あるところに美しく強いお姫様がいました。
そのお姫様は、ある日、大きな鬼に恋をしました。
その鬼は悪さをすると、多くの人たちから恐れられていました。
しかしそのお姫様だけは、その鬼が優しい鬼だと知っていました。
◇◇◇◇◇◇◇
コツ……コツ……
ヒールの音が静かに鳴り響く廊下。
その主は女性の提督。階級は大佐だ。
歳は27で、ヒールを除いた身長は165センチと女性にしては高身長。
目尻が少しつり上がった一重で黒い瞳が少々上にある三白眼。それでいて雪のように白い肌と鮮やかな桜色をした唇。
日本女性特有のきめ細かい真っ直ぐな黒髪を胸下くらいまで伸ばし、眉毛が隠れるくらいの前髪を左へ流して、バックは少し低い位置で一纏めにしているポニーテール。その質感を表すように天使の輪も煌めいている。
「おい、見ろよあれ」
「おっ、姫様じゃん。相変わらず美人だなぁ」
「胸はアレだけど、本当に美人だよな。その上有能」
「なのにまだ独身とか勿体ねえー」
「ならお前がアタックしてこいよ。骨は拾わんがな」
彼女が歩けば、多くの男はその者に目を奪われ、彼女の話題で盛り上がってしまう。
しかし―――
「……ゴチャゴチャと人のことを好き勝手言わないでくださいませんこと? するならば本人に聞こえないところでしてくださらないかしら? 控えめに言って不快、ですわ」
―――この女性……豊島沙羅(とよしま さら)は酷く苛烈な大和撫子であった。
豊島沙羅の実家、豊島家は艦娘の艤装開発・研究を担う技術系の長的存在であり、父と沙羅の兄は開発部のトップとその補佐だ。
父と兄は揃って機械馬鹿。母はそんな父と息子に呆れつつ、いつもたおやか。そんな愛する家族を守るために、愛娘は軍服に袖を通す。
軍部でもかなりの地位を誇る豊島家。
そんな御家のご息女で且つ軍に入った異質な存在であるため、常に彼女は好奇の目を向けられるのが嫌だった。
中にはいいとこのご令嬢でありながらわざわざ危険な職に就いた彼女を嘲笑う者もいた。
だからこそ、彼女は余人がそんな言葉を吐けぬよう苛烈な女として身を固めている。
『す、すみません……』
彼女の凛とした一喝に下世話な話をしていた男たちは揃って萎縮し、謝罪した。
そんな男たちに沙羅は微かに礼を返し、小さく鼻を鳴らしてまた歩を進める。
―――
沙羅は本日、泊地総合部で月一で開かれる方針会議に出席。
方針会議と言っても、大規模作戦の発令が上からない限りは『いつものように』任務を全うするのみで、やる意味はほぼここの泊地にある鎮守府の長たちが交流を深めるためだけの会議である。
因みに対象は全鎮守府ではなく、区画で分けられた鎮守府の提督たちが集まるので大きなリスクはない。加えて同行している各提督たちの秘書艦たちは別室で待機中。
「また鬼と姫様のワンツーだとよ」
「凄いわよね……」
「どっちも凄いが、あの鬼には敵わんだろ」
「そーそー。なんたってあのお姫様に大差でトップだしー」
談話室では各鎮守府の長たちが思い思いの話をしている。
だが話題は泊地の戦果1位鬼月提督と2位の豊島提督のことばかり。
加えて鬼月が不在(喫煙室に出向き)中であるため、彼らは揃って鬼月を鬼と呼んでいる。
沙羅はそれが嫌だった。
彼は鬼ではない。鬼であったとしても、とても心が綺麗で優しい鬼なのだから。
「少しよろしいかしら?」
沙羅が話をする者たちの輪に入ると、彼らはぎょっとする。何を言われるのかと。
「ど、どうしました、豊島さん?」
「先程から嫌でも私の耳に入ってきて不快極まりないのですが、あなた方は鬼だ鬼だと、鬼月様のことを鬼呼ばわりしていますが、鬼月様のことを何故その様に仰るのかしら? それも当人がいない時に限って」
「そ、そりゃあ、豊島さんもあの人のお噂は聞いているでしょう?」
