怪物達の地球   作:彼岸花ノ丘

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やんちゃ娘

 

 

 ――――『封印の怪物』が動き出す、十二年前。

 

 

 空で煌々と輝いている月が、地上を照らしている。神秘的な光に満ち、森が鮮やかに色付く。五月を迎え、まだまだ若々しい葉が月明かりによりキラキラと光り輝いていた。草花が駆け抜ける風で揺れる姿は、まるで踊っているかのように可憐である。

 動物達も森を彩る一員だ。虫達の穏やかな鳴き声が森の中を満たし、幻想的な雰囲気を一層盛り上げる。フクロウが飛び、ネズミが地面を走り回るなど、夜でも元気な住人の姿も見えた。野鳥や獣の寝息も、森の合唱を飾る大切な音色だ。

 何処か現実味がない、お伽噺のような情景。誰もがこの美しさに見惚れ、言葉を失い、そして感動するだろう。

 遭難さえしていなければ。

 

「……迷った」

 

 齢十歳の少女であるレイナ・エインズワーズは、そんな森の中で己の置かれている状況をぽつりと呟いた。

 

「いやいやいや、待って。おかしい。え、なんで私こんな事になってんの?」

 

 腰まで伸びている黒髪に覆われた頭を両手で抱えながら、レイナはその場にしゃがみ込む。百四十五センチという十歳(同年代)の女子からすればやや大きな身体を丸め、芸能人でも早々お目に掛かれないほど愛らしい顔を苦悶で歪めながら、自分がこんな目に遭った原因を探るべく過去を振り返る。

 五月某日。レイナ・エインズワーズは父の故郷を訪れていた。

 レイナはイギリス人である父と、日本人の母の間に産まれたハーフである。普段は父の仕事上日本で暮らしているが、ゴールデンウィークなどの長期休暇には、父方の祖父母が暮らすイギリスに遊びに来るのが一家の決まりとなっていた。

 祖父母は海外暮らしをしているレイナにとても優しくて、遙々海の向こうからやってきた孫娘に色んなものを与えてくれる。今のレイナが着ている、不思議の国のアリスを思わせる青いエプロンドレスも祖父母からのプレゼント。とても可愛らしくて、すぐお気に入りになった。

 そうして新しい服を通行人に見せびらかすように、昼間庭で遊んでいたところ、ふと祖父母の自宅から見える裏山が目に留まった。立派な木々に覆われた、今やイギリス国土の僅か十数パーセントしかない『森』がある山だ。

 別段、気になるものがあった訳ではない。強いて言うなら「カブトムシとかいるのかなぁ」ぐらいである。レイナは十歳の女の子だったが、クラスメートの男子よりも虫に詳しく、虫が大好きな、割と変わった子だった。なお、よく男子と一緒に虫取りをして、男子を美少女特有の色香で惑わし、女子の一部を嫉妬に狂わせているが、当人に自覚はない。

 ともあれそんな些末な理由から森を見ていた時、祖父がこの地に伝わるというお伽噺をしてくれた。

 曰く、森の中には二匹の悪魔が潜んでいる。

 悪魔はとても恐ろしい姿をした虫で、常に争いを繰り広げている。大昔に悪魔達が人里に降りた時は、幾つもの国が滅茶苦茶にされてしまった。そこで人々が神様に祈りを捧げたところ、神様は悪魔達を戒め、ケンカが終わるまで森から出ないよう言い付けた。以来悪魔達は、お前の所為で森から出られなくなったと相手を責め、今でも狭い森の中で醜く争い続けている。仲直りすれば、すぐに森から出られるというのに。

 つまりあの森は危険な場所だから入ってはいけない、それとケンカをすると本当に簡単な解決方法も見落としがちで云々かんぬん……そう結ばれた話だったが、レイナは後半を殆ど聞いていなかった。それどころか森に興味を持ち、夜中に忍び込もうと決心する有り様。何故なら悪魔なんて信じていなかったし、本当にいるとすればそれは珍しい姿の虫に違いないと思ったからだ。ついでに立ち入りを禁止されて、好奇心が余計に刺激されたというのもある。

 レイナはクラスメートの男子よりも虫が好きなだけでなく、クラスメートの男子よりもかなりやんちゃな性格だったのだ。年に数度しか合わない祖父は、レイナがどれほどお転婆なのかを見誤っていた。

