SAOUW~if《白夜の騎士》の物語   作:大牟田蓮斗

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 前作から考えても初めての四字熟語タイトルです――リタンダンシー編のものはグループ分けの意味が大きいので除くとする――。私のとあるシリーズの小説を読んだ方はこういうタイトルには見覚えがあると思います。ともかく、どうぞ。


#2 多岐―亡羊

「システム・コール、ジェネレート・アクウィアス・エレメント、バースト・エレメント」

 

 指先に灯った青い小さな光が融け、手元の盥に水として溜まる。何度か繰り返せば顔を洗うのに十分な量の水嵩になった。

 顔を洗い、ゴワゴワとしたタオルで顔を拭う。この町に来て一週間目の朝だった。

 借りている教会の二階から下り、一階の礼拝所で朝の礼拝を行うシスターの後ろに同じように跪く。真に信じているわけではないが、それでもきっと神が存在する世界なのだからと、恒例となった祈り――挨拶の方が正しいかもしれないが――を捧げた。

 

「おはようございます、レント」

「はい、おはうようございます、シスター」

 

 礼拝を止めて立ち上がったシスターに合わせ、俺も体勢を崩して立ち上がる。彼女に伴われるように教会の外に出た。

 まだ露の気配のする、太陽も起き抜けの早朝から教会前の広場は賑やかだった。

 

「レントじゃないか、おはよう」

「おはよう、グルト」

 

 切るところを間違えれば食材のようになってしまう挨拶は三日前からだった。もう家族のようなものなのだから敬語は止めてほしいとごねられたのだ。俺としても敬語は少し口がむず痒いものなので助かったのが本音だ。

 

「今日の出発はいつ頃になる?」

「――ああ、朝食をこれから取るから、そしたらすぐだよ」

 

 今日はボーグル行商団の出立の日だ。それだからこんなに早朝から皆働き始めている。町の住人もそれを承知なので、最後だからと時間を作って共に朝食を過ごそうという人もいる。実にのどかな風景だった。

 

「……本当に行ってしまうのですか?」

 

 同じ鍋で朝食を取っていたシスターがそう問いかけてくる。俺はそれに間髪入れずに頷いた。きっと少しでも逡巡を見せてしまえば、俺にも、シスターにも悪いだろうと思ったから。

 

「はい。この町もとても良い場所ですし、シスターにもとてもお世話になったので心苦しいのですが。俺はもっと他の景色を見てみたいんです」

 

 そう言いきれば、シスターもほっとしたような表情で頷く。

―――本当に、すみません。

 彼女はもう老齢だ。この世界の平均寿命がどれほどなのかはまだ掴めていないが、その天命は着々と減少している。きっともう長くはない。十年後の町に彼女の姿はないだろう。

 そうなると、彼女が今頭を悩ませている問題にも実感が湧く。それは教会の管理人としての後継者問題だ。この世界の宗教観や信仰の形からすれば、シスターや神父――牧師かもしれないが――は必須ではない。しかし落ち着いて祈りを捧げられる礼拝所は必須だ。そしてその管理人もまた必要である。

 教会が行っている孤児の保護や子どもへの教育は最悪各家庭や余裕のある人間の手で回せるが、教会のような大きな建物の維持をするだけの余裕はこの町にはない。

 そういった理由で、シスターは後継者がいないことを憂いているのだ。

 人界には《天職》という慣習がある。一定の年齢に達した――成人した――子どもには《天職》が与えられ、それ以後はそれに従事して暮らすというものだ。《天職》の全うは禁忌目録にも刻まれていることで絶対である。

 もちろんこのシスターも《天職》としてシスターをしている。そしてそろそろシスター――もしくは牧師、神父のような聖職者――を《天職》とする子どもが出てこなくてはならないのだが、それが遅れているようなのだ。余りに遅ければ後継者の育成に問題が生じるため、そこに現れた俺は丁度良かったのだ。

 俺、というかベクタの迷子は《天職》に縛られていない。記憶がないのだから《天職》を全うできなくても仕方がないからだ。同様に《天職》を全うした者も次の《天職》を自由に選択する権利があるのだが、こちらはほとんどいない――終わりのある《天職》は非常に稀なのだ――。つまりは、俺は聖職者になれる。

 それを知ったときにはシスターの教育が非常に熱心だったのにも納得がいった。あわよくば、というわけである。

 こうした事情のもとでなお、俺の意志を尊重し、俺に明確な希望があることに安堵するシスターは非常に出来た人だ。だからこそなおのこと心苦しくもあるのだが、シスターに語ったこともまた事実。俺はもっとこの世界を知りたいから、この町を出ていく。

