タイトルで分かる通り、アインズ様とンフィーレア君、そしてアインザックの話です。前回の話と微妙に繋がっているので、そちらを先に読む事をお勧めします。アインザックが好き過ぎる自覚はあります。

1 / 1
ンフィーレア君から見たアインズ様とアインザックの話です。彼らを通してンフィーレア君が分かった事と、願った事。


骨と薬師と組合長

 

 ンフィーレアは、目の前のフラスコの中で揺れる水薬(ポーション)を前に、大きく目を見開いた。

 隣で同じように覗き込む、祖母のリイジーも同様に。テーブルの上には、様々な薬草や鉱物達が散乱しており、お世辞にも整頓はされていない。

 だが、それがこの工房での常である。エ・ランテルに店を構えている時もそうだったが、此処、カルネ村でアインズから様々な器具や薬草を与えられ研究を始めてからは、その比ではない。

 あの頃よりも大量の材料や未知の器具に囲まれながらの研究は、とてもやりがいがあるものだった。

 

 そして今、ンフィーレア達は赤紫色の水薬(ポーション)の生成に成功した。

 

 今までどれだけ調整しても、紫色からなかなか赤色を増やせなかったのだが、とうとう二人は、赤紫色まで色を近付ける事が出来たのだ。

 

「……お、おばあちゃん、もしかして僕達、本当に、本当に、神の血の色の水薬(ポーション)を作る事が出来るかも知れないよ……?」

 震える声で隣を見ると、リイジーも声を震わせながら何度も何度も頷いた。人間、余りにも興奮すると言葉が出なくなるのだと、今回の件で彼らはしみじみと実感した。

「そう、じゃな。もしかしてわしらは今、伝説の中を生きているのかも知れんな。何せあのアンデッドは、今や魔導王として君臨している」

 伝説。確かにそうなのかも知れない。あの大魔法詠唱者(マジック・キャスター)は、最早神の領域にいる。恐らく今後、歴史書に名を刻むのは誰の目から見ても明らかだ。

 そんな存在がいる今を生きる自分達は、正に伝説の生き証人だろう。今更ながら、震え上がってしまった。

「ンフィーレアや。あの者はわしらとは全く異なる存在じゃ。こうしてわしらに色々としてくれるが、彼が本気を出せば一日と経たずにこの村は消滅するじゃろう。わしらは運が良かった。それだけじゃ」

「そう、かも知れないね」

 思い出すのは、あのカッツェ平野での戦いの話だ。カルネ村が襲撃を受けたあの時、アインズはカッツェ平野にいた。そこで王国の兵士たちを虐殺したと、後にカルネ村の様子を見に来た際に彼は語っていたのだ。

 だが、それを聞いてもンフィーレア達の心はそこまで動揺しなかった。むしろ、そうなるだろうなと村人達は薄々思っていたに違いない。

 カルネ村に至っては、むしろそれで良かったのかも知れないとさえ思っている。アインズが戦争で圧倒的な力を行使してくれたお陰で、この村は王国から魔導国へと鞍替えする事が出来たし、それによりこの村は圧倒的な発展を遂げている。

 戦争で亡くなった人々へは申し訳ないかも知れないが、こうなるまで国を修復する事が出来なかった王族達の責任が大きいだろう。

 彼らは運が悪かった。アインズと敵対してしまったのだから。最初から彼の力を理解し、誠心誠意彼と向き合えば結果は違っただろうに。彼はあれ程の力を持っているが、同時に慈悲深い存在でもある。きちんと話をすれば、こちらを理解してくれるし意見も交わしてくれる。

 下手な貴族達よりも、彼は良い統治者として君臨していた。

 圧倒的な力を持ち、それでいて慈悲深さもあるアンデッドの王。伝説になるのも当たり前だとンフィーレアは思った。

 

「――よし、取り合えずこの水薬(ポーション)の事をゴウン様にお伝えしないと」

 定期的に村の様子を見に来るルプスレギナに伝えれば、その日の内にアインズには伝わるだろう。

 逸る気持ちを抑えて、ンフィーレアは満足げに水薬(ポーション)を見つめていた。

 

 

 本当に自分達は運が良いのかも知れない。ンフィーレアはそう思いながらも、目の前の女性に水薬(ポーション)を手渡した。

「君達の研究っぷりには私もビックリしちゃうレベルっす。正直、最初の内は直ぐに諦めるのかなぁって思ってたんすけど、君達の熱意にはちょっと感心するっすね。人間達の中ではマシな分類っす!」

 上機嫌に水薬(ポーション)を受け取ったのは、アインズの配下であるルプスレギナだ。

 ンフィーレア達が赤紫色の水薬(ポーション)を完成させたその日、丁度ルプスレギナがカルネ村へ物資を運びに訪れた。

 エンリから連絡を受け、慌ててンフィーレアは水薬(ポーション)を抱え家から飛び出した。今までで一番良い出来の水薬(ポーション)だ。早くアインズに見せたかったのもある。我ながら子供みたいだと思わず笑ってしまった。

「んじゃ、アインズ様にしっかりとお渡ししておくんで、今後ともアインズ様の為にどんどん研究続けてるっすよ! アインズ様は使える人間は大事にしてくれる、慈悲深い御方っすからね!」

「は、はい! 期待にお答え出来るよう、今後とも精進致します!」

 勢いよくお辞儀をすると、ルプスレギナはふむふむと顎に手を当て頷いた。

「……アインズ様への忠誠心は本物。研究への熱意も申し分ない。私も、貴方達への認識を少々変えた方が良さそうですね」

「え?」

 何かを言っていたような気がしたが、顔を上げると彼女はいつものようにニコリと笑みを浮かべていた。

「何でもないっす! それじゃあ私は帰るっすね。もしかしたらアインズ様が、何かしらの褒美を与えて下さるかも知れないっすから、首を洗って待ってろっすよ!」

 そう言って大きく手を振り、ルプスレギナは去って行った。恐らく今回は物資の輸送という事もあり、ペタン血鬼航空フロド05便でやって来たのだろう。いつもは用事が済むと直ぐに姿を消すのに、今回は歩いて去って行った。

