歪んでいる僕たちは   作:五十朗

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第1話

 きっかけはささいなことだった。

 季節は寒い冬の最中、シャワーノズルに手を伸ばしたとき、気づいてしまったのである。そういえば、着替えの用意してなかったと。

 

「失敗したぁ……」

 

 膝を曲げて屈み、意味もなく、両手の平で顔を覆う。

 もちろん、本気で落ち込んでいるわけではない。珍しくもない話だ。三年前くらいだったり、五年前くらいだったりにも僕はやった覚えがある。全身の汚れをくまなく洗い落とし、浴槽に肩まで浸かって温まっていると、脳裏に閃くように気づくのが普通なので、失敗には違いなくともあきらかに成長はしているのだ。

 今なら、脱ぎ捨てた服を着直して、何食わぬ顔で着替えを取りに戻れば問題ない。

 曇り硝子がはめ込まれた真ん中で折り畳まれる構造の戸を、浴室の側にいるために引いてあけて脱衣所に戻った。と、なぜかそこに姉ちゃんがいて、きょとんとした視線が重なり合った。

 昔から、姉ちゃんにはすこし間が抜けているところがある。モデルの仕事でも務まりそうな美人さんだし、外ではしっかり者で通っているが、夜中に寝ぼけて僕の布団にもぐりこんできたり、僕の食べかけのプリンを自分のものと勘違いして食べてしまったり、といったことがしょっちゅうあった。

 今回もそれだと思った。僕が先に入っているのに気づかず、風呂に入ろうとしているのだと。しかし、説明のつかない、おかしな点があった。僕が洗濯籠にまるめてぽいっとやった下着を掴んで、口元に引き寄せようとしている風なのだ。

 

「えっと……姉ちゃん?」

 

 軽く首を傾げて説明を求めると、姉ちゃんは弾かれたように動いて、僕の下着を背中に隠し持った。

 

「ち、ちが、ちがうんだ。これは、これは……」

 

 呼吸困難に陥った金魚のように、色をうしなった唇をぱくぱくさせる。まだ状況がはっきりとは掴めないが、姉ちゃんが後ろめたいおこないに手を染めていたのは確かであるらしい。

 でも、僕はそんな泣きそうになっている姉ちゃんを見ていたくなかった。

 

「魔が、差したんだろ。夜中に甘いものを食べちゃったりとか、僕にもあるし。誰だって、そういうのはあるよ。だから……」

 

 言葉が、出ない。そもそも姉ちゃんがどういった悪事を働いてしまったのか、半分も理解できていないのだ。なおも頭を働かせて打開策を探っていると、冷え切った体がくしゃみをして、さっさと風呂に入れと僕を急かしてきた。

 

「着替え、取りにきたんだった」

 

 このままだと、風邪をひいてしまう。なんの話にせよ、服を着てからにするべきだが、そのためには姉ちゃんとの距離を詰めなければならない。その程度の刺激ですら、姉ちゃんの涙を誘うかもしれない危険性を思うと、なかなか足が前には進まなかった。

 

「着替え……? あっ……!」 

 

 本来、姉ちゃんは頭の回転が速い。僕の側の事情に思い至ると、すぐさま脱衣所を飛び出していった。どたどたと階段を二階に駆け上がる音が響いて聞こえる。僕の自室まで、着替えを取りにいってくれたのだろう。

 ならば、と僕は浴室に足を踏み入れ、シャワーノズルを掴み蛇口を捻った。ボイラーが重低音を鳴らして稼働を始めるが、湯に変わるまでには幾らかの猶予がある。シャワーを手の平に浴びせて水温の上昇を待ち望んでいると、脱衣所に姉ちゃんの気配があった。曇り硝子越しに長身の人影が写り込んでいる。

 

「ありがとう、姉ちゃん」

 

 扉越しにでも届くよう、大き目の声で呼びかける。すると、姉ちゃんは扉の前でうろうろしていたが、やがて無言のまま立ち去っていった。

 

「パンツの臭いを嗅ごうとしてたのかな……」

 

 40度ぐらいに設定したシャワーのお湯をうなじから全身に浴びる。

 まさかとは思いながらも、考えに考えた末の結論がそれだった。そういった変質者の噂を耳にした記憶が過去にあったのだ。僕にとっては、興味を惹かれる内容の噂ではなかったが、我が身に降りかかってはそうもいかない。まして、相手は姉ちゃんである。

 

「いい臭いでもしたのかなぁ」

 

 寒い季節とはいえ、今日は体育の授業があったため、汗が染みこんでいたはずである。想像を巡らせると、とっても恥ずかしいことをされたように感じて、頬が熱くなった。

 

 

 

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