足裏で風素を爆発させる。勢いに乗ってSubtilizerの背後に回り、《白夜の剣》をその首に振るう。
Subtilizerはこちらを見ることなくしゃがんでそれを躱し、回転しながら足元を蹴り払ってくる。それを飛び越えつつ兜割りを食らわすが、腰から抜かれた細身の黒剣に防がれる。
―――ここまで。
カウンターの殴打に足裏を合わせ、反動で飛び退る。衝動的な攻防はここまでだ。
「……ふむ。やはり君と
Subtilizerは黒剣をこちらに向ける。言葉の節々にシノンを匂わせてくるのは無意識か、嫌がらせか。
「本当に。貴方の相手をするのに世界を肩に乗せるのはいささか荷が重い」
思考を止めるな。単純化だけはいけない。熱情は捨てず、しかし流されず。シノンは飛行能力と地の利を持っていた。それなのに敗れたということは、この男にそれを覆す物があったということ。
飛行能力に関しては背中に生えた翼で補ったのだろう。左腕がなく顔の左側面に火傷があることから、シノンからは左側に反撃を食らったと想定されるが、あれが一撃であるとすれば相当な火力か近距離からだ。互いに飛行能力を備えていること、シノンがヘカートを扱っていたことを考えると、シノンは距離を詰められて敗北したと考えるのが妥当か。
つまりSubtilizerの移動速度は非常に高く、同時にシノンの行動予測を問題なく行う程度には戦いに長けている。ベクタと戦ったときから思っていたが、剣の腕では勝っていても戦闘自体の組み立てでは僕は奴に劣る。
―――正面戦闘を維持する!
再度距離を詰めて剣を振る。剣を交わしている間は僕の不利は薄れる。距離が離れ、より大きな視点での戦術争いになっては僕の勝ち目はない。
「こっちを忘れてもらっちゃ困るな!」
しかし側面から飛来した包丁の厚い刃が僕の肩装甲を破壊する。衝撃で腕の動きにディレイが生まれ、Subtilizerの剣が僕の顔に迫る。首を捻って躱すが、PoHの足刀で僕は地を転がる。
「くそ……ッ」
小声で罵る。そもそもが実力で負ける相手と二対一だ。時間を稼ぐことすら難しい。
援軍を望もうにも、彼ら相手では下手な数ではむしろ弱味になってしまう。PoHの心意が効いてしまう可能性を考えるとそれに対抗できると信頼できる相手しか頼れない。またリアルワールド人だけで解決できる争いであればアンダーワールド人を巻き込むことは本望ではなく、僕の意識が逸れる原因にもなってしまう。それを分かってか、ベルクーリは人界軍の人界撤退の指揮をしに向かっていた。
エイジはこの戦いに巻き込むにはやや実力不足。ユナに歌でバフをかけてもらっているため、彼女の護衛も残しておきたい。彼が戦う最大の理由であるユナのもとを離れるとも考えづらい。
立ち上がって二人と睨み合う僕の横に、神々しい装束の二人が立った。
「レント君、ここまでありがとう」
「後から来た男の方は任せてください、師匠!」
―――これは、頼もしい援軍だ。
単体最高戦力の二人の増援。これが現状の最善手だろう。流石にもうないと信じたいが、いつ外国プレイヤーの波が来ると分からない以上は他のプレイヤー達は人界軍の護衛に残すべきだ。
ダンッ
対峙するSubtilizerが真横に飛べば、先程までいた足元に弾丸が埋まっていた。
「悪かったわ、レント。足止めできなかった。――ここから二ラウンド目よ!」
その変わらぬ闘志に安心し、欠損した左脚に胸が痛んだ。しかし過度な心配はシノンへの侮辱だろう。空を飛ぶ能力が彼女にあって本当に助かったと思うべきだ。
「頼んだよ」
「「「おう!」」」
三度、地を蹴る。今度は同時に地を走る影がもう二つ、空を飛ぶ影がもう一つ。その姿が僕に更なる力を湧かせる。
「チッ、ブロ!」
「ヴァサゴはレントを相手すれば良い。因縁があるのだろう? 私は彼女達を落としてこよう」
「やれるもんなら、やってみろ!」
先陣を切ったのはリーファだ。彼女の真っすぐな振り下ろしをSubtilizerは掌で受け止める。
「ほう。新緑の若芽のような爽やかな味わいだな。ミントが香るようだ」
