「はは! 何を言うかと思えば! 翼竜も恐竜も大差な――――え?」
指揮官の上機嫌な顔が引き攣ったのは、道子が尋ねてすぐの事。喜びで赤らんでいた顔は一気に青くなり、泳いだ視線が、未だ眠る怪物に向けられる。
『終末の怪物』はその外観から、ごく最近まで『ミネルヴァのフクロウ』でも鳥か恐竜に属すと考えられていた。
何しろ全身が羽毛に覆われていたので、一見して恐竜か鳥類に見えたからだ。加えて南極の地下空洞には恐竜がわんさかと暮らしていたので、彼等との共通祖先から分岐した種だと考えるのが自然。長年の進化でまたしても鳥型へと変化したのか、或いは鳥と近縁な種が祖先なのか……いずれにせよ、『終末の怪物』は恐竜の系譜だというのが主流な説だった。
ところが最近、新説が発表された。
その論文は凍結状態の姿勢から骨格を推定、また氷内に点在していた羽毛を解析し、『終末の怪物』が分類学上何処に位置するのかを探ったというもの。結果、従来予想されていた分類である恐竜や鳥ではなく、実は翼竜に位置すると判明したのだ。翼を覆う羽毛らしきものは鱗が変化したのではなく、皮膜がささくれるように発達したもので、羽毛とは起源が全く異なるという。恐らく羽毛恐竜達と同様保温のために発達したもので、所謂収斂進化というやつだ。
かくして
「(そりゃまぁ、当初思っていた分類とは違いました、なんてのは生物学じゃよくあるけど……)」
生物の姿形は適応の結果に過ぎない。よって知見が少ない発見初期に姿形を指標にした結果、間違った分類を当て嵌めてしまうのは多々ある事だ。『ミネルヴァのフクロウ』だって最近まで『終末の怪物』の分類を間違えていたのだから、人類摂理をとやかく言える立場ではない。ないのだが……だから何も言わないという訳にはいかない。
人類摂理側がどれだけの技術力を持ち合わせているかは不明だが、怪物を操る機械を一朝一夕で作れる筈もない。開発が始まったのはそれなりに昔の事で、故に人類摂理のスパイは、恐らく先月発表の論文を読んでいない。人類摂理側は、『終末の怪物』の古いデータを……恐竜か鳥であるという情報を元にして研究を進めた筈だ。
ここで一つ大事な前提がある――――
確かに恐竜との共通祖先から分岐したと考えられているが、それはもう二億二千万年前の話。ちなみに鳥類誕生は、始祖鳥を始まりとするなら一億五千万年ほど前。七千万年も開きがある。恐竜という系統で繋がっているから操れる筈、という考えもあるかも知れないが……例えば共通祖先が七千五百万年前に分岐したヒトとマウスを『同じ』とし、マウスに通用した手法をそのまま人間に当て嵌めるというのは、中々難しい話ではなかろうか。
対鳥用に開発された機械は、果たして翼竜を操れるのか?