「確かフロスト・ドラゴンを使ってるんだっけ。何だかもう規模が大き過ぎて何に驚けばいいのか分からないや……」

 流石はアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下だ。

 ンフィーレアは苦笑を浮かべつつ、くるりと振り返る。自分も家に戻ろう。また研究を始めなければ。赤紫まで出来たのだ。もっと微調整を繰り返しつつ、様々な材料を調合しながら更に赤色を目指さなければならない。

 彼の期待に応えたい。あんなに偉大な方に期待されているのだ。自分達はもっと上を目指す必要がある。

「よし! 頑張るぞ!」

 気合を入れて拳を握る。力ではエンリよりも弱い。だからこそ、ンフィーレアは薬師としてこの村の役に立ちたかった。自分が愛する人の生きるこの村を守りたい。その為にも、よりよい研究結果を生み出す必要がある。

 魔導王が、ンフィーレアのこの気持ちを利用しているのは明白だ。だがそれでも構わない。自分が役に立つ事で、この村はあの魔導王の絶対的な力によって守られる。利用し、利用される関係性だがお互いそれによるメリットがあるのだ。

 だとしたら、文句等浮かぶ筈も無い。

 

 澄み渡る青空の下、ンフィーレアは意気揚々と我が家へと向かった。

 

 

 次の日。朝早くからルプスレギナがカルネ村へとやって来た。

「朝早くにすまないっすね~! 実は、アインズ様が昨日の水薬(ポーション)を凄く喜んでましてね。急なんすけど、今日エ・ランテルまで来て欲しいそうなんすよ」

「え!?」

 驚いて声をあげると、ルプスレギナは楽し気に肩を揺らした。

「うんうん、その驚きっぷりは見ていて楽しいっすね! それで、今回は前回と違ってンフィーちゃん一人だけ来て欲しいらしくて。なんでも、会わせたい人がいるらしいっすよ?」

「会わせたい人ですか?」

 誰だろう。ンフィーレアは記憶を漁ってみたが、該当する人物は殆どいない。

「因みに誰かはトップシークレットっす! 会ってからのお楽しみってやつっすね!」

 

――こうして、ンフィーレアは謎の人物に会う為に魔導国の都市、エ・ランテルへと向かう事になる。

 

 

   ・

 

 

 エ・ランテルは多くの種族が行き交い、とても賑やかな都市になっていた。魔導国として取り込まれた際は、それこそアンデッドの国と言うような静まり返った様子だったが、今ではそんな事等無かったのように活気に満ちている。

 露店が立ち並び、子供達が元気に駆けて行く。そして、都市を巡回しているデス・ナイト達は子供達にぶつからないよう、自然と彼らを避けて進んでいく。空をドラゴンが飛び交い、道路の整備をドワーフ達が行う。何もかもが常識からかけ離れていているが、それがこの国では当たり前だった。

 ンフィーレアはルプスレギナに案内されて、冒険者組合へとやって来た。ルプスレギナは組合へと到着すると「自分は此処までっす!」と言って去って行ったので、後は自分で行けという事なのだろう。

 以前一度だけ来た事があるので特に問題は無い。ンフィーレアは建物の中へと入ると、受付嬢に声をかけた。

「すみません、ンフィーレア・バレアレと申します。魔導王陛下から此処へ来るようにと言われて来たのですが」

 その言葉に周囲が一気にざわつくのが分かった。

「ンフィーレア・バレアレ様ですね!? 少々お待ち下さいませ!!」

 受付嬢が慌てて奥へと姿を消した。恐らく確認をしているんだろうなと思いつつ、久々に来た冒険者組合を眺めてみる。

 以前と同じように多くの冒険者達がいたが、その種族は様々だ。亜人もいれば異形種も多い。

(人間だけのパーティーよりは、様々な種族が混ざっていた方が戦略的には良いのかも知れないな)

 特に異形種は他種族よりも圧倒的に能力値が高い。一人でもいれば大幅な戦力の増強へと繋がる。そうした意味では、ここ魔導国の冒険者達は他のどの国よりも上に存在するとンフィーレアは考えていた。

「ンフィーレア様、確認が取れました。どうぞこちらへ」

 先程の受付嬢が急いで戻って来た。ンフィーレアは彼女に案内されて応接室へと向かった。

 

 中へ入ると、一人の男が座っている。ンフィーレアの姿を確認すると、にこやかな笑みを浮かべて立ち上がった。

「初めまして。私はアインザックと申します。貴方がンフィーレアさんですね?」

「え、あ、はい! 僕がンフィーレア・バレアレです」

 慌てて名前を言うと、男は「そこまで硬くならなくて大丈夫ですよ」とンフィーレアの肩を軽く叩いた。

「ささっ、こちらへどうぞ。そろそろ陛下がいらっしゃると思います」

「ゴ、ゴウン様が……?」

 思わず緊張しつつも椅子へ座る。未だにあの方の前では緊張でガチガチになってしまう。

「あの、貴方は一体」

 戸惑いがちに尋ねると、彼は椅子に座り直しつつ己を紹介した。

「私は冒険者組合の組合長をしている者です。陛下に頼まれて、最近は色々な部門で動いているんですよ」

「冒険者組合の組合長……!」

 そんな人と、何故会わせたいと考えたのか。分からないが、何か考えがあっての事なのだろう。そう解釈し、ンフィーレアはカチコチに固まったまま、アインズが来るのを待つ事にした。

 

 程なくして、空間に闇の裂け目のようなものが現れた。

 驚いて悲鳴を上げそうになったが、何とかそれを堪えてじっとそれを見つめる。それは徐々に大きくなり、人が一人通れる位の大きさへと変わった。そして、そこからズルリと漆黒のローブ姿の男が現れる。

 アインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下だ。

 彼はそのままゆっくりと空間から現れると、静かに室内を見渡した。背後で空間の裂け目が瞬時に消える。

「アインザック。思ったよりも早く着いたのだな」

「えぇ。わざわざ陛下が時間を作って下さったんです。そりゃあ急いで仕事も片付けますよ」

 随分と気さくな物言いに、ギョッとしてンフィーレアは目を見開いた。しかし、アインズは特に気にせずに会話を続けている。

「それもそうか。何、今回の件はその少年への褒美のようなものだからな。お前は畏まらずに自然体で話していれば良い」

「そうさせて頂けると助かりますね」

 フフッと笑いあう二人に、どう反応すれば良いのか分からない。ンフィーレアが心の中であわあわとしていると、ようやくアインズの視線がンフィーレアへと向けられた。

「すまないな、ンフィーレア。突然呼び出したりして」

「い、いえ! そ、それで今回はどのような要件で――」

 恐らく昨日の水薬(ポーション)の件なのは分かっている。だが、それと今回の事がどう繋がっているのかが分からない。

 アインズはそんなンフィーレアの様子を見て、ひらひらと手を振った。

「そんなに緊張せずとも良い。今回は、昨日の水薬(ポーション)の褒美だ。以前、カルネ村に行った時にネムから聞いたのだが、お前、冒険者の話を聞きたいと言っていたそうだな」

「え」

 アインズの言葉に、ンフィーレアは記憶を呼び覚ました。

 そういえば、前にブリタという冒険者がカルネ村の住民になった時、色々と話を聞いた事があった。その中である時、彼女が道に迷ってしまった際に偶然辿り着いた、美しい水晶で出来た洞窟の話が印象に残っていた。

 未知なる場所への興味。それは、神の血の再現を望んでいる自分達のように、心躍るものだったのだ。

「例のブリタとかいう女が偶然辿り着いた、水晶で出来た洞窟だったか? その話にやけに食い付いていたと聞いてな。お前にも、未知なる場所への興味というものがあると知って、正直私は嬉しかったぞ」

 眼孔の灯火が、柔らかく揺らめいている。魔導王は骸骨なので表情が変わらない。だが、長い付き合いの中で、この血のように赤い灯火から、何となくだが感情を読み取れるようになっていた。

 恐らく今は、本当に喜んでいるのだろう。

「それでだ。今回、お前への報酬として、その水晶の洞窟へと連れて行ってやろうと思ってな」

「本当ですか!?」

 ガバッと思わず立ち上がってしまった。アインズは「本当だとも」と深く頷き、その隣でアインザックもうんうんと頷いている。

水薬(ポーション)の褒美だ。その水晶の洞窟は、アインザックが現役時代に行った事があったそうなんだ。最初はブリタに聞けばいいかとも思ったんだが、私は彼女とそれ程親しくない。だったらコイツに聞けば良いかと思ってな。それに、私もその水晶の洞窟には興味がある。だから、せっかくだしこの三人でその洞窟へ行ってみようかと思ったのだ」

 ンフィーレアは喜びを隠し切れずにわなわなと体を震わせた。

「――ゴウン様も、その水晶の洞窟に興味があるんですか?」

「勿論。元々私はそういった未知を探求したいのだ。それに、水晶の洞窟なんてロマンがあるだろう? きっと美しいと思うのだよ」

 アインズの言葉に、ンフィーレアは心が震えるのが分かった。

 

 この方も、普通の人間のような感性がある。

 それだけで、一気に親近感が湧くのを感じた。

 

 そもそもンフィーレアが水晶の洞窟に興味を持ったのは、水薬(ポーション)の材料に使えるかも知れないと考えたのもあるが、ブリタの説明からそこがどれ程美しい場所だったのか、興味が湧いたからというのが一番大きい。

 そんな場所に行く事が出来る。確かにこれはとんでもない褒美だった。

 

「今回、私も事前に調べる等という野暮な事はしていない。正真正銘初めて行く事になる。そこまでの案内をアインザックに頼んだんだが、私もこう見えてワクワクしているんだ」

「ハハッ。そうでしょうな。陛下、さっきからずっとソワソワしていますよ」

「え? ほ、本当か? そんなに分かりやすかったか?」

「以前にも仰いましたが、陛下は分かりやすいですからね」

 随分と砕けた物言いのアインズを見て、恐らくこれが彼の素なんだろうと思った。その素を出せる位には、このアインザックという男に心を許しているのだろう。

(凄いなぁ)

 その関係性は、王と臣下ではあるけれども、とても居心地の良さそうな関係性だと思えた。

「さて、では早速行くとするか。場所はエ・ランテル郊外にある森の中らしいが――せっかくだ。色々話しながら行くとしよう」

 直ぐにでも出発しそうなアインズに対し、ンフィーレアは不思議そうに問いかけた。

「歩いていくんですか?」

「ん? あぁ、そのつもりだ。そこまで行くついでに、国の様子をこの目で見ておくのも良いかと思ってな」

 すると隣で話を聞いていたアインザックが「ほぉ……」と感心したような声を出した。

「流石は陛下ですな。きちんと民の様子を見ようという心掛けは良い事だと思いますよ。こう言ってはアレですが、王国のランポッサ三世は現実を見ようとせず、現状の把握を怠っていた事が国力の低下へと繋がりましたからね」

 淡々と語る言葉からは彼の感情は読み取れない。それでも確かに分かるのは、ランポッサ三世は選択を誤った、という事だろう。

 それを聞いたアインズは「だろうな」と頷いた。

「あれでは民は付いていけんよ。発言力も無く、王派閥・貴族派閥、そのどちらも纏める事が出来ない愚かな男だった。エ・ランテルの民はあの王から解放されたのだから、運が良かったと思えば良い」

 カッツェ平野での大虐殺を引き起こした結果、このエ・ランテルを手中に収めたアインズ。そんな彼からのこの言い分は、とても横暴なものだった。だが、彼の言う事もよく分かる。ンフィーレアは元々エ・ランテルに住んでいたが、政治の世界では王の発言力があまり無かったと、確かに聞いた事があった。

「多くを統べる覚悟とは、時に重く、逃げ出したくもなるだろう。だが、それではいけない。守るべきものを間違えては、何も残らない」

 フッと眼孔の灯火が消える。

 彼は時折、こうして眼孔の灯火を闇に閉ざしてしまう。何やら思考の海に沈んでいるらしいのだが、傍から見れば何も感情を読み取る事が出来ず、だからこそ恐ろしい。

 幾ら以前より彼の表情が分かるようになったと言っても、それを探る為の灯火が消えてしまうと、ンフィーレアにはどうする事も出来なくなる。

(ど、どうしよう……)

