ゲームブランド「オーガスト」さんの作品、『月は東に日は西に』の全年齢向け二次創作小説です。
お話のベースは、イベント等でオーガストさんが配布されている「オフィシャルファンブック2004-2005冬号」内にて公開された、『お年玉』(はにはにショートシアター)から。とはいえ、そちらを未読の方でも、「はにはに」さえご存じであれば楽しめる内容となっております。
『お年玉』で描かれた物語を元に、きっとその翌日はこんなことになるんだろうな……と思い描いてみた、後日談的なお話です。

初出:2005年、自サイトにて。一部加筆・修正しての投稿となります。

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続・お年玉

  

 1月4日。ジャスト午後0時。

 

 晴れやかなる正月も、またたく間に過ぎ去ってしまうこと数日。

 三が日も昨日までのこととなり、周囲は少しずつ正月気分から日常の色彩を取り戻しつつある。

  

 叔父さんと英理さんは、今日からふたたび多忙なる仕事の毎日。

 俺や茉理も、あと何日か日を重ねれば、新学期が待っている。

 みんな、どうしてるだろうなー。

 怠惰な日々にもだんだんと飽きてきた身には、勉学という一事さえのぞけば学園生活もどこか楽しみに思えてくる。

  

「……っとと。それはそれとして、だ」

  

 気を取り直し。あらためて、俺はリビングの時計へと目をやった。

 そろそろ約束の時刻だ。

  

「……あれ、直樹、どっか出かけるの?」

  

 ひょっこり。

 

 と、そのとき。

 じつにタイミングよく、茉理が湧いて出た。

  

「湧いて出たとかゆーなっ!」

「な、ななな、何も口にしてませんが!?」

  

 じつに的確きわまる洞察力に驚愕を隠しきれない俺を前に、茉理は両手を腰に当てながら、勝ち誇るような笑みを浮かべた。

 新たな年を迎えようと、いかに月日を重ねようと、この態度だ。俺に対する強気っぷりは、どうやら今年も不変らしい。

  

「ふっふっふ~、従妹をなめちゃいけませんな。直樹の考えてることくらい、なんでもお見通しなんだから」

「……んじゃさ。俺がこれからどこへ行こうとしてるかくらい、別に言わなくてもわかるよな?」

「わかるわけないじゃない、そんなの」

  

 どっちだよ……。

 適当なことをほざく茉理に感心するやら呆れるやらしつつも、俺はとりあえず簡単に説明してやることにした。

  

  

  

「昨日、英理さんたちにも話したろ? コンビニ行く途中で、美琴に会ってさ――」

  

 商店街に入ったところでばったり、というのが、年が改まって最初の出会いとなった。

 偶然が導きたもうた、クラスメートとのいわゆる初顔合わせ。

 で、急きょ。彼女の発案により、開店したばかりのラーメン屋へと俺たちは向かったのだった。

  

「せっかくの三が日なんだし、家でおとなしくおせちでも食べてればいいのに」

「うっさいな。いいかげん飽きてたんだよ」

  

 とにかく、途中で多少のトラブルに見舞われたものの、なんとか俺と美琴は目指すラーメン屋へと到着して。

 はやる心を抑えつつ、いざその敷居をまたごうとしたところで……。

 新年早々、厳しい現実がどかんと行く手をふさいだというわけだった。

  

「あー……。たしか目前でスープ切れで終わっちゃったんだっけ? ぷぷ、直樹らしいオチというかなんというか」

「俺らしいオチというのはどういうことだか、きっちりと説明してもらおうか。え、茉理さんよ?」

「……で? それがこれから出かけるのと、なんの関係があるわけ?」

  

 険悪な目線で一瞥をくれる俺に対し、さらりとスルーしてかわす茉理。

  

「もういい。お前も誘ってやろうかと思ってたけど、連れてってやんねー」

「え、また行くの? 昨日の今日で」

「ああ。美琴とももう約束してるしな」

  

