天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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第十一話 Sの追憶/二人の始まり

「----さん! ミノさん!!」

「銀!! 起きて、銀!!」

「……う……」

 自分を呼ぶ声に銀がうっすらと目を開けると、目を涙で一杯にしながら自分を見つめている須美と園子の顔が飛び込んできた。二人は銀の意識が戻った事を確認すると、がばりと銀に思いっきり抱き着く。

「銀! 良かった……生きてて、本当に良かった……!」

「ミノさん……う、うう~……!」

 銀に抱き着き半泣きになっている二人に、銀は困った笑みを浮かべながら言った。

「は、はは……二人共。嬉しいのは分かったから、離れておくれ……。正直、ちょっと痛い……」

「あ……。そ、そうよね。ごめんなさい、銀」

 自分達が抱き着いている銀が止血されているとはいえ、傷だらけである事を思い出した須美と園子はぱっと銀から少し離れる。それから園子が不安そうな表情を浮かべながら銀に尋ねた。

「ねぇ、ミノさん。あまみんは?」

「……! そうだ、志騎……! がっ……!」

 園子の言葉に、最後に見た志騎の笑顔と言葉を思い出した銀が勢いよく体を起こそうとすると、言葉を失うほどの激痛が彼女の体を襲った。勇者の力で出血が収まってきたとはいえ、傷が完全に言えたわけではない。それは他の二人も同じだろうが、銀は一人で三体のバーテックスの相手をしていたので、傷の酷さならば三人の中でも特に酷かった。

「あいつ……一人でバーテックスと戦いに行ったんだ……! 早く助けに行かなきゃ……!」

「分かったわ。私とそのっちで志騎君を助けに行くから、銀はここで……」

 だが須美の言葉に銀は首を横に振り、

「駄目だ、あたしも行く……! 志騎を、助けるんだ……!」

「な、何を言ってるの!? あなた酷い怪我をしてるのよ!? このまま助けに行ったら、本当に死ぬかもしれないのに……!!」

「分かってる! だけど、あたしだけここでじっとして、それで三人がバーテックスと相打ちで死んじゃったりしたら、絶対に一生後悔する……! 頼む、あたしも一緒に連れて行ってくれ……! 一生のお願いだ……!」

「銀……」

 今まで見た事がないほど必死な表情で頼み込む銀を見て、須美は思わず言葉を失ってしまう。

 と、二人のやり取りを見ていた園子が静かに言った。

「……うん。分かった。ミノさんも一緒に行こう」

「そのっち!?」

 須美が驚きの声を上げ、銀が表情を明るくしかけると、それを制するように園子が続ける。

「でも、これだけは守って。絶対に無理をしない事。リーダーの私の指示はきちんと聞く事。この二つが守れるって約束するなら、ミノさんも一緒に連れて行く。できる?」

 今更、ためらいなどない。志騎を助けに行くなら、どんな命令でも聞くつもりだった。銀がこくりと力強く頷くと、園子は力強い笑みを浮かべた。

「うん! それじゃあ一緒に行こう! あまみんをみんなで助けて、四人で一緒に帰るよ~!」

「「了解!」」

 力強く返事をする須美と園子だったが、まだ傷が癒えきっていない状態で声を張ってしまったため、体に走る激痛に銀は再び悶絶する。それに園子と須美が大丈夫? と本当に心配そうに声をかけるとへーきへーきと銀は引きつった笑みを浮かべながら返す。

 そして三人は、志騎とバーテックスが激戦を繰り広げているであろう方向へと向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 一方、バーテックスと対峙していた志騎はスマートフォンを取り出してZodiacのアプリを押してから、アリエスのアイコンをタップする。

『アリエス!』

『アリエス・ゾディアック!』

 牡羊座の紋章が表示されたスマートフォンの画面をブレイブドライバーにかざしてアリエス・ゾディアックに変身すると、志騎の左右にブレイブフォームの志騎が現れる。二人の志騎はそれぞれスマートフォンを取り出すと、Zodiacの中から違うフォームのアイコンをタップする。

『ピクシス!』

『リブラ!』

『ピクシス・ゾディアック!』

『リブラ・ゾディアック!』

 そして二人がブレイブドライバーにスマートフォンをかざすと、二種類の紋章が彼らの体に吸い込まれ、二人の志騎はピクシス・ゾディアックとリブラ・ゾディアックに姿を変えた。

 三人は特に言葉を交わす事無くそれぞれの武器を構えると、一人ずつ三体のバーテックス目掛けて走り出した。

 ピクシス・ゾディアックの志騎目掛けて赤いバーテックス----キャンサー・ゾディアックと同じ能力を持ったバーテックス、キャンサー・バーテックスが反射板のうちの一枚を放つが、ピクシス・ゾディアックの志騎は地面の中に潜航する事で攻撃をかわす。そしてキャンサー・バーテックスの背後の地面から飛び出し、クナイをキャンサー・バーテックスの背中目掛けて投擲すると見事突き刺さり、次の瞬間クナイが一斉に爆発しその巨体が大きくのけぞった。

 リブラ・ゾディアックの方は、サジタリウス・ゾディアックと同じ能力を持ったバーテックス----サジタリウス・ゾディアックから無数の矢による攻撃が放たれていた。しかしその攻撃をリブラ・ゾディアックの志騎は風を身に纏っての高速移動でかわし、時には身に纏う風を一時的に強力にして放たれた矢を吹き飛ばす。さらに攻撃の合間を縫って、一気にサジタリウス・バーテックスに接近すると素早く鋭い連撃をお見舞いしてやる。生憎リブラ・ゾディアックの攻撃力はゾディアックフォームの中でも低い部類に入るが、それを補って余りある、速度による手数の多さがある。時々放たれる無数の矢による攻撃には注意すべきだろうが、逆にそれに油断せず攻撃し続けていけば、サジタリウス・バーテックスには確実にダメージが蓄積していく事だろう。 

 そして本体であるアリエス・ゾディアックの志騎はスコーピオンゾディアックと同じ能力を持つバーテックス----スコーピオン・バーテックスの攻撃をかわしながらガンモードのブレイブブレードによる銃撃を行っていた。本当ならばアリエス・バーテックス以外のフォームの方がスコーピオン・バーテックスとの戦いを有利に進められるのだろうが、そうした場合二人の志騎の分身は消えてしまう。多少戦いにくくても、三体のバーテックスと戦う以上、このアリエス・ゾディアックのままの方が戦況を有利に運べるのだ。