シノンの弾丸を後方に飛んで躱しながらそんな感想を奴は口にする。
「よそ見してんじゃねぇ、よ!」
PoHの一撃をいなす。一対一なら僕はPoHとは少なくとも拮抗はできる。
僕は先程の『白』で中韓プレイヤーを消滅させた。あれは光で情報を飽和させて強制的に回線を切断した……のだと思う。自分でも詳細に何をしたのかはよく分かっていないが、事実として彼らの天命が空間に満ちることはなかった。
それはすなわちPoHの包丁が吸収するリソースが増えなかったということであり、その力は一定のところで頭打ちだ。
「その目、相っ変わらず気に入らねぇ。俺は『黒』に折れてほしい。何度折れようと立ち上がってくるあいつが完膚なきまでに打ちのめされたところが見たいんだ。だがお前は違う。お前は最初に見たときから、ずっと折れている。折れてるくせに動き続けてる。それが俺は気に食わねぇんだよ!」
PoHの乱雑な包丁の振り回しを一撃受け止め、先程のお返しの足刀をお見舞いする。くの字に折れた背中に肘撃ちを落とす。それは転がるように回避され、逆に脛に包丁が向けられる。
右足で包丁を押さえれば、側転するように顔面に蹴りが向かう。左手でそれを受け止め放る。
「貴方の人を見る目は確かですね、本当に」
僕がシノンに指摘されてようやく自覚したことを、そんな昔からPoHは見抜いていたのか。純粋に感心する。
「……お前、何が言いたい」
「僕はこの世界で許せない人と出会いました。『愛』を知らない女性です。彼女と比べると――貴方は随分と『愛』を知っている」
PoHが激昂したように包丁を振りかぶった。大振りなそれをダッキングで避けて心臓を一突きで貫く。僕と違って鎧を着けていないポンチョは《白夜の剣》の前では無意味だ。
「くそ、クソクソクソ。日本人ごときが、知ったような口を叩きやがって!」
一度喪失した天命が、早戻しのようにPoHに流入していく。中韓プレイヤーの大半を消失させたとはいえ、戦場であったここで散った人命はかなりのものになり、それが分厚い包丁を通してPoHの体を動かしているようだった。
胸元に開けた穴や肩口からの斬撃痕などが修復される。
―――包丁の破壊、か。
PoHが直接リソースを吸収しているわけではない。あの包丁の破壊が優先項目だ。
「人の感情を理解している。ただその一事があるだけで、僕は貴方を『人』と認めます。その悪行も、また『人』の業の一つ。寛容になるわけではありませんが、省みるべきであって怒りを向けるべきではない。罪を憎んで人を憎まず。ただそれだけです」
「この、クソがあああ!」
PoHの突撃をいなして隙を狙うため後方に飛んだ僕の体を、別の何かが支えた。
「ふむ、面白いな、その論理は」
その声に背筋が凍る。血の気が引く。視線を彷徨わせれば、シノン、アスナ、リーファの全員が地に倒れ伏していた。
「ゴフッ」
PoHにやった仕返しのように、背後から剣が鎧ごと僕の体を貫いた。口から血が零れる。足から力が抜け、剣を抜かれて支えをなくした僕は崩れ落ちた。
―――大丈夫、致命傷だが即死はしない。
左手に生み出した光素で反射的に傷を塞ぐ。即死でなければ治癒が間に合い、整合騎士の体はそう簡単に即死はしない。
しかし回復とは大きな隙となる。SAOのような硬直時間がなくても、だ。
「舐めてんじゃねぇ、よ!」
大きく蹴り飛ばされて体勢を崩し受け身も取れない。PoHが僕に馬乗りになった。
「どうしてやろうか。指を一本ずつ切り落とすか? 目鼻を少しずつ削ぎ落とそうか。お前が泣き叫んで殺してくださいって叫ぶまでなぁ!」
「させ、るか!」
響く砲声はPoHの力を緩めさせ、その間にマウントポジションから抜け出す。振り返ったシノンはSubtilizerに片手で持ち上げられていた。
「まだ鳴く元気があったか」
「あたし達を、舐めないで」
フラフラと立ち上がったリーファが足元を踏みしめれば、その体に開いた傷が見る見るうちに塞がっていく。
アスナも細剣を杖に身を起こした。
