怪物達の地球   作:彼岸花ノ丘

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戻らぬ世界

【フォオオオオオオオオオンッ】

 

 美しい音色のような鳴き声が、南極の大地に響き渡った。

 勝利の咆哮としては些か上品であるが、されどそんなのは人間達の勝手な思い込み。彼等からすれば他者の評価などどうでも良いものである。

 『人型の怪物』は一鳴き終えると首からも手を離し、残った『終末の怪物』の胴体を踏み付ける。持ち前の頑強さで最初の数秒は持ち堪えた『終末の怪物』の肉体だったが、しかし『人型の怪物』が一層強く力を込めれば、生命を失ったそれに耐え抜く力などない。ぐしゃりと血肉を撒き散らし、南極の大地を赤く染め上げた。

 頭を捻じ切った時点で確定していたとはいえ、これだけやれば完璧だろう。『人型の怪物』は全身から力を抜き、臨戦態勢を解く。

 完全な勝利。

 余裕とは言い難いまでも、『人型の怪物』はたった一体で世界を救ってみせた。諸悪の根源である人間達には、何も出来なかったというのに。

 そして怪物達にとって人間など、意識する必要すらないのだろう。

 

【……フォン】

 

 ライバルを倒して満足したのか。『人型の怪物』はレイナ達など見向きもせず、のそりのそりと歩き出した。目指す方角にあるのは、初めてこの地上に現れた時に通り、『終末の怪物』に奇襲の一撃を喰らわせた穴がある場所。

 ……しゃがみ込んだ『人型の怪物』が、なんだかしょぼんと項垂れた。

 恐らく穴が塞がっていたのだろう。水爆なんて及びも付かないパワーで暴れ回ったのだから、地形が滅茶苦茶になるのも当然である。穴の周りが崩落して塞がってしまうのも必然だ。

 最短の帰り道がなくなり、ガッカリしたのか。「マジかよくそだりぃ」という声が聞こえてきそうなほど肩を落とし、これまで見せていた力は何処に行ったのかと思うほど弱々しい足取りで『人型の怪物』は海を目指して歩いて行く。

 世界を救った生き物の、あまりにもおっさん臭い後ろ姿。

 ああ、これが彼等の本当の姿なんだなと気付いたレイナは、思わず笑いが漏れてしまう。

 

「あっははは! あんな凄い戦い方してるのに、なんか可愛いなぁ」

 

「……確かにねぇ」

 

 レイナが独りごちた言葉に、傍に居た先輩が相槌を打つ。彼は身を起こすと少し顔を顰めたが、身体の動きはやや鈍い程度。怪物達の死闘の間休んでいた ― 正確には下手な身動きが取れなかっただけだが ― 事で、いくらか回復したらしい。

 仕事仲間の無事を知り、レイナは安堵する。勿論先輩にはこの後医務室での治療を受けてもらわねばならないが……連絡手段がないので、大人しく助けが来るのを待つしかない。幸いジョセフ達が先んじて脱出したので、『ミネルヴァのフクロウ』からの救助はそう遠からぬうちに来てくれるだろう。レイナに出来るのはその間にこの冷たい南極の大地で体温が奪われぬよう、膝枕状態で先輩を抱いておくぐらいだ。

 先輩を太股と腕で温めながら、レイナは自分の感じたものを語る。

 

「あの気の抜けた姿が、彼等の本性、というか本来の気質なのでしょうか」

 

「そうなんじゃないかな。海底で殆ど動きを取らないのも、何かを警戒してるとかじゃなくて、単にだらだらしてるだけじゃないかな」

 

「あはは。そりゃ、生き物からしたら無意味に動いたってエネルギーの無駄ですからねぇ……ところで『人型の怪物』って、なんの仲間なんですかね。脊椎動物ではなさそうですが」

 

「死骸の回収すら出来てないし、食性すら不明だから推測に過ぎないけど……環形動物の一種と見られているね。特に多毛類に近いと考えられてる」

 

「多毛類って、ゴカイとかイソメとか?」

 

「そうそう」

 

 多毛類と言えば、釣り餌などでよく使われる生き物。極めて多様性が大きく、中には体長一~三メートルもあるオニイソメという『普通の生物』も存在するほど。とはいえ、流石に四百メートル超えの身体を持ち、地上で格闘戦が出来るような種がいるとは思わなかったが。

 そう、目の前でその戦いぶりを見ても、『人型の怪物』が何に属するのかすらレイナには分からなかった。いや、先輩の語った話だって現時点では推測である。もしかしたら本当は全然異なる生物……それこそ実は脊椎動物だったという可能性だってあるのだ。人間達は、怪物についてなんにも知らないのである。

 あの『終末の怪物』と同じように。

 

「……先輩。念のための確認ですけど、『終末の怪物』ってもう一体ほどいたりは」

 

「しない。少なくともボク達が知っている範囲ではだけど」

 

「なら、『終末の怪物』は……絶滅した訳ですね」

 

「ほんのついさっきね」

 

 先輩からの肯定の言葉。それを聞いたレイナは、悔しさから唇を噛み締める。

 『終末の怪物』。

 如何にも悪者らしい名前こそ与えられたが、しかし彼は決して邪悪な存在ではない。ただ古代から静かに眠り続けていただけのものであり、目覚めたら世界が終わりだなんだというのは人間側の一方的な意見だ。

 彼もまた地球で暮らす生き物であり、きっとワクワクするような生態を持っていたであろう。強面だけど実は子煩悩だったかも知れないし、暑いのが苦手で冷たい海水に浸かるなどの仕草があったかも知れない。昼間はぐーたらと寝転がったり、夜にだらだらと遊んでいてもおかしくないのである。そうした不思議や可愛らしい面が解き明かされる事は、もう二度とない。