 うなずく俺に、茉理は「あっきれたー」という言葉を浴びせてくる。が、すぐにそんな態度をあらためたのは、美琴に対する遠慮だろうか。

 とにかく、次に姿を現したのは、まんざらでもない雰囲気。

  

 …………。

  

 しゃーねーなー。

  

「……で、どうすんだよ。お前も来るか?」

  

 我が供をさせるにはおよそ分限をわきまえぬ不心得者だが、これでも不肖の一族だ。

 寛大なる俺様の随員に認めてやろうではないか、うむ。

  

「うーん。あたしも行ってみたいなーとは思う……んだけど」

「……んだけど?」

  

 興味がありそうなわりには、茉理の返答はずいぶんと歯切れが悪かった。

  

「ラーメン、なんでしょ?」

  

 などと、当たり前のことを聞いてくる。

 それでもご丁寧にうなずいてやる俺に、眉根を寄せて考えこむ茉理。

  

「うーん……ムダに太ったりとかしないかな?」

「……はああ?」

  

 まったく予期すらしなかった一言に、俺はいささか突拍子もない声をあげた。

  

「太るかもって……お前、そんなこといちいち気にするようなスタイルでもないだろうが」

「わーかってないなー、直樹はー」

  

 だが、そんな俺の台詞に対し、茉理は口元に伸ばした人差し指をちちち、と左右に振る。

  

「ひとときの満足よりも、一年後の体型なの。たった一度の気の緩みがさらなる油断を引きこんでですね……最後には直樹みたいな自堕落な生活へ結びつくかもしれないんだから」

「……」

  

 くっそ。さっきから本人を前に、ずいぶんと無礼な態度をつづけおるではないか。

 従妹の口から連弾のごとく放たれるハートフルかつ温かなお言葉の数々に、俺はひたすら涙が出る思いだった。

 それにしても、なあ……。

 たかが一食のラーメン程度で、ずいぶんと大げさなような気もするんだが。

  

「あとのことは知らんが、一回食うぐらい気にすることないだろ。……それにだな」

「それに……?」

「チャーシューさんは、脂肪の固まりみたいなもんだぞ?」

「……はあ?」

  

 俺がもらした一言に、きょとんとする茉理。

 ふふん、分かっちゃない。何も分かっちゃないな。

 仕方がない。やれやれと首を振りつつも、これも可愛い従妹のため、懇切丁寧にレクチャーしてやろうではないか。

  

「いいか、茉理。待っているだけでは、なにも解決しないと思うんだ、俺」

「だからさっきから、何を言って……」

  

 より一層、まるで不可解なモノでも見るような目つきが強くなる。

  

「要はおなじ脂肪だからな。チャーシューと同化し、おのがバストへと取り込むがよい」

「……」

「ユアバスト・モアモア・アップアップっ! 端的に言えば、おおきくなれよーうという兄心だ」

  

 うむうむ。

 悲しみを誘う――平板に近しい、茉理の胸元。豊満という単語とは、おそらく生涯仲良くなることはあるまい。

 ときに異性関係において重要な武器となりうるものを持たざる従妹のことが、どうにも不憫で気がかりなわけで。

 というわけで、さすがはお兄ちゃんなのだ。我ながら、実にいいアドバイスをしたものよ。

  

「……ところで、いまの英語。本場イギリスでも通じるかな?」

「そんなこと……あたしが知るかあぁーーっ!!」

  

 ……親心というものは、なかなか伝わらないものだなあ。

 と、しみじみ思う。

 感謝の言葉を述べるどころか修羅と化した茉理を相手に、俺が家を出たのは美琴との約束の刻限を大幅に過ぎてからだった。

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

 ――くだんのラーメン屋は、駅前で賑わう区画の大通りから少し外れた場所にある。

 すでに昨日、一度は訪れたところだ。今さら迷うこともない。

  

「へえ、あそこなんだ。なになに……『らあめん四郎』?」

  