「この足が折れるのは心が折れたとき。なら私達は永遠に立ち続けられる……!」
「つまらんな。気持ちだけで決まるほど戦場は甘くないのだよ」
Subtilizerの動きは速い。傷つき疲弊した今では目に留めることすら難しい。直感と予測でその剣を防ぐ。しかし二撃目が僕の膝を斬る。
膝を折ればPoHがいる。肉斬り包丁に剣を合わせるが、感触から言ってこの包丁のクラスは既に《白夜の剣》と同等。リソースを吸収していることを思えば、破壊は並大抵のことではない。
Subtilizerの素早い一撃がリーファの顔面を貫く。彼女は地を踏みしめて立つが、痛みによる動作の緩慢さは防げない。続く連撃で身を細かく刻まれる。
空を飛ぶシノンに対してSubtilizerは翼を広げて追いかけ、ドロドロとした心意の小剣を大量に突き刺す。串刺しにされたシノンは心意を呑まれ、《無制限飛行》を維持できずに墜落する。
三人の中で最も軽傷であったアスナが狙いを定めてソードスキルを放つ。赤紫のエフェクトを纏い、鋭い刺突で斜め十字を描く十一連撃のそれは《マザーズ・ロザリオ》。だがそれも半分は当たらず、Subtilizerに当たった残りの半分は彼から発生するオーラにエフェクトを剥ぎ取られてしまった。
―――勝ち目は、勝ち目はないのか……!
何か、状況を変えられる一手を思考する。三人の女神は無限に回復する――そういう権能だろう――リーファを軸に半ばサンドバックになりながらSubtilizerの時間稼ぎをしているが、それぞれが撃破される間隔が徐々に短くなり反比例するように戦闘に復帰するまでの時間が長くなっている。
しかしそれも無理はない。アスナとシノンはスーパーアカウント由来の大容量の天命を持っているとはいえ削れ続けており、天命の心配のないリーファも含めて痛みは等しく訪れる。彼女達の並外れた信念が戦いを続けさせているだけで、いつ音を上げてもおかしくはない。それどころか、このままでは現実に戻ったときに何らかの障害を抱えてしまう可能性すらある。
僕も今のPoH相手には拮抗が精々だ。心意のみで動いているPoHを負かすためには心を折るか、心意の軸となっている包丁を破壊するかだが、しかしそのどちらも難しい。
武装完全支配術による神聖力の吸収と持ち得る技を使ってようやく拮抗している今、切れる残りの手札は記憶解放術くらいしかないが、あれは隙が大きいためSubtilizerが自由なときには使えない。
そこで、僕は腰にある
身を捩って剣を抜くスペースを確保する。左手で柄を握り鞘を走らせた。
現れたのは透き通るような水色の氷の刀身。ユージオに託された《青薔薇の剣》だった。
氷の冷気を撒き散らしながら放った居合はPoHの胴を斬り裂く。その傷がたちまちに塞がっていくのを見つめる僕の脳には声が響いていた。
『――リト、起きてくれ。君の力が必要なんだ』
それはもうこの世界にはいないはずの青年の声。柄を握る左手から流れ込むその声が背筋を走り、脳幹を揺さぶる。気づけば、その声に思考が同調していた。
―――頼む。
――僕の英雄、キリト。
『僕の英雄、キリト』
ユージオの残留思念とも言うべき心意はオブジェクトに宿っていた。オブジェクトとはこの世界の一部とも言うべき存在であり、それと繋がった僕は感覚が拡張されるのを感じた。
かつて感じた経験のある全能感。僕の長けた分野である電脳空間からの情報取得能力はハードの出力の影響が小さく、アミュスフィアで感じることも多々あった。しかしナーヴギアを使う今と比べれば、それがいかに矮小な感覚であったかが分かる。
背中に目がついた、などという形容では到底収まらない。アンダーワールドの全ての空間を僕は把握していた。
脳内に声が聞こえる。高性能な五感として得たものでも、第六感ですらない。電子空間だからこそ感じることのできる、他者の心の声だった。
―――お願い、キリト君。私達を助けて。目を、覚まして。
―――あたしは《黒の剣士》キリトの妹。絶対に、倒れるわけにはいかない。そうだよね、お兄ちゃん……!
