「さて」
気を取り直して立ち上がる。本当は目的はここまでだったのだが、改めてキリトの様子を見て目的がもう一つ増えた。
《白夜の剣》だ。
彼は自失状態で木製の車椅子に座っているのだが、その車椅子の横脇に取りつけられた筒の中にその愛剣が差さっていた。
「ユージオ君、この剣のこと聞いてもいいかな?」
「あ、うん。キリトが離そうとしなくて。多分……」
「僕の形見と思っているのかな」
―――ふふ。
可愛げのある行動に思わず頬が緩む。
「まぁ、僕はここに戻ってきたわけだし、返してもらえると嬉しいんだけどね」
筒からそっと剣を取り出す。握り慣れた柄に触れ、慣れ親しんだ重みを感じる。仄かに剣が熱を帯びたような感触がした。
「ぁ……」
《白夜の剣》が誰かに抜き取られたことを察知してか、キリトが軽く反応する。顔をこちらに向けた気がした。
僕は鞘から居合の要領で剣を抜き放ち、こちらを向いたキリトの頭に唐竹割りを放つ!
抜き打ちには反応できなかったユージオが焦り顔で手を伸ばしたとき、真っすぐ振り下ろされるはずだった透き通る白い剣はガンという重い音を発して空中で止まった。
「何を!?」
その音に反応して外で待機していたアリスが幌を開けた。ユージオはやや敵意の籠った瞳を僕に向けつつ、二撃目を放たせないように腰を落として警戒していた。
キリトはこちらに向けていた顔を再び下ろした。その瞳には以前光は灯らない。それでも、先程と打って変わって僕はスキップでも踏みそうな気分だった。
ユージオにひらひらと手を振りながら《白夜の剣》を鞘に納める。その音にも、もうキリトは反応しなかった。
僕が放った一撃――もちろん寸止めのつもりだった――に、キリトは《心意》を用いて不可視の刃を放って防戦した。以前も同じことをしたとベルクーリから聞いていたためそれを実証した形だが、一瞬の火花の向こう側でキリトの瞳は間違いなくこちらに向いていた。その瞳に光がなくとも、間違いなくキリトの精神の眼とも言うべきものがこちらを捕捉していた。
それが、嬉しくて堪らなかった。
彼はまだ死んではいない。僕を認識してくれた。希望は残っている。そういった想いの数々が即座に脳裏を錯綜して、噎せ返りそうだった。
「――キリト君、僕だよ。今ので分かっただろう? 今までこの剣を守ってくれてありがとうね」
僕が《白夜の剣》を持ったままそこを離れても、キリトは一切抵抗を見せなかった。それにユージオがやや瞠目する。僕は口角を上げた。
「挨拶は終わったからね。キリト君もちゃんと剣を返してくれるなら起きてくれればいいのに」
「あ、貴方という人は……! 小父様といい、どうしてもっと穏便な手段を取れないのですか!」
「それが僕らだからねぇ」
はははと笑えば、アリスは大きく肩を下ろしながら長い長い溜め息を吐いた。
******
翌日、僕は再び陣の後方へと足を伸ばしていた。本当は訓練に参加して一般兵の練度を確かめたり、僕の戦闘スタイルを彼らに伝えて連携を図る必要があるのだが、それよりも逸る心を僕は優先した。
「すみません。こちらにフリーオという方はいらっしゃいますか?」
取りあえず補給部隊の中でも一番立派な天幕に向かい、丁度出てきた男性に声をかけた。
「あぁ? そりゃいるに決まってんだ、ろ……って、き、騎士様!? も、申し訳ございません!!」
こちらに向きながら乱雑な言葉を放った彼は、僕の鎧を目にするやそのまま土下座でもしそうな勢いで腰を折った。
僕は苦笑いをしながらその後頭部を眺める。
「いえ、来訪の約束もせずにいきなりやって来たこちらが悪いんです。そう構えないでください。多少言葉が粗い程度、禁忌目録どころか村の掟でだって罰を与えやしません」
「は、はい、ありがとうございます……」
ペコペコと何度も頭を下げながら、彼はそそくさとその場を去っていった。
すぅ。はぁ。呼吸を整えて、僕は天幕越しに内に声を届けた。
「失礼します、少しお時間よろしいでしょうか」
「おう、聞こえてたぜ。入りな、整合騎士の旦那」
厚い布のせいでややくぐもってはいるが、返ってきた声にはハリがあった。
天幕を持ち上げて、中に入る。目を開いた。
そこにいたのは白髪頭の老人だった。簡単な執務机のようなものが持ち込まれており、その上には大量の書類が山になっている。一応彼の前面は空けられているため視線は通るが、柔らかいクッションの効いた椅子に座る彼の頭よりも高い位置にその山頂はあった。
