刑「……んぁ? これは一体なんだって? まぁ特撮番組が始まる前のナレーションのようなものだな。折角だから作ってみた。ちなみにナレーションに出てくる少年が立ち上がるのは様々な事情で、もう少しかかる。まぁ気長に待っておくと良い」
刑「では第十七話、どうぞご覧あれ」
「志騎ー……。頼むから、出てきてくれよ……」
言いながら、銀は目の前の扉をコンコンコン、と叩く。しかし中の部屋からの返事はなく、銀はため息をつくと後ろを振り返った。そこには須美と園子の二人が困ったような表情を浮かべて銀と背後の扉を見つめていた。
三人が今いるのは天海家の志騎の部屋の前だった。何故三人がここにいるかと言うと、中にいる少年----天海志騎とどうにか話すためだ。
バーテックスとの戦闘の最中に志騎がバーテックスに操られ、危うく三人を殺しかけてから二日経った。
あの後意識を取り戻した須美が安芸に連絡をし、四人は急いで大赦管轄の病院へと運び込まれた。なお、銀ではなく須美が安芸に連絡を取ったのは、銀が三人に襲い掛かった事で強い錯乱状態に陥っていた志騎をどうにかなだめていたからだ。
病院に運び込まれた時も、一緒に検査を受けた三人とは別に志騎は一人だけ長い時間をかけて検査を受けたようだった。検査が終わった三人は一足先に帰らされたが、志騎だけは帰宅を許されなかった事からもそれが分かる。本当は三人は、安芸に志騎の検査が終わってから一緒に帰ると言ったのだが、安芸からは検査がいつ終わるか分からないし、仮に終わったとしても一緒に帰る事は無理だと言われてしまったので渋々帰る事になった。あの時ほど険しい表情を浮かべた安芸は見た事がない。
それから昨日、一日中上の空状態で授業を受けていた銀と二人は放課後、安芸から志騎が退院したとの報告を聞いてから急いで天海家へと走った。それから志騎の部屋まで走り彼と話そうとしたのだが、志騎は部屋に閉じこもってしまい顔どころか声すら発さなかった。その後夜まで部屋の前で粘っていたのだが変化はなく、帰ってきた安芸に今日はもう帰りなさいと言われた事もあり三人はその日自分達の家に帰る事になった。念のためにその後三人がチャットアプリで志騎にメッセージを飛ばしてみたが、反応が返ってくる事は無かった。
そして今日、放課後になってから三人は再びこうして志騎の部屋の前で彼とどうにか話そうとしているというわけだった。ちなみにここに来る前に安芸と志騎について話したのだが、安芸とは一言二言ぐらいは話すものの、部屋から出てきていないらしい。食事も一応部屋の前に置いているのだが、それにも一切手を付けていないとの事だ。どうやら、彼が精神的に受けた傷はかなり深いらしい。
だが、それも無理はないだろう。バーテックスに操られていたとはいえ、大切な友人を危うく殺す所だったのだ。いつもは冷静で落ち着いて見えるとはいえ、彼はまだ小学生だ。ショックを受けて、部屋から出られなくなってもまったく不思議ではない。銀達が部屋に何回も呼び掛けても声すら発さないのは、きっと彼女達を傷つけてしまった事に強い負い目を感じてしまっているからだろう。
なお、銀達三人は志騎の事をまったく恨んでいない。彼が襲い掛かってきたのはバーテックスに操られていたからで、彼が自分の意志で襲い掛かってきたわけではないと分かっているからだ。だからこそ志騎が襲い掛かってきたのは彼のせいではないと伝えているのだが、結果は芳しくない。
こんな時は根気が大事だ、と銀は自分を奮い立たせて再び扉を振り返ると、中にいる志騎に呼び掛ける。
「おーい、志騎! もう出て来いって! お腹減っただろ? うどんでも食べに行こうよー」
「安芸先生に聞いたけれど、一日何も食べていないんでしょ? それじゃあ体に悪いわよ」
