グルトの行商団と合流してからしばらく歩き、日が沈んで辺りが暗くなり始める頃に行商団は少し開けた野原を野営地とした。
四台の荷車を停め、それぞれを太い縄で繋ぎ合わせる。これで四台全てが動かない限り安定しているのだそうだ。荷車を牽いていた馬も轡や軛を外され、素早く組み立てられた簡易的な囲いの中に放された。
いくつか火を焚き、鍋を取り出して夕食が始まった。新入りの俺は色々な人に引っ掴まれ焚火の間を行ったり来たり、食事を食べるのもそこそこに会話を楽しんだ。この隊商のメンバーは一人残らずお人好しのようで、道端で拾っただけの、怪しさしかないであろう俺に対してとても親切にしてくれる。
最後にグルトの横に俺は収まってようやく、渡された木皿にゆったりと木匙を浸すことができた。
「はっはっは、久し振りの新入りだ、皆も興奮しているんだろう。どうだレント、私の行商団は」
「んぐぐ、……とても良い人達だと思います。それこそ、ここを居場所にしたいくらいには」
俺はスープを飲み込み、グルトに返答する。お世辞のような、いや、僅かながらには本心を織り交ぜた言葉にグルトは微笑んだ。
「それは良かった。だが、君が居場所を決めるのはもっと多くの人や物を見てからでも遅くはない。それでもまだここが良いと言うのなら、私は喜んで君を受け入れよう」
なあ、みんな、とグルトは周りに呼びかけた。返ってくるのは大きな承諾の声。少なくとも、歓迎されていることは確からしい。
俺の口元が綻んでしまうのも仕方のないことだった。
「ところで、グルトさん達は一体どういった荷を運んでいるんですか?」
「ああ、あの中身が気になったか。だが、何と言ったものか。――ボーグル行商団は何でも取り揃えております、北の花から東の薬、西の食材、南の宝石、いかなるご要望にもお応えしましょう。これがうちの売り文句でね。本当に何でもとはいかないが、大抵のものは揃っているよ」
俺はその言葉に、つい荷車の方を向いた。
「そんなに、ですか……」
「おや、疑われてしまっているかな? 取り扱っていることは事実だよ、ただし需要が多いとは言わないがね」
なるほど。つまり多くの商品を少量ずつ仕入れているのか。それは細かなニーズに応えるためか、はたまた小量しか買ってもらえないからなのか。その辺りは彼らが目的地に着けば分かることだろう。
「そういうことなら、あの荷車はとても価値が詰まっているのですね。それがあんな状態で大丈夫なんですか?」
「あんな状態で大丈夫か、とはどういう意味だい?」
キョトンとした顔でグルトが聞き返す。
「いえ、車輪に留め金をつけるでもなく、護衛する人もおらず、盗賊だとかには狙われないのか、と……」
俺はそこで周囲の異様な雰囲気に気がついた。先程までの団欒はどこへやら、しんと静まり返っていた。
瞬間、笑いが起こる。ぽつりと少し零れた笑い声が重なり合い、瞬く間に俺は笑い声の渦に引き込まれた。
「あーはっはっは。いや、ベクタの迷子には初めて会ったが、何とも難儀なことだ!」
ヒクヒクと腹を震えさせるグルトに激しく肩を叩かれる。姿勢を崩しかけながら、俺はその言葉の意味を問う。
「それはどういうことでしょうか」
「つまり君は、《禁忌目録》のことも覚えていないということだろう?」
《禁忌目録》。俺の全く知らない言葉にどう反応すればいいのか悩む。その一瞬で、グルトは俺がその語について無知だと見抜いた。
「《禁忌目録》とは公理教会が制定した法だ。人の絶対に守るべき規範として、我々は皆赤子の頃より教わるものだよ。きっと君もベクタの迷子になる前には親御さんに教わったはずだ」
それなのにね、とは異世界の住人であった俺に言われても同意はしかねるが。
取りあえず、間違いなくこの世界での最重要項目の一つだとは分かった。日本での憲法のようなものなのだろうか。いや、
