天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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第十八話 Gの決意/少年が欲したもの

 目の前の少女----氷室真由理の口から放たれた驚愕の言葉に、三人はぽかんと口を開けて言葉も出せなかった。すると三人の顔がよほど面白かったのか、真由理がクックックと再び低い笑い声を漏らす。

「どうした? 名家のお嬢様達が三人共そんなアホ面晒して。そんなに驚いたのか?」

「いや……驚いたっていうのもあるけど、情報が多すぎて何が何やら……」

 三人の気持ちを代弁するように、銀が半ば呆然とした口調で言った。

 それもそうだろう。突然刑部姫が志騎を作ったのは自分だと言い始めたと思ったら、いきなり十四歳ほどの少女の姿になり、しまいには彼女自身こそが大赦の科学者でV.H計画の最高責任者であり、おまけに遺伝子上の志騎の母親だと言い始めたのだ。これほどの情報をいきなり告げられて、混乱しない人間がいたらお目にかかってみたいものである。

 一方、真由理は椅子に座りなおすと人を馬鹿にするような笑みを浮かべ、

「ま、確かにそうだな。ここは分かりやすく一から説明してやるとするか。ありがたく思え。まず、私は確かに氷室真由理と言える存在だが、厳密には氷室真由理本人ではない」

「……? それって、一体どういう意味なの?」

「氷室真由理という人間はもうこの世にいない」

「「「っ!?」」」

 再度真由理の口から告げられた言葉に、三人は目を見開く。この世にいないという言葉はつまり、氷室真由理という少女はすでに死んでいるという意味だ。だが自分を氷室真由理と名乗る存在は今三人の目の前にいる。これは一体、どういう事なのだろうか。

「言っておくが、幽霊などではないぞ。氷室真由理は生前重い病気にかかってな。頭脳はともかくとして、今の医療技術ではその病気を治す事が出来なかった。それで考えたのが、自分の天才的な頭脳と人格をデータ化し精霊に移す事だった。そうすれば自分が死んだ後も、データを受けついた精霊が氷室真由理として行動してくれると考えたからだ。そして実際にデータを受け継ぎ、氷室真由理の知能と人格を持った精霊が今お前達の目の前のいる刑部姫というわけだ。理解したか?」

「……理解できたけど、自分の頭脳と人格をデータ化して精霊に移す事なんてできるの?」 

 とても信じられない、と言うような口調で園子が言うと、真由理ははっと鼻で笑い、

「ま、大赦の馬鹿共には無理だろうな。だが生憎氷室真由理、すなわち私は天才だった。だから私は今こうしてここにいるというわけだ」

「じゃあ、その姿は?」

「この姿はいわば戦闘用の姿だ。お前達がいつも目にしている姿では当然戦えないが、この姿になる事で一時的にバーテックスとやり合える戦闘力を発揮する事ができる。……ま、この姿は神樹の力を使うから滅多に使う事は出来ない。この姿でいられるのは、一日に三分が限界だ。それ以外は」

 言葉を区切るようにして真由理が指をパチンと鳴らすと、彼女の姿が大量の花びらに包まれ、花びらが全て消えると椅子の上には元のぬいぐるみサイズの大きさに戻った真由理----刑部姫がちょこんと座っていた。

「----神樹の力を使わないこの姿でいるというわけだ。ここまでは理解できたか?」

 三人を小馬鹿にする様に、こめかみを指でトントンと叩く。通常ならばムカッとする態度だが、今はそれどころではない。そんな事よりも、彼女には聞かなくてはならない事がたくさんあるからだ。

「……信じられないけれど、あなたが大赦の科学者で、V.H計画の最高責任者だっていうのは本当なの?」

「ああ、そうだ。とは言っても、私は元々大赦の人間でも何でも無かったんだけどな」

「え?」 

 刑部姫の言葉に、須美は思わずきょとんとした表情を浮かべた。

「私が生まれた家は大赦とは何の関係もない一般家庭でね。私が中二の時にある情報を握って大赦を脅迫し、バーテックスに対抗する戦力を作り出すという条件で特例で大赦の科学者になったんだ」

「きょ、脅迫……」

 刑部姫の口から飛び出した言葉に須美は唖然とするも、この精霊の頭脳と人格の元になった少女ならば確かにやりそうねと心の中で納得してしまった。それに大赦の科学者という事は大赦の家柄の人間という事になるのだろうが、大赦の家柄で氷室という名前は須美は聞いた事が無い。同じ大赦の家柄である銀と園子も反応が無いという事は、刑部姫の言う事は嘘ではないのだろう。

「……でもさ、大赦を脅迫できるほどの情報って、一体何だったの?」

 銀の言う事は最もだった。大赦は今この四国において、総理大臣をも凌ぐ程の絶大な権力を持つ組織だ。その組織を脅迫し、さらには特例で中学二年生の少女を科学者に仕立てる事を可能にする情報とは、一体どのようなものなのだろうか。

 しかしそれは刑部姫もさすがに口にする気はないようで、パソコンのキーボードを先ほどと同じように打ちながら、

「生憎だが、それをお前達に話すつもりはない。ただ一つだけ言うなら……大赦が何としてでも守り通したい情報、とだけ言っておこう」

 神樹を崇拝する大赦が、何としてでも守り通したい情報。それが一体どのような情報なのか、三人にはまったく見当もつかなかった。

「----あなたがあまみんのお母さんっていうのは、本当なの?」

「あくまで遺伝子上での話だけどな。V.H計画を実行するにあたり、バーテックスの細胞と人間の遺伝子がどうしても必要だった。バーテックスの細胞はどうにか調達できたが、人間の遺伝子は誰かが提供する必要がある。だが有象無象の馬の骨の遺伝子を使って失敗作ができても嫌なんでな。それならば天才である私の遺伝子を使った方が良いというわけで、自分自身の遺伝子を使用したというわけだ。結果、志騎という最高傑作ができたからその判断は我ながら正しかったと思う」

 最高傑作、という言葉に三人は思わず顔をしかめた。こうして会話を交わしているだけで分かるが、彼女は志騎を人間として見ていない。まるで道具か兵器の事を話すような口ぶりで、志騎の事を話している。彼女は遺伝子上では自分は志騎の母親だと言っていたが、正直三人としては目の前の少女を志騎の母親として認めたくなかった。

 が、そこで銀はある事に気づいて刑部姫に尋ねる。

「ちょっと待てよ……。確か志騎は、志騎の母ちゃんは志騎を病院に置いてどこかに引っ越したって言ってたぞ。あれは、嘘だって言うのかよ……」

「当たり前だ。当時の志騎に、本当の事を言うはずが無いだろう。あれは志騎に親がいない事を納得させるために、私が考えた作り話だ」

 今まで教えられてきた母親の話ですら、作られたもの。つまり志騎は今まで目の前の刑部姫という精霊と、それを教えてきた育ての親----つまり安芸に騙されてきたという事だ。あまりに酷すぎる、と銀は心の中で思う。それほどの仕打ちを受けてしまったら、もう何を信じれば良いのだろうか。