「それでお腹いっぱいになったら、四人でまたジェラートを食べに行こうよ~。今なら私の分一口あげるから、お得だよ~」
が、部屋の中から返事は返ってこない。それに三人が駄目かと項垂れたその時。
「……帰れ」
ついに、志騎の声が部屋の中から聞こえてきた。しかし返事の内容は三人が期待していたものでは無く、それどころか三人を拒絶するような冷たい響きを伴っていた。
「な、なんだよ志騎。いきなり帰れって」
「言葉通りの意味だ。俺はお前達に会いたくない。顔も見たくない。だから帰れ」
「い、いくら何でもその言い方は酷いわ! 銀はあなたの事を心配して……!」
「誰もそんな事頼んでない。大きなお世話だ。正直、口も利きたくない」
「……っ!」
あまりに冷たい言葉に、須美の頭がカッと怒りで熱を帯びるが、そんな彼女を制止するかのように園子のゆったりとした声が部屋の扉に向けられる。
「あまみん、嘘は良くないよ~」
「嘘じゃ……」
「嘘だよね? 今のあまみんの言葉、まるで言いたくない事を無理やり出してるように聞こえるもん。そういう事は言っちゃ駄目だよ~。ミノさんとわっしーも傷つけちゃうし、何よりあまみんの心が泣いてるのが聞こえるよ。痛い痛いって」
するとその言葉で、部屋の扉から聞こえてきた志騎の言葉が途絶えた。須美も頭が冷えたのか、心配そうな表情で部屋の扉を見つめている。
しばらく黙っていると、扉の向こうからふぅと息をつく声が聞こえた。
「まったく、お前の前じゃ嘘もつけないな」
「えへへ、どういたしまして~」
「褒めたつもりは無いんだけどな……。でも、お前達に会いたくないのは本当だ」
「どうして?」
園子が尋ねると、扉の向こうにいる志騎はか細い声で、
「会えるわけないだろ。俺はお前達を殺しかけたんだぞ? どういうわけかギリギリの所で正気に戻れたけど、もう少し遅かったら確実に俺はお前達を殺してた。……今の俺はお前達に合わせる顔が無いし、口を利く権利もない」
「だ、だからあれはバーテックスのせいで……」
「それで済ませられるような問題じゃないだろ。……それに今回は良かったけど、次もまた同じような事があった時、また元に戻れるって保証はない」
志騎の言葉に、三人は言葉を詰まらせてしまう。彼の言う通り、今回は何故か志騎は自我を取り戻す事が出来たが、もしも次またバーテックスに操られてしまった場合、今回と同じように自我を取り戻せる保証はどこにもない。そもそも、志騎がどうして自我を取り戻す事が出来たのかすら分からないのだ。理由が分からない以上、次はきっと大丈夫など軽々しく言う事も出来ない。
「……分かったら、もうお前達は帰れ。そして、二度と俺の前に現れなくていい。そもそも、俺のような半端な人間がお前達と一緒に戦ってる事自体が間違いだったんだ」
「……どういう、意味だよ」
「そのままの意味だ。友達、家族、国……違いはあるかもしれないけど、お前達は心の底から護りたいものを護るために戦ってる。まさに勇者だ。……でも俺には何もない。勇者として戦い始めた理由だって、ただ目の前でお前達が戦ってるのが放っておけなかったっていう曖昧な理由だ。何かを護りたいとか、そんな理由があって戦ってたわけじゃない。……最初から勇者の資格なんて、俺には無かったんだよ」
「志騎君……」
自分を卑下するような志騎の言葉に須美が悲しそうな表情を浮かべると、目の前の扉がかすかに開いた。一瞬志騎が出てくるのかと三人は期待したものの、扉の隙間から滑り出てきたものを見て三人の予想は裏切られる。滑り出てきたのは、志騎が使っているスマートフォンだった。そして扉を閉めると、再び志騎の声が三人の鼓膜を揺らす。
「それ、安芸先生に渡しておいてくれ。俺はもう勇者として戦えない。俺は自分が勇者だって勘違いして、勇者ごっこをしてただけの……偽物の勇者だったんだ」