 現に三人の志騎達は三体のバーテックスをそれぞれ一体ずつ相手取る事により、少しずつではあるが相手にダメージを与え続けられていた。それは一対一の状況を作り出せているというのもあるが、何よりも大きいのはバーテックス達が志騎のゾディアックフォームと同じ能力を持っているという事だ。

 ゾディアックフォームを知り尽くしているという事は、長所だけでなく短所もきちんと把握しているという事だ。そしてバーテックス達の能力がゾディアックフォームと同じ能力である以上、弱点も自然と似通ったものになる。一対一の上に、その弱点を徹底的に突くゾディアックフォームで相手をすれば勝機は必ず見えてくる。

 実際、バーテックス達は三人の志騎を相手にてこずっているようだった。まだ油断できないが、このままいけば被害を最小限にしてバーテックス達を弱らせる事は十分に可能だ。二体が弱り切った所を各ゾディアックストライクで動きを止め、残りのスコーピオン・バーテックスを三人で一気に攻めれば三体をまとめて撃退する事も無理な話ではない。そうすれば銀達が戦闘に参加する事も無くなる。彼女達の怪我も軽いものではない以上、できれば負担をかけたくない。早く戦いを終わらせて治療を受けさせなければならない。

(そのためにも、まずはこいつらを叩く……!)

 スコーピオン・バーテックスの攻撃を必死に避けながら、志騎はブレイブブレードで反撃を行う。

 拮抗している戦況ではあるが、このままいけばきっとバーテックス達を撃退する事ができる。そう思いながらも、志騎は何故か心の中である疑問を抱いていた。

(……こいつらの実力は、この程度なのか?)

 そう考えた理由は、先ほどどうにか助ける事が出来た傷だらけの銀の姿だ。

 彼女は確かにまっすぐ突っ込みがちではあるが学習能力が低いわけではない。三体のバーテックスの能力は銀も見ていたから何度も食らうはずがないし、何よりも彼女の斧の攻撃力ならば志騎が駆け付けた時点ですでに一体倒していてもおかしくないはずだ。

 それなのに三体は健在であり、銀は傷だらけにされていた。何らかの理由があると見て間違いない。

 だが、その理由が何なのか分からない。

(気になるけど……まずは一体の動きを止める!)

 志騎がそう思った直後、キャンサー・バーテックスの後ろに回ったピクシス・ゾディアックの志騎がゾディアックストライクを発動するためにスマートフォンを取り出すのが見えた。まずは一体目、と志騎が思った瞬間、リブラ・ゾディアックの志騎の相手をしていたサジタリウス・バーテックスが何故かまったく関係のない方向に矢を放っている事に気づいた。その方向には、キャンサー・バーテックスから離れていた反射板がふよふよと宙に浮かんでいる。

(……反射板?)

 志騎はさらに反射板の反射面が向く方向を見て、思わず目を見開いた。

 その先には、キャンサー・バーテックスの背後をとったピクシス・ゾディアックの志騎がいた。つまり、いつの間にかキャンサー・バーテックスと反射板に挟まれている形になっていたのだ。それを見て、志騎はようやくバーテックスが何をするつもりなのか理解した。

(やべ……っ!)

 だが、時すでに遅く。

 サジタリウス・バーテックスから放たれた無数の矢が反射板により反射し、ゾディアックストライクを放とうとした志騎の全身に突き刺さった。

「が、がぁああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 すると本体の志騎の全身を矢で射抜かれたような激痛が襲い、あまりの痛みに志騎は思わず絶叫した。

 志騎の脳裏に、合宿の時に刑部姫から聞かされたアリエス・ゾディアックの説明がよぎる。

『アリエス・ゾディアックの特徴は分身生成能力だ。この能力を用いる事で、数でバーテックスを叩きのめす事ができる。しかも分身はそれぞれ意志を持っている上に他のゾディアックフォームにもフォームチェンジできるから、同時に戦略の幅も広げる事も可能というわけだ』

『だが無論、弱点も存在する。分身が受けたダメージはお前自身にもフィードバックされる。つまり、もしも二体の分身が同時にダメージを受ければ、その分のダメージは全てお前に伝わる。さらに分身の数が多ければ多いほど力は分散されていってしまい、分身一人一人の戦闘能力はどんどん弱くなっていってしまう。まぁ神樹の力も無限ではないからこれは仕方ない事だが……』

『まとめると、アリエス・ゾディアックは便利な事は便利だが、同時に高いリスクも持ったフォームであるという事だ。だから調子に乗って分身の数を増やす事はお勧めしない。分身を増やせば増やすほどお前に伝わるダメージは増えるし、分身一人一人の力も弱くなるしで、悪い事尽くめだからな。実戦で使う場合、最多で二人ほどにしておけ。それぐらいなら分身の戦闘能力も落ちないし、フィードバックするダメージも最小限に収める事ができる。気を付けて使うんだな』

(くそ……! 確かにこれは……!)

 ピクシス・ゾディアックの志騎の方を見てみると、体中に無数の矢が突き刺さり見るも無残な姿になっていた。傷までもフィードバックされる事は無いとはいえ、全身を貫かれる痛みだけでも志騎の動きと集中力を止めるには十分すぎた。ピクシス・ゾディアックは体中から大量の血を流しながら落下し、地面に叩きつけられた所で無数の花びらとなり樹海から姿を消した。なお、落下の際に生じた激痛もきっちり志騎に伝わっており、その痛みで志騎は思わず膝をつく。

 一方、リブラ・ゾディアックの志騎はサジタリウス・バーテックスに攻撃を仕掛けようとした所無数の矢による攻撃を受けそうになり、慌てて高速移動で攻撃をかわす。しかしどうやらその行動はすでに予測済みだったようで、矢の方向にはすでに反射板が浮いており、しかもその反射板によって反射した矢をさらに別の反射板が違う方向に反射する。その先には、矢を回避したばかりのリブラ・ゾディアックの志騎がいた。

