天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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志「ようやくあらすじに戻ってこれたぜ……」
刑「最近は私だけで回していたからな。正直目が回りそうだったぞ」
志「今回の話じゃ氷室真由理の家、氷室家にまつわる話がちょっと出るみたいだな」
刑「ああ、それが今後どういった意味を持つのか……それはまた今後のお楽しみだな」
志「だな。では第二十四話をどうぞ楽しんでくれ」


第二十四話 命の重さ

 

 

 

「しきにーちゃん!」

「………」

 姉譲りの明るい笑顔を浮かべながら銀の弟、三ノ輪鉄男が志騎目掛けて走る。志騎はしゃがみ込んで彼と目線を合わせると、口元に笑みを浮かべながら彼に尋ねる。

「久しぶり、鉄男。元気だったか? ちゃんと姉ちゃんの言う事聞いてるか?」

「うん! ちゃんと聞いてるよー!」

「そっか。良かった」

 言いながら志騎は鉄男の頭をくしゃくしゃと撫でてやる。彼は照れくさそうにしながらも、満更でもないのかえへへと笑った。

 土曜日の今日、志騎は前に銀に誘われた通り三ノ輪家へ遊びに来ていた。そのため、今日の訓練は安芸に頼んで休みにしてもらっている。休みにしてもらえるか正直不安だったが、意外にも安芸からはあっさりとOKをもらう事が出来た。

 そして今日、遊びに来ているのは志騎だけではない。志騎が彼の頭から手を離すと、二人の様子を見ていた銀が近づいてきて、誰かを紹介するように志騎の後方に右手を伸ばす。

「紹介するな鉄男。あっちのちょっとおっかなさそうなお姉ちゃんが須美! で、あっちのほんわかしてるお姉ちゃんが園子!」

「誰がおっかなさそうよ!」

「乃木さんちの園子だよ~。よろしくね~」

 銀の紹介に須美が不満の声を出し、園子がいつも通りぽわぽわした調子で返事をする。

 そう、今日遊びに来ていたのは志騎だけではなく、須美と園子も三ノ輪家に遊びに来ていた。この前志騎を誘った後、折角だから二人も来なよと銀が誘うと、園子は快諾し、須美も最初は少し行って良いのか迷っていたが、銀と園子に押し切られる形で来る事になった。とは言っても、友達大好きな彼女の事なのでどのみち来る事になるだろうなとは思っていたが。

「ほら、鉄男。自己紹介は?」

 銀が言うと、鉄男は三人の前に立って元気よく挨拶をした。

「こんにちは! 三ノ輪鉄男です! ねーちゃんがいつもお世話になってます!」

「おー、ちゃんと挨拶できて偉いなー! でも最後は別に言わなくても良いだろー!」

「わわっ!」

 弟の頭を少し乱暴にぐしゃぐしゃと掻くが、これぐらいはこの姉弟にとってはいつものスキンシップである。と、そこで志騎はある事に気づき銀に尋ねる。

「そういえば、金太郎は?」

「今寝てるんだ。起こすのも悪いし、あとで見に行って起きてたら連れてくるよ」

 そう言ってから、彼女は鉄男に向き直り、

「よーし! 最近忙しくて中々一緒に遊べなかったら、今日は姉ちゃん達がたくさん遊んでやるぞー!」

 それに鉄男がやったー! と両腕を頭上に上げて嬉しそうな声を上げ、彼を入れた五人は早速遊び始めた。

 とは言っても三ノ輪家の敷地内なので、そこまで大がかりな遊びは出来ない。なので、遊ぶのは基本的に鬼ごっこや影踏み、だるまさんが転んだなどの遊びになった。

 基本的に普段から勇者として鍛えている四人とまだ幼い鉄男では体力に差があるのだが、そこはあえて全力を出すような真似はせず鉄男でも楽しめるように、あえて走る速度を遅くしたりわざと捕まったり、ちゃんと彼も楽しめるように遊びを進めていく。

 が、その中で一人だけ遊びを楽しめていない人物が一人いた。

「………」

 それは無論と言うべきか、志騎だった。五人の中で唯一彼だけは暗い表情を浮かべている。そのような表情を浮かべていては、傍目から見ても楽しんでいない事がはっきりと分かる。