 ぐるぐると頭の中で悩んでいると、それを見たアインザックが仕方ないとばかりに溜息を吐いた。

「陛下」

 ポン、とアインズの肩に手を置き、顔を覗き込む。その瞬間、アインズの体がビクッと震え、徐々に眼孔に灯火が浮かんできた。そしてそれが、ゆっくりとアインザックの方へと動く。

 アインザックは、優しげな笑みを浮かべてアインズに語りかけた。

「陛下、そろそろ行きましょう? 水晶の洞窟までは少し距離もありますし、今から出れば昼までには着けますよ」

「――分かった。では、行くとするか」

 アインズは灯火を一度大きく瞬かせながら、ゆるりと頷いた。まるで、今までの沈黙等何も無かったかのように振る舞う姿が、やはりどこか歪に見えてしまう。

 だが、それを指摘する事など出来る訳も無く。今は取り合えず、その事は頭の片隅にでも追いやっておこうと、ンフィーレアはブンブンと頭を横に振った。

 

 

   ・

 

 

 三人は冒険者組合から外に出ると、エ・ランテルの街並みを眺めながら歩を進めた。

 アインズの右隣にアインザックが並び、左隣にンフィーレアが並ぶ。当然、周囲の人々の空気がざわりと変わるのが分かった。

(そりゃそうだよね。ゴウン様と冒険者組合の組合長が一緒にいるんだもの。目立つに決まってるよ。そこに僕も一緒となると、めっちゃ肩身が狭いなぁ)

 自然と委縮しそうになってしまう。

「ところでンフィーレア。お前から見て今のこの町はどう思う?」

「え!? あ、その」

 突然アインズから会話を振られてしまい、言葉がつっかえてしまった。しかし、それでは失礼だと考え、ンフィーレアは急いで言葉を続ける。

「――い、以前と比べると、エ・ランテルは活気に溢れていますね。商店も増えましたし、何より公共事業が増えた事で町全体が発展しているように見えます」

 ンフィーレアの返答に、アインズは満足げに笑った。

「そうかそうか。それなら良いのだがね。何しろ私は人間達の王になるというのは初めての事だからな。何をすればいいのか、常に試行錯誤の毎日なのだ」

 それもそうだろう。まず、アンデッドが一国の王になるなんて話は、前代未聞だった。

 しかも、それでいて善政を布いているのだから、周辺国家は戸惑いを隠せていない。気持ちはよく分かる。

 恐らく彼は、王とはこういうものだろうという想像で国を運営している。そこには確実に打算があるのだろうが、結果として民が幸せならそれで良いんじゃないかとンフィーレアは考えていた。

 所詮、自分達はただの人間だ。アンデッドの王から見れば限りなく弱者である。だから、いくら難しい事を考えたとしても、それはきっと意味が無い。

 何も気付かぬ振りをして生きるのが、賢い生き方なのだ。

 

「きっと誰だってそういうものなんじゃないですかね、陛下。他国の王達だって、最初から王だった訳では無いでしょう? ですから、陛下は陛下なりに色々と考えながら国を動かしていけば良いのではないでしょうか」

 アインズの言葉に、アインザックがアドバイスを送る。アインズは「そういうものか」と首を傾げつつも納得したようだった。

「焦らずとも、陛下には時間が無限にあるじゃないですか」

「それもそうだな。おっと、それはお前にも言えるぞ?」

 おどけたように肩を竦めるアインズに、アインザックも可笑しそうに笑った。

「そうですけどね――あ、すまないンフィーレア君、私達ばかりで話しては、君もつまらないだろうに」

「だ、大丈夫です! むしろ、僕に気を遣われる方が申し訳ないので! お二人にはいつも通りに話して貰った方が、僕も気が楽なんです。それに、ゴウン様はよく分かってると思いますけど、僕、口下手なんで……」

 もごもごと恥ずかしそうに口ごもりながら言うと、二人は一度顔を見合わせてからクスクスと笑った。

「そうだったな。君はそういう男だった。だが、そういう存在が近くにいると何だか和むな」

 アインズがしみじみと顎に手を当て頷いている。

「ほぉ? 陛下にもそういった感覚がおありで?」

 興味深そうにアインズとンフィーレアを交互に見やるアインザックに対し、アインズは常と変わらぬ声色で呟いた。

「――ペットみたいな可愛らしさがあるな、うん」

「……」

「……」

 途端、二人の空気が何とも言えないものへと変わった。特にンフィーレアは本能的な恐怖からか、ぷるぷると小刻みに体を震わせている。それこそ小動物のように。

 アインザックは大きく溜息を吐くと、ジトッとした視線をアインズに向けた。

「陛下。そういった事はあまり人間には――いや、人間を含めて他の種族に対しても言わない方がいいですぞ」

「え? そうか? 私としては褒めたつもりだったんだが」

 キョトンと首を傾げるアインズに対し、アインザックは思わず天を仰いだ。

「私達と貴方とでは感覚が違い過ぎるんです! ですから、今後そういった事は言わないで下さい。いいですね?」

 ズイッと顔を近付け念を押す彼に対し、流石のアインズも何か間違った事を言ってしまったと思ったのか、渋々とだが頷いた。

「う、うむ。お前がそこまで言うのならばそうしよう」

 何故だ? と心底不思議そうに呟くアンデッドの王を見つつ、ンフィーレアは未だ震える体を何とか必死に落ち着かせた。

 この方の思考回路は常人とは異なるものだ。だが、自分を見てペットのようだと言われてしまうと流石に恐怖を感じる。チラッとアインザックを見ると、申し訳ないとばかりに苦笑を浮かべていた。

(この人も大変そうだな……)

