創約とある魔術の禁書目録1巻のネタバレです。
上条当麻視点の『アレ』をちょっと想像してみました。
色々と憶測ばかりですので、2巻が出たら即座にぶち壊される幻想という前提でご笑納ください。

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Think(≠Sync)ing_’bout_A.

 

 

 

 

 

 

 

 理解することと、同調は違う。

 

 

 

 もがき苦しむ何者かの姿にひとたび心を動かされたとして、だからといって、生涯を懸けてそいつを庇護してやろうなどとは普通考えつかない。どこにでもいる平凡な高校生には、行きずりの悲劇にそこまでして加担することなどきっと許されないはずなのだ。

 それでも――上条(かみじょう)当麻(とうま)は、例えば御坂(みさか)美琴(みこと)と一〇〇〇〇人近くのクローン人間を守った。

 拳一つ握りしめて、しがらみの一切に目もくれずに、『身勝手な欲望を振りかざす最低最悪の加害者』を殴り倒して黙らせた。

 見知った顔の少女達に死んで欲しくないという動機ひとつで。膨大な年月と金を費やされたプロジェクト、きっと何百人もの夢さえも一緒に潰した。

 あるいはその選択によって、どこかの誰かに計り知れない苦しみと困難を背負わせてしまったかもしれないけれど。だからって『それ』が間違いだったなんて思うわけがない。寝た子を起こすなと、クローンの人権問題になど一生気付かない方が良かったなどと、口が裂けてもそんな寝言は言わない。

 それでも、これは上条当麻にとっては過ぎた出来事。ここから先は、精々外野から見守り声を枯らすことしか出来ない領域だ。

 お節介で許される範囲を超えた干渉は許されず、あとは御坂美琴、御坂(みさか)(いもうと)、おおよそ一〇〇〇〇人生き残った妹達(シスターズ)――残された当人らが各々の幸せのために動いていくべきことだった。

 血まみれの右手で奇跡みたいなハッピーエンドを獲得した、その後にだって延々と続いていく、こんな世界のエピローグ。

 それこそが、云わば『加害者』であるアイツに対してさえ課せられた物語なのだと。

 

 

 

 だから一方通行(アクセラレータ)は。誰の共感も求めずに、たったひとりで『それ』を選んだ。

 

 そして上条当麻には、それを咎めるための義務も権利も有り得なかった。それだけの些細なお話だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……少しは変わったのかもな、この街も」

「本来がこうあるべきだった、そう言い捨てるだけなら簡単な事なんだけど。腹立たしいことに全部が全部アイツの思惑通りよ」

 いつもの公園にて、先手を切って自販機に小銭をいくつか流し込む。

 ブランコを交代で漕いだり、鬼ごっこではしゃいだりする子供たちの可愛らしい歓声を耳の裏で聞き流しつつ。ダッフルコートに身を包んだお嬢様は得意技である回し蹴りの機を奪われたことがよほど不服なのか、微妙にむすくれながらも不承不承と自らの財布を取り出していた。

 ガコンと落ちてきたホットドリンクの缶をふたつ手に取り、上条当麻は背後にいる御坂美琴へと片方を手渡す。何故だかいっそう赤くなった顔で彼女は代金を渡そうとしてくるものの、年下の女の子にこの立ち位置から改まって払わせるほど堕ちたくはない。いや財布事情は完全に堕ちているし少しも先輩面して偉ぶれる状況なんかではない訳だが、こういう時の一二〇円は今夜の晩ご飯一品よりも惜しんじゃダメなヤツである。

「面倒臭いヤツ」

「うるせえよ。少しは格好つけたいの」

 カシュ、と音を立ててプルタブを開ける。

 一七時にもなっていないのに薄闇を混ぜ始めた野暮用帰りの夕焼け空に、ゆったりと流れる真っ白な飛行船。鼻の近くを漂う温かなコーヒーの香りに釣られるように、ただぼんやりした眼差しでそれを見上げた。

