それは激戦であった。
僕はアメリカのプレイヤー達との戦いを見てはいない。だからそれと比較することは困難であるが、二万を超えるであろう中韓のプレイヤー数は話に聞くアメリカのそれよりも多く、しかし反対に日本のプレイヤーは大きく損耗している。コンバート勢には目立った脱落はないが、デフォルト装備は既に半分以上が散っているという。
戦力比は大よそ十倍。被弾が痛みを生み動きを鈍らせるこのアンダーワールドにおいて、一騎当千の活躍をすることは難しい。痛みに慣れる訓練、もしくは一度も攻撃に当たらない訓練が必要になる。当然、日本からのプレイヤー達がそんなものを積んでいるはずはないから、コンバート勢といえどこの戦力差は覆しがたい。
結果として、僕らは遺跡から離れた平野で亀のように円陣を組んで耐久する以外の術を知らず、徐々に圧されていっていた。
「コンバートした奴を守れ! あいつらの方が火力は上だ!」
「敵さんとは同ステ対決だろ!? やってやんよ!!」
「一人で十人倒せば何とかなるか」
日本側は戦術……と呼ぶには届かなくとも集団としての意識がある。円陣の外縁はデフォルト装備が埋め、そうでなくともコンバート勢一人につき数人がつくことで肉壁となってコンバート勢を守っている。そこまでして守られたコンバート勢はデフォルトアカウントの敵を一撃で多数屠る火力を存分に振るう。その更に内側で人界軍の五百は守られていた。
戦場を巡る数多の叫び声の中、日本勢にはいくつもの指示が飛ぶ。中韓勢との違いは火を見るよりも明らかで、それは飛び交う声の内の一つが日本勢の大勢をまとめているから。彼の声はよく響く。物理的にも、もっと内面にまでも。
「エリヴァ! ありがとうございます、人界軍を守ってくれて」
「はん、水臭いこと言いやがって。……察しの良い奴らはあいつらを見ただけで分かる。そうでなくともさっきまで触れ合い、語り合ったんだ。あいつらが、俺達の仮初めの命くらいならいくらでも懸けて守らなきゃいけない『命』だってことはみんな分かってる。だからこうも必死にやってくれてんだよ」
―――怪我の功名、かな。
彼らはたとえ絶対的に見て少ない存在であったとしても、僕やキリト、アスナなどとはまた違った立ち位置にいる部外者だ。彼らの中で人工フラクトライトの『命』を認める世論が形成されれば、人権問題を吹っかける際の大きな拠り所にできる。
「それは、嬉しいですね」
「ああ。お前が守りたかったのも分かる。あいつらは連綿と続いてきたAIの歴史の収斂だ。SAOを過ごしてそれを軽視できる奴はいねぇさ」
《海賊》は顔に似合わない優しい微笑みを消し、片手斧を振るいにまた先陣へと駆けていった。
激戦だ。乱戦だ。苦戦だ。しかし希望が見えないわけでもなければ、また敗色が濃厚なわけでもない。エリヴァの指揮に加え、冷静に観察する《狸》やALOの各種族長が局所的に的確な指示を振り撒いている。彼らという目立つ旗頭がいる分、日本勢の戦力は実数以上に膨れ上がる!
「そんな上手くいくかな?」
僕の視界の真正面で、しかし手が決して届くことのない人垣を挟んだ向こうで《海賊》の体を肉斬り包丁が斬り割った。肩口からポリゴンへと変わっていく様が、僕の目にはよく映った。
ほぼ同時に、あちらこちらで音頭を取っていたプレイヤーが敵の山に埋もれていく。こちらにできることが向こうにできないのは旗頭がいないから。しかしPoHという最悪の男はいる。奴が指揮を執ればこちら側の有利はなくなる。
―――冷静に。
奴が直接エリヴァを狙ったのは、彼が一番僕と親しいから。そうでなければわざわざこちらを挑発的に見るはずがない。奴の狙いはこちらのペースを崩すこと、ただそれだけだ。それに乗るわけにはいかない。
だがただ冷静でいるだけでは劣勢は覆せない。数的不利を跳ね返していた指揮という特権が欠けた今、僕らの前にあるのは十倍という戦力比のみ。手を拱いていては敗北は必至だ。
―――一度で良い。ブレークポイントを。
それもこの場の全員が息を呑み、こちらの言葉を聞いてしまうような隙を!