 

「それで、いよいよ満足がいったら好きな場所に居着くことにします。何とも贅沢な話ですが、ベクタの迷子になってしまったので怪我の功名とでも思っておきます」

「はい、それが良いでしょう。貴方の前途にステイシア様の祝福があらんことを」

 

 シスターは軽く十字を切って祈る。この敬虔な人にしては軽過ぎるきらいもあるが、ウインクをした彼女を見る限り、俺が重々しい礼拝に苦手意識があることに気がついていたのだろう。

―――年齢を重ねた人ってのは、本当に深みが違うな。

 それはたとえ()()()()()()でも変わらないのだろう。

 

「それじゃあ、そろそろ出発しよう!」

 

 グルトが声を上げると、各々自由に町人と談笑していた団員達が一斉に声を上げる。皆笑顔だ。行商団という立場上、別れには慣れているのだろう。

 団員の一人に肩を叩かれた。『笑って到着、笑顔で商売して、笑いながら出発』それがボーグル行商団の掟さ、と。この一週間でこの世界については詳しくなったが、ボーグル行商団についてはまだまだだ。次の町までに、あと何個掟があるかくらいは聞いておこう。

 俺は笑顔でシスターに手を振った。

 

******

 

「――本当に、良かったのかい?」

 

―――そう言うと思っていたよ。

 グルトはきっと俺をあの町に置いていきたかったのだろう。決してそれは悪い意味ではない。歓迎してくれたことも嘘ではないし、行商団への参加を認めないこともないだろう。

 ただグルトは、行商をするよりも定住した方が俺にとって良いと思っているのだ。あの町にいるときもほとんど俺には商売の様子を見せなかった。それは行商団への興味を持たせないためだ。

 この世界は《天職》もあり、移住なんてものは中々起こらない。都市の間での人の移動だって滅多にない。非常に閉じたコミュニティで生活は成り立っている。要するに、行商団は()()()存在なのだ。

 

「うん。……俺って、結構飽きっぽいんだ。だから色々なところをフラフラする方がきっと向いてるって!」

 

 にっこりと笑えば、グルトも肩を竦めて微笑を漏らした。

 

「そうか。なに、それならば構わんさ。ボーグル行商団の掟、『来る者歓迎、去る者祝福』だ」

「え、『来る者拒まず、去る者追わず』では?」

「何をつまらないことを言うんだい? こっちは商売してるんだ、バンバン来てもらわないと困るだろう、ハッハッハ!」

 

 腹を揺らすグルトに釣られて笑えば、行商団も同じように揺れていた。

 

「ところで、その掟何個あるんですか?」

「んー……分からん! これも掟だ、『分からないものは分からない。誤差があればきっとどっかで帳尻が合う』」

 

―――なんと無茶苦茶な。

 それでもやはり、この空気は好きだった。

 次の町まで早く着くためにも、野宿を減らすためにも出立の時間は大分早かったが、起き抜けだった太陽も今ではもうすっかり起き出して、東に向かう俺たちの影を色濃く伸ばした

 

******

 


 

******

 

 ハッと目を覚ました。背中はぐっしょりとしていて、また洗濯機を回す羽目になったことは明らかだ。

 時計を見れば、その短針は真右を差している。当然ながらカーテンから日の光が差し込むことはないが、目が冴えてしまった今となっては大人しく起きている他ない。

 

「はぁ、ホンっと嫌になる……」

 

 嫌になるのは何に対してか。きっと自分に対してが一番だ。

 もぞもぞと起き出す。眠りながら暴れたのか、あらぬところに放り投げられているタオルケットを拾い、ギシギシとなるベッドに投げ返す。もう梅雨の時期だからある程度大丈夫だが、もっと寒い時期ならとうに風邪を引いてしまっていただろう。

 汗まみれな寝巻を洗濯機に叩き込み、シャワーで汗を流す――こんなときは風呂場つきの部屋を借りて良かったと思う――。ざっと水気を切って風呂場から戻れば、依然として暗い部屋が私を迎える。普段の登校時間どころか朝食を取るにも早過ぎる時間に一体何をすれば良いのだろうか。ここ数週間はずっとそんな自問自答をしている。

―――前なら、悩むことなんてなかったのにね。

 自嘲の息が零れる。視線の先にあるのは、埃が積もっていないだけでもうずっと電源の入っていないリング状の機械だった。

 いつも、それを見ては溜息を吐いている。辛い現実から逃げる道具。やがては現実を辛くないものにした道具。今はむしろそれが私を苛んでいる。

 見れば浮かんできてしまうから。『彼』と過ごした幸せな日々が。

 見れば思い出してしまうから。『彼』との出会いを。時には肩を並べ、時には銃口を向け合って戦ったことを。

 見れば考えてしまうから。『彼』のいる『もしも』の世界のことを。

―――見れば溢れてくるから。『貴方』への思いが。

 