「……っ! じ、実験中止! 今すぐエネルギーを遮断しなさい!」
指揮者は拳銃を投げ捨て、近くにあった大きな機械に跳び付きながら叫ぶ。すると広間全体に彼の声が響き渡る。どうやら通信機能があるらしく、スピーカーか何かから音が発せられたのだろう。
されど彼の叫び、それを拡声した音は、氷を叩き割るような音により妨げられた。
次いでレイナ達を襲う、巨大な地震。揺れはあまりにも強く、レイナ達も人類摂理も纏めて転んでしまう。更には叫ぶような地鳴りが響き、鼓膜を超えてきた音が頭を掻き乱す。地震は中々終わらず、苦しみも終わらない。
いや、そもそも地震ではなかった。
尻餅を撞いたレイナの目の前、断崖絶壁の向こうで、巨大な影が鎌首をもたげたのだから。
巨大な翼が左右に広がろうとする。ところが野球ドームよりも大きな空間なのに、翼が完全に広がりきらない。すると苛つくように翼を羽ばたかせ、自分の動きを阻む壁に叩き付けた。氷の塊である筈の壁は、まるで砂のように呆気なく崩れ去る。
壁の崩落により支えるものがなくなり、天井も崩落を始めた。まるで雨のように氷の塊が降り注ぐ。その下にはたくさんの人達が居た筈だが……逃げきれる訳もなく。
ただ目覚めただけ。それだけで何十何百の人間が命を落とす。身動ぎだけで全てを破壊していく様は、与えられた名に恥じない。
一手、遅かった。
『終末の怪物』が、目覚めてしまったのだ。
「止めるのです! 静止命令を出しなさい!」
「は、はいっ!?」
指揮官は近くの部下に命じ、部下は傍の機械にしがみついて操作。先程まで自信満々に話していた『笛吹き男』を起動させたのだろう。
だが、『終末の怪物』は止まらない。バタバタと羽毛に覆われた翼は揺れ動き、人間の事などお構いなしに氷の壁を砕いていく。のろのろと、だけど人間からすれば凄まじい速さの動きは続く。
そして大きく伸ばした翼が、こちら目掛けて落ちてくる。
「……ぜ、全員退」
指揮者が出した指示は、最後まで語られる事はない。
力強く叩き付けられた『終末の怪物』の翼の先が、人類摂理の連中を纏めて叩き潰したからだ。静止命令など、全く聞き入れられなかった。
レイナ達『ミネルヴァのフクロウ』の人員は人類摂理と距離を取っていたお陰で巻き込まれなかったが、叩き付けた際の爆風で何メートルも吹き飛ばされてしまう。ついでとばかりに翼は氷の床と壁も易々と粉砕。レイナ達が居た広間も、この一撃により本格的に崩壊が始まった。
これほどの威力だ。人類摂理の者達はぺちゃんこを通り越して、跡形も残ってはいまい。世界を人間のものにする……その傲慢の結果としては些かあっさり気味の末路だとレイナは思うが、しかしそれは人間からの物言い。大自然からすれば、そもそも天罰を与えたつもりすらないのだろう。
そう、『終末の怪物』にとって、人間の事など端からどうでも良い。奴が翼を叩き付けたのは、愚かな人間に天誅を下すためではないのだ。例えるならば眠りから覚めた時、布団の中でもぞもぞと蠢いただけ。
人間は奴にとって、足下をうろちょろする虫けらでしかない。
「全員逃げろ! 此処に居たら潰される!」
ジョセフの声で、呆けていたレイナは我に返る。しかし理性を取り戻したところで、『終末の怪物』が動き回る事で引き起こされている、巨大地震染みた揺れの中で立ち上がるのはキツい。おまけに氷の上で上手く踏ん張れない有り様だ。
「ほら、立って立って!」
先輩が手を差し伸べてくれなけば、きっとこのまま氷の下敷きだっただろう。
先輩に引っ張られ、立ち上がるレイナ。道子は平治に支えられながら立ち、ジョセフも自力で立つ。全員が起き上がったのを見て、ジョセフは「こっちだ!」と言いながら走り出した。
「ど、何処に行くんですか!?」
「こんな時のための脱出艇がある! あっちだ!」
空洞内に響き渡る崩落音に負けないよう、大声で叫びながらレイナは問う。ジョセフも負けじと大声で答えてくれた。
ぐねぐねとした細い道を通り、やがてレイナ達は空洞内に降りるために使った階段に辿り着く。されどジョセフは階段を使わず、別の横道へと入る。