それを最後にするかのように、志騎の言葉は止まった。銀はスマートフォンを拾い上げるとしばらく扉をじっと辛そうに見つめていたが、どう声をかけて良いか分からなかった。仮に声をかけたとしても、心に深い傷を負った彼になんと声をかければ良いのか分からず、そもそも自分達の声が彼の心に届くのかすらも分からない。
そして志騎が部屋の中から出ない事を悟ると、銀はとぼとぼと部屋の前から離れていく。須美と園子はそんな銀の後ろ姿を複雑な表情で見つめていたが、やがて扉を最後に一瞥してから銀の後を追っていき、三人は天海家を出るのだった。
(……これで、良かったんだよな)
部屋の扉の前で両膝を抱えてしゃがみ込みながら、志騎はそう思った。
部屋の中はカーテンがしかれているせいで薄暗く、時計を見なければ時間の感覚が狂ってしまいそうだった。だがそんな部屋の中で一番目立つ異変は、扉の前でしゃがみ込む志騎の状態だった。
今の志騎は三人を殺しかけたショックのため、精神状態がどん底の状態に陥っていた。病院から帰ってきてから何も口にしていないため空腹と喉の渇きは感じるものの、だからと言って何かを食べようとする気にもならない。おまけに一睡もしていないため、目の下にはうっすらと隈が浮かんでいる。もしも寝てしまったら、また人を殺す夢を見るかもしれないという恐怖が志騎の心にあったからだ。それどころか銀と須美と園子、安芸といった大切な人達を殺す夢を見てしまうかもしれないという考えが頭をよぎり、志騎の不眠をさらに悪化させた。そのせいで寝る事すらままならず、こうして一日中死体のように部屋の扉の前でうずくまっているというわけだ。
(……いっそ、本当に死ねたら良いのに)
自分の今の状態を冷静に把握しながら、志騎は心の中で苦笑を浮かべた。死んでしまえばもうバーテックスに操られて三人を殺しかける事もない。バーテックスによる外傷はたちまち回復してしまうが、空腹などによる餓死の場合はどうなるのだろうか。いや、いっその事心臓や脳を破壊してしまえばもっと話は簡単かもしれない。そんな事を考えながら志騎は部屋の中を見渡すが、残念ながらと言うべきか志騎の命を奪えそうなものは部屋の中に無かった。こうして見ると、さっき扉の外にスマートフォンを出したのは失敗だったかもしれない。あれがあれば、変身してブレイブブレードで自分の心臓を貫けただろうに。いや、実際は自殺など簡単にできるだろう。バーテックスの力を発揮して手刀を強化し、自分の心臓でも貫けば良い。そうしないのは、単純にそうするだけの度胸すらないからだ。自分が死んだ方が良いのは分かっているくせに、自分では実行しない臆病者。それが今の天海志騎という人間だ。
と、そこまで考えた所で、志騎は自分の行動と思考に呆れて再び苦笑する。ついこの前まで銀達を泣かせたくないから死ねないと思っていたくせに、今ではこうして死ぬ事を望んでいる。どこまで中途半端で勝手な奴なんだと我ながら思う。こんな事を考えてしまうあたり、やはり自分に勇者の資格など無かったのだろうとすら思えてしまう。
(……いや、そもそも生まれてきた事自体が間違いだったのかもな……)
自分が生まれてこなければ、安芸に迷惑をかける事は無かった。
自分が生まれてこなければ、三人を傷つける事は無かった。
そう考えると、自分がこうして生きて息をしている事すら何かの間違いなんじゃないかとすら思えてくる。当然会った事は無いが、志騎は今自分を作り出した科学者を、どうして自分のような存在を作ったのかと怒鳴りたい気持ちでいっぱいだった。まぁ、その科学者がどういった人間はまったく知らないので、そんな事を考えても仕方がないのだが。
「……お前なんて、死ねば良いのにな。天海志騎」
口元に暗い笑みを浮かべながら、志騎は呟く。
