高校生 最後の将棋大会   作:寝させろください

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将棋指してくれると嬉しいです。
*特に運ゲーに飽きてる方


雑魚は消えた。

 かるい蝉の声が少し外から響いて聞こえてくる。

 向かい側は公園だったか。

 

 クーラーがガンガンに効いた、体育館のような場所に大量の椅子と机。

 机の上には目覚まし時計のような物。俗に言う対局時計と、安い将棋盤とプラスチックの駒。

 

 座るはこの県の高校生。約百人。

 その人数が、今日この予選で4人まで絞られる。

 この場の高校三年生の合計数は28人。

 24人以上はもう今日、彼らの夏が終わることを確定している。

 

 彼らの最後の夏がひっそりと、世間からも、なんなら同じ高校の同級生からも特に注目されるわけでもなく、現地で応援されるわけでもなく。

 始まり、終わる。

 

 それでも彼らは気にしない。

 盤の前に座れば彼らは、俺たちは一人だ。

 故に、周囲の目など気にならず。

 故に、信じられるのは己のみで。

 故に、誰よりも相手を尊敬する。

 

 ならば、迷いはもう既に捨て去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 座った瞬間、これが最後だと思うと、くだらない言葉は出なくなった。

 

 

 予選はあまり時間を使わず、体力を温存して戦おうと思っていた。

 恐らく決勝は岩崎となるんだろうな。

 始まった目の前の自身の対局相手を見ながらそんなことを思う。

 

 戦型は、対抗形。

 四間飛車対居飛車穴熊。

 プロ間では居飛車穴熊が分かりやすく有利と言われてる戦型だ。

 高校生の俺たちはそこまで細かく指しきれないのであまり関係ないのだが。

 

 四間飛車側を俺が持っている。

 将棋を始めて、一番はじめに教わった戦法で、今は愛用してないが何故だか大会の一局目は採用しようと思った。

 

 

 

 

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 将棋部に入ったのは、ありきたりに偶然だった。

 中学はバスケ部に所属していたため、高校入学時はバスケを続けるか、他のスポーツかで悩んでいた。

 正直言うと運動部に入らないとインキャ扱いされそうだと思ったのもある。

 ただ中学時代の部活もしんどかったから、できるなら楽な部活が良いと思っていた。

 

 高校に入ってできた同じクラスの友達と一緒に色々な部活を見て回った。

 友達が文化部の方も見ようと言ったから、仕方なく付き合うことにした。多分当時の俺は難色を示していたと思う。

 

 その過程で将棋部も見た。当時の先輩に一局どうですか?と言われて指したのがきっかけだ。

 

 見るからに文化形のヒョロヒョロした体型の人で、顔もだるだるで失礼ながら俺は、この人は何やってもダメな人だと勝手に決めつけて内心馬鹿にしていた。

 

「どうする?駒落とす?」

 

 内心馬鹿にしていた相手にストレートにハンデつけようか?と言われた。

 ここで少しイラっとしたのを覚えている。

 

「別に大丈夫です」

「あ、そうなんだ、じゃあよろしくお願いします」

 

 将棋は昔、祖父と指したことがありその記憶を頼りに指し進めることにした。

 

 2六歩

 3四歩

 2五歩

 

 当時の俺はここで3ニ金しかないものだと思っていた。(当時は符号はわかっていなかったが)

 2四歩同歩同飛者に2三歩と打って飛車を追い返すことができるようにしていないとダメなんだとボンヤリ考えていた。

 

 3三角。

 

 見たことのない手だった。少なくとも祖父との将棋ではみたことがなかった。

 馬鹿にしていた相手だということもあり、こいつやっぱダメじゃんと嘲笑っていたと思う。

 普通は当たり前の手なのだが、相手を馬鹿にしていたこと、自分が自信過剰だったことが災いして俺は喧嘩を吹っかけるように。

 

 2四歩

 

 とそう、突っかけた。言うまでなく喧嘩の結果は俺の大敗だった。

 

 同歩

 同飛

 同角

 

 序盤早々飛車の丸損。そこで鈍器で頭を殴られたように、何も考えられなかった。頭の中は苛立ちが湧きだち、数分前の自分を殴りたい気持ちでいっぱいいっぱいだった。それ以外は何も考えられなかった。

 

 

 

 

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 一際大きい蝉の声が聞こえた。目の前の対局は少し俺の有利で進んでいる。

 駒得を重ね、相手陣地も乱し、自分の駒も捌けている。

 

 少し痛い昔の思い出を思い出した。

 それで将棋部に入った。でも初めはその先輩に勝てたらやめようと思っていたくらいだった。

 屈辱を、雪辱を晴らそうと。その程度だった。周りの友達にもそう公言していたと思う。

 

 目の前の対局相手が、悩んだ表情をしている。困っているんだろうなと分かっていることを確認する。

 将棋の実力は絶対だ。差がつきやすい。多分世の中のどの競技より残酷だと思う。

 身体能力があれば誤魔化せるスポーツのようなズルさもなく、反復練習による技術の向上もそもそもそれが練習として合っているのか分からない。

 

 やった分さえ、差ができるか分からない。だからこそ確かな実力として身につけた物は想像以上に絶対だ。

 

 

 

 

 

 

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 先輩との対局は一向に勝てなかった。どんなに頑張ってもどれだけ差があるかの距離すら掴めない。

 それでも毎日部室に通って対局をした。

 ただ、実力もないまま挑んだ結果。

 

「お前弱いからあんまりやりたくないんだけど」

 

 最初は頭の中が真っ赤になって摑みかかろうとした。

 すんでの所で堪えれた。それは将棋部に通う中で学んだ将棋界の常識ができたからだ。

 

 弱い奴に人権はない。

 

