全力で走りながら滑走路から飛び出て擱座したレオナの隼に駆け寄る。風で砂が舞い上がり視界が悪くなっていた。すでに砂嵐が近くまで迫っている。無事であることを祈りながら隼に取り付く。幸い燃料漏れは無いようだった。キャノピーの中を見るとレオナが前屈みになった状態でぐったりしていた。キャノピーを叩きながらレオナに呼びかける。
「おいレオナ!無事か!返事をしろ!」
呼びかけながら何度かキャノピーを叩いたところでレオナが意識を取り戻した。
「ん……サイファー…?」
「大丈夫か!早くキャノピーを開けろ!」
俺の声に反応してレオナがキャノピーに手をかけた。よく見ると着陸の際にぶつけたのか額から血が少し出ていた。風が強くなる中レオナがキャノピーを開けた。シートベルトを外し立ち上がって機外へ出ようとしたところでよろけて転びそうになったので受け止めた。
「…すまない」
「気にするな」
レオナが俺から離れて歩こうとするが頭を打った影響かフラフラしてて今にも倒れそうだった。
「建物まで歩くのは難しそうだな」
砂嵐がすぐそこまで近づいている以上時間はかけていられない。今のレオナを歩かせるのは得策とは言えなかった。
「すまないレオナ」
一言レオナに声をかけてから彼女を後ろから抱え上げた。驚いたレオナが声を上げる。
「何を!歩けるから降ろしてくれ!」
「悪いな、傷を押さえてじっとしててくれ」
風で砂が舞う中、体の前でレオナを抱えながら空の駅の建物まで歩いた。廃業したときに封鎖したのか正面の扉があった場所には木の板が打ち付けられていて開きそうになかったので裏側に回ってみると裏口があった。鍵がかかっていたので何度か蹴ってこじ開けた。
中に入ると従業員の控え室と思われる部屋に長めのソファがあったのでそこにレオナを下ろした。部屋を見るためにライターに着火した。控え室の中を見ると棚にマッチ箱と灰皿を見つけた。マッチに火をつけて火をつけてないマッチと一緒に灰皿に置いた。これでとりあえず明かりは確保できた。ソファに腰掛けているレオナに目をやると先ほどより流れる血の量は減ったが、まだ止まってはいなかった。
「とりあえず止血しないとな」
そう言いながらフライトスーツのポケットから応急処置用のガーゼと包帯を取り出したところでレオナ言った。
「すまない…あとは自分でできる」
彼女が俺の持つ包帯を受け取ろうと手を差し出してきたが俺はやんわりと断った。
「怪我した時くらい頼ってもいいんだぜ。隊長さん」
そう言っても彼女は聞かなかった。
「いやしかしこれ以上借りを作るわけには…」
彼女が俺の手から包帯を取ろうと手を伸ばしてきた。包帯を巻こうと彼女が座るソファの横で屈んでいた俺は動きが遅れた。レオナが包帯を持つ俺の右手を掴んで包帯を取ろうとしたが、腕を掴んだ途端姿勢を崩して引っ張りこまれるように二人でソファに倒れこんでしまいレオナに覆いかぶさるような形になった。目の前に彼女の顔がある。今朝羽衣丸で会った時と同じように鼓動が速くなって顔が熱くなる。強くなり始めていた風の音も今は耳に届かず自分の鼓動の音だけが頭に響いていた。そんなことをしてる場合ではないのは頭では分かっていたが目の前にいる彼女にただ心奪われていた。
レオナの顔を見つめていると彼女の口が動いた。それに合わせて耳に彼女の声が聞こえてくる。
「サイファー?」
名前を呼ぶ声でようやく我に返る。見惚れている場合ではない。彼女は怪我をしているのだ。彼女の上から起き上がり一言詫びた。
「悪い、痛かったか?」
ソファの上でレオナが困惑した様子で返事をした。
「い、いや大丈夫だ…わたしの方こそすまない」
レオナがソファから体を起こす。二人の間にぎこちない空気が流れる。あまりいい雰囲気ではないが治療はしなければいけない。
