「まさかチュデルキンがここまでやるとは、中々面白いショーだったわね」
アドミニストレータが髪を指先で弄びながら言った。彼女としても、元老長が俺を殺すためにあれほどの手を尽くすとは考えていなかったのだろう。
「ま、もうデータは取りきれたし、じゃあね」
髪から離した指先をチュデルキンの屍に向け、壁の方へと弾いた。自らの天命すらも神聖術の火種に変え、完全に息絶えたチュデルキンは壁に叩きつけられて床に落ちた。
俺の目前の三人の拳が硬く握られた。彼らは総じて善人、もしくは戦士だ。たとえ分かり合えずに殺し合った相手だったとしても、その尊厳が踏み躙られることには不快感を覚える。俺とてそうだ。戦いの中で彼を認めたのだから、その死体が辱められることは本意ではない。
《白夜の剣》に溜め込まれた青い炎を少しだけ解放する。指向性を持たせたそれは、壁際のチュデルキンの身体を燃やし出した。あの火力なら、きっと後数分で辱めようもない灰へと変えられるはずだ。
「ねえ、坊や。貴方もレントと同じ『向こう側』の人間なのでしょう?」
その言葉は疑問の形を取ってはいたが、しかし実際には断定であった。俺がフルダイブ機――ナーヴギアではないらしいが――でアンダーワールドに接続していることを彼女が知っているかどうかは五分五分なところだったが、やはりシンセサイズをしたときか、定期メンテナンスのときに詳細情報を見られていたようだ。
今の戦闘を見て――もしくはデータを参照して――、俺とキリトとに類似点を見つけたためにこうも確信を持っているのだろう。
「……ああ、だが俺もレントも貴女のような高い権限レベルは与えられていないんだけどな、アドミニストレータ。いや、クィネラさん」
クィネラと呼ばれたとき、僅かにアドミニストレータの眉が顰められた。すぐに笑う仕草で覆い隠されてしまったが、明らかな歪みだった。
キリトは続いて、もう一人の最高司祭、カーディナルに聞いたと語り出す。アドミニストレータがやがては自ら人界を滅ぼすと。
「ふふっ。いかにもあのちびっ子が言いそうなことね。それで次にこう言うのでしょう? 整合騎士では闇の軍勢に抗しきれない、とね」
アドミニストレータは指揮棒を振るように俺とアリスを順に指し示した。アリスは反駁するタイミングを見失う。
「それはベルクーリに何度も言われたわ。あの子、記憶を封印しても毎回同じことを言いにくるんだもの。あれは良い目安になったわ」
「っ……! 貴女は我らを妻や夫、兄弟姉妹から無理矢理引き離し偽りの記憶を植えつけただけでなく、更には整合騎士になってからも記憶を奪い続けたと言うのですか! どうして我らの敬愛と忠誠すらも信じてくださらなかったのです! なぜ、我らの魂に貴女への服従を強制するなどという穢れた術式を施されたのですか!?」
アリスは、眼帯で隠されていない瞳から涙を流しながら叫んだ。彼女が抱くのは最高司祭への怒りではなく、哀しみ。それが敬神モジュールの作用によるかは判別できないが、現在の彼女に未だ最高司祭への深い敬愛が残っていることは確かだった。そして、きっとそれは敬神モジュールが埋め込まれている全ての整合騎士に共通することだろう。……俺は、到底そうは思えないが。
アドミニストレータは心外だとでも言うかのように眉根を寄せ、手に持った薄紫色の敬神モジュールらしきものに口づけた。
「心外だわ。この敬神モジュールこそ、私から貴方達への信頼と愛の証。貴方達がつまらないことに悩まされなくて済むように、綺麗なお人形のままでいられるように、定期的に手入れまでしてあげていたのに」
アリスは黄金の神器を床に叩きつけた。
「貴女は! 貴女は、一時的に忘れられるのなら、どのような悩みを抱こうが構わないと、そう仰るのですか。誰よりも貴女に忠誠を捧げたベルクーリ騎士長閣下が、記憶を消される度に何度も同じ痛みに苦しめられようと、貴女は大したことではないとそうお考えなのですか!」