「……何でそんな事ができるんだよ。刑部姫はともかく、安芸先生はずっと志騎と一緒に過ごしてきたはずなのに、なんで……」

 銀が思わず口に出して呟くと、それを聞いた刑部姫はふっと鼻で笑いながら、

「私はともかく、安芸はそんなに器用な人間じゃない。見た目は何も感じていないように見えるが、あいつが志騎に抱く家族としての愛情は本物だ。そもそも、なんだかんだ言いながら鳥籠にいた時からあいつは志騎によく世話を焼いてたしな」

「鳥籠……?」

 刑部姫の口から出た聞きなれない言葉を須美が拾い上げると、

「志騎が元々いた場所だ。氷室真由理に作り出されてから外の世界に出るまで、あいつはずっとそこにいた」

「どうして、そんな場所に?」

「V.H計画は大赦にとってはトップシークレットであると同時に汚点だ。当然だよな。自分達の敵であるバーテックスを、しかも人間の形をしたバーテックスを作り出すという計画なんだから。いくらバーテックスの戦闘で役に立つと言われても、普通の人間にとっては倫理的にも、感情的に考えても納得できる話じゃない。下手をすれば計画を知った人間が大赦に不信感を抱く危険性もある。だからV.H計画と、その計画によって作り出された人間型のバーテックス、すなわち志騎の存在は絶対に外に漏れてはならない存在なんだ。ちなみに、V.H計画と志騎の正体を知っているのは大赦の上層部に最高責任者である私と唯一の助手である安芸、そしてお前達だけだ。ああ、一応言っておくが他言はするなよ? 大赦の事だから手荒な真似はしないだろうが、逆に言えばそれ以外の事をする可能性はある」

 刑部姫の話を聞いていた須美は顎に手を当ててじっと何かを考えていたが、やがて刑部姫の言葉を完全に頭の中で噛み砕くと一応刑部姫に確認を取る。

「……つまり、志騎君の存在が外に漏れるのを防ぐための場所がその鳥籠って場所なの?」

「そうだ。志騎を外の世界から隔離するための檻、天海志騎という名の成功体を観察するための鳥籠。志騎はそこで私と安芸によって育てられた」

「……何でだろうな。安芸先生はともかく、お前に育てられたって聞くと不穏な感じしかしないんだけど」

 銀の言葉に、須美はおろか園子すらうんうんと頷いて同意する。今までの彼女の言葉を聞く限りだと、氷室真由理という人間は結構な人格破綻者だ。人間としても教師としても信頼できる安芸はともかくとして、氷室真由理という女性に人間の子供を育てる事などできたのだろうか。

 するとさすがの刑部姫もそれには反論する気が無いのか、

「確かに、世間でいう子育てとは大分違うだろうな。食事や睡眠、排泄物すらも管理され、部屋から出て検査を受ける時には道を覚えて逃げ出したりしないよう目隠しをして道を何回も遠回りし、情報漏れを防ぐために会う人間は私と安芸だけ。さらには食事時間や勉強時間、睡眠時間すらも徹底的に管理された生活。傍から見たら、子育てと言うよりは実験動物か何かの扱いだろうな」

 自分で言うか、と銀は内心毒づく。彼女は頭の後ろで両腕を組みながら、

「聞いてるだけで窮屈な生活だな……。てか、その時の志騎よくそんな所から逃げ出そうと思わなかったな。あたしだったら、退屈で死にそうだよ」

「逃げようとも思わなかっただろうよ。志騎にとっての世界はあの真っ白な部屋と検査器具がいくつも並ぶ検査室だけだったはずだ。たまにあいつに本を差し入れする事もあったが、内容は動物図鑑や百科事典などではなく、適当に取り寄せた専門書とか数学の教科書とかだったしな」

「どうして、そんな本を?」

「あいつが外の世界に興味を持つのを防ぐためだ。どういった本を読む事で外の世界に興味を持つか、分かったもんじゃないからな。だからあいつが外の世界に興味を持ちそうなものは徹底的に排除した。食事も同様にな」

 そう言いながら刑部姫は着物の胸元に手を突っ込むと、そこから何かを取り出した。

 刑部姫の手に握られていたのはゼリー飲料の容器だった。だがコンビニで販売されているようなものとは違い、パッケージにはメーカーの文字やイラスト、栄養成分の表示などは一切入っていない。そのため、中のゼリー飲料の詳細がまったく分からなかった。

「何それ?」

「志騎が鳥籠にいた時の食事だ。食べてみるか?」

 そう言うと刑部姫はポイ、と容器を銀に投げ渡した。銀はそれを受け取ると、訝し気に容器を観察してから飲み口のキャップを開ける。そしてくんくんと軽く中の匂いを嗅ぎ、異臭などが無い事を確認するとぱくりと飲み口を加えて中のゼリー飲料を吸い出す。

「どう、銀?」

「美味しいの?」

 すると二人に問われた銀は顔をしかめて、飲み口から口を離すと素直な感想を口にする。

「全然味が無い……。これが、志騎の食事?」

「一食に必要な栄養素を詰め込んだ代わりに、味などは一切排除したものだ。美味しい、という感覚を覚えた志騎が外の世界に興味を覚えないとも限らないからな。ちなみに、主な食事はそれと水だ」

 銀は自分の手の中にあるゼリー飲料の容器をじっと見つめる。

 味も無ければ匂いもない、ただ生きるのに必要な栄養素のみが詰め込まれた何の楽しみもない食べ物。

 幼少期の志騎は、こんなものを与えられて育てられたのか。

「……下手すりゃ児童虐待じゃないのかこれ?」

「安芸からも似たような事を言われた。まぁ、首輪を仕込んでいた上にそんな物を与えていたとなれば、そう言われても仕方ないとは思うが」

「首輪?」

 首輪と聞くと文字通り犬や猫につけるあの首輪が連想されるが、刑部姫が言うと何故か不吉な予感しかしない。ああ、と刑部姫は頷きながら、

「志騎の位置を随時確認しておくための首輪型のデバイスだ。万が一志騎が部屋から出た時のために、位置確認のためのGPSや健康確認のための脈拍計などもろもろ仕込んだ私の発明品の一つだ」

「でもそれなら腕輪とかでも良いじゃない。どうして首輪なんて形にしたのよ」

「あるものを仕込むためには、首輪が一番良かったんだ」

「あるもの?」

「爆弾」

 空気が凍った。

 三人は一瞬、彼女の言葉を聞き間違えたのではないかとすら思った。だが悲しい事に、今まで聞き間違いだと思った彼女の言葉が本当に間違えていた事は一度も無い。かすれた声で、須美が呟く。