自分の存在を、心の底から憎みながら。
志騎の家を出た銀は、俯きながらいつも志騎と通っている道を当てもなく歩いていた。毎日志騎と他愛のない話をしながらこの道を歩く事が銀は好きだった。勇者としてバーテックスと戦う以上、何の変哲もないその行動が、自分にとってはかけがいの無い日常の証明だと感じる事が出来たからだ。それなのにまさかこのような心持ちで歩く事になるとは、銀自身夢にも思わなかった。
彼女の後ろでは、須美と園子が心配そうな表情で銀の背中を見つめている。何か声をかけた方が良いのかもしれないが、安易に声をかけられるような状況ではない。そのため、二人は銀になんと声を掛けたら良いのか分からなかった。
しばらく三人が黙って歩いていると、突然銀が口を開いた。
「なぁ、須美、園子。あたし、勇者のくせに何もできてないな」
「何もできてないなんて、そんな事……」
「できてないよ。あたしはずっと志騎と一緒にいたのに、あいつになんて声を掛けたら良いのか全然分からなかった。幼馴染のくせに、どうしたら志騎が元気を出してくれるのか全然分かんなかったんだ」
自分の無力さに心情を吐露する銀をフォローするように、園子が口を開く。
「ミノさん。それは私達も同じだよ。私達も、どうしたらあまみんが元気を出してくれるのか、全然分からないんだもん。ミノさんだけじゃないよ」
すると銀は奥歯をギリと噛み締め、血を吐くような苦しい口調で言う。
「分かってる。苦しいのはあたしだけじゃなくて、須美と園子も同じだって分かってる。でも、自慢じゃないけど、志騎の事はあたしが一番よく知ってるって思ってた。……あたしだからこそ、志騎を元気づける事ができるんじゃないかって心のどこかで思ってた! でも、そんなのただの勘違いだった……! 分かってるつもりになってただけだった! 今のあたしじゃあ、志騎を救いたくても救う事ができないよ……!」
「銀……」
「ミノさん……」
今にも目から涙をこぼしそうな声で苦しみを吐き出す銀に、須美と園子は何も言う事は出来ない。実際、この三人の中で一番彼の事を理解しているのは彼と一番長い時間を過ごした銀だけだろう。しかしその彼女が、志騎を救いたくても救う事ができないと吐露している。それを弱音と切り捨てるのは簡単だろうが、今一番悔しいのは銀本人だろう。大切な幼馴染を救いたいのに、救う事ができない。今の彼女はきっと、強い無力感に襲われているに違いない。無力を感じているのは須美と園子も一緒だが、銀の場合は幼馴染という関係もあってひと際それが強いはずだ。
そして三人が黙り込んでしまい、重い沈黙がその場を支配しかけたその時だった。
突然スマートフォンの着信音が鳴り響き、沈黙が破られる。音源はどうやら銀のスマートフォンらしく、銀はゆっくりとした動きでスマートフォンを取り出すと、相手が誰かも確認せずに通話ボタンを押して耳に当てた。
「……もしもし」
『私だ』
電話の向こうから聞こえてくる声を聞いて銀は思わず顔をしかめた。通話の相手は、今一番聞きたくない声の持ち主だった。
「……何の用だよ、刑部姫」
『さっき安芸から聞いたが、今志騎の所にいるそうだな? 志騎が持っているスマートフォンを借りて、神樹館に来い。お前達の教室で待っている』
「何であたしが、そんな事----」
『三十分以内に来い。来なかったら、生きている事を後悔する目に遭わせてやる。以上』
そう冷たい声音で告げると、銀からの返答などまったく聞かず通話を切った。いつもの銀ならば彼女の行動に怒りが湧いてくるのだろうが、生憎今はそのような元気も残っていない。それに志騎のスマートフォンも持っている。彼女の言う事に従うというのも嫌だが、刑部姫が何をしでかすかも分からないので、ここは素直に持って行った方が良いだろう。