―――私には力が足りない。でも、レントが貴方を救おうとしているの。あの人に、貴方を救わさせて、キリト。
もっと、もっとだ。三人の声だけではない。セントラル・カセドラルで祈るカーディナルの声。《東の大門》で待つファナティオ達の声。アメリカ人プレイヤーを撃破した暗黒界軍とシェータの声。撤退を始めた人界軍の声。それを護衛しながら僕らの勝利を願う仲間達の声。あらゆる声が僕の脳内に流れ込んでいた。
それが《青薔薇の剣》を通じて僕に雪崩れ込む。その流れを止めてはいけない。僕は声の奔流を親友へと差し向けた。
―――聞こえるかい、キリト君。この世界の願いが。僕達の想いが。
「リリース・リコレクション」
その声は人界軍の中から聞こえた。人界軍の中の補給部隊の中の、更にその幌馬車の中。車椅子から彼は立ち上がり、傍つきの剣士から受け取った黒い剣を天に掲げた。
その光景を視た。僕は笑う。英雄の再誕を祝福して。
戦場を不可知の突風が駆け抜けた。それは神聖力の流れ。彼の剣は神聖力を吸収する性質を持っていた。それが発動し、渦を巻いていた神聖力が一斉に主を見つけたのだ。
それを明確に感知できるのは僕だけだ。しかしリソース源として使っていた神聖力を吸われたPoHは違和感を覚えて顔を上げる。その顔が醜く歪んだ。
「はは、最高だ、やっぱり最高だぜ、お前は」
事態に気づかないSubtilizerは倒れたアスナに剣を振り上げていた。しかしその剣がアスナに下されることはない。
カン!
軽い音と共にSubtilizerの剣は弾かれる。
「――
アスナの前に立った黒服の剣士は、その声にアスナを振り返った。
「ただいま、アスナ」
「おかえり、キリト君」
キリトに手を貸されてアスナが立ち上がる。シノンとリーファも、また同時に立ち上がった。
「……お前は何者だ」
闖入者のキリトにSubtilizerは誰何する。その言葉に乗って黒いオーラもキリトへと迫った。
そのオーラは、しかしキリトの目前でバリアのような力に阻まれた。片頬を上げたいつもの笑いで彼は返した。
「俺はキリト。剣士キリトだ」
言うと同時に、彼の姿は変わっていく。足元から黒いブーツとコートが現れ、懐かしのSAO時代の《黒の剣士》へと。ソード・ゴーレムと戦ったときの僕と類似した心意の発露だ。それはすなわち、自己の確立を意味する。
右手に黒い剣を構えた彼は、空いた左手でこちらを手招きした。
「どうぞ、ユージオ君からの贈り物だよ」
手を離せば、《心意の腕》に乗って《青薔薇の剣》はキリトの左手に収まった。そこが正しい居場所であると高らかに宣言するように。
「お前の名は」
キリトの短い問いに、Subtilizerはためらわずに答えた。
「私の名はガブリエル・ミラー。――お前達に死を告げる天使だ」
途端、ガブリエルの姿が黒いオーラに包まれる。強烈な心意の中で彼は人の形を失い、背中に六枚の翼を備え光輪を浮かべた天使のような姿となった。
「レント、ここは任せた」
「うん、任された」
キリトは剣を構える。姿が変わるに伴って黒い炎を纏うようになった剣をガブリエルが振る。僕が直接目にしたのはそこまでだった。
「キリト、キリト、キリト。こうしちゃいられねぇ。ブロに殺られる前に、あいつのとこに行かなきゃ……」
僕の目下の敵は、目の前でぶつぶつと妄言を繰り返す男だ。
「僕が行かせません。それだけ彼のところに行きたいのであれば、ログアウトでもして銃弾に身を晒せば良いのでは?」
「チッ、最後まで邪魔くさい奴が……!」
PoHは冷静さを欠いていた。いつもの彼であれば、「It's show time」と口にしてこちらの予想を飛び越えたはずだ。だが今の彼にそのような余裕も、思考の柔軟さもない。適切に対処すれば困難な敵ではない。
―――信じてるよ、キリト君。
研ぎ澄まされた感覚で、キリトがガブリエルと戦いながらパリィを応用して戦場を離れていくのを捉えた。猛スピードで攻防を繰り返しながら二人はこの場を遠ざかっていき、背中から白い翼を生やしたアスナもそれを追いかけていた。
