#48 帰着
『リアルワールドの皆さん、初めまして。私の名前はアリス、アリス・サーティ・ツーベルクです』
『僕の名前はユージオ・サーティツーです。よろしくお願いします』
僕はその記者会見をテレビ越しに眺めていた。
アンダーワールドでPoHを撃滅した僕はそこで意識を落とした。そして意識を取り戻したのは本土の病院であった。
聞けば、あの後もオーシャンタートルの原子炉が狙われたりだとか、それを茅場が解決しただとか色々とあったらしいのだが、その間の僕はナーヴギアを着けたまま昏睡していた。
その理由は様々だ。一つは単純な体力不足。一ヵ月も寝たきり生活をしていたところをあれだけ動き回ったのだ、疲労が蓄積していても何も不思議ではない。心意の多用による脳の疲労も踏まえれば、本人の意思によらず休息に入った体はむしろ正常と言えよう。
もう一つの理由はファントムペイン。こちらの方がより深刻であった。アドミニストレータに全身を切り刻まれた直後はそれどころでなかった――実際に脚を切断されていても同様に動いていただろう――のだが、《災厄の岩》の熱をあの距離で受けた痛みと合わせて僕の中にはしっかり残ってしまっていた。
その痛みを体が咀嚼するのに時間がかかり、結局一週間も目を覚まさなかったのだという。それからも切断された箇所の内出血が止まらなかったり、全身に火傷を負ったような炎症が出来たりと身の休まることはなかった。
それらも二週間ほど経つ今では、元々実際の負傷ではないため痕も残らずに何とか収まってくれた。今は様子を見ながらリハビリを重ね、退院のタイミングを見計らっているところだ。
『――もしもこのリアルワールドの外側に更に世界があり、そこに住まう創造主がある日訪れて隷属を命じてきたらどうしますか。地に手をつき、忠誠を誓い、慈悲を乞いますか』
『僕らは既に多くのリアルワールド人と出会い、話し、親しくなりました。僕らは人間です。誇りを持ち、感情を持ち、意志を持つ人間です。僕らの足は貴方達に歩み寄るためにあるのであって、決して膝を屈するためにはありません』
―――言ってくれるねぇ。
八月の初め、準備と体裁を整えたラースは世界に人工フラクトライトの完成を宣言するために会見を開いた。テレビで中継されるそれには、アリスとユージオが特製の金属製ボディ――まるでそうは見えないが――を用いて臨席している。
記者の質問にアドミニストレータの言葉を踏まえた彼らが言い返すのはとても小気味良い光景だった。
目を覚ました僕は菊岡と人工フラクトライトの人権問題について論戦を交わすつもりだった。しかしその必要はなかった。神代を始め、比嘉までもがフラクトライトの人権を尊重する立場に立っていた。そしてその方針で菊岡は既に政争を進めていた。
他にも、ダイブした日本人プレイヤーのデータのサルベージ、広報協力者の社会的責任追及対策、米中韓のVRプレイヤーへの説明等々、僕が菊岡に要求したことは多岐に渡った。基本的には戦いに引き込んでしまったVRプレイヤー達関連のことではあったが、明らかになってしまったアンダーワールドや人工フラクトライトのことも含まれたそれらは、しかし予想に反してほぼ全てが対処済みであった。
『はは、それだけの働きを
菊岡はそう零していたが、僕は結局その
そんなわけで、オーシャンタートル襲撃事件と人工フラクトライト、アンダーワールドでの戦争の三つの直接的な繋がりは明かされずとも、それぞれの情報が僅かずつ世間に公開された。勘の良い者や実際に関わった者からすればその繋がりは明々白々であったが、わざわざそれを広めようなどという輩もいなかった。
片手間でSNSを眺める。この衝撃的な記者会見に関して、ネットの温度感で言えば大勢はAI擁護派、すなわち人権容認派であるようだった。一定の反論はあるようだが、アリスとユージオはザ・シード連結体に接続することで直に人々と交流を深めている。彼らと会話してなおその人格を認めないというのは難しい話だ。
流れていく言葉の中に会見での二人の堂々たる態度を賞賛し感銘を受けたことを報告するものをいくつも見つけ、少し誇らしい気持ちになる。誇りを持って善悪を判断し、力に屈さず正しいと信じる主張を押し通すことができる者だからこそ『右目の封印』を突破できた。そんな彼らが人として実に惚れ惚れする人格者であることは自明だ。