「なるほど……。それは今教えていただくことはできるものですか?」
「うーん。概略は教えられるけども……」
グルトはそこで言葉を切り、少し席を立って別の焚火に手を翳していた女性に話しかけた。二言三言交わし、こちらへと戻ってくる。
「やっぱり、私達では完璧には教えられないだろうね。《禁忌目録》の写本は各町の教会に保管されているから、次に向かう町で見させてもらうといいだろう」
「ありがとうございます。ところで、今話していた女性は……?」
「ああ。彼女は以前は教会で子どもたちに読み書きを教えていたこともあってね。この行商団の中なら一、二を争う学識のある人だ。『禁忌目録』に関してなら恐らく最も熟知しているだろうから、彼女なら、と思ったんだよ。ただ、彼女も教会を離れて長く経つわけだし、隅から隅まで、一字一句とはいかないと断られてしまったんだ」
法を教えるのに一字一句間違えずに伝える必要などないであろうにそこを気にするのは、――グルトか、その女性かは分からないが――本人の性格が表れるところだろう。
そんなことを言っているうちに夕食の時間も終わる。始まりと同じように速やかに片づけが行われ、一つの荷車からたくさんの寝具が取り出された――荷車の積載量が少し気になるところだ――。
天気が悪ければ軽く天幕などを張るそうだが、今夜は星が輝く夜空がはっきりと見えていた。俺も周りに合わせ、硬い地面に少し寝苦しさを感じつつも星を眺めながら瞼を下ろした。
******
翌朝、人の動く気配に揺られて目を覚ますと、未だ辺りが仄明るくなる頃にも関わらず行商団の半分以上の人間が行動を始めていた。
日の出より少し早く動き始め、日の入りより少し遅くに活動を止める。近代以前では当たり前とも言える習慣に、改めて日本とは、俺の元々いた世界とは違うのだと感じる。
―――いや、それは間違いだな。
元の世界でもこのような生活を送る人々は数えきれないほどいたのだから、結局は環境が変わっただけに過ぎない。
異世界の興奮が冷め、ある種のホームシックに襲われかけた自分を戒めつつ、俺も行動を始めた。
新参者である俺はまずはこの行商団に馴染まなければ始まらない。他の行商団のメンバーに教えを請いつつ、新しい習慣に身を慣らしていく。
「ああ、レント、おはよう」
「おはようございます、グルトさん」
食事を作るのは当番が決まっているようで、当番の手つきを眺めていると起きてきたグルトが声をかけてきた。
「今日は目的の町に到着する予定だからね。私達は違うが、中にはベクタの迷子に嫌悪感を抱く人もいる。余りはしゃぎ過ぎないように心の準備をしておくといい」
―――これは釘を刺されたのだろうか。
グルトを見れば、悪戯っぽく笑う姿に、そんな疑問はすぐに掻き消された。どうやら昨日からの俺の様子を見て、俺が見るもの一つ一つに心を動かされていることに気づいたのだろう。
少し気恥ずかしくなって明後日の方向を向いた。
朝食が終われば、行商団は慌ただしくも旅路を再開する。四台の荷車は連結を外され、のびのびと草を食んでいた馬が繋がれた。
「では、出発!」
グルトの号令の下、ゆったりとキャラバンは歩を進める。見たところではボーグル行商団の団員は様々だ。最年長は恐らく白い顎鬚を蓄えた老人――と言っても六十になるかどうかだろう――で、最年少は……俺を除けば、二十歳くらいの青年だ。男女比で言えば同程度、年の頃はグルトと同じ年頃――四十代ほどか――が多く見える。それを思えば、前進の緩やかさも納得だった。
ゆったりとした一団を一通り確認してから、グルトがこちらに近づいてきた。
「さて、レントには今度はこの辺りの地理の話をしようかね」
「お願いします」
「うん、よろしい。私達ボーグル行商団は、今は主に《サザークロイス南帝国》内をあちこちフラフラしている」
