天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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刑「天海志騎は勇者である、前回の三つの出来事!」
刑「一つ! 志騎が自らの記憶を取り戻したいと刑部姫と安芸に告げる!」
刑「二つ! 二人はこれを了承、志騎の記憶の封印を解除を開始する!」
刑「そして三つ! 安芸が三ノ輪銀達三人に自分と氷室真由理の馴れ初め話をしている間、志騎の記憶が蘇っていく……!」
刑「鳥籠の記憶に関する話は今回と次回で終わりとなる。まだまだ山場となる話は残っているからな。では第二十三話、どうぞご覧あれ」


第二十三話 志騎と真由理と痛む胸

 

(----ここ、は?)

 気が付くと志騎は、今まで見た事も無い部屋の中にいた。

 本棚も無ければ窓すらない、ただ白だけが支配する部屋。この中に長い間閉じ込めらたら、常人なら一ヶ月ぐらいで気が触れてしまいそうである。

 そんな部屋の中で、自分は誰かに抱きかかえられているようだった。というのも、時々自分の体を抱いている誰かがぽん、ぽんと優し気に叩いてくれるからだ。普通ならば睡魔が襲い掛かってくるかもしれないが、たった今眠りから覚めたばかりなので瞼が重くなる事は無かった。

(何で俺、こんな所に? まさか……夢?)

 一説によると、夢というのは記憶の整理の過程で作られるものらしい。という事は、刑部姫が封印の術式を解除したために記憶が解放され、それを夢という形で見ているのかもしれない。

 となると、今の自分は。

(うわ、手小っちゃ……!)

 自分の手をちらりと見た志騎は、手のあまりの小ささに思わず驚く。手の大きさから推察すると、どうやら今の自分は赤ん坊のようだ。だとすると誰かに抱きかかえられているのも別に不思議ではないが、では今自分を抱いているのは誰なのだろうか。

 志騎が首を抱いている人間に顔を向けようとした時、横から女性の声が聞こえた。

「----で、その子の名前は何て言うの? 真由理」

 聞こえてきた声に、志騎は思わず胸の中であっと声を出した。

 そして、ここが夢の世界で良かったかもしれないと志騎は思う。もしもこれが現実であったら、驚きのあまり確実に声に出してしまっていただろう。

 だがここは夢の世界。今の志騎は赤ん坊の時の自分の記憶を追体験しているだけであって、記憶に反した行動をする事は出来ない。おかげで赤ん坊の自分の口から声が漏れる事は無く、驚きが彼女に伝わる事は無かった。

 そのように志騎が驚くの無理はない。彼の知っている声と比べると少し若々しいが、それでもこの声を聞き間違える事はない。この声は----。

(安芸先生……)

 志騎の育ての親である安芸のものだった。今のこの体勢からは見えないが、どうやら彼女は自分を抱きかかえている人物の横に座っているらしい。

 いや、それよりも。

(今、真由理って言ったか……?)

 つまり、今自分を抱えている人物は----。

 と、そこまで考えた所で自分を抱きかかえている人物が自分の両脇に手を入れて、頭上に持ち上げた。   

 すると、志騎の視界に自分を見上げる二人の人物の姿が入ってくる。

 一人はどこかの高校の服を身に纏い、眼鏡をかけた少女。容姿から考えても、間違いなく安芸だろう。声と同様志騎の知っている安芸よりも当然若いが、見間違える事は無い。

 そして、もう一人。

 艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、モデル顔負けの体型。ダメージジーンズを履きシャツの上に白衣を着た少女。自分を両手で持ち上げながら、彼女は嬉しそうな笑みを浮かべていた。

(……この人が……)

 氷室真由理。安芸の親友にしてバーテックス・ヒューマン計画の最高責任者。志騎を作る際に使われた遺伝子の提供主であり、刑部姫の人格と頭脳の元になった人間。 

 すなわち----、遺伝子上の、志騎の母親。

「ああ。バーテックスの細胞を使って作られたから『天』、私がこの世で一番綺麗だと思ったものである『海』。そして……『自らの意志を以って、誰かの希望となる者』からとって……『志希』。それらを組み合わせて、『天海志希』だ。中々良いだろう?」

 二ッと、真由理は横にいる安芸に向かって笑いかけた。それに安芸は何故か困ったように笑うと、

「確かに良い名前だと思うけれど……。それだと少し女の子っぽくないかしら」

「む、確かにそうだな……。では『騎士』の『騎』はどうだ? これなら良いだろう」

「ええ、そうね。カッコいいと思うわ」

 相方の了承を得られた真由理はよし! と満足げな声を出すと、

「決まった。お前は今日から『天海志騎』だ」

 と言いながら、自分を見下ろす志騎に笑いかけた。するとそれを見ていた安芸は笑いながら、

「それにしても、あなたは昔から名前には凝るわね。『名前なんて、ただの識別記号だ』って事ぐらい言いそうなのに」

「名前は大切だぞ? 名はこの世界に生まれ落ちた生物の存在を定め、在り方を決める大切なものだからな。ま、これは私の父親の受け売りだが」

「そういえば、あなたの名前はお父さんが決めたって前に言ってたわね」

 ああ、と真由理は首肯しながら、

「『この世界にある、理由、真理、真実。それら全てを見抜き、解き明かす者』という願いを込めて『真由理』だ。どうだ? 名前がどれだけ大切なものか、良く分かるだろう?」