「火のないところに煙は立たないって言うし……トップを維持するのは簡単ではないよね?」
「艦娘を酷使する他、この結果はあり得ないわよ」
沙羅は軽く頭痛がした。こいつらは本気で言っているのか、と。
「鬼月様はその様なことしませんわ。現にあなた方も鬼月様の艦娘たちを演習等で目にしているはず。彼女たちに疲労の色はありませんよね? 彼は私たち泊地第一区の……いえ、泊地の一番の武士であり功労者です。それを何の裏取りもしていない噂だけで鬼だなんて……。私から見ればあなた方の方が鬼だと思いますわ」
彼女の言葉の意味が分からず、彼らは揃って首を傾げる。
それに沙羅は余計に頭痛が増した。
「ですから、根も葉もない単なる噂だけで、鬼月様のことを全て把握していないのに、先入観だけであれこれ並べているあなた方こそ鬼に相応しいと、私は申していますの」
「そ、それは……」
「でも、そうじゃないと……なぁ?」
「えぇ、あの戦果はとても……」
「俺らじゃ出せそうもないし……」
「それは一重にあなた方の艦隊の練度が低いからではありませんこと? ちゃんと常日頃から他所との演習はお組みになっていて? 遠征は行っていて? 適材適所で艦隊編成を変えていて? 状況に応じて陣形を指示していて? ましてや戦艦と正規空母にばかり頼っていらっしゃったりは……していませんよね?」
彼らは沙羅の言葉に何も言い返せない。その通りだったからだ。
「たかが演習、たかが遠征……小さなことをコツコツと出来ない人間の下に強い艦娘が集うなんて、それこそあり得ませんわ」
「でも、みんな艦娘の人数が限られて――」
「――限られた人数の中で最良の采配を行うのが我々提督の務めですわ。そんな初歩であることもお忘れになられましたの? その様にご自覚が欠落していては、守れる国民も守れませんわ。私たちは国のために艦娘と力を合わせて脅威に立ち向かわねばいけませんのに」
沙羅の言葉に誰もが口をつぐむ。
自分たちが鬼と呼ぶ提督はここにいる誰もが何度か演習をしたことがあるが、勝っても負けても艦娘たちに言うことは『今のを忘れるな』だけであった。
社交辞令でお茶でもと誘えば、『お気遣いなく』と涼しく返してきていた。
艦隊の育成のやり方は人それぞれであるが、自分たちが勝手に決めつけていた鬼は弛まぬ努力をしていたのだと、分かった。
「私は鬼月様は大変優秀な提督だと思います。でないと、この私を差し置いてトップなんて取れませんもの」
誰かに何かで目に見える形で負けるのは沙羅も悔しい。
彼女はこれまでやってきた稽古事などの発表会で負けたことなどなかったのだ。
しかし鬼月提督は沙羅が努力をすればする程、それ以上の努力を重ねて更に差を広げてくる。
悔しい……でもその大きな背中を追い掛けるのは、嬉しい。
そう、豊島沙羅は鬼月仁という男を心から尊敬し、そしてそれはいつしか恋慕に変わっていたのだ。
―――――――――
「っとに、あったまに来ますわ! どうして誰も鬼月様のことを鬼だと仰るのかしら! あんなに素敵な殿方ですのに、理解に苦しみますわ!」
「提督、お気持ちは分かりますが往来の場ですよ」
会議後の親睦会がお開きとなり、沙羅は秘書艦・高雄と共にバス停までの道程を歩いていた。
泊地総合部から直接タクシーは出ているが、沙羅は自分の鎮守府にいる艦娘たちのためにお土産のお菓子を買うため、繁華街のバスを利用しているのだ。
泊地総合部は大きな敷地を有す軍事情報管理基地。そこには多くの金や人材が集まるため、その周りには自然と人や物が集まってくる。
ここの街は今や泊地内で一番栄え、一番安全な街だ。
「高雄、アイスクリーム食べたいっ!」
「では、いつものところですね」
駄々っ子のように言う沙羅に高雄はそれをなだめる姉のように優しく微笑んで、行きつけのアイスクリーム屋へと向かった。
―――