「《サザークロイス南帝国》……」
これまた大層な名前だ。帝国と言うからには皇帝が支配しているのだろうか。
「ああ、そうだ。この
人界という言葉にピンと来ていないことを察してか、グルトは『そもそも』と始めた。
「
グルトは宙に正円を描いた。
「暗黒界とはどういった場所で?」
「君の記憶喪失の原因である《暗黒神ベクタ》が治める世界だよ。そこにはゴブリンやらオークやらの魔物が棲んでいる」
「……そんなものに囲まれているんですか、人界は」
「ああ、だが大丈夫さ。何せ人界と暗黒界の間には《果ての山脈》がある。非常に険しい山々で、あれを越えるのはとてもじゃないが不可能だ」
ほら、とグルトが右手で示す方を眺めれば、遠くに薄らぼんやりと霧がかったような山頂が見えた。
―――なるほど、あれは高い。
この遠さでもしっかりと見える高さ。あれが人界を守っているということなのだろう。
「そして、この人界は四つに分かれている。それが東西南北の帝国だ」
グルトは今度は正円に斜めに二本の線を引いた。そして区分けされた四つの扇型の一番下を指し示す。
「で、ここがサザークロイスってわけだ」
「では皆さんはこの南の帝国出身なんですか?」
「……それは、良い質問だね。だが、残念ながらその回答はいいえ、だな。私達は
―――国を跨いだ行商、なのか?
行商にしろ何にしろ、見知った客に愛顧されることが繁盛の前提のように思えるのだが、一定期間行商を成り立たせてから国を移って客を一新する理由が分からない。
それを尋ねようかとも思ったが、グルトの微笑に気圧されて口にする言葉はすり替わった。
「それは凄いですね。扱う商品の幅が広いのもそれが理由ですか?」
「ああ、私達は色々な場所に伝手があるからね。……っと、そろそろ目的地が見えてくる頃だろう。ほらレント、前を見てごらん」
グルトに言われるままに手を翳し目を凝らせば、薄っすらと人家のようなものが目に映った。
「あそこが、ボーグル行商団の次の目的地さ」
******
そこは町よりも、むしろ村と言った方が適切な集落だった。しかし中世ほどの文明ということを思えば、これも立派に町なのだろう。
村の門では無精髭を生やした中年の男性が欠伸を噛み殺していた。彼は行商団を見ると即座に覚醒し、門番の役目に従事した。
グルトとは顔見知りのようで、彼と少しばかりの会話をしてその門番はキャラバンを村の中へと引き入れた。
村の――恐らく――中心には簡単な広場があり、その隅に荷車を停める。広場に面している背の高い教会から修道服の女性が出てくる。彼女もグルトと親交があるようで、挨拶をした後に軽い祈りの言葉を口にした。
「シスター、それで貴女にお願いがあるのですが……」
「あら、グルトがお願いだなんて珍しい。一体どうしたのですか?」
「旅の途中でベクタの迷子を一人拾いまして」
「あらあら、それは大変なことでしたね」
「ええ。彼なんですが――」
グルトが俺をシスターの前に引き出す。軽く会釈をすると、彼女は優しく笑んだ。
「《禁忌目録》すら覚えていないほど酷い状態なのです。私達がこの村にいる間、彼に軽い教育を施してはいただけませんかね?」
「ええ、ええ! 教会は苦難に陥った人を見捨てません。もちろん、そのお願い承りましょう」
シスターは快諾し、俺に目線を合わせた。
「私のことはシスターとでもお呼びください。貴方の名は?」
「お…、私はレントです。ご迷惑をおかけしますが、どうかよろしくお願いします」
スッと頭を下げると、どうやらシスターには気に入られたようで、ホクホクと笑いながらこちらこそと返された。
「では早速、教会に参りましょうか」
「ああ。私達も商売を始めるから、存分に学んできな」
グルトに背中を押され、俺は教会に足を踏み入れた。
