【ピピピィー!】
元気で明るい鳥の鳴き声が、北海道の大地に響き渡る。丸くて白い身体をごろんごろんと転がし、ぴょーんっと跳ねて、着地時にちょっとした大地震を引き起こす。木々が衝撃で吹き飛ぶと、それが楽しかったのか。囀るように甲高く鳴きながら、一層激しく転がり回る。
『異形の怪物』が上げたその声、そして元気いっぱいな動きに、レイナは満面の笑みを浮かべた。自分はやり遂げたのだ。大自然を生きていた命の一つを、自然から逸脱した意思から守れたと。
レイナは『異形の怪物』から、怪しい機械を取り外す事に成功したのだ。
「しっかし、なんでこんな機械を付けたんだか」
「本当に……操るにしても、住処でごろごろさせれば良いのに、なんで表に出したんだろう……?」
ちなみに現在、その機械は平治と道子が観察していた。流石にこれは壊すと色々お説教されそうなので、平治に持ってもらっている。
愚痴る二人の言葉に同意するように、レイナもこくりと頷いた。そして浮かべていた笑みを消し、忌々しく機械を睨む。レイナ的にはこんな機械など作る時点で『不敬』だと思うが……それはあくまで自分の見方。この機械を取り付けた輩の意思を探るには、その立場に立って考えねばならない。
何故こんな機械を取り付けたのか、
まず、この機械はどんなものなのか? 『異形の怪物』に取り付けられていた機械は、大きさと形からして『天空の怪物』に取り付けられていたものと同一のものだ。取り付けられていた場所も『天空の怪物』と同じく頭部。外見から性能を推測するのは専門外というのもあって難しいが、恐らく同等、或いは改良されたものだと考えるのが自然だろう。
そして二匹の怪物の特異な動きから、その行動を制御するというのが機能だと思われる。
気になるのは、『天空の怪物』と『異形の怪物』には鳥類ぐらいしか接点が見られない点だ。『異形の怪物』はかなり特殊化した形態をしており、ここまでの変化を遂げるには相当の時間が必要な筈である。共通祖先はかなり遠い、数千万年単位で昔の種という事もあり得るだろう。そこまで分類が離れていると、生理機能も何処まで共通しているのやら。
にも拘わらず、この機械は二種の怪物の動きを制御出来た。かなり広範囲に影響を与えられる、恐らく最初からそれを設計思想として開発されたものだと推測出来る。
ならば。
それを世界で、同時多発的に起こせば……
【ピ? ピピッピー! ピピピィー!】
恐るべき考えに至った時、不意に『異形の怪物』が騒ぐように鳴き始める。
突然の行動に、一瞬嫌な予感が……かつて自分が食べられた時の光景がレイナの脳裏を過ぎった。しかしすぐに、その予感が自分の勘違いだと気付く。『異形の怪物』に苦しんでいる様子はなく、むしろぴょんぴょんずしんずしんと、垂直に元気よく跳ねていた。引き起こされる地震に転びそうになるが、なんとも楽しげな様子にレイナは再び笑みを浮かべてしまう。
尤もその笑みは、突如として大地が大爆発を起こした事で強張ってしまうが。強張るだけならマシな方で、平治と道子はひっくり返る。
大地の大爆発は凄まじく、まるで原爆でも落とされたかのような広範囲が吹き飛んだ。しかしその爆発は火薬により引き起こされたものではない。炎も煙も上がらず、ただ地面が吹っ飛んだだけだ。
そして爆発現場の直情には、真っ白な『球体』が浮いていた。
否、浮いていたのではない。一瞬空中で静止したそれは、自由落下で落ち始めたのだから。つまり跳び上がっていたのだ。自らの身体の動きだけで、『球体』は大地を核爆弾の如く粉砕したのである。
やがて着地したそれは、『異形の怪物』の三倍はあろうかという巨躯を有していた。されど見た目は『異形の怪物』とまるで同じ。『異形の怪物』は【ピィー!】と嬉しそうに鳴くと、新たに現れた白い球体に寄り添う。白い球体も『異形の怪物』に寄り添い、ピピピと嬉しそうに鳴いた。