「包帯、するからな」
「あ、ああ…」
初めて会ったのかと思うようなぎこちなさの残る受け答えをして彼女の頭の傷にガーゼを当て包帯を巻く。先ほどとは打って変わってレオナは大人しく処置を受けた。さっきのような事があったからか俺もレオナの顔をあまり見ずに処置をしていった。
「これで大丈夫だろう」
そう言って包帯を巻き終えた。レオナが包帯を触りながら聞いてきた。
「すまない、助かった…随分と手慣れてるんだな」
「ん?ああ、昔ちょっとな」
「ザラみたいな事を言うんだな」
レオナが少し笑いながら応えた。だいぶ調子が戻ってきたようだ。身体の調子をレオナに聞く。
「どうだ?まだフラフラするか?」
「いや、傷は少し痛むが目眩はもう大丈夫だ」
その言葉を聞いて安堵した。彼女に関してはもう大丈夫だろう。落ち着いたところで次にすべき事を考える。一度建物内を見て回ることにした。正面扉は封鎖されていたが他の部分で何か損傷があれば砂嵐が吹き込んできてしまうかもしれない。
「少し中を見てくる。レオナは休んでいてくれ」
「それなら私も手伝おう」
「怪我人は安静にしてろ、な」
レオナを控え室に残してライターの明かりを頼りにラウンジの方に出た。椅子やテーブルなどが積まれていて、空戦前に上から見たとおりラウンジ部分は屋根に穴が開いていて風で舞った砂が吹き込んできていた。砂嵐がここに来れば間違いなくもっとひどいことになるだろう。前に砂嵐が起きた時に吹き込んだと思われる砂が溜まっていた。こちら側では砂嵐をやり過ごすのは難しそうだ。工具も材料もない状態では天井の穴は塞ぎようがなかった。
ラウンジの端の方のバーカウンターがあったのでそちらも調べてみることにした。カウンター後ろの棚には見たところほとんど何もなかった。ここを引き払った時に持っていったようだ。カウンターの内側に入ってカウンターの下を探ると指に冷たい感触があった。ライターに火をつけてカウンター下を覗き込んでみると1丁のショットガンを見つけた。「ウィンチェスターM1897」年代物のショットガンだ。この空の駅で護身用に使われてたものだろう。ライターの火で照らしてみるとレシーバー表面はそこまで汚くはなかった。フォアエンドを掴んで引いてみると多少の渋さはあったものの問題なく動いた。何度かフォアエンドを引いてチューブ内の弾を排出する。チューブ内には装填可能な5発が入っていた。カウンター下を漁ってみたがここにはほかに弾はなさそうだ。
一通りラウンジ内を見終わったのでレオナのいる控え室に戻ることにした。万が一の時に備えて再び弾を込め直したショットガンを持っていく。再び屋根の穴を見てみると先ほどより砂が吹き込んできていた。念のために控え室側に砂がなだれ込んでくることを考えてラウンジと控え室をつなぐ廊下の扉に椅子とテーブルを置いてバリケードを作った。気休め程度かもしれないが何もしないよりはましだ。バリケードを作っている間不思議とパイロットになる前のことを考えていた。まだ戦闘機に乗る前、孤児院を飛び出して傭兵になりたての頃のことだ。あの時から随分と遠くまで来てしまった。手に握りしめていたものがライフルからF-15のスティックに変わり、そして今は古いレシプロ機のスティックになっているのだ。30間近にしてなかなか激動の人生を送っているなと改めて思った。
バリケードを組み終わって控え室に戻るとレオナがマッチの明かりで棚を物色していた。
「おい、無茶するなってば」
「これぐらいは大丈夫だ。少しくらいは手伝わせてくれ」
そう言った彼女を見てラウンジに行く前、ソファに引き倒されたことが頭に浮かんだ。思わず顔が熱くなる。どうも今朝から彼女を見ると妙に鼓動が早くなる。彼女が無茶をしようとするのを見ると放って置けなくなる。そういう感情が湧いてきた。そんなこちらの気も知らず彼女は棚を探っている。