 お腹の部分をスクリーンとして映し出す夕方のニュースには、世界で一番悪名高い王様の顔。

 上条にとっても美琴にとっても、今となっては見慣れてしまった真っ白な『人間』は、今日も彼らには想像すらできない領域におけるゲームの盤上に君臨しているようだった。

「しかしまあ、髪伸びたよなーアイツ」

「……あのツラを見てそういう牧歌的なコメントを寄越せるのは、今やこの世界じゃアンタぐらいのモンだと思うわよ。いろんな意味で」

 呆れた調子で吐息を絞り、美琴は頭上に浮かんだ飛行船からふいと視線を外す。

「私は、毎日ニュースを見る度に腹が立って仕方がないわ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――自分一人で重たい十字架を背負ったような顔をして、いったい何様のつもりなのよ」

 加害者側だって言うんなら少しは他人を巻き込んでみろっての、と。悪態をつく彼女の()えた表情は、あの日のような果ての無い絶望を宿す昏さとはまた少しだけ性質が異なっていた。

 ハワイの地で垣間見た少女の中の『血なまぐさいトラウマ』は、少しぐらいは薄らいだのだろうか。いいや、本当は多分そんなわけが無くて、刻一刻と変わりゆく現状に無理矢理納得感を得ようとして自らをアジャストさせていった、そういう努力の成果なのだろうと思う。

 個人の感情よりも、誰かの感情を優先させた結果としての『受容』。

 あの怪物――そしてこの街全体の悲劇に対する煮えたぎるような嫌悪と侮蔑の感情は、いくら彼女といえど簡単にポイ捨てできるわけが無いのだ。その上で他人を思いやり、善意に基づき現状に対して最も相応しい行動が取れる美琴のことを、上条は一人の人間として眩しく思った。

 ピロン、と。彼女の手に握られていたカエル型の二つ折りケータイが音を鳴らす。

 苦いコーヒーを含みながら肩を縮こませ、上条が何の気なしに視界へと収めた小さな液晶画面には――よく似た顔の四人組が流行りのカフェにてケーキを奪い合う、騒がしくも微笑ましい十五秒程度の動画が映っている。

「ちょっと、ナチュラルに人のケータイ覗き見すんな馬鹿。これが隠し事だったらぶん殴って忘れさせてたわよ」

「あ、確かに。悪いな、なんか賑やかで楽しそうだったからつい釣られて」

「……まぁ、そうね。楽しそうよね」

 くすりと笑みを漏らしながら、美琴は送り付けられてきたメッセージに対して簡素なスタンプを返信する。

 丸っこくデフォルメされたポップなカエルの笑顔とは裏腹に、画面を見下ろす少女の微笑はいつだってどこか複雑だ。

「いっつも楽しそうに見えるのよ。どんな境遇にあったときも――辛いとか苦しいとか、この子達からそういう言葉は一言も聞いたことがない。食べたい物を食べて、行きたいところに行って、いつだってひたむきに前を向いて生きてる」

「……」

「彼女達は、世間が思うような可哀想な『被害者』ってだけじゃない。そんな当たり前の事実を思い知らされる度に、いつだってただ『救う側』として思考を突き詰めようとする自分の傲慢さを自覚させられるわ」

 同じ顔をしたクローンが堂々と街を歩き、雑踏に溶け込んで仲睦まじく暮らす光景。

 それはきっと、本来あるべき幸せの象徴だ。誰にも侵害されるべきではないし、後ろめたい感情を抱えたままでビクビクと怯えながら享受するようなものでもない。たったひとり、裁かれて然るべき悪人が裁かれたことによって齎された『当たり前』の世界を、上条当麻には何一つ否定する権利がない。

 けれど、飲み込み切れない何かがあった。

 それはおそらく、御坂美琴も同じで。

「――――――、」

「……『救いたがり』が貴様の病気なのは百も承知だが、自らの処遇を他者に委ねた罪人が望むものなど遥か昔から決まっている。――それまで己が理不尽に奪ってきたものの精算、それだけだ」

 白いパーカーのフードから、小さく囁きかける声があった。

 それまでただ微睡むように会話へ耳を傾けていた小さな魔神は、『理解者』にだけ聞こえる声のトーンでゆるりと言葉を紡ぐ。

(いたずら)に掻き乱すことは司法への反逆以前に、彼女達がようやく歩み出した道筋をただ振り出しに戻すだけだぞ。まぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その行為の重大さなどは痛いほどに分かっているんだろうがな?」

(……分かってるさ)