沙羅行きつけのアイスクリーム屋。
そこは本当にただのアイスクリーム屋であり、公園の一角に停まっているアイスクリームの移動販売車である。
種類も何処ぞのチェーン店みたいに豊富ではなく、あるのはバニラとチョコレートとストロベリーの3種のみ。
しかしそれだけでも人がいれば自然と甘味は売れる上、トッピングの方は豊富である。
「提督、買ってきましたよ」
「ありがとう、高雄♪」
高雄から自分のアイスクリームが入ったカップを受け取り、二人はすぐ近くのベンチに座る。
「高雄もちゃんと遠慮せずに食べたいのを選んだ?」
「はい。提督の奢りですので、チョコレートアイスにホワイトチョコチップトッピングのダブルチョコシロップ掛けにしました」
「本当にあなたはチョコが好きね。ニキビには注意するのよ?」
「はい♪」
二人して束の間の穏やかなオフを甘い物と共に優雅に過ごしていると、
「ママー、はやくアイスー!」
「はいはい、ちゃんと買ってあげるから」
アイスクリーム屋に一組の母娘がアイスを求めにやってくる。
そのまだ幼い少女の泣き腫らした目と露わになっている腕に貼られたガーゼを見るに、きっと予防接種か何かを頑張ったご褒美なのだろう。
沙羅はその微笑ましい光景に思わず目を細めた。
こうしてあの母娘が笑えているのも、艦娘や自分たち……更には父や兄、多くの人たちが毎日頑張っているから見れる尊き日常の一コマだからだ。
「アイスー、アイスー♪」
「ちゃんと前を見なさい」
アイスを買ってもらってご機嫌の少女。
しかし―――
ドンッ
―――前方不注意で少女は何者かとぶつかってしまった。
そのぶつかってしまった者は―――
「…………」
―――あの鬼である。
母親もその娘も軍服を着ていても分かる筋骨隆々で眼帯をした大男を前に表情を強張らせていた。
加えて少女がぶつかったせいで、鬼のズボンの太ももら辺にストロベリーアイスがベッタリと付いてしまったのだから。
母親はすぐに娘を守るように抱きかかえて謝った。娘もアイスがダメになって悲しいやら、いきなり大きな男が目の前に現れて怖いやらで大粒の涙を流して泣き叫ぶ。
しかし鬼はゆっくりと母娘の元へと歩を進める。
「っ」
沙羅の高雄はすぐに動こうとしたが、それを沙羅が即座に視線で高雄を制した。
何故なら―――
「とても美味しそうなアイスクリームだったので、おじさんのズボンが食べてしまった。申し訳ない」
―――鬼は鬼でも、その鬼は何よりも優しい鬼なのだから。
「へ……?」
「ふぇ……?」
母娘揃って首を傾げる。
それも当然だ。真っ白なズボンを汚したのに、わざわざ少女と同じ目線になるよう膝を折ってユーモアたっぷりのフォローをしてきたのだから。
「店主、この母娘にアイス全種とスペシャルトッピングを特大カップで。代金はこちらが持つ」
鬼がそう注文すると、店主は笑顔で大きなカップにアイスクリームを全種類乗せる。そこへウサギの形やクマの形をしたチョコレートをトッピングし、カラースプレーで更にトッピング。終いにそこへスプーン代わりの大きなワッフルコーンを乗せた。
「今度はお母さんの言うことを聞いて、前を見て歩くんだよ? でないとまた他の人のズボンに食べられてしまうからね」
「…………あいっ! おいたん、ありがとー!」
「お礼を言えるなんて君は偉いね。きっとお父さんとお母さんが素晴らしいからだね。とても出来たお子さんですね」
「へ!? い、いえ、うちは特別なことは何も! あ、あの、こちらが悪かったのに何から何までありがとうございました!」
鬼月提督の対応に母親はとても恐縮したが、娘の方は早くも提督へ懐き、何度も何度も「ありがとー!」「おいたんおっきーかっこいー!」と言っている。
「お母さんと仲良く食べるんだよ?」
「……あい」