剣先が床を傷つける音と共に鋭い声が飛ぶ。だが、その言葉を向けられた当の本人は涼しい顔をしていた。
「ええ。覚えていないなら思い悩みようがないでしょう? だから私は直してあげているの。貴女達が何も考えなくていいように。安心して、アリスちゃん。貴女も直してあげるわ。今、貴女にそんな悲しい顔をさせている悩みも綺麗に忘れてしまいましょう?」
アドミニストレータは歪んだ笑みを浮かべる。キリトとユージオが剣の鞘を強く握った。……記憶を奪う。その言葉には、どこか嫌悪感にも似た感情を抱く。類似した感覚で言うならば
「……確かに、私は今、胸を引き裂かれるほどの苦しみと悲しみを感じています。けれど、この痛みこそが私を人形の騎士ではなく、一人の人間と教えてくれるのだから、私はこの痛みを消し去りたいとは思いません」
アリスは涙を払った。毅然として顎を上げ、宙に座るアドミニストレータを正面から見定めた。
「最高司祭様、私は貴女に直してしまう必要はありません。私は、貴女の愛を望まない!」
「残念だけど、貴女に拒否権はないのよ。今のその感情だって、再シンセサイズすれば全部消えちゃうんだから」
「――貴女が自分に対して行ったようにか、クィネラさん」
キリトが口を開く。今度こそ、明確にアドミニストレータは不愉快な表情を見せた。
「……ねえ、坊や。昔の話は止めてって言ったわよね?」
そんなアドミニストレータに対して、キリトはなおも言葉を重ねる。
たとえ忘れ去ったとしても過去がなくなるわけではない。アドミニストレータとて人の子として産まれたただの人間ならば、過ちを犯すのが当然だ。しかしアドミニストレータの過ちは既に修正不可能な程に成長してしまっている。半壊した今の整合騎士団では闇の軍勢の総侵攻には到底太刀打ちできない。更にはアンダーワールドは作られた世界であり、その存在は『外』の研究者達の選択に委ねられているのだ、と。キリトはアドミニストレータを言葉で攻める。
しかし、アドミニストレータは柳に風とでもいう態度であった。彼女が自らの過ちを認めるはずがない。逆に彼女は『外』の世界ですら更に上位存在がいるかもしれないと返し、キリトの言の一切を跳ねのけた。
「私はごめんだわ。創造神を気取る人間に阿って存在する許しを請うだなんて惨めな真似」
……彼女はこの数百年という時の中で、その結論を導き出した。彼女が折れることはない。彼女が曲がることはない。圧倒的なまでの強い意志。それを覆すことは、少なくとも言葉では不可能だ。いいや、きっと、力で捻じ伏せようと彼女がその意志を捻じ曲げることなどありはしない。
「私の存在証明はただ支配することのみにある。その欲求だけが私を動かし、私を生かす。――この足は踏みしだくためにあるのであって、決して膝を屈するためではない!」
アドミニストレータの絶対なる意志。どのような状況に陥ろうと、彼女が絶望しただ裁きを待つだけの羊になることはあり得ない。その明晰な頭脳をもって巻き返しとその先の支配を狙い続ける。それが、数百年の時を経て熟成された彼女の心だ。
それが言葉になされたとき、何の思惑も込められていないであろうに、その心の巨大な存在感だけで疑似的に《心意》にも似た圧迫感を覚える。それが逆説的に彼女の意志の重さを示していた。
その圧力に負けないようにしてキリトは叫んだ。
「ならば! ならば貴女は、このまま人界が蹂躙されるに任せ、独りきりの玉座でただ滅びの時を待つつもりなのか!」
―――それは違うな、キリト。
あのアドミニストレータが、差し迫った危機であるダーク・テリトリーとの戦争のことを計算していないはずがない。彼女は
アドミニストレータは案の定、キリトの言葉を鼻で笑い飛ばした。