 そして彼を足止めし、『人型の怪物』にぶつけ、滅ぼしたのはレイナ達。

 確かに目覚めさせたのは『人類摂理(身勝手な人間)』であるし、そのまま見逃せば『終末の怪物』以外の種が幾つも滅びた可能性がある。生態系の崩壊から人類文明が再起不能なダメージを受け、混乱や飢えから何十億もの人が死んだとしてもおかしくなかった。それに残り一体なのだから、遅かれ早かれ絶滅は免れない。

 けれども止めを刺した事実は変えられない。

 それに、どれだけ地球の生態系を守るためだと弁明したところで――――()()()()()()()()()()()

 

「『終末の怪物』は、休眠中も熱エネルギーを吸収していた……それは知ってるかな?」

 

「はい。此処に来るまでに読んだ資料に書かれていましたから」

 

「じゃあ、その『終末の怪物』がいなくなった事による影響は、想像が付くね?」

 

「……はい」

 

 いくら休眠という低代謝状態とはいえ、四百メートルを超える巨体が生きていくのに必要なエネルギー量は莫大なものだろう。事実『終末の怪物』はその熱吸収能力により周りの氷が凍結し続け、故に眠りから覚める事が出来なかった。

 『終末の怪物』が死に絶えた事で、これまで彼が生きるために消費されていた熱は地球上になんらかの形で存在する事となる。それは地球全体から見れば微々たるものかも知れないが……ほんの少しだけでも、地球を温かくするだろう。

 昨今地球温暖化が叫ばれているが、彼がその変化を緩やかにしていたとすれば? 今後温暖化はこれまでと比較にならない、予測不能な速さで悪化するかも知れない。地球が暖かくなれば、南極のみならず様々な地域の氷が溶けていくだろう。それは単に海水面の上昇だけを引き起こすのか、住処を負われた怪物達の大進行を招くのか、眠り続けていた怪物を蘇らせるのか……

 どれだけ後悔しようとも、いくら許しを請おうとも、もう世界は変わってしまった。二度と取り返せないピースを失った形で。

 なら、前を向くしかない。例えその姿がまるで反省していないように見られたとしても、歩き続かなければ変化する世界に置いてきぼりにされるのだから。

 

「これから、忙しくなりそうです」

 

「それが分かっていれば良し……いつつ」

 

「先輩?」

 

 話の途中で声を漏らした先輩の方を見遣ると、先輩はバツが悪そうに顔を顰めていた。

 どうやら、今まで痛みを我慢していたらしい。

 

「……痛いなら痛いって言いましょうよ」

 

「いや、女の子の前でそーいうのはさ、ほら、男としてのプライドというかなんというか」

 

「くっだらない意地なんて張らないで、ちゃんと症状を言ってください。適切な手当が受けられませんよ……そりゃ道具も何もないですけど」

 

「はい、気を付けます」

 

 素直に謝る先輩の頭を、「よろしい」と言いながらレイナは撫でてやる。流石にこれは恥ずかしいのか、先輩の顔がもにょもにょと歪んだ。

 ……窘めてしまったが、思えば先輩が怪我をしたのは自分を瓦礫から庇うため。先輩が勝手にやった事と言えばその通りなのだろうが、じゃあ自分はなんの恩も感じなくて良いとはなるまい。

 お礼の一つぐらいはしておくべきだろう。

 

「……先輩、あの、先程はありがとうございます。『終末の怪物』の攻撃から、私を守ってくれて」

 

「ん? ああ、なんて事はないよ。ボクが身を挺したところで、本当にヤバい攻撃だったら蒸発して吹き飛んでるから意味ないし。運が良かっただけさ」

 

「それでもお礼をさせてください。何かお願いがあったら、それなりには聞きますよ」

 

「お願いかぁ。そうだなぁ……」

 

 先輩は目を閉じ、かなり真剣に考え込んでいる。飯を奢れとか仕事を手伝えとか、その程度のものを想定していたレイナにとって長考されると色々怖い。一体何を頼まれるのかと、思わず息を飲む。

 やがて先輩は大きくその目を見開き、

 

「じゃあ、名前で呼んでほしいな」

 

 ハッキリとした口調で告げられたお願いは、考え込んだ割には些末なもの。

 レイナは首を傾げた。何故そんな事をお願いするのか。別に普通に頼めば良いじゃないかと。

 何か特別な意味があるのか。そう思い至ったレイナは考えを膨らませ……一つの仮定に思い当たる。

 レイナにとって、そうした感情を向けられるのは初めての事ではなかった。鈍くはあるが、ヒントがあれば気付くぐらいには経験豊富。故にこうした事には案外慣れていて、驚く事はない。むしろ今までの理由が分からない数々の言動に合点がいき、成程なと思う。

 驚きがあったのは、自分の感情の方。

 どうやら自分も彼の事は()()()()()()らしい。好みの男性像を上げるなら、優しさの中に逞しさがある人。確かに迫り来る瓦礫から身を挺して守ってくれる人は、優しさと逞しさがある。自分の好みにどんぴしゃで、好意を抱いてしまうのは極めて自然な流れであろう。

 ならばそのお願いにはすんなりOKを、とも思ったが、しかしそうした諸々の気持ちを自覚しながら名前を呼ぶのは妙に気恥ずかしいもので。

 

「仕方ない人ですね……大桐さんは」

 

 苗字を呼んで、レイナは自分の中に芽生えた気持ちを誤魔化してしまうのだった。


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