アドミニストレータは放たれた光線を、笑顔のまま指先で払い飛ばした。
「久し振りね、おチビちゃん。やっぱりこの坊や達を虐めてたら穴蔵から出てきたわね」
「ふん、しばらく見ないうちに人間のフリが上手くなったようじゃな」
「あら、貴女の方こそ、その喋り方は何? 昔、私の前に立ったときはあんなにガタガタ震えていたというのに。ねぇ、リセリスちゃん?」
「儂をその名で呼ぶな、クィネラ。儂はリセリスではない! 儂はカーディナル。お前の誤りを正すためだけに存在するプログラムじゃ!」
「……ええ、そうね。そして私はアドミニストレータ。あらゆるプログラムを管理する者よ。さて、おチビちゃん。今回は前とは違う。簡単に私から逃げられるなんて――思わないことね」
アドミニストレータは高く腕を掲げ、拳を握り締める。同時に一定間隔で並んだ部屋の外周の窓が全て砕け散った。外壁が壊れたことに嫌な思い出のある俺達は身を固めたが、《雲上庭園》でのようなことは起こらなかった。よく観察すれば、割れた窓のその先は黒紫色をした波打つオーラで百階がすっぽりと覆われている。それで気圧の差――カセドラル内はどこでも気圧や気温、湿度が整えられている――による突風が吹かなかったのだ。
また、アドミニストレータが指を鳴らすと今度は昇降板が煙を上げた。……まず間違いなく、カーディナルの神聖術を用いても通れなくなったのだろう。
「貴様、アドレスを切り離したなッ!」
「以前、貴女を取り逃したのは確かに私の失態だったわ。だからこそ、今回はこうして逃げられないように閉じ込めてあげたのよ。猫のいる檻に鼠を閉じ込めるようにね」
アドミニストレータの言葉をカーディナルは笑い飛ばした。
「ふっ。これでは、どちらが猫でどちらが鼠かは分からないがな。何せ、五対一じゃ」
アドミニストレータは、しかし堪えきれないとでも言うように笑みを深くし、喉の奥で嗤った。
「残念だけど、その計算は少し間違っているのよね。正確に言えば、五対三百一、ね」
「三百、一……?」
アリスが疑問の声を漏らす。
「――ッ! アリス、危ない!」
ユージオが急に声を発する! 声をかけるのと同時に、ユージオはアリスの腕を掴んで自分の方へと引寄せる。瞬間の後、アリスがいた場所には黄金の巨大な刃が突き刺さっていた。
「な、……に……?」
視線を宙に浮くアドミニストレータから下ろせば、カーディナルの一撃で黒焦げになっていた《ソード・ゴーレム》が、再びその身を輝かせていた。左腕の先がないのを見るに、この刃は左腕から外して投擲したもののようだ。その刃も逆再生するかのように再び宙を飛び収まるべき場所に収まる。そして数分前と変わらない姿となった。
「貴様、貴様ッ!」
カーディナルが叫ぶ。
「その者達は、貴様が本来守るべき民ではないのか!?」
―――守るべき、民……?
その者達とは、何だ。この場には、人なんて、俺達とアドミニストレータしかいないはずなのに。
「守るべき民だなんて、馬鹿らしいこと言わないでもらいたいわね。私は支配者よ。下界には私が支配するものがあればいい。それは別に剣だろうと人だろうと変わらないわ」
―――剣だろうと、人、だろうと……。
「あら、そんなに怖い顔しないでちょうだい。たかが三百人でしょう? それに、この《ソード・ゴーレム》はプロトタイプ」
―――たかが、三百……。
三百の命。三百の笑顔。三百の主義主張。全てが、圧殺される。単一の悪性によって。
「忌々しい最終負荷実験に対抗して、それからダーク・テリトリーに侵攻するには、そうね、ざっと半分くらい使う計算ね」
「半分……?」
「ええ。人界八万人の半分。それだけあれば足りるんじゃないかしら?」
プツンと、何かが切れる音がした。
「これで満足したかしら、アリスちゃん? 整合騎士がいなくとも人界を守る算段はついているのよ」
「――アドミニストレータ」
俺が名を呼べば、アドミニストレータは少しムッとした顔をした。俺が敬称をつけずに呼んだのが気に食わなかったのだろうか。
「アドミニストレータ。貴女の視点が常人と同じ位置にないことは知っていた。まさか、ここまで考え、術を練り上げていたとは知らなかったが。確かに、四万人が残れば人界は安泰だろう。ダーク・テリトリー人も支配に組み込むのだからなおのことそうだ」
アドミニストレータの表情が、今度は困惑へと変わる。批判されると予想していたのだろう。
「……だが、一つだけ質問がある」
「何かしら。言ってみなさい?」