 分かってはいるよ、オティヌス。唇の動きだけでそう応える。

 現状、ヤツが導き出したソリューションは上条当麻にはどうしたって突き崩せない。未だに納得こそいかないものの、アイツの覚悟はあの日にきちんと受け取ったから――そしてそれ以上に、『あれ』によって当たり前の幸せを取り戻しはじめた妹達(シスターズ)の歩みを、単なる納得のいかなさだけで引き留めることなど有り得ないから。

 そう。一方通行(アクセラレータ)を殴り飛ばしてエゴに溢れたハッピーエンドを齎した上条当麻は、今やどうしたって観客側だ。

 例えば傍らの美琴同様、とある小さな少女の付き添いで初めて訪問したあの場所。ニュース映像に連日映し出される『仕事』用の部屋とは程遠い独房の中。病的に白い顔立ちの少年が、ただ真っ直ぐに赤の眼光を差し向けてこちらを見据えてくる光景に、上条ひとりが息を呑んだところで。

 

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 その存在にようやく気が付いて――――今さら美化も劣化もなく、正しい『贖罪』の意味を悟ったところで。

 今、この場に於いて、在るべき主人公は上条ではない。ボロボロに擦れた手首を隠しながらこの街に君臨する、たったひとりの王様なのだから。

 

「――ちょっと、アンタ大丈夫な訳? なんか妙に顔が険しいんだけど」

「ん。いや、何でもねえよ」

 誤魔化すように笑って、既に体温並みにぬるくなってしまっていた苦い飲み物を何口か啜る。

 牢獄というものは、手足を縛るということは、いざ目の当たりにすると想像よりもずっと重く冷たいものをこちらの胃の中へと落としていく。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、ヒトの脳では処理できずに摩耗しきってしまった無間地獄の記憶はひどく朧ろげだった。

 ……いいや、きっと。上条当麻は統括理事長に課せられた『罰』そのものがこんなにもショックだった訳では無い。

 こんな『人間』にハンパな同情心を寄せること自体間違いなのだと、そんなことをご本人様からは言われてしまうかもしれないが――上条が今奥歯を軽く噛み締めている要因はそこでもない。

 ただ、こちらの脇から離れてあの薄暗い部屋へと真っ先に駆け寄ってみせた、小さな少女の姿が。

 いつもと変わらない底抜けの明るさで、動揺のひとつさえも見せることなく笑っていた。屈託のない笑顔で前代未聞の大罪人に話し掛けるあの姿が――打ち止め(ラストオーダー)の懸命な身振り手振りが、上条当麻の網膜には今尚はっきりと焼き付いていた。それが全てだった。

打ち止め(ラストオーダー)。今日はすごく嬉しそうだったなって、思い出してさ」

「――――――」

「あー……、ガラス越しじゃない場所で会えるのは保護者連れの時だけなんだっけ? アイツの勾留の仕方もまだまだ様子見の段階なのかもしれないけど、その辺の規則がもう少し緩められたら良いのになというか。なんだろう、その方がお互いに幸せじゃねえか」

「……そうかしら、ね」

 そんな生温い容赦に意味はあるのか、とでも言いたげな淀み方をする美琴。

 この辺り、ヤツとは単に『知り合い』でしかない上条とはどうしたって同じ物の見方では済まされない。小さな両手で包んだカフェオレの缶をぐいぐいと飲み干し、湿らせた唇で語るのは、あの地獄を垣間見た上条当麻に対してだけ明かしたい本心なのだろうか。

「非情だって思われるだろうけど。……本当は、こんなことじゃ全然帳尻が合ってない。たとえ何をされたとしても、絶対にアレの存在を認められないって。頭の片隅ではずっとずっとそんなことを考えてる」

「御坂?」

「だって、最初から『こう』だったなら、今の私には多分こんな歯がゆさすら有り得なかった。当然の報いだって……むしろ生温い、同じ数だけ殺されてしまえばいいんだって喚き散らしていたはずだから。そりゃあ、私自身の禍根は単にへし折られたプライドの問題で済ませられるわよ。長い時間さえ掛ければ、アイツが治めるこの街で心の底から笑い合える日もいつかは来るかもしれない。でもあの子達は、あの子達にはもう――」

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 自らの腕を抱きしめて、御坂美琴はただ静かに眉を歪めた。学会、SNS、繁華街のデモ行進、小中学校のホームルーム。誰も彼もがお手軽に学園都市統括理事長を史上最悪の殺人鬼だと罵って侮蔑する、そんな時代において――他の誰よりもリアルな『本音』を何一つ打ち明けられないまま抱えている。辛うじて光の世界に立ち止まった側の人間として、ただ『お姉様』は明るく振る舞い、妹達(シスターズ)の中に芽生えつつあるほんのわずかな罪悪感さえも拭い去ろうと足掻き続けている。

