今日の鎮守府は怖いくらいに静まり返っている。
いつもは出撃準備や遠征準備等々で艦娘たちの大きな声が響く時間帯であるにも関わらず、外には明石の酒保に向かう者たちや工廠へ装備整備に行く者たちの雑談が聞こえてくる程度。
一体全体この鎮守府に何が起こってしまったのか。
それは―――
「ヘーイ、テートク! 大人しくワタシの膝枕で寝っ転がるのデース!」
「寝ながら食べやすいように、ゴトがサンドイッチ作って来たから、食べて食べて♪」
「司令官のお腹が冷えないように、イムヤがタオルケット掛けてあげるわっ!」
「しおんは他の皆さんと提督のお洗濯を済ませてきますね」
―――あの鬼月提督がやっと有給休暇を過ごすからである。
彼は特殊部隊にいたこともあって休暇が無くても、睡眠時間さえ取れれば働き続けることに慣れている。
特殊部隊の頃、自分の有給休暇は家庭がある同僚や先輩後輩の誰かに譲っていたくらいだ。
しかし今は人に譲るという裏技が出来ない上に、元同僚で現上官の藤堂から直々に『たまには有給休暇を使え』と直々に言われたので渋々その1日を消化中。
それでもまだまだ有給休暇が残っているため、提督はこれから暫くの間は3日に1日は有給休暇を過ごしてさっさと消化しようと考えている。
鬼月提督が有給休暇を使うのは艦娘たちも大賛成。
それは自分たちも休めるからではなく、日頃から働き過ぎの提督が休もうとしていることが嬉しいからだ。それに最近は顔色も優れなかったので、本当に彼が有給休暇を使ってくれたことが嬉しい。
因みに有給休暇中は任務を請け負わないので、艦娘たちは提督が定めたローテーションで鎮守府近海のパトロールと海上訓練を行う。
そして鬼月提督が有給休暇ならば必ず馳せ参じるのが、金剛を頭とする『鬼嫁勢』である。
鬼嫁勢は文字だけ読むとそのように捉えてしまいがちであるが、実のところは鬼月提督を鬼のように可愛がる嫁カッコガンボウの集まり。
もっと簡単な言い方をしてしまえば、金剛の下に集いし提督を甘やかし隊である。
今も鬼月提督が住まう本館横にある小さな長官官舎に金剛、ゴトランド、伊168(以降イムヤ)が甘やかしにやって来て、伊400(以降しおん)に至っては他の鬼嫁仲間たちと家事を提督に有無を言わさずに引き受けている。
栄養管理は良妻勢。補佐は押し掛け勢。そしてその他家事は鬼嫁勢と役割分担がしっかりとしてあるので、正妻戦争みたいなことは勃発しない。勃発しても最愛の人が悲しむだけだと彼女たちは分かっているのだ。
「…………毎回思うんだがな。ここまでしてくれなくてもいいんだぞ、お前たち」
「オゥ、では毎回同じことを返しマスガ、テイトクは黙ってワタシたちに甘えてればいいんデスヨ〜」
「有給休暇中なのにデスクに向かおうとしていた司令官が悪いんだからね?」
「有給休暇中って仕事しちゃダメなんだよ?」
「いや、明日からの準備をしようと―――」
『―――それは大和たちが高雄とやるから気にしなくてもいいの』
三人に声を揃えて威圧されると、流石の鬼月提督も押し黙る他ない。それだけ彼女たちの意思は固いのだ。
提督が観念するかのように金剛の膝枕を受け入れ、ゴトランドからサンドイッチを食べさせてもらった。
まるでハーレムを構築した王侯貴族のような朝食を過ごしたあと、ゴトランドはイムヤと共に官舎内の掃除に向かった。
残った金剛は鬼月提督が起き上がれないようにそっと肩に手をやり、空いている手では彼の口元をハンカチで優しく拭いてやったあとで頭を何度も何度も撫でている。勿論、仰向けの提督の胸元にはゴンサレスくんが鎮座。
鬼月提督はいくら言っても止めてくれないので、今では『申し訳無い』と思いながら受け入れることにしていた。何しろ拒否すると泣かれてしまうのだ。彼に残された選択肢なんて受け入れる他に無い。
「テイトクが有給休暇を使うのはいつ振りデ〜ス? 大分長いこと使っていなかったようナ〜?」
「…………約半年振りだな」
「ワォ! 大変デス!」
「全くだ。有給休暇の使用期限が無期限になったせいで、俺はこれから有給休暇を何とかして消費する策を模索しないといけない」