座っているため身長などは掴みにくいが、背はしゃんと伸ばされている。顔に皺は少なく、逆に皺くちゃな手は骨筋ばりつつも未だ力強さを保っていた。職業柄か髭を蓄えずに髪を上げたその見た目は予想外に若々しく、特に爛々と光る瞳がその印象を強めていた。
僕がじっと彼を観察している中、反対に僕も彼に観察されていた。視線が下から上へと――途中で腰の《白夜の剣》に移りつつ――登っていく。その視線が顔に至ったとき、彼はぽかんと口を開けて眼を揺らした。
「――れ、ント……?」
「久し振り、本当に久し振り、フリーオ。朝日が昇ったから会いに来たよ、なんてね」
老人――フリーオは転がるように椅子から立ち上がって、こちらへと駆け寄ってきた。そしてペチペチと無遠慮にこちらの頬やら腰やらを叩いてくる。
「ほ、本当に生きてるのか。お前か、お前なのか……」
「うん。生きてるよ。フリーオはちょっと老けたかな」
「――お前が変わらなすぎなんだよ、この、馬鹿野郎がっ……」
声の震えるフリーオを再び椅子に押し戻して、僕もテント内にあった適当な椅子に腰を下ろした。
鼻紙で鼻をかんだフリーオは、一つ咳払いをするとすっかり平静の顔へと戻っていた。
「それで、説明してくれるんだろうな」
「もちろん。――あの夜、ジーギスとゴブリンと戦って僕たちは一応の勝利を収めた。二人でゴブリンを殲滅できたからね。でもジーギスはそこで死んだ。僕が彼ごと最後のゴブリンを殺したんだ。そこに整合騎士が通りがかって、僕はジーギスを殺した罪人として央都に連行された。そこで、まあ、色々あって整合騎士に取り立てられたってわけ」
「むむむ、詳しく聞きたいところはいっぱいあるが、大体は理解した。罪人が整合騎士になるって噂は本当だったんだな」
「え、何その噂」
思わず身を乗り出してしまう。僕はそんな噂は聞いたことがない。何より、アドミニストレータが支配を大きく揺るがすそのような噂を許容していたはずがない。
「あー、ほら、うちの行商団は色んなところ回るだろ? それで情報が集まるわけだが、罪人なんて中々いるもんじゃないから耳に入ってくるんだよ。で、整合騎士様もおんなじ。それこそ罪人をしょっ引くときくらいしか俺たちの前には現れなかったわけだしな。となればうちには罪人の名前とそいつをしょっ引いた整合騎士様の名前が集積されるんだが……」
「その多くが一致した、と」
「そゆこと」
流石はアウトローの連中だ。思わぬところでアドミニストレータの裏をかいていた。人界において彼らこそが最もアドミニストレータの支配を受けなかった存在と言っても過言ではないかもしれない。
「それにしても、ズリーな。俺なんかもういつ死んでもおかしくねぇってのに、お前はその若い頃の見た目で……。あ、いや別に俺も整合騎士になりたいわけじゃないぞ? 戦いたくなんかない、ってか戦えないしな」
「いやいや、やってみなくちゃわからないよ? 意外と何とかなるかもしれない」
「なんねぇよ。お前とジーギスがいなくなって行商の護衛を一旦任されたんだが、てんで駄目だった。《砕き手》の天職で力だけはあったが、……お前たちでさえ戻ってこなかったって思うと、どうにも竦んじまってな」
「……」
思わず目を伏せる。あれは明らかな油断だった。今からでも時を遡って、ハイタッチなどするなと過去の自分を引っ叩きたい気分だ。
暗くなりかけた空気にフリーオは手を叩いた。
「あー、やめやめ。もう何十年も前の話を蒸し返すのは止めよう。それで、お前は何しに来たんだ? 俺を見つけたから話しに来たのか?」
「そうなるかな。僕がいなくなった後の話を聞きたくてね。ついでに、ダーク・テリトリーの話も」
フリーオは少し目を瞑って何かを思い出しているようだった。
「あの後、つってもな。無事に壁まで逃げきって朝まで待ったんだが、お前達は来なかった。それから壁にいた衛兵が様子を見に行って、血痕と大量のゴブリンの死体とジーギスの遺体だけを見つけてきた。俺達はゴブリンがどれだけいたかなんて知らなかったからな。てっきり無念にもお前達は負けてレントはあっちに連れていかれたと思ったんだ。それでもゴブリンを撃退したことは事実だって慰め合って西帝国に入った。……詳しく話せば時間が到底足りないが、それからも俺達は行商を続けた。今まで通り、な」
懐かしそうに、遠くを見るようにフリーオは語る。僕が少ししか体験できなかった行商生活。いや、商売に関してグルトは最後まで関わらせてくれなかったから、正確に言えば僕も体験できていない商売の記憶を彼は手繰っていた。