 完全弱肉強食の世界。

 弱ければ立場はなく、強い人と対局できるのは、決して弱者に寛容な世界ではなく、強者が気まぐれのように優しさを見せているだけである。

 

 実際、その先輩の言葉は胸に刺さった。家に帰っては愚痴ばかり呟きながら携帯片手にテレビを見ている。将棋の勉強など何もせず、まぁでもいつかは勝てるだろと楽観していた。

 

 弱い奴に人権はない。

 

 それは実力が伴ってないやつではなく、向上がないやつにはさらに人権がないことを表す。

 

 

 

 

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 一局目、勝ち。

 負けました。のその言葉を聞いてとりあえず白星を手に入れた。

 対局相手は同じ三年生。感想戦も行われず、受付に行き二人で結果を報告すると彼はすぐにトイレに向かって駆け出した。

 まだ対局は残っている。予選はスイスドロー式と言ってた、簡単に言えば7勝1敗以上で上に上がれる。

 それでも7勝1敗でも順位によっては落ちるので、あまり希望は持ちにくい。

 

 小さい蝉の声に混じって女子供の声もかすかに聞こえてくる。

 少し次の対局まで時間があるので窓の近くに歩を進めた。窓には、蝉が張り付いてて、弱々しい短い命をこれでもかと叫んでいた。

 会場内の誰も蝉には、弱いものには気づかない、気付いているのは俺だけだ。

 

 外はやはり女子供、また俺と同じくらいの学生達が水をかけあったり水風船を投げ合ったり、水鉄砲で打ち合ったり。水ばっかかよ。

 …………青春をしていた。

 この会場のおおよそ誰もが無縁であるように見える、その様子。

 数人、隣に立つ。彼らも対局が終わったんだろう、数人の中には岩崎もいた。

 しかし彼を含めて蝉に気付く人は、やはりいなかった。

 

 彼らは窓の外の青春をどう見るのだろうか。チラッと彼らの様子を伺った。

 

「あんな、夏もあったのかねえ」

 

 パチっと駒が鳴らす音と被さるように、ボソッとだれかが独り言を言った。

 聞かれると思ってなかったんだろう、俺たちがその声の持ち主を見つめると少し照れたように後ろ頭を掻きながらボヤいた。

 

「スポーツして友達と笑って、彼女ができるかは分からないけど、恋をして。最後の大会に負けて泣いて、皆で受験頑張ろうって言って。そんな夏も」

 

 少しの羨望が含まれるようなその言い方に反射的に言ってしまった。

 

「大会で負けて?」

「そりゃ、あいつらは自分だけで勝負してるんじゃないから、チームメイトが負けたら勝ってても負けるんだもん」

 

 少し静まった。

 多分皆、同じ考えが浮かんでいる気がする。

 

「いやでもそう思うとあれだな」

 

「「「「ぬるいな」」」」

 

 こういう所が将棋男子がインキャと言われる所以なんだろうなと思うが実際俺も発言しているので、随分染まった物だと思う。

 

「でもあれだな。やっぱりこう……」

「ちょっと羨ましいよな」

「そうか?他人のせいで負けるのなんてくっそ嫌なんだけど」

「じゃあ俺のせいでお前を負かしてやるよ」

「負ける気はねえけど、負けたら自分のせいだろ。じゃなきゃ将棋なんてやってねぇ」

「それもそうか」

「でもあれだよなぁ」

「「「「彼女は欲しい……」」」」

「あとスポーツできるやつはやっぱかっけぇ」

 

 くだらない話に脱線したあたりで運営が次の対戦相手を発表するとマイクで会場全体に呼びかけた。

 いそいそと、んじゃ。と手を上げてそれぞれ対戦表を見に行く。

 

 将棋指しは、情けない生き物だと思う。こと盤の前に座っていない時は。

 それはもう盤の前しか生きる価値がないような。ある種の逃げの思考なのかもしれない。

 …………もう、それでいい。開き直れ。楽しいだけの青春なんて笑ってかなぐり捨てた。

 それだけの対価とプライド程度は保持したい。

 

 

 

 

 

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 先輩とはそれからあまり指さなくなった。それでも辞めるのはバツが悪いから部活には顔を出してほかの同級生達と指すようになった。

 帰り道に同じ将棋部員達に喚きながら帰る。

 絶対俺の方があの先輩より強い。

 たくさん喋っていたような気がするが要約するとこれだけの意味しか言ってないような気がする。

 それでもそれは嘘だと何より自分が、将棋が分かっていた。

 それからは、家で携帯もテレビも見ずに本屋で買った将棋の本と盤とを交互ににらめっこをしていた。

 勝ちたいよりは強くなりたい気持ちが先行し始めいた。

 

 それから少しずつではあるが、部内でも勝てるようになって行った。同級生に敵はいなくなった。でもやはり先輩は遥か彼方。同じ部内ということでまた、時々指してもらえるようにはなったが、勝てない。

 

 勉強量を増やすようになった。毎日夜中の3時まで将棋漬け。幸いアプリやパソコンが普及していて、将棋の勉強法には困らなかった。

 自然と学校でも授業中将棋を考えるようになった。テストの点は落ちた。

 

 友達は前より少なくなった。でも強くなってる気はしていた。

 

 

 

 

 

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 2、3回戦は一回戦と変わり、自分の得意戦法を使って勝ち上がった。

 体が汗ばむ。クーラーは効いているはずだが、対局が持つ熱量にはそう効果はない。

 俺と同じように服をパタパタとして風を送り込んでいるのが数名見える。どれもこの大会の優勝候補。

 対局がはやく終わるメンツは強い。目線が彼らと合う。まぁ妥当だなという視線。

 品定めするかのようにお互いの様子を探り合う。数分したら飽きて同じ高校の部員の対局を見に行く。

 

 

 

 