 かくしてレイナは両親と祖父母が寝た深夜、祖父母からプレゼントされた服へと着替え、実家から持ってきていた虫取り道具を装備。こっそりと寝室及び祖父母宅から脱走し、意気揚々と真夜中の山へ一人で直行し――――

 今に至る。

 

「あ、これ全部自分の所為じゃん」

 

 過去を辿った結果、何もかも自業自得だと気付くレイナ。彼女は性根が腐ってる訳ではないのだ。後先考えないというだけで。

 持参した網を持ち直し、首から掛けたプラスチック製の虫かごをからんと鳴らしながら立ち上がる。遭難した理由には気付けたので、次はこれからどうするべきかを真面目に考える。

 少し考えれば、案はすぐに浮かんだ。

 何処か見晴らしの良い場所を探そう。町が見えれば、そっちに向かって歩けばいずれ町には着く。そこが祖父母の暮らす町とは限らないが、人にさえ会えれば後はどうとでもなるだろう。幸い父の影響で英語ぐらいは話せるので、通行人に道を尋ねる事は出来るのだから。

 

「良し! じゃあ、とりあえずあっちに行ってみよう」

 

 思い立ったが吉日とばかりに、レイナは早速動き出す。本当にこれで家に帰れるのか、不安は勿論あるが……男子をドギマギさせても気付かない鈍感さと、嫉妬した女子の嫌がらせを気にも留めない鋼のメンタルは、遭難というシチュエーションでも有効だ。レイナは力強く足を踏み出し、神秘に満ちた森の中を突き進む。ざくざくと落ち葉を踏み締める音色が、命溢れる森の音楽に混ざった。

 一度決心すれば、レイナはもう迷わない。真っ直ぐ前を向き、何一つ恐怖のない歩みで進んでいく。その姿はとても十歳の少女とは思えないほどの逞しさがあった。

 強いて問題を挙げるなら、本当に前しか見ていない事ぐらい。

 なので足下にあった根っこに気付かず蹴躓いてしまう。

 

「んお? おっとっと」

 

 つんのめったレイナはどうにか立ち止まるべく、力いっぱい足を前に出す。ところがその前足は、残念ながら大地を捉えてはくれない。

 木陰という名の漆黒に隠れて見えなかったが――――その先は崖だったので。

 

「あっ、ひゃあああああああんっ!?」

 

 虚空で踏ん張ろうとしたレイナの身体はあえなくすってんころりん。崖下へと転がり落ちてしまった。

 日頃から虫取りのため山登りをするレイナだったが、流石に崖から転がり落ちる経験は初めて。どうしたら良いのか、考える事も出来ぬままどんどん転がってしまう。

 幸いだったのは、レイナがまだ幼い子供だったという点だ。身体は柔らかく、それでいて骨は頑丈で、尚且つ体重は軽い。加わる衝撃は弱く、受け止める身体は強かった。加えて着ている服はエプロンドレスという、露出が少なめな上に生地は丈夫なもの。高速で通り過ぎるナイフのような草木の枝葉を、人工繊維の布が防いでくれた。

 とはいえ痛くないなんて事はない。むしろ滅茶苦茶痛い。痛くて思考を巡らせる余裕なんてなくて、自分がどれだけ転がったかも分からない。

 

「ぐえっ!?」

 

 何分も転がり続けたような感覚の最後は、落ちるようにして地面に仰向けで着地。坂道で付いた加速は、レイナの身体にずっしりとした打撃を与えた。手にしていた網を手放し、衝撃で浮かび上がった虫かごが激しく胸を打つ。

 

「いっててて……うぅ、まさか崖があったなんて」

 

 幸運にも大きな怪我はなく、レイナは痛みを覚えながら身体を起こす。転がり落ちてしまったけど、此処は一体どんな場所なのだろう? もっと森の奥まで来たとすれば、帰るのがもっと大変に……

 最初は不安な気持ちでいっぱいだったレイナの頭だが、そんなものは辺りを見回した瞬間に吹き飛んだ。

 そう、今のレイナにとっては家に帰れるかどうか、家族と再会出来るかどうかさえも『些末』な事である。

 目の前に広がった、お伽噺のような、非常識な景色に比べれば――――


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