バジルール級ファフナー専用運用母艦の艦橋にて、深々とため息を吐く女性の姿があった。彼女の名はナタル・バジルール。元人類軍の士官であったが、兵士を人と思わない作戦を立案する上層部と相容れなくなり退官した後、すぐに人類軍の動向に目を光らせていたムルタ・アズラエルの触腕に引っ掛かった憐れな女性である。
地球保護団体の理事という立派な表の顔がある一方で、死の商人を呼ばれる軍需産業の長でもあるアズラエルにナタルも当初はかなりの警戒心を抱いていたが、いい意味でも悪い意味でも少年の心を持ったまま大人になってしまった奴だと諦めた。
「どうです?バジルール艦長、世界最大級のファフナー運用母艦の艦長になった気分は」
「今すぐ艦名を変えていただきたい気分です」
「またまた、ご冗談を。かつてのアメリカの軍隊では、戦場で功績を上げた人物に肖って、その名を船や戦闘機に与えていました。僕の私設武装組織をフェストゥムを相手に常勝できるようにしてくれたバジルール艦長には、本当に感謝しているんです」
「……」
「ですので、艦名はこのままです」
「……はぁ」
艦橋の艦長席で指で米神を押さえて深い溜め息を吐くナタル。ナタルと自分たちの雇い主であるアズラエルのやり取りをを見ていた環境員たちは一様に苦笑いを浮かべている。
現在、この船は太平洋沖を進んでいる。アズラエルの目的は新国連が長年追い求めてようやく尻尾を掴んだ竜宮島との接触である。ファフナーの武装面で技術供与契約が交わせれば良いと考えている。アズラエル財団として竜宮島に渡せるのは、膨大な物資だけだが、その他にアズラエルには切り札がある。
フェストゥムを相手に一騎当千が出来るパイロットの飛鳥 真の存在である。
真はアズラエルに保護された後、リハビリを経て私設武装組織のメンバーとして日々訓練に従事していた。アズラエルの私兵たちでもエリートパイロットであるオルガ・クロト・シャニの3人をまとめて相手しても勝ちを拾える逸材にアズラエルが小躍りしたのは言うまでもないのだが、少々問題もあった。
兵士として完成された強さを持つ真であるが、生まれてから今日まで生きた自分の根幹となるべき記憶がなかった。ファフナーに乗って戦えるのは偏にメモリージングという技術の賜物だろうとは新国連から出向していた竜宮島の開発技術者だった日野洋治の談。真は故郷である竜宮島のことは知識として知っているが、何故故郷なのかが分からないというおかしな状態になっていたのだ。
今回アズラエルが竜宮島に行くのはビジネスの面が強いが、元々の目的は真を竜宮島に連れて行くことだ。現地でしか得られない情報や刺激されるものがあると踏んでのこと。それが理由で真が竜宮島に帰ってしまっても良いとまでアズラエルは考えている。
それはつまり、竜宮島に最大級の恩を売れることになるのだから。その恩を良い感じに技術供与の話へ持って行ければ、それだけでアズラエル財団の未来は明るくなる。
「それにしてもギャロップ事務総長は本当に馬鹿ですねぇ。ビジネスの基本は両者がWin-Winになる関係を築くことなのに。搾取するだけでは強い反感を招く。ただでさえ、核で日本を丸ごと消滅させておいて、一体どの口が言うのかってね」
「当時はそれだけ追い込まれていたってことでしょう。当時と現在では意味合いも変わってくると思われます。……とはいっても、国をひとつ滅ぼすような核の使用に関しては私も断固非難したいですが」
「少数の犠牲で大多数の幸福を得ると言ってもね。限度ってもんがあるんですよ。フェストゥムを駆除するために人類も滅亡しましたっていうのは洒落にならないんです。ま、今回の航海は武装面の技術供与が目的ですから、そこまで苦労するものでもないと思いますよ」
「そう思いたいものです。では、理事。下がっていてもらえますか?」