 言いながら真由理は再びニッと嬉し気な笑みを浮かべた。言外に自分は天才だと言っているのがよく分かる。しかし流石は親友というべきか、安芸ははいはいと手を振り手慣れた様子で流しながら、

「でも、『自らの意志を以って、誰かの希望となる者』か……。どうしてその願いを込めようと思ったの?」

 安芸が尋ねると、真由理は先ほどまで浮かべていた笑みを消すと志騎の顔をじっと見つめ、

「これから先、こいつを色んな苦難が待っているだろう。大赦の馬鹿共の思惑、バーテックスとの戦い、さらには私ですら予想できない事が襲い掛かるかもしれない。悩みもするだろうし、苦しみもするだろう。それでも、誰かの思惑に乗せられるんじゃなく、自分の意志で誰かの希望になってほしい。ま、意味としてはそんな理由だ。ぶっちゃけると、こいつが自分の意志で決めたなら、バーテックスの味方になって人類を滅ぼしても別に私は構わん。もしもそうなったら、私は全力でこいつを支援するさ。正直人間が生きようが滅びようが心の底からどうでも良いし」

 仮にも人類を護る大赦に属する人間が放ったすさまじい爆弾発言に安芸は顔を引きつらせると、呆れたように言った。

「まったく、とんでもない親馬鹿ね……。でもそうなったら、私も死んじゃうんじゃないかしら?」

「安心しろ。お前は死なせないさ。なんたってお前は、私の唯一の親友だからな」

「調子の良い事を言って、もう……」

 口ではそう言いながらも、満更でもないのか安芸の口元には笑みが浮かんでいた。

 唯一の親友を傍らにし、自分の遺伝子を使って作った息子を持ち上げながら少女は笑う。

 少女の笑顔は、今まで志騎が見た事がないほど、華やかな笑顔だった。

 

 

 

 

 それから志騎は自分が鳥籠にいた時の記憶を次々と思い出していき、それらを夢という形で見ていった。

 言葉が話せるようになると、志騎は真由理の事を『博士』、安芸の事を『先生』と呼ぶようになった。彼女が自分と安芸をそう呼べと言ったのもあるし、自分に色々な事を教えてくれる二人は自分にとっては確かに『博士』と『先生』だったからだ。

 真由理は自分に外国文化の事を教えてくれた。今は学校の教育として残っている英語から、すっかり話す機会が失われてしまったドイツ語やフランス語、イギリス語、さらにそれ以外の言語も彼女は教えてくれた。それに加えて昔あった外国の国々の文化、食べ物、祭りといったものまで。おかげで、今の時代ではまったく役に立たないであろう外国文化の知識にすっかり詳しくなってしまった。前に銀に教えたシュールストレミングを知ったのもこの時だ。

 ちなみに、シュールストレミングの存在を知った真由理は試しに作ってみて安芸と一緒に食べたらしい。結果、自分達はシュールストレミングは二度と食べないと固く心に誓ったのだと、真由理は愉快そうに笑っていた。

 それだけではなく、たまに科学の実験で使う器具を持ってきて自分に色々な実験を見せてくれた。実験を見て自分の表情が変わる事は無かったが、不思議と心が躍ったのを覚えている。

 一方、安芸は数の計算の仕方やひらがなや漢字の事を教えてくれた。考えてみれば、あの時から安芸は自分にとっての『先生』だったのだろうと思う。自分が計算の仕方や漢字など、教えてくれた事を一つ一つ覚えていくのを見るたび、安芸は優し気な笑みを浮かべた。その時の顔は、自分が安芸と一緒に暮らすようになっても変わる事は無かった。

 大抵志騎に何かを教える時は真由理が教えるか、安芸が教えるかのどちらかで二人が一緒に鳥籠に来る事はあまり無かったのだが、たまに二人が一緒に来る事があった。

 中でも自分の記憶に強烈に残っているのは、真由理が食事を作ってくれた事だ。いつものように自分が味気のないゼリー飲料を食べていると、真由理がある麺類を作ってくれた事がある。丼に味噌がベースのスープが注がれ、その上に中華麺とナルト、チャーシュー、わかめといった具が乗っている食べ物。----志騎が好きな食べ物である、ラーメンである。

 初めてラーメンを食べた時、志騎は思わず目を見開いてあっという間にラーメンを食べてしまった。今まで味気ないゼリー飲料しか食べた事が無かった志騎にとって、あれが一番のご馳走だったのだ。香川県民であるはずの志騎がうどんよりもラーメンが好きなのは、恐らくあれが理由だろう。