 凄まじい重圧だろうと思う。

 それこそ、ただ身勝手にも期待して我が子を谷底に突き落とした第一位などよりもよほど生々しい苦しみを背負い込んで――――御坂美琴という少女に課せられたその『重たさ』は、到底計り知れない。

「……、つまらんな」

 その言葉だけを漏らして、手のひらサイズの魔神はフードの中でゴソゴソと寝返りを打つ。後はもう傍観に徹するから話し掛けるなという意思表示なのだろう。

 とうに冷え切ってしまったアルミ缶を握りしめ、上条当麻は尋ねる。

「……止めたいと思うか? アイツらの選択」

「アレを裁く権利は私には無い」

 即答だった。

 使い慣れたマニュアルを、それでもなお指差しでひとつひとつ確認していくように。御坂美琴は、かけがえのない『妹』と交わした大切な約束を、幾度となくその指先でなぞっていく。

「あの子達は言ったわ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。何の飾り気もないその言葉が、きっとたった一つの答えなんだと思う。……だったらもう、あの罪人なんかに今更何をインプットされようが、私は私なりに考え続ける。私にしかできない手段で『こちら側』を守っていく」

 それだけのことしかできないでしょう、と。

 幼い少女が殺人鬼に駆け寄って、擦り切れた手首を小さな両手でいつまでもいつまでも(さす)り続ける光景――それを黙って見守っていた御坂美琴は、こうして静かに結論づけた。

「――――――――――」

 胸に刺さったいばらの棘は、鋭い。

 痛くない? つらくはない? つい先ほど保護者の元へと送り届けた少女の幼くも柔らかな声が、今も耳から離れなかった。

 黒いワンピースにソックス、ラベンダーピンクの子供用コートを腰に巻きつけたその姿。お仕着せではない真新しい衣装を纏った打ち止め(ラストオーダー)は――今頃は暖房で惜しみなく温められた部屋の中、何か考え事でもしているのだろうか。

 二度と彼が戻ることは無い、その『家』で。

「――っと、なんか意味不明に湿っぽくなっちゃったわね! 調子狂うったら本当あの野郎。うー寒い寒い、私達もそろそろ帰らないと」

「……ああ、そうだな」

 空になった缶を揃ってゴミ箱に放り捨て、そのまま二人は解散となった。いつも通りの距離感と言葉、どうせ明日明後日にでも通学路にて顔を合わせるのだろう、そんな調子でこれといった名残を惜しむことも無く手を振る。

 ぱたぱたと、交錯するいくつかの足音が上条の緩慢な足取りを追い抜いていく。

 あの子よりも二回りほどは幼いだろうか、小さな体躯の子供たちが夕闇の中を元気よく駆け抜ける。指を差して追いかけるのは、相変わらず退屈なニュース番組を垂れ流し続けていた巨大な飛行船だ。

「――――――待て待てー! あはは、悪いやつはやっつけてやるー!」

「逃げるなー! ひきょうもの!」

 笑っている。ひどく無邪気な表情で。

 どこまでも白い学園都市統括理事長が――海外メディアの詰問じみたインタビューに流暢な英語で応えている、ありふれた衛星中継の編集映像に。

 はしゃぎながら、じゃれ付きながら。幼く無垢な子供たちは、真っ直ぐで微笑ましい正義感を何一つ惜しむことなく言葉に出していた。

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 皆が当たり前に笑っていられる。

 皆が当たり前に、悪いヤツから良いヤツを守ってくれる。そんな学園都市がアイツの『夢』だと言うのだから。

 バトンは確かに受け取った。今はただ、その途方もない覚悟を尊重しよう。『こちら側』における自分達ができる限りの範囲で、きっとその『夢』を守り続けていこう。

 

 理解することと同調は、違うのだけれど。

 

 上条当麻は今だって、やるせなく歯を食いしばりながら寒空の下で立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――――――ちょっとそこのゴロ寝シスターさんよ』