しかしそんな彼らでも気にすることはある。事態の解説に移ってしまった報道番組ではなく淡々と中継を流す動画サイトを見ていたら、ユージオが何かに気づいたように辺りを見回した後、突然立ち上がって会見の席を離れてしまった。神代は彼のそんな態度に動揺しているが、全てを理解した顔のアリスがフォローを入れていた。
「彼、どうしたのかしらね」
僕の病室のベッドの上、手元の端末を一緒に覗き込んでいた詩乃がそう口にした。
目を覚ましたときに見たリアルの彼女は非常に衰弱していた。僕が目覚めないということで多大なる心労をかけてしまっていたのだ。毎日病室に来てくれる彼女が次第に生気を取り戻す様を見ていると、どちらが見舞っているのか分からないくらいだった。
「……彼らは電脳体だ。どちらかと言えば、常時VRに接続してアバターの代わりにあの鋼鉄の体を動かしているに近い」
「つまり?」
「いつでもネット回線に接続できる。というかしている。その回線の端で何か気になることが起きれば、ユイちゃんみたいにそれを察知することもできるだろうね」
「――もしかして」
「目を、覚ましたのかもしれない」
僕の言葉に詩乃は喜びの驚きを示した。
アンダーワールドから帰還後、すぐに覚醒しなかったのは僕だけではない。和人と明日奈も目を覚ましていなかった。
オーシャンタートル襲撃者達は最後の悪足掻きでアンダーワールドの内部時間を非常に高速化した。そして安全性のことを知らぬまま、システム上限である五百万倍加速に踏みきってしまったのである。五百万倍加速では内部にいる人間の魂の寿命――フラクトライトの容量限界とされる百五十年――などお構いなしに時間が飛んでいく。
加えて五百万倍加速――限界加速フェーズと呼称される――では外部との接続の可変性が失われるため、途中からダイブすることはもちろん、途中でログアウトすることもできなくなり、メインコントロールルームから加速終了の措置を取るか、アンダーワールドのサーバー電源が落とされるまでは動き続けてしまう。
内部の人間に許されたのはたった十五分の猶予。その間も死亡によるログアウトはできず、内部コンソールからの脱出しか行えない。比嘉は和人達のSTLから直接ログアウトさせようと試みたが、それも十五分以上かかり限界加速は免れない。
そういったことを伝えられたキリトは、それでもガブリエルを排除することを選択したという。彼の目的が既にアリスになく、アンダーワールドの他の住人に移っていたことが明確であったからだ。彼を五百万倍加速の世界に放置したときアンダーワールドがいかに凄惨な目に遭うか、あの黒い心意を見ればありありと想像できた。
キリト伝いに脱出を促されたアスナもキリトと共に戦うことを選んだと、その場にいた詩乃と直葉から聞かされた。キリトや僕の心意による高速移動がなければあの戦場から《ワールド・エンド・オールター》までの短時間移動が困難という事実はあったが、彼女はたとえコンソールの目の前にいたとしても同じ選択をしただろう。キリトに孤独な数百年を過ごさせることなど許すはずもない。
限界加速に堪えられるのは有線接続されているSTLのみだ。それ以下の機体ではそもそも加速に対応できないが、衛星回線もまた五百万倍の情報の応酬には対応できない。そんなわけで限界加速フェーズに入ると外部のプレイヤーや六本木のSTLからダイブしていたシノンとリーファはアンダーワールドから弾き出された。流石のナーヴギアも五百万倍は荷が勝ちすぎたようで、僕は向こうの体――心意の方が適切か――が限界を迎える前に強制ログアウトになったらしい。先に限界を迎えていたら脳のスキャンが行われたかもしれないと考えると、SAOを思わせるロスタイムの戦いであった。
キリト達同様にオーシャンタートルのSTLを使っていた《PoH》と《Subtilizer》だが、彼らがどうなったかをラースは把握していなかった。モニタリングしていた結果から言えば、ガブリエルの反応は限界加速に入る直前にキリトに撃破されたそうだが、PoHの方は《災厄の岩》が大きすぎるノイズとなったせいで観測できなかったそうだ。
