場がひとまずまとまり、再び人々が動き出す。私は気持ちを決める。より大きな混乱が起きたとしても、この場で、未然に被害を防ぐために、
「――菊岡さん」
「何かな?」
「翔君が最後に残した
菊岡さんは眉をピクリと動かして眼鏡を直した。私は握り込んでいた拳を開く。翔君の手に手を重ねたとき、彼が何かを握り込んでいることに気づいたのだ。ナーヴギアを使っている中でもなお握り続けるその意志は、それだけ中身の重要性を証明していた。
彼の拳の中から取り出したメモをひらひらと振りながらそれを語って、そこに書かれたことを私は音読する。
「『裏切り者は柳井』」
「は」
柳井と発したとき、一人の研究員が愕然とする。彼が柳井研究員だ。そして恐らく、翔君にナーブギアを与えた人物。
「『柳井はALO事件時の須郷の部下の一人だ。僕に恨みを持っているようだ。須郷が狙っていたアメリカへの高飛びルートを握っている可能性がある。』メモの内容は以上です」
「ほう……。柳井さん、何か釈明があれば」
「なっ……!? そこらの高校生の妄言を信じるんですか、菊岡さん!」
柳井研究員は見苦しく騒ぐが、その後ろには既に自衛隊員が回り込んでいる。先程は濁したが、今回の翔君の行動には研究員の協力者が必須だ。その中で彼が残した言葉がどれだけの威力を持つかは火を見るよりも明らかだ。
「はい。現状、大蓮君に手を貸した者が誰かを知っているのは彼だけですから。ALO事件の際のことは一旦置いておいたとしても、大蓮君の案内を行った貴方がそもそも最大の容疑者なんです。彼のメモはその裏づけに過ぎません」
菊岡さんが手を振れば、柳井研究員は後方から二人の自衛隊員に拘束される。菊岡さんは冷たい瞳で命じた。
「安全の確保のために縄で拘束してサブコンで確保しておけ。手の空いている者は彼の部屋から発信機か何かがないかの捜索を行え」
柳井研究員はとうとう表情を大きく崩した。化けの皮が剝がれたのだろう。今までの気弱そうな仮面は消え、憤怒の形相で狂ったように叫び出す。
「……クソがぁッ! あのクソガキめぇ! いつもいつも俺の邪魔をしやがって!! アンダーワールドで死にさらsガッ」
猿轡が噛まされ、柳井研究員の叫びは強制的に中断させられる。彼の言葉通り、大蓮君に恨みを持っていたのだろう。そちらが真実なら、『いつもいつも』という言葉もあることだし、ALO事件のことも真実に違いない。語るに落ちると言うより、もうヤケになったのだろう。
縛られた彼は床の端に放置され、一部の自衛隊員が彼に与えられていた自室の方に向かう。それを見送った私も、神代博士に促されてサブコントロールルームを後にした。
STL室に向かうまでの道のりで、私の手はスマホに触れたまま操作できずに止まっていた。翔君の現状を詩乃に伝えるべきか否か。その判断が私にはつかなかったのだ。
前を歩く神代博士が、ふと、立ち止まった。こちらを振り返る。
「明日奈さん。私は、彼女に知らせた方が良いと思うわよ」
「……でも」
「私はその詩乃さんと面識はないわ。だから彼女の解像度は貴女のものの方が格段に上でしょうね。でも、見え過ぎているから気づかないことだってあるのよ。少し引いて、全体を眺めてみなさい。詩乃さんは、この事態を知らせてもらえなかったらどう思うかしらね」
「ッ……」
私が思う、詩乃。元々は知り合いの知り合いでしかなかった。初めて彼女を知ったのは死銃事件のあったBoBのとき。キリト君やレント君に守られながら一緒に戦っている女の子というだけの印象。被害者の一人だった。
当然、それから直接接触して友人になって、彼女を深く知ればそんな第一印象のことなんて薄れていく。毅然として冷静でありながら、女の子らしい一面も備えた可愛い彼女。翔君とのやり取りは見ていてとても微笑ましいものだった。