 慌てて急旋回して攻撃をかわすも、全ての攻撃をかわし切れず肩に数本の矢が突き刺さる。しかも攻撃を食らって動きが鈍ったところに、スコーピオン・バーテックスの尾による強烈な薙ぎ払いが放たれる。攻撃をまともに食らったリブラ・ゾディアックの志騎は思いっきり樹海の根に叩きつけられ、ピクシス・ゾディアックの分身と同じように無数の花びらとなり消滅した。

「がはっ……」

 再び体に走った激痛に志騎は動けなくなり、荒い呼吸をする。

 そのせいで、自分に迫りくるスコーピオン・バーテックスの尾の薙ぎ払いに気づけなかった。

「……っ!」

 咄嗟に手にしたブレイブブレードで防ごうとしたが、スコーピオン・バーテックスの尾と比べると非常に小さいそれが盾の代わりになるはずもなく。

 尾による強烈な一撃を受け、樹海の根へと叩きつけられた。

「ご……っ!」

 尾の攻撃で志騎の体中に傷が刻み込まれ、口から酸素と大量の血が吐き出される。根に叩きつけられた志騎の体は反動で一瞬宙に浮いた後、地面へと崩れ落ちた。体を動かそうとしても激痛でうまく動けず、しかも呼吸をしようとすると口から鮮血が溢れ出た。体の内側に走る激痛の事も考えると、もしかしたら先ほどの攻撃で何かしらの臓器が潰れているのかもしれない。

(なるほど……銀も、これにやられたのか……)

 あの銀があそこまでボロボロにされる事が信じられなかったが、今なら分かる。彼女もきっと、バーテックス達の互いの能力を使用しての連携攻撃によって絶体絶命の状況にまで追い込まれたのだ。

 とは言っても、それは志騎や銀の油断などではない。あえて言うならば、複数のバーテックスとの戦闘経験不足と言った所だろうか。今まで襲来してきたバーテックスは単独だったので、連携攻撃をしてくる事など全く無かった。それに今回の場合も、サジタリウス・バーテックスが来るまでは連携らしい連携はしてこなかった。そのため、まさかバーテックスが連携を取ってくるなど予想もできず、ここまでの状況に追い込まれてしまったのだ。

(くそ……やっぱり俺一人じゃ、駄目だったか……)

 銀にすぐに戻ってくると言っておいて、このザマだ。このままだと自分は間違いなく死ぬだろう。それでバーテックスが神樹を破壊して、世界は終わる。それを防ぐために相打ち覚悟でバーテックスを撃退したとしても自分は死ぬ。つまり、自分が死ぬ事はもう確定しているようなものなのだ。

(……ここまでか)

 地面に倒れ伏しながら志騎がそう思った瞬間、彼の脳裏に今までの記憶が次々と浮かび上がってきた。

 何故浮かび上がってきたのかは分からない。今までの自分の人生を回想しているのか、記憶の中から一つでも生き残るための知恵を必死で探し出そうとしているのか、それとも全く違う別の理由でなのか。

 やがて今までの記憶が浮かび上がってくる中で、志騎はある記憶を思い出した。

(……まったく。なんでこんな時にこんな事を思い出すのか)

 その記憶を思い浮かべて、志騎は思わず苦笑いを浮かべる。

 それは、志騎の記憶の中で最も古い記憶----彼が初めて自分を認識した時のものだった。

 

 

 

 

 

 物心がついた時からという言葉があるが、自分に物心がついた時はきっと六年前のあの時だろう、と天海志騎という少年は思う。

 彼は今から六年前、真っ白な病室の中で初めて『自分』という存在を自覚した。

 最初に目に入ってきたのは白い天井だった。それからゆっくりと体を起こすと、自分の体がベッドの上にある事に気づく。

 そこまで来ると『自分はどうしてここにいるのか?』や『ここは一体どこなのか?』といった疑問が浮かぶかもしれないが、志騎にはそれが無かった。まるで長い眠りから覚めたように頭の中は真っ白で、何かを考える事すらも無かった。ここがどこなのか分からず、自分の名前すら分からない少年は何も考えずただベッドの上で座り込んでいた。

 そんな彼に、『初めまして』という声がかかった。彼がゆっくりと声の方向に視線を向けると、そこには大学生ぐらいの年齢の一人の女性がいた。髪の毛を後ろで束ね、眼鏡をかけたその女性は少年の近くまで来るとこう言った。

『私の名前は安芸。あなたの名前は天海志騎。あなたを引き取りに来たの。これからよろしくね』

 それだけ言うと、女性はてきぱきと病室に入ってきた医師と志騎の退院の手続きを済ませ、二日後に志騎を連れて病院を出た。その間も志騎は何かを疑問に思ったり、安芸に何かを問いかけたりせずただベッドの上でじっとしているだけだった。まるで、人形のように。

 退院の日、安芸の車の助手席に座っていた志騎は、車を運転している安芸から色々な話を聞いた。自分は今まで重い病気にかかっていて、ずっと眠っていた状態であった事。今日から安芸と自分は大橋市という街にある家で一緒に住む事。その家に向かった後はご近所さんに挨拶に行く事。四月から神樹館という学校に通う事。突然の事で戸惑うかもしれないけど、何か困った事があったら何でも言ってほしいと安芸は志騎を安心させるように笑いながら言った。

 だが、それを聞いても志騎の心に変化はなかった。突然の事が起こりすぎて心の整理ができていない、というわけではない。ただそれらを聞いても何も感じなかっただけだ。まるで安芸からの言葉が耳の穴からそのまま通過していくような、そんな感じだった。

 やがて二人を乗せた車は自分達がこれから住む家へと辿り着いた。志騎は車から降りると、辿り着いた和風の屋敷の洋室へと案内された。初めて与えられた部屋の中には本棚やベッドぐらいしかなく、今思うとまるで当初の自分の心をそのまま反映しているようだと思う。今の部屋も似たような感じだが、さすがに本棚には大量の本が入っているし、自分が作ったボトルシップも置かれているので、あそこまで空虚でない。

 それから志騎を連れて安芸は、ご近所さんへの挨拶へと向かった。『三ノ輪』という名前の表札が掲げられている家に到着した安芸が呼び鈴を押し、引っ越しのための挨拶に来たという用件を伝えると、少し経ってから玄関の扉を開けて男性と女性が現れた。二人の横には活発そうな少女が立っており、安芸の横にいる志騎を興味深げに見つめていた。

