天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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第三十四話 Wは語る/もう一人の勇者

「もう一人の、勇者?」

 銀が言った言葉を、友奈は目を見開いて繰り返す。うん、と銀は頷いて、

「名前は天海志騎。天空に海、志の騎士で天海志騎。アタシ達と一緒に戦った四人目の勇者。で、アタシの幼馴染」

「幼馴染……だったんですか」

「うん。アタシが小学校に入る前に家の近くに引っ越してきたんだ。それから、ずっと一緒だった」

「じゃあ、私にとっての東郷さんみたいなものかなぁ?」

「あはは、うん。それで合ってると思うよ」

 銀は笑いながら友奈の言葉を肯定する。友奈にとっての東郷という事は、きっと二人共相当に仲が良かったのだろう。それこそ、親友と呼べるぐらいに。

「アタシが園子達と知り合ったのは勇者になってからだったから、付き合いだったら志騎の方が長かったと思う。まだ小さかった時は、それこそあいつの手を引いて色々な場所を走り回ったよ。それで二人共泥だらけになって心配されたり、一緒に弟の世話をしたり。ま、本当色々な事をしたよ」

「そうだったんですか。……どんな人だったんですか、天海さんは?」

 幼馴染の事を語る銀が楽し気に見えて、それにつられて東郷も口元に笑みを浮かべて尋ねる。

「見た目はちょっとクールだったけど、結構ノリの良い所もあったよ。小学校の時にやったレクリエーションなんか、怪獣のハリボテ作ってきてさ。それが良い出来で、下級生の子達全員怯えちゃって。あと、料理なんかも得意で、洋食とかが特に上手だったなぁ」

「へぇ、素敵なお嫁さんになれそうな人だね!」

 友奈としては純粋に褒めたつもりだったのだが、銀は何故か口をぽかんと開けてから、何故かおかしそうに笑い始めた。

「ど、どうしたの?」

 突然笑い始めた銀を心配そうに友奈が見つめると、銀は手をひらひらとさせながら、

「ああ、ごめんごめん。説明するの忘れてた。志騎は男なんだよ」

「「えっ?」」

 銀の口から飛び出した予想外の言葉に、友奈と東郷は二人揃って目を丸くして声を上げる。すると二人のそんな様子がさらにおかしかったのか、銀はさらに笑う。しかし、正直これは友奈と東郷がそのような表情を浮かべてもおかしくないはずの情報だった。

「どういう事ですか? 勇者は女性にしかなれないはずでは……」

「う、うん。私達も、園ちゃんからそう聞いたけど……」

 園子に会った時、彼女はこう言っていた。

 いつの時代も、神様に見初められて供物となったのは無垢な少女達。穢れ無き身だからこそ、大いなる力を宿せる。そしてその力の代償として体の一部を供物として神樹に捧げる。それが勇者システムの正体だと。

 だが今銀は、自分の幼馴染であり四人目の勇者である人物、天海志騎は男性と言った。それでは勇者になれるはずがないし、園子の話にも矛盾が生じる。一体、どういう事なのか。

 すると先ほどまで笑っていた銀は笑みを消すと、真剣な口調で友奈と東郷に言う。

「……簡単だよ。志騎が勇者になれた理由。それがアタシがここに隔離されてる理由であり、大赦が絶対に隠しておきたい秘密なんだ」

 つまり彼女が天海志騎について話したのは、その秘密に対しての前置きでもあったらしい。友奈と東郷が改めて銀の話を聞く体勢になると、銀は静かに続けた。

「……志騎は、大赦のある計画で作り出された存在だったんだ」

「ある、計画……? それって、何なんですか?」

「V.H計画。正式名称は、バーテックス・ヒューマン計画」

 東郷の質問に対しての銀の返答は率直なものだった。計画の名前からでは想像もつかないが、バーテックスという自分達の敵の名前がつく以上、まともな計画とはとても思えない。まぁ、満開と散華からしてまともとは到底言えないのだが。

 計画の内容について二人が聞くよりも先に、銀が計画について話し出す。

「今から数年前にある科学者が考えた計画だ。実は勇者がバーテックスを倒せるようになったのは、つい最近の話なんだ。私達の時は撃退は出来ても、バーテックスの御霊を破壊して倒す事はできなかった」