でも、もしかしたら。私の中で、あの第一印象はずっと尾を引いていたのかもしれない。キリト君と一緒に戦っていたときは特別に何かを思うことはなかった。そもそもスナイパーとスポッターというプレイスタイル上、BoBのカメラに注目される機会も少なくて、キリト君ばかり探していた私にとっては視界の端に映るだけの存在だったのだろう。私がきちんと彼女を認識したのはレント君が登場してからだ。それはつまり死銃と遭遇してからということで。あのときのシノンは大きく取り乱していて、二人に守られるだけの無力なお姫様のように私の目には映っていた。
だから私は先日の彼女の姿を抵抗なく、むしろ当然のように受け止めてしまったのかもしれない。翔君を失ってボロボロの彼女は、彼女の第一印象と合致していた。
―――後で、しののんには謝らなくっちゃかな。
神代博士の言う
全体で見れば、彼女は『強い』人だ。今は弱さが前面に出てきてしまっていたとしても、彼女は知らせてもらえなかったことに憤るだろう。教えてもらうだけの資格を見せられなかった自分に。
そこまで思い至れば私の指は迷うことなく動いていた。詩乃にメールを送り終わったとき、私達はSTL室に着いた。
寝台に横たわった私はもう一度心を決め直す。詩乃が強さを取り戻すためにも、翔君は必要だ。彼は少し自分の価値を低く見積もり過ぎている、そう零せば、隣で最終調整を行っていた神代博士も笑って肯定した。
STLの起動にキーワードは必要ない。全てが外部制御だからだ。それでも、私は大きく息を吸った。
―――リンク・スタート!
困った黒白の剣士に帰ってきてもらうために、私はアンダーワールドで剣を執るのだ。
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~side:レント~
いよいよ、戦争が始まる。上空で《陽纏》に跨りながら、《東の大門》の前を埋め尽くす軍勢を何とも言えない気分で眺めていた。
この光景を見て僕の心は沈みに沈んでいた。これは紛れもなく戦争だ。僕の両親がその命を捧げてでも止めたかった光景だ。そこに剣を手に、指揮官クラスとして参戦する。胸が痛む思いを堪えられなかった。
今までの人生でこれに近いものは何度も見た。フロアボス攻略戦なんて――もちろん規模は小さいが――基本的には毎回、扉の前にフル装備の人間が集結するのだ。しかし、相手にも確かな命がある。そんな光景は、一度しか見たことがない。《笑う棺桶》の掃討戦。あのとき以来だ。
それでも掃討戦はまだマシだった。何せ捕縛という手段が取れたのだから。今度の戦争は違う。そもそもがこちらの劣勢であり捕虜にする余裕なんてない。捕らえたところで黒鉄宮のないここではその処遇を迷うだけだ。僕一人で戦場全てを見きれるような規模ではないし、互いに殺すことが目的である以上は僕にも止めようがない。
剣の柄を握り締める。僕にできるせめてのことは、味方を守り、素早く圧倒的な差を見せつけることで敵に撤退を強いる。その程度だ。ファナティオに与えられた遊軍という仕事を全うするのみだ。そうすれば、元より進んでいた和平の道を再び進むことだってできるはずだ。
眼下の人界軍は細い回廊に敷き詰められたように布陣している。戦闘部隊を前陣、後陣三つずつの六つに分け、それぞれを神器を持つ整合騎士が率いている。彼らは隊を指揮する将であると同時に、その隊の戦力の要となる。前陣は左翼よりエルドリエ、ファナティオ、デュソルバート。後陣はレンリ、ベルクーリ、シェータが担っている。
僕は遊軍として上空に、アリスも同様に上空だ。ユージオは実働経験に欠けるとして後方の補給部隊を守護する役目を受けている。本人としては不満そうだったが、彼の記憶解放術は基本的には足止め用であり、前方で展開すると戦闘が遅滞化してしまう。後方守護であればその足止めは有効に働き、前方より反転した軍勢との挟撃に移れる。
この戦いは防衛戦だ。この回廊が最初の防衛線であると同時に最終防衛線でもある。敵兵をこの地域より後方に逃すことは決して許されていないのだから、ユージオがいることによって前衛の整合騎士に与えられる余裕は馬鹿にしたものではない。
―――ま、もう一つ狙いはあるわけだけど。