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 先輩との対局は切迫する内容が増えてきた、目の下のクマも増えて、落ちなくなっていた。

 ただやはり勝てはしなかった。そうこうしているうちに、一年生ははじめての大会で、三年生は最後の大会が始まった。

 予選でも勝てはしたが、負け星もつき、予選は抜けれなくなった。先輩も同様で、予選の最終局はなんの巡り合わせか。

 先輩との対局だった。

 

 組み合わせが分かった時、俺はまだ最後のチャンスが来たと思って先輩を見て笑った。

 先輩はいつもの顔と違って鋭く理想の刃のような眼光で俺を睨んだ。

 それが太陽にも思えるほどの熱量を持っていて、一瞬。一瞬で体全体が焼かれたような錯覚をして、笑顔は消えた。

 

 

 

 

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 4局目は、県内でも強いと噂の田所くんと当たった。少し気合いを入れる。

 温存はもうできなくなった。温存しても無駄だ。お互い、お互いの手札はもう知っている。

 大会上位者は他の大会上位者について調べる。どこかで当たるのが分かりきってるし、勝つためには一番手っ取り早いからだ。情報収集に余念はない。

 俺の先手で対局が始まる。対局開始から10秒待つ。気持ちを練り上げる。

 あの日の先輩のように灼熱の心を作り上げる。10秒。全気合いを込めた初手を、指し下ろした。

 バチン!!!駒音が響き渡る。田所くんも少し息を呑む。対局時計、チェスクロックを素早く叩くと田所くんも数秒溜めてたから2手目も指し示した。

 気合いと気合いのぶつかり合い。

 初手でお互い気持ちで押し負けることはなく、そこからは一手1秒近くの、怯んだら負けとでも言わんばかりの切った張ったの大乱戦。

 

 

 

 

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 先輩との対局は始まる前の気合いから既に気持ち負けしたスタートだった。

 気持ちで将棋は思ったより変わる、しかしその日の俺も普段より力を出して将棋ができていた。

 中盤に差し掛かかる辺り、少しの指しやすさを感じていた、差を広げるように慎重に進めていく。

 中盤が終わる頃には大差だった、100メートルくらい離していると言えば分かるだろうか。それくらい大差だった。後は物量で推すだけだった。

 ただ、楽観視し過ぎていたのかもしれない。先輩のあの太陽のような眼光はまだ死んでいなかった。

 終盤、泥沼を啜ってきたかのような、地べたを張ってきたような先輩の勝負手が指された。

 玉頭の歩を食いちぎる飛車切り。単純に見れば飛車と歩の交換。こちらの大得。

 それでもその勝負手は、確かに形勢をおかしくさせた。

 玉が露出したせいで、技がかかりやすくなった。その時の俺に局面を受け切る実力はなく。そのままその勝負手に込められた気持ちの熱さに押されて。

 

 

 

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 田所くんとの対局は、こちらの優勢で進んでいる。焦った表情の田所くんの額についた汗と、田所くんの持ち時間が流れていく。

 油断するな、お前の前に立っているのは強者だ。勝ちも負けもそんな簡単に決まってくれない。

 

「強いね、こんなに強くなってるなんて、正直震える」

 

 田所くんが少しこちらを見てそう言った。

 なんて返すべきか迷った。

 

「まだ終わってないぞ、震えるなよ」

「いやー流石に勝てる気しない。投げるよ」

 

 参りました。その声を聞いて少し肩の力を抜いた。正直粘られたらまだ分からなかったから、相手の心が折れてくれて良かったと、安堵している。

 

「良かったね。……私は負けた顔が見たかったけど」

 

 顧問がそう労いの言葉と捉えていいのか分からないが声をかけてくる。

 女性の顧問、珍しく将棋が強く、普通のアマの大会でも上位の成績を残していて、部活の中の指導も精力的に取り組んでいてくれる。

 ただまぁ性格は悪い。恐らく病院で寝ていた方が人類に貢献できると思う。

 

「次は多分、六信ですかね」

「かなぁ〜同高対決だね」

 

 それだけで会話は終わった、話すことがもうない。

 六信もうちの部活内では強いけど格付けは終わっている。負ける相手ではない。でも油断は禁物。全力で潰す気持ちをまた練り直す。

 

 

 

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 先輩が放った勝負手に押されながら、指し進める、いつのまにかこちらの敗色が濃厚になっていた。

 どこでおかしくした?あの飛車切りは絶対良い手ではない。でもあの飛車切りの悪手には勝負手以上の何かがあった。

 ごちゃごちゃの頭を整理できないまま、必至が掛けられた。必至、受けがなく次に絶対つまされる事だ。つまりこちらが相手玉を詰まさなければ、負ける。だが、相手玉に詰みはない、それこそ必死になって考えるが手は見えない。

 投げようかと思ったけど、チェスクロックが残り時間が切れる音を鳴らすのを感じ取って条件反射でガムシャラの王手をかけた。

 しまった、投げれば良かった。

 そう後悔が走るが。

 

「参りました」

 

 何故か、投了は俺じゃなく先輩が言った。

 王手はかけた、しかし躱しても受けても詰んでない。それは先輩の目にも一目だ。

 もしかして、うっかりか?そう思って顔を伺ったが、そんな風には見えない。

 

「まぁ、最後くらいは負けてやろうかなって」

 

 …………頭が爆ぜた、血が脳に集まり、そのまま飛び出て目の前の人物に弾丸として打ち込まれるような程の、血とその勢い。

 激情を抑えられそうにない。

 血が、細胞が、猛り狂っている。

 

「……ふざけるな」

「?怒ってんのか」

 

 先輩のその言葉に返答が出ない、それくらい自分をコントロールできなかった。

 将棋は負けだった。でも頭を下げたのは先輩、それがどうしても認められなくて、先輩の優しさだとは分かりつつも、それは振られたら嫌な優しさになっていて。

 