と、銀と刑部姫の通話を聞いていた須美が銀に尋ねた。
「銀、刑部姫は何て言っていたの?」
「……何か知らないけど、志騎のスマートフォンを持ってあたし達の教室に来いって。一体何がしたいのやら……」
はぁとため息をつくと、銀は神樹館へと歩き出す。そして須美と園子も銀と一緒に、重たい足をどうにか動かして神樹館への道を歩き始めるのだった。
刑部姫から連絡を受けてから十五分後、三人はいつも自分達が授業を受けている教室へとたどり着いた。教室の中を覗き込むと、志騎の席の椅子に刑部姫が座り込んでいるのが見えた。机には、刑部姫の物なのかノートパソコンが一台置かれている。三人が教室に入ると、刑部姫がほう、と少し感心したような声を出した。
「中々早かったな。褒めてやっても良い」
「……お前に褒められても嬉しくない」
銀がジト目を向けながら言うと、刑部姫はやれやれと言うように肩をすくめて、
「そうだな。私も正直褒めたくない。で、志騎のスマートフォンは?」
「……」
銀は無言で志騎のスマートフォンを差し出すと、刑部姫は「ご苦労」と明らかに口だけの労いをかけてからスマートフォンを受け取った。そしてパソコンを開き電源を入れてから、着物の懐からUSBケーブルを取り出してパソコンとスマートフォンを繋げると、パソコンのキーボードを凄まじい勢いで叩き始め、眼球がぎょろぎょろと画面の上から下にスクロールしていく文字列を高速で追っていく。指を休ませる事無くキーボードを正確かつ高速に打つその姿はまるで、ピアノの演奏者のようだった。
滅多に見ない刑部姫のその姿に三人が思わず目を奪われていると、刑部姫が唐突にチッと舌打ちしてから言った。
「何をしている。用はもう済んだ。とっとと失せろ」
「……いきなり呼び出しといて、それはいくらなんでも失礼だと思うのだけれど」
刑部姫のあまりに失礼な物言いに須美が顔をしかめながら言うと、刑部姫はパソコンの画面に視線を外さないまま言葉を返す。
「生憎、私には志騎から逃げてきた馬鹿共と話す時間はない」
逃げてきた、という言葉に反応したのは銀だった。彼女は拳を固く握りしめると刑部姫を睨みつけ、
「……逃げてきたって何だよ」
「言葉通りの意味だ。お前達の表情を見れば大体予想がつく。お前達を傷つけた志騎にもう来るなと言われて、志騎を部屋から連れ出す事も出来ず、情けない顔を晒しながらあいつから逃げてきたんだろう。スマートフォンを借りて来いとは言ったが、うじうじしているお前達が堂々とあいつから借りてくるとは思えないし、大方もう勇者として戦えないと言った志騎がお前達に渡したんだろう。違うか?」
そこでようやく刑部姫はパソコンの画面から視線を外して三人の方を向いた。大体合っているが、それにしても聞き捨てならない言葉がいくつかある。銀は語気を荒くして刑部姫に言い返す。
「違う! 志騎から渡されたっていうのは本当だけど、逃げてきたわけじゃない!」
「くだらない嘘をつくなよ。逃げたんだろう? 今の志騎とどう接して良いか分からず、どう言葉をかけて良いか分からなかった。で、手に負えなくてあいつから尻尾を巻いて逃げた。そうでなければ、そこまで必死になるはずがないもんなぁ? ははは! 三人揃って逃げるとはな! これぞまさに負け犬か! 勇者様が聞いて呆れるな!」
刑部姫は邪悪な哄笑を上げながら、本当に嬉しそうに手をぱんぱんと打ち鳴らす。こんなに嬉しそうで、こんなに悪意のこもった刑部姫の笑顔は今まで見た事が無い。刑部姫の言葉と悪意のこもった笑顔に、銀は自分の胸の中で怒りの炎が燃え上がってきている事を感じた。刑部姫は三人を真正面から見据えながら、さらに続ける。