 こんな規格外の存在と付き合わなければいけないなんて。自分だったら絶対に無理だ。

「さてと、そんな事より陛下。この先を少し進むと果実店があるんです。ちょっと見て行っても宜しいでしょうか?」

 恐らく、わざと話題を変えてくれたのだろう。ンフィーレアはホッと肩の力を抜き、彼の指差す方向へと視線を向けた。

 確かに、視線の先には沢山の果実を店頭に並べた店がある。甘い香りが此方にまで漂っていて、きっと美味しいのだろうなと思った。

 アインズは果実店を視界に入れると、興味深そうに眼孔の灯火を瞬かせた。

「ほぉ。あの店は確か最近出来たばかりだったな。どうだ? 売れ行きは順調なのか?」

「えぇ。一般的なレベルで考えるとかなり上位に食い込む美味しさですよ」

 そう彼が伝えると、アインズは上機嫌に歩き出した。

「それなら結構。我が魔導国に集まる商売人達には、より質の高い物を求めているからな。評判の良い店が集まれば、そこに客も多く集まる。国の活気へと繋がるのだ。それは実に喜ばしい」

 そうこう話している間に、三人は果実店の前へと到着した。

 店主はアインズの姿を見ると、驚いて椅子から立ち上がった。

「こ、これはこれは魔導王陛下! こんな店に来て下さるとは――」

「そんなに畏まらずとも良い。それより、この店の果実はどれも素晴らしいと聞いたのでな。何かオススメ等はあるか?」

 気付けば、店の周囲には人だかりが出来ていた。それもそだろう。一介の店主と王が会話をしているのだから。耳を澄ますと「私の店にも来て欲しいわ」とか「この前は俺の店に来て下さったぞ!」と自慢げに話す声が聞こえてきた。

 どうやらアインズは定期的に町へやって来て様子を見ているようだ。今までの王では考えられない話だが、アインズはどうも人々との距離感が近い気がする。

 それは多分、良い事だとンフィーレアは思った。

(柔軟な発想ってのは大事だ。より良い国を目指すのなら、今までの王国のやり方では民の声は直接届かない。だからこそ、ゴウン様のやり方は理想的だ)

 ンフィーレアがそんな事を考えている間にも、アインズ達の会話は続いていく。

「オススメでしたら、こちらの林檎はいかがでしょう? 色艶も良いですし、味も甘過ぎずスッキリした味わいになっております」

 そう言って店主が林檎を手に取りアインズに見せてくる。アインズは僅かに身を屈めつつ、彼から林檎を受け取った。

「あぁ、確かに美しい色をしているな。アインザック。一口食ってみろ」

 そう言ってアインズは、アインザックに「ん」と言いながら林檎を突き付けてきた。

「え、あの、陛下?」

 アインザックは戸惑いながらアインズを見ている。それもそうだろう。アインズは、アインザックの口元に林檎を突き付けている。つまり、このまま齧り付けと言っているのだ。

「どうした? アインザック」

 当の本人は不思議そうに首を傾げている。これで他意が無いのだから、本当にこの方は人誑しだと思う。こんなのを見せつけられて落ちない人間はいないだろう。

 アインザックは恐らく、ンフィーレアと同じ事を思っている。呆れと、若干の優越感を湛えた表情。自分は彼に選ばれたのだという喜び。それらが混ざり合った複雑な笑みを浮かべながら、アインザックは「では――」とその真っ赤な林檎に齧り付いた。

「どうだ?」

 アインズの問いに、アインザックは感心したように何度か頷いた。

「これは確かに美味いですよ、陛下。蜜の量が普通の林檎よりも倍近く含まれていますね。それでいて口溶けはサッパリしている。素晴らしいの一言です」

「お、おぉ! ありがとうございます!」

 アインザックの手放しの誉め言葉に、店主は喜びで何度も頭を下げた。

「お前がそこまで言う位なのだから、きっと本当に美味いのだろうな。物を食えない身としては、心底羨ましい」

 少しだけ拗ねたような声色で、アインズはまじまじと林檎を見つめていた。

「あぁそうだ、店主よ、この林檎の分の金だ」

 アインズは林檎から視線を外すと、懐から布袋を取り出した。そして、その中からジャラッと大量の金貨を店のテーブルの上に置く。それを見た店主は驚愕に声を上げた。

「へ、陛下! 困ります! こ、これ程の金額を頂く訳には――ッ」

「良い。これは、今後も魔導国で商売を続けて貰う為の、ささやかな贈り物だと思え」

「しかし……」

 明らかに林檎一個に対する金額では無い。ンフィーレアは信じられない気持ちでアインズを見つめたが、どうやらアインザックにとっては見慣れた光景だったようだ。震えている店主の肩に、彼は優しく手を置いた。

「店主よ。陛下のお気持ちをどうか受け取ってはくれないか? 陛下は慈悲深く、そして聡明なお方。これを機に更に商売に力を入れて欲しいと御方は考えている。その為の君への激励だと考えてくれ」

 彼の言葉に店主は暫し狼狽えていたが、やがて力強く頷いた。

「――分かりました。陛下のお気持ち、深く感謝致します」

 その瞬間、ワッと周囲の人々が盛り上がった。

 アインズが声をかけたというだけで、かなりの宣伝効果になる。予想通り次々と客足が増え、慌てつつも嬉しそうな店主を視界に入れつつ、アインズ達はコッソリとその場を離れる事に成功した。

「いつもあんな感じなんですか?」

 人通りの少ない路地裏を歩きながら、ンフィーレアが尋ねる。アインズはチラッとアインザックへ視線を向けた。

「コイツがいつも大袈裟にするんだよ。全く、あそこまで言わんでも良いだろう?」

 対するアインザックは、ニコリと爽やかな笑みを浮かべて首を横に振った。

「いえいえ。あれ位大々的にやった方が、集客率も上がりますし陛下の評判も上がるじゃないですか」

「あの場だと計算尽くに見えないのが恐ろしいな」

 ふぅ、と溜息を吐く姿が、何だか妙に人間臭かった。

 そもそも、肺も無い伽藍洞の体だというのに、何故溜息の真似事が出来るのだろう? 以前から気になっていたのだが、恐らく本人も分かっていないんじゃないかなとンフィーレアは推測している。

 この世界は理解出来ない事が多い。このアンデッドの王もそうだ。恐らく、今現在多くの人間達がそう思っているに違いない。多種多様な種族を統治し、平和的に国を築いている死の支配者。そんな存在、理解出来る筈が無いだろう。

(でも多分、アインザックさんは理解しようとしているんだろうな)