「ばく、だん?」

「ああ。志騎が逃げ出した時に、天海志騎という名の機密情報をすぐに消す事ができるようにな。さすがの志騎も首を吹っ飛ばされれば再生は無理だからな」

「……あなたは、人の……あまみんの命を何だと思ってるの?」

 再び沸いてきた怒りに震える声で園子が言うと、何故か刑部姫は肩をすくめながら、

「言っておくが、確かに私は志騎にGPSや脈拍計をつけようと考えていた。だが、爆弾をつける事を考えたのは私じゃない」

「じゃあ、一体誰が?」

「決まっているだろ? 大赦の馬鹿共だよ」

 大赦が? と三人は思わず目を見開く。

 この世界に恵みをもたらしてくれる神樹を奉る組織が、どうして志騎に爆弾を取り付けようとなど考えるのだろうか。それも、いざという時に志騎という名の汚点を消し去るためなのだろうか。

 すると三人の考えを察したように、刑部姫はため息をつきながら告げた。

「簡単だ。……怖いんだよ、志騎が」

「怖いって、どうしてだよ」

「お前達には志騎と過ごした日常がある。だからお前達には分からないだろうが、大赦の奴らにとっては人間と同じ外見を持つバーテックスなんて恐怖の対象でしかない。いつその牙が自分達に向けられるか分かったもんじゃないしな。それに昔の志騎は今よりももっと人間味が無くてな。笑いもしなければ怒りもしない、泣きもしなければ何の感情も表さない。乃木園子と鷲尾須美の二人はともかく、お前は知っているだろう、三ノ輪銀」

 突然名前を呼ばれた銀は、昔の志騎の事を思い出す。

 確かに当時の志騎は、笑いもしなければ泣く事もせず、怒る事すら無かった。今は安芸や銀のような周囲の人間の交流を得て大分マシになったが、彼女の言う通り人間味が無かったというのは事実だった。

「そんな志騎を不気味がって、大赦の上層部は誰一人鳥籠に近づかなかったんだ。来たのは一度だけ、志騎が作られたのを確認するために鳥籠に来た時だけだった。ま、その時も奴らはビビっていたがな」

「……じゃあ、爆弾を首輪に仕掛けたのは、いざという時に志騎君を殺すために?」

「だろうよ。何せV.H計画を認める条件にその提案を出してくるぐらいだ。よっぽどバーテックスっていう存在が怖いんだろう。志騎が勇者になった今はさすがに手出しはしてこないが、それでも奴らの心の底には志騎に対する恐怖があるはずだ」

「……何だよ、それ」

 銀は俯きながら呻くように言う。

 志騎に大赦の人間をどうこうする意志など無いし、それどころかバーテックスを撃退して世界を護っている。それなのに大赦は天海志騎という存在に恐怖を抱き、しかも幼少期の志騎に爆弾付きの首輪を取り付ける事で、何かあった時には志騎を殺そうとしていた。

 確かに、人間型のバーテックスに恐怖してしまう気持ちは分からないでもない。実際今まで自分達はバーテックスに何度も傷つけられてきたし、バーテックスの恐怖もよく知っている。そう考えてしまっても無理はないかもしれない。

 だが、理解ができる事と納得ができる事は違う。

 まだ子供であった志騎にまるで犬か猫のように首輪をつけ、さらにいざという時には爆弾を爆発させて、鳥籠という狭い世界しか知らない志騎を殺そうとする。それが本当に、神樹を崇拝する大赦の人間のやる事なのだろうか。大赦の家系の人間でもある銀はその事実に、初めて大赦に対する疑念を抱いた。

 と、銀が両手を握りしめて黙り込んでいると、園子がじっと真剣な表情で何かを考えている事に気づく。

「どうしたの? そのっち」

 そんな園子に須美も気が付いたのか、園子に声をかける。すると園子は二人を真剣な表情で見つめて、

「ちょっと、おかしくないかな?」

「え? おかしいって、何が?」

「今までの刑部姫の話を整理すると、あまみんはず~っとその鳥籠って所にいたんだよね? しかももしも外に出たらすぐに口封じができるように、首輪に爆弾までつけて」

「あ、ああ。それの、何がおかしいんだ?」

「うん。それほどあまみんを怖がって、外に出したくなかったのに、どうしてあまみんは私達と一緒にいるのかな?」

 あ、と銀は思わず声を上げた。それから須美の方を向くと、彼女の同じ事に気づいたのか口をぱっくりと開けている。

 どうして志騎は自分達と一緒にいるのか。聞いてみると意味が少し分かりにくいが、銀と須美はすぐに分かった。園子はこう言っているのだ。

 何故それほどまでに大赦の厳重な管理下に置かれていた志騎が、外の世界に出て自分達と一緒にいる事ができたのか。

 志騎が大赦にとってのトップシークレットであると同時に汚点であり、恐怖の対象というのは刑部姫から聞いた話から考えれば明らかだ。なのに何故志騎はこうして鳥籠から出され、普通の人間として生活する事が出来ていたのか。

「別に不思議な話じゃない。元々志騎を鳥籠の中で人間兵器として育て上げ、兵器として完成した勇者になったら鳥籠の外に出してお前達と一緒にバーテックスと戦わせる手筈になっていたんだ。そうでなければ、天海志騎が作られた意味が無いだろう」

「じゃあどうして、そうなる前にあまみんを鳥籠から出したの? 本当にそうなら、私達とあまみんが初めて会うのは勇者になってからのはずでしょ? ねぇ、どうして?」

 するとそこで初めて、刑部姫の表情が崩れた。

 先ほどまでリズミカルにキーボードを打っていた手も止まり、顔はまるで苦虫を嚙みつぶしたような表情を浮かべている。明らかに先ほどまで銀達に対して保っていはずの余裕を無くしている。

 刑部姫の表情を見て、三人は確信した。今自分達は、刑部姫の弱点を間違いなく突いたのだと。

 刑部姫はしばらく黙り込んでいたが、やがて苛立たし気に髪の毛を掻きむしると渋々と語り始めた。

「……生前の氷室真由理が最後に迎えたクリスマスの日の話だ。当時自分の命がもってあと二ヶ月ほどだという事を知っていた私は、どうせ最後だからという理由で鳥籠でささやかなクリスマスを行う事にしたんだ。と言っても別にチキンやらケーキとかを用意するわけじゃない。ただクリスマスだし、どうせなら志騎が欲しい物を与えてやろうと考えただけだ。私がサンタの服装を着て、安芸にはトナカイのコスプレをさせてな」

「……でも、その時の志騎君に欲しい物なんてあったのかしら」

 話を聞いている限り、当時の志騎は外の世界に興味を持たないように徹底的な教育を受けていた。おまけに当時の彼には人間らしい感情などまったく無かったと聞く。そのような彼に、果たして欲しい物などあったのだろうか。

「私も同じ事を考えた。欲しい物と言っても、恐らく新しい本か何かだろうとな。……だが、志騎が言ったモノはあまりにも予想外過ぎた」

「……何て、言ったんだ?」

 銀が聞くと、刑部姫は頬杖を突きながら何故か銀達を軽く睨む。そしてため息をつくと、当時の志騎が欲しいと言ったものを告げた。

 あまりに予想外過ぎる、その何かを。

 