大きな手で、しかし優しい手つきで提督が少女の頭を一、二度撫でると少女は幼いながらも乙女の表情になってもじもじしながら返事をしていた。
母娘が何度も何度もお辞儀をして去っていくと、
(今ですわね)
頃合いを見計らっていた沙羅がスッと立ち上がる。
―――
「提督、とりあえずズボンに付いたアイスクリームを落としましょうか」
「そうだな」
「鬼月様っ」
ズボンの汚れを取ろうと提督が高雄と話した直後、沙羅は声をかけた。
「おお、豊島提督。奇遇ですな、どうしました?」
「失礼ですが、先程の一部始終を見ていました。よろしければ、こちらをお使いくださいまし」
沙羅は桜色のハンカチを半ば強引に提督の手に握らせる。
すぐに断ろうと思っていた提督だったが、その上品な笑顔の後ろにいる黒い何かに圧されて断れなかった。
「……かたじけない」
「いえいえ♪」
受け取ってもらえて上機嫌に返す沙羅。
その心は―――
(ゥオッシャー! さり気なく仁様へハンカチを渡せましたわ! でも触れた雄々しき指先が既に素敵過ぎて私の全細胞が勝利のラッパを鳴らしていますわぁぁぁぁぁっ!)
―――既に凱旋パレード状態だった。
―――――――――
「お借りしたハンカチは後日洗って返させてもらいます」
「はい。でしたら、次の演習の際に受け取りに伺わせて頂きますわ」
「いや、そういうことならばこちらから伺わせて頂きたい」
「では、その際に♪ お誘いを心待ちにしていますわ♪」
またも半ば強引に提督をベンチへ誘った沙羅。
沙羅の高雄は提督とその高雄に謝ったが、二人は笑顔を返してくれた。
「それにしても、じ……鬼月様は相変わらずお優しいですわね」
「優しくはないですよ。自分がちゃんと注意していなかったがためにあの少女にぶつかり、泣かしてしまった……情けない限りです」
「まあ! そんなにご自分を卑下してはいけませんわ! 私が見る限り、母娘共々去り際はとてもいい笑顔でしたもの!」
「それはアイスクリームのお陰かと。あそこのスペシャルトッピングは裏メニューですので」
「なるほどなるほど……」
(つまり仁様はそれ程まであのアイスクリーム屋さんに通い詰めていらっしゃるのね。また『I♡仁様ノート』に付け加える事柄が増えましたわ♡)
ああ言えばこう言う提督と、惚れている男性を褒めつつちゃっかりとその者の情報収集もする沙羅。
そう沙羅は提督の前限定で狡猾な肉食女子になるのである。
この両者に提督の高雄も沙羅の高雄も揃って苦笑いした。
(私たちも知り合って結構ーちゃんと知り合ったのは1か月前ー経ちますし、そろそろもう一歩近い関係を願ってもいい頃合いですよね?)
「あの、鬼月様」
「はい?」
「私たち、知り合って結構経ちますでしょう?」
「……まあ、そうですね?」
(俺と初めて挨拶したのがいつもの方針会議から3年以上は経っているからな)
「で、ですので……その……お友達になりませんか? 年上の殿方、それも先輩である鬼月様にこんなお願いするのは分不相応なことですが……」
「……自分なんかとですか?」
「もう、私は鬼月様だから申していますのよ?」
「そうですか……では、改めてよろしく」
「はい♪ あ、どうせなら私のことは沙羅と呼び捨てになってくださいませんか? お友達ですし♪」
「え」
「いけませんか?」
ここぞとばかりに攻め立てる沙羅の波状急降下爆撃に提督は思わずたじろぐ。
何しろ見目麗しい令嬢が子犬のように目をウルウルとさせて上目遣いで迫ってきているのだから。
「…………では、沙羅提督と」
「はい、仁様っ♡」
(きゃあぁぁぁぁ!♡ 提督付けではあるけれど、これでまた一歩お近付きになれましたわ!♡)
「え、じ、仁様?」
「私にそう呼ばれるのは、お嫌ですか?」
「い、いえ……」
「ではいいのですね! 仁様、仁様ぁ!♡」
(はぁ、幸せ過ぎてお腹減って来ちゃった!)