 足を進めるごとに大きくなってくる看板を眺めやりながら、茉理もなんだか嬉しそうに声を弾ませる。

 その心情は、分からないでもない。茉理だって、やっぱり元旦を迎えてからのおせち料理の日々にはいいかげん飽きていたということだ。

 吐き出した息が白く靄って、冬の空に溶けていく。とうに葉のすべてを身から落とした街路樹が、かさかさと枝を揺すった。

  

「あ、来た来たー」

  

 と。

 店の前にぽつんとたたずんでいた赤いポニーテールが、こちらの姿を認めてぶんぶんと勢いよく手を振ってきた。

  

「やっほー。美琴さーんっ!」

  

 小走り気味にそちらへと近づきながら、同じように大きく手を振り返す茉理。

  

「茉理ちゃんも来たんだー。あ、そうそう、今年もよろしくね」

「はいー。こっちこそ、よろしくですよ」

  

 やがて店の前で合流を果たすと、茉理と美琴はお互いにぺこりと仲良く頭を下げあった。

 うむ、じつに微笑ましい。

  

「すまん、待ったか?」

「もう、待ったよー。ひょっとして忘れちゃったのかな、って思ったくらいなんだから」

  

 口を尖らせて軽く文句を述べる美琴の服装は、昨日とたいした違いはない。

 この時季にしては薄着なのではと気にもなるが、余計な杞憂と笑い飛ばすくらいの活力が今日も彼女には満ちているようだ。

  

 今回の目的はラーメンを食べるという、ただ一点にのみ集約されている。

 ゆえに美琴との集合場所もあれこれと余計な要素を入れずに、ダイレクトに店の前でと決めたのだった。非常に分かりやすい。

  

「まったく、わき目もふらず現地集合なんて……。これがもしデートとかだったりしたら、ムードもなにもあったもんじゃないですけどね」

「仮に2人きりのデートだとしたら、そもそもお前がいること自体がムードぶち壊しだっての」

  

 美琴との挨拶がすんだと思ったら、さっそく言いたいことをそのまま口にしてくる茉理。

 そんな彼女に言葉を返しつつ、ならばものは試しにと、この従妹を伴なったデートシーンを俺は脳裡にシミュレートしてみれば……。

  

「く、久住くんっ!? そんなに頭を振ったら、おかしくなっちゃうよ?」

  

 ――俺はあらんかぎりの全力で頭を左右に振り、その姿に驚く美琴の声を耳にしながら思い浮かべた光景を打ち消した。

 い、いかん。ちょっと想像しただけでも、戦慄するがごとき最悪の結末しか浮かんでこない。

 例えてみるなら甘いラブソングばかりのアルバムに、アツい(オトコ)のド演歌が不意打ちのごとく乱入してくるといった感じだろうか。

 恋人とのささやかなる幸福の時間だったはずが、こいつの闖入により一転して阿鼻叫喚の地獄の様相を見ることは明らかだった。

 ひとの恋路を邪魔する者は、お馬さんに蹴られる……どころか逆に躊躇なく蹴り返すであろう、そんなラバーズにとっての天敵たる、悪魔マッツーリー。

  

「あ、あわわわ……」

  

 自分の導き出した結論に、俺はひたすらに恐れおののくばかりだ。

  

「……今度はひとりでぷるぷる震えだしたりして、何やってるの? 先に中に入っちゃうよー」

「いいんですよ美琴さん。あんな馬鹿はほっとけば」

「って、お前ら、ウェイトぅウェイトぅ! ちょっと待てっつーに!」

  

 入口ののれんをくぐったのは、俺が一番最後だった。

  

  

  

  

 店の内部はさすがに開店したばかりということもあり、熱気に包まれている。あと少しですべての座席が埋まるほどの賑わいだ。

 そんななか、運良く3人でそろって座れるカウンター席を発見して、そこに腰を落ちつける。

  