「確かに、園ちゃんも言ってた。追い返すのが精一杯だったって」

 友奈の言葉に、銀は頷きながら、

「バーテックスを何の犠牲もなしに全て倒すためのは不可能。そこでバーテックスを人を殺す最強の兵器だって考えた科学者は、ある事を考えた。相手が最強の兵器なら、こっちもバーテックスを倒すのに特化した勇者……それもただの勇者じゃない。最強の兵器であるバーテックスの力を持った、いわば兵器として特化した勇者を自分達で作って戦わせれば良いってね」

 銀の口から出た計画に、友奈と東郷は思わず目を剥く。二人がどのような反応をしたのか感じ取ったのか、銀は苦笑し、

「アタシ達も最初計画の事を知った時、思わず似たような反応をしたよ。だって、頭おかしいもんな。バーテックスを倒すために、相手と同じ力を持った勇者をわざわざ作り上げるなんて。……でも、その科学者は計画を実行した。バーテックスの細胞を手に入れて、それに自分の遺伝子を組み込んで研究をし続けた。それでついに、人間の形をしたバーテックスが生まれた。……それが天海志騎。アタシの幼馴染だったんだ」

 明かされた真実に、友奈と東郷は口を挟む事が出来ない。それも当然だ。その科学者が行ったのは、人が生命を作り出すという禁忌の所業。それもただの生命ではなく、バーテックスを殺すのに特化しているとはいえ敵と同じバーテックス。確かにこれは、外に漏らしてはならない情報だろう。

「で、志騎は記憶を封印されてアタシ達と一緒に戦ってきたってわけ。……でも二年前、事情が変わっちゃった」

(……二年前?)

 その年数に東郷は思わず動揺し、横にいた友奈もちらりと東郷の方を見る。しかし銀の話の腰を折るのもはばかれるので、二人はとりあえず話の続きを聞く事にする。

「二年前にバーテックスの大群との戦闘が起こってね。あたし達三人は満開を繰り返しながら戦って、志騎も全力で戦ったんだ。……大橋の事は知ってるでしょ? あれはその時の戦いで壊れちゃったんだ。……で、戦いの中であたしと志騎以外の二人が戦えなくなって、アタシは志騎に気絶させられちゃってさ、泣く泣くリタイアになった」

「気絶させられたって、どうして……?」

 友奈が聞くと、銀は悲しそうに俯きながら、

「……多分アタシを、これ以上戦わせたくなかったんだろうな。アタシも結構派手に戦ってこんな風になっちゃったけど、あれ以上戦ってたらこれじゃあ済まなかったかもしれない。友奈達と話す事も、話を聞く事もできなくなってたかも」

「じゃあ、天海さんは、あなたをそれ以上戦わせないために……?」

「ああ。……で、アタシを気絶させて、志騎はその場に残った。それでずっと戦い続けて、アタシ達と四国を守ってくれたんだ。……自分が死ぬ時まで」

「………!」

 最後の言葉に、二人の表情が凍り付く。

 それはつまり、志騎はもうこの世にはいないという事だ。彼は、自分の命と引き換えにしてこの世界を……大切な人達を、護り切ったのだという事を意味していた。

 二人が思わず黙り込んでいると、ギリ、と音がした。

 銀が、砕けんばかりに奥歯を噛み締めた音だった。

「……でも大赦は、志騎が死んだ途端志騎の存在を隠したんだ」

「そんな、どうして!? だって彼は、四国を守ったのに!」

「簡単だよ。志騎はバーテックス・ヒューマン計画で作り出された人間だ。そんな事がバレたら、四国の人達が一斉に大赦を怪しがる。下手したら、バーテックスの事もバレるかもしれない。だから大赦は、志騎の存在を隠したんだ。……結局、葬式すら挙げられなかった」

「……酷いよ、そんなの……」

 命を懸けて戦ったのに、それすら知られる事無く抹消された勇者。大赦の彼に対する仕打ちを聞いて、友奈は思わず大赦に対しての怒りと死んでしまった志騎に対しての悲しみを同時に覚えた。