 そんな彼の表情を見ていた銀は、走っていた鉄男に大声で言った。

「鉄男、ちょっとストップ! 何か志騎疲れちゃったみたいだからさ、ちょっと休ませても良いかな!」

「うん、分かった!」

 弟からの返事を聞くと、銀は志騎目掛けてかわいらしくウインクする。志騎はこくりと頷くと、四人から離れて三ノ輪家の縁側に座り、四人が遊ぶのをぼけっとした表情で眺めた。

 しばらく四人は遊び続けていたが、途中で銀がその輪から抜け出した。なんでも金太郎の様子を見に行くらしい。さらに須美もちょっと休憩するとの事で、しばらく園子と鉄男の二人きりで遊ぶ事になった。とは言っても園子は二人になっても相変わらず楽しそうだし、鉄男もまだ体力が有り余っているようなので、二人だけにしておいても問題は無いだろう。

 志騎が自分達から離れていく銀の後ろ姿を見ていると、横に須美が静かに座った。彼女は手でぱたぱたと自分を仰ぎながら、ふぅと息をついて、

「さすがは銀の弟ね。ちょっと疲れちゃったわ」

「それに関しては同感だ。あいつの元気っぷりは姉譲りだろうよ」

 須美の言葉に同意しながら、志騎は園子と鉄男が遊ぶ様子をじっと見つめる。二人はしばらく無言だったが、やがて須美が口を開いた。

「あまり楽しくなさそうね」

「……やっぱり分かる?」

「さすがに、あそこまで見事な仏頂面をされたらね。銀じゃなくても分かるわよ」

 そうか、とだけ言って志騎は再び黙り込む。彼の目は園子と鉄男の二人に向けられているが、彼が本当にあの二人を見ているのか、須美には分からなかった。

「……銀の奴、どうして今日俺を呼んだんだろうな」

「え?」

 突然彼の口から飛び出した言葉に須美は一瞬きょとんとした表情を浮かべる。一方、志騎は戸惑いが強く出ている口調で、

「だって、遊ぶなら別に今日じゃなくても良かっただろ? それに、予定も聞かないでいきなり誘ってきたから、ちょっと戸惑った。まったく、あいつは一体何を考えているのやら……」

 はぁ、と志騎は思考の読めない幼馴染の事を考えながらため息をつく。すると、須美はこんな事を言った。

「私は少し分かるわ、銀がどうしてあなたをここに呼んだのか」

「え、本当に?」

 思いもよらぬ言葉に志騎が少し驚いて彼女の顔を見ると、ええ、と彼女は頷き、

「彼女はきっと、あなたに何かを伝えたくてここに呼んだのよ」

 しかしこれまた予想外の言葉に、志騎は怪訝な表情を浮かべ、

「……? それだったら、別にここじゃなくても良いだろ。学校でも良いし、なんなら学校に行く時や帰る時でも良いはずだ」

「神樹館や学校の登下校の時じゃ伝えられないから、ここにしたんだと思うわ。他の場所じゃない、ここ……銀の家だからこそ伝えられる事。それを伝えるために、彼女は今日あなたをここに呼んだのよ」

 はっきりとした迷いのない断言に戸惑いながら、再び彼女に聞いた。

「じゃ、じゃあ銀は一体何を伝えようとしてるんだ?」

「それはさすがに私にも分からないわよ。でも、銀はちょっとまっすぐすぎる所はあるけど、人の気遣いができる子よ。そんな彼女が有無を言わさずあなたをここに呼んだって事は、きっと志騎君にとってとても大事な事だって私は思うわ」

 むぅ……と須美に諭されて志騎は黙り込んだ。須美の言う通り、銀は確かにまっすぐすぎる所はあるが人の感情を無視するような愚か者ではない。その彼女がわざわざ訓練を休んでまで志騎を三ノ輪家に呼んだという事は、ここでなければならない理由があるのだろう。須美の言う事を信じるとすれば、ここでしか伝えられない事を伝えるために。

(でも、それが一体何だって……)