アリス奪還が失敗に終わり、生死不明の両名含めて襲撃者達は速やかに立ち去り事件は終わった。政府内で圧力や説得力を生むためのカードとして菊岡は自身の死を擬装したようだが、あれだけの騒ぎで実際に損なわれた人命がないのは素晴らしいことだ。
しかし、魂が損なわれていないかを僕らはまだ分かっていなかった。五百万倍の世界に取り残されたキリトとアスナもただちにログアウト処理をされたが、それが完遂したのは内部時間で二百年が経ってからのことだった。そして二人は未だに目を覚ましていなかったのである。
アドミニストレータやカーディナル、更には整合騎士のことを知る僕は万事カーディナルが上手く取り計ってくれたと信じていたが、二人が目を覚ますまでは気が気ではない。
着信音が鳴る。僕の携帯だ。ベッド脇のサイドテーブルに置かれていたそれを詩乃が手渡してくれる。遅れて詩乃の携帯にも着信が入る。二人で顔を見合わせてからそれぞれの通知を確認すれば、どちらも同じ内容であった。
『二人が目を覚ましました。 ユージオ』
『二人とも起きたって!』
僕に対してのユージオの連絡と、それが人伝いに――直接的にはリズベットから――やって来たシノンへの連絡はどちらも同じ内容を示していた。会見を続けるアリスの口元が緩んでいるのを見るに、彼女にも連絡が入ったのだろう。
「これで本当に終わったのね」
「そうだね。まあ、ベタな言い方をすればここからが始まりではあるんだけど」
AIの人権問題はまだ解決していない。ラースが擁護派に回ってくれているから助かったが、世論を明確にそちらに傾けるためにはまだまだ時間がかかるだろう。菊岡が政府を動かす材料とするためにも世論は味方につけておきたい。
「でも二ヵ月前と比べればよっぽど明るい始まりよ」
「……ごめんね。心配かけて」
「もう良いわよ。帰ってきてくれたんだもの」
はにかむ詩乃の髪を撫でる。帰ってきてからの彼女は二ヵ月前よりもかなり露骨になっていた。……きっと、和人辺りがいれば「人のこと言えないぞ!」なんて叫ぶのだろうけど。
「そう言えばずっと気になってたんだけど、貴方は二ヵ月前のことどのくらい覚えてるの?」
「銃で撃たれたところまで、かな。銃声の記憶が最後だよ」
「ああ、そうじゃなくて。だって向こうで何十年も過ごしたんでしょ? ……私のこと、ちゃんと覚えてる?」
詩乃の心細げな顔に思わず笑ってしまう。「真剣なのよ」と軽く小突かれた。
「それこそ心配は要らないよ。……記憶の繋がりから言って、僕の記憶は三つに分けられる。一つは生まれてからSAOを通ってシノンと出会った記憶。二つ目はVRが生まれるくらいから分岐してアンダーワールドを過ごした記憶。最後がシンセサイズされて整合騎士になってからの記憶だ」
僕は三本の指を立てて詩乃に示す。
「整合騎士の記憶は確かに数十年分ある。だけどこれはアドミニストレータが適宜消去と整理を重ねてたから、実はそんなに嵩張ってないんだ」
フラクトライトの容量に関しても考察していた彼女は、自身や整合騎士の記憶を整理――単調な日々の記憶は圧縮されている――することでそれに抗していた。僕もその恩恵を受けており、フラクトライト容量は圧迫されていないためその記憶は残っている。
「思い出した――ううん、取り戻した記憶は段々と上に積もっていくイメージを持ってほしい。実際に年月を過ごしたときみたいに、上に塗り重ねられていくんだ。整合騎士であった数十年の上に、僕はまずアンダーワールドを過ごした二つ目の記憶を思い出した。それから元々の記憶を思い出しているから、今の僕からすれば二ヵ月前の記憶は実際に二ヵ月前のように感じられているよ」
これには記憶の連続性――フリーオと出会った記憶は整合騎士化に伴って大胆に中断している――の関係もあるのだろうが、後から思うと詩乃のことを最後に思い出して良かったのかもしれない。
「そう、なのね。それは良かったわ。精神年齢とかは?」
「それも大して。整合騎士は人格の成長停止に近いから、心はいつまでも二十歳ぐらいさ」
詩乃は表情豊かに喜色を見せる。彼女の謝罪――僕からすれば謝罪する必要もないようなことであったが――を受け入れてから、彼女は昔よりも心配や不安といったマイナス感情を遠慮なく吐き出すようになり、同様に喜びのようなものも素直に示すようになった。