 

 

 

「友達が欲しいと、言ったんだ」

 

 

 

 

 

「----えっ?」

 刑部姫の口から告げられた言葉に、三人は思わず呆気に取られてしまった。

 幼少期の志騎が欲しかったものが、友達。言っている事自体はとてもシンプルだし、むしろ微笑ましいとすら言えるのだが、刑部姫から聞いた志騎の姿とその願いが、失礼かもしれないがあまりにも不釣り合いに感じられてしまったのだ。

 一方、刑部姫は口元に苦々しい笑みを浮かべて、

「私と安芸も、思わずそんな顔をしたよ。私達二人共、志騎がそのような事を言うなんて夢にも思わなかったしな」

「でも……どうして志騎君は友達を……」

 志騎の置かれていた境遇から考えると志騎に友達という存在がいなかったのは明白だ。そもそも、『友達』という存在すら知らなかった可能性が高い。そんな彼がどうやって『友達』という存在を知り、それを求めるようになったのだろうか。

「後で安芸に聞いたら、いつも差し入れている本じゃつまらないだろうという事で、一冊だけ小説を紛れ込ませていたらしい。私も目を通してみたが、特段面白くもないしつまらなくもない、マイナーな本だった。まぁだからこそ安芸もそれを差し入れたんだろうが……、小説の中の文に、『友達』という単語が入っていた。恐らくそれを見て初めてその存在にが気が付いたんだろうな。あとで志騎に差し出した辞書を確認してみたら、友達とかを意味する単語のページに折り目がついていたし」

「志騎の奴、なんでそんなに友達の事が気になってんだろ……」

「それはきっと、あいつの生まれのせいだろうな」

 え? と三人が刑部姫を見ると、彼女は先ほどと同じようにキーボードを打っていた。視線をパソコンの画面に向けながらも、意識だけは三人に変わらず向けながら口を開く。

「志騎は人間型のバーテックスと言ったが、正確にはバーテックス・ヒューマンというこの世界で唯一孤立した存在だ。人間の遺伝子を持つがゆえに純粋なバーテックスじゃないが、同時にバーテックスとほぼ同じ細胞を持つがゆえに純粋な人間でもない。この世界であいつと同じ同族は誰一人として存在していない。……恐らくあいつは、自覚していないだろうがそれを本能的に悟っている。だからこそ、『友達』という繋がりを無意識の内に欲しているんだろうよ」

 刑部姫の話を聞いて、銀は思い出す。

 志騎は一見してみるといつも冷静で不愛想に見えるが、実際は友達である自分達の事をいつも考えてくれていた。あれは彼の性格によるものだと思っていたが、それだけでは無かった。バーテックス・ヒューマンという世界で孤立した存在である自分と繋がる絆を、断ち切りたくなかったのだ。例えその事を本人が自覚していなかったとしても。

「……あまみん、ずっと友達が欲しかったんだね~」

「そうね。……もしかしたら、寂しかったのかもしれないわね」

 寂しかった。須美の言葉を聞いて、そうかもしれないと銀は思う。

 バーテックス・ヒューマン。人間でもなければバーテックスでもない存在。この世界で唯一、自分と同じ種族がいないはぐれモノ。それがどれほどの孤独なのか銀には分からない。

 生まれた時から自分には優しい父親と母親がいてくれたし、さらに可愛い二人の弟も生まれた。自分はいつだって孤独では無かった。それだけは確かだ。

 だが、そう考えると銀の気持ちはさらに重くなる。

 いつだって誰かから愛され、孤独では無かった自分が、志騎のために何ができるというのだろうか。須美のように頭が良いわけでもなければ、園子のように発想力があるわけでもない、考えても考えても答えが見えない自分に。

 悔しそうに俯いて拳を握りしめる銀を横目でちらりと見ながら、刑部姫は続ける。

「ま、そんな予想外の事を言われたわけだが、志騎がそう言いだしたのはある意味でちょうどいいタイミングでもあった。実は生前の私も志騎を外に出そうかと考えていたんだ」

「え、どうして?」

「前々から考えていたんだよ。志騎は確かに兵器として特化した勇者だが、バーテックスと戦う以上感情も持たないただの兵器ではバーテックスと同じだ。人間とバーテックスの決定的な違い……すなわち感情を育てさせる事が、志騎に必要なんじゃないかとな。そして志騎が友達を作るには、まず外の世界に出なければ話にならない。で、大赦の奴らと話し合ってどうにか志騎を外の世界に出す事が決まったんだ」

「でも、よく大赦の人達が認めてくれたわね。今までの話を聞いていると、絶対に認めてくれなさそうだったけれど……」

「安芸が必死に説得してくれたおかげだ。志騎が外に出られるように、大赦の上層部と何回も話し合って頭を下げた。安芸は元々大赦の人間だし、私よりも大赦を説得しやすかった。……業腹だが、大赦も安芸の事は信頼していたようだしな。私よりも」

「え、それは当たり前じゃないかしら?」

「安芸先生の方が信頼できるよね~」

「むしろ何で安芸先生より信頼してもらえると思ったんだ?」

「お前ら後でちょっと校舎裏来い」

 三人からの非常に真っ当な酷評に青筋を浮かび上がらせるが、こほんこほんと咳払いをしてどうにか冷静さを取り戻すと話を元に戻す。

「そういうわけでどうにか志騎は鳥籠から出る事が決まり、一応の監視役兼教育係としての役目を安芸が担う事になった。その後氷室真由理は精霊・刑部姫に自分の頭脳と人格をデータ化して移し、刑部姫は志騎が勇者となるその日まで待つ事になった。その後氷室真由理は死亡、志騎は情報漏洩を防ぐために鳥籠にいた時の記憶を全て封じられ、重い病気を患っていたがために母親から捨てられた少年として病院で目を覚まし、ここ大橋市に引っ越してきたというわけだ。これが、志騎がここに来るまでの経緯だ。……で、だ。自称『志騎のお友達』のお前達はこれからどうするんだ?」

「どうするって……今それを必死に考えて……」

「ほぉ? 必死に考えていると? 私にはただの思考停止にしか見えんな。下手の考え休むに似たりって言葉は知っているか?」

 からかうような刑部姫の言葉に、銀は奥歯をギリリと噛み締めると、それまで貯めこんでいた感情を爆発させる。

「----じゃあ、どうしろって言うんだよ!? あたしだって志騎に何をしてやれるかずっと考えてるんだ! でも、志騎のために何をすればいいか全然分からないし……一体、あたしに何ができるって言うんだよ……」