「はは。なんて、私にはおこがましいわね」

 

 左目から音もなく流れていた一条の水を跡にならないように拭き取れば、カーテンの向こうからの朝の光が私に追いついていた。

 何も変わらない無色な一日を終える。学校の人には大丈夫、何も感づかれていない。

 スーパーマーケットの前を通り過ぎ、卵の特売に気づいて足を向けかけて、家にはまだ在庫が余っていることを思い出した。

―――ここは外。落ち着きなさい。泣くんじゃない。

 日常に『彼』は染みついている。こんな何気ない風景ですら、無意識のまま彼の姿を目で探している。

 精神衛生に悪いから来週からこの曜日は帰り道を変えようかとも思うが、そうやって意識してしまう方が却って悪い気がしたので、来週もまた同じことを思うのだろう。

―――違うか。今週も同じことを思ったんだ。

 先週も同じことを考えたのを思い出した。同じ日々を繰り返していれば、同じことが起こったところで何も不思議ではない。

 そうやって特売を避けたため別日に普段より高い値段を払って卵を買い求めたことも思い出したが、きっと今週も同じことをするのだろうと諦めた。

 

「……なーにが()()だ。これだけ経てばもうこっちが()()でしょうに」

 

 未だに現実を認めたくない自分が情けなくて片頬が吊り上がる。前からさして笑う質ではなかったが、最近は自分を嘲るときにしか口角を上げていないのかもしれない。

 予想以上に重い自分に呆れて、『彼』に迷惑をかけていたかもしれないとも思う。鞄を放り出して制服のままベッドに身体を叩きつけた。

 私は無気力だった。ずっと、前に進むどころか前を向くことすらできない臆病者。『彼』と会う前、いや、人を殺したあのときまで後退してしまったみたいだ。

 今の私にできることはただ過去を眺めるだけ。楽しい思い出に浸り、恋しい人の面影を探して、後悔を胸に『あのときああしていたら』を繰り返し続ける。実に、無様だった。

 

******

 

 あのときの私は精一杯だった。

 勇気を出して取りつけた初めてのデート。突然理不尽にも発生する事件に、トラウマを呼び起こす現実の(リアルな)黒い拳銃。もう私の頭はパンク寸前だったのだ。

 何とか立って『彼』を見れば、――憎い、憎い拳銃がその背中を狙っていた。

 思わず走り出して、制御を取り戻さないうちに私の脚は拳銃を蹴り抜いた。

 

 そこまでは良かった。良かったのだ。

 

 あそこで拳銃が大人しく弾き飛ばされていれば何も問題はなかったのに、現実は残酷で、そう上手くはいかなかった。

 私の脚は間に合わず、犯人の指は引き金を引いていた。私が蹴り上げたことで銃口は逸れて『彼』の心臓を後ろから撃ち抜くことはなかった。――代わりに、弾丸は彼の頭を貫いた。

 あともう数センチズレていれば軌道から『彼』は外れていた。鍛え上げた目でそれが分かった、分かってしまったからこそその数センチを埋められなかった自分を恨んだ。

 重く鳴り響く銃声が頭蓋に反響する。視界は飛び散る血で紅く染まる。きっと他の客が上げた悲鳴がその場を渦巻き支配していたことだろう。それでも私の耳が拾ったのは『彼』の言葉だけだった。

 

「――し……の、だい……じょ…………ぶ」

 

 それが私の無事を確認したのか、自分が無事だと主張したかったのかは分からずじまい。確かだったのは、血を延々と流し続ける『彼』が警察が来るそのときまで犯人を万力のような力で押さえつけていたことだけだ。

 それからのことは余り覚えていない。事情聴取などもあったはずなのだが、当時の私の記憶は、ずっとランプが消えない集中治療室と、両手を合わせて祈る初めて会う『彼』の叔母――義母――の姿でその大部分を占められている。

 他のことを考える余裕が出来たのは、呼吸器や種々のモニターが接続されてはいるが、きちんと呼吸をして脈を打つ『彼』の病室に入ってからだった。

 私は『彼』の今の家族――義母と遅れて駆けつけた義父、時間を作って電話をかけてきた義兄――に事情を全て話した。元を辿れば私が誘ったのが原因であり、そこまで戻らずとも私が『彼』の戦いに一定の制限をかけていたのも事実で、最後の一撃は確実に私が原因だった。あそこまで強く蹴らなければ頭まで逸れなかった、もっと強く蹴っていれば外れていた、もっと早く駆けつけられればそもそも撃たせなかった、もっと、もっと、もっと……。