「俺は、貴女の行動には矛盾があると思う。貴女の望みは次のどちらか、答えてほしい。より多くの人間を従えたい。もしくは、絶対に逆らわないように他者を従わせたい。どちらだ?」
「ふふ。面白いことを聞くのね。そうね、悩むところだけど、私の答えは決まっているわ。――両方よ。私は絶対なる支配者。全てを支配する者。ならば、どちらも望まない方がおかしいわ」
「それで、それで両方中途半端なのか、貴女は」
ピクリとアドミニストレータの片眉が動いた。
「中途半端、ねえ。どういうことかしら」
「簡単な話だ。……より大勢の民の支配を望むのならば、ダーク・テリトリーを侵攻するにしても、四万人の人民は損失が大き過ぎる。貴女はこの術式を作り上げるのではなく、強力な軍隊を作り上げるべきだった」
「まさか! 軍隊だなんて笑わせるわね。それこそ反乱の温床のようなものじゃない。絶対的な支配を敷くためには、私以外に抗し得る武力は存在してはならないのよ」
「ならば! だとするなら! 貴女が、決して人に反抗されたくないのならば、反抗心すら抱かせたくないのならば、……こんな術式は作るべきじゃなかった」
俺は首を振る。そして天蓋を見上げた。
「武装完全支配術は、剣と使用者の間の絆が不可欠だ。そうだよね、アリスちゃん?」
「え、ええ、そうです。……そうです。このような術式で作られた剣と最高司祭様の間に絆など存在しないはずです。なら、どうやって……?」
アドミニストレータは柔らかく笑った。その笑顔に心の底からどす黒い感情が湧く。
「その答えは、貴女の両脇の坊や達が気づいているみたいよ。ね、ユージオ?」
「ユージ、オ?」
アリスを挟んで俺の反対隣りに立つユージオが、震える指で荘厳な自然風景が描かれた天蓋を指差した。その青い空の部分には、まるで数多の星のような煌めきが見える。
「あれは……、あの輝いているのは、整合騎士達から取られた記憶の欠片なんだ……!」
最も大切な者の記憶が整合騎士からは抜き取られている。つまり輝いて見えるのは、整合騎士達が最も愛した者の
キリトが気づいて目を見開く。カーディナルが憤怒の色を滲ませてアドミニストレータを詰った。
「何と、何と非道なことを……!」
抜き取られた整合騎士の記憶が、その記憶の人物を素材とした剣を操っている。それは誰かを大切に想うという感情を踏み躙る行為であり、誰もが忌避感を覚えるものだろう。
「貴女はこのような非道な手段を取る者が敬われると、崇拝されると本気で考えているのか。人は、人は心を持っている。常々貴女の行動が反感を買うものだとは思っていたが、これはその最たるものだ」
「ふん。別に何も知らない愚かな民に何と思われようと知ったことじゃないわ。ただ絶対に歯向かえない強大な力を私が持てばいいだけの話だもの。それに、『心』ねぇ。ふふっ。笑っちゃうわ」
アドミニストレータは心の底から嘲るように口を歪めた。
「この剣の自動人形、いいえ、剣一本一本の模擬人格の動く理由を知っているかしら。彼らはお前達が『心』と呼ぶものに突き動かされているの。記憶している誰かのことを近くに感じて、ただそれを求める欲望。そしてそれを邪魔するお前達への敵意。ただそれだけしか彼らの中にはないわ。あははっ。本当に『心』なんてものは無様ね! どれだけ求めようがもう手に入れられないというのに求め続けるのだから!」
全力を足に込める。床に亀裂が走る。
地を蹴る。大丈夫。俺なら届かせられる。
《心意》の後押しもあり、俺は刹那の内にアドミニストレータの目前に跳び上がっていた。
《白夜の剣》を振るう。しかし、その刃は彼女の頸に触れる寸前で何らかの障壁のようなものに阻まれる。完全には刃は止まらず、じわじわとその障壁を越えてアドミニストレータに迫るが、時間切れだ。
俺が目の前に現れて仰天していたアドミニストレータの対応が間に合う。指を鳴らすと同時に、《ソード・ゴーレム》が俺の至近の空中に浮き上がらされる。ゴーレムが俺に向かってその腕を振るうので俺は神器で防がざるを得ず、地上まで弾き飛ばされる。
まるでバウンドするスーパーボールのような勢いで床と空中を往復した俺の前に、カーディナルの小さな背中が立った。
「――くっ。儂に、儂にそのゴーレムを倒すことなどできん! 剣に変わろうと、その者達が生きた人間であることに変わりはないのだから……。二百年練り上げたこの術は、アドミニストレータ、お前を殺すためのものであり、人を害するためではない。……アドミニストレータ! 儂のこの命をくれてやる! だから、代わりにこの若者達の命は奪わんでやってくれ!」
―――は?