「いやー、席空いててよかったねー」

「まったくだ。まさか正月の真っ昼間からこんなに客が入ってるなんて思いもしなかった」

「きっとみんな、わたしたちと同じ考えなんだよ。それにできたばかりのお店って、やっぱり誰でも行きたくなっちゃうしね」

  

 と、そんなことを美琴と話しているあいだも、店内に充溢(じゅういつ)するスープの香りが鼻腔をくすぐってやまない。

 ちょうど昼時ということもあるけど、豚骨系と思われるその芳香に、俺たちの期待と食欲もぐんぐんと高まっていく。

  

「昨日だってスープが売りきれちゃったくらいだもんね。どんななのかな、楽しみー♪」

「んっとー。それじゃ美琴さん、なに頼みます?」

  

 茉理がメニューの書かれた板を指差す。

  

「えーとねー。……とりあえず今日は初めてだから、基本のかな?」

「……なんだそのセレクトは。つまんねー」

「べ、別に笑いを取ろうってわけじゃないもん。いいでしょ、何を頼んだって」

  

 頬を膨らませながら、「それにね」と付け加える美琴。

  

「それに、最初はあまり余計なものを入れてない方が、そのお店の味……っていうのかな、そうしたのがよく分かると思うんだ。気に入ったらまた来て、そのとき他のメニューを頼んでみればいいんだし」

「そんなもんかな?」

「いいのっ。そんなもんなの」

  

 まあ、美琴がそれでいいと言ってるんだ。せいぜい貧弱な具を相手に、存分に舌鼓を打つがいいさ。

 さってと、俺は何にしようかな。

  

「えっとー。それじゃあたし、チャーシューメンで」

  

 すると、俺を挟んで美琴の反対側に座る茉理が、美琴に比べてずいぶんと豪勢なメニューを注文する。

  

「お前、太るからイヤだとかって話はどこ行ったんだよ?」

「いいのっ。食べたいときに食べたいものを食べるって決めたのっ」

「それって、ただ単に自分の欲望に忠実なだけじゃないか」

「むー。それじゃわたしたちの注文に文句ばかり言ってる久住くんはさ、何を頼むのよ?」

「俺か? 俺はだな……」

  

 言いながら、再びメニューの方をちらちらと見る。

  

「よし……茉理に負けじと、ワンタン入り坦々麺にしよう!」

  

 決めた。

 こちらもこちらで、チャーシュー麺なんぞに劣らぬなかなかにゴージャスな内容だろう。

 ふふん、食べたい時に食べたいものを食べるって決めたのだ。今決めたのだ。

  

「……ワンタンに坦々麺?」

「あれ? そんなのメニューに書いてあったっけ……?」

  

 なんじゃそりゃと呆れた顔をする茉理に、きょとんとしながら再びメニューに目を向ける美琴。

  

「……あー、美琴さん。こいつはカレー専門店でクリームパスタを注文するようなヤツですから……」

「って、ま、茉理さんは人聞きの悪いことを抜かすんじゃありませんっ。ここはラーメン屋でございますよ? ワンタン入り坦々麺を頼んで、なにが悪っての」

「で、でも、ここ豚骨系の専門店……だよね?」

「いいんですよ、ほっとけば。それじゃ直樹、アンタは水ね」

「……普通に全部入りでお願いします」

  

 かくして、俺専用の特別メニューの夢はあえなく潰えたのだった。

  

  

  

  

 ――それから、しばし待つこと数分。

 俺たちの眼前にそれぞれが注文したラーメンの器が、ぼすんと音を立てて置かれた。

 その(どんぶり)からは出来たてを示すもうもうたる湯気が、天井まで手を伸ばそうとしている。

  

「お、きたきたー」

「うわー。美味しそうだね、久住くんっ」

  

 茉理も美琴も、いかにも待ちかねたといった様子だ。かくいう俺も、そんな2人とそう大差はない。

 昼食時に加え、さっきからのこの香りだ。これで少しも食欲が刺激されないとしたら、そっちの方がおかしい。

  