 ちょっと前の自分なら喜んで満足して、部活を辞めていただろう。

 

 それでも頭が爆ぜそうになりなからも必至に唇を噛んだ。

 悔しいくらい将棋に対する、先輩の姿勢は、眩く映った。

 わざと負ける。それはきっとマナー違反なんだろうけど、それでもそれを差し引いても先輩は憧れの対象だった。

 だから言葉が出ない。なにも言えない、結局わざと負けられたのだって、つまるところ俺が弱いからだ。

 弱ければ、自分の心一つ満足させられない。それがどうしても悔しくて、やはりその大会の帰りも仲間に下らない自尊心を見せびらかしながら、喚きながら家に帰った。

 

 先輩はクソだと思った、でも対局前のあの眼光は、胸にこびりついた。

 

 

 

 

 

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 5局目の六信との対局、向かい合わせで座った時から六信の気迫も十分で、二年前の先輩との最後の対局を思い出す。

 そうだ、俺はあの先輩が上がらなかった予選を上がれるほどの腕は手に入れたんだ。

 今更になってそんな当たり前のことを認識した。

 強くなれたってことなんだろうか。

 

 気がつくと外からはもう青春の声は聞こえなくなっていた、もう夕暮れだ。彼らもどこか別のところに行ったんだろう。

 日が落ちるのはまだまだ先だが、もうそれは暮れ始めている、青はまだまだ残っているが、それもじきに消える。

 白い雲と青と赤。夏の気配を感じ取った。小学生の頃の外で遊んでいた記憶がフラッシュバックする。

 蝉の声を追いかけていた。捕まえてどうしていたんだっけか。

 

「よろしくお願いします!」

「よろしくお願いします!」

 

 声を大きく、お互い威嚇するように挨拶をして対局を始める。

 先手の六信は少し間を置く、気合いというよりは、構想を練っているように見える。もしくは確認か。

 お互いの手札は部活の中でバレている。大会に向けて隠しておくのも策だが、あまりそういった隠した札はそもそも練度が足りてないことが多い。

 つまりは意表をつくなら今ある手札を組み合わせるしかない。

 あまり分かりづらいかもしれないが、手札が右四間飛車と居飛車穴熊なら右四間飛車穴熊という作戦が使える。

 こういった得意同士を合わせた作戦は思ったより指しなれないことはない。

 ただそれぞれの一番使い慣れて居る形からは離れるため、強みを生かし切れないことはある。

 1分弱を使い、六信は2六歩と居飛車を明示した。

 

 いつも通り行こうということと見ていいのか。

 

 少し悩む、心理戦は将棋の醍醐味ではあるが、ある程度強くなると、心理戦というよりは、正解に近い手を指し続ける方の優先度が高くなる。意表を突く手というのは大体が悪手で、良くなることはそんなにない。相手に間違えることをお願いする手であって、自身にとってはマイナスな手であることには変わりはない。

 強い相手は基本間違えないし、そういう変態的な作戦は悪手だと分かっているため、突飛なやり方は通用しない。

 

 だが。

 

「(初手での時間の使い方が長い……これワンチャン陽動振り飛車あるよな)」

 

 居飛車に見せかけて飛車を振る作戦。

 居飛車に合わせた陣形をこちらに組ませてから飛車を振ることで、対応できてない陣形差を主張する作戦。

 俺の手札は中飛車、三間飛車、角換わり、角交換振り飛車、居飛車穴熊、振り飛車穴熊。

 これらの戦法は、まだ細かく分類できるが、大まかに分けると俺が使えるのはこれ。基本的には中飛車がエース戦法で、中飛車に対する駒組みを見たら変える手法を使えるように他も覚えた。

 よって相居飛車の横歩取りとかは無理だ。

 

「(飛車を振るなら中飛車に振りたいが陽動振り飛車された場合、中飛車は相振りに不利。だけど六信ほどの相手だと、中飛車以外であんまり勝てる気はしない)」

 

 飛車を振ってくるのなら、居飛車穴熊で対抗するが、2六歩と突いている以上、今居飛車穴熊するのは危険だ。

 

「(でもまぁ取り敢えずか)」

 

 3四歩と角道を開け、態度を訪ねる。2五歩なら陽動振り飛車の可能性はかなり下がるため有り難い。

 

 7六歩。

 

 角道を開け返される。態度は保留されたまま。普通に考えて陽動振り飛車なんかやってこないとは思うがなんとなく、勘がそんな気がしている。

 

 すぅーーっと息を吸い込む。

 5四歩。ゴキゲン中飛車を明示した。

 対して六信、6六歩と角道を止める。

 

「(やっぱり、超速や丸山ワクチンって訳じゃない。)」

 

 相振りである可能性を保留して、5二飛より、5三銀と3三角を優先するか

 

 4二銀

 6八銀

 5三銀

 6七銀

 3三角

 7七角

 

 くそ、ギリギリまで態度を保留される。

 六信の作戦である可能性は

 糸谷流右玉

 対振り雁木

 陽動振り飛車

 玉頭銀。

 まだ他にも分類してありそうだが、とりあえずありそうなのはここら辺。

 

 糸谷流と対振り雁木、玉頭銀は怖くない。恐れている陽動振り飛車相手が難しい。

 対策を練ったことがない。ネット対戦等で当たったことが無いわけではないしそれで痛い目を見ているが使う人の数が少なすぎるから研究してない。対策を立てていない。

 ここから、まだ相手は陽動振り飛車にするなら3八銀、2七銀と2手までは態度を保留できる。

 2七銀と上がってから飛車を振れば、銀冠の頭だけ出来上がってる形だから手損はしてない。

 