 だが。

 そういった事を体験しても、志騎の心が成長する事は無かった。

 確かに一時の感動などを味わう事はあったが、まるで膨らんだ風船がすぐに萎んでしまうかのように、高鳴った心はすぐに戻ってしまった。真由理から外国文化の事を教えてもらっても、ラーメンという美味しい食べ物を食べても、その感動は次の瞬間にはすぐに消えてなくなってしまう。

 だから真由理や安芸から色々な事を教えてもらっても、鳥籠の外に出たいと思った事は一度も無かったし、ラーメンをもう一度食べたいと思う事も無かった。次の日にはまた本を読み、栄養だけが詰まった味のないゼリー飲料を体に取り込むという流れ作業のような日々が再び続く。それを見て安芸は少し心配そうな表情を浮かべていたが、真由理はそのような表情は全く見せなかった。もしかしたら、天海志騎という存在を作った張本人である彼女には、志騎がそうなる事を知っていたのかもしれない。

 そんな日々が約二年続き、志騎の体が六歳児相当にまで成長したある日の事だった。

 安芸が突然今まで自分が読んだ事のない類の本を差し出してきた。今まで志騎が読んできた本と言えば武器の使い方、格闘技の専門書、外国語の本など、日常生活にはあまり役立たない類のものばかりだった。なので安芸にこの本は何なのか尋ねると、彼女曰く『小説』というものらしい。なんでも、個人が考えた物語を書籍の形にして読めるようにしたものだとか。いつも同じ本ばかりじゃつまらないし、読んでみたらという事で、安芸と真由理がいない間さっそく読んでみる事にした。

 結論から言って、内容はつまらなくはないがあまり面白いものでも無かった。男子高校生を主人公とした学園ものだったが、内容だけを見るならばこれよりも面白い小説はそれこそ山ほどあるだろう。

 志騎が気になったのは、小説の中のある単語だった。

 『友達』。

 言葉に出してみれば、たった四文字、漢字に直すと二文字の単語。それだけの単語が、何故か志騎には気になって仕方が無かった。

 小説を読み終えた後、前に安芸からもらった辞書を引いて言葉の意味を調べてみると、どうやら友達というのは互いに心を許し合って対等に交わったり、一緒に喋ったり遊んだりする人の事をそう言うらしい。

 それを読んで頭にぱっと浮かんだのは、自分に色々な事を教えてくれる真由理と安芸の姿だった。彼女達は基本的に一人で志騎に教育を行うのだが、たまに二人一緒に志騎に教育を行う時もあった。その時の彼女達の姿は、まさにこの辞書に書かれている通りの関係と言えるだろう。

 そう考えた時、志騎はふと気づいた。

 そう言えば、自分にはそういった存在がいないなと。

 気が付いた時には、自分はこの真っ白な部屋にいた。接する人間は真由理と安芸の二人だけ。その二人も自分に色々な事を教えてくれる『博士』と『先生』なので、『友達』という関係とは違う。

 それに気づいた時、志騎の中で『友達』というものを求める強い気持ちが生まれた。今まではどのような感情が浮かんでも、すぐに泡のように消えてしまっていた志騎にとって、それは初めての体験だった。

 それ以来、真由理と安芸からの教育を受けている時も、自分一人で本を読んでいる時も、何故か友達を求める心が常に志騎の中に根付くようになった。教育や身体検査などの時間の合間には辞書を見て、友達を意味するページに折り目をつけたり、自分にとっての友達とはどのようなものなのか、そもそも友達とはどうしたらできるのかをたびたび考えるようになった。

 そして、志騎にとっての運命の日と呼べる時がやってくる。

 ある日志騎がいつも通り本を読んでいると、突然部屋に赤い服を着た真由理と動物の着ぐるみを着た安芸がやってきた。真由理の口元にはご丁寧に白い髭までつけられていて、彼女達の姿にいつもは無表情な志騎も一瞬動きが固まったのを覚えている。

 二人の衣装が気になった志騎がそれは何なのかと聞くと、真由理は笑いながらサンタクロースの服だと答えた。なんでも、トナカイという動物に乗って子供達にプレゼントを配る西暦時代きっての不審者らしい。しかし直後、安芸に思いっきり頭をどつかれていたのですぐに嘘だと気づいた。真由理はその後、頭をさすりながらサンタクロースという人物、さらにそれにまつわる伝説などを丁寧に教えてくれた。

 やがて話は本題に入る。なんでも今日はクリスマスという日なので、志騎が欲しい物をなんでもくれるらしい。彼女の言葉を聞いて、志騎は少しの間考え込んだ。前の自分ならば読んだ事のない本、もしくは特に欲しいものはないと言っていただろう。 