そのとき、大地を赤い刃が駆け抜けた。
その刃の大きさはこの戦場のどこからでも見えるようなもので、ジェット機のような轟音を立てるそれは一気にその場の雰囲気を掌握した。
―――この一瞬。
刃の正体を知るのは後回しで良い。この絶好のチャンスを逃してはならない。
「聞いて!」
「聞いて!」
違う言葉で、しかしきっと同じ意味の単語が戦場に響いた。僕でない声の主はシウネー。彼女も僕と同じ行動に出たのだ。
彼女の言葉が韓国人に届くと信じて、僕は中国語で叫ぶ。
「貴方達は騙されています! このサーバーは日本企業の物であるし、そもそも先にダイブしたアメリカ人達もクラッカーの片棒を担がされていただけです! これ以上の加担をしてはいけません! 貴方達が日本に害意を向ける理由なんてないんです!」
その言葉で、赤鎧達は取り落していた武器を構え直す手を止めた。
「おい、やっぱおかしいって」
「あー、あれだろ。あの、シェアされてた投稿?」
「だがどっちが正しいかなんて分かんねぇぞ」
騒めきが広がる。PoHの言葉を丸っきり信じていた者は少ないのだ。そもそもが半信半疑であった彼らなら、これで事は進む。
「だから何か証拠がない限りには」
「じゃあ一旦は状況を停滞させるべきでは?」
「つまり戦闘中止か?」
後一押し。しかしその一押しが難しい。いっそシステム言語が全て日本語であれば話は簡単だったのだが、逆に英語で統一されてしまっている。日本製の証明はAI達が日本語を解すことくらいでしかできないが、彼らがダイブした人間でないという証明をすることが難しい。僕らが全員デフォルト装備なら話は別だったのだが。
そこで、またあの男が動き出した。全体を見渡すために遺跡に上っていたPoHがその包丁を投げる。それは威嚇となり、シウネーに歩み寄っていた韓国人の青年の足を止めさせた。
「システム・コール、ジェネレート・エアリアル・エレメント、フォーム・エレメント・ボールシェイプ、フォーム・オブジェクト・インビジブル、ディスチャージ」
奴が口を開く前に急いで詠唱を終わらせる。不可視の空気の球が奴の顔を覆った。
かつてのベルクーリとの戦闘では、鋼素の生成時にイメージを足すことで金属の種類を変えられることを利用した。あれと同様にエレメントにはイメージで様々な性質を足すことができる。例えば、周囲からの影響に対する耐性とか。
声とは振動だ。空気が揺れることによってそれは伝わる。SAOで空気の振動が観測できたように、ザ・シード系列においても――SAOほどきっちり演算されているとは思わないが――その物理法則は生きている。つまりはこのアンダーワールドでも音は空気の振動である。
よって奴の顔の周りに固定された
空気球は不可視にした上、顔の周りにスペースがあるためPoHの耳には自分の声が聞こえる。そのせいで僕の仕かけに気づかずに奴は演説を始めた。包丁を投げて以来アクションのない彼を中韓のプレイヤーは不思議そうに見ている。
―――ここが畳みかけ時!
「奴が何と口にしたか覚えているか! 『同志』だ! しかし今、奴はその『同志』と呼んだ君達に武器を投げかけた! それはなぜだ。君達が戦いを止めんとしたからだ! もし彼が真にサーバー保有者側だとすれば、戦闘が止まろうと我々の足止めさえできれば問題はないにもかかわらずだ! 君達はこれを何と見る!? 『同志』と言われ舞い上がってはいまいか。その純粋な心を弄ばれたのではないか! 今一度、しかと考えてほしい。その上で、サーバー保有者側に立つ私は君達に頼もう。戦闘を止め、これ以上の無益な血は流さないでほしいと!」
あらん限りの言葉で殴る。彼らの心に染み渡るように。中国人はこれで大丈夫だ。既に剣を下ろした者が大半、残りの者も戦闘継続しようとすれば周りの者に止められるであろう。
シウネーの方を横目で確認すれば、先程PoHの威嚇を受けたプレイヤーともう一人、女性のプレイヤーが兜を外してシウネーと話し合っている。僕とは違うやり方ではあるが、彼女もまた心からぶつかることで戦闘を止めることに成功していた。
その頃にはPoHも自らの身に何が起こったかは理解したようで、顔の周りの空気の膜をペタペタと触れていた。しかし他からの干渉を受けないオブジェクトと化しているそれを突破することはできまい。
しかしあの男は僕の予想など軽々に飛び越えていくのだ。いつも、いつも。
しばらくヘルメット状の空気を叩いた彼は、遺跡の屋根にドカリと座り込んだ。そして手元に引き戻した包丁と足で一定のリズムを刻みだした。
―――何、だ?