 息を吸い込む。陽動振り飛車なら作戦負け。得意の序盤でポイントを取られている。

 一度息を吐く、仕方ない。

 腕力勝負だ。

 

 5五歩

 3八銀

 5四銀

 2七銀

 5二飛

 

 飛車を振ってくるなら4五銀から潰す。

 

 5八金左

 

 確定、陽動振り飛車。

 ここで4五銀と攻めても6七にいる銀との交換に終わる、棒銀が成功はしているがそれはあまり得をしている気がしない。

 以下の進行を読むとすると4六歩4四歩4七金。

 そこで4二飛はどうか。4五歩から仕掛けれたら流石にこちら良しのはず。

 ただ4二飛の瞬間に8六角が怖い。4三飛でも何も無ければ良いが指した瞬間の感触は最悪だ。

 

 素直に駒組みするのは相手の言い分が通る。駒組みの隙を全力で咎めるしかない。

 ただこちらも玉を7ニまでは行かせておきたい。居玉のままは怖すぎるし多分それはカウンターが強烈になる。

 

 6ニ玉

 4六歩

 7ニ玉

 4七金

 4四歩

 8八飛

 

 ここだ。潰しに行くならここ。相手はまだ居玉、飛車先も角道も通ってない。攻めの体制はまだ整ってない。

 金銀の連結もできてない。反撃は難しい。

 ここで乱戦にして押し勝つ。

 大会の持ち時間は15分。切れたら一手30秒。

 俺の残り持ち時間は12分32秒。

 

 ここで、10分使って読む。

 もう、相手の投了図まで読むつもりで。

 

 

 

 

 

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 白崎さんは、前傾姿勢で深く読み始めた。

 白崎さんに普通にやっても勝てない。

 

 単純に、勉強量が違う。

 

 生きてる年数が違うから当たり前と思うかもしれないが、僕は小学生1年の時から街中の強い大人と道場で盤を挟んで戦って来た。

 普通に考えて、いや、どう考えても高校一年生の時に始めた白崎さんが僕より強いわけがない。

 でも現実は白崎さんの方が強い。その強さの理由は単純に確信している。そこまで急速に強くなるために、狂気に近い異常なまでの努力をしてきたのだろう。

『ずっと一生懸命部活の時間と家の自主練頑張りました!』________じゃここまで行かない。

 地獄の針山を歩くのような、そんな道を毎日_________。このニ年間。おおよそ800日近くを過ごしてきたんだろう。

 僕なら、精神が持たない。

 

 24時間。多分、寝てる間すらも将棋の夢見てるくらいどっぷり将棋漬けの毎日。

 耐えられない、常人では耐えられない。でも白崎さんがここまで強くなるにはそれくらいのことをやってきたに違いない。身なりはいつもボロボロ、常に限界まで疲れながら部活でもさらに己の身を削るように将棋をしている姿を毎日見てきた。

 時々倒れたという話も聞いている、その後寝ながら将棋の符号を呟いていたとも。

 

 そんな、イかれたような生活なんて、僕には耐えられない。

 

 白崎さんと僕の実力は確実に離れている。

 白崎さんは僕をすごく評価するけど、僕は白崎さんに全然及ばない。

 勝てないと分かっている。

 

 六信は白崎に勝てない。それは僕が一番分かっているから、普通じゃないやり方を試そうとした。

 陽動振り飛車。実際は白崎さんが考えているこの局面から白崎さんが仕掛けて良しだ。でもこれは大会。それも白崎さんにとっては最後の。

 安全に行きたいと思うのが人間の性。リスクを負わずに戦いたいと誰もが思うのが大会。囲いもできてない最低限の玉形で仕掛けてくるなんて、大会ではまず起きない。

 だから僕は白崎さんが仕掛けてこないと踏んで、否。掛けて、この戦型を選んだ。

 米長哲学というのがある。対局相手が崖っぷちだったり、最後の対局だったり。そういう時こそここ一番で潰しに行くのが棋士の真髄。

 

 僕は、勝てない相手に勝ちたい。

 

 否、誰にだって勝ちたい。負けたくない。絶対に。

 

 地獄の針山を歩いたことはない、でも将棋指しの性が傲慢に、負けたくないと僕に訴えかける。

 負け、たくない。

 それは、気持ちだけのものかも知れない。努力や積み重ねたものは足りない。そんなの分かっている。だがそれでも勝ちたいというのなら。

 

 今っ!!!ここでっ!!!

 ________地獄の針の山を歩くしかない!!!

 

 陽動振り飛車は、始めてやる。練度は足りてない。でも僕も読む。今、針の山を歩く痛いくらいの読みをここで、今ここで無理やり入れる。

 足りてない練度は読みでカバーする。

 

 ________遅れながら僕も、ここで、針の山を歩く。

 

 

「(白崎さん、随分考えるな。もうこの局面を読み始めて2分たつ。まさか仕掛けを考えてるのか?いや流石にないな)」

 

 仕掛けられる、はずがない________。

 読む。仕掛けられず駒組みが進んで行く様子を。

 組み上がった形は飛車の位置の差で少しこちらが有利。

 そこからどう攻めるか、攻めを誘うか。そこを今のうちに考えておく。

 が、脳裏に警報が鳴っている。読んでいる局面に対してではなく。現在の相手に。

 

 脳裏が焼ける、こいつは、殺しにくるぞ、と。

 勘が、仕掛けてくると、そう言っている。

 

 まさか。そんなはずは。

 嫌な予感は5分過ぎても、読んでいる白崎さんの姿を見て確信に近い何かに変わった。

 

 読んでる!!これは多分もう、この瞬間決め切るまで読んでいる!恐らく、ぼんやりとした投了図までの感じを掴もうとしている!