「でも、そんな事乃木さんは一言も言ってなかった。どうして……」

 が、そこまで言ったところで東郷はどうやら気づいたらしい。はっと目を見開き、唇を震わせて銀の顔を見る。銀は悲しそうに口元を歪ませて、

「そう。散華だよ。何回も満開をして、園子は志騎に関する記憶を全部失ったんだ。……あれだけ友達想いだった園子が志騎の事を忘れたのを見た時は、本当信じられなかったよ」

 友達想いだったというのは間違いない。実際彼女は、二年間会えていなかった友達の事をずっと案じていた。恐るべきは、その彼女の記憶から特定の友人の記憶だけを消し去った神樹の力と言うべきか。

 だが、銀の口から告げられる残酷な話はまだ止まらない。

「けど、本当に吐き気がしたのは、志騎の最期について知った時だった」

「……どういう、意味ですか?」

 今聞いた話以上に、悪い事があると言うのか。東郷が尋ねると、銀は落ち着いた声で言った。恐らく何も感じていないのではなく、感情的にならないように自分を必死に落ち着かせているのだろう。

「志騎はバーテックスを殺すために作られた兵器だ。だから、赤ちゃんの頃から体を色々と弄られてきたらしい。でもその代わり、志騎は普通の人ほど長く生きる事ができなくなった。どんなに手を尽くしても、ニ十歳ぐらいまでしか生きる事ができなかったんだ」

「………!」

 驚きで目を見開く東郷と友奈に、銀はそれだけじゃないと言って、

「戦いが終わった後は兵器は当然不要になる。……バーテックスとの戦いが終わるか、志騎がもう戦わないと判断した時、志騎は廃棄処分される事になっていたんだ」

「廃棄、処分?」

 唖然とした表情で東郷が呟く。友奈も、東郷の隣で同じような表情を浮かべていた。

 処分。とても人間相手に使うような言葉ではない。しかし志騎に対してそのような言葉が使われていたという事は……、大赦は、志騎を最初から人間扱いしていなかったという事になる。それこそ、まさにバーテックスを殺すための道具としか思っていなかったとしか思えない。

「そんな……そんなの……」

 友奈が震える声で呟き、その呟きが途中で途切れる。けれど東郷には、友奈の言葉の続きが分かった。

 それでは、あまりに報われない。

 その天海志騎という勇者とは会った事はないけれど、その人だって兵器として戦ってわけではないはずだ。使い捨てられるために生きていたわけでないはずだ。きっと大切な友達と生きていくために、この国に生きる大切な人達を護るために戦ってきたはずだ。

 なのに彼にあったのは短命という望まぬ運命と、戦いが終わっても、やめようとしても処分されるという、あまりに救いのない結末。それではまるで、大赦の都合で生み出されて、大赦の都合で殺されたのと同じではないか。

 そしてそんな事を大赦がするはずがないと、少し前までの自分達ならば信じられなかったかもしれないが、今は違う。満開の秘密を大赦が黙っていた事を知った今では、正直やりかねないという気持ちが二人の胸中に渦巻いていた。

「それを聞いて、あの時は本当目の前が真っ赤になったっていうか……。初めてだったよ、心の底から人を憎むのも、目の前の人間を殺してやりたいって思ったのも。ま、こんな体なわけだし、結局できなかったんだけどね。それからアタシは唯一志騎の事を知っている勇者になったから、外に出られないようにここで閉じ込められて、勇者のための端末も回収、改造されて別の勇者の手に渡ったってわけ。動くの好きだったから、さすがに二年近くも閉じ込められるのはさすがに死ぬほど暇だったけど、今日は楽しいかな。友奈と東郷さんってお客さんが来てくれたわけだし!」

 銀の口調は明るいが、もう二人には分かる。

 彼女はあえて明るく振舞っているが、心には深い絶望と悲しみが広がっている。大切な友人二人とは会えず、幼馴染は死に、自分が得たものは不自由な体。今死ぬほど暇だったと言っていたが、恐らくそれは冗談ではない。体が不自由になって二年間、きっと何回も死にたいと思ったはずだ。