 と、志騎が頬杖を突きながら再び考えこもうとした瞬間、彼の目に話題の中心である少女の姿が飛び込んできた。

 彼女は両腕に何かを抱えながら、自分達目掛けて歩いてきている。すると、銀が帰ってくるのを確認した園子が、銀の抱えているそれを見て目を輝かせた。

「わ~! 可愛い~!」

 銀が抱えていたのは、彼女の大切な末っ子、三ノ輪金太郎だった。どうやら銀が向かった時にはすでに起きていたらしく、可愛らしい両目をぱっちりと開いていた。

 弟を抱えてきた銀に四人が集まると、銀はふふんと自慢げに鼻を鳴らし、

「改めて紹介するよ。あたしと鉄男の弟、金太郎だ。ほら金太郎、こっちのお姉ちゃん達が園子と須美だぞー」

 銀が二人の紹介をすると、金太郎はぱちりと瞬きをして須美と園子の二人の顔をじっと見つめる。無垢な金太郎の表情に、園子はほっこりとした表情を浮かべ、

「赤ちゃんって、見るだけで癒されるよね~」

「本当ね。もうハイハイできるの?」

「いや、まだ。でももうすぐできると思うよ」

 どうやら初めて間近で見る赤ん坊に、園子も須美もすっかりメロメロのようだ。二人共、自分達を無垢な目で見る金太郎をほっこりとした目で見つめている。と、園子がうずうずとした様子で銀に尋ねた。

「ねぇねぇミノさん。この子抱っこしてみても良い?」

「うん、もちろん……って言いたいところだけど、悪い。少し待って」

 申し訳なさそうに銀は園子に断ると、銀は何故か志騎と向かい合った。

「志騎。抱っこしてみなよ。最近抱っこしてなかっただろ?」

「え、でも……」

 金太郎を抱っこするのは別に初めてではない。たまに三ノ輪家に来た時に、銀に彼の世話を頼まれた事で何回かした事がある。さすがに最近はしていなかったが、やり方を忘れてしまったわけではない。それならば、園子に抱っこさせた方が良いのではないだろうか。

 だが銀は良いから良いからと、金太郎を抱く両手を志騎に伸ばした。抱っこしてやってくれという事だろう。銀の意図が全く分からず、志騎が金太郎を抱こうと両手を伸ばした瞬間。

 彼の脳裏に、バーテックスが食い殺した赤ん坊の映像が一瞬よぎった。

「----っ!」

「しきにーちゃん?」

 突然硬直した志騎を心配したのか、鉄男が志騎に声をかける。が、志騎は今それどころではなかった。

 ----実は今日までに志騎は、バーテックスが大量の人間を殺した時の記憶を眠っている時に数回見ていた。さすがにもう朝早く飛び起きてしまうような事は無くなったが、悪夢を見るたびに志騎の心を少しずつ削り取っていった。そして記憶の中には、まだ小さい赤ん坊をバーテックスが食い殺すものもあった。----ちょうど、目の前の金太郎と同じぐらいの年頃の、赤ん坊を。

「…………」

 額から冷たい汗が流れて、両手で震える。

 夢の中の赤ん坊は、自分が直接殺したわけではない。 

 それでも、彼の中のバーテックスの細胞が、彼にバーテックスが犯した罪の記憶を悪夢という形で伝えてくる。お前もそのバーテックスと同じなのだと、告げるように。

 そう考えるだけで、自分の両手が真っ赤な血で染まっているように見えてくる。そんな汚れた手で、目の前の命を抱いて本当に良いのだろうか。それは果たして、許される事なのか。

 金太郎を前にして志騎が動きを止めていた時。

「志騎」

 目の前の少女から、柔らかく優し気な声が聞こえてきた。志騎が顔を上げると、彼女はまるで聖母のような優しい目で志騎をまっすぐ見つめていた。まるで、心配する必要なんてないんだよ、と言外に伝えるように。