「せめて毛布くらいあればいいんだが…」
「あったら助かるな。夜は冷える」
話しているとレオナが棚の下からダンボール箱を見つけた。取り出して開けて見たが入っていたのはこの空の駅の帳簿のようなものだけだった。
「空振りか…」
「この部屋の棚は全部見たがこれだけだな」
レオナが箱の蓋を閉じながら言った。
「そういえば表の方はどうだった?」
「ああ、大したものはなかった。“これ”を見つけたくらいだ」
そう言って先ほど見つけたショットガンを掲げてから置いてあった椅子に腰を下ろして一息ついた。砂嵐がすぐ間近まで来たようで吹く風と建物を叩く砂の音がよく聞こえる。
「とりあえず建物内を見回った感じではここにいれば無事にしのげそうだ」
「砂嵐さえ通り過ぎればすぐに羽衣丸が来てくれる。それまでの辛抱だな」
レオナが俺の向かいにあるソファに腰を下ろした。隙間風があるせいか少し肌寒そうに腕を摩っている。普段なら大丈夫だろうが砂嵐が吹く夜に半袖の彼女の格好は寒そうだった。毛布が見つかれば良かったのだろうが生憎見つかったのはただの紙束だ。俺は彼女に自分の着ているジャケットを差し出した。
「寒いんだろ?これ着てろ」
少し言い方がぶっきらぼうだったかもしれない。
「気にしないでいい、大丈夫だから」
「目の前で寒そうにされるとこっちも寒く感じるんだ。いいから着てろ」
「それじゃあそっちが…」
「俺は下も長袖だから大丈夫だ、ほら」
断ろうとするレオナに無理矢理ジャケットを渡した。彼女が戸惑いながらありがとうと言ってジャケットを着る。降りてから思ったが彼女はなかなか他人に甘えることができないタイプの人間みたいだ。
二人の間に沈黙が続いていた。そんな時不意に明かりが消え、周囲が暗闇に包まれた。照明として使っていた灰皿の火が消えたようだ。多少は見えたので再び火をつけようとテーブルに置いてあったマッチ箱を取ったが中身はもう空になっていた。何処にしまったかと思いながらフライトスーツのポケットからライターを探したが見つからなかった。ふとライターはジャケットの方に入れていたことを思い出して向かいのソファに座るレオナに声をかける。
「レオナ、ジャケットのポケットにライターが入ってるから取ってくれないか?」
そういうとレオナが短く返事をしてポケットを探ってくれた。ライターがすぐに見つかり受け取って火をつけてテーブルに置いた。先程見つけた帳簿の紙を燃料がわりにしようと立ち上がって棚にあるダンボールの方に向かうとレオナが呼びかけてきた。
「サイファー…」
「ん?どうした?」
振り返ってみると彼女の手になにかが握られていた。ライターの薄ぼんやりとした明かりだがそれが何かはわかった。俺のワッペンだ。
「これは…どこの文字なんだ?イジツの物とは思えないんだが…」
鼓動が速くなる。俺の秘密が彼女の…この世界の人間の手の中にあった。迂闊だったと後悔した。彼女に惹かれて油断していたのかもしれない。彼女に対して返事も出来ず頭の中で必死にどう対処するか、どう誤魔化すかを考えていた。再びレオナが口を開き彼女と目が合う。
「サイファー?」
彼女のその真っ直ぐな瞳を見てこいつになら打ち明けても大丈夫かもしれない。そういう思いが湧いてくる。それに…彼女に嘘をつくのは嫌だと思った。箱から取り出した紙を着火して灰皿に置いて再び椅子に座る。燃え上がった火で俺の顔が照らし出される。大きく息を吐き出して口を開いた。
「どこから話したもんかな…」
真向かいに座るレオナに対して俺は語り始めた。
「そのワッペンを見てのとおり、俺はこの世界の人間じゃない」
「…ユーハングなのか?」
「いや、ユーハングでもない。ここでもユーハングでもない別な世界から来た…いや迷い込んだって言った方がいいかな」