「はっ。まさか、そんなわけがないでしょう。私は『あちら』の人間がこの世界を消すことはもちろん、最終負荷実験すらも行わせるつもりはないわ。そのための術式は既に完成しているもの。喜びなさい、貴方達が人界の勝利を最初に目にできるのだから」
「術式……!?」
俺はアドミニストレータの言葉に全身を緊張させる。彼女は疑うまでもなく人界で、いや、術を扱える者の中で最も神聖術を練り上げた存在だ。その彼女が長い年月の中で練り上げた究極の術式。チュデルキンの炎の巨人の、その更に何倍もの脅威を誇るであろう術式だ。
「本当のことを言えば、騎士団はこの術式が完成するまでのつなぎに過ぎなかったのよ。私が求める武力には思考も、感情も要らない。ただ目の前の敵を屠り続ければいい。つまり――人である必要はないのよ」
アドミニストレータは手に持った薄紫の結晶を掲げた。
「さあ目覚めなさい、私の忠実なる
結晶が光り輝き、同時に壁にかけられこちらをぐるりと囲む数十の剣がアドミニストレータの式句に反応した。ガシャガシャと金属音を立てながら宙を飛び、部屋の中央で球状に組み合わさっていく。
キリトが、明らかに術の中心核となっている結晶を狙ってエレメントを放った。しかし咄嗟に放ったにしては及第点な術も、浮かび上がる結晶を守るように動かされた剣の刃に散る。そして他に防ぐ術もなく、結晶は黄金の刃の中央で一際大きく光った。
正しい場所に配置された結晶を中心に、段々と集まった三十の刃が照り輝いていく。力が充填されたかのように目に当たるであろう場所に二つの光が点いたのを合図に、球状にまとまっていた刃は外向きに展開され、下半身が四つ脚の人型へと変化する。浮き上がっていた身体は重力の軛に捉えられ、床につくと同時に重たい音を鳴らした。
「これが私の出した回答よ。敵対者を滅ぼす純粋なる力。そうね、名前は《ソード・ゴーレム》とでもしましょうか」
「剣の……自動、人形……」
キリトが圧迫されたように喘ぐ。ユージオはその偉容に目を見開き、アリスは術の異様さに信じられないと首を振った。
「あり得ないッ! 同時に三十本もの剣にこれほど大がかりな完全支配術をかけるなど、術理に反しています……!」
「加えて、あの剣一本取っても神器とそう変わらない優先度を持ってる。……それは圧を感じるわけだ」
だが、同時に美しい。ただ相手を殺す。そのための力を練る。そう考えて組み上げられた術は余りに純粋で、つい見惚れてしまうようだった。
「さあ、貴方の敵を蹴散らしなさい、《ソード・ゴーレム》!」
術者が腕を上げたのに連動して自動人形も左腕部の剣を天に突き上げる。それから四つ脚を昆虫のように交互に動かし、ガツガツと床を脚部の剣先で削るようにしながらこちらに迫る!
最初に狙われたのは、ユージオだった。
ユージオは自分の方へ直線軌道で向かってくる剣刃の塊に一瞬怯えた表情を見せるが、自らの水色の神器を鞘走らせたときには鋭い顔つきに変わっていた。
ゴーレムが右腕を振り上げ、下ろす。乱雑な動きで、実際にさしたる力も籠っていなかったにも関わらず、その腕を防いだユージオの方が逆に押されていた。完全支配術だけでない
ゴーレムの右腕を辛くも防いだユージオを、しかし流れるようにして――実際にほとんど力は入っていない、人間で言うならいわゆる手打ちだ――左腕が襲う! そこに、ユージオの右脇からアリスがすかさずカバーに入る。
カン! という軽い音で、アリスと左腕の両方が後方に弾かれた。だがゴーレムが弾かれたのは左腕だけだ。ユージオを右腕だけで押さえながら、四つ脚の一本をアリスへと向ける。今度はキリトがカバーに入りブロッキング。先程と違って三本足の状態だからなのか、キリトは弾かれることなく少し後方にずり下がるだけで耐える。
入れ替わりに、弾かれていた左腕がぐるりと関節の限界など無視してユージオへと向けられ、それは俺が間に入って受け止める。