******
教会から出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。それでも人が住む集落だけはあって明かりがまだそこら中で見えた。
グルトに尋ねると、町に着いたら大体三日から一週間ほど滞在するらしい。その間は野宿ではなく、住人の好意に甘えて空いている部屋だとか宿だとかを使わせてもらっているそうだ。
食事ばかりは荷車の停めてある広場で行商団で取る。それでも、食事の内容は昨日のものよりも生鮮食品系統が多いところに町にいる実感が湧く。
食事が終われば、――これだけの人数が一箇所には泊まれないので――団員はそれぞれが借りた部屋へと散った。
俺は教会にある部屋で泊まる許可をもらえたので、シスターの言葉通りに教会の上階にある個室のベッドに横たわった。
そこでうつらうつらとしながら、シスターに教えられたことを脳裏に浮かべて復習する。
この教会は――というよりもこの人界の教会は全て――人界の中心、《セントラル・カセドラル》を本山とする《世界中央公理教会》に所属している。公理教会は《禁忌目録》を制定しただけでなく、東西南北の四帝国全てをその統制下に置いているそうだ。
細かい行政に関しては帝国が管轄するそうだが、それよりも何より《禁忌目録》がこの世界では大きな力を持っている。これに反するような人間は存在しない。これに反することがこの世界では最も許されざる罪なのだとか。《禁忌目録》には窃盗を禁じる項目も当然ながら存在したので、グルト達が盗賊を心配した俺を笑った根拠はこれだろう。
そして、それらよりも俺が嬉しかった事実が判明した。
この世界には、
正確には《神聖術》と言うのだが、要は魔法だ。《空間神聖力》と呼ばれるいわゆるマナ的存在を消費して発揮される神秘の業。その存在は、この世界が完全に地球とは別の法則を基に成り立っていることを示している。
―――いよいよ異世界転生っぽくなってきたな。
一夜明けて鎮まってきた興奮が再び鎌首を擡げる。
今日教わった《神聖術》の一端を思い出す。指を揃え、自分の上にS字を描く。そうすると《ステイシアの窓》と呼ばれる半透明な板のようなホログラムが即座に出現する。そこにはいくつかの項目が存在し、それぞれに数字が振られていた。
―――まるでゲーム、だな。
耐久力はこの世界では《天命》と呼ぶらしいが、それがHPの役割を果たしているのだろう。《天命》は元の世界の寿命と体力が混ざったような概念で、成長につれて最大値が増えていき、老化により最大値が減少する。《天命》が尽きたとき、人の魂は《創世神ステイシア》――人界の主神だ―の御許に還ることになる。要は死ぬということだ。
そしてオブジェクト操作権限は差し詰め物理レベル、システム操作権限が魔法レベルといったところだろうか。それならばシスターと俺との差が理解できる。
これらのゲーム要素の極めつけが《神聖術》だ。一般的な――非実在の物に一般とつけるのは阿呆らしいが――魔法と同様に《神聖術》も呪文で発動する。具体的なものはまだ教えてもらえていないのだが、呪文に使う言葉が《神聖語》と呼ばれていることは分かった。そしてそれが
また《神聖術》の呪文の始めには必ず入る起句が存在し、それは『システム・コール』なのだとか。こういった辺りで元の世界のプログラミングの要素が垣間見れる。……ただ残念なのは、俺は特段プログラミングには明るくない。
これらから推察するに、これはただの異世界転生ではなく、ゲームの世界への転生と見るべきなのだろう。
それにしても、
―――このゲーム知らないんだけどぉぉ!
叫びは胸に収めてごろりと寝返りを打った。
原作の詳細な設定を忘れかけているのに――しかも原作が手元にないのに――、原作を読まなければ分からない設定で書き進めるという自殺行為に手を染める筆者です。あー、独自設定がゴリゴリと増えるぅぅ。