「お前のその手は、人を傷つけたり、殺す手じゃない。----人を護る手だ」

 そう言われ、志騎は自分の両手を見つめる。そして、意を決して唇をぐっと噛み締めると両手を伸ばす。

 正直、迷いはある。

 だけど、彼女の言う事なら、不思議と信じられるような気がした。

 まるで壊れ物を扱うように、銀から金太郎の小さな体をそっと受け取る。抱いた金太郎の暖かい体温が、両手に伝わってくる。そして抱いた命の重さは、今の志騎にはとても重く感じられた。

 志騎が金太郎の顔を見ていると、金太郎が志騎の顔を見上げてにっこりと笑いながら手を伸ばしてきた。

 腕に伝わってくる命の温かさと重さ。

 そして金太郎の笑顔。

 志騎の肩がかすかに震えだし、彼の顔を弟と同じように見上げた鉄男が心配そうに聞いてくる。

「にーちゃん、どうしたの? お腹痛いの?」

 彼がそう聞くのも無理はないだろう。

 志騎は、今にも涙をこぼしそうな表情で肩を震わせていた。しかし涙を一滴も流す事無く、唇を噛み締めながら震える声を出す。

「……なぁ、銀。俺さ、初めて知ったよ。命って……こんなに、重くて、温かいんだな……っ」

 今まではなんとなく抱いてきたせいで、その重さと温かさを知る事は無かった。

 だがこうして自分はバーテックスだと自覚をし、奪ってきた命と罪を背負うと決めたからこそ、命の温かさと重さを知る事が出来た。それは皮肉としか言いようが無いだろう。

 それに、こうして命の重さと温かさを知ったからと言ってバーテックスの罪が消えるわけではない。

 奪われた命が帰ってくるわけでもない。

 それどころか、さらに志騎の背負っているものが重くなっただけだと言える。

 それでも、彼は決めた。

 例え奪った命の重さと罪を全て背負っても、人を護ると決めた。

 もう逃げないと、決めた。

 だったら、たとえ苦しくても、罪を背負って戦い続けなければならない。

 それが----天海志騎という少年が決めた道なのだ。

 改めてそれを自覚し、志騎は泣き出しそうな笑顔を浮かべながら両手の中を金太郎をあやす。

 そんな志騎に、銀はただ優しい声音でそっかとだけ返した。一言だけではあったが、今の志騎にはそれだけで十分だった。

 そして、志騎を見ながら銀と須美、園子は優しい表情で志騎を見守りながら、思う。

 前に志騎は自分がいつの日か心までバーテックスになってしまうのではないかという不安を抱いていた。実際以前の志騎ならば、いつの日か本当に心までバーテックスになってしまっていたかもしれない。

 だが今の志騎は知っている。

 自分の両手にある命の重さと、温かさを。

 それを忘れない限り、志騎はきっとバーテックスになどならない。

 それだけは、確信する事が出来た。

 一方、三人が優しい目で志騎を見守る中、蚊帳の外状態の鉄男だけは心配そうに志騎を見上げている。

 唯一、金太郎だけが明るい笑顔を浮かべながら志騎に向かって小さな手を伸ばしている。

 その後、表情が少し明るくなった志騎は四人と再び遊び、夕方五時になり三ノ輪邸を去る時に鉄男とまた今度遊ぶ約束を交わすのだった。

 

 

 

 

 

「おいおいおいおい志騎! どういう風の吹きまわしだ? 今日はやけに豪勢だなぁ! ピーマンも無いし」

 その日の夕食、いつも通りちゃっかり食卓の席についている刑部姫がテーブルに並ぶメニューを見て目を丸くした。今夜のメニューはほかほかの白米、人参やネギ、油揚げなどたくさんの具が入った味噌汁、メインはから揚げにそれを包むキャベツ。しかしいつもの食卓との違いは、食卓の場に安芸が嫌いなピーマンが一切入っていないという事だった。

「別に今日ぐらいは良いだろ? お代わりもあるから、たくさん食べて良いぞ。ま、今日限りだがな」

 とどこか機嫌が良い志騎をじっと刑部姫は凝視すると、不意にこんな事を口にした。

「……三ノ輪銀と、何かあったか?」

「……本当、よく分かるねお前」

 ここはさすがは遺伝子上とはいえ、志騎の母親といったところだろうか。ほんのささいな変化も見逃さないとは、腹立たしい事に天才の名は伊達ではないという事か。志騎が肯定すると、刑部姫は少し苛立ったような口調で、