PoHの我武者羅な攻めに僕は回避を重ねる。動き続けられる、攻め続けられる人間は存在しない。どこかしらで限界が来るものだ。
腰と肩を回しながらのフルスイングと、それに追随する左後ろ回し蹴りをバックステップで透かし、その呼吸の間に胸元に踏み込む。力を込めた斬りつけは包丁で防がれ、鍔迫り合いで拮抗する。
「バースト」
足元で熱素を炸裂させればPoHが体勢を崩す。足払いをかけてから胸倉を掴んで背負い投げで地面に叩きつける。とどめを刺しに逆手で突き下ろした剣先は包丁の刃で防がれた。
包丁の刃にピシッと亀裂が走る。
腹をPoHに蹴り上げられ、一度距離を取る――と見せかけて間髪入れずに攻撃を再開する。これまでヒット&アウェイを軸に細かくブレークを取っていた僕の連撃にPoHは面食らい、重心が後ろに寄る。烈火の勢いの攻めは全て包丁で防がれるが、数歩後退らせることに成功する。
包丁の刃の亀裂が更に伸びた。
そこでようやく一息置いた僕に、PoHが逆撃を仕かける。一発目はサイドステップで躱し、二撃目はスウェーバック。足蹴を後方宙返りで見下ろし、着地際の突き払いは手で刃を叩いて逸らす。
連撃を捌かれたPoHが包丁の刃にライトエフェクトを光らせる。
―――行くよ、ユウキ。
僕も呼応してソードスキルを呼び出す。それは《シスターズ・メモリー》。この世界のシステムに登録されてはいないが、できると信じればできる。それに今の僕は背中に彼女の後押しを感じていた。
『レントならボクの声が聞こえるかな。頑張れ。何もできないボクだけど、応援だけはいつもしているから』
ソードスキル同士が激突する。こちらの一撃目と二撃目、三撃目と四撃目、五撃目と六撃目がそれぞれPoHの三撃を相殺する。そこでPoHのソードスキルは終わりだ。
続く七撃目と八撃目が彼の左腕を斬り飛ばし、回避された九撃目を餌に十撃目でPoHの膝を折る。僕は最後の一撃を振り上げた。
頭から真っ二つになれば心意による回復もできないかもしれない。PoHは防御のために包丁を挟み込んだ。
そして十一撃目。
パキンという儚い音を立てて包丁は真っ二つに折れ、PoHの手の中でポリゴンへと還った。
そのとき、世界に『夜空』が広がった。
暗黒界の赤い空が一瞬で黒く塗り潰される。僕が放った『白』よりも圧倒的に広範囲に広がるそれはアンダーワールド全ての空を塗り替えた。
その『夜空』はキリトの心だ。彼の何者も受け入れようとする心、あらゆるものを包み込もうとする心。そういったものが具現化した姿なのだ。
未だ聞こえていた数々の声が『夜空』に吸い込まれていく。人々の思いを受け取った『夜空』は星としてそれを煌かせた。彼のまっさらな心が他者との交流で豊かになる様子にも思えるそれは、とても美しかった。
「あ、ああ、キリト。キリト。俺の愛した《黒の剣士》。俺が唯一人殺したくて、殺したくて、絶望した顔が見たかった男」
PoHの目はもはや僕を見ていなかった。滂沱の涙を流しながら幽鬼のようにふらりと立ち上がった。もはや天命も尽き、心意を支えていた武器すらなくしたというのに。
僕は彼のような男をかつて見た。元老長と呼ばれたその男は、死んでなお『愛』を叫ぶためにその身を炎に変えた。
―――もう、させないよ。
PoHは右手で空を掴む。朧気ながらそこには包丁の輪郭が浮かんでいた。僕は心意の軸が包丁にあると思っていたが、あれは支えているだけであって心意の本質自体はPoH本人のものだ。使い方さえ学べば包丁がなくとも行使できる。それを見せつけているようだった。
「だから、どけ。どけ。俺を通せ。俺にあいつを殺させろ。あいつが膝を折るところを見るんだ。俺はそのために生きているッ!!」
僕を僕と認識もしないままに、