 

 先にスタートダッシュを切ったつもりだった。先手を打てたつもりだった。

 しまった、読みが始めから噛み合ってない読みをしていた、無駄にした。この5分間の読みが全て無駄になる、並行的に読んでいなかった。くそ!なにが針山を歩くだよ、完全に楽観していた。

 まずい、仕掛けられる変化に全力で読みを入れろ。

 単純な直線距離の読みのスピードと長さは白崎さんに勝てない。

 だから先にスタートダッシュを決める必要があった。

 

 くっそ、出遅れた。いやでも、ここからでも。

 

「(追いかけるしかない!)」

 

 その後さらに5分。つまり白崎さんは持ち時間を約10分近く使い切り。

 つまり、10分経った。

 

「……行くか」

 

 チラッと白崎さんが対局時計を見て呟く。

 

 何故だか、凄く目の前の相手(白崎さん)に改めて、底冷えするような怖さを感じた。

 

 バチィイイイと、駒音高く。

 

 4二飛

 

 4五歩からの決戦……!!!

 次に4五歩と突かれたら受けようが無い。

 受けないと行けないが、4八飛は玉が囲えないし手損してる、これは一時凌ぎに過ぎずその後の模様が悪すぎる。序盤で得をする指し方を目指していたのに変調過ぎる。

 後ありそうなのは3六銀、ただこうすると逆に守りの銀と攻めの銀の交換になるからこちらが損をしている。

 

 不味い、のか……?

 ………

 …………

 ……………

 パンッ!!

 

 弱気になりそうな自分の膝を引っ張ったく。仕掛けられている。それは仕方ない。ならば簡単に通さないだけだ。

 

 8六角

 

 相手を逆に攻める、攻めを責めるしかない。嫌味をつける。嫌がらせをする。

 簡単には勝たせてやらないし、ひっくり返して勝ってやる。

 

 4三飛

 3六銀

 

 ここまで入れてから3六銀!攻めてきたら8六の角の効きで逆にカウンターが決まる形を作る、これで耐えた。

 それでも来るかもしれない、白崎さんはここまで読んでるかもしれない。でも、今僕が考えれる最善だ。

 来るなら来い!!

 

 8二玉

 

 来な………い?

 攻めてこない……?いや!これはそうか!

 3六銀と銀冠の銀を外したからこっちの陣形が悪くなった、だから組み合って問題ないって判断で切り返したのか!

 しまった、受けなければいかなかったとは言え、これは相手の主張を通す形にした。

 

 ____________強い。

 さっきこの人は10分使った、恐らくその時間の全部を勝ちきるまでの殴り合いの手順を読んだ筈だ、それを即座に捨て、より良い道を通した。

 白崎さんの残り持ち時間は2分を切っている、つまり白崎さんはもう長考はできない、そのことに臆することなく今までの読みを捨てた。

 

 ありえない踏み込みを躊躇しなかった。

 強い。

 それでも、いつだって負けるわけにはいかない。

 

 こちらの模様が悪いまま手が進んでいく。

 時折、良くなる筋がないかと時間を浪費して読むが見えない。時間の浪費に終わってしまう。

 白崎さんの持ち時間はなくなり既に1手30秒で指している。

 前傾姿勢で盤を食い入るように見つめている。

 

 あれから戦いは進み、終盤。

 まだこちらが悪い、でも、()()()()()

 お互い飛車が成り込み最強の龍となって相手玉に迫ろうと暴威を撒き散らす。

 でも、殴り合ってもこっちが負ける、序盤の陣形差の一手がここに来て響いている、相手玉の囲いが1手分多く貯金している形になっている。

 

 角と桂馬を使って相手のカナ駒、金銀と交換して、それを自陣に打ち付ける。

 

「かってぇええ」

 

 少し苦しそうに白崎さんが呟いた、僕の玉は固い、しかし序盤のビハインドは消えたわけじゃない、間違えろ間違えろ。もうこれは盤上真理を求める勝負ではなく根比べの戦いになっている。

 

 根性を入れろ、でないと一気に吹っ飛ぶ。

 

「……耐えろ耐えろ耐えろ」

 

 呪文のように歯を食いしばって粘る。

 手は進んで行く、白崎さんは間違えない。罠は多く仕掛けているのに、引っかからず猪突猛進してくる。

 でも、粘りが効いてきたのか、白崎の顔が疲労に歪む。

 

 ______そしてその時は来た。

 

 緩手っ!!!!!!!!

 粘りが効いたのか、諦めない心が実ったのか。白崎さんは、間違えた。

 これでまだ流石に逆転とは言わなくても五分の勝負になった!!

 まだまだ勝負はこれから!

 全身に力が漲るのを感じる!

 

「…………」

 

 入った気合いに呼応するかのように机の下で握り拳を作った。

 緩手で、出来た隙をつくように攻める手を指す。

 ただ、僕が指した後白崎さんは無言で立った。

 

「?」

 

 パァアアン!!!!

 白崎さんは両手で顔を思い切り殴りつけた、ドクドクと鼻血が流れている。

 そして大きく息を吸い込んでいた。

 

 スウウウウウウウウウと大きく吸い込む。白崎さんの体が取り入れられた酸素で風船みたいに膨れ上がる。

 鼻血も滝のようにより流れる。

 修行僧のような、その気迫が伝わる。

 既に白崎さんは30秒将棋に入ってて僕も残り時間はなく1手30秒で指さなければならない。

 白崎さんの行動で残り秒数は10秒、これじゃ考える時間がない。

 

「しっかりしろ白崎 勇、負けたらダメなんだろうが」

 

 ありきたりな鼓舞の言葉を吐く白崎さん。

 残り時間4秒、

 時間切れろと心の声が大で叫ぶ。

 それを切り裂くように持ち駒にある金を自陣に素早く白崎さんは入れる。

 受けに回った!!時間切れでないが、これはつまり!形成の悪化を白崎さんが受け入れたということだ!