「一つ良い事を教えてやる。お前達が志騎に抱いてきたのは友情でも何でもない。ただの哀れみ、同情だ。大赦の家系でもない志騎に優しく接する事で、こんな人間にも友達として接する自分は優しい人間だと優越感に浸りたかったんだろ? それでいざあいつが自分達の意にそぐわない事をしたら、さっさとあいつを見捨てて逃げ出した、と。あははは、良いじゃないか人間らしくて! 実はお前達も心の中じゃあ清々してるんじゃないか?」
「……どういう意味?」
刑部姫の言葉に、須美が静かに返す。声が震えているのは、彼女が心の底から噴き出す怒りを必死にこらえているからだろう。----銀と同じように。
「良いんだぞ? 本音を言っても。兵器と言えば聞こえは良いが、所詮は人食いの化け物の同類だもんなぁ。----そんな奴が自分達と同じ勇者を名乗っていた事が反吐が出るほど嫌だったんだろ?」
「……あ?」
今まで出した事が無いほどドスの効いた低い声が、銀の口から漏れた。目の前の刑部姫のにやにやとした笑顔が目障りで、彼女の声が耳障りで仕方がない。できるものなら、今すぐ彼女の口を強引にでも塞ぎたかった。
「あはは、怒ったふりするなよ。良いんだぞ? 今ここには志騎はいない。自分達が思った事を好きなだけ言っていいんだぞ? 化け物がいなくなって清々しただろ? まぁ可哀そうなお友達はいなくなってしまったわけだが、それならまた見つければいい。何せ、天海志騎の代わりなんていくらでもいるもんなぁ? ああそうだ。いっそ、私が見つけてやろうか? お前達がお好みのお友達を調達してきてやるぞ? どんなのが良い? なぁ、教えてくれよ----」
ブチリ、と銀の脳内で何かが切れる音がした。刑部姫の不快な声が、銀の脳内をガリガリと掻きまわす。
ああ、もう良い。
あとで須美と安芸にこれ以上ないほどに怒られるだろうが、申し訳ないがどうでも良い。
今は正直、目の前で嘲り笑うこの女の口を黙らせたい。
銀の視界が怒りで真っ赤になり、右手を拳の形にし、刑部姫に放たれ----。
パシっ、と。
銀の右腕を誰かが掴んだ音が響いた。右腕を掴まれた銀が後ろを振り向くと、そこには。
「……園子」
俯いて銀の右腕を掴む園子の姿があった。そこで銀は、自分の右腕がピクリとも動かせない事に気づく。こうして見ているだけでは分からないが、どうやら園子の腕は外見からは予想できないほど強い力で自分の腕を掴んでいるらしい。
「ミノさん。落ち着いて。気持ちは分かるけど、殴っちゃダメ」
いつも呑気で天然気味な彼女からは想像ができないほど静かな声が発せられ、銀は思わず手から力を抜いた。すると園子は俯いたまま、先ほどまでの笑みを消した刑部姫に言う。
「……刑部姫。あなたの言葉を全部否定するつもりは無いよ。私もミノさんもわっしーも、あまみんになんて声を掛けたら良いか分からなかった。それで結局何もできないで、ここに来た。だから、あまみんから逃げたって言葉を否定するつもりは無い。……だけど」
一度言葉を区切ると、園子は右手を痛いほど強く握りしめる。彼女の声そのものは静かなのに、周りの空気はまるで触れると弾けてしまいそうなほど張りつめているようだった。
「……あまみんを、化け物だって言うのだけは絶対に許さない。あまみんは人食いの化け物なんかじゃない。私達にとってあまみんは、しっかり者の弟君で、私達と同じ勇者で、代わりなんていない大切な友達」
そこで園子は今まで俯かせていた顔を刑部姫に向ける。
その顔には、銀と須美、そして恐らく志騎ですら見た事が無いほどの憤怒の表情があった。
「そんなあまみんを……化け物だなんて言わないでっ!!」
怒りと共に吐き出された園子の叫びに教室の中の空気がビリビリと震える。彼女の凄まじい怒りに、銀と須美は声はおろか身動きすらできなかった。
ただ一人、刑部姫だけは園子をじっと見つめていたが、やがてふっと鼻を鳴らして笑った。