「それじゃ、いっただっきまーすっ」

  

 そんな美琴の声と同時に、俺と茉理はお互いの箸を割った。

  

「へー。全部入りって、なんかたくさん具が入ってるんだね?」

「……感心したところで、ひとつもやらんぞ?」

「けちー。いいですよーだ」

  

 それでも美琴は充分に満足しているようだった。にへら~と崩れた表情が、幸せなことを雄弁に物語っている。

  

「いいじゃん。なにかひとつぐらい、美琴さんにあげなよ」

  

 と、美琴に顔を向けた俺の背後から、茉理のじつに余計な一言が飛んできた。

  

「だったらお前こそ、チャーシューの一切れでも美琴にやったらどうだ?」

「ふっふーん、そうさせていただきたいのはやまやまなんですけどねー。途中に直樹なんていう余計な物体を挟んでいるから、美琴さんのところまで箸が届かないんですよー。あー、残念だなー」

  

 そんなことを言うそばから茉理はチャーシューの一切れを箸でつまむと、ひょいっと自分の口の中へと放りこむ。

  

「んー。あーおいし♪」

「……お前、悪女の素質めちゃめちゃあるんじゃないか?」

「い、いいよお。茉理ちゃんも久住くんも、別にわたしに何かくれようとしなくたって」

  

 本日何度目になるか分からない俺と茉理の険悪めいた雰囲気に、かえって美琴の方が恐縮してしまったようだった。

  

「いや、でもなあ……」

  

 とはいえ、美琴が恐縮すればするほど、なんだか彼女の器の中が哀れに思えてきた。

 ……うむ。やはり貧富の差は、少しでも埋める努力をしなければいけない。

 富める者から貧しき者へ。

 人の世とは、かくあるべきものなのだ。すなわち人道の観点より、ここはやはり支援してやるべきだろう。

  

「というわけで、俺からの援助物資を空輸してやる。遠慮せずお食べ、美琴さんや」

「あーーーーっっ!?」

  

 俺は茉理の丼の中からチャーシューをひとつ摘み上げると、そのまま美琴の丼の中へと投下してやった。

 うーん、なんて我ながら立派な善行だろう。

 ラーメン屋に咲いたちょっといい話に、思わず胸のなかが暖かくなる。うん、やっぱいいね、こういうの。

  

「な、な、な……直樹ぃーっ!」

「あー、うるさいうるさい」

  

 せっかくの清々しい気分が、茉理の騒音ひとつで台無しになってしまうではないか。

  

「いいじゃんか、一枚ぐらい。世界はこうしてお互いに助け合いながら生きてるんだ。ODAとでも思いなさいODAとでも」

「そんな政府開発援助なんて知るかっ!」

  

 しゅばばばっ!!

  

「お、お前っ。めちゃめちゃ知ってるじゃんか……って、それより俺の大切な味付玉子さんをさらうなんて、なんて根性してやがる!」

  

 たったいま、目前で起こった古今未曾有の大事件に、俺はただひたすらに驚愕した。

  

「おーでぃーえー、だったっけ? あたしの国にないものだから、もらったの」

「そりゃ、お前が自分でチャーシューメンなんぞを頼んだからだろうが」

  

 くっ。なんと白々しい……。

 この中では俺が注文した全部入りにだけしか、味付玉子は入っていないのだ。いわば期待のルーキーであり、十年に一度の逸材にも匹敵するがごとく、その価値はきわめて稀少だったのだ。

 それなのに……それなのに。

 あまりにあっけなく、茉理の口のなかで彼は生命活動を終えてしまった。

 くっそ……あったまきた。

  

 しゅばしゅばっ!!