 だが、今の自分にはそれらよりも欲しい物が一つあった。それを真由理が本当に与えてくれるのかは分からなかったが、一縷の望みをかけて志騎はそれを口にした。

『友達が、欲しいです』

 それに対する二人の反応は劇的だった。真由理は一瞬志騎が何を言ったのか分からないと言いたそうな表情で自分の顔をじっと見つめ、安芸は顔を強張らせていた。一方、二人が何故そのような表情を浮かべたのか分からない志騎はやはり無理かと内心諦めたのだが、真由理はじっと顎に手を当てて考えておく、とだけ言った。それに志騎と安芸が彼女の顔を見たが、彼女はすぐに先ほどまでの表情を消すと今日の晩飯は派手に行くぞ! と言って志騎が見た事のない料理を取り出した。なんでも、チキンとケーキという食べ物らしい。こうして、その夜三人はチキンとケーキでささやかなクリスマスを送るのだった。

 ちなみにチキンとケーキは美味しかったが、『友達』という単語ほど志騎の心に強く残る事は無かった。

 

 

 

 クリスマスから数日経ったある日、真由理と安芸が突然志騎の部屋にやってきて衝撃的な事を言ってきた。なんでも、志騎を部屋の外に出す事が決まったらしい。この部屋の外の世界の事はおろか、部屋から出る事すら考えた事も無い志騎にとって、何故真由理が自分を部屋の外に出す事にしたのか、その理由が分からなかった。なので真由理に理由を尋ねると、クリスマスに志騎が欲しいものとして挙げた友達を作るためには、まずこの部屋の外に出なければならないらしい。

『こんな狭っ苦しい場所にいたんじゃ友達もろくに作れないからな。必要な措置というものだ。ああ、生活の事は安心しろ。安芸がお前の面倒を見てくれる。外に出たらきちんと安芸の言う事を聞くように。良いな?』

 部屋の外がどのような世界なのかは分からないが、とりあえず部屋の外に出れば友達を作る事ができるという事だけは分かった。なので、志騎はこくりと小さく頷く。だが直後、一つある事が気になり真由理に尋ねた。

『博士は、一緒ではないのですか?』

 真由理は志騎の面倒は安芸が見てくれると言ったが、自分も一緒に面倒を見るとは言わなかった。志騎にとって真由理は安芸と一緒に自分に色々な事を教え、育ててくれた人物だ。例え部屋の外に出たとしても、彼女もきっと自分と来てくれると志騎は当然のように思っていた。だから、今の真由理の口ぶりが、まるでこれから志騎を育てていくのは安芸一人だけだと言っているようで、それが志騎には少し気になった。

 すると尋ねられた真由理は何故か少し目を見開き、安芸は悲し気な表情を浮かべた。やがて真由理はふっと口元に笑みを浮かべると志騎の頭を撫でながら、

『残念ながら私は少しの間お前とは会えなくなる。何せ、大赦の奴らは無能だからな。私が手伝ってやらねばならないんだ。私はこれでも人気者なんだよ。----ま、安心しろ。時が経てば、また会えるさ。だからお前は安心して外の世界に出ろ。良いな?』

 そう言う真由理の表情は、何か自分の心から湧き上がる感情を抑えているような表情に見えた。安芸は何も言わず、二人から目を背けて唇を静かに噛み締めていた。

 二人の表情が気になったが、何を尋ねるべきかも分からず、志騎はただ黙ってこくりと頷く事しかできなかった。

 その日以来、真由理が志騎の部屋にやってくる回数はめっきり減った。教育を行うのは安芸一人だけになり、その安芸も志騎を外の世界に出す段取りなどを行っているためか部屋に来る事が少なくなった。必然的に、一人で本を読む日々が多くなっていく。

 そんな時、部屋に真由理が何も言わず尋ねてきた。彼女の顔は前に見た時と比べて瘦せており、青白く見えた。普通の人間が見たら病気か何かにかかっているとすぐに気付いたかもしれないが、当時の志騎はそれが病気の症状だとは気づく事が出来なかった。

 真由理は志騎の横に座って前のように色々な話をした。とは言っても内容は、今日は何の本を読んでいるんだとか、最近安芸とどんな話をしたんだとか、そんな益体のない話ばかりだった。彼女にしては珍しい事だったが、それらの問いに志騎は一つ一つ静かに、そして丁寧に答えていく。

 志騎の言葉を真由理はどこか眠たそうに目を細めながら口元に笑みを浮かべ、相槌を打ちながら話を聞く。まるで今の時間を、ゆっくりと楽しむように。

 やがて真由理に聞かせる話が無くなり志騎が黙ると、真由理は真剣な表情になり志騎に言った。

『……なぁ、志騎』

『はい、博士』

 自分の目をまっすぐ見つめながら、今までにないはっきりとした口調で問いかける真由理に、志騎が返事をすると真由理は静かな口調で続ける。

『これからお前は外の世界に出る。だが、これだけは分かっていて欲しい。お前が外の世界に出れば確かに友人ができるかもしれない。だけどお前は他の人間とは違うから、本当の意味でのお前の同類はどこにもいないんだ。つまり、お前は外の世界では本当に孤独なんだよ。この鳥籠に閉じ込められているのも孤独かもしれないが、外の世界はそれを遥かに上回る地獄だ。その地獄でお前が感じる苦しみと寂しさは、私でも分からないものになるだろう。それだけじゃない。もしかしたらお前が欲しがっていた友達というものの存在が、お前の苦しみと寂しさをさらに強くするかもしれない。強い光が、濃い影を生み出すようにな。……それでもお前は、外の世界に出たいか?』