ナタルの目つきが変わったのを見たアズラエルは両手を上げて、そそくさと艦橋から退出する。アズラエルが居たため安穏とした雰囲気だったが、ここは戦艦の艦橋である。レーダーに映らないフェストゥムは視認するしかなく、このバジルール級にはアズラエルが金に物を言わせて科学者たちに作らせた超望遠撮影高倍率ズームビデオカメラが搭載されている。そこで周囲を監視していた船員よりフェストゥムを視認したと連絡が入ったのである。
「スフィンクス型6、ウーシア型2、シーモータル型20。10時の方向、距離500。予測10分後に接敵します」
「通達!第一戦闘配備!兵装担当者は所定位置につけ!対空戦用意!フェストゥムに対して先制攻撃を仕掛ける、サブナック機とネネカ隊は出撃!」
ナタルの勇ましい声での指揮は艦内すべての者に通達された。それは談話室で思い思いの時間を過ごしていた真やオルガたちにも伝わる。オルガは読書していた本を机に置き立ち上がる。すでにネネカ隊に所属する女性パイロットたちがハンガーに直通の滑り台に乗って次々と降りて行っている。
「いってらっしゃーい」
「俺らが出ることにならないように頼むね」
「うっせーよ、お前ら」
そんな悪態を吐きながらハンガーに向かって行くオルガを見送ったクロトとシャニの手は、ナタルに呼ばれてないのにハンガーに向かおうとした真を取り押さえられるのに使われていた。
◇
縄で簀巻き状態にされた真がぴょこぴょこと跳ねながらハンガーに向かおうとする姿を、アズラエルは珍妙なものを見る目で眺めていた。
アズラエル財団が抱える工場地帯付近にフェストゥムが現れた際に真っ先に戦闘に出たのは訓練された私兵たちではなく、リハビリ途中の真であった。彼のティターンモデルは地下深くに凍結されていたため、真は準備されていたグノーシス・モデルで出撃し戦果を上げたものの、彼が要求するパフォーマンスについていけず完璧に整備してあったはずのグノーシス・モデルは自壊するという憂き目にあった。アズラエルが真にとって、新国連製ファフナーが棺桶同然と思うようになったきっかけである。
「フェストゥムの接近が分かるのも、真くんの直勘力によるものですかねぇ?」
「ポーカーしている途中に席を立ったから逃げようとしているもんだと思って捕まえたら、これだからね」
「これは本能レベルで刻まれてる。真をこんな風にした奴らのとこにマジで連れて行く気、おっさん?」
「正直に言えば迷ってます」
陸に上がった魚のようにピッチピッチ跳ねていた簀巻き状態の真が、ぴたりと死んだ魚のように止まったのを見てフェストゥムとの戦闘が終わったことを認識したアズラエルとパイロットたち。直後、艦長のナタルより戦闘配備の解除が艦内放送によって告げられた。
通常航行に戻ったバジルール級の艦内にある大会議室にてブリーフィングが行われた。新国連事務総長ヘクター・ギャロップが竜宮島に求めるのは、フェストゥムを圧倒できるアーカディアン・プロジェクトの技術を用いたファフナーの回収。そのため、交渉を優位に進めるのに核の使用をちらつかせたことを告げるとパイロットと乗組員たちが揃って「マジかよ」みたいな表情を浮かべた。
「それで竜宮島産のファフナー・ノートゥング・モデルというらしいのですが、1機譲渡されるらしいんですよね。その回収のためにわざわざギャロップ事務総長が自ら赴いている。しかし、その船に自衛能力はない。みなさん、僕が言いたいことが分かりますね?」
悪だくみをしている時の黒い笑みを浮かべるアズラエルを見て、ナタルはやれやれと首を振り、パイロットと乗組員たちは呆れる。
一番良いのは新国連と竜宮島のどちらにも恩が売れれば万々歳。最悪の場合、新国連を切り捨てて竜宮島に恩を売れば、技術供与の話は現実味を帯びてくる。状況がどちらに傾いてもアズラエル的には旨みがあった。