「……まぁいいや。気に食わないが、あの小娘のおかげでお前の機嫌が良くなり、今日のおかずがから揚げになったのは良い事だ。今度礼にあいつの顔面にケーキをぶん投げ、鷲尾須美にアメリカ、イギリス、フランスの戦車の模型を片っ端から送ってやるとしよう」

「おいやめろ馬鹿。あと箸をかじるな。行儀が悪い」

 礼にケーキをぶん投げるというのがこの精霊の性格のねじ曲がりっぷりを見事に表現しているし、須美に至っては完全に嫌がらせである。もしもそんな事が本当に起こった暁には、須美と刑部姫の殺し合いが本当に始まりかねない。自分の親友と遺伝子上とはいえ自分の母親が殺し合う姿など見たくも無いので、それだけは本当にやめて欲しいと志騎は心の底から思った。ちなみに何故アメリカ、イギリス、フランスをチョイスしたかは調べればすぐに理由が分かる。

 一方、二人がそんな会話をしている横で何故か安芸は感極まった表情を浮かべていた。それが気になった志騎が安芸に尋ねる。

「安芸先生、どうしました? もしかして、具合でも悪いんですか?」

「ああ、気にしなくていいぞ志騎。単にピーマンが入っていないから嬉しくてたまらないだけだ」

「………」

 どれだけピーマンが嫌いなのだ、この女教師は。まぁ自分も今までピーマンを欠かした事は無いから、この反応も仕方ないかもしれないが、正直もう何年もピーマンを出しているのだからいい加減慣れて欲しいというのが本音だった。

 そしてようやく三人はいただきますと両手を合わせると、食事を開始した。から揚げを半分ほどかじり、その味に心の中でうまいと声を上げる。自画自賛かもしれないが、から揚げを食べたのは大分久しぶりだし、から揚げの出来も良かったのでこれは仕方のない事だろう。今度コロッケやカツを作ってみるのも良いかもしれないな、と志騎は思った。

 と、そこで志騎はある事を思い出してもぐもぐと白米を口にかき込んでいる刑部姫に尋ねる。

「なぁ、刑部姫。一つ尋ねたい事があるんだけど」

「む、私のスリーサイズ?」

「黙れドラム缶。鳥籠にいた時の事なんだけどさ、お前……正確には氷室真由理だけど、やけに旧世紀の外国に詳しかったよな。なんであんなに詳しかったんだ?」 

 四国以外の日本はおろか、外国にまでウイルスが蔓延し、四国しか人類の生存圏が存在しなくなってから約三百年ほどの年月が経つ。それほどの長い時間が経てば過去の外国の言葉や文化などはもうとっくに忘れ去られているし、それらを記した書籍もすっかり姿を消してしまっている。唯一英語だけは中学校などで教えられているが、それらはもうすでに実用性皆無の、教育のために使われる道具に成り下がってしまっている。なので、この四国で外国文化や言葉に詳しい人間はほとんどいないと言っても良い。いるとしたら、相当のもの好きか旧世紀の事を調べている歴史学者になるだろう。

 しかし刑部姫は----氷室真由理は鳥籠にいた時から、やたらと外国文化に詳しかった。ドイツ、イギリス、アメリカ、フランス、さらには滅多に聞いた事のない外国の言葉や文化までを彼女は網羅し、自分に教えていた。この神世紀では間違いなく役に立たない知識だろうが、逆に言えば何故あれほどの知識や文化を彼女は知っていたのか、それが志騎には気になったのだ。それらを記した文献などは、今や図書館などにもないはずなのに。いくら天才の彼女でも、元となる文献が無ければ知る事は出来ないはずだ。