 その証拠に、今もこうして対等に会話をしている。アインズからの信頼も見て分かる程度には厚い。自分では到底出来そうに無いなと、小さく苦笑を浮かべた。

「さぁさぁ、気持ちを切り替えましょう! ここからは暫く歩かなければいけませんが、ここは余り人が通らない道ですから、騒がれる事も無いですよ」

 だから安心して下さいと、彼は楽しそうに前を歩く。その後ろにアインズ、その隣をンフィーレアが並んで歩く形だ。アインズの公共事業のお陰で、この路地裏も綺麗な道へと変わっていた。こんな目立たない通りまでも隅々と舗装させるとは、正直予想外だった。

 本当にこの方は国の王として動いているんだなと思うと、その人から依頼を受けている自分の立場がとても重たくのし掛かって来る。期待に応えたい。でもそれ以上に、必要とされなくなったらどうなってしまうのかという恐怖心も僅かだが燻っている。

(恐らく、彼の口ぶりではそんな事にはならないと思うけど)

 それでも、自分はいつも最善と最悪を考えるようにはしている。思考を止めてはいけない。停滞こそが罪であり、決して立ち止まってはいけないのだ。自分の行動一つで、エンリやネム、おばあちゃん、カルネ村の運命が変わってしまうかも知れないから。

「ンフィーレア?」

 黙り込んだ自分を不思議に思ったのか、隣を歩くアインズが声をかけてきた。ンフィーレアはハッと顔を上げる。

「どうかしたのか?」

「ちょっと考え事をしていただけなので、大丈夫ですよ。それより、水晶の洞窟ってどんな感じなんですかね……?」

 あくまでも自然に見えるように会話を続ける。案の定、アインズはンフィーレアの心に気付く事は無く、特に問題なく返答をしてくれた。

「そうだな。もしかしたら、巨大な水晶が所狭しと密集しているかも知れないし、逆に巨大な水晶は無いが小さな水晶が数多く集まってる可能性もある」

 二人を先導するアインザックは、その答えを知っている為、何も言わずに二人の会話に耳を傾けているようだ。

「むぅ……アインザック、お前は嘗て見たのだから知っているのだろうが、何だか無性に悔しいな」 

「いえいえ、もしかしたら当時とはまた違う状態になっているかも知れないですし、私も正直楽しみなんですよ」

「ふぅん?」

 スゥッと眼孔の灯火が探るように細められた。そんな視線を向けられても、アインザックはからりと笑みを浮かべている。凄い度胸だ。

「ま、こうしてうだうだ話していても仕方ないか。実際にそこに行けば分かるのだからな」

 楽しみだと笑う姿は、まるで少年のようだ。アインズは普段の王としての厳格な顔の他にも、様々な顔を持っている。だからこそ、反応に困ってしまう。どれが本当の彼なのか、ンフィーレアには分からない。

 自分が今話している彼はどの彼なのか。

 

――結局その答えが分からぬまま、程なくして三人は水晶の洞窟へと到着した。

 

「ここが洞窟の入り口か」

 周囲は鬱蒼とした森に囲まれており、入り口は少々狭い。だが、三人で入る分には問題無さそうだった。モンスターや人の気配も無く、本当に此処は未開の地のようだ。

「アインザック、確かに此処であってるんだな?」

 薄暗い中を覗き込みながら、アインズは尋ねる。アインザックは軽く頷いた。

「えぇ。此処はまだ入り口なので見えませんが、もう暫く中へ入るとお目当ての水晶が見えてきますよ」

 楽し気な声色に、ンフィーレアも釣られてソワソワとし始めた。それに気付いたアインズがニヤリと笑う。

「どうやらキチンと褒美になっているようで安心したぞ」

「!」

 その言葉に、ンフィーレアは若干照れつつも口を開けた。

「僕、こんな風に冒険とかした事無いので、その、今、凄くワクワクしてます……!」

「そうかそうか! それなら良かった」

 フハハと笑う姿は、先程の少年らしさとは違って、王としての顔が強く出ている気がした。配下の期待に応えられて満足している王の顔だ。

(一体どれだけの顔を持ってるんだろう)

 王としての振る舞いも、少年のようにテンションを上げる姿も、どれもこれも目まぐるしい。多分、こんな風に接してくれるのは、自分やアインザックが比較的近しい距離の人間だからに違いない。

 それでもやはり、自分は彼が恐ろしいと思う。

 こんな風に三人で騒いでいるが、彼が多くの人間を虐殺した事実を思い出すと、薄ら寒いものが背筋を駆け抜けていく。思わずぶるりと震えてしまった。

 

「さてと。では、進もうではないか」

「そうですね陛下。ンフィーレア君も大丈夫かい?」

「あ――はい、大丈夫です!」

 

 気を取り直し、ンフィーレアは二人に続いて洞窟の中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 暫く歩いていくと、入り口から僅かに入り込んでいた外の光が薄くなっていく。

 その代わり、光るキノコが地面から生えており、三人は特に問題無く奥へと進んで行った。

「もうそろそろ開けた場所に出ます。そこに、お待ちかねのものがありますよ」

 フフッと微笑むアインザックを見て、アインズがグッと拳を握った。

「もうそろそろか……一体どんな感じなんだろうなぁ」

「そうですね。僕も全然想像がつかないです」

 思わずそう呟くと、アインズもうんうんと頷いた。

「世界は未知で溢れている。それを既知にするのが私の目標だからな。此処もその一歩となるわけだ」

「例の冒険者募集の時の話ですか?」

 その話はかなり有名だ。何せ、帝国でアインズが武王に勝利し、その後行った宣言が冒険者達の心を鷲掴む事になったのだから。

 ンフィーレアの問いかけを、アインズはゆっくりと歩きながら肯定した。

「うむ。私はな、未知が恐ろしい。自分が知らない事があると、そのせいで大切な者達が危険な目に合う可能性もある。そうならない為にも、私は冒険者達を使って未知を既知へと変えていこうと考えた」

 無論、それだけが理由では無いだろう。だが、その考え方には確かに共感出来た。大切な者達を守りたいという気持ちは、痛い程よく分かる。

 

 その為にも、自分はアインズに仕えているようなものなのだから。

 

 暫く進むと、前方の道が徐々に開けてきたのに気付いた、そして――

「風の流れがあるな……」

 不思議そうにアインズが小声で呟いた。彼の言う通り、前方から僅かに風の流れを感じた。どこかに抜け穴でもあるのだろうか?