「それもまた『愛』なのかもしれません。ですが、僕はそれを否定します。貴方を彼のもとに行かせはしない。それが僕の『愛』であり、貴方への慈悲です」
リーファがボロボロであったように、何度も死から回復したPoHにまともな体力も精神力も残ってはいない。見る影もないその攻撃が振り下ろされる前に、僕は《白夜の剣》を再び心臓に突き刺した。
暴走した心意は剣すら呑み込みその体を再生させようとしている。こうなってしまった彼への回答を、僕はただ一つしか持たない。
「リリース・リコレクション」
PoHの頭から足までが丸ごと一つの岩の中に取り込まれる。かつてダーニホグ村に存在した《災厄の岩》の顕現だ。
だがこれだけでは足りない。ただの封印では精神力を取り戻したPoHに破られてしまう。ゆえに僕は心を燃やす。
「《災厄の岩》。お前は太陽の写し身だ。ただ燃え続けるだけで良い。それだけで周囲は焼き尽くされてしまう。しかし太陽は破壊と共に祝福を与える。ただ燃え続けるだけで良い。それだけで周囲は恵みを受けることができる」
岩の中が段々と赤熱に染まっていく。僕の心意を燃料に、その水晶状の内部で延々と増幅させ続けることで温度を上げていく。
「お前は燃え続けろ。焼き続けろ。昼であろうと、夜であろうと。この地が終わるまで、太陽が墜ちるまで、地上の太陽としてあり続けろ」
焼ける。灼ける。内部のPoHの姿が燃えていく。何度再生しようと、その端から炭化して神聖力に変わり自らを燃やす燃料へと変わっていく。岩の中にあるものは全てが燃料になる。
―――はは、熱い、な。
《災厄の岩》を顕現して心意を注ぎ続けるためには、僕は核となっている《白夜の剣》から手を離せない。それは《災厄の岩》という疑似的な太陽が発する熱を至近距離で浴び続けることを意味していた。
遠くなる意識。熱で燃えていく身体。もしかすれば融けていたかもしれない。手を離さないという思いが右手を残し、身体が外側から消えていく。左手が燃え、右足が融け、髪が発火し、左足が落ち、目が零れ、それでも右手だけは離さない。
最後に僕に視えたのは、『夜空』を背景に燃え続ける地上の太陽、《厄災の岩》。
落ちることのないそれは『白夜』の相を呈していた。
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「――三柱の女神様が暗黒神の前に膝をついたとき、《星王》様が立ち上がって暗黒神を迎え撃ちました。ソルス様の寵愛を受けて太陽の力を借り受けた騎士様が、『白夜』を顕し暗黒神の側近の悪魔を《太陽の岩》に封印します。そして『夜空』を広げた星王様が暗黒神を討ち滅ぼしたことで異界戦争は終焉しました、めでたしめでたし。……ねぇ、これ何回読むの? そろそろ覚えちゃったよ?」
「うぅん……。やっぱり私カセドラルでお勤めしたい! あそこなら《白夜の騎士》様のお話いっぱい残ってるもん!」
「そう? なら明日からまた頑張ってお勉強しないとね。そのために今日はもうお休みなさい」
「うん! お休み!」
これにて《白夜の騎士》の物語はめでたしめでたし。
冷静に考えたらキリトVSガブリエルの方は原作とほぼ一緒なので描写しなくて良かったんですよね、なので一話にまとめてしまいました。
万事上手く行けば、明日エピローグを投稿して完結になります。
『白夜』にしたのは『夜空』との対比に加え、『太陽』と深く関係しているからです。太陽神の寵愛を受けた《白夜の騎士》っていうフレーズを使うためにここまで書いたと言ったら流石に過言ですが。
主人公にとって『心』を持たない敵というのが圧倒的に許せないようです。『心』を持ち、それに由来する懊悩に苦しめられる『人』に対しては、所業に対する怒りはあっても存在を否定するほどの怒りは覚えません。
この信念が固まったのはアドミニストレータという『心』を持たない人と出会ったからですね。彼女に会っていなければ、彼女に向けたのと同じだけの熱量でPoHを撃滅していたのかもしれません。