 それに対する、白米とから揚げをめいっぱい口に詰め込んだ刑部姫の返答は。

「ふぉふぇは、わふぁひふぉふぉふぇんはふぁふぁふぁっふぇいふぇ……」

「口の中のものを飲み込んでから喋れ」

 こめかみに青筋をわずかに立てると、さすがの刑部姫もまずいと思ったのか言われた通りにごくんと口の中のものを飲み込むと、ようやく説明をし始めた。

「それは私の……氷室家の先祖の関係だ。そう言えばお前には先祖の事を話した事は無かったな」

「ああ。鳥籠にいた時の記憶の中にも、教えられた事は無かった」

「ふむ。では良い機会だし教えておくか。そもそも氷室家のルーツは約三百年前のある男から始まっている。そいつはジャーナリストをしていたらしくてな、仕事で神奈川県からこっちに来ていたらしい」

「かながわ県?」

 刑部姫の口から飛び出した件名に、志騎は眉をひそめた。生まれてから九年経つが、そのような県名を聞いた事は一度も無い。

「旧世紀に日本の関東地方という場所にあった県らしい。男はそこで生まれたようなんだが、仕事の関係でこっちに来ていた時にウイルスとバーテックスが発生し、神奈川県は他の都道府県と同じように壊滅、帰るに帰る事が出来なくなったという事だ」

「……そうか」

 それを聞いて、志騎の表情が少し暗くなる。それに自分が関わっていないとは頭で分かっていても、やはりバーテックスのせいで帰る街も帰る家も無くなってしまったという話を聞くのは辛い。

 刑部姫は落ち込む志騎の顔をちらりと見てから、話を続ける。

「で、その男はジャーナリストというだけあってかなりの本の虫のようでな。私の実家には離れがあるんだが、そこには昔から男がため込んでいた本や手帳などがぎっしりと詰め込まれていたんだ。その中にはお前に話した外国に関する本などもあってな、幼い頃の私にはまさに宝の山だったよ」

「私も一度行った事があるけれど、本当にすごかったわ。小さい図書館だったみたいもの」

 刑部姫に同調するかのように、安芸はそう言った。どうやら刑部姫----氷室真由理を読書好きにしたのは、家のそういった環境が大きいようだ。

「あれ? でもその本って三百年前からあるんだよな。よく読める状態で保存されてたな」

「私の一族は結構マメでな。おまけに三百年前からの本となると、貴重な歴史上の財産と言っても過言じゃない。年に数回か家族総出で本の手入れを行ってたんだ。私もそういった本が失われるのは避けたいから、家族と一緒にやってたよ」

「たまに私も巻き込まれたわね。掃除が終わると、あなたのお母さんがジュースをご馳走してくれたの、覚えてる?」

「当然だ」

 当時の事を思い出しているのか、安芸はいつになく楽しそうだった。刑部姫の方も満更ではないようで、口元にうっすらと笑みを浮かべている。と、そこである事が気になり刑部姫に尋ねる。

「そういえばさ、お前のお父さんとお母さんって、まだ元気なのか?」

「ああ、元気だぞ。まだ二人共五十二ぐらいだったと思うから、まだまだこれからも生きるだろうな」

「そっか。……どんな人達なんだ?」

 氷室真由理という人間を育て上げたからには、二人共さぞ多大な苦労をしただろう。それとも、蛙の子は蛙ということわざの通り、両親共々性格に難があったのだろうか。

 すると志騎の考えを見透かしたかのように、

「私から見ても、『善人』だ。悪い事は悪いと断言し、常日頃から善を尊び、神樹を敬いながら生きていたよ。我ながら、よくもまぁあの夫婦から私のような人格破綻者が生まれたものだとつくづく思う」

「……仲、良かったのか?」

「どうだろうな。私から見たらそんなに険悪というわけでもなかったから、それなりの関係は築けていたとは思う。----だがまぁ、そうだな。客観的に見ても父親と母親は私の事を愛していたし、いつも真正面から私の事を見てくれていたとは思う。そこまでしてくれてたのは、あの二人以外だと恐らく安芸ぐらいだな。……正直な所、よく私のような人間を見放さなかったものだ」

 はっ、と鼻で笑いながら刑部姫は自嘲するように言った。それは、自分の事を周りとは違う『異常』だとはっきり自覚しているような言葉だった。周りの刑部姫----氷室真由理に対する反応は彼女自身の態度もあるかもしれないが、やはり彼女が生まれつき持つ才能も大きかったに違いない。そのせいで彼女は幼少期から周りと孤立し、唯一の友人と呼べるのは安芸だけだった。