「たまに団員を増やして国を替え……、何回か南帝国にも入ったんだぞ? ダーニホグの人は俺が戻ってきたときは凄い驚いていたけど、無事に生きてるって喜んでもらえた。ゴブリンが出たって話は伝わってたから心配かけてたみたいでさ。今も連絡は取っているんだ」
「それは、良かった。衝動的に悪いことをしてしまったかもしれないと思ってたんだ」
「そりゃ杞憂だな。俺は行商が肌に合ってたみたいでさ、――グルトが死んだときは、その次の団長に推薦された。今はもう引退してボーグル行商団は別の奴が率いているがな。ま、今となっちゃお前の知り合いはみんな墓の中だ」
「そう、だね。仕方ないけど少し寂しいや。……フリーオと会えて本当に良かった」
「よせやい、照れるだろ。んで、引退後は央都で行商団の元締めをやってたんだが、そこにお
確かにそれはそうだ。大なり小なり禁忌目録の灰色部分を通り抜けている者の集団が行商団だ。僕も当時は完全に法の目を潜り抜けていると思っていたものだが、整合騎士になってからは――実際には行商団のことは覚えていなかったが――元老院の力もあってカセドラルに捕捉されない存在が人界には――カーディナルを除いて――いないことをよくよく理解した。
アドミニストレータが行商団を見逃していた理由は分からない。もしかすれば、彼女自身もコミュニティ間の交流の手段を模索していたのかもしれない。余りにそれぞれのコミュニティが断絶されてしまえば、支配力や統率力の減衰に繋がる。余りに密になってしまえば、今度は逆に民衆の力が増大して支配が覆されかねない。行商団はその思惑の狭間で泳がされていたのかもしれない。
「で、俺は思ったんだよ。――なんて面白そうなんだ、ってな。そもそも行商に憧れたのだって、俺の知らない何かを見たかったからだ。暗黒界なんて未知の塊みたいなもんだろ? だから一も二もなくその依頼を受けた。それで暗黒界に行ったんだ。道中の冒険もそれはそれは面白くて語りたいところだが、今は省略するぞ」
言ってしまえば、ここからが本題だ。今までは個人的な感傷。ここからは整合騎士としての情報収集だ。
「あっちの世界の指導者のことは知っているか?」
「たしか、《十侯会議》だっけ。十人の指導者が話し合って全体の方針を決めているとか」
「その通り。俺達は友好条約を結ぼうとしてた。その会議を通すのには過半数、少なくとも五人を切り崩す必要があったわけだ」
フリーオは両手を広げて十本の指を示した。
「まずは暗黒騎士。騎士長のビクスル・ウル・シャスターはベルクーリ騎士長と面識があったみたいでな。そもそもこちら側だった。今まで一番整合騎士と戦っていた連中だから戦争の危険性もわかってたんだろう。彼の手引きで暗黒界に入ったようなものだし、他の十侯の切り崩しにも協力してくれた」
右手の親指が下げられる。
「次に商人ギルドだ。ここが俺の出番だった。一般的な商人じゃ帝国を跨いで人界辺縁で商売するなんてことないからな。多様な相手と商談するのには人界で一番慣れている自信がある。レンギル・ギラ・スコボ、そいつがギルド長だったわけだが、随分と俗な奴で、少しの袖の下と、友好条約を結んだ後の通商による利益をちらつかせればすぐに陥落した」
今度は人差し指だ。ここまでは順調のように思える。
「ここまでは順調だった。三番目の相手は暗黒術師長のディー・アイ・エル。中々おぞましい女でな、裏でカーディナル様が『アドミニストレータには届かんが、実力もある厭らしい女じゃ』って零してたほどだ。こいつは最初は強硬的に人界を攻めて支配することを望んでいたらしい。が、ここでカーディナル様の慧眼が冴えた。あの女はアドミニストレータの遺産――不老不死、ついでに美しさの保存の術式を望んでいたらしい。それを見抜いたカーディナル様が友好条約を結んだ後にアドミニストレータの残した資料を共に解読し術式研究をするっていう提案をした。それでころりだ。争いの中で資料が散逸することも考えられたから、向こうからしても戦わずに目的が達成できるなら言うことはなかったんだろう」
中指が折られる。そのままフリーオは薬指も下ろした。
「拳闘士のイスカーンは易しく、かつ難しかった。終わってみれば単純な話、実力を何よりも重んじる拳闘士の掟に従ってベルクーリ騎士長がイスカーンを下して終わりだ。一番苦労したのは、騎士長を新しい十侯にって引き留めようとするのを振り解いたとこだな」
これで残りは六本。十侯のうち五人が人間だと言うし、これで最低限は確保できるだろう。
