあぁ!!!! 死、しし、っ死、死ねねねねししねね!!!??!?!」
―――何だ!?
チュデルキンの頭がブレる。ノイズが走るように一瞬だけ形が崩れた。海老反った体は後方に跳び、何度かバウンドして頭を下に上下逆転する。
俺に肩を貸して立ち上がらせたキリトは、それを見て声にならない音を漏らした。
「ねねねししし、げげいいげげか???!! 猊し死っし下ねねげっか下かいいげい死ねねねねね??!?!?!!!」
焦点の合わない両瞳にボッと熱素が灯った。
「ッ! 退避ッ!」
俺の声と同時に、三人はチュデルキンから距離を取る。キリトに補助された俺の身体にはまた活力が戻ってきており、その三人の前に立つ。神聖術相手ならば俺の神器が最も相性が良い。
チュデルキンにはもう起死回生の一撃は存在しないはずだ。既に両手の十本の指は失われ、彼にはアドミニストレータのような髪もない。術の媒体とできるのは両足の十指と両目だけ。十二個分程度のエレメントならば、たとえ術者が元老長だろうと俺の神器で簡単に打ち払える。
だが、彼はこの戦いで常に俺の予想を上回った。圧倒的火力を誇る術式が放たれても良いように、俺は両足を踏ん張り神器を構える。
チュデルキンが身を震わすと、無事な足指の先全てに熱素が輝き、それらは見る見る内に強烈な光と熱を発し出した。間近でそれを受けるチュデルキンには既に感覚など存在しないのか、服が燃え始めてもただ熱素を肥大化させることに注力する。
破裂する限界まで膨れ上がった熱素は、しかし破裂する直前で放たれた。それらはグルグルと渦を巻きながら上昇しつつ、巨大な人型を形作る。だが、熱素の量が足りない。完全な人型の未だ半分程までしか炎は燃え上がっていなかった。
これなら大丈夫か――。そう思ったとき、チュデルキンはガバリと口を開き、その生え揃った歯の一本一本から熱素を解き放った! そこまで口の中で保持していたせいで彼の口内は見るも無残な焼け焦げた肉となっていたが、しかしそれで十分な量の炎が巨人へと蓄えられる!
仕上げにチュデルキンの両目で煌々と燃え盛っていた熱素が消え、入れ替わりに巨人の瞳孔に光が灯った。
チュデルキンが身体を倒れ伏すと同時に炎の巨人は天高く拳を突き上げ、こちらへ一直線に向かって走り出す!
「俺の後ろにッ!! ――エンハンス・アーマメントッ!」
炎の巨人の巨大な、俺の頭から胸まで摘まみ上げられるような拳と《白夜の剣》が激突する。その衝撃はフロア全体に広がり、壁にかけてある武具の数々が熱気に震えた。
間近でそれを押さえつける俺の身には、神器でも吸収しきれない莫大な熱エネルギーが襲いくる。ジリジリと肌が焼ける。空気が熱され、肺が焦げそうだ。
炎の巨人は、しかしその急造ゆえか、はたまた膨大なエレメントのせいか――チュデルキンが口中から放ったエレメントの総数は三十を数えた――、俺と鬩ぎ合う最中にもその身を維持しきれずに爆弾のごときエネルギーを蓄えた弾丸を周囲に乱射していた。そのために俺に直接向かってくるエネルギーはそれほどでもなかったのが救いか。
巨人の背や腕、脚から漏れ出た――勢いからすれば撃ち出された――火炎弾は壁に着弾すれば激しく燃え上がり、宙で暢気に観覧していたアドミニストレータまでを襲う。一際大きなその弾を、彼女は面白そうに指を一振りして消し飛ばした。
巨人は咆哮を上げるかのごとく大口を開きつつ、拳に一層の力を込めた。
「っぐ、う、あ、ああぁぁああ!!!」
炎の拳と神器の接触面が高熱で青く染まる。橙を通り越した青い炎は次々と拳の内から湧き出、砕け散り、そして神器の刃へと吸い込まれる。白っぽい透き通った剣身の中には高いエネルギーを持った光が封じ込められ、増幅もしていないのに剣から飛び出そうと飛び回っていた。
火花が散る。火炎が飛ぶ。前髪が焦げ落ちる。《白夜の剣》と巨人の拳は一進一退で相手を飲み込まんとして――
――その拮抗は徐々に俺の有利に傾いていった。
その理由の一つは炎の巨人のリソースがなくなっていったからだ。
二つ目に、俺が巨人のリソースを奪っていることがある。俺は神器で吸い取った巨人の神聖力を、熱でじわじわと削られる自分自身と神器の天命の回復に回している。減少と回復では減少が僅かに上回っているが、その減り幅は少ない。だが、それはすなわち巨人のエネルギーが実際以上に失われているということに他ならない。巨人はただでさえ限られたリソースを俺に横取りされているのだ。
その継戦能力の差が如実に表れたとき、炎の巨人は最期の雄叫びを上げながら、統率されない炎となって掻き消えていった。
「っ、は、はあ、っはぁ……」
俺は肩で息をする。神器の相性で押しきったとはいえ、その上から覆されかねない脅威を誇る巨人であった。チュデルキンに両手が残っていたらと思うと身が震える。両目両足、それから歯だけであの巨人を創出したチュデルキンは、元老長の名に恥じない手練れの術者だった。最初に侮っていたことが恥ずかしい。
疲労感から床に膝をつけば、俺の肩と背中に三つの手が当てられた。
「僕達を守ってくれてありがとう」
「お疲れ様でした。しばらくは剣を休ませてください」
「カッコ良かったぞ、レント。次は俺の番だな」
黒と金と青の背中が前に出る。俺はほっと息を吐いて、一旦緊張の糸を緩めた。
チュデルキンが強い光景って中々目にしないと思います。まさか一話全部使うほどに粘るとは思っていませんでした。
ちなみに予定外だったのはもう一つ。チュデルキンが余り喋ってくれなくて、少し描写しきれなかった部分がありました。
最期ですが、チュデルキンの中では『主人公を殺す』と『アドミニストレータを守る』の二律背反が起きていました。余りに強力な術を使うと――実際には片手で払い除けますが――アドミニストレータに被害が及ぶ可能性がある。でも主人公を殺すには強力な術が必要で。そのジレンマの中でチュデルキンは論理事故を起こしたというわけです。
主人公君はイレギュラーユニットですからアドミニストレータは気にかけていました。それが彼は気に入らなかったんでしょうね。