人界軍の前方に聳える《東の大門》には亀裂が大量に入っていた。もうそこに堅固であった過去は見出せない。天命も二桁程度しか残っていないのだろう。
門の亀裂から赤い光が漏れだす。この辺りの地面の色もそうだが、暗黒界の地の色を反映しているのだろう。それが、どうあっても最初からあちらによって征服される予定であったことを示すようで、無性に腹が立つ。
巨大な石扉は開くのではなく弾け飛ぶ。その直前に、《
―――いけないな、気が立っている。
この世界の真実を知ったときからそうだった。AIの人権、それを軽視し続け、実験のためだからと無用な戦争を組み込んでいる菊岡らに僕は怒りを覚えていた。だが、彼らの立場も思想も理解できる。AIの人権など叫ばれたところで向こうも困惑して当然だ。だから、僕のこの怒りはただ胸の中でグルグルと渦巻きながら不完全燃焼を続けるしかない。
門が破れ、敵軍がこちらへ向けて駆け出す。上空から望む僕にはそれがよく見えていた。頼むから来ないでくれ、そう願っても通じはしない。人界軍が打って出ることはなく、ファナティオらの号令によって迎撃する構えが取られていく。
対して、敵陣の中央で駆けるのはジャイアントの部隊だ。これは彼らの強靭な肉体を用いて無理にでも中心に穴を空けることを狙ってだろう。その隙に左右に布陣したゴブリンが小手先でこちらを惑わしつつ、陣の深くへ入り込む。それでこちらは大崩れだ。
そもそも、この戦争での暗黒界軍の勝利目標は実に平易なものだ。人界に入り込む。ただその一点さえ熟せれば『勝ち』なのである。だから、人界守備軍としてはこれだけの数の軍勢が大門の前に布陣すること自体が疑問であった。大門には陽動の戦力を動かし、その隙に山脈からの侵攻を図る。こちらの戦力不足を和平交渉の中で知ったのならば、それが万全の手だ。人界側に山脈全てを守護する戦力などあるはずもないのだから。
しかしそれはなされなかった。人界側はそれでも山脈の防衛戦力として整合騎士を割かねばならなかったが、逆に言えば彼らだけでも侵攻を抑えられると判断したのである。大門崩壊後の回廊は人界と暗黒界を繋ぐ巨大なバイパスだ。今のように防衛には大量の人手が必要となり、戦略的に戦われれば人界軍にとって大きな悩みの種となったはずだ。
暗黒界側の不自然な動き、僕にはその理由が分かっていた。暗黒界側にダイブした侵入者の手回しによるものだろう。そうでなければ説明がつかない。たとえ暗黒騎士長のような軍略に長けた者が欠けたとしても、暗黒術師長は冷静に冷酷にこちらの弱みにつけ込める。統率された意志がなければ、逆にこうして軍勢として押しかけることもない。暗黒界側の『勝ち』を求めていない何者かによって統一された意志が敵軍にはある。
その敵の狙いは、まず間違いなく僕の隣で飛竜に跨る金木犀の騎士だ。彼女にこのことは伝えていない。伝えてしまえば、きっと彼女は一人で事態が収まるならと自らの身を犠牲にすることだろう。それが彼女の死で終われば確かにマシかもしれないが、それでは済まないだろう。相手とてプロだ。彼女が手に入らなければ、きっと他のサンプルはいないかと人界の全人民が蹂躙される。彼女が相手の手に落ちれば、それより以後、彼女を基にした数多のAIに悲劇が降り注ぐ。
ゆえに、彼女に全てを伝えるのはアスナが合流してからと決めたのだ。二人がかりであればアリスの説得も叶うであろうし、主目的であるキリトの回復ができれば三対一だ。最悪、彼女を無理矢理にでも保護することができる。
思わず、自嘲の感情がこみ上げる。どう足掻いても僕は完全無欠のヒーローにはなれないのだ。大を救うために小を切り捨ててしまえるのだから。アリスの意志を、権利を思考の上であっても容易に否定してしまう僕は、全てを救うヒーローにはなり得ない。
「Stay Cool。それは後回しだ」
この状況下で嫌でもネガティブになる思考を振り払う。もう、戦闘が始まろうとしていた。