 アインザックは何も言わずに進んで行く。ここまで来ればあと少しという事だろう。

 三人がある程度進むと、そこは唐突に目の前に現れた。

 

「これは――凄い、な……!」

 

 アインズが感嘆の声をあげた。隣でンフィーレアも同じように息を飲む。

 

 洞窟の天井が僅かに崩れ落ちており、そこからは陽の光が静かに降り注いでいる。それは一筋の光となって洞窟内を照らしていた。

 開けたその場所は、壁と地面から大きさもバラバラな水晶が所狭しと突き出ている。

 陽の光に照らされ、多角形の水晶達は虹色に輝きながら己の存在を主張していた。壁側には光が余り届いていない為、今まで通って来た道のように暗い。その結果、光と闇のバランスが美しさを増長させていた。

 

「嗚呼、これだからこの世界というやつは……」

 満足そうに口元に手をやり、アインズはジッと目の前の光景を見つめていた。そんな彼の姿を、アインザックが優し気な眼差しで見守っている。

「どうですか陛下。お気に召されましたかな?」

「当たり前だ。こんなにも美しく素晴らしい光景は、なかなかお目にかかれないぞ」

「陛下のナザリックの方がとんでもなく美しいと思いますがね」

「それとこれとは別だろう? お前も意地が悪いな」

 軽口を叩き合う二人を眺めながら、ンフィーレアは幻想的な水晶の洞窟をじっくりと目に焼け付けていた。人やモンスターに荒らされた形跡も一切無い。幾ら此処が郊外に位置する場所だと言っても、これはかなり奇跡的な事だと思う。

 美しい光景に感動していると、アインズが光が降り注ぐ地点へと近寄って行った。

「ふむ。こうして見るとこの場へと入って来る光の量は極僅かなようだが、水晶達の反射によって通常よりも明るく見えるようだな」

 そうして右手をゆっくりと空へと伸ばした。白磁の骨が降り注ぐ光と同化し、更に純白に見える。アインズは空を見上げ、何かへと訴えかけるかのように眼孔の灯火を大きく揺らめかせた。

「――光、か。ハハッ、私には一番似合わないものだな」

 自虐気味に笑いながら、アインズは光の柱から抜け出した。己の手を見下ろし、何度か閉じたり握ったりを繰り返している。

「……」

 何と声をかければ良いのか分からなかった。その姿が、余りにも悲しそうだったから。自分なんかが踏み込んで良い領域では無い。それだけは確かだと分かる。

 それでも、気の利いた言葉でもかけた方が良いのではないか、と思った。だが、全く思い浮かばない。元より人間関係を構築するのが余り得意ではない部類だ。ましてやアンデッドとの正しいコミュニケーションのやり方なんて分かる筈も無い。

 ンフィーレアが内心頭を抱えていると、それまで黙って様子を見ていたアインザックが行動を起こした。

「陛下、そんな事仰らないで下さい」

「アインザック」

 一歩、力強く彼は近付いた。

「陛下の中に、光はあるじゃないですか」

 アインズは小さく首を横に振った。

「何を言っている? 私の中に光なんて無いだろう」

「ありますよ。貴方がナザリックの方々を想う気持ち、そして、ガゼフ殿を想う気持ち。それが光です」

 アインザックは真っ直ぐにアインズを見つめている。力強い宣言は、ンフィーレアの心をも震わせた。そして、言われた当の本人は、それ以上の動揺を見せている。

「……そんな事は無い! 光なんかじゃないのはお前が一番よく分かっている筈だ。私の『これ』は、執着の果てだと」

「呪いが光を帯びていたって何も問題無いじゃないですか。呪いである事に代わりは無いですし」

 あっけらかんと言い退けるアインザックに対し、アインズは一瞬呆けたように固まってしまう。だが、次の瞬間、彼は耐え切れないとばかりに笑い出した。

「ク、フフフ、フハハハハハ!! アインザック! やはり貴様は素晴らしい男だな……!」

 手を叩きながらアインザックを褒める姿は、心底楽しそうだ。

 今の二人の会話が、何を意味しているのかは分からない。だが、彼らにだけ通じる『何か』のお陰で、どうやらこの場は乗り切ったようだった。

 ひとしきり笑い終わったアインズは、端の方で縮こまっていたンフィーレアに声をかけた。

「すまないな。情けない所を見せてしまった」

「そ、そんな事無いです! その、僕はお二人がどういう関係性なのか、よく分からないですけれど――」

 そこで一度言葉を切り、ンフィーレアはアインズとアインザックの顔を交互に見た。

「お二人は、お互いの事を深く信頼していらっしゃるんですね。それだけはよく分かりました!」

 力強くそう告げると、アインズは照れたように顔を逸らした。アインザックは嬉しそうに笑みを浮かべている。

「――言葉にされると、やはり恥ずかしいものがあるな……」

 んんっと軽く咳払いをすると、アインズは今一度水晶の洞窟を見渡した。

「そうだ、ンフィーレア。この水晶達、素材として幾つか持って行ったらどうだ?」

 アインズの提案に、ンフィーレアは暫し考え込んだ。当初の予定では彼の言う通り、幾つか持って帰るつもりだった。だが、これだけ美しい光景を見てしまうと、その一部でも持ち帰ってしまうのは、酷く勿体無いと思ってしまったのだ。

 足元に広がる水晶達を見つめながら、ンフィーレアは静かに口を開けた。

「始めはそのつもりだったんですけどね。これだけ美しい光景を見てしまうと、この場所はこのままにしておきたいなって思ってしまって」

 頭を掻きつつ苦笑を浮かべたンフィーレアに対し、アインズはどこか穏やかに頷いた。

「そうか。お前もそう思ったか。実はな、私もこの場所はこのまま維持すべきだと思ったのだよ。此処は、小さな宝石箱みたいなものだ」

 それを聞いたアインザックは、何かに思い至ったのか納得したような表情を浮かべてアインズに声をかけた。

「この場所を隠すんですね?」

「あぁ。誰にも見つからないように隠蔽の魔法をかけておく。この洞窟は、我々三人だけの秘密の場所にしておこう」

 あのブリタとかいう女は、この場所をあやふやにしか覚えていないと言っていた。ならば実質、この場を知っているのは我々三人だけ。この小さな宝石箱は、大事に仕舞っておかねばなるまい。