俺は立ち上がってカーディナルの肩に手をかける。アドミニストレータが何か返答をする前に、彼女と前後を入れ替えた。
「冗談じゃない。カーディナル、でしたか? 貴女に大人しく守られる気なんてありません」
俺が言いきれば、カーディナルは反駁した。
「しかし、儂はあの剣とは戦えん! お主達だけでは……」
「はぁ?」
舌打ちと共に自分の口から苛立ちの息が漏れる。アドミニストレータやアリス、それからキリトも俺の態度に目を丸くしていた。
こんな態度を俺が取ったことなんてほとんどない。この世界に来た当初ならあったかもしれないが、図らずもシンセサイズされたことで俺の精神年齢は多少上がっていた。普段から軽薄に生きてはいるが実際の精神年齢は老年期に達している。多少は外見に引き摺られるとはいえ、精神とそれに裏づけられた態度は安定していた。その俺が、騎士にふさわしくないこのような態度を取ったはずがない。
だが、だが、俺の中の憤怒の情は既に抑えがたいほどになっていたのだ。
叫び出したい声を抑えつつ、俺は続けた。
「貴女は些か俺達を見くびり過ぎている。戦えないのは貴女だけだろう。なら、逆だ。戦えない貴女は大人しく俺達に守られながらアドミニストレータの隙を窺っていればいい話だ。なぜ、貴女が戦えないだけで俺達の負けが決まったと? 俺は、まだ、あの女に俺の怒りを伝えていない」
剣先をアドミニストレータに向ける。愉快そうに彼女は笑った。
「俺は、あの邪悪を許しては置けない。記憶を取り戻したときから、ずっと、許しがたいとは思い続けていた。それは整合騎士に対する仕打ちのことではない。俺にダーク・テリトリーで虐殺をさせたことではない。それは結局は俺だけの問題だ。怒りはあるが、償うべきは俺自身も同じことだ」
「だが」
「だが!」
「だが、これだけは違う。アドミニストレータ! お前は、凪の海を嵐に変える! 争いのない世に争いを齎す! 罪なき民に災いを齎す! 人の尊厳を、意思を、感情を、何もかもを踏み躙る! 貴様を生かしておくだけで、数多の者が苦しむことになる。俺はできれば争いたくなどなかった! 貴様が真っ当な考えを持った『人』であるならば説得しただろう。懇願しただろう。だが貴様には『心』がない。話など通じるはずがない。ならば、ならば、打ち倒す! 俺は、俺の信条に基づき、貴様を排除しなければならない!」
「へぇ、たった独りで?」
「当たり前だ! 俺が一人だろうが、無力だろうが、負けが決まっていようが、貴様を見逃すことだけはあり得ない! それだけは決してしない! たとえここで戦略的撤退を図ったとしても、俺達が力をつけるよりも先に貴様は人々から力を収奪するだろう。今が、今こそが最大の好機だ。それを逃すことなどするわけがないだろう」
俺が息を継ぐ。そのとき、俺の横に人影が並んだ。
「……レント、まさか貴方がそのような熱い心を持っているとは知りませんでした。ですが、その想いを遂げる助力を私はしましょう」
「ああ。もう、犠牲者を増やしちゃいけない。僕達がやるべきなんだ」
「そんなに怒ってるお前は初めて見たよ、レント。ま、そこまで言うなら、俺がすることなんて決まってるんだけどな」
金、青、黒の三色の剣が構えられる。後ろから、「ええい、仕方のない!」と声が聞こえる。
「ふふっ、いいの? 折角リセリスちゃんが逃がしてくれるって言うのに。可哀想な坊や達ね。そんな一時の感情で身を滅ぼすことになるんだから!」
誰一人として、そんな言葉で剣を下ろす者はいない。きっと、彼ら三人は自らの命を失くすことなどとうに覚悟した上で俺の横に並んだのだ。
俺は赤熱した怒りを内に抱えたまま、しかし同時にニッと片頬が上がるような喜びを感じていた。それは共感者、いや、
「……そう。なら、良いでしょう。やってしまいなさい、《ソード・ゴーレム》。今度こそ、完膚なきまでに彼らを踏み潰せ!」
今再び、剣の巨人が駆け出す。すかさず応じようとした三人を、俺は引き留めた。
「あの巨人は俺とアリスちゃんで抑える。キリトとユージオはアドミニストレータを頼む。……カーディナルも、あの女が相手なら術を使えるだろうしな」
一瞬困惑した顔を見せた三人だが、俺の表情を見て頷きを返した。
向かってきた巨人に、俺は相対する。そしてその斜め後方にアリスが立つ。いつも通り。俺と彼女が組むときはいつもこうだ。俺が近接戦を引き受け、彼女が遠距離から戦場を制圧する。
す、と息を吸った。
「――ああああ!」
剣を、巨人の腕に合わせて振る。空間に反響する衝撃音が、戦闘の再開する合図となった。
剣の巨人の動きはやはり単調だ。一撃の重さ、速さはずば抜けているがリズムや狙いは読み易い。
―――まあ、楽、ではない、んだけどっ!