 真剣そのものな真由理の問いに、志騎は迷う事無くこくりと頷く。

 正直、真由理の言う事を理解できているわけではない。だが、彼女が自分の事を心配してくれているというのは分かる。そして、彼女が本心では志騎を外の世界に出すべきか迷っている事も。

 けれど、だからこそ志騎は嘘偽りなく部屋の外に出たいと、彼女に意志を示さなければならない。自分がどういった存在かは分からないし、彼女の言う通り外の世界は自分にとっての地獄なのかもしれない。ようやくできた友達という存在が、自分を苦しめるかもしれない。

 それでも、自分は友達が欲しいと思った。自分に繋がる存在を求めた。

 ならば、ここで首を横に振るわけにはいかない。この世に生まれて初めて芽生えた、自分の『意志』を曲げるわけには決していかないから。そしてきっとそれが、自分を育ててくれた安芸と真由理に報いる事だと信じているから。

 自分をまっすぐ見つめながら頷く志騎に、真由理は困ったように笑いながら彼の頭をくしゃくしゃと撫でる。頭を撫でられながら、志騎は思い出す。そう言えば彼女は何か嬉しい事や楽しい事があると、自分の頭をこんな風に撫でるのが好きだった。

『そうか、そうか……。お前の事を理解できる人間なんて外の世界にいるわけがないと思っていたが……。お前がそう言うなら私が言う事は何もない。その時になったら、刑部姫がどうにかするだろうしな』

『……博士? それはどういう……』

『なぁに。こっちの話だ。……志騎』

『はい』

『友達、たくさんできると良いな』

『……はい』

 志騎が少しの間を開けてから再び頷くと、真由理は再び頭をくしゃくしゃと撫でた。以降、真由理が志騎の部屋に訪れる事は二度と無かった。

 やがて一ヶ月の時が過ぎ、志騎がいつも通り部屋で過ごしていると安芸が鳥籠に訪れた。その時の彼女は、何故か緊張と不安が入り混じった表情を浮かべていた。どうしたんですかと志騎が口を開く前に、安芸は今は何も聞かないで、これを飲んでと錠剤を数粒志騎に手渡した。生まれた時から真由理と安芸に言われた事はなんでも従ってきた志騎は言われた通りに錠剤を口に放り込み飲み込んだ。直後、とてつもない睡魔が襲い、志騎の意識は暗闇に閉ざされた。今思い返してみると、あれはきっと睡眠薬だったのだろう。それも薬を飲んだ自分がすぐに眠ってしまうほど、強力な。

 次に目を覚ました時は、見知らぬ病室で安芸に背負われていた。志騎が目覚めた事で身じろぎ、それで志騎が目覚めた事に気づいた安芸はゆっくりと志騎を下ろす。志騎は初めて見る部屋を見回していたが、やがて彼の視線は部屋の奥にある一台のベッドに向けられた。正確には、ベッドの上で寝転がる一人の女性に。

『……ありがとな、安芸。連れてきてくれて』

『礼を言われるほどの事じゃないわ。あなたの頼みだもの』

 女性----すっかり弱りきってしまった真由理の言葉に、安芸は震える声で返した。どうにか冷静さを保とうとしているようだったが、今の志騎から見ると涙を必死にこらえているようにしか見えない。彼女の表情を見た真由理はふっと笑うと、

『……私のような人間が死ぬ時でも、お前はそんな表情をしてくれるんだな。まったく、お前は本当に昔から何も変わらないな』

『……それはこっちの台詞よ。あなたは昔から何一つ変わらない。いつも自分が天才だと思ってて、いつも口が悪くて、……いつもこの世界をつまらなさそうに見てた。そんなあなたに散々振り回されて、散々苦労させられた』

 でも、と安芸は言葉を切り、

『……あなたと過ごした日々は、本当に楽しかった。あなたに、色々なものを見せてもらった。あなたは性格最悪で、自意識過剰な人だったけど……私にとっては、たった一人の、大切な親友だったわ……』

 そこまで言ったところでこらえきれなくなったのか、安芸はついに両目から涙を流し始めた。親友の意外な姿を真由理は目を見開いて見つめていたが、ふっと柔らかな笑みを浮かべ、

『……そうか。案外、悪くないものだな。誰かからここまで大切に思われるのも』

『……後悔してる? もっと、人との繋がりを作っておけば良かったって……』

『はっ、必要ない。私には安芸という名のたった一人の親友と、もう一人がいればそれで十分だ』

 そう言って真由理は次に志騎に目を向けた。しかし視線を向けられた志騎は何をすればいいか分からず、ただその場にぼうっと突っ立っていた。すると真由理が右手を力なく差し出してきて、志騎は何故か分からないが横たわる彼女のそばに近寄ると右手をきゅっと握った。