  

「ああーーーーっっ!! こ、今度はチャーシュー2枚もー!!」

「ふざけんな、こんな豚の薄皮くらい。俺は金のタマゴさんが白昼堂々誘拐されたんだぞ? こっちの方がまだ被害甚大だっての」

  

 悔しがる茉理に、これみよがしに奪ったチャーシューを頬張ってみせてやる。

  

「ううう……も、もう許さないんだからっ!」

「ふ、2人ともやめなよ……って、うわわ……」

  

 振りかざした矛は、お互い簡単に収めはしない。あわてて仲裁に入った美琴だったが、茉理が放った次なる攻撃に思わず息を飲み込んだ。

 

 だばだばだばだばだばだば。

 

 俺ですら、茉理の手によって逆さまにされたテーブル備えつけの調味料がそのまま俺の丼の中へと容赦なく注がれていくのを、ただ呆然と見つめるだけしかできなかった。

 うっわ、ニンニクくさっ!

  

「全部入りが食べたいんでしょ? だったら薬味もたっぷり、ニンニクもたっぷり入れた方がもっと美味しくなるんじゃないかなー?」

「ないかなー? って、こんなに入れたらむしろニンニクの味しか分からなくなるわっ!」

  

 っていうか、スープの色が明らかに不自然なほど白いよ、これ。

 これを食らわねばならんのかと思うと、思わず眩暈がした。

  

「……死なばもろともだ。お前の丼もこうしてやる、こうしてやるっ!」

「ちょっ、やめっ! バカ直樹、なんてことするのよっ!?」

  

 どばどばどばどば。

  

 俺はかたわらの豆板醤のフタを空けると、一気に流れ落ちるままに茉理の丼の中へと混ぜていった。

 ついでにレンゲを手に取り、すみずみにまで行き渡るようご丁寧にも攪拌してやる。

 うわあ。自分でやったことながら茉理のチャーシュー麺、毒々しいまでに真っ赤すぎ。

 絶対ヤバいって、ヤバイって絶対、これ。

  

「そうだな……名付けて、『屠殺現場に咲いた赤い花』なんてどうだ? チャーシューにされた豚さんがたの断末魔の悲鳴が聞こえてくるような赤々しさで、なんともリアルでフレッシュじゃないか、ん?」

「言うに事欠いて、縁起でもないことを想像させるんじゃないっ!」

  

 丼の中身と同じくらい、その表情を怒りに染める茉理。

  

 ――戦況はまさに五分と五分。

 どちらが勝ちを制するのか、いまだ争闘の果てはまったく見えない。

 対峙し火花を散らす、俺と茉理の視線。互いに相手を屈服し滅亡せしめんと、残る最後の弾薬――白コショウの入った缶へむけて同時に手を伸ばそうとした、ところで。

  

「……2人とも、ちゃんと食べるんだよね、これ?」

  

 ひきつった表情を隠そうともせず、美琴がおそるおそる2つの丼を指差した。

  

「わ、わたしだったらパスかなー……あはは」

「……」

  

 一目のぞいただけでも胸焼けがするほどに、惨々たる俺と茉理との抗争が残した爪痕。

 美琴が怯えるのも、少しばかり冷静さを取り戻して考えてみれば無理もなかった。

 そ、そうだよな……。これ、俺たちが食べる……のかな?

  

 と、そんな彼女は俺たちの丼を指で指ししめしたあと。

 俺と茉理を導くように、その指先をつつつと空中に滑らせる。

 その先にあったのは――こめかみに青筋を浮かべた、店主の顔。

  

「え、えーっと……」

  

 それ以上の言葉が思い浮かばないらしい茉理が、俺の脇腹を肘先で突ついてきた。

 脂汗を額に浮かべながら、観念した俺は死を覚悟する。

  

「……せ、責任をもちまして、各自できちんと平らげさせていただきます」

「が、がんばれ……直樹に茉理ちゃん」

  

 美琴の声援が、なんだかとっても空しかった。

  

  

  

 ――というわけで。

 俺と茉理は互いの目の前に置かれた凄絶なる地獄の淵へ、心中で遺書をしたためながら挑むことになった。

 