「迷い込んだ…」
彼女が下を向いてボソリと呟いた。
「もしかして…『穴』に?」
「ああそうだ。迎撃任務に出て飛んでたら目の前に穴が開いてな。躱しきれずに突っ込んだら…この世界に出てた」
「迎撃任務…サイファーはどこかの組織のパイロットだったのか?」
「そうだ。そのワッペンは俺のいた部隊のものだ」
レオナが手に持ってるワッペンに目を落とす。
「『ウスティオ空軍 第6航空師団 第66飛行隊 ガルム隊』それが俺のいた部隊だ」
「ウスティオ空軍……」
「まあ俺は正規兵じゃなくて傭兵だったんだけどな」
「傭兵…か…」
レオナが眉を潜めながら俺の方を見た。この世界では傭兵はあまりいいように思われてはいないからだろう。警戒を解くために言葉を付け加える。
「傭兵と言ってもどちらかといえばレオナたちみたいな存在さ。雇う側が会社か国かの違いだよ」
「そう…なのか」
一応彼女の警戒は解けたと思うが、まだ少し腑に落ちていないようだった。
「俺の目的は元の世界に帰る方法を探すことだ。別にこの世界をどうこうしようって考えはないから安心してくれ」
そう言うとレオナが口を開いた。
「事情は分かった」
ある程度の理解は得られたようだった。胸が落ち着いてくる。
「それでこれからどうするつもりだ?何かアテでもあるのか」
「あー…それで少しレオナに聞きたいことがあるんだ」
「私に?」
レオナが驚いたように俺を見る。そのまま続けて本題に入った。
「ラハマにいる『銀髪の男』って心当たりあるか?」
「『銀髪の男』か…随分大雑把だな。その男が何か知ってるのか?」
レオナが渋い顔をして聞いてきた。自分でも流石にヒントが少なすぎるかと思った。
「今日ポロッカで俺が少し揉め事に巻き込まれたろ?あの後に見つけた本屋の婆さんが言ってたんだ。『ユーハング語の本をラハマから来た銀髪の男に売った』って」
それを聞いたレオナが手を口元にやって考えている。少しして彼女が口を開いた。
「…知り合いに思い当たるのが一人いる」
「本当か!」
彼女がそれに続けて言った。
「おそらくケイトの兄だと思うんだが…」
「なんだ?」
「今思ったんだが、彼に会う前にマダムルゥルゥにこの話をした方がいいと私は思う」
レオナの口から彼女と俺の今の雇い主の名前が出た。確かにそう言われればそうかもしれない。彼女ならラハマに顔も効く。だがこの仕事を受けようと彼女に会った時にこのことをこちらの事言わずに誤魔化した事を考えると少し気が引けた。しかしこのまま各地を放浪しながら穴について調べるより、ある程度知識のある人間がいるところに腰を落ち着けるのもいいかもしれないとも思った。
「分かった。ラハマに戻ったらマダムに相談してみる…少し楽になったよ」
「楽になった?」
レオナが少し首を傾げて聞いてきた。
「俺はイジツに来て今まで誰にもこんな事言えなかったからさ。レオナに打ち明けたら少し気が楽になったよ…ありがとう」
彼女に打ち明けたことでここに来て止まっていた歯車が動き出した感じがした。こんな感覚は初めて“あいつ”と組んだ時以来だ。
「改めて言われるとなんだかくすぐったいな。私の方こそ今日は助けられた。礼を言う。ありがとう」
彼女が右手を差し出してきた。初めて会った羽衣丸のタラップで交わさなかった握手を今交す。握ったその手に力強さと脆さを感じた。
その後、軽く自分のことを彼女に話した。一通り話して時計を見るとなかなかいい時間が経っていた。
「さて、あとはこの砂嵐が治まって羽衣丸が迎えに来るのを待つだけだな。俺が火の番してるからレオナは寝てくれ」
「いいのか?先に私で…」
「さっきも言ったろ?怪我人は安静にだ」
「…分かった。少し寝たら交代するから起こしてくれ」