「ノンノン、大変の意味がワタシと違いマース。ワタシの大変はテイトクが休んで無さ過ぎという大変なんだヨ!」
「……俺は別に有給休暇を使わなくても―――」
「人間は休まないと死にマス! テイトクが死んだら、ワタシだけじゃなくて、ここの艦娘みんながあと追い自害するヨ!」
「それはよくないぞ!」
「デショー? ならテイトクは少しでも休むことを覚えること。ワタシたちのテイトクに代わりはいないんデス」
金剛の言葉に鬼月提督はハッキリしない頷きを返し、それを誤魔化すようにゴンサレスくんのモフモフなお腹で顔を覆った。
そんな提督を金剛は聖母のように目を細め、声を出さずに笑って見つめる。
あの頃から何も変わらぬ愛しい人を―――
◆◆◆◆◆◆
金剛という艦娘は個人差はあれど、どの金剛も提督を好いている。
その理由は諸説あるが、ここの金剛に限って言えば、理由は当時の日本海軍が大東亜戦争時に使用した唯一の外国製日本戦艦であり、多くの活躍の場を与えてくれたからだ。
艦時代の最期の記憶は乗組員たちが金剛の被害状況を楽観視していたこともあり約1300人と多くの犠牲者と共に海に沈んだことであるが、それは艦娘になった今では教訓として心に刻んでいる。
鬼月提督と初めて顔を合わせた瞬間から金剛は彼の纏う高潔な軍人オーラにほの字になった訳だが、それはあくまでも憧れに近い感情が多い。
実際に本格的に惚れ込んだのには、とある決定的なことがあった。
それは金剛が着任して半年を過ぎた頃のこと―――
『ワタシが観艦式の旗艦、デスか?』
―――出撃して入渠と補給を終えたあとで執務室に呼び出され、いきなり鬼月提督から直々に告げられた金剛は思わず聞き返してしまった。
観艦式……それは自衛隊の頃で言えば自衛隊の精強さをアピールすることと、国際親善や防衛交流を促進すること、また国民に自衛隊に対する理解を深めてもらうことを目的として行う大きな行事であった。
しかし自衛隊改め、国防軍とし、艦娘と伴に戦うようになった今の観艦式をやる理由の大きな目的は、国民に艦娘がどんな存在であるかを知ってもらうことである。
昔の観艦式にはかなりの費用を要したが艦娘であればそれはかなり抑えられ、大きな鎮守府であれば半年に一度。小さな規模の鎮守府でも年に一度か二度は行うことが出来るようになったので、より艦娘が国民にとって身近な存在として認識されるのだ。
また観艦式を催すことで国防軍の公式グッズや大本営監修の艦娘大全集(軍艦図鑑みたいな物)、また艦娘たちお手製のお菓子やそこの艦隊独自の記念メダルが販売されるため、そういった売上も軍にとってはいい資金源になっている。
ただ鬼月提督がいる鎮守府ではこれまで観艦式が出来なかった。
何しろ観艦式をする程の予算も艦隊の規模も無かったからだ。
しかし新しく着任した面々が揃ったとなれば観艦式を行うことが出来る。
鬼月艦隊が発足して記念すべき第一回目の観艦式。その第一回目の旗艦に金剛が選ばれたということだ。
金剛としてはとても嬉しく名誉なことであったが、同時にどうして自分なのかという疑問も湧いた。
何故なら金剛自身、艦時代の中で観艦式は先導艦を務めたことはあるものの、御召艦経験が無かった。
今の時代の観艦式において御召艦という役目こそは無いが、それでも旗艦に選ばれた艦娘はその艦隊の代表として隊列の先頭を任される。ならば金剛の妹たちの中にそうした経験者がいるのだから、妹たちに頼んだ方が恙無く終えられるのでは、と金剛は思ったのだ。
なので金剛は思ったままを鬼月提督に投げる。しかし提督は呆れたようにこんな言葉を返してきた―――
『お前程艦隊のことを考え、行動してきた人物を旗艦に据える以外に適任者はいないが?』
―――その言葉に金剛は胸をいい意味で締め付けられた。
先に着任していた駆逐艦たちより練度は低いが、自分は戦艦である。それも世界にその名を馳せた金剛型の一番艦。長女として、戦艦として、艦隊の仲間たちを思って思ったことは全てぼかすことなく言葉にしてコミュニケーションを取ってきた。