『なあにとうま。補習の宿題なら自力で解かないと自分のためにならないんだよ』

『そうじゃなくてさ。罪を償うってのは、結局のところどういうことなんだろうな?』

 過去の履歴を辿る。思い出す。考え抜くためには材料が必要だ。

 その会話を交わしたのは一昨日かその前の日か。同居人に何気なく教えを乞うたきっかけと言えば、やはりその晩もニュース番組で淡々と映し出されていた『知り合い』の仏頂面だったのかもしれない。

 んー、とやる気のなさそうな調子でインデックスはしばし唸ってから、それでもきちんと背筋を伸ばしてこちらに向き直ってくる。この辺の姿勢は魔術師というヤツの共通項か、あるいは彼女自身が教えを説く修道女であるからだろうか。

『主に仕える身である私には、基本「私達の信仰(こちら)」における考え方しか話せないけれど。多少は現代的な一般論も交えた方が通りは良いよね? この街のルールとの擦り合わせとかは都度そっちで判断してもらうってことで』

『長ったらしい前提から入るのは学者(インテリ)臭いよな。んな細かいことは求めてねえよ、別にレポートとかのネタにしたいって訳じゃないんだからさ』

 ふーんあっそう、と。ひとたび解説スイッチが入ったインデックスは上条からの不躾な発言もまるっとスルーすることに決めたらしかった。いつもならうっかり肩や腕に赤い歯型が刻まれていてもおかしくない。

 とにかく純白シスターはそれから文字通りの説教よろしく小難しいお話を――実際には馬鹿の上条向けに死ぬほど噛み砕いて色々話してくれたのだろうと思うが、悲しいかな大半は右から左だった。まったく気まぐれの興味本位などでガチ勢に話し掛けるべきではない。

 その中でもうっすらと覚えている事項といえば、せいぜいこの程度で。

『――償いとはすなわち賠償、といっても霊的な……精神的なと言い替えてもいいかな? とにかくそういうものだね。やたらとお金や苦役だけを差し出せば済むものじゃないけど、それでも対価は必ず要るの。それを払うことで己の悪性から魂を解放させて、ようやく正しい関係を構築することが許される』

『関係?』

『矮小な人間どもが神様と呼ぶ存在――何よりも尊いとされる()()()()との和解。そんな所で概ね間違いはあるまい』

 直前まで元気いっぱいの三毛猫と徒手空拳で格闘していたオティヌスが、ふわふわの金髪をしこたま縺れさせたままこちらへと戻ってきた。その出来事は丁度このタイミングだった筈だ。

 安全地帯のフードの中へとすっぽり収まって、正真正銘の女神様はようやく人心地が着いたようにこんなことを語ったのだった。

『地上に齎された「神の子」は人間どもの罪とその結果を贖うために、自らの血を通して対価を支払った。……本来産声を上げた瞬間から罪にまみれた存在であるところの人間は、「それ」が無いと神からの大いなる愛さえ受け取れないという寸法さ。随分と脅迫的な教えもあったものだな? 天国とやらには今頃、太っ腹なメサイアの奢りで自由を与えられた敬虔なる元罪人が溢れかえっているんだろうよ』

『人が信じるものを無闇に茶化さない!』

 現役修道女からイエローカードをぴしゃりと突きつけられ、神は不機嫌そうに舌を出してからそれきり黙り込んでしまった。

 そもそも原罪がどうとか言われても直感的にピンと来ていない一般的高校生が頭上にハテナを浮かべているのを察し、インデックスは小さく咳払いをした。

『まぁ、日本人向けにものすご――――くわかりやすく言うと、「みんな何かしら悪いことしながら生きてるんだから幸せになるためには努努(ゆめゆめ)サボらず善いことを積み重ねていこうね」ってこと。超訳、情けは人の為ならず』

『そこまでザックリでいいのかよ!?』

『相手の文化圏に合わせた料理法と味付けで話すのは私達の基本戦術だからね。だって根本的に「土台」が違うんだから、私達の信じるものをそのまま語ったって飲み込みづらいのは仕方ないんだよ』

 異なるOSでは同一のプログラムを走らせられないようなものか。罪の文化と恥の文化、そんな言葉は上条だって聞き覚えがあった。日本人の良心ってヤツは外付けなのだと一概に言われてしまうと何か悪口のように聞こえなくもないけれど。