 最後の声はもう半ばかすれていた。そんな銀に須美と園子が心配そうに寄り添い、安心させるように手をそっと握るが、そんな銀を刑部姫はくだらなそうに眺めながら言った。

「馬鹿かお前は」

「なっ!?」

「何をすれば良いか分からない? そんなの当然だろう。志騎がずっと欲しがっていた友達を傷つけてしまってどれほど傷ついたのか、どれほど悲しんでいるかなど志騎自身にしか分からない。それを勝手に分かったような気になって、何かをしてやろうと考える事自体がおこがましい。本当にそう思っているなら、もう呆れる事しかできないな。何様のつもりだお前は」

 いつの間にか、刑部姫はパソコンの方を向いていた体の向きを変え銀と真正面から向き合っていた。彼女の表情はついさっきまで浮かべていたような嘲笑うようなものでなければ、人を小馬鹿にしているものでもない。ただどこまでも厳しく真剣な表情で、銀の目をまっすぐと見据えていた。そんな彼女のぬいぐるみほどの大きさしかない体躯から放たれる迫力に、三人はただ押し黙る事しかできなかった。刑部姫は「良いか?」と前置きしてから、

「そもそもの話、どんなに頑張っても人が他人の事を百パーセント理解できるなどありえない。どんな人間にも誰にも見せない一面はあるし、それどころか自分でも理解しきれない一面が存在する事もある。それら全てを理解し解決する事なんて、たかが人間には到底不可能だ。そんな事ができる奴がいるとしたら、それは神樹ぐらいだ。そしてお前達や私は神樹ではなく、人間だ。今の私達に志騎にしてやれる事などない。今志騎が抱えている問題は志騎にしか解決できない」

 真正面からの刑部姫の言葉に、銀は黙りながらも唇を噛み締めるしかない。

 悔しいが、刑部姫の言っている事は間違ってはいない。今の志騎の苦しみも悲しみも、銀はもちろん須美と園子にも理解する事は出来ない。理解する事ができなければ、彼にどんな言葉をかけるべきなのかも分かるはずがない。今の志騎の苦しみは、誰よりも彼自身が解決しなければならないのだ。

 だが、それは刑部姫の言った通りそれまで自分達は何もできないというわけだ。その事実に、三人を再び強い無力感が襲う。

 しかし、それを断ち切るように刑部姫がはぁとため息を漏らした。

「----何かをしてやる事だけが、相手のためになる事なのか?」

「え?」

 突然放たれた言葉に三人がきょとんとした表情で刑部姫を見ると、彼女は呆れた表情を浮かべながら、

「別に言葉をかけたり、相手の代わりに何かをする事だけが相手を助ける方法じゃないだろう。相手を手助けする方法など、それこそいくらでもある。例えば----」

 言いながら、刑部姫は右手の人差し指をついと伸ばして、銀に寄り添う須美と園子を指さす。

「支えたい奴のそばに寄り添い、手を握ってやるだけでもそいつにとってはいくらか気分が楽になるし、自分は一人ではないという実感を得られる。それが悩みの解決に一役買う事だって十分に考えられる」

「手を握る……」

「ああ、そうだ。今の志騎にはそれが必要なのだろうよ。お前ら、志騎が今何歳か知っているか?」

「何歳って、十二歳でしょ?」

 彼が自分達と同じ六年生ならば、自分達と同じ年齢である十二歳で間違いないはずだ。しかし刑部姫はふるふると首を横に振ると、

「違う。作り出された当初、バーテックスの中の細胞のせいかあいつは成長が早くてな。たった一年で二年分の成長をしていたんだ。今は細胞の働きも落ち着いているから普通の人間と同じ成長だが、実年齢は外見年齢よりもマイナス三歳。つまり今の志騎の年齢は、九歳だ」

「九歳!?」

「あまみんって、本当に弟君だったんだ~」

 刑部姫の口から放たれた驚愕の言葉に銀は声を上げ、園子も目を丸くして言う。前に志騎は園子と銀に弟のように感じられると言われていたが、それは志騎の雰囲気のせいではなく、本当に志騎の実年齢が園子や銀よりも下だったからのようだ。この場合はそれを何となくではあるものの察する事ができていた園子と銀の直感を褒め称えるべきなのかもしれない。

「つまり鳥籠を出た時の志騎の実年齢は三歳。で、それからの六年を人間として過ごしてきたというわけだ。だが鳥籠を出る前の三年はおよそ人間らしい生活とは言えなかったし、ようやく人間としての生活を送れるようになったのもこの六年間での話だ。言ってしまえば、志騎の精神面はお前達と比べると少し幼いと言えるわけだ」

「それはそうかもしれないけれど……結局、あなたは何が言いたいの?」

 須美の言葉に、刑部姫は腕を組んで三人を見ながら、

「何も描かれていない絵のようなものなんだよ、志騎は。この六年間を人間達の中で過ごしてきたが、それでもあいつはまだ人間とバーテックスの中間の位置に立っている。つまり、接し方次第ではあいつは人間にもバーテックスにもなる。そしてもしもこのままお前達が寄り添わなければ、あいつは簡単にバーテックスになるぞ。そうなったら、志騎は本当に一人になる。お前達はそれでも良いのか? 別に良いというなら私は構わんが」

 問われた銀の脳内に、今までの志騎との思い出が頭に浮かんでは消えていく。

 自分の事を呆れたような表情で見る志騎。

 困ったような笑みを浮かべながらも、自分の事を見つめる志騎。

 自分がバーテックスである事に、苦しむ表情を浮かべる志騎。

 もしも自分がここで今志騎の手を握らなかったら、志騎は永遠に一人ぼっちになってしまう。

「----わけ」

「銀?」

 ポツリと小さな声で呟かれた声に須美が声をかけると、銀はゆっくりと顔を上げる。

「良いわけ、ないだろ。あたしは、もっと」

 刑部姫の言う通り、自分には志騎の気持ちを理解したくても理解する事ができない。

 悔しい話だが、今の志騎の悩みに対する答えを出せるのは志騎自身しかいないだろう。

 でも、それでも。

 それは志騎が孤独になっていい理由には、決してならない。

「----もっと志騎と、一緒にいたいんだ」

 自分は須美のように頭が良いわけでもなければ、園子のように発想力があるわけでもない。

 だけど、これだけは自信を持って言える。

 自分は、この三人の中で一番志騎との時間を一緒に過ごしてきた『志騎の幼馴染』だと。

 それだけは、疑いようのない事実なのだ。

 だったら、そんな自分が志騎の手を握ってやらないでどうすると言うのだ。

 刑部姫をまっすぐ見る銀の表情には、そんな強い決意を秘めた表情が確かに浮かんでいた。それから銀は自分の手を握ってくれる須美と園子を顔をまっすぐ見据えて、

「須美、園子。お願いなんだけどさ……志騎のために、二人にも一緒に来てほしいんだ。……良いかな」

 すると銀の言葉に二人はふっと力強い笑みを浮かべると、

「お願いなんていらないわよ、銀。私達もあなたと同じ気持ちよ」

「私達も、もっとあまみんと一緒にいたいんよ~。あまみんは、私達の大事な友達だから。だから私達も、あまみんの所に一緒に行くよ~」

「須美、園子……。ありがとう」

 銀は二人が自分と同じ気持ちでいてくれる事に心の底から感謝を述べながら、この二人が友達でいてくれて本当に良かったと思う。二人が自分と同じ気持ちでいてくれると思うだけで、こんなにも心が嬉しくなる。