「仁様、お友達記念にアイスクリーム食べませんか? 勿論、この豊島沙羅がご馳走致しますわ!」
「…………頂こうかな」
イケイケドンドンの沙羅を前に断れない提督。
しかし提督も友達が出来たのは久しぶりだったので、心の中では温かさを感じていた。
一方、沙羅の高雄は今夜の夕食はカロリー控えめにしようと心に決めるのだった。
◆◆◆◆◆◆
それはまだ豊島提督が鬼に惚れる前のこと。
豊島提督は鬼の戦果に少しでも近付こうと日夜自分の艦娘たちと努力していた。
鬼と何度か顔を合わせたことはあるが、会釈程度。
その頃の豊島提督はライバル視しかしてなかった。
しかし今のようになったのは1か月前のとあることがきっかけだった。
その日も方針会議に出席していた。
つまらなかった。
誰しも口を開けば鬼と姫の話ばかり。
嫉妬と憶測だけの与太話にうんざりし、豊島提督はさっさとその場から立ち去った。
そしていつものように繁華街を高雄と歩いていると、公園の一角で自分の大好物であるアイスクリームの移動販売車が停まっているのを見つけたので、高雄と足を踏み入れた。
そこで鬼と遭遇したのだ。
『おや、豊島提督、でしたよね? あなたもアイスクリームを?』
『え、ええ、まあ……』
鬼のくせにアイスクリームを……しかも自分と秘書艦まで被るこの鬼との遭遇に豊島提督は内心ため息を吐いた。
『よろしければお隣どうぞ』
『え、ええ、ありがとうございます。失礼致しますわ』
あちらの方が先に座っていたのに、わざわざ立ち上がって自分を座らせてくれる紳士な対応に豊島提督は驚く。
そして噂なんて本当にくだらないと思った。
『豊島提督はバニラがお好きなのですか?』
『……はい』
別に隠す必要もないので素直に返すと、鬼がやたらと嬉しそうに目を輝かせてきた。
『自分もバニラアイスが好きなんですよ。ここのはそのままでも十分美味しいですが、より美味しいトッピングがあるので試してはどうですかな?』
『…………どういうものかしら?』
食欲に負け、好奇心のままに訊いてみた豊島提督。
すると鬼は豊島提督のバニラアイスを一度預かり、再び店主の元へと向かった。
鬼が戻ると―――
『…………これは?』
『オリーブオイルです。そして別添えで塩を。こちらはお好みですね』
―――自分の知らない食べ方を促してきたのだ。
豊島提督はバニラアイスにそんなことをしたことはない。寧ろそんなことをするのはバニラアイスへ対する冒涜で、全世界のバニラアイスファンに謝れと一喝しそうになった。
しかし目上の者から勧められた手前、試さずに避けるのは豊島家の恥。
だから一口食べて、口に合わなければあとは適当な理由を付けてその場を去る算段だったのだが―――
『…………美味しい』
―――美味しかったのだ。
これまで食べてきたどんな高級バニラアイスよりも、たかだかオリーブオイルとほんの一匙にも満たない塩のみなのに。
驚いた豊島提督が鬼へ感謝を告げようと視線を移すと―――
『美味しいですよね。俺、(このトッピングが)好きなんです』
―――何とも言い難い優しく少年のような真っ直ぐな笑顔と、耳に心地良い低音甘ボイスに豊島提督は堕ちた。
まさに初恋に堕ちた瞬間だった。
初恋は実らないとよく言われるが、豊島家は違う。
代々豊島家の人間の初恋は激しく情熱的らしく、母も父(婿養子)が初恋の相手であり、兄も初恋の相手を嫁にした。
過去には初恋が実らなかった代もいるにはいるが、それでも大恋愛をしている。
衝撃だった。
男なんて女の象徴的な箇所にばかり興味がある生き物だと思っていた。
現に豊島提督も男の目を引く美貌を持っていたので、男たちの視線を総なめにしていたのだ。
その上、お姫様等と変な通り名を付けられる始末。
豊島提督は仕方のないことだが、やはりそういう男性は困ると思っていた。
それがどうだ?