 あ、泣きそう、俺。

  

  

  ◇  ◇  ◇  ◇

  

  

 永遠とも思えた数十分後。

 意識を朦朧とさせながらも、俺と茉理はなんとかそれぞれの任務を果たして店の外への脱出に成功した。

  

「だ、大丈夫、2人とも?」

「見りゃわかるだろ。大丈夫そうに見えるか、コレが?」

「うええ。き、きもちわるい……」

「ばっ。吐くなよ、こんなところで吐くなよ」

  

 俺はあわてて、ともに死地から生還した戦友にさらなる耐久を強いた。

 ここで踏みとどまらねば、戦禍はさらに広がってしまう。

  

「……直樹の方こそ……」

  

 憎々しげにお互いの健闘をたたえあう(?)、俺と茉理。その眼前に、ひとしく円筒形の何かが置かれた。

 美琴からの缶ジュースだ。

  

「烏龍茶だよ。あわてず飲んで、これで口直しでもしなよ」

「うー……。い、今はこれ以上、もう何もお腹の中に入らない……」

「……茉理と同じく。美琴の気持ちはありがたいけど、俺も今はムリだ……」

「……直樹……」

「……な、なんだよ?」

  

 青い顔をしながら、よたよたと茉理の顔がこちらへと向けられる。

  

「両国壊滅ということで、停戦しよ……?」

「……俺もその会談の席に着くことに、今はやぶさかでないぞ?」

「はいはい。それじゃこれで、ケンカはおしまいー」

  

 にわかに成立した和平への道に、両の手をぱんと軽く合わせながら美琴が双方に引き分けのジャッジを下した。

 正直、意地を張りすぎたかもしれない。顔色の悪い茉理を見やりながら思いつつ、きっと俺も同じような顔をしているのだろうなと顧みる。

 敵もなかなかさるもの。じつに手強い相手だった。

  

「いやー。それにしても、おいしかったねー。また来たいね?」

  

 そんな俺たちの惨状をよそに、ひとり満足そうに何度もうなずく美琴。

  

「そーですか、美味しかったですか。きっと俺とお前とじゃ違うモンを食ったんだろうな」

「そりゃ……あれだけ調味料を入れたんじゃね。見てるわたしまで気分悪くなったもん」

  

 最初は豚骨スープだと思っていたのだが、いやはや違った。

 にんにくの味のみが支配する、口と鼻とを同時に刺激してやまない過酷なるハーモニーが、危うく俺をその場に昏倒させるところだった。

 俺が食ったのはラーメンじゃない。きっとラーメンのような何かだ。

 そんな俺と茉理にむけて美琴はちょっと怒ったように、「食べ物を粗末にしちゃいけないんだからね」と語気を改めつつ説いた。

  

「……面目ない」

「……反省」

  

  

  

  

 そして。

 時間の経過とともに、なんとか俺と茉理も本来の調子が戻ってくる。

 完全に復活したとは言いがたいが、それでも普通に会話をすることくらいなら問題はない。

 わずかにふらつく両脚をどうにか動かし、ひとり元気な美琴に先導されるままに俺と茉理がたどり着いた場所は、中央公園。

 ここなら、たしかに身を落ち着けるには格好な場所だろう。

  

 冬景色の中にもわずかに顔を見せる緑が、俺が吐き出す毒々しいまでの息を綺麗さっぱりと浄化してくれるように思えた。

 それでなくても落ち着いた雰囲気は、確実に本来の調子を取り戻す手助けとしておおいに役立ってくれる。

 公園内にいくつか点在するベンチのひとつに俺と茉理は身を預けると、美琴だけはそんな俺たちの前にひとりすっくと立ちあがった。

  

 背中を向け、両手を後ろに回して組みながら。そのまま、くるりと上半身だけが回転する。

 彼女の表情に浮かんでいるものは、軽い笑みと――からかいの色。

  