 志騎は安芸と三ノ輪夫妻のやり取りを横で黙って聞いており、やがて安芸が志騎の事を紹介しようとした時、夫妻の横にいる少女----夫妻の娘が唐突に口を開いた。

『ねぇ、名前なんて言うの?』

 その言葉に思わず志騎は一度瞬きをしてしまった。まさか少女から自分にそのような質問をされるとは、まったく思っていなかったからだ。自分をじっと見つめる少女を前に志騎は少しの間黙り込んでいたが、やがて先ほど安芸から初めて聞いた自分の名前を口にした。----今思うと、恐らくこれが志騎が初めて自分から言葉を発した瞬間だったのだろう。

『……しき。天海、志騎』

『天海志騎……うん、覚えた! あたしの名前は三ノ輪銀! よろしくな、志騎!』

 それから少女----銀はすっと右手を前に出した。志騎は一瞬その行動の意味が分からなかったが、自分だけ手を出さないのもなんだか失礼な気がしたので、おずおずと右手を出して銀の手を握ると彼女はにっこりと嬉しそうな笑みを浮かべた。

 これが、天海志騎と三ノ輪銀の出会いだった。

 

 

 そして安芸と一緒に一つ屋根の下で住み始めた志騎は、彼女から色々な事を教えてもらう事になった。

 一般的な社会常識から始まり、自分達に様々な恵みを与えてくれる神樹様の事、彼女が属している大赦という組織の事。様々な事を教えてもらうたび、志騎はそれらの知識をどんどん吸収していった。

 だが増えていくのは知識だけで、人間味というのはあまり育っていなかった。笑わず、怒らず、泣かず、ただ安芸からの言う事を黙って聞くだけ。今思い返してみると、言葉には出さなかったがあの時の安芸はきっと志騎の事を心配していただろう。

 やがて志騎は神樹館に入学し、初めてのクラスには引っ越し時に会話した銀の姿があった。こうして志騎は銀という顔見知りがいる中で学校生活をスタートする事になった。

 しかし、志騎は当初クラスメイト達から距離を置かれていた。あまりに珍しい水色がかった白髪に、同年代と比べるとあまりに感情の揺れ幅が無く、人形みたいという表現が似合う少年は育ちの良いクラスメイト達の中では浮いた存在だった。クラスメイト達はその育ちゆえに質が高く、いじめに繋がるような事は無かったが、志騎に話しかける人間はいなかった。----三ノ輪銀という少女を除いては。

 彼女は一人で学校生活を過ごす志騎によく話しかけ、一緒に行動を共にしてくれた。ご近所さんという関係もあるかもしれないが、彼女だけは唯一志騎を友達として、周りのクラスメイト達と接するように明るく志騎に話しかけてくれたのだ。

 けれど当初、志騎は三ノ輪銀という少女の事があまり理解できなかった。話す人間ならクラスの中にたくさんいるのに、どうして大して話もしなければ笑いもしない自分なんかに話しかけてくるのか、志騎にはよく分からなかったからだ。一人で帰ろうとすると一緒に帰ろうと声をかけてくるし、教室で一人で本を読んでいると何を読んでいるのかと気さくに話しかけてくる。さすがに鬱陶しいとは思わなかったが、彼女が自分に話しかけてくるのが不思議でたまらなかった。なので銀から志騎に話しかけてくる事は結構あったが逆に志騎から彼女に話しかける事は滅多になく、二人の距離は中々縮まらなかった。

 そんな二人の関係に変化が起こったのは、神樹館に入学した時の11月だった。

 その日の事は、今でも鮮明に覚えている。

 その日学校での授業を終えてから直接イネスへと買い物に行った志騎は帰り道で、偶然銀と遭遇した。彼女もどうやら買い物帰りらしく、肩に買い物鞄をぶら下げていたのだが、何故か彼女は街路樹を見上げて険しい表情を浮かべていた。

『どうしたんですか?』

 志騎が銀に声をかけると、銀は街路樹の枝を指さした。彼女の指の先には、灰色の毛並みの子猫が体を震わせていた。どうやら樹を上ったは良いものの、降りる事が出来なくなってしまったらしい。いくら高い所を好む猫といえど、まだ子猫だ。あの高さから飛び降りたら、最悪怪我をしてしまうかもしれない。

 銀はどうにかあの猫を無事に降ろす事ができないかと頭を働かせていたようだが、生憎周りに銀と志騎以外の人間の姿はない。肩車などをしようにも、枝の高さは二人が肩車をしてもぎりぎりとどこかない高さだ。

『……よし! こうなったら、あたしが助けるしかないよな!』

 しばらく考え込んでから、銀はそう言った。つまり、自分が樹に登って子猫を助けると言ったのだ。

 それに志騎は、大人を呼んできた方が良いと反対した。子猫に加えて銀の重さまで枝に加わったら、枝が折れて子猫もろとも落ちてしまう可能性があったからだ。しかし銀は大丈夫大丈夫と笑いながら志騎の忠告を受け流すと、買い物鞄を置いて樹にひょいひょいと登って行った。志騎が見守る中で銀はやがて子猫のいる枝の所までたどり着くと、ゆっくりと枝を伝って子猫の元まで向かう。そのたびに枝が少し揺れるが、幸い折れる事はなさそうだった。

 やがて銀が子猫のすぐ近くまでたどり着き、子猫の体を掴んだその瞬間、予想外の事が起こった。銀に掴まれた子猫がいきなりじたばたと暴れ始めたのだ。

 考えてみれば、それは当然の事だった。飛び降りるのにも躊躇する高さの枝で怯えていた所を、突然静かに忍び寄ってきていた銀に掴まれたのだ。パニックになって暴れてもおかしくはない。銀としては子猫を不安がらせないためと枝が折れないために静かに忍び寄っていたのだが、それが完全に裏目に出てしまった。

『うわっ! ちょ、ちょっと落ち着けって……!』

 銀は必死に子猫をなだめようとするが、子猫は落ち着かず体をじたばたと暴れさせている。

 そして。

『あ----』

 そんな声と共に、バランスを崩した銀は子猫を抱いたまま地面へと真っ逆さまに落ちていく。

 それを見た志騎の反応は素早かった。考えるよりも体が動いたとはまさにあの時の事だろうと思う。

 背負っていたランドセルを放り捨て、無我夢中で落ちていく銀へと走りだす。そして間一髪で落ちていく銀の真下に駆け寄る事に成功するが、そのまま銀を受け止めるなど器用な真似はできない。