そんな思惑を抱きつつ航海を進めたバジルール級に突然、新国連の艦隊から救援要請が寄こされた。竜宮島の防衛圏外ぎりぎりのところでフェストゥムに襲われているようだ。しかし、それはバジルール級に乗るアズラエルたちも同じことだった。
「さらに6時方向より、ウーシア型3、シーモータル型26の増援あり」
「3時方向のスフィンクス型の殲滅を確認。しかし、ソナーにウーシア型の反応があります!」
「サブナック機とネネカ隊は後方に移動し増援のフェストゥムを減らせ。海中のフェストゥムの討伐はアンドラスが行うんだ。ブエル機は左舷方向のフェストゥムを近寄せさせるな。ウルフ隊とラドル隊は全体のカバーを行え!」
「バジルール艦長!新国連艦隊より再三の救援要請です。こちらもフェストゥムと戦闘中と言って断りましたが、いいですか?」
「事後報告するな!だが、それでいい!こっちはファフナー専用運用母艦だが民間の船なんだからな!『貴女方が襲われても責任は取らない』と言ってきたのはあいつらの方だ。放って置け!」
「艦長、押さえて押さえて」
自分たちに都合のいいことしか言わない相手は信用するに値しない。
だが、竜宮島を目の前にしてこの状況を生み出したのは、何を隠そうアズラエルたちであった。ここに来るまでの間、新国連の艦隊に近づく恐れのあったフェストゥムはバジルール級が攻撃して全て殲滅してきた。しかし、それを止めたのである。
今まで何事もない平和な航海をしてきて、目的地を前にしてフェストゥムに襲われる恐怖は計り知れないが、最大の誤算はバジルール級付近にもフェストゥムの群れが現れたことにある。対処できないこともないが、救援にやれる戦力はなかった。
艦内のハンガーで沈黙する1機を除いて。
◆
新国連の艦隊がフェストゥムのスフィンクス型に襲われ、救援を求めて来たようだ。ALvisの職員たちはそれを聞いて、さっさと沈めばいいものをと口々に言う。それを聞きつつ、保管しておいたシナジェティック・スーツを着込んだ将陵 僚が杖を突きながらハンガーに向かう途中、ALvisの制服を着た生駒 祐未が立ちはだかった。
「どこにいくつもりなの、僚」
「見ての通りだよ、祐未。万が一に備えて、ハンガーに向かう。俺には戦う力がある」
「ティターンモデルはもう凍結された!今は、真壁くんや他にもパイロット候補の子たちがいる。もう、僚が戦う必要はないのよ!」
「一騎は新国連の艦隊の救援に向かうことが決まった。この島のことがバレる可能性があった新国連の戦闘機を助けた一騎のことだ。喜んで助けに向かうはずだ。この島で唯一の戦力である一騎のマーク・エルフが島外に行く。フェストゥムがその瞬間を狙ってこない理由がない」
僚はそう言って祐未の隣をすり抜けようとしたが腕を掴まれる。L計画から帰還した時点で杖をついて移動することを余儀なくされた僚に、祐未の手を払いのける力はなかった。
祐未は俯いて涙を流していた。L計画で生き残ったパイロットは僚と祐未を含めて4人いた。しかし、もう2人は同化現象による症状で五感のいずれかを失い、自暴自棄になり自殺してしまった。祐未はもう仲間や大切な人が自分を残していなくなることに耐えられない精神状態になっていた。
「俺は大丈夫だ。必ず帰ってくる。俺たちにはまだやるべきことがある。真壁司令は、前司令の皆城さんより真を探すことに協力的だ。準備が出来たら人員を用意するとも約束してくれた。だから……」
「……僚」
二人の影が重なる。祐未を落ち着かせるため、僚は彼女の唇を奪った。目を丸くした祐未の頬に朱が刺す。僚は安心させるように微笑んだ後、ハンガーに向かった。その場には残されて泣き崩れた祐未だけが残った。