 つまりは『神様』を『他人様』に、『罪』を『迷惑』に置き換えて話を聞くのが近道だと、そういう突貫的なアプローチなのかもしれない。

『なんだろう、こっちの常識に変換しようとすると一気に有難みが無くなった気がする』

『有難がるばかりで居眠りしてたら説教の意味が無くなっちゃうでしょ、ちょうど五分前のとうまみたいに』

 ぐうの音も出なかった。

 埃を被ったまま仕舞わせておくよりもむしろ有益なツールとして活用してもらうべきと考えるタイプなのか。一〇三〇〇一冊の邪本悪本を抱え込む魔道書図書館は、『知恵』の使い方についてはどうも色々と思うところがあるらしい。

『教えからはちょっぴり離れるけど――究極のところ、信じるものはなんでもいいんだと思うよ。ただそれを自覚することが本質的な「救済」の始まり。私にとっては宗教観で、この街の人達にとっては超能力かな? 対価についても明確にこれだと決まっているものがあるわけじゃないしね、本人が自ずと納得出来ればそれでいいの』

『そんなもんかぁ?』

『そんなもんだよ』

 コタツの上にあった丸いミカンを両手で転がしながら、インデックスは口元だけで笑って見せた。

 完全記憶能力を有する少女は、忘却という概念を知らない。それは日頃目にするニュースや、一言二言言葉を交わした知り合いの顔だけに限った話じゃなくて。

 デマや扇動も含めて造り上げられたセンセーショナル、隠された『真実』とやらが大衆のもとに暴かれた瞬間。どうしようもなく心中に湧き上がるような一過性の戸惑いや疑問、憤慨、加害者に対する嫌悪さえ――――彼女は絶対に、忘れたくとも忘れられない。いずれ世間の誰もがこんなゴシップに飽き果てたところで、彼女だけは生々しい傷口のまま、その痛みを保持し続ける。

 それでも、インデックスはこんな時だって、決して微笑みを絶やそうとはしなかった。

 

『……残酷な発想だけどね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そう考えることもできるんだよ』

 

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 テレビ画面の中、極悪人として切り取られた真っ白な『人間』を眺めながらそんなことを宣う少女は――あらゆる悪性を刻みつけられた身の上で、それでも、どこまでも穏やかに彼のことを語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とうまおかえり――――わっ、耳もお鼻も真っ赤なんだよ!? 早くおこた入って入って、風邪ひいちゃうかも」

 考えて考えて考え抜いて。それでも、端から傍観者に結論なんて出せるものでは無い。

 ドアを開けてすぐさま顔を出したインデックスは、今にも落っことしそうなほどに目を丸くしながら上条当麻を迎え入れる。なんだかいつになくボーッとしながら帰路に着いてしまった。いつも通りに揺らぐ白い修道服を視界に収めて、何はなくとも安堵めいた吐息が漏れる。

 肩から腕を伝って着地しようとするオティヌスを少しの間だけ待ってから、石鹸で手を洗ってワンルームのリビングへ。コタツもいいがそろそろ夕食も作り始めないと、さて何を食べようか。もやしと豆苗と豆腐を豆乳ベースでしこたま煮込んで豆づくしの健康鍋を名乗っていくのも、この食いしん坊な同居人にとってはそろそろ飽きが来ている頃だろう。

 うーんと悩みながら、その右手はごく自然にインデックスの頭へと乗せられていた。

「……とうま?」

「いや、あー、うん。ちょっぴり柄にもなくセンチな気分になってまして」

 フード越しのつむじに掌で触れて、軽いドリブルの容量でポンポンとその丸さを確かめる。あーコイツもコイツで小さいなあ、と年寄りじみた変な感慨に耽っていると、彼女からは案の定「変なとうま」の一言でさらりとかわされてしまった。

 コタツに入ってぐんにゃりと背筋を丸めると、テーブル部分に顎をつけたツンツン頭の上にはインデックスによって次々とミカンが乗せられていた。三段四段と器用にも積まれていくのは子供っぽい仕返しというか何というか、その試みは段々とトランプタワーめいた挑戦へとシフトしていってる感が無いでもない。

「コーヒーの匂いがする」

「え? そうか?」

 多分今動いたら怒られる気がする――そんな強迫観念で身じろぎ一つ出来ずにいた上条だったが、口火を切ったインデックスの一言に反応したことでミカンの斜塔はあえなく崩れた。