 

 世界という宝石箱を全て手中に収める前に、この小さな宝石箱を眺めるのも悪くは無いだろう。

 

 アインズは頭の中でそんな事を考えながら、天から降り注ぐ光の筋を再び見上げた。そんなアインズの姿を、ンフィーレア達はジッと眺めていた。

 天から差し込む一筋の光。足元には沢山の光り輝く水晶達。その真ん中で、光に照らされながら天を見上げるアンデッドの王。

 神話の一頁のようなその光景を、二人は一生忘れないだろうと思った。

 

 

   ・

 

 

「では、私はここで失礼する。何か用があれば、また使いを送ろう」

「はい! 今日はありがとうございました!」

 

 エ・ランテルの元都市長の館の前。ンフィーレアとアインザックは、アインズが館の中へと完全に姿を消した事を確認すると、二人揃って歩き出した。

 今日の目的は無事に終わったが、ンフィーレアとしてはもう少しこの男と話してみたかったのだ。

「アインザックさん」

「なんだね?」

 歩きながら、ンフィーレアは頭の中で纏まった考えをようやく形にする事が出来た。

「僕、ずっとゴウン様の本当の顔ってどれなんだろうって考えていたんです」

「……ほぉ?」

 少しだけ声を低くして、アインザックは目を光らせた。そんな所は流石元冒険者、と言ったところか。

 ンフィーレアはごくりと唾を飲み込むと、意を決して彼を見上げた。

「王としてのゴウン様も、アインザックさんと一緒にいる時の楽しそうなゴウン様も、何かを想って悲しむゴウン様も……全部、本当のゴウン様なんだって分かったんです」

 光へと手を伸ばす、儚げなアインズの姿が脳裏に蘇る。今にもその光に飲み込まれて、消えてしまいそうだった。あの儚い姿も、きっと本当の彼なのだ。

「沢山の顔を持っているけれど、そのどれもが本当の彼なんです。僕らはそれを完全には理解出来ないかも知れない。けれど、彼のそういう姿を受け入れる事が出来れば、ちょっとでも彼に近付けるんじゃないかなって」

 上手く言えないですけど、と小声で付け足した。

 それでも、ンフィーレアが伝えたい事はきちんと伝わったらしい。アインザックは感心したようにンフィーレアをまじまじと見つめた。

「ふむ。貴方がそこまで理解出来たのならば、きっと大丈夫でしょうな。陛下は確かに沢山の顔を持っていらっしゃる。しかしそれは、彼が我々と同じように『心』を持っているからです。ただのアンデッドではなく、我々に近い『心』を持っているからこそ、多くの顔を使い分ける事が出来る」

 アインザックは立ち止まると、背後に聳える館を振り返った。館の中にいるアインズの事を考えているのだろう。その眼差しは、どこまでも真っ直ぐだった。

「――もしもその顔が『あるたった一つだけ』になったら。その時きっと、魔導国は終焉を迎えるでしょうね」

「そ、それってどういう意味ですか!?」

 恐ろしい言葉に思わず声を上げると、アインザックは安心させるように柔らかな笑みを浮かべた。

「だからこそ、そうならないように私は誓いを立てたんです。私が、彼の最後の砦となる」

 そう宣言したアインザックの言葉は、力強くこの場に響いた。

 最後の砦。どういう意味だろう? ンフィーレアは必死に考えたが、残念ながら今の自分では理解出来なかった。

 そんなンフィーレアの困惑を他所に、アインザックは話すだけ話して満足したらしい。それでは、と軽くンフィーレアに会釈をすると、さっさと歩き出してしまった。

「……」

 一人残されたンフィーレアは、伸ばしかけた手を宙ぶらりんに浮かせながら、呆然と立ち尽くしてしまった。

 

 あの人は、既に全てをあの魔導王に捧げてしまっている。

 

 その事に気付いてしまった。

 

「どう、すれば、良いのかな?」

 途切れ途切れにそう呟く。

 分からない。彼のその選択が正しいのかも。

 分からない。何故それをアインズが許しているのかも。

 少なくとも、アインザックはアインズが求める何かを持っているのだろう。だからこそ、彼をあそこまで近くに置き重宝している。

 そしてアインザックも、アインズに対し何かを感じた結果、忠臣として彼の側にいるのだ。

 

 その関係性は、あの水晶の洞窟のように美しい。

 

 ンフィーレアには、まだ分からない事ばかりだった。だが、自分はそれで良いのかも知れない。恐らく自分は、アインズの求める何かを持ってはいないだろう。

 だったら、それを持つアインザックが彼を支えれば良い。恐らくそれはアインズも望んでいる事だ。そこに自分は必要無い。自分は出来る範囲で、アインズの事を理解しよう。

 

「僕らはきっと、それぞれの役目を果たすしかないのかもね」

 

 ンフィーレアはそう結論付けた。彼の役目はアインズに仕える事。だとしたら自分の役目は、彼が望む物を作る事だ。その為にも、もっと頑張らなければ。

 形は違えど、自分も彼から必要とされている事に代わりは無い。ならば、その期待に応えるのが自分の役目だ。

 

 ンフィーレアは一度大きく頷くと、先程のアインザックのように後ろを振り返り、アインズのいる館を見上げた。

 

 彼の本城とは違い、質素な建物だ。だが、そこを国政の場所に選び、民と向き合うその顔もアインズの本当の顔の一つ。

 願わくば、その顔が今後もずっと消えずにあるようにと。

 強く、強く、ンフィーレアは思った。

 

 

 END.

 

 




水晶の洞窟内で、天から降り注ぐ光に手を伸ばすシーンは、アニメ3期のEDをイメージしています。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。