人界守備軍で最初に戦端を開いたのは、遠距離武器たる弓を主武装とするデュソルバートだった。武装完全支配術を使用し、引き絞って炎と化した矢を放つ。神聖術と見紛う高威力の火弾は迫りくるゴブリンの隊列を吞み込んで爆砕する。遠くから飛んでくる地雷のようなものだ。完全支配術下での彼の矢を防ぐには、キリトがALOで見せた当たり判定斬りをしても足りない。あれを上回る火力で押し潰すか避けるかが精々だ。それでも、僕であればあの矢を後方に受け流すことで爆発を逃れ、爆風に乗って距離を詰めて爆破を制限させられるだろう。
右翼のデュソルバートに続いて、中央のファナティオが行動を起こす。彼女も構え自体はしていた。彼女の神器もデュソルバート同様の遠距離攻撃を可能とするが、デュソルバートの弓が引き起こす大規模爆撃とは違って遠距離からの一点攻撃がその真髄だ。ゆえに、彼女は最も効果的に打撃を与える一点を見極めるため、敵をデュソルバートよりも引きつけなければならなかった。
ファナティオはライフルのようにその細剣を掲げて待つ。そして、その剣先から一筋の閃光が放たれた。熱線は真っすぐジャイアントの陣を貫き、その進路上を綺麗に刳り貫いた。その脅威はジャイアントの進軍のペースを鈍らせる。しかし、外した。ファナティオの落ち度ではなく、ジャイアント側の活躍だ。
彼女が狙ったのはジャイアントの中でも頭一つ飛び抜けて大柄なジャイアントだ。リルピリンを通して人界一の暗黒界通となったフリーオの言によれば、ジャイアントは部族の長をその体格で決めるのだとか。それに従えば大柄な彼が長と見て間違いなく、ファナティオは初撃で長を殺害することを目論んだのだ。頭が欠ければ指揮系統が消失し、隊列は乱れ、恐怖が一気に伝播して総崩れになる。余計な犠牲を出さずに相手を撤退に追い込むには最善の一手であったが、長の側近が身代わりとなったことでそれは叶わなかった。
ファナティオは苛立たしげに、第二射を放つ。その後ろで彼女につき従う四旋剣が剣を高く抜き掲げて部隊を鼓舞し、本格的な両軍の衝突が始まった。
デュソルバートに遠方から対処されている左翼やファナティオに出鼻を挫かれたジャイアントと違い、敵陣右翼のゴブリン部隊は早々に人界軍と接触していた。
しかし、接触しただけでまともに戦闘が行われることはなかった。ゴブリンは頭が回る。更に観察眼も鋭い。こちらの左翼を担うエルドリエが搦め手を得意としないことを見て取ったのだろうか、一合も剣を交わすことなく煙幕弾を放っていた。煙の中で同士討ちを避けるために剣を振れない人界軍を無視して、ゴブリンは一直線に後方へ抜けていく。攻撃できないことはゴブリンも同じでも、先に言ったようにこちらとあちらではこの戦闘における目的が違う。ゴブリンはただ駆け抜けるだけで勝てるのだ。
エルドリエ達はそれが分かっても追い縋ることはできない。前陣である彼らが大きく持ち場を離れれば、他の部隊に負担がのしかかる。一部のゴブリンに陣を抜かれたとはいえ、暗黒界側の戦力からすればまだ前陣を疎かにしていいほどではない。エルドリエは後陣に伝令を出しつつ、前を向いた。
「うん。エルドリエはそれでいい」
「ええ、キリトに負けてからこの半年で彼も成長したのです」
師匠であるアリスが言うが、それなら煙幕の方にも対応してほしかったと返せば、肩を竦められた。
「それは性格の問題でしょう。誰もが貴方やキリトのような悪戯小僧ではないのです」
「悪戯小僧って言われたのは初めてだな。――じゃ、僕は行ってくるよ。ユージオ君に何か伝言はあるかな?」
「ありませんよ、そんなこと。伝えるべきことは伝えました」
「本当に?」
「い、いいからさっさと行きなさい! 死者を可能な限り少なくするのでしょう!」
アリスに叱られ、僕は《陽纏》の手綱を引いた。確かに頃合いだ。エルドリエの前陣を抜けたゴブリンの部隊が、後陣に接敵する直前。そこを狙う。
「さあ、戦闘開始だ」
見きり発車であったことを忘れていて、この大戦部分以降の構成が全然練られていなかったんですよね。夏バテと合わせて全然筆が進みませんでした。しばらくは戦闘シーンなので、頭を空っぽにして書きたいと思います。