「……お、親子、なのかな?」
平治がそう呟き、レイナもそう思う。
『異形の怪物』はヒナだったのだ。それも親離れが出来ていない、小さな子供。本来は後から現れた直径百五十メートルほどの姿が、成体となった『異形の怪物』の姿なのだろう。
恐らく成体は、離れ離れになったヒナを探していたのだ。きっと親は今の今まで右往左往しながら我が子を探し、ついにその鳴き声を聞いたので直進で向かってきた……というところか。
鳥の場合巣立ちした後も、しばらくはヒナの世話をするもの。その世話は本能によるものの筈だが、しかしこうして擦り寄る姿を見ると、やはり非常に愛情深い怪物なのだろう。
【ピピィーピィーピィー】
【ピピッ!】
親鳥が鳴くと、『異形の怪物』も同じく鳴く。ごろごろと転がりながら移動した二羽は、親鳥がぶち破って出来た大地の穴を通じ、地下へと戻っていった。
「(予想通り、地底生活をしてるみたいね。しかしあれだけ大きいとなると餌は何を食べてるのかしら? 光がないから生産者なんて殆どいない筈だけど……)」
帰っていく怪物達の姿から、生態的予測を立てるレイナ。小難しい理屈を考えつつも、心の内は暖かな気持ちで満たされていた。
レイナは根っからの怪物好きだ。怪物達が自然に帰っていくのは良い景色であり、しみじみと感動しながら眺めるもの。ただ静かに、命の営みが戻るところを見ていたかったのである。
尤も、周りの一般人二人は違うようで。
「や、やったぁー! 帰ったぁ!」
「わ、私達、助かったんですね! お仕事完了ですよね!?」
はしゃぐように喜びに満ちた声を上げながら、レイナに抱き付いてきた。
いきなりの事に驚くレイナだったが、平治達のあまりの喜びように、どう声を掛けたら良いのか分からなくなる。なんとなく顔を見ていると、二人とも目に涙まで浮かべていて、ますます声が掛け辛い。
だけど、喜んでいるのだから邪魔する必要なんかもない訳で。
「(……まぁ、いっか)」
初仕事を無事に終えられた事を、黙して祝福するのだった。
「うぅ……泣いてるところ見られた……」
「恥ずかしい事なんてないですよ。最後の方はちょっと麻痺してましたけど、私達、何時死んでもおかしくない立場だったんですから」
「そうかな……そ、そうだよな。誰でも泣くよな」
胡座を掻いて草原の上に座る平治と、傍で正座している道子がお喋りをしている。体育座りをしているレイナは、そんな二人の話をニコニコしながら聞いていた。
怪物を本来の住処へと戻す――――任務を果たしたレイナ達三人は現在、最初に怪物の観測を始めた小高い丘の上に居る。仕事を終えたので荷物を片付けなければいけないのと、一仕事終えた後の小休止……ちょっと早めの夕ご飯を食べるため。
奮戦している間に随分と時間が経っていたようで、陽は西に傾き、空が茜色に染まっている。怪物親子によってズタズタに破壊された森の風景と合わさると、なんとも終焉感のある景色だ。無論森はまだまだ生きている。人工林なので人の手は必要だろうが、やがて再生するだろう。
――――そう、まだ何も終わっていないのだ。
「……さてと、そろそろお仕事の報告をしないといけませんね」
「ん? ああ、そっか。アンタにとってはこんなのは仕事の一つか」
「あ、あの、これからも頑張ってください! 無事を祈ってます!」
「いや、お二人共もうこんな目に遭わずに済むみたいな感じですけど、多分まだまだ使われますよ?」
「「……やっぱり?」」
レイナがツッコミを入れると、平治と道子は乾いた笑みを浮かべた。どうやら此度の仕事で精神的にかなり疲弊したようで、現実逃避をしていたらしい。
気持ちはレイナにも分からなくはない。自分は怪物が大好きなので命を賭けても平気だが、一般人からしたら命は惜しいものだ。明確に襲われた訳でなくとも、余波だけで人間を粉微塵に粉砕出来る化け物になんて、もう二度と近付きたくないだろう。