 そう考えると、自分と真由理は少し似ているのかもしれない。

 他者を凌駕する才能を持つがゆえに、周りと孤立していた真由理。

 バーテックス・ヒューマンという特殊な生まれゆえに、生まれで言えば周りと孤立している自分。

 唯一の違いを上げるとするならば、彼女は周りとの絆をさほど必要とせず、自分は三ノ輪銀達との絆を求めたという所か。

 安芸という例がいる以上、彼女も絆を全く必要としていないわけではないだろうが、それでも他者と比べると積極的に絆を作ろうとしていないのは明白だ。正確には、作ろうとしていないのではなくその才能ゆえに作れないのかもしれないが。

 ----どんな気持ちなのだろう。

 自分を『天才』と称しながらも、その才能ゆえに周りと絆を作る事が出来ず、そればかりか自分を『異常』と自覚する事しかできないというのは。

 もちろん常日頃の刑部姫の言動にも非はあるので、刑部姫は悪くないと言うつもりはない。

 ただ、それでも。

 生まれ持った才能のせいで普通の生活が送れないのは、少し悲しいなと、志騎は思った。

「どうした、志騎? 突然黙って」

 突然黙り込んでしまった志騎の様子を訝し気に思ったのか、刑部姫が志騎の顔を下からのぞき込む。そこで我を取り戻すと、考え込んでいた事を誤魔化すように何とも無さそうに振る舞いながら、

「何でもない。それより、氷室真由理の両親はお前が死んだ事は、やっぱり……」

「ああ、知ってる。二人共私が死んだ事を知った時、泣いてくれたらしい。まったく、私にはもったいない親だよ」

「だけど、お前は氷室真由理の性格と記憶を受け継いでいるんだろ? 会いに行かないのか?」

「私はあくまでも器だ、氷室真由理本人じゃない。大体、死んだはずの娘の記憶と性格を持った器が会いに行っても、混乱するだけ----」

 と、何故か途中で刑部姫の言葉が止まった。箸を持つ手が空中で止まり、視線が虚空を睨んでいる。突然動きを止めた彼女に、志騎と安芸は怪訝な表情を浮かべながら彼女の視線の先を追う。しかしそこには何もなく、刑部姫がどうして動きを止めたのかは分からなかった。

「おい、どうしたんだよ」

「……いや、死んだはずの娘、という言葉でな。昔父親から聞いたある話を思い出した」

「あなたのお父さんから?」

 ああ、と刑部姫は頷き、

「本当に私がまだ子供の時に聞いた話だが……。氷室家の祖先の男の話はしただろ? バーテックスとウイルスが発生してから男は香川県に住み、ある女と結婚して子供を成し、それが氷室家になったわけなんだが……その女との出会いがなんでも病院らしい」

「病院で?」

「そうだ。男は病院でその女と出会い、交流を始めたらしい。女はどうも精神の病にかかっていたらしくてな、最初はかなり酷かったようだが男との交流を得て回復していき、ついには日常生活に問題が無いレベルまで治ったそうだ。それから二人は結婚、子供を成した」

「そんな話、聞いた事が無い……」

「無理はないさ。私も今まで思い出さなかったし、氷室家に伝わる伝説のようなものだからな」

 氷室家と交流があったはずの安芸でさえ知らなかったという事は、刑部姫の言った通り彼女の家だけに伝わっている話なのだろう。刑部姫は両手を組むと、テーブルの上に肘を乗せて、

「だが本題はここからだ。精神の病は治ったものの、子供を産んでから女の体調は少しずつ悪くなっていたらしい。元々体の方も弱っていたようだし、それが限界に近づいていたんだろうな。そして死の間際、女は男に遺言を残した。……『あの子に、ごめんなさいって伝えて』と」

「あの子?」

「なんでもその女は男と出会う前に他の男と結婚していたようでな、そいつとの間に娘がいたようだ。だが男との関係がうまくいかなくなり、別れようにも子供の親権などの関係で別れる事も出来ず、それで娘の存在を心から邪魔だと思ったようだ」