『……博士?』

『志騎。ここでお別れだ。……私にこんな事を言う資格は無いが、お前と過ごした日々は、案外、悪くなかったよ……』

 そう言ってから真由理は再度安芸に視線を戻すと、

『安芸。あとはお前と刑部姫に任せる。……頼んだぞ。私の生涯唯一にして、最高の親友』

 それは間違いなく、氷室真由理の最大の賛辞の言葉だった。

 しかし返事をする事も出来ず、ただ目元を抑えながら安芸は頷いた。きっともう、言葉すら出す事が難しいのだろう。いや、正確には言葉を出す事は出来るのだろうが、口に出してしまうと胸の中で必死に押しとどめている感情も吹き出してしまうから、どうにか押し殺しているのかもしれない。

 真由理の瞼が徐々に降りていき、最後に眼球が志騎の姿を捉える。

『----ああ、くそ。ちょっと悔しいなぁ。もう少しだけ、お前達と、一緒に----』

 最後に彼女が何と言ったかは分からない。声がだんだん小さくなっていき、最後の言葉に至っては聞き取る事すらできなかったからだ。直後、真由理の瞼が完全に降り、志騎が握っていた右手から力が抜ける。確かにあったはずのかすかな体温が失われ、少しずつ冷たくなっていく。

 後ろで安芸が静かに涙を流す気配を感じながら、志騎はただ黙って真由理の手を握っていたが、しばらくして静かに口を開く。

『先生』

『……どうしたの? 志騎』

 涙で目元を腫らした安芸が聞くと、志騎は右手で自分の胸を抑えながら、

『……変なんです。胸が、痛いです。こんな事今まで無かった。これは、一体何ですか? どうして胸が痛くなるんですか? 先生、教えてください。どうして……』

 まだ小さかった志騎は、自分の目の前で起こった事をうまく認識する事が出来ていなかった。だから自分の胸に生まれた痛みの正体が分からず、ひたすら安芸に問い続ける。彼の声音には、今までになかった『戸惑い』という感情が滲み出ていた。

 安芸は志騎に近づくと、しゃがみ込んで彼の体をそっと抱きしめる。しかしそれでも彼の胸から痛みが消える事は無く、ただただ戸惑う事しかできなかった。

 この時、志騎はどうして自分の胸が痛むのか分からなかった。

 だが、今なら分かる。

 あの時自分は、『悲しかった』のだ。

 あの時天海志騎は、初めて人の『死』に直面した。

 生命が失われる瞬間というものを、初めて目の当たりにした。

 きっと、氷室真由理という命が消えたあの時が。

 天海志騎という少年に、『感情』が生まれた瞬間だったのだ。

 

 

 

 その後、真由理の死を見届けた志騎は再び安芸から睡眠薬を受け取り、それを飲み込むとすぐにまた意識を失った。気が付いた時には、自分は真由理がいた病室から今まで過ごしてきた真っ白な部屋のベッドに戻っていた。

 胸の痛みは無くなったものの、その日以来志騎の胸にはぽっかりと穴が空いたような感覚が生まれた。原因を探るために真由理や安芸からもらった本を全て読んでみたが、答えとなりそうな事は何も書かれていなかった。安芸ならば理由を知っているかもしれないと思い、彼女が部屋を訪ねた際に聞こうとしたが、結局聞く事は出来なかった。聞こうとしたそのたびに病室で見た彼女の表情がちらついてしまい、聞く事をためらってしまったのだ。しかし、それで良かったのかもしれないと志騎は思う。もしも尋ねてしまったら、彼女はきっと親友の死んだ時の事を思い出してしまうだろうか。

 そして、運命の日がやってくる。

 いつも通り志騎が部屋にいると、安芸が訪れてこう言った。これからあなたを部屋の外に出す。しかしそのためにはこの部屋にいた時の記憶を一旦封じなければいけないので、今からそれに必要な処置を行うと。

 だが、それを聞いた志騎は、生まれて初めてためらいという反応を見せた。安芸の言う事が本当なら、自分はこの部屋で過ごした記憶を----安芸や真由理と過ごした日々を一旦ではあるが忘れるという事だ。

 それが何故か、この時の志騎には耐えられなかった。例え記憶の封印を行わない事で自分が外の世界に出れなくなったとしても。

 志騎がためらっていると、安芸は彼の目線に合わせてしゃがみ込み、優しい笑顔を浮かべて諭すように言う。

『大丈夫。確かに記憶を封じなければならないけれど、ここで過ごした記憶が消えるわけじゃない。ここでの記憶や生まれた想いは、ずっとあなたの胸の中に残り続ける。それにもう会えなくなるわけじゃないわ。記憶を失っても、あなたはまた私に会える』

『……本当、ですか?』

『本当よ。私と真由理が、あなたに嘘をついた事がある?』

 すると、志騎はためらう事無く首を横に振った。安芸は志騎の頭を優しく撫でると、彼をベッドに寝かせる。そしてアルコールが染み込んで布で彼の左腕の一か所を手早く拭き、注射器の針を刺して中の麻酔液を注射する。直後志騎を睡魔が襲い掛かり、瞼がどんどん重たくなっていく。