 だからこそ、悲しい。

 彼女の口調から、かつてはとても明るくて笑顔が似合う少女だったという事が分かる。……例え彼女と友人だった記憶が無くても、彼女と過ごした記憶が無くなっていても、それだけは分かる。

 なのに、そんな少女が絶望を抱いたまま二年間を過ごし、自分はそれにまったく気づかなかったことが、悔しくてたまらない。園子を目の前にした時と同じ悲しさと悔しさが、再び東郷の心を埋め尽くす。

「ごめんなさい……。私、何も知らなかった……。あなた達が辛い目に遭ってたって事も……。天海って人の事も、全然知らなかった……! ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 涙を流して東郷が頭を下げると、それを目にした銀の声に涙が混じる。

「……良いんだよ。それに、あたしもごめんね。頭を撫でてあげる事ができたら良かったんだけど……アタシ、もう右腕も左腕も動かせないから……」

 それにさ、と銀は言って、

「東郷さんはアタシ達の事を辛い目に遭ったって言ってくれたけど……。正直な話、この体になったのも、まぁそれなりに辛かったけど、……一番辛かったのは、その二人が志騎の事を忘れちゃった事なんだ。別に、二人が薄情者だっていうつもりなんてないよ。今も言ったけど、仕方のない事なんだ」

 でも、と一度言葉を区切ってから、少し俯いて、

「二人共志騎の記憶を失って、大赦の人達も志騎の事を口に出さなくなって、アタシだけが志騎の事を覚えてるっていうのはさ……結構辛いんだよ。確かに志騎……アタシの大好きな幼馴染は、アタシの隣にいたんだ。その志騎の事を誰も知らないって言われるとさ、まるで天海志騎なんて人間は最初から存在しなくて、アタシが勝手に作り出した妄想の幼馴染だったんだって言われてるみたいで……正直、しんどい」

 奇妙な話になるかもしれないが、誰の記憶にも残らない人間は透明人間みたいと言っても過言ではないだろう。例え銀が天海志騎という人間がいたという事を言い張っても、誰もそんな人間はいなかった、そんな人は知らないと言い張ってしまえば、結果的に天海志騎という人間はいなかった事になり、実在しない存在になってしまう。確かにそこにいたはずなのに、誰の記憶にも残らず、気が付くといつの間にか消えていた人間。そして例えその人物に関する記憶を持っていたとしても、誰もそれを認めてくれなければ、自然と本人の記憶からも消えて行ってしまう。それは、消えてしまった人物を覚えている本人からすれば何よりも恐ろしい事に違いない。

 きっと銀は、二年間その恐怖を抱いて生きてきたのだ。たった一人で、いつの日か自分も隣にいた少年の事を忘れてしまうのではないかと怯えながら。日々心を削り取られ、狂ってしまうのではないかと恐怖しながら。自分達の前で明るく振舞っていても、そのような恐怖は隠そうとしても隠せるようなものではない。そして、簡単に癒せるようなものではない。

 じわり、と銀の両目を覆う包帯に涙が滲んだ。それを見て、東郷が声を上げる。

「あ……。包帯、変えましょうか?」

「……うん、悪いけど、お願い」

 銀からの了承を得て、東郷は銀の両目を覆う包帯を丁寧にほどいていき、やがて包帯でほとんど隠されていた彼女の両目と顔が露になる。

 初めて見る銀の顔は、髪の毛が背中まで伸びた可愛らしい少女の容貌をしていた。しかし視覚を失っているせいか両目に光が無く、どこか不治の病を負った病人のような儚さを漂わせている。

「………」

 彼女の顔を見て、東郷は思わず表情を歪める。

 違う、と何故か感じた。三ノ輪銀という少女が浮かべているのはこのような表情ではないと、自分の心とも呼ぶべきものが言っている。彼女にはもっと、他の人を元気づけるような、まるで太陽のような笑顔が似合っているはずだ。そんな笑顔を、自分は見てきたはずだ。

 なのに、思い出せない。 

 園子の時と同じだった。確かに会った事があるはずなのに、思い出す事が出来ない。目の前の少女がどのような人物で、どのような思い出を重ねたのか。絶対に忘れてはならない記憶だったはずなのに、少しも思い出す事が出来ない。東郷が悲しみに沈んでいると、銀が光を失った両目を東郷に向けながら。