 その時の志騎に出来た事は、落下する銀の体を自分の体で受け止める事だけだった。

 体に落下速度が加わった銀の重さがのしかかり、志騎の体は思いっきり地面に叩きつけられる。さらにガンっ! という音と共に頭を割るような激痛が頭部を襲った直後、志騎の意識は暗転した。

 

 

 その後意識を取り戻した志騎の目に入ってきたのは、最近ようやく見慣れてきた自分の部屋の天井、そして目を真っ赤に泣きはらした銀の顔だった。

『し、志騎! 大丈夫か!? 頭は痛くないか!?』

 今まで見た事がないぐらい慌てた様子で目を覚ました志騎に言う銀に目を丸くしながらも、志騎は自分の頭に何かが巻かれている事に気づく。左手で触ってみた感触からするとどうやら包帯が巻かれているらしく、触るたびにかすかな痛みが走る。そこで志騎は自分が銀を自分の体で受け止めた事を思い出し、彼女にあの後どうなったのかを聞いた。すると少し鼻をすすりながら、銀は話し始めた。

 銀の話によると、あの時銀の体を受け止めた自分は接触した際に頭を強く地面に打ち付けてしまったらしい。その時の志騎は頭から血を流し、銀の呼びかけにも全く答えなかったとの事だ。そして銀はぐったりとしている志騎の体を背負ってどうにか志騎の家まで辿り着くと、運よく自宅にいた安芸に志騎の治療をお願いした。

 志騎の怪我の様子を見た安芸は、恐らく頭を地面に打ち付けた衝撃で脳震盪を起こした事を銀に伝えると、テキパキと志騎の頭の治療を行ってから志騎の部屋のベッドに運び込んだ。そして銀は志騎がベッドに運び込まれてからずっと、彼のそばで看病を行っていたというわけだ。

 志騎は話を聞き終えてから、そう言えば銀が助けた子猫はどうなったのかと聞いた。銀の話によると、助けた子猫は志騎を背負った銀と一緒に家についてきた後安芸に保護されたらしく、今は飼い主になってくれる人がいないか安芸が調べているとの事だ。

『そうだったんですか……』

 志騎が呟いた直後、ベッドの横に椅子に座って話をしていた銀が何故かぽろぽろと大粒の涙を流し始めた。そんな彼女の姿に、志騎は思わず目を見開いた。いつも元気いっぱいで明るい笑顔の彼女が涙を見せるというのがあまりに意外だったからというのもあるし、何よりも銀が涙を流したというのが信じられなかったというのもある。

『どこか、痛むんですか?』

 恐る恐るといった感じで志騎が銀に尋ねると、彼女はふるふると首を横に振ると、

『ごめんな、志騎……!』

『どうして三ノ輪さんが謝るんですか?』

『だって、あたしのせいで、志騎が傷ついて……! 呼んでも全然返事しないし、ぐったりしてて、血も出てて……! それ見て、志騎があたしのせいで死んじゃったらどうしようって思って……!』

 しゃくりあげながら懸命に話す銀を見て、志騎はようやく悟った。

 三ノ輪銀はたびたびトラブルに巻き込まれるが、トラブルの渦中にある人間を見捨てるような事はせず、それどころかその人物に対して手を差し伸べる事ができる優しい少女だ。彼女によって助けられた人間も多い事だろう。

 だが、手を差し伸べる事が必ずしも良い結果をもたらすとは限らない。無論それ自体はとても善良な行為なのだが、時にその行為が悪い結果を引き起こしてしまう事があるのが現実というものだ。手を差し伸べた側と差し伸ばされた側両方が幸せに終わる事ももちろんあるのだが、残念ながらそうはならない事も時にはある。

 今回の銀の行動がそれだった。彼女は枝の上で怯えている子猫に手を指し伸ばし、子猫を助けようとした。しかし運悪く子猫が暴れてしまい、バランスを崩したせいで彼女を受け止めようとした志騎に怪我を負わせてしまった。

 つまり彼女は生まれて初めて、良いと思って行った自分の行いが原因で人が傷つくのを目の当たりにしてしまったのだ。

 もしも志騎の言う通り誰かを大人を呼んでくるなど他の手段を取っていたら、志騎が怪我をする事もなく子猫を無事に助ける事ができたかもしれない。けれど時を巻き戻す方法など当然なく、結果的に志騎は怪我を負ってしまった。自分の行いのせいで志騎が傷ついたと、銀は自分を責めているのだろう。

『こんな事なら……志騎が、こんな目に遭うなら……!』

 流れ落ちる涙をどうにか腕で拭いながら、銀は途切れ途切れに言った。

『猫なんて、助けなきゃ……!』

 

 

『----そんな事は、言うな』

 

 

 え? と銀は未だ涙に濡れる瞳で、志騎を見た。

 志騎はと言うと、真剣な表情で銀の顔を真正面から見つめていた。

『----自分が、俺が怪我をしたのは、俺の責任だ。あなたが……お前が責任を感じる事じゃない』

 志騎は、自分の口調がだんだんと変化していっている事に気づかない。

 今はそんな事よりも、このあまりにも優しすぎる少女に自分の思った事を伝える事の方がはるかに重要だと思っているからだ。

『お前が手を伸ばしたから、あの猫を助ける事が出来た。俺が大人を呼びに行ってたら、もしかしたらその間に猫が落ちて怪我をしてたかもしれない。……お前のやった事は、間違いなんかじゃない』

 銀の行いの結果、確かに志騎は怪我をしてしまったのかもしれない。

 それでも、彼女が手を伸ばした事は間違いなどではないと。

 人形のようだった少年は、確かに口にした。

『だから泣くな。お前が泣くと、俺も悲しい。俺はお前がたくさんの人を助けてる姿と、その人達を助けた後に浮かべるお前の笑顔が嫌いじゃない。だから、そんな事は言わないでくれ』