 話している内に混乱して、きっとまとまりのない妄想を垂れ流してしまっていただろう。それでも『彼』の家族は私の言葉を謝罪と共に受け取ってくれた。

 そしてその上で、『彼』の義母の文子と共に翌日に出る『彼』の容態の詳細を聞く権利も与えてくれた。

 翌日、CT検査――MRIは弾丸の破片が残留している恐れがあるため詳しい検査をしてからということになった――の結果や手術中の様子などを踏まえて担当医から詳細な説明を受けた。医師は幸いとも辛いとも言えない微妙な表情をしていた。

 

「まず簡潔に言わせていただきますと、大蓮翔さんの命に別状はありません」

 

 ホッと私と文子から同時に安堵の息が漏れる。

 

「お若いからでしょうか、それか体質かは分かりませんが、翔さんは非常に回復が早いです。既に傷ついた脳が回復の兆しを見せています。これほどの自己修復能力は類を見ないのですが……、これならば短いリハビリでも十分に身体機能に後遺症なく退院が見込めると思います」

 

 スッと医師はCTスキャンの結果であろう、脳の断面図を示す。私達では到底与り知れないことなのだが、それでも一見して――素人目で見て――異常そうな場所は()()を除いてなかった。

 

「相当に威力のある銃弾だったのでしょう、幸いにも綺麗に貫通しており脳の中でも直接被害を受けた箇所は極僅かです。――ご覧の通り、ここに一点穴がありますね? ここを弾丸が通ったと思われます」

 

 医師はそこで一呼吸置き、そして最も重要なことを私達に告げた。

 

「そしてその結果として、目覚めなければ確認は取れないのですが、翔さんには記憶喪失等の記憶障害があると思われます」

 

 私達の顔から音を立てて血の気が引いた。

 

「……重度ではない、とは言いがたいのですが、幸い過去の症例から鑑みて過去三、四年程度の記憶だけを翔さんは喪失していると思われます」

「そ、その記憶は取り戻せないんですか!?」

 

 私は思わず声を震わせ、医師の話を遮り尋ねてしまった。文子も医師も私を咎めはせず、医師は難しいと言わんばかりに首を横に振った。

 

「脳の自己修復はあくまでも機能の修復です。内容の修復ではありません。コンピュータと同じです。ハードウェアの損傷は直せますが、そのハードウェアに入っていたソフトウェアは諦めるしかないでしょう。どこかにバックアップがあるならば別ですが、人間の脳はバックアップを取っていません。……もっと正確に言うならば、一応存在するバックアップ部位ごと貫かれていると言うべきなのでしょう」

 

 とにかく、無理なものは無理だと医師は改めて首を振る。私は力なく椅子に座り込んだ。

 

「……過去の記憶の喪失以外にも、脳の修復状況次第では新規記憶の健忘も十分に起こり得ます。ただ、翔さんの回復力を見ればその心配は不要かもしれませんが――」

 

 それ以後の医師の言葉も頭に留め置きながら、私の頭と心にはずっと別のことがグルグルと回っていた。

 『彼』の失った記憶は三、四年分。

 

―――ああ、終わったのだ。

 

 『彼』がSAOにログインしたのが大体二年半前だ。つまり『彼』はALOやGGOのことどころかSAO……あれだけ愛していたVRのことも一切覚えていないのだ。

 無論、出会って一年も経たない私のことなど覚えているはずもない。

 

 私――朝田詩乃が初めて恋した『彼』がもう二度と帰ることはないのだとそのときやっと悟って、私の始まったばかりの恋は、始まろうとしていた愛は終わりを告げた。




 多岐:道がたくさんあること
 亡羊:羊を見失うこと、転じて途方に暮れること

 女の子が書きたかった筆者により、詩乃さんのSANチェック回が早まりました。
 というわけで、このシリーズが前作#50から枝分かれするifストーリーということが明らかになりました。前作の感想返しで『ifのifで書くと思います』的なことを言ったのですが、それが現実になりました。
 そして明かされる真実が主人公の記憶喪失。お陰でオリキャラなのにキャラがブレブレで自分でも掴めないという喜劇を筆者は演じております。
 私的に今回のタイトルは珍しく好きなのですが、次回以降もこのスタイルでタイトルを考えることは……きっと無理でしょうね!
 ではまた次回。

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