 そしてそれは、志騎も感じるべき事だ。人間だろうがバーテックスだろうが関係ない。 

 自分達の大切な友達であり、自分の幼馴染であるからこそ、彼にも味わってほしいのだ。

 すると三人の様子を見ていた刑部姫は、何故かため息をつきながら、

「やれやれ、ようやく動く気になったか。動く事しか取り柄が無いんだからさっさとその気になれよ面倒くせぇな」

「……お前はいちいち文句をつけないと死ぬ病気にでもかかってるのか?」

 相変わらずの毒舌のマシンガンを放つ刑部姫に銀はジト目を向けるが、こればかりはその通りだと本当に悔しいが同意するしかない。

 彼女の言う通り、自分の取り柄と言ったら動いて道を切り開く事しかないのだ。それなのに最近は予想外の事が起きすぎてしまって、頭の中がぐちゃぐちゃになってしまいいつものように動く事すらできなくなってしまっていた。

 だが、もう迷わない。

 今自分がすべき事は、今すぐ志騎の所に向かって彼に寄り添う事だ。

 何かをする事も、言葉をかける事も必要ない。

 小さな事かもしれないが、それが志騎の悩みの解決に役立つというのならば、喜んでやってやる。

 銀がそう心の中で決意を固めると、それと同時に刑部姫がパソコンのエンターキーを勢いよく叩いた。志騎のスマートフォンに何らかのデータがインストールされ、やがてインストールが終わりスマートフォンからケーブルを抜くと銀が刑部姫に尋ねる。

「さっきから気になってたんだけど、一体何やってたんだ?」

「志騎がもうバーテックスの干渉を受けないように勇者システムに新しいプログラムを入れた。これでもう志騎が操られる事は無い」

「じゃあ、それを志騎君に渡せば!」

 もう志騎が銀達を傷つける事は無くなる。それを聞いて銀達の表情に笑顔が広がり、銀が刑部姫を急かすように右手を刑部姫に突き出す。

「早くくれよ! 早くそれを志騎に渡さないと!」

「………」

 しかし刑部姫は何故かすごく嫌そうな表情を浮かべながら目の前の銀を見るだけで、志騎のスマートフォンを差し出そうとはしなかった。それに銀が怪訝な表情を浮かべると、刑部姫は唐突にこんな事を言った。

「----鷲尾須美。乃木園子。そして三ノ輪銀。私はお前達が嫌いだ」

「………」

「志騎の事を何も知らないくせに、友達面してあいつに近寄るのを見るだけで反吐が出る。正直、お前達のような小娘に何ができるのかと思う」

 だが、と刑部姫は一度言葉を切り、

「----イラつくが、今志騎のそばにいるべきなのはお前達なんだろう。だからこいつを渡す。綺麗事ばかり抜かすお前達がどこまでできるか、精々見届けさせてもらうとする」

 言いながら、刑部姫はスマートフォンを銀に差し出した。銀はスマートフォンを受け取ると、刑部姫に背を向けながら言った。

「----刑部姫。正直、あたしもお前が嫌いだよ。いつも嫌な事ばっかり言うし、志騎の事を何でも知ってるような顔してるのがすごいムカつくし」

 けど、と銀は一度言葉を切り、

「ムカつくけど、たぶん志騎の事を一番よく知ってるのはお前なんだろうな。だから今回だけ、お前を信じる。これは絶対に、志騎に渡す」

「当然だ。むしろ渡さなかったら殺すぞ直情単細胞女」

「その時は返り討ちにしてやるよ性格最悪自己中精霊」

 互いに罵り合った後、銀は須美と園子と顔を見合わせて頷く。そして、三人揃って教室を勢いよく出て行った。

 三人の後ろ姿を、教室の扉のすぐそばから見送る一つの人影があった。人影がいた場所は銀達が向かった方向とはちょうど反対側なので、銀達も気づかなかったようだ。

 人影----安芸は三人が志騎の所に向かうのを見送ってから教室に入る。教室では一人残った刑部姫はノートパソコンを折りたたんで着物にしまうところだった。

「相変わらず人を怒らせるのが本当に得意ね。見ててハラハラしたわ」

「だがそれであいつらを焚き付ける事に成功したのだから結果オーライだろう。奴らは下らん悩みを吹っ切る事ができ、私は改良した勇者システムを志騎に渡す事ができる。一石二鳥だ」

「他にやり方があるはずって私は言ってるのよ。まったくあなたは……」

 安芸がため息をつくも、刑部姫は安芸の苦労などどこ吹く風だ。まぁ、彼女のそんな性格は正直もう慣れたので、このような事を言っても仕方がないのだが、それでも愚痴の一つは言いたくなるというものである。

「それで、バーテックスの干渉を防ぐプログラムを入れたという事は、バーテックスが志騎を操った方法が分かったの?」

 気を取り直して安芸が刑部姫に尋ねると、刑部姫は頷きながら、

「ああ。だが正確には操ったわけじゃない」

「……どういう事? まさか志騎が自分から彼女達に襲い掛かったって事じゃないわよね?」

 刑部姫の予想外の言葉に安芸が訝し気な表情を浮かべながら聞くと、刑部姫は空中に浮かび上がりながら、

「バーテックスの細胞には、ある呪文が刻み込まれている」

「呪文?」

「ああ。命令文(コマンド)と言えば分かりやすいか。全てのバーテックスは自分達を構成する細胞に刻まれたそのコマンドに沿って行動をしている。例外はない」

 空中をふよふよと浮かびながら刑部姫が校門に視線をやると、ちょうど銀達が校門を走って出る所だった。三人の後ろ姿を眺めながら再び口を開く

「そしてそのコマンドが下している行動は非常にシンプル。『人間を殺す』」

「人間を……」

「ああ。シンプルゆえに非常に強力なコマンド。奴らはそのコマンド一つであらゆる方法を以って人間を殺す。まったく、本当に厄介な兵器だよ奴らは」

 はっと、大して面白くなさそうな笑い声を上げる刑部姫の姿を見て、安芸は思わず唾を飲み込む。刑部姫----氷室真由理は自分が知る限り最高の天才だ。その彼女がここまで言うほどの存在が自分達の敵なのだという事を、安芸は改めて思い知らされた。

「そしてそれは志騎も例外じゃない。だから私は当初、志騎にも刻まれたそのコマンドをどうにか消そうとしたのだが、無理だった。あの呪文は、私ですら消せないほどに強力だった。だから私は志騎に刻まれたそのコマンドを『人間を殺す』のではなく、『バーテックスを殺す』というコマンドにどうにか書き換えた。そのコマンドは普段は封印されているが、キリングトリガーによって封印が解除された時、初めてコマンドの効力は発揮される。本当は同じ勇者を殺さないようにするための防衛策だったんだが、書き換えたコマンドのおかげでバーテックス・ヒューマンという兵器の能力がさらに強力になったから、そこは不幸中の幸いだったな」