「むむ、なんだかすごーくお腹へってきちゃった……。とうまだけ一人でいいもの飲んできてずるいんだよ、今日は補習に行ってたんじゃなかったのぐぎゅるるうるる」

「ただの缶コーヒーだよやめろよ今にも飢え死にしそうに虚ろな顔で腹の音響かせやがって! 補習帰りにちょっと知り合いに付き合ってただけだっての!」

 これはもう問答無用で即座にメシを作らねばなるまい。食欲の権化が皮ごとミカンを貪り始めるよりも前に、豆オンリー鍋にベーコンの二・三枚でも追加してやるのが身のためかもしれない。

 コーヒーの匂いは――移り香かもしれないなと、ほんの一瞬だけ思った。地獄を閉じ込めたように薄暗いあの小部屋においてもやはり、色濃く漂っていたのがその香りだったから。

 ちゃんとしたもの食べなきゃ駄目だよ、と。道化っぽく両手を腰に当ててお小言を述べていた小さな少女、あの底抜けに明るい雰囲気はどこかインデックスのそれにも似ていて。ああ、だからこそこんなにも気にかけてしまうのかもしれなかった。

 キッチンに立っていつも通りに腕まくりをしながら、ただ一人で考える。

 ()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そんなものは最初から無理だし、きっとそんな血の通わない選択肢ごと問答無用でぶち壊してやりたくなる。荒唐無稽な空想ですらこんなにも苛立つのだから、つくづく重症だと思う。

 ペットボトルの鉢から引き上げた豆苗の房を、重たい包丁でざくりと切り落として。既に結論が決まっているようなどうにもならない事ばかりをぐるぐると考えている、こんな状況には慣れていないのだ。決して壊せない幻想を守り抜く役目など――到底、上条当麻の領域ではない。

 けれど、考えないわけにはいかなかった。

 

 どうして――誰かのために身を投げる者ほど、いつも(かたく)なに笑っているのだろう。

 泣くことすら許さずに。自分自身が救われる可能性などには見向きもせず、ただ誰かの幸せだけを、ボロボロの両手で祈り続けて。

 

 そんな光景を、上条当麻はこれまでに何度も見てきた気がする。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、どう足掻いてもそんなものが蔓延る世界のことが許せなかったからこそ、彼は幾度となく拳を握ってきたのだ。

 それでも――あの『人間』の決意だけは、どうしたって砕けない。

 史上最低な悪役になってやる。

 誰も裁けぬ罪ならば、それを裁くための正当な街の姿を創ってみせる。

 彼は元々紛れもない罪人で、彼が絶え間なく浴び続けているのは決していわれの無い誹謗中傷なんかではなくて、彼ひとりを地の底に沈めることで全ての妹達(シスターズ)が陽の下を歩けるようになるのならば、それら全部がきっと正しい。

 あの小さな少女だって、きっといつかは勝手に幸せになれる。

 一方通行(アクセラレータ)が居ない世界で、心の中から少しずつ、一方通行(アクセラレータ)が齎した血まみれの記憶を淘汰して。今はまだ『被害者』だとしても、きっと、当たり前の女の子として一歩ずつ進んでいける強さがある。ほんの数回その姿を垣間見ただけの傍観者にだって、それは十分に想像できる未来図だった。

 あの『人間』もまた、それを信じて祈ったのだろう。

 ならば――どうしようもなく正しいこんな世界で、上条当麻にはこれ以上何を祈ることができるのだろう?

「インデックス」

「どうしたの? お手伝いが必要かな?」

 呼べばすぐに返事が来る。顔を上げればすぐに、綺麗な緑色の瞳を見つけられる。

 そんな状況にちょっとだけ笑ったりしながら、何度でもこんな当たり前の幸福を実感する。幸せだなあと、彼女の顔を見る度に何の臆面もなくただ思う。

 

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 ()()()()()――()()()()()()()鹿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「明日、ピクニックにでも出掛けようぜ」

「サンドイッチないしはおにぎりッ!?」

「感嘆符ばりにリクエスト飛ばして来やがったなこのシスターさんは! 普通はまず目的地とか気にしねえ!? いやまぁ良いけどさ、サンドイッチならお前や小さな子供でも一緒に作ったりできるだろうし」