「良い顔をするじゃないか乃木園子。私としてはいつものお前のムカつくへらへらした顔より、今のお前の顔の方が好みだぞ?」
変わらず減らず口を叩く刑部姫を園子は怒りと嫌悪が込められた目で睨みながら、
「……どうして、どうしてあなたはいつもそんな事を言うの? 私、あなたが嫌い。大嫌い」
「ああ、そうかい。好きにしろ。私もお前達に好かれようとは思っていない」
しかし園子から嫌悪の感情を向かれても、刑部姫の態度はまったく変わらなかった。まるでそよ風のように、園子の感情を受け流していく。その様子があまりにも憎々して、園子は思わず奥歯を噛みしめる。
「そもそも、さっきから聞いていれば志騎の事は何でも知っていると言っているようだが、お前達は一体志騎の何を分かっているつもりなんだ? お前達が今まで見てきたものは『天海志騎』という存在の一部分に過ぎない。その一部分しか知らなかったお前達に、一体何が分かると言うんだ?」
「そういうあなたこそ、志騎君の何が分かると言うの?」
刑部姫の挑発に、須美が負けじと言い返す。確かに自分達は志騎の全てを知っているとは言い難いかもしれない。だがそれでも、これまで自分達は志騎と様々な事を共有し、絆を深めてきた。だからこそ、目の前の精霊よりも自分達の方が志騎の事をよく知っているという自負があるし、志騎の何が分かるのだという事を言われる筋合いもない。
すると須美の言葉に、刑部姫はくだらない事を聞くなと言うような表情で告げた。
「少なくとも、お前達よりは分かっているさ。何せ、
----
「……え?」
突然飛び出した言葉に、須美の口から間抜けな声が出す。須美だけではなく、銀と園子も今刑部姫が放った言葉に思わずぽかんと口を開けていた。あまりに予想外の言葉に、先ほどまで園子の顔に浮かんでいた怒りの表情もすっかり消え去ってしまっていた。
一方、衝撃的な発言をかました当の精霊は面倒そうにため息をつきながら、
「……そうだな。そろそろお前達に話しても良いか。そっちの方が話が早くて済む」
そう言うと刑部姫は椅子から腰を上げて、床に足をつけようとする。
その瞬間、異変が起きた。
突然刑部姫の周りを無数の花びらが舞い散り始めると同時に、彼女のぬいぐるみほどの体躯が光輝き始める。その現象に三人が呆気に取られていると、光り輝く刑部姫の体がみるみると大きくなっていく。
やがて光と花びらが完全に収まった頃、三人の目の前には一人の少女が立っていた。
年齢は銀達よりも上で、恐らく14~15歳ほど。学年だと、中学二年生ぐらいだろう。
黒髪を背中まで伸ばし、黒色の大赦の神官服に包まれた肢体はすらっとしていてまるでモデルのようだった。容姿も美少女と言っても何らおかしくないほどだが、一つだけ際立った特徴がある。
それは、目だ。
自分以外を----いや、自分すらも見下しているような冷たい光を秘めた目。しかし同時に、その目はまるでこの世の全てを見通しているような感覚を銀達に覚えさせた。
刑部姫が突然人間の少女に変わった事に銀達は当然呆然とするが、一方で少女は銀達の驚く顔を見ると愉快そうにくっくっくと笑い声を漏らした。その声も、先ほどの刑部姫のものと比べて少し低く聞こえる。
すると、ようやく我に返った須美がどうにか疑問を口に出して尋ねる。
「あなたは……刑部姫、なの?」
その問いに少女はにやりと笑いながら、
「それは正解であって正解じゃない。私は確かに刑部姫だが、私にはもう一つ名前がある」
そして少女は口の端を上げながら、愉快そうに自分の名前を告げた。
「----私のもう一つの名前は氷室真由理。大赦所属の科学者であり、V.H計画の最高責任者。そしてバーテックス・ヒューマンを作るのに使用した遺伝子の提供者、つまり----遺伝子上で言うなら、志騎の母親さ」