「それにしても、仲いいよねー。茉理ちゃんに久住くんってさ」

  

 こちらに真っ直ぐに向けられた瞳には、悪戯めいた妖精が踊っている。

 それでいて、なんというか……ひとり納得し全てを承知しているような、どことなく妙に年上ぶった雰囲気。

  

 そんな美琴に、つられて俺も笑みを返す。

 そして、俺もゆっくりとベンチから立ち上がって……。

  

「いひゃいいひゃいっ! にゃにするのー!」

「……お前の目玉には、どうやら重大な欠陥があるみたいだな。いったいこれまでの経緯を思い起こして、どこにどう仲良くしたっていうシーンが転がってたっての」

  

 ひとり勝手に呑気なことをほざく美琴の頬を左右から指でつまむと、俺はふにふにと左右に引っぱった。

 ったく。脳から事実を曲解する妙な電流でも流れてるんじゃないのか、美琴は?

  

「いたた……思いっきり引っぱりすぎだよ。もー」

  

 しばらく両手を自在に動かして遊んだあと、ようやく解放された頬を美琴は大きく膨らませた。

  

「いきなりひどいじゃない、あんなに強くほっぺた引っぱるなんて」

「お前がおかしなことを言うからだ」

「おかしなことじゃないもん」

  

 美琴はなおも、俺の言葉をきっぱりと否定してくる。

  

「言いたいことを言いあって、やりたいことをやりあって……ちゃんと仲直りだってするんだもん。仲がいい証拠だよ」

「……」

「……兄妹だからこそ、置いちゃう距離ってのもあると思うんだ」

  

 2人はその距離が近いんだよという美琴は、なにかを思い出すように目を細めた。

 ……しかし、そんな彼女にはおかまいなく、俺と茉理はそろって猛然と反発する。

  

「そ、そんなことないって。俺と茉理との距離なんて、北海道から鹿児島くらいまで離れてるっての」

「そうですよ美琴さんっ。あたしが地球にいるとしたら、直樹なんて月に定住してるぐらいの遠大な距離ですよ!」

「ばっ、お前っ。いくらなんでも宇宙レベルってのは俺に対して失礼だろうが」

「それじゃ銀河系とアンドロメダ星雲ぐらい?」

「余計距離が開いとるわっ!」

  

 そんな俺たちのやりとりに、ついにこらえきれないといったように美琴がぷぷっと笑いをもらした。

  

「うん、やっぱり久住くんに茉理ちゃんって仲良しさんだよ。ちょっぴり羨ましいぐらいにね」

「いや、だからな」

  

 それはあらぬ誤解だ、と言いかけようとした俺をよそに――

  

「……羨ましがることなんてないじゃないですか、美琴さん」

「……え?」

  

 俺と激論を交わしつづけていた茉理の表情が、ふっと和らいで。

 それは、やがて穏やかなものへと変貌する。

  

「……ああ。そうだな……」

  

 仲がいいかどうかは別にして、膨大な時間を互いに近しい存在としてに過ごしてきた従妹。

 そんな彼女の言わんとするところを諒解した俺は、自らも認めるように首を大きく上下させた。

 茉理の……言う通りなんだ。

  

「美琴だって、その輪の中の一員じゃないか。羨ましがる必要なんて、どこにもないだろ?」

「そうですよ、美琴さん!」

  

 少しも違うことなく気持ちを代弁した俺に、茉理がことさらに強く相槌を打ってくる。

 兄妹であろうと、そうでなかろうと。互いを結ぶ関係は様々だけど。

 俺たちは、ともに笑いあったり悲しんだりすることのできる仲間だ。

  

  

  

「……帰ろうぜ、そろそろ。みんなで一緒に、さ」

「うん……うんっ!」

  

 まあ、何にせよ――

 今年もまた、退屈せずに日々を送れそうなことだけは確かなようだった。

  

  

  

 

 

「続・お年玉」 ―了―

 


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