そう言ってレオナが結んでいた髪を解きソファに横になった。思わずその仕草にまたドキドキしてしまった。しばらくすると彼女の寝息が聞こえてくる。先ほどの仕草が目に焼き付いて離れない。速くなった鼓動が治らないまま夜は更けていった。
数時間が経ちすっかり風の音は止んでいた。結局レオナを起こさずに一晩を過ごした。怪我をした彼女に無理をさせるのが嫌だった。腕時計を見ると7時を指している。羽衣丸が救援にくるのはいつだろうか。そんなことを考えているとレオナがソファから起き上がった。
「おはようレオナ、よく眠れたか?」
「おはよう……すまない、ずっと番をしてくれたんだな」
「好きでやったんだ、気にするな」
そんな会話をしてると微かながら音が聞こえてきた。だんだん大きくなってくる。ある程度大きくなったところで戦闘機の音だと分かった。隼のエンジン音だ。ショットガンを片手に二人で控え室を出て裏口から外に出た。晴れ渡る空が暗闇になれた目にしみる。手をかざしながら空を見ると隼が旋回していた。こちらに気づいたようで高度を下げ始めた。目が慣れてきて機体の判別がつく。赤い鳥のエンブレム、キリエの隼だ。緩い左旋回をしながらコクピットからキリエが俺たちに向かって手を振っている。俺たちが手を振り返すとキリエが旋回して何回かバンクしながら飛び去って行った。どうやら先に無事かどうかを確かめに来たようだった。ふと飛び去った方向から目を下に移して自分の機体を探した。幸いなことに俺の機体は砂を被ってはいたが、無事に砂嵐に耐えたようだ。しばらくするとまた別なエンジン音がきこえてきた。音のする方向を見てみると飛行船が見えた。半日ぶりに見る第弐羽衣丸の姿だ。ゆっくりと高度を下げて羽衣丸が地上に到着した。整備班が出てきて手早く繋留作業が進んでいく。作業を見ているとレオナの名前を呼ぶ声がした。ザラだ。
「レオナ!」
「ザラ…」
レオナにザラが駆け寄る。すぐにザラがレオナの頭の包帯に気づく。
「その包帯は?」
「着陸した時にぶつけてしまってね。心配しなくて大丈夫だよ」
その言葉を聞いてザラが胸をなでおろしてると、後ろからコトブキがやってきた。彼女たちがレオナと話している中でナツオ班長の姿が見えた。彼女の指示で俺とレオナの機体が羽衣丸に運び込む作業が進んでいく。その作業を見ていると後ろからレオナが俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「サイファー、これは返すよ。今回はありがとう」
彼女が着ていた俺のジャケットを脱いで差し出してきた。
「もっと着ててもいいんだぜ。似合ってたぞ」
つい口からそんな言葉が出てしまった。そんなことを言いながら彼女からジャケットを受け取って袖を通した。彼女がジャケットを着た俺を見て言った。
「持ち主が着るのが一番だよ。よく似合ってる」
そんな彼女の言葉にまた顔が熱くなる。ジャケットからうっすら彼女の香りがした。
空の駅、ローソから救出されて1日が経った。羽衣丸は現在順調にラハマまでの航路を進んでいる。もうあと数時間でラハマに到着するという段階だ。今回の輸送では2回も空賊に襲われた上に不時着先で野営までした。おまけにレオナに俺が違う世界から来たということまでバレてしまった。これだけのことがあると流石に疲れがたまる。こんなに立て続けに色々起きたのは円卓を通り抜けてアヴァロンダムを目指したあの時以来だろうか。そんなことを考えながらベッドで横になってるとふと機体の整備はどうなってるだろうかと頭に浮かんだ。ベッドから体を起こして格納庫へと向かった。
格納庫では俺の紫電改のエンジンの整備とレオナの隼の整備が行われていた。レオナの隼の近くに班長がいるのを見つけたので声をかけるとこちらに気づいて振り向いた。