此度の横道はすぐ行き止まりに辿り着いた。
小学校の体育館ぐらいの広さがある、大きな空洞。その半分近くの床は水に浸っており……岸には三十人以上軽く乗れそうな大きさの潜水艦が浮いている。
「あの潜水艦に乗り込め! 地下水脈を通り、脱出する!」
ジョセフはそう言うと、潜水艦に跳び移った。上にあるハッチは、こんなところで時間を掛けても仕方ないからか施錠されておらず、簡単に開く。
「行こう!」
「博士も早く来てください!」
平治と道子も潜水艦に跳び移り、未だ陸地に立つレイナと先輩を呼ぶ。
恐らく、この潜水艦が最も安全な脱出方法だ。
他の脱出経路があるとすれば、地下空洞内の何処かから出るか、或いは基地内へと戻る階段を使うか。地下空洞内の別ルートなんてあるのかどうかも分からないし、あったところで中生代の生き残り達の支配域を生身で突破せねばなるまい。不可能とは限らないが、可能性は限りなくゼロだ。それと比べれば階段を登って基地へと戻る方がマシだが、基地内にも恐竜達はひしめいている。わざわざ選ぶ理由がない。
逃げるなら潜水艦一択だ。
「――――私、ちょっと怪物に挑んでみます!」
レイナが選択したのは、抗う事だった。
皆の返事を待たず、レイナは走り出す! ジョセフや道子達の引き留める声が後ろから聞こえたが、全て無視した。通ってきた道を戻り、未だ残ってくれている階段を上がり始める。
ここで何もしなければ、『終末の怪物』は悠々と世界に飛び立つだろう。
その結果人類文明が滅びるのは、良しとはしないが自業自得な面もあるので仕方ないとレイナは思う。人類摂理は全人類の中の一部ではあるが、彼等を育んだのは、長い年月を掛けて作り上げた人類文明なのだから。
されどこの星に棲まう他の生物達にとっては完全なとばっちりだ。人間が余計なものを目覚めさせたばかりに、多くの種が絶滅する……それは自然を、生き物達を愛するレイナにとって容認出来るものではない。罪悪感や同情心とは違うが、何もしないままでは
勿論勝ち目なんてないのは分かっている。レイナ単身では最強クラスの怪物は勿論、羽毛恐竜一匹倒せやしない。身の程知らずとはこの事だ。
しかし、そもそもレイナは自分の身の程を弁えた事などない。或いはここまで考えてきた『お題目』すら、心の奥底では気にしてすらいないだろう。
そう。彼女を突き動かすものは、何時だって――――
「ばっ……かなのか君はぁ!?」
自嘲していたレイナだったが、不意に後ろから怒鳴られたものだから驚いてしまう。思わず転びそうになりながら、レイナはすぐに振り返る。
そこには鬼のような形相で階段を駆け上る、先輩の姿があった。
「え!? せ、先輩!?」
「なんでいきなり階段を上り始めたんだ!? 『終末の怪物』に挑むつもりか!?」
「そうです!」
「そうです!?」
「だってこのままじゃ、地球の生態系を破壊されてしまうじゃないですか! 何かしないと! というか先輩だって来てるし!」
「君が一人で全然違う方に逃げてるから追い駆けてきたんだよ!」
ぎゃあぎゃあと口論をしながら、レイナと先輩は階段を上りきる。人類摂理により空けられたであろう、コンクリートの
基地内部は天井が落ち、壁が崩落していた。『終末の怪物』による地下空洞の崩落は、基地にも多大な被害を与えているらしい。最悪倒壊に巻き込まれてぺちゃんこだが、文句や恐怖を言っても仕方ない。
レイナは記憶を頼りに外へと向かい、先輩も後を追ってくる。脱出の最中、恐竜達の姿は見られなかった。恐らく、どの個体も基地の外へと逃げたのだろう。世界の終わりを察知したがために。
時折倒れてくる瓦礫の下敷きになりそうだったが、レイナは幸運にもこれを回避。先輩と共に外へと出た
直後、『終末の怪物』も外へと飛び出した!
【キルキルキルルルル!】
甲高い、どう形容すべきか分からない叫びを上げる『終末の怪物』。あの短い時間でどれだけ移動したのか、レイナから数キロほど離れた地点の大地から飛び出す!