「???」

 考えろ。されど同調するな。

 だったらいっそ、どこまでも台無しにしてやろう。そこら辺が上条当麻の関の山だ。

 幸せから逃げては駄目だ。アイツがたった一人で始めた神様のゲームとやらも社会的制裁も、あの子の内側から湧き出た笑顔を守り抜くこととは何一つだって関係がない。くだらない拘泥や悲壮感なんか放り投げてしまえ。どこにでもいる高校生の行動原理など、きっとそれだけでいい。

 洗った具材を鍋に並べてスープを注ぎ、火にかける。ふつふつと煮立ってくるまでの数分を利用して、安物のケータイから御坂美琴宛てにメッセージを送る。

 返事は割とすぐに来た。唐突な誘いに対して、文面こそいつも以上に剣呑だったがまぁこれはオーケーサインと受け取って間違いあるまい。相手が相手なので毒味さえ経ればある程度は許容されるだろうとのこと、なるほど良い情報を貰えた。勝手にしろと突き放されるパターンも一応織り込み済みではあったのだが、つくづく実直なお姉様だ。

 のそのそとコタツの上に登山するオティヌスは、こちらを遠目で眺めるようにしながらたった一言。

「……馬鹿なヤツめ」

「なんか明日アイツにも全く同じ事を言われる予感がする。でも――自己満足のためのお節介ならいくらでも焼くよ。囚人にだって明日の楽しみを待つ自由ぐらいはあるべきだろうしさ」

「そもそもだ、人にかまける前に貴様には課題も補習も列を成して待っているんじゃないのか。順当にダブって理事長先生にさめざめと泣かれても私は知らんぞ」

「明日は半ドンだし俺にだって細切れの余暇を好きなことに使う自由があるんですう!! っとと、やばいやばい鍋吹きこぼれてる!!」

 にわかにドタバタと騒ぎ始める家主の傍ら、インデックスは諸手を挙げてお出かけの予定を喜んでいた。膝の上からなし崩し的に追い出された三毛猫は落ち着かなさそうにその辺をウロウロしている。

 付けっぱなしのテレビが垂れ流すドキュメンタリーは相変わらず、真っ白な髪に赤い瞳の大罪人へとぶつけられる罵詈雑言ばかりで――それでも、少なくともこの部屋にいる彼らについては、ヤツの思惑通りにただ扇動される側の人間ではないのだということ。

 それだけはあの馬鹿野郎の澄まし顔に突き付けてやらねば、こちらの気が済まないから。

 

「ふーん、よく分からないけど楽しみかも! なんだかションボリしていたとうまも元気になったみたいだし、きっと良いことを考えついたんだろうなって」

「よし、俺は今とてもご機嫌なので明日のデザートにはうさぎさんのリンゴもつけよう」

「それは良いことの二乗なんだよ!!」

 

 悪戯を考えついた子供のようにニヤリと笑いかけてやると、インデックスがまた楽しげな歓声を上げる。

 

 日曜の補習帰りにあの姉妹を回収して――この分だと御坂妹も来てくれるだろうか、とにかくまずは買い出しに行こう。

 作るのは、ハムとたまごのサンドイッチ。

 おにぎりよりは多分ヤツの常飲するコーヒーに合うんじゃないだろうかという判断だが、華やかな絵面は打ち止め(ラストオーダー)も喜びそうだ。星の抜き型も用意して、半分に切ったウインナーなんかを焼いて容器に詰め合わせたりしたら、なんだか本当にピクニックみたいでワクワクしてくる。

 

 

 

 ――――対価は、これから長い時間をかけて支払っていくしかないのだろうけど。

 しょせん同調は出来ないし、ヤツが一人で背負った罪をただ単純に軽くしてやることだって許されない。するつもりも無いのだけれど。

 

 それでも、考えることは出来る。

 悪意に流されず、自分の意思で。ヤツが誰より大切にしているあの子を連れていくついでにでも、アイツの隣で素知らぬ顔をして話しかけてやることは出来る。

 

 

 

 考え続けて、惨めに足掻いて、誰かの決意を支えてやれる。そういうことが自然に出来るような何者かに、多分、上条当麻はずっとずっとなりたかったのだから。

 ホカホカに出来上がったヘルシーな鍋を分厚いグローブで掴み、同居人たちが待つコタツの上へと慎重に運んでいく。平凡な少年の顔立ちに――元来似合わない憂いの色はもう、ほとんど見当たらなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

END

 


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