 この時、確かに志騎は悲しいとはっきりと口に出した。

 その感情が今銀の表情を見て初めて芽生えたものなのか、それとも今まで志騎が気づかなかっただけで本当はきちんと彼の心に存在していたのか、それは分からない。

 だが、銀が泣いていると悲しくなるというのは、紛れもない志騎の本心だった。

 何故かは分からないが、この少女には泣いて欲しくなかった。まるで花のような笑顔を見せるこの少女には笑っていて欲しかったし、誰かを助けなければ良かったなどという事を言って欲しくも無かった。今言ったように、志騎は誰かを助けて笑顔になるこの少女の姿が嫌いではなかったからだ。

 しかし今の銀の表情にまだ笑顔は無い。ただ涙を流しながら、きょとんとした表情を志騎に向けている。

 そんな銀を見て、志騎は心の中で少し困っていた。銀を笑顔にしてあげたいが、一体どうすれば彼女を笑顔にできるのか今の志騎には見当もつかなかったからだ。

 と、そこで志騎はある事を思い出すと突然ベッドから立ち上がった。銀が手を貸そうかと聞いてくるが、志騎は大丈夫と返すと部屋の隅にあるランドセルに向かう。恐らく銀が苦労しながらも一緒に持ってきてくれたのだろう。

 志騎はランドセルを開けると、中にあった小さな長方形の箱を取り出した。箱はリボンで丁寧にラッピングされており、ランドセルを放り捨てた衝撃で箱の形が少し崩れていたが、幸い箱の中の物は壊れていないようで志騎はほっと安堵の息をつく。そして再びベッドに戻ると、銀にその箱を差し出した。

『開けてみてくれ』

『あ、ああ……』

 戸惑いながら銀は志騎から箱を受け取ると、ラッピングを丁寧に取ってから箱を開ける。中に入っていたものを見て、銀は思わず目を丸くした。

 緩衝材に包まれていたのは、花を模した髪留めだった。髪留めに目を奪われながらも、銀は志騎に尋ねた。

『志騎、これって……』

『誕生日プレゼント。今日、お前の誕生日なんだろ?』

 そう。本日の日付は11月10日。目の前にいる少女、三ノ輪銀の誕生日である。

 当初志騎は、今日が銀の誕生日だという事を知らなかった。知ったのは一週間前、クラスで女子達が銀の誕生日について銀と話していたのをたまたま聞いたからだ。だがその時点では志騎はまだ誕生日の意味すら知らなかった。

 なのでその日の夕食時、志騎は安芸に誕生日の意味を尋ねた。そして誕生日というのは文字通り、その人が生まれた日の事を意味しており、家庭によっては誕生日を迎えた人にプレゼントを贈ったりパーティを開くなどといった事も行うのだという事を聞いた。

『どうしてそのような事をするのですか?』

 ご飯を食べながら聞く志騎に、安芸は柔らかい笑みを浮かべながら言った。

『色々な理由があるけれど……。やっぱり一番の理由は、その人が生まれてきた事をお祝いするためと、その人に「生まれてきてくれてありがとう」と伝えるためだと私は思うわ。だからあなたも、いつか誕生日をお祝いしたい人ができたら、何かをプレゼントしてみたらどうかしら』

『プレゼントと言われても、何を送れば良いか分からないです』

『とてもひどいものじゃなければ何でも良いのよ。あなたの相手を喜ばせたいって心がこもっていれば、それはきっと素敵な贈り物になるわ』

『……相手を喜ばせたい、心』

 そう呟く志騎の脳裏に浮かんだのは、銀の笑顔だった。

 もしも彼女を誕生日にプレゼントを送ったら、彼女は笑ってくれるのだろうか?

 ご飯を口に運びながら、志騎は何を贈ったら銀は喜ぶのかをずっと考えていた。

 それから一週間後、つまり今日まで彼女に何を贈ったら良いのかをずっと考えていたが、良い案は中々出なかった。安芸からのお小遣いを貯めていた事もあり資金はそれなりにあったが、あくまで小学一年生の持っている額の範囲内の話だ。あまり高価な物は当然買えない。

 頭を悩ませながら志騎は何かないかとイネスに向かい、贈り物を探した。そしてアクセサリーショップで、花を模した髪留めを発見したのだ。銀はいつもは何の装飾もない、シンプルな髪留めを使っていた。これならば彼女も喜んでくれるかもしれないと志騎は思い、それを手にしてレジへと向かい、全財産を使って購入してから店員さんにラッピングを頼み、無くさないようにランドセルへと入れておいたのだ。本当ならばその後に三ノ輪家へ向かい、銀に手渡すはずだったのだが、その道中で銀と出会ったというわけだ。

『----誕生日、おめでとう。銀』

 自分が怪我をした事に心を痛め、涙を流している優しい少女に心の底から笑って欲しいという願いと、生まれてきてくれてありがとうという想いを込めて、志騎はそう言った。

 一方銀は手の中の髪留めを無言でじっと見つめていたが、やがて志騎にこんな事を言った。

『……なぁ、志騎』

『ん?』

『ちょっと、つけてくれないか?』

『え? 別に良いけど……』

 突然の銀の注文に志騎は一瞬戸惑うも、彼女から髪留めを受け取ると彼女が今つけているシンプルな髪留めを外し、代わりに花の髪留めをつける。銀は静かに髪留めに手をやると、少し照れ臭そうに尋ねた。

『似合う……かな』

『……ああ。似合ってると思う』

『そこは似合ってる、って断言して欲しかったなー』

 志騎の言葉に銀はあはは、と笑った。まだ目は赤いが、ようやく笑ってくれた。それに志騎の肩の力が抜けた時、銀は何故か自分の顔をじっと凝視した。

『どうした?』

『あ、いや……。志騎って、そんな風に笑うんだな』

『え?』

 銀の言葉に志騎が口に手をやると、自分の口角がわずかに上がっていた。つまり、銀から指摘された通り彼は今笑っていたのだ。

 それは今まで笑う事が無かった志騎の、明らかな変化だった。志騎が表情の変化を確かめるように頬に手を当てたりしていると、それを見ていた銀はぷっと噴き出す。

『どうしたんだよ? 変な奴だな』

『そうか?』

『そうだよ』

『……そうか』

 彼女の言葉に志騎はそう呟くと、頭の中で銀から言われた事を噛み砕くかのように黙り込んだ。そんな志騎を見ながら、銀が言う。

『志騎』

『ん?』

『髪留め、ありがとう。すごく嬉しい。……ずっと、ずっと大切にするからな』

 そう言った彼女の顔は。

 まるで花のような、志騎が見たいと願っていた満面の笑顔だった。

 