―――それが可愛いんだよなぁ。
以前の素直じゃない素振りも可愛らしかったが、などと考えて、自分がかなり重症であることに気づいた。
―――ちゃんと言わないと、ね。
******
それからまた一週間ほど経ち、僕は無事に退院することができた。一ヵ月の寝たきりを一ヵ月で解決したのだからこれは褒められるべきだろう。和人と明日奈もきちんと目を覚まし、記憶の処理を行って以前と変わらずに振舞っている。
―――互いの記憶を消したくなかったんだろうな。
アドミニストレータや整合騎士は変わらない日々を過ごしていた。大きな変革のない毎日は大雑把に処理したところで問題はない。しかしあの二人が毎日を無為に過ごすとも思えない。きっと変革の連続、新鮮の連続だったのだろう。フラクトライトの容量がいっぱいになるまで二人は記憶を詰め込んだに違いない。だから、目を覚ましてから記憶を処理する必要があった。
床払いを終え、病院の関係者に挨拶をして自動ドアを出れば、詩乃が待っていた。僕が入院していたのは死銃事件の際にも利用させてもらった最寄りの総合病院だ。僕の最寄りということは詩乃の家からも近い。迎えに来てくれたのだ。
「お疲れ様」
「久し振りのリハビリがようやく終わってホッとしてるよ」
並んで帰り道を歩き出す。あの日、僕らは一緒に帰ることができなかった。その続きをするように、ゆっくり、一歩ずつ踏みしめるように、足を動かす。
「ねぇ、貴方の家に行ってもいい? 少し、話したいことがあるの」
「僕も、話したいことばっかだ。だけどその前に、うちに来るなら掃除手伝ってくれる?」
二ヵ月も放置された我が家を思い、軽く笑いながら問いかけた。
「もちろん。二ヵ月も家主のいなかった部屋って埃とか凄そうだものね」
家に着いて鍵を開ける。たったそれだけの動作が帰ってきた実感を湧かせる。迎えてくれたのは蒸した空気だったが。
「……手伝ってね」
「……ええ、頑張るわ」
埃も凄かった。掃除機を引き摺り回し、窓を開けて換気しつつ光を取り込む。空き巣に入られたわけではないから部屋の物が散乱しているようなことはなかったが、棚から何から埃塗れで結局部屋を引っ繰り返すような作業になってしまった。
他にも悲惨な部分――水回りとか食品とか。梅雨の時期を跨いだことが部屋の悲惨さを増していた――は多々あり、全ての対処が終わる頃には日も沈み二人揃ってクタクタになっていた。
「あー……終わったわね」
「本当に、手伝ってくれてありがとうございました」
頭を深く下げる。一人だったらとっくに心が折れてしまっていたところだ。
それきり、沈黙が流れる。電池を取り換えたばかりの時計の針の音が響いていた。買ってきた水で唇を湿らして、口を開く。
「詩乃」
彼女の名前を紡げば、その音の心地良さを感じる。ここまで至っておいてまだ言葉にしていないと聞けば、アリスに叱咤されることは間違いない。自分でも他人がこの状況だったら間違いなく背中を蹴り飛ばすところだ。
「なぁに?」
詩乃は穏やかに返した。その様子は慈母のようで、きっと僕が何を言っても受け入れてくれるのだろう。
一度深呼吸をして、アミュスフィアに接続していたら強制ログアウトさせられるくらいに早まる鼓動を感じながら、続きを口にした。
「好きだよ、詩乃。ずっと言葉にできなくてごめん。君は僕の……最も大切な人なんだ。これから、僕の隣を歩いてほしい」
返答は要らなかった。言葉を詰まらせたような彼女は身を乗り出し、紅色に染まった顔を近づけ、僕と唇を合わせた。
これにて完結です。どうもありがとうございました。
最終話でちょっと遅刻するとかありえないですね、はい。ですが、連載二周年の日に何とか完結させることができてとてもホッとしています。ここ二週間ほどのバタバタ投稿、頻発するサブタイトル忘れなど醜態を色々と晒しましたが、どうにかここまで辿り着きました。
これからどうするかは思案中です。《白夜の騎士》としてはここで終わりですが、《白の剣士》の話をするべきか悩んでいます。ifのifであるこの流れではない、ifのtrueの流れを書くべきか否か。
ま、取りあえずはとても疲労が重なっているので休息を取りたいと思います。
改めて、ありがとうございました。