『おやすみなさい。また、会いましょう』

 優し気な声と同時に伝わってきたのは、自分の頭を優しく撫でる感触。

 その二つを最後にして、天海志騎という少年の意識は闇に深く深く沈みこんでいく。

 やがて鳥籠の時の記憶を封印された少年は、自らが『先生』と呼んでいた人物と再会したその後一人の少女と出会う事になる。

 三ノ輪銀という、自らのかけがえのない幼馴染となる少女に----。

 

 

 

 

 

 

 志騎が目を覚ますと、検査室の天井の光景が目に入ってくる。ゆっくりと体を起こすと、まだ麻酔が効いているのか少し頭がぼうっとする。と、志騎が起きた事に気づいたのか、志騎に背を向けた状態でパイプ椅子に座っていた刑部姫が振り返った。

「お、起きたか。どうだ気分は?」

 しかし聞かれた志騎は彼女の問いに答えず、刑部姫を眠たそうな目で見ると、彼の口から自然とこんな言葉が飛び出した。

「……博士」

「はっ?」

 思いもよらない言葉に刑部姫はきょとんとした表情を浮かべてから、おかしそうにぷっと吹き出す。

「おいおい、一体どうした。寝ぼけているのか?」

「……ん、そうだな。眠い」

「まだ麻酔が効いているのか。ほれ」

 そう言って刑部姫は何かを志騎に投げた。軽い放物線を描きながら投げられたものを受け取り見てみると、それは缶に入ったココアだった。

「それで少しは眠気も覚めるだろう。飲んでおけ」

「……ああ」

 お言葉に甘えて缶のプルタブを開け、がばりと飲み込む。口の中をチョコレートの甘い味が満たし、糖分が脳に染み渡っていくような感じがする。そのおかげで、眠気が残っていた目がようやく覚めてきた。ふぅと一息つく志騎に、ブラックの缶コーヒーを飲んでいた刑部姫が尋ねる。

「で、どうだ。鳥籠にいた時の記憶を思い出した感想は」

 ベッドに腰かけながら、志騎はついさっきまでの記憶の世界を思い出す。缶にわずかに残っていたココアを一気に飲み干すと、床の一点を見つめながら、

「……確かに、良い思い出だったとは言えないかもしれない」

「だろうな」

「----だけど。忘れたままにはしたくない記憶だった。それだけは、心の底から思うよ」

 予想外の言葉に、刑部姫は面食らったような顔で志騎を見る。だがすぐに「……そうか」とだけ呟くと、缶コーヒーをまた一口すすった。

 やがて志騎に何の異常も無い事を確認すると、二人は検査室を出る。

 すると、検査室の外のベンチで待っていた四人が二人に気づき、心配そうな表情を浮かべた銀達三人組が志騎に近づく。

「志騎君、大丈夫?」

「刑部姫に何もされなかったか? 話すのが辛いなら、場所を変えても良いんだぞ?」

「おい、私が何かをした事前提で話すな」

 ビキビキと刑部姫が青筋を立てるが、当然三人は聞いていない。一方、志騎本人は須美と銀の問いかけに何も答えず、ぼうっとした表情を浮かべていた。

「あまみん、起きてる~?」

 そう言って園子が志騎の目の前でパタパタと手を振ると、志騎は園子に視線を向けながら、

「……起きてるよ。目開いてるんだから、起きてるに決まってるだろ」

 ようやく反応が返ってきたが、どうも志騎の様子がおかしい。上の空というか、反応が少し遅れて返ってきているような気がするのだ。さては……と銀が刑部姫を睨むと、彼女はチッと舌打ちしてから首を横に振る。どうやら彼女の仕業ではないらしい。では、一体どうして……と三人が頭を悩ませていると、安芸が三人に言う。

「志騎の記憶も戻ったようだし、今日はもう帰りましょう。私は一旦神樹館に戻るけど、あなた達は? 折角だし家まで送るけど……」

「いいえ、神樹館まで送ってもらえれば後は自分で帰れます」

 須美に同意するように銀と園子も首を縦に振るが、志騎の反応は無かった。やはり、どうも記憶が戻ってから反応が鈍い。

「志騎、お前はどうする?」

「……ん、ああ。俺も一度神樹館に戻ってから帰るよ」

 心配そうな表情を浮かべた銀が尋ねて、やっと志騎の反応が返ってくる。だが、これでは正直帰り道も心配である。三人は志騎に対して不安を抱きながら、安芸の車に乗せてもらって神樹館に戻るのだった。

 

 

 

 

 

 神樹館に戻った四人は安芸に礼を言い、家への帰路に就く。が、その最中でも志騎は無言だった。目はじっと地面の方を向いており、心ここにあらずの状態だ。そのような状態が続いている志騎を心配したのか、園子が場を和ませるような口調で、