 

 

 

 それから、志騎と銀の距離はぐっと近くなった。

 前よりも会話する回数が明らかに多くなり、二人で色んな所に行くようになった。一緒にイネスでジェラートを食べたり、学校の夏休みには銀と彼女の両親と一緒に車で色んな所へ行ったり、銀から必死に頼み込まれて夏休みの宿題を一緒に行ったりもした。また、鉄男が生まれた時は彼の面倒を銀と一緒に見た事だってある。

 思えばあの瞬間が、天海志騎と三ノ輪銀の『幼馴染』の関係が本格的に始まった瞬間だったのだろう。

(……それから本当に、色んな事があったな……)

 六年生になって、これからも同じような日常が続くと当たり前のように思っていた矢先、突然樹海に巻き込まれ、銀達と一緒に勇者として戦う事になった。そしてバーテックスとの戦いを繰り広げ、今死にそうになっている。こうして見ると本当に波乱万丈な人生だと思う。

 と、そこで志騎はこんな事を思った。

(……ここで死んだら、あいつら泣くのかな……)

 バーテックスが神樹にたどり着いたら、世界が滅ぶ。なので志騎は相打ち覚悟で、目の前にいる三体のバーテックスを撃退するつもりだった。

 だが、もしもここで志騎が死んだら、生き残っている人達はこんな自分のためにも泣くのだろうか。脳裏に、彼が出会ってきた人々の顔が思い浮かぶ。

 須美と園子は、きっと泣くだろう。二人とも性格は違うが、銀と同じく非常に友達想いだ。自分が死んだら、彼女達ならば泣くに違いない。

 銀の両親は、泣きはしないだろうが自分の死を悲しんでくれるだろう。娘に似てあの二人も、とても優しい心の持ち主だから。きっとそんな二人だから、銀も優しい性格に育ったのだと確信を持って言える。

 鉄男は泣くかもしれない。赤ん坊の頃から時々銀と一緒に世話を見てきた自分をまるで血の繋がった兄のように慕ってくれている彼ならば自分の死に涙を流すかもしれない。三男の金太郎はまだ幼いので自分が死んだという状況を理解できないだろうが、それでも何らかの異変は察知するかもしれない。赤子は時に、そういった雰囲気を敏感に察する感覚を持ち合わせているからだ。

 神樹館のクラスメイト達は泣くかは分からないが、間違いなく全員自分の死を悲しむだろう。話す機会はあまり無かったが、彼らも人の死を悲しむ事のできる優しい心の持ち主だから。

 安芸は、泣きはしないだろうが自分の死を悲しんでくれると思う。何せ彼女と一緒に暮らしてから一度も彼女の涙を一度も見た事が無いのだ。だが親から見捨てられた自分を、苦労しながらも彼女なりの愛情をもってここまで育ててくれた。涙は見せないだろうが、彼女ならばきっと自分の死を悲しんでくれる。

 刑部姫は、正直分からない。何せ今まで会った人間達の中で一番付き合いが短いのだ。自分に対しては何故か強い信頼を寄せているようだが、何故自分にそのような信頼を寄せるのか、そもそも本音の所ではどう思っているのかはさっぱり分からない。だから彼女が自分の死をどう思うかはまったく予想がつかないと言える。

 そして、銀は----。

(泣く、だろうな……)

 それだけは、確信を持って言えた。

 もしも自分が死んでしまったら、彼女はきっと泣くと。

 自分が樹から落ちたあの時のように、大粒の涙を流して心の底から自分の死を悲しむと。

「ああ……それは、嫌だな……」 

 傍らに落ちているブレイブブレードを握り、剣先を地面に突き立てると激痛が走る体を無理やり起こす。体中に刻まれた傷口から決して少なくない量の血液が地面に落ちていくが、そんな事知ったことではない。

 何故そう思うかは分からない。

 何故そこまで強く思ってしまうかは分からない。 

 だが。例え想像であったとしても。

 自分が死んでしまった後の事だとしても。

 彼女以外のたくさんの人間が泣いたとしても。

 あの花のような笑顔が似合う少女が泣くのだけは、どうしても許容する事ができなかった。

「あいつが……泣くのだけは……嫌だな……」

 想像したくもない、と心の底から思う。

 だがこのままではバーテックスの撃退と引き換えに自分は確実に死に、須美も、園子も、そして銀も泣くだろう。

 それがどうしても許容できないというのであれば。

 もうちょっとだけ、頑張ってみるしかない。

「はっ……。勇者は根性……ってか?」

 口の中の血を吐き出しながら、目の前にいる三体のバーテックスを鋭く睨みつける。

 どうにか強がりを言うだけの元気はまだあるが、状況はかなり悪い。

 自分は全身傷だらけの満身創痍状態。それに対して目の前の三体のバーテックスは無傷の状態。このまま戦えば、バーテックスを撃退する事はできるかもしれないが自分の死は免れないだろう。

 このまま、戦えば。

「………」 

 志騎は無言で勇者装束のポケットに手を伸ばすと、そこから刑部姫から受け取ったアイテム----キリングトリガーを取り出す。

 あの刑部姫ができれば使うなと念を押すほどのアイテム。これを使えば、この絶体絶命の状況を何とか打破できるかもしれない。だがその代わり、大きなリスクを受ける事になるかもしれない。つまり、何が起こるかは全く分からないという事だ。

 しかし、生き残る可能性がほんの少しでもあるならば。

 この絶望的な状況を、覆す事ができるのであれば。

 やる価値は、ある。

「……悪いな刑部姫。使わせてもらうぞ」

 志騎はキリングトリガーを掲げるように持つと、スイッチを勢いよく押した。

『キリング・オン!』

 短い警告音のような音の後に女性の機械音声が流れるのを確認すると、志騎はキリングトリガーをスマートフォンに接続する。するとスマートフォンの画面が一瞬乱れた後、表示画面が今まで見てきたものとは全く別の物に切り替わる。

 画面にはデイジーを模した紋章やゾディアックフォームの紋章とはまた別の紋章が表示され、画面の下部には『ENTER』というボタンが表示されていた。志騎は画面の左上にある、鬼の角を象った紋章と風を纏った一つ目を象った紋章の二つを試しにタップしてからENTERのボタンを押す。