周りと意見が合わなかったこともあったが、ちゃんと相手の意見も汲んで都度連携を高めてきた。
金剛が徹底してそうしてきたのは一重に『日本が負けないこと』を強く強く意識していたから。
負けては何の意味も無くなってしまう。
それを艦娘として生を受けて、戦後の日本の歩みを学んで痛感した。
だからこそ今度はやれることをとことんやる。
そう徹底してきたのだ。
それを―――
提督が評価してくれた
―――ただの自分だけの思いを提督は理解していた上で、高く評価してくれていた。
金剛はそれがとても嬉しく、やる気が更に湧いた。
『お前が旗艦に相応しいからこうして計画している。お前がいてくれたから、俺の艦隊は更に更に強くなったと実感している。俺たちが守るべき国民のみんなに、地域住民のみんなに、自慢させてくれ……俺の艦娘たちを、金剛という存在を』
もうダメだった。
その言葉に金剛は目から溢れる涙を押し留めておくことが出来なかった。
卑怯だ。そんなことを言われて、喜ばない艦娘はいない。
だから金剛は泣きながら、何度も何度も鬼月提督に向かって頷いた。
ワタシを自慢して
ワタシは貴方の艦娘
これからも
貴方の自慢のワタシでいられるように
その愛の錨で繋いでいて
―――――――――
観艦式の当日。
鬼月艦隊発足後初となる観艦式は小規模なので事前告知をしたのみであったが、近隣住民だけでなくミリタリーファンたちが全国各地から訪れて、急遽近くの駐屯地に応援を頼む程だった。
艦隊発足後はどこの鎮守府でも半年以内に観艦式を行っているのに対して鬼月艦隊の場合は違ったので、そんな艦隊の観艦式を観たいと多くの人々が押し寄せたのだ。
陸軍が快く鬼月提督の要請を受け入れ、しかも打ち合わせも何もしていないのに陸軍の戦車隊と歩兵隊が鎮守府の正門から中庭まで一糸乱れぬ行進を披露し、そのまま戦車展示まで行われたことで来場者たちは大きな歓声をあげた。
これも鬼月提督の強力なコネクションによるものだが、当の本人は至って謙虚に陸軍の代表者へ礼を示していた。
そして始まった観艦式では金剛を先頭に随伴艦として妹の比叡・榛名・霧島が埠頭の海を優雅に滑り、人々は盛大な拍手と歓声をあげる。
『こんなに多くの方々に受け入れられて嬉しいデス♪』
金剛が人々に手を振りながら思わずそう零すと、比叡たちは揃って笑みを浮かべた。
自分たちの自慢の姉がこんなにも大歓声を受けていることが、とても嬉しかったのだ。
しかし次の瞬間、金剛は零れんばかりに目を見開いた。
何しろ埠頭脇を陣取っていた妖精音楽隊が―――
軍艦行進曲
―――を高らかに演奏し始めたからだ。
これは鬼月提督が金剛たちに内緒で用意したサプライズ。
桟橋に待機していた川内型と妙高型、鳳翔、赤城が金剛たちの列に加わり、大行列を組んで行進曲に合われて行進する。
埠頭に集まる来場者たちの中には曲に合わせて歌う者も現れ、それは大合唱へと変わった。
しかしこれで終わる程、鬼は甘くない。
更なる追い打ちとして曲の間奏中に金剛へ礼砲として11発の空砲を電たち駆逐隊に指示して打ち上げさせたのだ。
11発は准将や代将司令官に対して行われている数だが、鬼月提督にとって金剛はそれくらい艦隊に貢献してくれていると言う意味で行った。
曲が終わると同時に今度は加賀と龍驤の航空隊らによって快晴の青空に白・黒・赤・茶のスモークで直線を引く。
白黒赤は金剛の制服に使われているカラーであるが、茶は彼女の髪の色を表していた。
金剛を先頭に桟橋に上がった艦娘たち。
それを待ち構えていた鬼月提督は敬礼したまま微動だにせず、ただただ自分の艦娘たちを温かく見守っていた。
全員が桟橋に上がるのを待つ間、金剛は彼を睨んだ。
こんなの聞いてない、と。
しかし鬼月提督は澄ました顔のままで悪びれる素振りもない上に、悪戯っぽく隻眼でウィンクをして見せてきた。
金剛はその愛の三式弾の餌食になったのだ。提督本人はお茶目にやり過ごしたつもりだっただろうが、向けた相手が悪かった。元々好感度が上限一杯だったのに、その上限を突破させてしまったのだから。
◇◇◇◇◇◇