「あまみん、ぼうっとしてちゃ駄目だよ~。下ばっかり向いてたら、アリさんに気を取られて電柱におでこぶつけちゃうよ? とっても痛いよ~?」

「そのっち、ぶつけた事あるの……?」

 しかし、二人の漫才じみたやり取りにも志騎は反応を返さなかった。するとさっきから志騎の様子を黙って眺めていた銀が尋ねる。

「もしかして、お前が取り戻した記憶で何かショックな事とかあったのか?」

 直後、ゆっくりと進んでいた志騎の歩みが止まった。どうやら当たりらしい。図星を突かれた志騎は何も言わずその場に棒立ちになり、三人は何も言わずそんな志騎の姿を心配そうな目で見つめ、沈黙が四人の間に満ちる。

 しばらく四人は無言のまま立っていたが、無言に耐え切れなくなったのか、三人に話すつもりになったのか、志騎がようやく口を開いた。

「……眠ってた時、鳥籠にいた時の記憶を夢で見たんだ。その夢には安芸先生と、博士がいた」

「博士?」

「氷室真由理だよ。俺、あの人を『博士』って呼んでたんだ」

 須美の問いに答えながらも、志騎の視線は三人に向けられてなかった。視線を地面に向けながら、志騎は話を続ける。

「夢に出てきた博士は正直、刑部姫とあまり変わらなかった。口が悪くて、自己中だったけれど……。俺と安芸先生の前だと、すごい楽しそうに笑っててさ。俺に色々な事を教えてくれて、ラーメンも作ってくれた。もうどんな味だったかは思い出せないけど、美味しかったと思う」

「あまみんがラーメンが好きなのは、そのおかげなんだね~」

「きっとそうだろうな」

 志騎は園子の言葉に笑ったようだった。しかしすぐにその笑みは彼の表情から消えてしまう。

「でも、ちょっと最後の辺りでキツイものを見ちゃってな」

「何を、見たの?」

「博士が死んだ時の記憶。ちょうど博士が死ぬ時、俺もいたんだ」

 息を呑む音がちょうど三人分聞こえた。今の志騎の話はつまり、彼はその目で見たという事だ。----自分を生み出した科学者が、自分の目の前で死ぬ所を。

「博士が死ぬ時、あの人の手を握ってんだ。博士が眠ったように目を閉じたら、手がどんどん冷たくなっていって、力がだらりと抜けた。そしたら、胸が急に痛くなった。……あの時はどうして胸が痛くなったのか分からなかったけど、今なら分かる。俺、悲しかったんだ。確かに博士は自己中で口が悪くて、俺や安芸先生以外にはかなり冷たい人だったかもしれないけど……。それでも俺にとっては、俺を作って育ててくれた人だったんだ。……なのにもう、博士とはもう話す事はできないし、会う事も出来ない。その事を無意識に感じ取ったから、あんなに悲しかったんだと思う」

 今志騎のそばには氷室真由理の人格と記憶を受け継いだ精霊、刑部姫がいる。しかし刑部姫はあくまでも氷室真由理の記憶と人格を持っているというだけで、彼女本人ではない。当の本人は志騎と安芸の目の前で死んでいる。それはもう変わる事のない事実だ。

「だからかな。博士が死んだ事を思い出したってのもあるし、人の命が目の前で消える瞬間を目にしたからっていうのもあると思うけど、結構ショックなんだ。……理解してたつもりではあるけれど、やっぱり俺達バーテックスのやった事は重いな。あんな事を、数えきれないほどやったんだから」

 最後の一言を聞いて、須美と園子はようやく気付いた。

 志騎は氷室真由理の命が消えた記憶を取り戻したからショックを受けたのではない。いや、それもあるだろうが、ショックを受けた理由はそれだけではない。真由理という、幼少期の自分にとって大きい存在を失った事で、志騎は酷く動揺したと同時に人の命が失われるとはどういう事かを改めて知ってしまったのだ。そして、過去にバーテックスが数えきれないほどの人達の命を奪ったという事を。

 この前の戦いでバーテックスが犯した罪も奪った命も全て背負うと決めたが、今回記憶を取り戻した事でその罪の大きさと奪った命の多さ、そしてそれらの命が失われた事で流された涙が確かにあったという事を志騎は改めて知った。勇者として戦ってきたが、自分も罪にまみれたバーテックスの一体という事に変わりはない。

 そんな自分に、人の命を護っていい資格などあるのか。今の志騎の胸の中はそんな想いでいっぱいだった。そのせいで周りに対しての反応も鈍く、目の前の事に意識を割く事が難しくなっているのだろう。

 胸の辺りを強く抑えながら志騎は黙り込み、須美と園子も何も言えずにいた。

 が、一人だけ例外がいた。

 その例外は腕を組んで目を閉じながらうーんと唸っていたが、突然目を見開くと、

「----話は分かった!」

 とだけ言い、きょとんとしている須美と園子の横をすり抜け、志騎の右手をむんずと掴む。

「志騎! 今週の休み、あたしの家に遊びに来い!」

 まったくもって何も分からない、銀の提案に、

「………は?」

 志騎は答える事を忘れ、ただ目をぱちくりさせる事しかできなかった。

 

 

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