「……身勝手ね」

「同感だ」

 吐き捨てるような安芸の言葉に、刑部姫も頷く。言葉に出さないが、志騎も同じ気持ちだった。自分達が原因のくせに、自分達と血の繋がった娘を邪魔だと思うなど、人間としてどうかしているとか言えない。

「だがまぁ女の方は先祖の男との交流で大分性格が良くなったみたいでな、たまに娘への懺悔の言葉を口にしていたらしい。自分はあの子に、親らしい事をまったくしてやれなかった。もう遅いけれど、それだけが心の底から申し訳ないってな。その償いというべきか、先祖の男との間の子供達には精いっぱいの愛情を注いだようだ。そして死の間際、男に言ったんだ。『あの子に、ごめんなさいって伝えて。親らしい事ができなくて、本当にごめんなさい』ってな。それを最後に、女は息を引き取ったというわけだ」

 話が終わると、さっきまでは明るかったはずの食卓の場が一気に重苦しくなってしまった。まぁ、このような場で明るく食事をする奴がいたらぜひともお目にかかりたいものだ。空気を読んでから、流石の刑部姫もさっきまで平らげていたから揚げには目もくれず肘をつきながらテーブルの一点を見ている。

「……その娘には、伝えられたのか?」

「いや、そもそも生きているかどうかすら分からなかったらしい。祖先も娘を捜したが、ついに見つからなかったようだしな。名前も流石に伝わっていなかったし、天寿を全うしたのか、それとも何らかの原因で祖先が捜し始めた時にはもう死んでいたか……。私が父親から聞いた話だけでは、何も分からん」

「でも、口伝があるって事は、それの元になった文献がどこかにあるんじゃない?」

「そう思って私も離れにあった本を点検しながら読んだが、どこにも無かった。私の知らない場所にあるのか、それともとっくに紛失したのか……。真相は全て闇の中だ」

「そう……」

 話が打ち切られ、食卓に再度沈黙が下りる。志騎は刑部姫から聞いた話を頭の中で咀嚼しながら、ぽつりと呟く。

「……でも娘って事は、俺達とも少なくとも血が繋がってるって事だよな」

「父親が違うし、三百年ほど経っているが、まぁまったくの他人ではないだろうな。それがどうしんだ?」

「いや、って事は、俺達にもどこかその娘と似ているようなところがあるのかなって思って」

 すると刑部姫は興味深そうに顎に手をやりながら、

「ふむ、確かにそうだな。血は薄れているが、どこかが似ていても不思議じゃない。例えば顔だったり、身体的な特徴だったり……」

「あとは特技とかか……。ゲームが得意だったり?」

「ああ、それはあるかもな。私もゲームは好きだし得意だ」

「うわ、最悪……」

「おいそれどういう意味だ」」

 変な所で彼女と得意な所がかぶり、志騎が呻くと刑部姫がじろりと半眼を志騎に向ける。と、それまで二人の会話を聞いていた安芸がパンパンと両手を打ち鳴らした。

「はいはい、話はそこまでにしなさい。ご飯冷めるわよ」

「むぅ……そうだな。おい志騎、この後ゲームやるぞ。ゲーム機持ってるからお前の部屋のテレビ貸せ」

「ええ……。別に良いけど、何やるんだよ……」

「戦闘機を操って敵戦闘機を打ち落とすフライトシューティングゲームだ」

「嗜好までほとんど同じかよ。血の繋がりって、予想以上に怖いものだな……」

 はぁ、とため息をつきながら志騎は食事を再開する。

 その後、志騎と刑部姫の二人は彼女が持ってきたゲーム機でペアを組んでゲームを行い、二人して無傷で敵戦闘機を全滅させるのだった。

 




今回出てきた娘の正体に繋がる恐れがあるため深掘りはできませんが、今回出てきた娘と氷室真由理の顔はかなりそっくりです。唯一の違いは目つきぐらいで、真由理の場合は娘よりも若干鋭いです。
志騎の顔は、自分の中ではその娘の顔を中性的な少年のようにしたイメージです。

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