「だが、人間の十侯の最後の一人が難題だった。暗殺者ギルドのフ・サなんだが、あいつらは堅物というより定まったことにしか従えないんだ。そもそもとして《暗黒神ベクタ》に仕えることが第一義であり、それ以外は基本的に意志を持たないのが暗殺者ギルドだ。ベクタの代理である《十侯会議》の決定には形式上従うが、そこにあえて票を投げることはしない。多数派になびく浮動票であり、決して自らから動くことはない不動票でもある。つまりそいつを除いた九人が実質的決定権を持ってたってことだ」
右手に残った小指をふらふらと宙に彷徨わせてから、フリーオは右手を下ろした。
「残りは亜人族達だったが、こいつらはどうにも血の気が多くて話にならなかった。山ゴブリンと平地ゴブリンなんか、俺達の目の前で《東の大門》が崩落した後にどうやって人界で人殺し競争をするかなんて相談をしていやがった。ついて来てた騎士を抑えるのに苦労したぜ」
左手の薬指と小指が纏めて折り畳まれた。見込みなし、だ。
「ジャイアントはそもそも人界と和平を結ぶって意味すら理解できていない様子で、一切聞く耳がなかった。オーガもだ。両騎士長がいて牽制してくれなけりゃ、きっとオーガは俺達に襲いかかってただろうな」
親指と中指もそのまま為す術なく仕舞わざるを得なかった。
フリーオは残った人差し指を、しかし誇らしげに立てた。
「だがな、オークは違った。オークの首長の名前はリルピリン。俺の友人だ」
「友人……」
フリーオは満面の笑みを浮かべた。
「昔、お前が言ってたことがあるだろ、《災厄の岩》を砕いてるときに。『暗黒界の怪物とも話ができて分かり合えたら怯えなくて済むのにな』ってな。覚えてるか?」
言われて、薄っすらと記憶が蘇ってくる。何てことのないただの暇潰しの話だった。当時は異世界転生を本気で信じていたし、僕の頭の中にはモンスターと協力する類の物語の知識もあった。そこから生まれた、何の意味も込めていない思いつきをフリーオは覚えていたのだ。
「ああ……、確かに、そんなことも言ったか。『話し合えるなら人と相手するのと同じなのに』、だったっけ」
「そ。亜人との会談が上手くいかないときにふと思い出して、つい零したんだ。話し合えるなら人と同じじゃないのか、なんで分かり合えないんだ、って。それをどうやら聞かれていたみたいで、次にリルピリンと会ったときに話されたんだ。自分達は暗黒界でも亜人として差別されている。人界と交流を結ぶようになれば、一層その差別が悪化するのではないかと危惧している、と」
「なるほど。少なくとも、他の四種族と違ってオークは真剣に悩んでいたのか」
「そうだ。だから、俺はその一点を信じた。どう転ぼうが、そもそも条約を結べないことには何も始まらない。リルピリンを必死に説得したさ。カーディナル様も引っ張ってきて、人界の最高責任者として差別の撤廃を推し進める約束もした。それでリルピリンは折れてくれたんだ」
フリーオは左手を下ろす。
「これで《十侯会議》の了承は取れた、はずだったんだがなぁ……」
首を傾げるフリーオは、どうにも無念そうな顔をしていた。友人とまで呼ぶリルピリンと敵対してしまったからだろう。
交渉の様子を詳しく聞いて、改めて暗黒界側の急な方針転換の理由が不明になる。それこそ《十侯会議》の上部機関でも存在しなければ――。
―――ん?
思い出す。フリーオが暗殺者ギルドについて語った言葉を。
「まさか《暗黒神ベクタ》が降臨した……?」
「はぁ!? ……いや、なるほど、それなら確かにこの状況に説明がつくか!」
納得顔のフリーオを視界に収めつつ、僕は最悪の想定を思う。
創世神、太陽神、地母神がスーパーアカウントであるのと同じく、まず間違いなく《暗黒神ベクタ》もスーパーアカウントだろう。比嘉は前者の三神のアカウントは封鎖したと言っていたが、暗黒神を見落としたのではないか。そして、そのアカウントを侵入者達が使っているのではないか。
侵入者に占領された下部にあったSTLは二台。僕が使っているプロトナーヴギアのような裏技がなければ、このアンダーワールドにダイブできる侵入者は二人だ。しかし、その二人とは。
―――《Subtilizer》と《PoH》!
難敵の予感に、僕の背を武者震いが走った。
外で観測している人間より先に敵の動きを察知する主人公。しかし今更対応策はない。悲しい話ですね。キリトと違って《Subtilizer》の強さを知るがゆえに、その脅威をより強く感じています。
主人公がちょっとずつ無意識に蒔いた種が芽生えたことで最終負荷実験をスルーしかけたこの世界線、自分で書いていてもちょっと面白いですね。