ガツンと重たい衝撃。遠心力も何も乗っていないはずなのに、この打撃力。純粋にパワーが違い過ぎることがこうして剣を交えれば分かる。剣が組み合わさっただけの骸骨のように見えようが、完全なパワータイプのゴーレムだった。
後ろに弾かれる勢いを利用してユージオの服を掴みながら一気に後退して間合いから離れる。同じタイミングでキリトとアリスも別方向へ退避し、ゴーレムは間合いの中に敵を見失う。
「どうする!?」
「――中心の結晶を狙う!」
「それができますか!?」
「やるしか、ないっ!」
キリトとユージオは、流石だ。数多の整合騎士という圧力を気にせずにこのカセドラルを上りきっただけのことはある。俺もアリスも、どうしたって戦力差を気にしてしまう。だが彼らはそれを理解した上でなお、せねばならないことと認識すれば意志を固くする。
『ユージオ! 短剣を床の昇降板に―――!』
そのときか細い、どこか無機質なところもある声が、しかし感情的に叫んだ。それはアドミニストレータやゴーレムには届いていないようだったが、ユージオはハッとした顔をすると俺をちらりと横目で見た。
「了解。時間は稼ぐ」
その短い言葉だけで、ユージオは先程使った昇降板へと駆け出した。同時に再びユージオに狙いを定めた自動人形が動き出す。
「二人は援護を! ――ディスチャージ!」
「ああ!」
「はい!」
ゴーレムの胴体にエレメントをぶつけて注意を引く。この自動人形は基本的には最も近くの相手に襲いかかるが、それとは別に反撃プログラムも強く作られている。こうして少しでも敵意を示せば簡単に引き寄せられる。
ゴーレムは俺の目前で脚を止めて右腕の剣を振り上げる。そしてそのまま振り下ろした。俺はそれを半歩横に避けて躱し、続く左腕の突きも後方にいなす。縦に振るわれた脚も半身になって回避。ここで戻ってきた右腕は、途中で金木犀の花弁に動きを遮られて止まり、俺は一旦息を吸う。
―――やっぱり。
この自動人形はまだ発展途上だ。ステータス、つまりハード的には完成済みなのだろうが、ソフトの戦闘スキルがまるで磨かれていない。だから高速で接近して雑に剣を振り回すことしかできないのだ。それが素の高過ぎる能力で補われていたに過ぎない。
ガードは危険だ。人の域を超えた力と毎合剣を合わせる度に力比べをするのでは、絶対にこちらが追いつかなくなる。ただでさえあちらは刃の数には事欠かないというのに。
だからこその回避。ベルクーリ戦の後の再シンセサイズでまた着せられた金属鎧が邪魔で仕方ないが、それでも何とか回避を続けるしかない。
するとそのとき、階層に薄紫の光が充満した。発光しているのはユージオが持つ短剣、そしてそれが刺さっている昇降板だ。
―――よし!
時間稼ぎはこれで終いだ。ユージオが昇降板に辿り着くまでのほんの僅かな時間だったが、ゴーレムの持つ威圧感に額に浮かんだ汗を拭った。
昇降板から高く光の柱が伸び、その中に木製の扉が浮かび上がる。ガチャリと徐にそのノブが回り蝶番が音を立てながら扉が開いた。
扉が開くと同時にその隙間から雷光が走る。稲光はゴーレムに直撃し、その巨体を階層の反対側まで吹き飛ばした。
扉が完全に開くと、その中から学生のような見た目をした少女が宙を滑りながら降りてくる。
「間に合ったようじゃな。――久し振りじゃな、クィネラ。では早速じゃが、死ね!」
実際に会うのは初めてだが、恐らくもう一人の最高司祭であるカーディナルと思しき少女は、殺意に満ち溢れた光線を杖の先から照射した。
殺意マシマシなカーディナルでお送りします。「こんにちは、死ね!」ですね、正しく。まあ、シャーロットも死んでいませんし、アリスとキリトの負傷もないため開幕攻撃をする余裕があったというだけなんですが。
回避前衛アタッカータイプなのは記憶を消しても変わらない主人公君は、多分次話で時間があるときに鎧を脱ぎ捨てるでしょうね。