 5分じゃない!5分以上の形成!つまりこっちが優勢!

 頭がパニックになる。こっちが優勢、このまま間違えなければ勝てる!!

 急にそんな情報が頭に入る、混乱する、ずっと悪いと思ってただけに急に良くなっても、頭は攻め続ける算段なんて考えれてない。

 どの駒なら渡しても大丈夫だ?いや、このまま攻めあって大丈夫なのか?

 一手負けになったりしないよな?

 不安と混乱が混ざる。

 

 ____________息を吸い込んだ。

 息を吸い込む、落ち着く時の白崎さんの癖。それに頼るように息を吸い込む。

 落ち着け、勝負はまだ

 

「そうだ、勝負はまだ

「「続いている」

 

 奇しくも白崎さんとハモった。

 驚きが先行するが、既に一手30秒、相手の表情を伺う時間なんてない。

 デッドレースとチキンレース。時間切れるギリギリまで読みを装填する、読みきれない部分はある。怖い。だが実力全部全力で吐き出す。

 

 バチイイイイイン

 

 大きく駒を打ち付けた、読みきれてはないけど、これで勝ちだと思う。

 白崎さんに勝てたかもしれない。そんな意識が芽生える。しかし

 

 バチン!!!

 

 ほぼ0秒。読み無しで、白崎さんは切り返した。

 全く読んでなかった手だった。

 

「……拾ってきた、その手で負けだと俺も読んでいた。

 だから、拾ってきた。」

 

 その言葉を聞いて焦りが形を持ち水となって頬を伝う。

 やっぱり、勝てないのか?

 弱音が産声を上げる、悲観的な感情が薄っすら湧く。それは時間にして0.1秒程度の短くそして薄い意識。

 まだまだ勝つという思い、気力が大きい。

 だが根を張ったそれは。

 気づいてしまった薄っすらしたその思いは。

 僕を負____________いや黙れよ。

 勝負はまだ続いている、震えるな。

 勝つんだ、絶対。

 負けそうなんて、そんな緩い言葉1ミリも考えてはならない。

 そんなこと考えて、気持ち楽になろうだなんて許されない。

 

 考えろ考えろ!!!!

 

 浮かんだ読み筋はたくさんある。どれも有力そうでどれも自分の死に繋がる読みな気がした、迷い思考が止まりそうになる。

 0秒。ノータイムで白崎さんが指した手が、白崎さんの完全勝ちではない気がしている、何かあるはず。されど0秒。つまりこっちの思考は何一つまとめれてなどいない。相手に時間を与えない。最強の勝負手で最大の勝負術。

 そして読みきれない、時間がない。

 切迫と焦りはどうしても消せない。

 ただ読めてはいる。

 これかなと思う手は見えた、こっちの残り時間数秒。

 

 考えていた手を指そうとした瞬間、唐突な今までの膨大な経験から拾ってきた勘が悪寒を告げ、読んでた手と全く別の手を指した。

 自分でも理解できなかった、やっちまったかと思って焦りに支配されるが、コンマ5秒、驚きに変わる。

 勘で指した手が完全に勝ちに変えた手だった。

 これは………

 自分の力で勝ったと言っていいのか?

 先程まで考えていた読み筋を読み直す。

 より深く。

 

 ____________負けだった。

 

 

 助けられた、勘に。それも自分の実力だろうけど、あんな神がかり的な勘は二度とできない気がする。

 勝ったと思うと同時にこれで勝っていいのかと考えが脳内に駆ける。

 勝ちを確信して申し訳なさを白崎さんに思ってしまった。

 ネット将棋でのタップミスで勝ってしまうような後味の悪さが口元に滲む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ____________・____________・

 

 

 

 

 

 

 

 六信の対局は散々な内容だった。序盤からの進行は悪くなかった。

 終盤で集中が途切れて、緩手を指したこと。その後劣勢になって必死で集中して読んで拾ってきた手を六信に上回られた。自分の単純な負けがよく見える手だった。

 

 負け、る?

 

 許容できない、それを許せれるだけの容量が足りない。頭がバグる。お前の頑張ってきたもの全部これで消えてさよならバイバイ。乾いた笑いが口内でこだまする。

 秒数が進む、残り時間が風前の灯。

 落ち着け、落ち着け。そして読め。

 投げるにはまだ全然読めてない。

 自分の玉の死を何度も読む。一つの読みが何度も繰り返される。意味のない行為がループされる。別の読みを広げようとしても、何故か出来ない。

 そして懐かしい匂いが鼻を掠めて、それに気を取られて、盤面から意識が消えた。

 

 お父さんが昔、日本語教えてくれたことを思い出す、特徴的なアイウエオの発音が脳裏に響く。違うそんなこと思い出してどうする。

 お母さんのご飯の記憶、凄くしょっぱかった味噌汁。父さんと苦い顔をして目を合わせていた。あ、懐かしい。4歳の頃の記憶だ。いやだからそうじゃない。

 

 走馬灯のように数々の記憶が無数に浮かんでくる。身を結ぶように先程までの現実と切り離されたような記憶の思い出の中に浸らないように必死に自我を保つ。

 落ち着け、なんて無理だ。無理だ無理だ無理だ。許容限界の脳にそんな命令通らない、意味のない記憶が溢れかえって____________

 

「あいら」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 走馬灯で思い出した小さい頃父親に教えられた、あいうえおのあいうの発音をしてみようと試みた。それは無条件の反射に近い何かだった。なぜ試みようとしたのかさえ分からない。