四百メートル超えの巨体には、分厚い氷の塊なんて障害にはならないらしい。まるで紙か落ち葉のように、飛び出した際の衝撃で大量の雪や氷を浮かび上がらせる。何百メートル、或いは何キロメートルも広がる白い爆炎は、あたかも神の復活を祝福するようであり、この世の終わりを見た者に想起させた。
全てを吹き飛ばして現れたその姿に、疲労も怪我も見当たらい。羽毛に覆われた翼に傷はなく、身体と比べれば細長い首にも、長い尾も健在だ。それでいて久方ぶりの外界はやはり嬉しいのか。長い首を左右に振り、笑うように裂けた口許を歪め、巨大な翼を羽ばたかせる。翼を動かせば暴風が巻き起こり、雪や氷のみならず、遠く離れた基地の柱や屋根さえも吹き飛ばす。
無論、人間が例外になる事もない。
「危ない!」
「きゃっ!?」
レイナも先輩に抱き付かれ、その身を無理矢理丸め込まれていなければ、吹き飛ばされた際に怪我をしたかも知れない。またレイナ達が南極を訪れた際に起きていた吹雪により、雪がたっぷり積もっていたのも、何十メートルと飛ばされても無事だった一因か。
「ぷは……レイナさん、大丈夫?」
「は、はい。私は、大丈夫です。先輩は……」
「ボクも大丈夫だ。このぐらいのピンチは慣れっこだよ」
身を挺してくれた先輩に怪我がないと分かり、レイナは安堵……したかったが、そうもいかない。すぐに『終末の怪物』の方を見遣る。
人類が建設した殆どの建築物を凌駕する身体は、前傾姿勢を取り、両腕に持つ大きな翼を広げていた。
飛び立つつもりだ。このまま奴を南極の外に出しては不味い。
「先輩! 何か、凄い武器はありませんか!? ありますよね!? こーいう秘密基地なら!」
「……一応ね、あるよ。ホランド博士は、それを見にいったんじゃないかな。実際のところ、こっちに来てくれるかどうか分かんないし」
「やっぱり! ……ホランド博士が?」
こてんと、レイナは首を傾げる。
ホランド博士が見に行ったとは、どういう事か。その特別な武器とやらは海にあるのか。しかしどうして海に?
いや、それよりも。こっちに来てくれるかどうか分かんない、とはなんだ?
まるでその武器に
「……先輩、その武器って……」
「説明は後にしよう。それより、そのとっておきが来るまでには時間が掛かるんだ。時間稼ぎが必要だ……本当はボクだけでやるつもりだったけど仕方ない。レイナさん、手伝ってもらうよ」
問おうとするレイナだったが、先輩は話を遮り『今』について話す。
気にはなる。しかし先輩が話さないという事は、話す必要がないという事なのだろう。
ならば聞かない。今はあらゆる無駄が惜しいのだから。
「了解です! 全力で手伝います!」
「その意気だ。それじゃあ……世界を救うとしますかね」
レイナの快活な返事に先輩は満足げに頷き、それから前を見据える。レイナも同じ方へと顔を向け、そこに立つ巨大な化け物を見た。
『終末の怪物』はこの星の生態系に組み込まれていない生物。ただ歩くだけで、或いは息づくだけで、星の全てが壊されかねない。
本来ならば、恐れたり、或いは敵意を露わにした表情を浮かべるべきなのだろう。
されどレイナはそんな顔にはならない。確かに世界が滅びるかも知れない。たくさんの動植物が滅び、大勢の人が悲惨な死に方をするかも知れない。そんな結末はレイナの望むところではないが……それはそれ。
例え世界を滅ぼすという『邪悪さ』があろうとも――――圧倒的生命体を前にしている事への感動は消えやしない。
結局のところレイナ・エインズワーズは、どんな生き物であろうとも大好きなのであり。
「ああ、すっごい……ワクワクしてきた!」
世界の危機を前にして、満面の笑みを浮かべてしまうのだった。