「おう、砂嵐の中を飛ぶなんてだいぶ無茶なことをさせたんだな。エンジンが砂まみれだったぞ」
「面倒をかけてすまないな」
「レオナやお前が無茶したお陰で羽衣丸は無事なんだ。好き勝手に飛ばして壊したわけじゃねえんだから構わねえよ」
「ありがとう。どれぐらいで直りそうなんだ?」
「お前の機体はあと少しってところだな。1時間もしないうちに飛ばせるようになるぞ」
その言葉を聞いて安心した。買ったばかりの機体がスクラップになるという展開は避けられた。
「助かる。1時間ぐらいしたらまた顔を出すよ」
そう言って格納庫を後にしようとした時不意に腹が鳴った。考えてみれば空の駅から今まで何も食べずに過ごしていた。何を食べようかと考えながら格納庫から出た。向かう先はサルーンだ。
扉を開けてサルーンに入るといつものようにコトブキがいた。みんないつもどおりの位置に座って談笑している。一番奥側に座ってるレオナが俺に気づいて軽く手をあげる。こちらも軽く手をあげて目を彼女に向けると頭には新しい包帯が巻かれていた。だいぶ座り慣れたいつもの席に着いてメニューを睨む。もう1時間もしたら飛ぶことを考えると今回もハンブルグサンドでいいかと思っているとリリコがコップを持ってきた。まだ俺は注文なんてしてはいない。持ってきたリリコにハンブルグサンドを注文するついでに聞いてみた。
「これは?」
「こちらのお客様からよ」
あちらではなくこちらという言葉で察した。目の前のテーブルに座ってるザラがこちらを見て言った。
「昨日レオナを助けてくれたお礼よ」
そう言った彼女に礼を言って言って一口いただいた。中身はオレンジジュースだ。いつもと変わらないはずなのに美味しく感じた。そう感じた理由は1日ぶりに飲んだからだったのかそれともレオナを助けられた喜びからなのかはわからなかった。それから程なくしてリリコがハンブルグサンドを運んできた。それを見ていたチカがこちらを向いて言った。
「おっさん前もそれ食べてなかった?たまにはカレー食べようよ!カレー!」
それに続いてキリエが口を開く
「チカ人のこと言える?チカだって一人の時いっつもカレー食べてるじゃん!」
「それならキリエなんか毎日のようにパンケーキ食べてるじゃんか!キリエはパンケーキオバケだね!」
初めてあったラハマの飛行場でぶつかった時もこんな感じで飛び出してきたんだろうかと考えつつハンブルグサンドに口をつけた。二人がじゃれ合っているのをレオナが制止する。
「二人とも食事の時くらい静かにしろ」
レオナの一喝で二人が大人しくなる。彼女の体調もすっかり元どおりになったようだ。昨日の怪我してふらついていた姿がすでに懐かしく思えるくらいだった。エンマが紅茶を飲みながら呆れた声で言った。
「キリエもチカも毎回のように喧嘩してよく飽きませんわね」
「キリエとチカが食事中に口論になるのはこれで126回目。レオナが静止したのも同じ回数」
ケイトがスラスラと今までの回数を羅列する。あのやりとりを126回も止めてると考えると流石にレオナの苦労がわかる気がする。ハンブルグサンドを食べ終わりコップに残ったオレンジジュースを流し込んだ。まだ格納庫に行くには少し早いかと思い、少しコトブキの会話に耳を傾ける。キリエ達が俺とレオナが空の駅に退避してる間に羽衣丸が砂嵐をどうやり過ごしたか話している。そういえばレオナから彼女達に俺のことは伝わってるんだろうか。キリエとチカが俺にそのことを聞いてこないところを見るとまだ伝わってないとは思うのだが。少しの時間が経ち時計を見ると先ほどナツオ班長に戻ってくると言った時間まであと少しという時間だった。席を立って格納庫へ向かおうとサルーンから廊下に出るとレオナが俺を呼んだ。
「すまないサイファー、一つ聞きたいことがある」
「なんだ?」