 刑部姫は書き換えたと軽く言うが、それは彼女だからこそできたのだろう。大赦の科学者では、コマンドを書き換える事すらできなかった可能性が高い。だがそれでは、腑に落ちない事がある。

「じゃあどうして、志騎は鷲尾さん達を殺そうとしたの? 例え封印が解除されたとしても、バーテックスしか倒さないはずでしょ?」

 安芸の言う通り、いくらバーテックスが志騎に何らかの干渉を行ったとしても、そのコマンドがある限り彼が銀達に襲い掛かる事は無かったはずだ。だが現実問題として志騎は銀達に襲い掛かり、危うく殺しかけた。一体、志騎は何をされたというのだろうか。

「それは私も気になって、志騎を調べた時に封印を調べてみたんだ。調べた結果、不愉快な事実が分かった」

「不愉快な事実?」

「ああ。封印が強制的に破壊された形跡があった。おまけに志騎の細胞も調べてみた所、私が書き換えたはずのコマンドが再度書き直された跡が見つかったよ」

「……それって」

「そうだ。バーテックスは志騎を操ったわけじゃなく、志騎の細胞に刻まれていたコマンドを書き換えたんだ。いや、あれは書き換えたというよりは初期化と言った方が良いだろうな。バーテックスは志騎の『バーテックスを殺す』というコマンドを書き直される前の『人間を殺す』コマンドに初期化する事で、志騎をバーテックスに強制的に戻した。おまけに封印も力づくで破壊されたから、志騎はそのコマンドに従い三ノ輪銀達を襲ったというわけだ」

「でもそんな事、バーテックスにできるの?」

 刑部姫から聞いた話によると、バーテックスに下されているコマンドは『人間を殺す』というもの。しかし逆に言えば、それ以外の事は出来ないという事だ。志騎に刻まれているコマンドを強制的に初期化しなおすなど、バーテックスに果たしてできるのだろうか。

「お前の考えている通り、できないさ。奴らは人間を殺すだけの人形に過ぎない。コマンドを初期化したのは、()()()()()()()()()()()()()()()()

 刑部姫の言葉に、今まで冷静さを保っていた安芸の表情が強張る。一方、安芸の表情を崩すほどの情報をもたらした精霊は行儀悪く机にちょこんと座りながら両手を組み、じっとある事を考え込んでいた。

(……そう。志騎のコマンドを初期化した奴は分かっている。だが、逆に()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 志騎から聞いた話と安芸が銀達から聞いた話によると、コマンドが初期化されている最中の志騎は銀達の言葉すら届かなかったらしい。だが、それは仕方のない事だ。志騎に刻まれているコマンドがどれほど強力かは、キリングモードの志騎を見ればよく分かる。コマンドの支配下にある最中の志騎は、まさに敵を殺しつくすための殺戮兵器だ。それは例え相手が大切な親友であろうとも関係ない。

 しかし、ここで一つ疑問が出てくる。

 コマンドの支配下にあった志騎は、どうやって自我を取り戻したのだろうか。

 キリングモードの志騎は樹海の中のバーテックスを全て倒した場合コマンドに対しての封印が施され、キリングモードが解除されるようにキリングトリガー自体にプログラミングしてあるが、それにはまずバーテックスが樹海内にいないという前提条件が必要となる。極端な話、まだバーテックスがいればそれを殺すためにキリングモードは継続される事になる。

 だが今回の場合、三ノ輪銀達という殺す対象がまだ生きていたのに志騎は自我を取り戻した。これは天海志騎という兵器の事を考えると、ありえない事なのだ。

 そう考えて安芸に三ノ輪銀達への聞き込みを頼み、刑部姫自身は志騎から聞き込みを行った結果、興味深い事が分かった。

 志騎から話を聞いたところ、自我を取り戻す直前誰かの声を聞いたような気がしたらしい。そしてその直後志騎は自我を取り戻した。つまり、幼馴染の銀の声ですらできなかった事をその声の主は行ったというわけだ。

 なお、声の主が銀以外の二人ではないという事はもうすでに確認できている。その時園子と須美は志騎に攻撃され、意識を失っていたという事を安芸が三人から聞いたからだ。

 そして刑部姫が志騎の体を調べてみた結果、書き換えられた痕跡はあったものの志騎に刻まれていたコマンドは元に戻っており、封印も掛け直されていた。しかし志騎が自我を取り戻したのがその声のおかげだとすると、そもそも声の主は一体誰なのかという疑問が出てくる。志騎の体を調べた後、刑部姫はその事をずっと考え続けていたが、答えはまだ出ずにいた。

(そもそも、即座に志騎のコマンドを元に書き直し、封印を掛け直すなんて人間にできる事じゃない。そんな事ができるとしたら……)

 刑部姫がじっと思考を巡らせていると、張りつめた空気を和らげようとしたのか安芸がこんな事を言った。

「でも、志騎の方はもう大丈夫そうね。あなたが組み込んだプログラムがあれば、もう志騎はバーテックスにコマンドを組み替えられる事は無いんでしょ?」

 彼女の言葉に、刑部姫は声の主についての考察をいったん止めると安芸に顔を向けながら、

「ん、ああ。お前の言う通りもう志騎がバーテックスからの干渉を受ける事は無い。……志騎が変身できさえすればな」

「……どういう事?」

 刑部姫の言葉に眉をひそめた安芸が尋ねると、刑部姫は机から浮かび上がりながら続ける。

「さっきプログラムを組み込む際に、勇者システムに細工をしたんだ」

「細工?」

「ああ。志騎が変身するための条件を、勇者システムに組み込んだんだ。その条件を満たさない限り、志騎は勇者に変身する事は出来ない」

「っ!?」

 彼女の口から放たれた耳を疑う言葉に、安芸は思わず目を見開く。しかし、それは当然だ。話を聞く限りだと、バーテックスの干渉を防ぐためには志騎が変身している必要がある。なのに条件を満たさない限り変身する事ができないというのは、本末転倒も良い所だ。それにそれだと、志騎が再びバーテックスからの干渉を受ける危険性もある。安芸は普段の冷静さをかなぐり捨てて、刑部姫に問い詰める。

「どういう事!? あなたは一体何を考えているのよ!?」

「落ち着け安芸。何も意地悪でやったわけじゃない」

 顔をしかめながら言う刑部姫の顔を見て、怒りが浮かんでいた安芸の表情に冷静さが少し戻る。確かに彼女は何の理由もなしにこのような行動をするような馬鹿ではない。そのような行動を取ったからには何らかの理由が必ずあるはずだ。だが、そうだとするとその理由は一体何なのだろうか。