頭に靄がかかったような違和感。PoHは何をしようとしている? その答えはすぐに分かった。
ニィと汚らしく笑った彼が左手で空気球に触る。次の瞬間、その周りにガラスが割れたように空気が吹き飛んだ。
―――心意だ……。
PoHの実力はSAOでも攻略組の上位層と同等か、もしくはそれ以上。その下支えには高いVR適性があることは疑いようがなく、そして今の彼はSTLを使っている。心意を発動させても何ら不思議ではない。
しかしタイミングが最悪だ。奴はそのまま左手を掲げた。
「何を呆けている!
奴の背後に暗いオーラが立ち上る。あれは間違いない、心意だ。鋭敏に感じ取れる僕だからこそ視覚情報として捉えられているそれが、中韓プレイヤーに遍く降り注ぐ。
鬨の声が上がった。それを上げているのは最後まで武器を下ろすのを躊躇っていた、渋っていたプレイヤー達。彼らがその気になれば、すぐ横で呑気に武器を下ろした今までの味方を殺すことは児戯に等しい。
―――相変わらず、悪趣味な。
感情を跳ねさせるな。動揺ごと怒りを押し殺す。もっとよく観察しろと己に命じる。僕は情報を取得することに長けているのだから、それを活かさなくてはいけない。
PoHから伸びるオーラは中韓プレイヤー全員に影響を与えているようだが、その影響の大小は人それぞれだ。そして最初に鬨の声を上げた者達以外でも、彼らに抗って戦っている間にPoHの影響下に陥るプレイヤーがいた。
仮説を立てるならば、PoHの心意は人の害意や敵意を増幅させる効果があるという説か。そしてPoHの心意を受け入れてしまえば思考と行動が制御される。つまり、内輪揉めであろうと中韓のプレイヤー達が争えば争うほどPoHの手駒が増えるということ。戦闘中に敵意――それも増幅された――を解くことほど難しいことはないから、PoHの術中に落ちた者を救う術を僕は持たない。
「師匠! この状況、どうすれば!?」
僕の方に手を振って駆けてくるのは、いつの間に来ていたのか、リーファだった。他のメンバーと違ってそのアバターはALOのものではない。きっとアスナやシノンと同じくスーパーアカウントを使っているのだろう。残りの《地神テラリア》か。
「……現状、策はない。PoHを見つけだして始末するのが手っ取り早いけれど、奴はもうあの中に紛れた。きっと見つけるには中韓全員を蹴散らさなきゃいけない」
「それは……、私でも無理です」
「ああ、さっきの。あれ? 《広範囲殲滅攻撃》は太陽神の権能じゃなかったっけ」
「さっきのは私のHPを破壊力に変換したんです。フリーオさんって人に提案されて、シェータさんとイスカーンさんが術式を考案してくれました」
「その三人は?」
「リルピリンさんのオーク軍を援軍に連れていって合流しました。そこで戦うつもりだったんですけど、フリーオさんに師匠達の援軍に行くよう言われて、馬まで貸してもらって」
―――流石、欲しいものが全部分かってる。
僕らが今こうして話していられるのは、中韓勢が仲間同士の戦闘に終始しているからだ。その様子を見るに、戦闘に向かわせることはできても細かく狙う対象を設定することはできないのだろう。
中韓プレイヤーでまだ正気の者が周囲で暴れ出したプレイヤーを抑えており、またその中からは《
リーファに続いてアスナやベルクーリらも集まってくる。人界軍を中心にした円陣はまだ維持できているが、既にデフォルト装備はほぼ全滅しコンバート勢も半分ほどになってしまっている。どうにか中韓プレイヤーが同士討ちしている間に解決策を生まねばならないのだが。
「今のうちに離脱するとかは?」
「それも一つの手っちゃ手だが、仲間内でやり合っているとはいえ囲まれていることに変わりはねぇからな。近づいたらこっちに刃を向けてくる。突破するにも犠牲がかなり出る」
「閣下、いっそ峡谷まで戻っては? 暗黒界軍と手を組めば……」
「レンリ君、それは厳しい。こちらから峡谷に行けば、後を追ってきた奴らに対して谷を背に戦わなきゃいけなくなる。追い詰められに行くようなものだよ」
「やっぱ突破するしかねぇんじゃねぇの?