「ザラ達にお前の正体を伝えても大丈夫か…?」
「…構わない、どのみちマダムルゥルゥに教えることになるんだしな」
「そうか…わかったよ」
彼女がサルーンへと戻っていく。扉の向こうに消えていくわずかな時間だがずっと見ていた。彼女が気にかかるのに彼女と面と向かって話すのが上手くできない。後ろ姿だけを目で追いかけてしまう。思わず自分自身にため息が出る。気持ちを切り替えて格納庫へ足を進める。今はとりあえず空に上がろう。あの広い空で一度頭をスッキリさせよう。そう考えながら格納庫へ向かった。後ろから視線を向けているザラにはこの時は気づかなかった。
格納庫へ到着するとすでに俺の機体はすっかり元通りになってエンジンがかけられて暖機運転まで行われていた。レオナの隼の方に目をやるとこちらもほとんど整備は終わっていた。整備班の手で操縦翼面のチェックが行われている。その作業をしていた班長にこちらから近づいて声をかけた。エンジンが回っているからかなり大声になった。
「すっかり元通りだな!もう飛べるのか!」
「来たか!もう準備は済んでる!副船長に話は通してあるし弾も装填済みだ!いつでも出ていいぞ!」
「了解!整備ありがとよ!」
班長から離れて紫電改に近寄る。鼻に付く排気の臭いが心地いい。機体のステップを踏んでコクピットに体を収める。1日と少しぶりなのに随分と心が踊った。シートベルトを締めて機体の動作チェックを行う。エルロン、エレベーター、ラダー、フラップ、プロペラピッチ、ミクスチャ、カウルフラップ、全てOKだ。タキシングして滑走路に出て船橋に連絡して発進の許可を取る。
<<船首ハッチ開放します>>
<<風向きは200度 風速2.5クーリルです>>
<<総員注意 制動開始 サイファー発進を許可します>>
その言葉を聞いてスロットルを徐々に押し込んでいく。右にラダーペダルを踏み込んでカウンタートルクに負けないようにしながら滑走していく。ハッチの端まで来たところで機体が下に沈み込みながら空におどり出る。キャノピーから太陽の光が差し込み青い空が見える。カウルフラップを閉じてスロットルを押し込んで加速していく。機体が羽衣丸から離れていく。ある程度離れたところでスティックを引いてピッチアップ、一気に上昇を始める。エンジンは快調そのものだ。2000psを誇るホマレエンジンが機体を引っ張り上げる。ある程度上昇したところで水平飛行に戻して再度加速する。次にロールして降下を開始。重力に引かれた機体が一気に加速する。5000ftほど降下したところで再び水平飛行へ移行。その後にバレルロールやスナップロール、スプリットSやインメルマンターンを試した。ある程度試したところでサネアツ副船長から無線が入った。
<<サイファー 聞こえるかい?>>
<<副船長?どうしたんだ>>
<<君のいる位置から 北西に10キロクーリル行ったところでレーダーに戦闘機の反応が7つあるんだ>>
<<空賊か?>>
<<レーダーを見る限り近づいては来てないんだけど一応そっちには行かないように気をつけてね 空戦してるみたいだから>>
その言葉を聞いてすぐに機体を高度を上げつつ北西方向に向ける。副船長には悪いがもし誰かが空賊に襲われてるのならば放っておくことはできなかった。
<<ねえちょっと!?そっち行っちゃダメだってば!>>
無線のスイッチを切り副船長との通信を切る。15nmほど進んだところで曳光弾の航跡が見えた。見たところ1機の飛燕と5機の隼二型が交戦しているようだ。事前の機数と違うのは一機墜ちたからだろう。機動的に飛燕の方が隼を1機墜としたようだ。鋭い機動で隼を翻弄している。その機動を見ているうちに奇妙な感覚を覚えた。俺はこの機動を見たことがある。記憶にある機動と照らし合わせていく。コトブキのや今まで出会ったイジツのパイロット達の機動を思い出すがそれとは一致しない。この機動を見て頭の中に浮かぶのは元いた世界のパイロットだ。それもただ一人。そんなはずはない、奴がここにいるはずはない。そう思いながら機体を目の前の空戦へと進めたが、機体の塗装を見てフラッシュバックが起きる。