それから金剛はことある毎に鬼月提督を甘やかそうと行動するようになった。
はじめは比叡が一番『司令はいい方ですが、お姉さまがそこまですることないですよ!』と止めに入っていたのだが、比叡本人も日頃提督と接していく中で態度が軟化して今では『金剛お姉さまの次は私ですからね、司令!?』とケッコンカッコカリを求めてくる始末。
全ては鬼による所業のせいとしか言いようがないが、金剛を含めた多くの提督甘やかし勢を周りは『鬼嫁勢』と呼ぶようになった。
類は友を呼ぶとは言うが、まさか鬼が鬼甘やかしてくる嫁を呼ぶとは誰も思わなかっただろう。
しかし現に鬼月提督は金剛の膝枕によって鬼甘やかされている最中だ。
「……脚が痺れたりしてないか?」
「まだ始まって数十分デス。そもそも艦娘であるワタシはそんなに軟じゃないデスヨー。太ももは柔らかいデスガ!」
「しかしだな……こういうのは慣れないんだ。せめていつも通りに過ごさせて欲しい」
「いつも通りとは?」
「…………戦術思案をしたり―――」
「ノォォォォォ! オコトワリデースッ!」
頭上で言葉だけでなく、両腕をクロスさせてバツマークを大袈裟に見せてくる金剛に提督は思わずため息を吐いた。
気遣いの心は嬉しいが、有給休暇の度にこうなるかと思うと困るからだ。
「分かった。なら仕事関連のことは一切しないと誓う。だから膝枕の刑を解いてくれ」
「刑じゃないデス! テイトクを甘やかしてるんデス!」
「それがむず痒いんだ。俺はもういい大人なんだから」
「大人でもこういうことを望んでいる人は大勢イマス!」
「俺はその大勢の中に入ってない」
ああ言えばこう言う金剛に提督はどうしたらいいものかと思案する。
すると丁度良く壁掛け時計が一一〇〇を告げる鐘を鳴らしたので、提督はティンと閃いた。
「金剛、お前リンゴ好きだよな?」
「? 大好きデスけど?」
「実はリンゴが沢山余っていると、昨晩に間宮から報告があったんだ」
「?????」
それが何か?と言うように提督へ視線をやる金剛。
鬼はそこでにやりと笑った。
その理由は―――
「今、それで閃いたんだが、焼きリンゴを作ろうと思うんだ。これから一緒に作らないか?」
―――膝枕から逃げる術を見つけたからだ。
何を隠そう、金剛は鬼月印の焼きリンゴが大好物。
よって―――
「グッドアイディア! テイトクと共同作業デス!」
―――金剛は爛々に目を輝かせて快諾する。
提督は金剛は焼きリンゴが大好物だからこれだけ興奮していると思っているが、金剛は提督と一緒に厨房に立てることが嬉しいので興奮しているのだ。
鬼月印の焼きリンゴは少し変わっている。
一個のリンゴを八等分にして、種を取ったら半分は皮を剥いて、もう半分は皮を残す。
それを一口大の大きさに切ったあとで弱火にかけた鍋に入れて、バターではなく少し多めのオリーブオイルで煮詰めるようにして炒める。
リンゴの色が変わってきたらそこにシナモンパウダーを好みで入れ、シナモンの香りを染み込ませるように煮詰めていく。
リンゴが飴色になったところで火を止め、今度は春巻きの皮を用意してそこに先程焼いたリンゴを皮で包むように巻いて、皮がパリパリになるようにフライパンで焼く。
それを皿に盛り付け、マスカルポーネチーズを乗せて食べる。
春巻きの皮が無くてもそのまま食べても美味しいし、トーストに乗せても相性がいい。
これが鬼月印の焼きリンゴ。砂糖を使わず、爽やかなリンゴのみの甘さとシナモンの香り、そこにマスカルポーネチーズの濃厚な旨味が重なって多くの艦娘たちを虜にしているのだ。
人数分に行き渡った上で余りが生じれば、それはジャンケン戦争へと発展する。運が悪いからとジャンケンが嫌いな一部の艦娘たちも毎回参戦する大戦争へと発展するが、実に平和的である。
「では行こうか。今から行って作れば昼に間に合うだろう」
「了解ネー!」
そう返事をすると金剛は提督を横抱きして食堂へと走った。
提督は「興奮し過ぎだろ!?」と金剛を注意したが、鬼嫁勢の長にその声が届かなかったのは言うまでもない―――。
読んで頂き本当にありがとうございました!