シナジェティック・スーツを着込んだ僚の姿を見て、整備スタッフたちはギョッとして駆け寄った。念のためだと言う僚に呆れる者もいた中、フェストゥム接近の知らせがALvis内に響き渡る。その反応が竜宮島の直上であることを知った僚たちは天井があることを分かっていたにも関わらずに見上げた。
竜宮島を守るヴェルシールドを易々と突破したフェストゥムのスフィンクス型の亜種。
防衛の要であるマーク・エルフが防衛圏外でフェストゥムに襲われている新国連の艦隊の救援に出ている現状はとても拙い状況だった。しかし、その場にいた整備スタッフはここに覚悟を決めたパイロットがいることに気付いた。整備スタッフたちの視線が自然と僚に集中する。
「俺の、ティターンモデルは出せますか?」
僚の覚悟を聞いた整備スタッフたちは上層部の判断で凍結されたティターンモデルの凍結処理を勝手に外していく。胸部の上部が動き、コックピットが露わになった。そこに滑り込んだ僚は着席して早々にニーベルングの指輪に指を通し、ティターンモデルと接続した。
マーク・エルフ不在の竜宮島を守るために、少年と約束を交わした少女がマーク・ゼクスという翼を持ったファフナーに乗り、スフィンクス型と対峙していた。少女の名は羽佐間翔子。僚と同じく肝臓に持病があり、普通の生活を送ることが出来なかった少女である。
「一騎くんが帰る島を守る」
その思いでファフナーに乗り、戦うことを選んだ翔子であったが、フェストゥム相手に苦戦を強いられていた。理由はいくつかあった。
翔子の乗るマーク・ゼクスが新国連に引き渡されるために装備のほとんどを外された無防備状態であったこと。
翔子自身が持病のために訓練に参加できていなかったこと。
そして、フェストゥムの読心能力を防ぐためのジークフリード・システムによって現れた変性意識によって、攻撃的になった彼女に指揮官である皆城総司の指示が通らなくなったことが問題であった。
『くっ、羽佐間!落ち着け、武器を手にするんだ!」
『うわぁあああ!出ていけ!一騎くんの島から出ていけぇええ!!』
『羽佐間っ!』
マーク・ゼクスに唯一装備されていたナイフはフェストゥムの身体に傷をつけるどころか、火花を散らして弾かれるばかり。このままでは拙い、と総司が思ったその瞬間、フェストゥムにプラズマライフルによる銃撃が直撃した。
弾かれるように射手を見た総司は唖然とした。そこには凍結されたはずのファフナー・ティターンモデルがプラズマライフルを構えて立っていたのである。
勿論ALvis司令部も蜂の巣を突いたような騒ぎとなる。しかし、我に返ったCDCの遠見弓子が搭乗者に退避を命じるがティターンモデルのパイロットは意図的に通信を切っているのか、プラズマライフルによる狙撃を止めない。
そして、フェストゥムの攻撃の目標がマーク・ゼクスからティターンモデルへ移る。存在を無視される形になったマーク・ゼクスを操縦する翔子が背後から襲い掛かったが、フェストゥムの触手攻撃で腹部を貫かれて山頂で崩れ落ちる。翔子の母親である羽佐間容子の叫び声が響き渡った。
フェストゥムの攻撃目標となったティターンモデルは竜宮島の湾内で甚振られていた。すでに右脚と左腕は捩じり切られ、満身創痍である。しかし、プラズマライフルは手放さずフェストゥムに接近された後も射撃して攻撃していたが、その武器もワームスフィアで破壊された。
僚は為す術のなくなったコックピットの中で祐未との約束を守れなかったことを嘆く。そんな僚の心情などおかまいなしにフェストゥムの同化攻撃がなされようされていた。僚の耳に祐未の泣く声が聞こえた気がした。
そんな僚の前から、フェストゥムは蹴り飛ばされた。
霞みゆく僚の視界に映ったのは、藍色の装甲と飛行ユニットを持つ未知のファフナー。
勝手に接続されたクロッシングで僚の右隣に現れたのは少し成長した飛鳥 真の姿だった。