「それが良いと私も思います!」
「……『外』の人間ってのは『皮』を使ってるにしても躊躇がねぇな」
「躊躇なんて置いてきたわよ。痛みのある世界で戦うのにそんなもの邪魔でしかないもの」
クラインの提案とリズベット達の同意で作戦が固まる。日本プレイヤーが血路を開き、人界軍を守りつつ包囲された現状を打破するのだ。
それぞれが動き始めたとき、陣の真ん中に青い光が二筋降り立った。
「一つ、私に任せてみてくれないかな」
堂々と胸を張ってみせたのは《ユナ》だ。その後ろに従者のようにエイジが控えていた。
「ゆ、《ユナ》!?」
「嘘、え、本物……?」
その長い白髪が特徴的な容姿を見て、日本プレイヤーがどよめく。人界軍は状況が把握できていないが、誰の許諾も得ぬままに《ユナ》は陣を歩み出た。
「さあ、みんな、行っくよー!」
《ユナ》がライブの開幕を告げる声を高らかに鳴らす。右手に持ったマイクを口元へと近づければ赤い大地に音楽が流れ始める。
「あ?」
「何だ?」
「おい、あれ《ユナ》じゃないか!?」
「やっぱり日本サーバーじゃない!」
それは《ユナ》の大ヒットシングル。彼女の人気は日本に留まらず東アジア各地に伝播している。その曲を知る者も多い――いや、VRに触れる者なら彼女を知らないということはまずない。その衝撃が戦いを鈍化させた。
そして世界の色が変わる。
《ユナ》が言葉を音に乗せる。軽やかにメロディーを紡ぎ、リズムに合わせて体を揺り動かす。それだけで視界の彩度が上がり、地が潤う。
SAOサバイバーのユナはALOで全く新しい音楽妖精のアカウントを作り始めたが――《ユナ》と同じ顔ではまともにゲームなどできないからだ――、AIデータの《ユナ》の体の素体はSAOのユナのものだ。アンダーワールドへのログインにはそちらを使ったには違いない。
心意を使うのに必要なのは『心』と『出力』だ。アミュスフィアでは出力の問題が解決できないが、AIとして直接世界にアクセスできる彼女なら心意を存分に使える。
正しく文字通り『心』の籠った歌声は、聞く者のささくれ立った心を癒し、目にできる形としてはリソースをあらゆるオブジェクトに配り、そして彼女が味方と判断した僕達にバフを与える。
気づけば周囲に剣戟の音はなくなっていた。ただただ音楽と《ユナ》の歌声だけが響き渡り、その場の者はただ一人を除いた誰もがその歌に聞き入っていた。
「何だ、テメェはよ!」
エリヴァのときと同じだ。周囲の誰にも気づかれずに近づいていたPoHが包丁を振り上げる。だがあのときと違うのは、彼を止められる人間がいること。
「させると思うか!」
振り下ろされた包丁をエイジが弾く。ユナも歴としたSAOサバイバーであり、《ユナ》にもその要素は継承されている。一度認識した敵に背中を向けるようなことを彼女はしない。
なおも歌姫に斬りかかろうとする暴漢の前に僕は踏み出し、包丁と鍔迫り合った。
「お相手しましょう、PoH」
「《白の剣士》……!」
その目は憎悪に塗れていた。
ちなみに人間のユナは重村博士ストップがかかったのでダイブしていません。
こちらが何とかすれば、あちらがより強力になるのは道理でした。原作よりも心意強め――というか自覚的?――なPoHさんでお送りしています。中韓プレイヤーが多くなっているのは、アルゴさんが情報を拡散しまくったからですね。PoHに疑念を持つプレイヤーの割合を圧倒的に増やしましたが、同時にダイブしたプレイヤーの絶対数も増やしてしまいました。
主人公の演説は本当はもう少しPoHに対抗して過激で、プロパガンダを多分に含み、捏造情報まで盛り沢山のものにしようと思っていたのですが、主人公の業を考えて大人しめにしてみました。