白い塗装に黒いアンチグレア、そして右の主翼を中程から赤く染め上げた機体。
『片羽の妖精』かつて俺の相棒だった男。
混乱する頭に対して体は勝手に動く。空戦の真上に到着した時に体はもう戦闘態勢に入っていた。機体をロールさせて降下を開始。高度がぐんぐんと下がり敵機との距離が近づいていく。狙うは飛燕の後ろを狙おうと注意が疎かになっている隼だ。220ydまで近づいて隼の進路に機銃を放つ。向こうがこちらに気づいたようだがもう手遅れだ。機銃弾が隼を貫きタンクから炎を上げて墜ちていく。降下から機体を引き起こしつつ左旋回を開始して飛燕の後ろに着く。降下で速度が乗ってる分飛燕よりこっちの方が速い。そのまま飛燕を追い抜いて奴の左前方に出た。その状態でバンクを振る。撃たれる可能性もある無謀な行為だったかもしれないが今はこれしか思いつかなかった。何度かバンクを振ってみたが撃ってくる兆候はなかった。あいつが分かったものと想定して再び隼への攻撃を続行することを決める。俺が飛び込んできたことで隼の連中は混乱していた。改めて隼の翼を見ると明るいグリーンと茶色のツートンカラーに中にハイエナのマークが確認できた。こいつらは単独行動してる機体を狙うことで知られてる空賊『ブチハイエナ団』だった。混乱から解けないうちに墜としきることにした。スロットルを再び押し込み加速する。それに合わせてあいつも俺に追従する。目の前にいる隼を左旋回で左旋回追いかけていると隼が急旋回した。旋回半径では隼に紫電改も飛燕も勝てないのは分かりきっていた。その誘いに乗らずに上昇してハイヨーヨーに持ち込む。上昇して上から見ると旋回の終わりで速度が墜ちきるのが見えた。ループの頂点から降下して攻撃を開始しようとした時にあいつが俺の後ろから外れた。おそらくこちらの後ろに着こうとしている隼を見つけたんだろう。後ろはあいつに任せて目の前のフラフラの敵に照準を合わせた。速度が落ちているためにリードアングルはほとんど取らずに済んだ。左手でトリガーを1秒程度引く。機銃が唸りを上げて隼に風穴を開けていった。翼がへし折れて敵が脱出するのが見えた。撃墜後に後ろに敵が付いていないか見ると俺の後ろに着こうとしていた敵を追い詰めて墜としていた。相変わらず無駄のない正確な狙いだ。これで残りは2機だ。周囲を探すと1機が降下して逃げの姿勢をとった。それを上から降下してあいつの飛燕が追う。降下速度では重い飛燕が有利だ。あっという間に追い詰めて機銃を逃げようと旋回した先に叩き込んでいた。隼が胴体をへし折られて錐揉みしながら墜ちていく。残りの1機を探していると俺の後方に着こうと旋回しているのが見えた。今回は隼の方が上にいて速度も乗っている。乗った速度を活かして俺に攻撃しようと距離を詰めてきたところでスティックを左手前に引いてバレルロールを繰り出す。速度の乗った隼はそのまま俺の前にオーバーシュートした。敵が急旋回でやり過ごそうとするが俺が機体を立て直してトリガーを引く方が早かった。ガンサイトの中で隼が切り刻まれる。燃料タンクに被弾したのか爆発を起こして目の前で四散していった。
空域がクリアになる。水平飛行をする俺の横に片羽の赤い飛燕が着いた。それを見て俺はかつてウスティオで俺たちが使っていた周波数にチャンネルを合わせて無線機のスイッチを入れた。少しの沈黙の後、かすかな雑音以外聞こえなかったチャンネルからクリアな声が聞こえた。
<<よう相棒 まだ生きてるか>>