 すると安芸の疑問を察したかのように、刑部姫が静かに口を開く。

「鷲尾須美、乃木園子、三ノ輪銀。この三人にあって、志騎にはないものが一つある。何か分かるか?」

「志騎に、ないもの……?」

 唐突に尋ねられた安芸は少しの間黙って考え込むが、答えは分からなかった。降参と言わんばかりに安芸が首を横に振ると、刑部姫は答えを口にする。

「戦う理由、だよ」

「戦う理由……」

「ああ。鷲尾須美はこの国を守るという勇者としての強い使命感。乃木園子はこの世界と友人を護りたいという意志。三ノ輪銀は家族を護りたいという心。あとは『友達を護りたい』という想いだな。ま、その想い以外は違いはあれ、三人それぞれ戦う理由をしっかりと持っている。だから奴らは神樹に選ばれたのだろうし、バーテックスのような巨大な敵に立ち向かえる心の強さを持っている」

「……志騎には、それが無いって言うの?」

「三ノ輪銀達を護りたいという想いはあるんだろうよ。だが、芯となる戦う理由は志騎にはない。あいつにあるのは、ただ目の前の事を放っておけないという感情だけだ。……初めて勇者に変身した時の三ノ輪銀達とバーテックスと遭遇した時のようにな」

 刑部姫の脳裏に、初めて志騎と会話した時の事がまるで昨日の事のように思い出される。考えてみれば、あれからまだ二ヶ月と少しぐらいしか経ってないんだよなと心の中で思いながら、話を続ける。

「今まではそれでも良かっただろう。だが、自分の正体を知った志騎がこれからもバーテックスと戦い続けるためには、それじゃあ駄目だ。自分が何のために戦うのか、どうして傷つきながらもバーテックスと戦うのか、あいつにとっての戦う理由を見つけなくちゃならない。それができないようじゃ、例えバーテックスからの干渉を防ぐ事ができたとしても、いずれ勇者として戦う事に限界を迎える日が必ず来る。そうなったら今度こそ、志騎は立ち上がる事ができなくなる」

「……じゃあ、変身するための条件を組み込んだのは、そのために?」

「荒療治だというのは自分でも自覚している。だが、志騎がこれからも勇者として戦い続けるというのであれば、これは乗り越えてもらわなければならない事なんだ」

 険しい表情を浮かべながら話し終えた刑部姫は、気を楽にするようにふーと酸素を吐き出してから安芸に尋ねる。

「そう言えば、大赦の上層部の様子はどうだ?」

「志騎の暴走についてはやっぱり不安視はしているようね。でも、今すぐに行動を起こす気はないみたい」

「だろうな。なんだかんだ言っても、奴らも志騎の有用性は認めている。暴走したのは奴らにとっても予想外だっただろうが、だからと言ってすぐに志騎を始末するような事はしないだろう。ま、仮に志騎を殺すつもりなら…………その時は、大赦の奴ら全員皆殺しにするがな」

 ぞくり、と。暗い殺意が込められた刑部姫の言葉に、安芸は背筋に寒気が走るのを感じた。

 彼女の言葉に嘘はない。もしも大赦が志騎を殺そうとしたら、彼女はすぐさま大赦の人間を皆殺しにするだろう。友人である自分は恐らく殺さないだろうが、逆にそれ以外の人間は全て平等に殺しつくす。それで四国や、大赦が奉っている神樹がどうなろうと知った事ではない。彼女にとっては、自分の息子とも言える存在である志騎や唯一の友人である自分以外の人間は生きようが死のうがどうでも良い存在なのだ。そもそも、彼女にとっての人間とは『今かいずれ死ぬ生き物』程度の認識でしかない。

 ゆえに、志騎と安芸以外の人間がどれだけ死のうと彼女にはどうでも良い。だからこそ、身にかかる火の粉があれば火の粉の元を何の容赦もなく全力で叩き潰すのが刑部姫----氷室真由理という少女の性格だ。

 そして、大赦が傍若無人な振る舞いをする真由理にあまり干渉しないのもそれが理由だった。彼女には、冗談抜きでたった一人で大赦という組織を丸ごと潰す事ができる力がある。氷室真由理が死んだ今、大赦が刑部姫や志騎に対して過剰な干渉を行わないのも彼女が独自に持つ力が理由だ。藪をつついて蛇を出すということわざの通り、下手に刑部姫を刺激したらどんな目に遭うか分からない。おまけに氷室真由理は、生前彼女が独自に開発した神樹の力や霊的な力を戦闘用に改良したシステムやノウハウを一切大赦に提示しなかったので、彼女の力を防ぐ事すらできない。それらの理由から、大赦は刑部姫と志騎に下手な干渉を行う事が出来ず、今まで静観していたのだ。

 つまりは、刑部姫も志騎と同様、大赦から非常に恐れられている存在なのである。

(まったく……我ながら、よく十年以上も友人として付き合ってこれたわね」

「おい、心の声が漏れてるぞ」

 ジト目で自分を見る刑部姫の言葉に、安芸は思わず口を軽く抑えた。そんな彼女に、刑部姫はふっと力の抜けた笑みを浮かべて、

「言っておくがな安芸……。自分でも異常者だと自覚している私でも、さすがにお前にそんな態度を取られたらちょっと傷つくんだぜ……」

「相変わらず親しい人間に対しては意外とガラスの心よねあなた……」

 他人を罵る事に関しては遠慮を知らず、他人に嫌われてもまったくお構いなしの刑部姫だが、一方で自分や志騎など親しい人間にぞんざいに扱われる事には意外と傷つきやすいという意外な一面がある。それを考えると、身内に甘いと言っても良いかもしれない。まぁ、自分としてはその甘さを自分と志騎以外の誰かにも向けてほしいというのが正直な所なのだが、それは無理だろう。

「ま、まぁとにかく大赦の馬鹿共が手を出さないなら良い。安芸、お前は変わらず大赦の奴らがどんな動きをしているか報告を頼……」

 と、そこで刑部姫はある事に気づく。

 ついさっきまで自分を会話をしていた安芸の動きが、止まっているのだ。

 まるで、時間の流れが止まってしまったかのように。

「まさか……!」

 動きが止まった安芸の姿を見て刑部姫は表情を変えると、教室の窓から外を見る。

 窓の外の世界は色とりどりの花びらが舞い、大橋の方から一筋の光が立ち上っているのが見えた。----樹海化の合図だ。

「くそ、なんてタイミングだよ……!」 

 まさかプログラムを仕込んだ当日にバーテックスが到来するとは、間が悪いにもほどがある。この世に運命を司る神がいたのだとしたら、そいつは絶対に悪趣味に違いないと刑部姫は心の中で毒づく。

「まさかのぶっつけ本番とはな………。気張れよ、志騎。お前の中の戦う理由を見つけ出せるのは、お前だけしかいないんだからな」

 樹海化が進む教室の中で、自分の遺伝子を用いて作り出した少年の顔を思い浮かべながら、刑部姫は小さく呟くのだった。

 

 

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