 父親に言い聞かされたアイウエオ。それを聞いて心地いい感覚と共にぬるま湯に浸かるように眠る毎日を繰り返した記憶が蘇る。

 処理の追いつかない脳ではなぜか、『う』が『ら』に変わったが、凄くしっくりきた。

 現実世界に意識が戻る。残り時間は8秒。でも凄く時間の流れが遅い。

 今なら読める気がする。

 意識がコンマ1秒をゆっくり認識していく。

 背景は白く白く。六信すらも視界から消えた。ここの界は俺一人と盤のみ。

 アニメみたいに、駒が光って見えたりはしない。ただ単純に計算して、それを認識して整理することが、亜音速に近い速度で可能となっている。

 されど局面はほぼ負け。何をどう組み合わせても負け筋が大量に脳に埋め込まれていく。

 負け、負け、これも負け。

 普段見えない手が見えたりはしない、ただ見える手を愚直に計算して死ぬか死なないかを繰り返す。

 基本、死ぬ。死ぬ未来がよく見える。心が折れそうになる、土壇場での自身のこの集中力にはビビってるけど、それでも生き残る術がもう残っていないと言うのなら、それはもう意味がない。

 残り7秒。着手まで考えると残り4秒以内に手を見つけないといけない。

 

 見えない、見えない。生き残る術が全く見えない。昔幽霊屋敷で迷子になった時のような、砂漠であてのない道を探しているような、不安と絶望が押し寄せて俺を破壊しようと吹き荒ぶ。

 頭が痛い、キンキンしてくる。これも死んでいる、これも負け、これも無い。

 負けが浮かぶ、突飛な発想を捻り出そうとすべての駒を同時に動かすような感覚で読みを入れる。

 

 鼻血が止まらない、頭が痛いイタイでもここに居たい。まだ生きて居たい。

 制御できない量の読みを展開する、破裂する、元よりそれは読んでも意味がある行為になっているのか分からない、読みが制御できてないのなら、どんな落とし穴があるかも分かっていない。

 それでも、数十手後の自分の生存を。

 残り5秒、考えられる時間は後2秒、それを過ぎたら着手が間に合わない。

 鼻血が唇に触れる、苦い鉄の味が口の中で広がる。

 吹き飛びそうな現状。熱い溶岩路に放り込まれたように脳がグツグツしている。

 

 痛くて自我がもう保た、ない_________

 これ以上は、耐えられない_________

 

 諦めが身を結ぼうとする。

 このまま負けを許容して。

 

 _________________________________________________そんなのできない。

 

 残り4秒。つまり後1秒。

 呼吸ができない。頭が熱さで溶けそうになる。

 

 

 ____________それでも負けは許容できない。

 

 熱い頭の中で何かが飛び立つ。会場の窓に張り付いていたセミだ。

 幼少期、セミを捕まえて放り投げて遊んでいた、残虐だったと思う。

 弱いセミはそのまま悲鳴のように鳴きながら羽を散らして地面にぶつかり絶命していた。

 まるで昔の俺だった。

 将棋部に入った頃の、残虐に嬲られて負け犬の遠吠えを繰り返す俺。

 弱くて、負けてもうるさく鳴きわめいて。

 そのセミが飛び立った音が聞こえた、静かに鳴くことも無く。

 羽を広げて、飛び立った。

 そうだ、弱い白崎はもういない。

 

 あの時のセミ(雑魚)はもういない。

 

 ____________生存は見えなかった、でも最後の最後まで読みきれないと分からない一手が見えた。実戦最高難度の勝負を仕掛ける。

 

 残り3秒、バチン!と素早くそれを指し下ろした。

 際どくこっちが負けの手。

 六信が最後の最後まで、この30秒で読みきれば、俺自身が死ぬ一手。

 相手に間違えをお願いする手、されど最高難易度。俗に言う最後のお願い。

 最後の難関。

 越えるべき壁になるなんてつもりは無かった。

 超えさせない最強の一手を放った。

 やってることは相手の力量が低いことに望みをかけるような、他力に頼るようなそんな誇れないような最後のお願い。

 顔はポーカーフェイス。詰みなどないように振る舞う。

 時間が遅いのは変わらない、ドクドクと心臓の鼓動がゆっくりと、一つ一つが大きく響いて、毒毒と全身にその緊張が回って、それでも微塵もその様子は見せない。

 

 六信は目を見開いて、少し驚いたような顔で読んでいる。

 そして何かに気付いたのか必死になって読みを入れる。

 心臓が、鼓動がうるさい。こんな勢いで動いていたら、対局が終わったら止まるんじゃないかってくらい。

 最難関は一手、一手のみ。六信はその一手を間違えたら負け。

 俺は、何をされても負けの局面だった、読んだだけでも百を超える負けが転がっていた、それを一つに絞った。

 たった一つの成否に勝負を仕掛けた。

 この世は基本二択だ、今の将棋だって分岐は複数ある。でも二択だ。

 六信が当てるか俺が外させるか。

 もっと言えば勝つか負けるか。

 時間は立つ、目を瞑りたくなる。見たくない。結末を。

 負けだと分かっている局面を見るのが、辛い。見たくもない。

 でも逸らさない。許容はできないが認めて、六信の次の手を見なければいかない。

 超えさせるつもりは無い手だ。だが超えられたら負けの一手でもある。

 心臓と脳がもう持たない。それでも次の一手からは目を逸らさないように。

 負けたくない勝ちたい。絶対に。

 六信も全力でギリギリまで読む。見つけたか、見つけてないかは表情からは読み取れない。

 六信が手を浮かせる、それに全ての意識が向いて、現実に引き戻されたような感覚とともに、むせ返るような大会の熱気を今になって再確認して。

 お互い、熱い熱い暑くてたまらないと叫んでいそうな脳が、絞り出したような一手が振り下ろされて言った結末がもう、すぐそこに。

 

 

 

 

 そして________________________

 

 

 

 

 

 

 

 

 _________________・_________________・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「負けました」

 

 

 

 

 

 

 

 




次回は未定です。
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