『酒呑童子!』

『一目連!』

『ダブルスピリット!』

 スマートフォンから待機音が流れ、画面に二つの紋章を組み合わせたような紋章が表示される。志騎は緊張でごくりと唾を飲んで喉を湿らせると、スマートフォンをブレイブドライバーにかざした。

『スピリットユニゾン!』

 直後、志騎の足元から大量の黒い花が吹き荒れる。

 そして。

(あ----)

 無数の黒い花びらに覆われる中で、志騎は分かった。分かって、しまった。

(まず、い。これは----)

 何故刑部姫が自分にできれば使うなと警告してきた理由が、ようやく理解できた。

 これは確かに凄まじい力を秘めたアイテムだ。それは間違いない。

 しかし同時に、これを使えば自分は自分で無くなる。

 理屈ではない。ただ、本能で感じ取った。

 これは、そういう類のものなのだと。

(その、こ)

 得体の知れない何かが自分の意識を呑み込んでいく感覚を感じながら、志騎は心の中で呟く。

 自分の大切な友達の名前を。

(すみ)

 そして。

 決して失いたくない、幼馴染の名前を。

(ぎ)

 

  

 ブツン。

 

 

 

 

 

 

 

  

 その頃、須美と園子と合流した銀は息をつきながら志騎と三体のバーテックスが戦っているはずの戦場へと向かっていた。体の痛みをこらえながら銀が歩いていると、傍らを歩いていた須美が心配そうな口調で尋ねる。

「銀、本当に大丈夫? やっぱり、どこかで休んでた方が……」

「へーきへーき。これぐらい大丈夫。それより、急ごう。志騎が心配だ」

 やせ我慢をしている事は明白だったが、銀の目には強い決意の光が宿っている。

 それも当然だろう。確かに三人の体はボロボロだったが、志騎は今三人をこのような状態にしたバーテックス三体と戦っているのだ。少しでも足を止めてしまったら、その分志騎に加勢するのが遅れてしまう。その結果訪れるのは、紛れもない志騎の死だ。そんな事は、絶対に防がなくてはならない。

 友達となって、色々な事を四人で経験して、絆を深めてきた。

 一人でもこんな形で欠けるなど、誰も望んでいない。

 だから例え体中が傷で痛んでも、その足を動かすのだ。

(志騎君……。すぐ行くから……援護ぐらいは、やってみせるわ!)

(リーダーのOKも取らないで作戦を決めるなんてこの戦い終わった後に、お説教なんだから~。罰として、今度あまみんのおごりでみんなでうどんを食べに行くよ~!)

(志騎……待ってろよ……今行くから……! 絶対に助けるから……!)

 三者三様の思いを抱えながら、三人はひたすら志騎とバーテックスがいる場所へと目指し歩いていく。

 と、その時。

 前方で、突然竜巻のようなものが巻きあがったのが見えた。

「……!? 何あれ……!」

「二人とも、行こう!」 

 二人に言うと銀は一番先に早足で駆け出し、そんな銀に続いて二人も後を追う。

 三人が辿り着いたのは高台のようになっている根の部分で、そこから三体のバーテックスの巨大な姿を真正面から見る事ができた。本来ならばちょうどバーテックス達の真後ろに到達するはずだったのだが、三人が合流したのが本来の道とは少し外れた場所で、しかもそこから負担を減らすためにショートカットとなる道を選んで歩いてきたので、そのような場所に到達する事ができたのだろう。

 幸い、バーテックスが三人に気づいた様子はまだない。この隙に攻撃すべきか、と須美が考えた直後、園子の声が響き渡った。

「ねぇ、あまみんがどこにもいないよ!」

 その声に三人があたりを見回してみると、確かに志騎の姿はどこにもなかった。見えるのは三体のバーテックスの巨大な姿に、その真正面にある黒い花の竜巻のみだ。一体、志騎の姿はどこにあるというのか。

 と、そこで銀はある事に気づく。

「まさか……あの中に志騎が……!?」

 銀の視線の先には、黒い花の竜巻があった。少々信じられないが、周囲に志騎の姿がないという事はその可能性が最も高い。銀の言葉に須美と園子も竜巻に視線をやった瞬間。

 竜巻の中から、音声が響き渡った。

『WARNING! WARNING! This is not a test!』

『アンコントロールモード! キリング・ブレイブ!』

 直後、竜巻が一気にはじけ飛び、花びらが周囲一帯に舞う。

 その中心に、目を閉じた志騎が立っていた。

 だが、その姿はいつもの志騎の姿とはかけ離れていた。

 身に纏う勇者装束はいつもの純白とは正反対の漆黒と血のような赤を基調にしており、胸部には風を纏い鬼の角がついた一つ目という禍々しい紋章が入っている。さらに頭部には小さな二本の鬼の角のようなものまである。

 そして目を引くのは、志騎の両手両足だ。

 両手には手甲が装着されているが、その形状はやや鋭角的で身を護るというよりも敵を攻撃するのに特化しているように見える。さらに両足にも手甲と同じような形状の具足が装着されており、見るからに今の志騎の姿は格闘戦に特化した姿と言える。

 だが、この姿の志騎に三人は強烈な不安を覚えた。

 今まで見た事が無い姿なのでもしかしたらゾディアックフォームの一つなのかもしれないと思ったが、何故かそれは違うと断言できた。今の志騎の姿からは、得体の知れない雰囲気が漂っているように感じられたのだ。

 それに何よりも奇妙なのは、彼の体に傷が全く無い事だ。

 最後に銀が志騎の姿を目にした時、彼の体には酷くはないが確かにいくつもの傷が刻まれ、血が流れていた。しかし今の志騎の体には傷が全くない。勇者の姿では回復能力も強化されるが、傷が一瞬で治るほど万能ではない。そもそもそれほど万能ならば銀達の傷もとっくに治りきっているだろうし、今まで志騎の体がそれほどの速度で治った所を見た事もない。

 つまり、自分達がここに来るまでの間に彼の傷が治りきる事は、まず不可能なはずなのだ。

「志……騎……」

 聞こえるはずもないだろうが、銀がかすれた声で志騎の名前を呼ぶと、志騎がゆっくりと目を見開く。

 その目には。

 まるでいくつもの模様を組み合わせたような幾何学模様が、血のように赤い光を放ちながら踊っていた。

 

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