……これまでの経験的に、正直今回は一番『マシ』な方だとレイナは思うのだが。簡単なものから経験を積めて良かったと言うべきか、これから更に苛烈な仕事を任されると言うべきか。
尤も彼等には仕事の選択権などなく、出来る事など精々フラグを立てないよう言動に気を付けるぐらいなのだが。
「まぁ、休暇ぐらいはくれるかも知れませんけど……あー、そういえば私、あと二日は安静のところ引っ張り出されたんですよね。またベッドに戻されるのかなぁ、やだなぁ」
「なんかさらっと言ってますけど、割と大変な事ですよねそれ……?」
「やだなぁとか言ってる時点で、送り出した奴とネジの外れっぷりは大差ないと思う」
部下二人の正直な意見もなんのその。頭のネジが外れている事など自覚済みのレイナは気にも留めず、本部に連絡するための通信機を手に取った
直後、通信機がぶるぶると震える。
どうやらこちらが掛ける前に、本部から連絡が来たらしい。『ミネルヴァのフクロウ』が使用している通信機は、基本的にはどれもマナーモードだ。怪物や危険生物が蠢く環境で音を出す事は、餌が此処にあると訴える事に等しいからである。そうした業務知識も身に付いてきたレイナは、特段驚きもせず、通信機の通話ボタンを押す。
【こちらマリア。レイナ・エインズワーズはいますか?】
レイナが驚いたのは、通話相手が所長だと知ってからだ。
「えっ!? しょ、所長!? なんで――――」
【質問に答えなさい。無駄な問答をしている時間はありません】
「え、あ。はい。こちら、レイナ・エインズワーズです」
有無を言わさない強い言葉に、レイナは言われるがまま返答。まるで先生に怒られている小学生だなと、乾いた笑みが浮かんだ。
しかしながらいくら『お気に入り』とはいえ、所長という立場の人間が
【通話にすぐ出られたという事は、現在の任務は完了したと考えて良いですね?】
「は、はい。完了しました。『異形の怪物』は生息地域に帰っています」
【結構。では任務時に起きた出来事の詳細、及び新種に対する所見報告を後回しにすれば、次の任務はすぐ行えますね?】
「……はい」
所長からの問いに、肯定の返事をするレイナ。所長からはまだ具体的な事は何も言われていないが……何を言われるのか、大まかな予想は出来た。
そう、本当に予想は簡単だ。
怪物を狂わせる機械の存在、そして
即ち、此度の騒動が人為的に引き起こされた可能性だ。
それ自体は勿論大変な事である。危うく文明が滅茶苦茶になるところであったし、生態系へのダメージもどれだけ与えられたか分かったもんじゃない。しかしながらそれは後で考えたり、調べれば良い事。
怪物が誰かの意図で暴れ回らせていたとして……世界各地で暴れさせたらどうなるか? 相手は少なくとも怪物の存在を知っているのだ。『ミネルヴァのフクロウ』についても把握している筈である。そして『ミネルヴァのフクロウ』がどのような目的を持った組織であるのかも。
怪物が暴れ出せば、『ミネルヴァのフクロウ』は見過ごせない。大量の人員を差し向ける筈だ。勿論やらねばならない業務を疎かにはしないよう、努力はするだろうが……どうしても普段と比べ手薄になるし、些末の連絡事項は後回しにせざるを得なくなる。
その隙を突けば、普段は出来ないような事だってやれる筈。
これは明らかな
「……次の任務は、どんなものですか?」
全てを察したレイナは、通信機の向こうに居る所長に問う。
所長は一呼吸置いた。まるで自身の気持ちを落ち着かせるために。
あの所長が困惑している――――それがレイナの心をますます動揺させたが、されど通信機越しの所長に伝わる筈もなく。
やがて所長はハッキリとした口調で、こう告げるのだ。
【ただちに南極へ向かいなさい。そこに眠る『終末の怪物』を、目覚めさせないために】