臆病だった。消極的だった。否定的だった。自虐的だった。
あの時の私は、『夜蜘 文香』だった。本当かどうかはさておいてね
今は?
恐怖を捩じ伏せた。誰よりも前へ出た。自身どころか他人すら肯定できた。自分に自信があるように振る舞っていた。
今の私は、『ヒーロー科の夜蜘 文香』だった。それでも尚、私は私だったのだろう
ただ、以前の自分がフラッシュバックしただけ。
信じれない人間達へ、私を否定してきた奴等へ、私を虐げたあなた達へ。
「文香」
意識が覚醒してきたようだ。私を呼ぶ声がする。私はこの手を取って良いのだろうか?虐めに遭っていた私を助けた、あの一筋の光をまた夢見ていいのだろうか?この疑問が出てくる理由など、一つしかない。自分が恐れているんだ。
自分が恐れていること位、自分で分かる。喪うのが、否定されるのが、嗤われるのが、存在を否定されるのが、私は狂気に身を堕とし兼ねない程に怖いのだ。
「文香、起きてくれ」
とっくのとうに起きてるわ。そんな軽口も出てこない。目を閉じたままに、私は自分の手が握られたのを知る。力強く、優しく、少しだけひんやりとしている。
焦凍、許されるのなら、その名を呼ばせて。ただ近くにいて欲しい、側に居る事を許して欲しい、もう一度だけ、あなたに憧れる事を許して欲しい。あなたに恋心を抱くことを、赦して。
「……お前、あの時言ってたよな。負けたくないって」
……そうね、覚えていたのね。
「誰にも、何にも負けたくないって、そう言ったのはお前だろうが!お前が自分に、過去に負けてどうすんだよ!」
頭で理解しても、心がそれを信じても、理性と精神の向こう側からやって来る恐怖があるのよ?私には、弱い私には到底無理だったのよ。所詮は、思い上がっただけの羽虫だったの。
「起きてるんだろ、文香」
「ッ……!?」
「やっぱりな」
掴んだ手を引かれて体を起こされる。閉じていた目を開くと、彼の悲痛な顔が飛び込んできた。もう、ここまで来たら全てを語ろう。全てを吐いて楽になろう。恐怖や不安に苛まれるくらいなら、もう。
「聞いてくれるかしら」
「おう」
▼▽▼
「私ね、最初は養子だったの」
「でも……こんな見た目をしていたら世間体や精神に参ってしまッたらしいのヨ」
あの頃のように、彼女の口が肉食昆虫のように分かれる。それどころか目も複眼気味になりつつある。キチキチと声を漏らしながら彼女は続ける。
「私が6歳の頃には2回、施設の引っ越しを経験してたワ。有り体に言えば、小学校に入ったら地獄は加速したワ」
「味方なんていなかったもノ。施設にも学校にノ。暴力は無かッたけど、1つの動作で3つか4つは罵詈雑言が雨霰。私に、居場所なんて無かッたノ」
首もとに顔を埋めながら文香はカロロ、と聞いたことの無い声を出す。
「中学生になったら、それは更に激化したワ。ほら、中学校って地元の小学校から人が来るでしょウ?だから内向的なグループになりやすいノ」
「……幾度と無く先生に相談したわネ。でも、誰も助けてくれなかっタ。それどころか加勢して、あまつさえその状況に漬け込んで手を出そうとする奴もいたワ」
「怒ッたノ?左側、熱いワ。……ふふっ、嘘ヨ」
見たこともない笑顔を浮かべる彼女。目に光はなく、無理矢理に細められているがその目は据わっている。いつもなら三日月を描く口は数本の食指か牙が揺れるだけだった。
「でも、1年の冬に貴方と会っタ」
「あの灰色の世界に、貴方が来タ。転校する1週間前だったかしラ?いつも通りに虐められた私に、貴方は見てみぬふりも、傍観もすること無く助けてくれタ」
「私ね、色んな所で色んな虐めを受けたワ。罵声は基本なんだけど、物を隠されたり、教科書を破かれたり、体操服が無くなッたりもしたわネ。それに、虫を食べさせられかけた事もあったワ。もちろん逃げ出したけどネ」
元の口へ戻った彼女は、更に続ける。
「それが日常だった。そこから逃げる努力すらしなかった。何もかもが無駄だった今思えば……ほら、あれよ……あの……学習性無気力ってやつ。そんな時だったのよ、貴方が来てくれたのは」
「辛かった、苦しかった、逃げ出したかった、怖かった、壊したかった、悔しかった」
「貴方がヒーローになるって聞いたとき、私はこの人と肩を並べられるんじゃないかって、貴方と共に歩む事を夢見たの」
「だから、そこからは勉強と個性の特訓だったわ。二年の秋には今の木蓮院に流れついたから、そこからようやく落ち着ける環境になったの」
「そして、今ここに来て貴方と再会したわ」
▼▽▼
「蝶はどうして蝶になるのか知ってる?」
「醜い芋虫が、懸命に外敵から逃げ続けて、安心できる場所でサナギになって、身も心もドロドロに溶かして身体を作り変えて蝶になって羽ばたくの」
「ねぇ、焦凍。私ね、やっぱり怖くて憎いの」
「虐めた奴等が、捨てた奴等が、今までの全てが」
心に火が灯る。
「貴方が言ったような人間じゃないのよ、私は」
じんわりと熱が広がっていく。
「過去を封じ込めて、それでも怖くて、だから違う自分を演じて……」
冷えきった手足に血が巡る。
「でも、私は心の何処かで分かってたのよ」
三度落陽を迎えた意志が、旭日する。
「好きに生きる事があいつらへの復讐だって」
「でもね、あなたに言われて、やっと覚悟が決まったの」
私は醜い芋虫から、今まで硬い蛹に閉じ籠っていたの。貴方のお陰で勇気が沸いた、また夢を見られた、忘れていた無傷の翼を得られた。
「約束するわ」
小指を出すと、小指を絡めてくれる。
これは、私が全てを乗り越える約束。
「私はもう何にも囚われない」
「ああ」
「もう過去を恐れたりしない」
「そうだな」
「これも約束する。私は、自分自身に負けたりしない」
「……そうか」
「そしてこれは宣言、貴方に向けて私がこれからをどう生きるのかを宣言するの」
指を離す。その離れた優しい冷たさに寂しさを覚える。
「私はもう負けたくない。誰にも、何にも。だから、好きに生きて、好きに死ぬわ。綺麗に、蝶のように舞ってね」
「……分かった。その約束と宣言を受け取ろう」
昼休みも終わりがけ、若干急ぎ気味にヒーローコスチュームから引っ張ってきた
「文香」
「なに?」
「……午後からも体育祭には出られそうか?」
「当たり前よ。この舞台は、自分自身に勝つことの証明と、あいつらじゃ画面越しにしか見られない場所に立って遠回しの復讐をするのよ」
既に賽は投げられた。蝶は既に羽化し、その羽根は飛べるだけの力を手に入れている。誰にも邪魔されない、あの大空へと飛び立つべき時は来ている。今さら怖じ気づく事もない。
地を踏みしめ、自身の脚で立つ。ストレッチ代わりに伸びを一つ。
「行きましょう」
「ああ」
私が、私であるために。
その為の一歩だ。