鬼だ、鬼畜だ、と囁かれていた者は邪な気持ちが一切感じられない大和紳士。
だからこそ、この日からこの鬼の元へ嫁ぎたいと姫は強く強く願った。
幸い鬼を狙う酔狂な者はいないし、自分は家を出ても許される身であったから余計に。
◇◇◇◇◇◇
「仁様ぁ♡ やはりバニラアイスのトッピングはこれですよねぇ?♡」
「うん、これに限りますな」
「……敬語」
「こ、これだなっ」
「はい♡」
沙羅はこの瞬間とても幸せを感じている。
愛する夫(予定)と頼れるダブル高雄との団欒が。
今では秘書艦・高雄がお揃いなのも提督夫婦らしくて嬉しい感情しかないのだ。
だからこの今ある幸せに―――
「…………ぐすっ」
「っ!?」
―――沙羅は思わず涙が溢れる。
突然泣き出した沙羅に提督が驚いたのは言うまでもない。
「ど、どうした!?」
「いえ、お構いなく……これは私が(涙)脆いだけですから」
「…………」
「お顔を洗ってきますね。少々お待ちを」
そう言ってそそくさと沙羅がその場を離れると、
「……なんて最低なんだ俺はっ!!」
鬼は強い後悔の念に苛まれる。
「て、提督!?」
「あ、あの、うちの提督のことは気にしないでくださいっ。あの人いつも(鬼月提督のこと限定で)ああなのでっ」
「いいんだ……こんなむさ苦しい男とあんなにも美しい女性がアイスを食べるだなんて社交辞令が過ぎている上に、後輩に奢らせる先輩なんて最低過ぎる。それに年齢的に私も加齢臭が酷くなっている。バニラの香りに混じる加齢臭だなんて嗅いでいたら泣きたくもなるだろう!」
「どこまでネガティブなんですか!?」
「うちの提督はそんなことは決して思ってませんからっ!」
高雄たちの決死のフォローも提督には無意味だ。
何しろ自分に好意が向けられているなんて微塵も感じ取れない人間なのだから。
「今の内にお暇しよう。きっと彼女もそう思っているはずだ。折角出来た新しい友をこれ以上苦しめることは許されないっ」
「…………提督がごめんなさい」
「いえ、お察しします」
こうして提督は自分の高雄を連れて足早に公園を去り、帰り道で自分のところの艦娘たちに日頃の苦労のねぎらいに美味しいと評判のケーキを大量に買って鎮守府へと帰ったとさ。
―――
「只今戻りました……仁様? 私の仁様は何処へ!?」
「……お帰りになりました」
「どうして……これからあわよくば男女の仲になって結婚の日取りも決めようと思っていましたのに……」
「……大切な段階をマッハのスピードで駆け上がるんですね。えっと、何でも、早く自分のところの艦娘たちに会いたくなったのだそうです(嘘)」
「まあ、なんて心優しいのかしら……ス・テ・キ♡ ぽっ♡」
「口で"ぽっ"とか言う人いませんよ、普通。私たちもこれを食べ終えたら帰りましょう。皆さん提督の帰りを待ってますよ」
「そうね。旦那様(予定)がそれだけ愛する艦娘ですもの。妻(予定)である私も同じく愛さなければ!」
「ソーデスネー」
「ああっ、此度も本当に仁様は素敵で、ときめきが止まりませんでしたわっ!」
「ゴイスーゴイスー」
沙羅の高雄はもうツッコミ疲れながら、このあとの沙羅の妄想は聞き流しつつ帰るのだった―――。
読んで頂き本当にありがとうございました!