顔を捻って一撃目を躱し、同時に脚部から放たれた二撃目を身を傾けて避ける。体を支えるために片足を踏み出したところに、一撃目と異なる腕からの三撃目。僅かに足の置き場を変えることで皮一枚で斬られるポイントをズラす。
ジャキンとまるで抵抗のようなものを見せずに太腿の鎧は引き裂かれた。脚が自由になったことを喜ぶべきか、鎧がこの巨人の前では一切意味を持たないことを嘆けばいいのか悩ましい光景だ。
片足を軸に体を反転、降り注ぐ刃には神器を添えて狙いを逸らす。単調な攻めには押し引きの駆け引きが存在せず、ただ俺が柳のように必殺の刃を捌き続けるのみ。
「アリスちゃん!」
「やっています!」
俺が一人でこの巨人を引き受ける中、アリスは武装完全支配術を使って剣の巨人の、その心臓部に埋め込まれている薄紫色の結晶を狙う。この剣の一本一本が守るべき民草であるのなら、俺もアリスも無闇に彼らを傷つけたり砕いたりはしたくない。となれば、巨人の核を突くのが最も手堅い――そも、この剣を砕けるかどうかも分からないのであるし――選択だと思っていた、のだが。
ゴーレムが現在狙うのは俺一人だ。更に言えばこのゴーレムはその場に立ち止まって攻撃をする習性があり、俺もまたほとんど場所を変えずに攻撃を捌いている。つまりはゴーレムの脚は完全に停止しているのだ。俺としては脚部が攻撃に組み込まれるため嬉しくはないのだが、動かなければアリスが狙いをつけ易い。実際、アリスの放つ花弁は迷いなくゴーレムの核を目指している。
しかし、そう簡単には問屋が卸さなかった。《金木犀の剣》は永劫不朽。花弁の一枚一枚が簡単に岩を砕く。しかし、神器級の優先度を持ったゴーレムの剣は簡単には砕けない。またアリスの心情からも砕かない。胴体部の剣の数々が、花弁を内部に入れないようにする抵抗をアリスは捻じ伏せられない。
―――チッ!
このままでは埒が明かない。俺は一旦、巨人の一撃を受け流すのではなく正面から剣で受けて反動で後方に飛ぶ。それでアリスの近くに寄ってから、一呼吸入れて叫んだ。
「俺が次の一合で隙を作る! 頼むぞ!」
アリスの返事を聞かないうちに、即座にこちらへ方向転換した巨人へと走る。
すぅっ。
息を吸う。全身に力を漲らせる。剣を振り被り、助走の勢いのままに巨人の片腕に叩きつけた。一瞬。俺が圧し負けて体勢を崩す前の一瞬。そこだけが、俺に許された最後の猶予だ。
「――神聖力、解放ッッ!!!」
白く光る《白夜の剣》の内から、稲光のようにしてエネルギーの奔流が溢れ出た。だがそれは先触れに過ぎない。本命はこの後だ。
《白夜の剣》には先程チュデルキンが放った炎の巨人が半ば以上取り込まれている。一部を利用はしたが、その莫大な神聖力の大半は未だ剣の内部に蓄積されたままだ。そしてそれらはこの戦闘の間にも増幅され続けていた。
蓄積、増幅したその全てを今この瞬間に放出する!
眩い光に視界が塗り潰される! 一瞬の静寂の後、俺は圧倒的なまでの爆圧を間近で受ける。しっかり踏ん張っていた足も浮き、身体が後方に流れる。だが、回復した視界ではあのゴーレムも弾き上げられ、その脚で宙を掻いていた。
―――これで……!
今の無防備なゴーレムなら、と。そう思ったとき、しかし俺の耳に聞こえてきたのは勝ち鬨ではなく二重の叫声だった。
「「レントッ!」」
とうとうここまで、って感じですね。
強そうな印象を植えつけていますけど、正直なところ剣の巨人は余りオペレーションが成長しているように感じられなかったんですよね。カタログスペックだけで押しているように。
ですので、そもそもパリィ型じゃない主人公の前ではその強みを活かしきれませんでした。集中力は要りますけど、大変さで言えばVSヒースクリフやVSユウキの方が余程上でしょう。