「……大丈夫? なんか、悲しそうな感じがするけど……。もしかして、アタシのせい?」

「……っ。いいえ、大丈夫です」

 しかし、銀は誤魔化せなかったらしい。よほど他人の感情に敏感なのか、銀は悲しそうに口元を綻ばせると、

「東郷さんは優しいね。あなたが気にする事じゃないのに……。ごめんね、折角のお客さんを悲しませちゃって。……アタシって、本当昔からそうだ。無駄に明るいのが取り柄で、頭は良くないし、弱っちいし……。アタシがもっと頭が良くて、強かったら、他の二人は今も元気で、志騎だって……」

 彼女の声が沈んでいくと共に、両目から再び涙がこぼれてベッドのシーツに涙の後を残していく。東郷が思わず彼女の涙を拭おうと手を伸ばそうとすると、銀の頭が東郷の肩に乗っかった。

「………アタシさ、志騎の事、好きだったんだよ。友達としてじゃなくて、一人の男の子して」

「……そうだったんですね」

 うん、と彼女は東郷の肩の上で頷いて、

「友達も協力するよってすごくはしゃいでてさ。お役目が終わったら、アタシと志騎との交際計画を立てようとかって話も出て……恥ずかしかったけど、ちょっと楽しみでもあってさ」

 でも、その願いは叶わなかった。

 この世界の運命は、少女の淡い恋心を叶える事すら許さなかった。

「……もう遅いと思うけど、思うんだ。もしも満開の事を知ってたら、志騎の命が短いって事を知ってたら、もっと友達と遊んで、ちょっと恥ずかしいけどデートプランとか立てちゃったりして、それで志騎とデートしたり、もっと四人で、過ごせてたのにって……」

 そこで銀の言葉が止まるが、東郷は何も言わない。ただ相槌を打ちながら、銀の頭を抱きしめて優しく撫でる。彼女の頭が押し当てられた東郷の肩に、彼女の涙のシミが広がっていく。

「……ごめん。ちょっとだけ、泣いても良いかな……」

「……はい」

 東郷はそう答え、銀に感化された友奈は唇を噛み締めながらじっと俯いている。

 何も、言う事が出来なかった。

 ここで銀に、きっと彼女達はあなたがいてくれて良かったと思っていると伝える事ができたらどれほど良いだろう。だが仮に銀にそう言ったとしても、彼女は恐らく納得しない。実際に園子があのような体になったのも、天海志騎という少年が死んでしまったのも彼女のせいではない。だが彼女は友人達が過酷な目に遭ったのを止められず、大好きな幼馴染が死ぬ事も防げなかった。そのような罪悪感の中で二年間も過ごし続けてきたのだ。第三者である自分達が何を言ったとしても、彼女の心の闇を祓う事は出来ない。それをする事ができるのは、会う事すらできない園子か、死んでしまった天海志騎という少年だけだろう。

 自分達には何もできない、という事が友奈と東郷には悔しくてたまらない。

 だからこそ、せめて。

 この時間の中で、東郷に抱き留められている銀の心が、少しでも癒される事を友奈と東郷は神樹に祈った。

 しばらく銀は東郷の肩に頭を乗せていたが、やがてすっと彼女の肩から頭を離し笑う。

「ありがとう。ちょっとスッキリしたよ」

「そうですか。あ、そうだ。包帯……」

「良いよ。しばらくはこのままでいるから。正直、包帯巻いたままだと顔がむず痒くてさ。両腕も動かないから、掻く事も出来ないし」

 銀の言葉に、東郷と友奈が思わずくすりと笑う。軽口を叩けるあたり、どうやら少し気分がスッキリしたというのは嘘ではないらしい。先ほどまで暗かった雰囲気が少し明るくなったと思われた瞬間、病室のドアがドンドンドン! と手荒に叩かれた。

「と、どうやら時間切れみたいだな。二人はもう帰った方が良いよ。もう夜だし、これ以上は刑部姫がキレる」

「そうだね……。東郷さん」

「ええ」

 しかし、名残り惜しいというのが友奈と東郷の本音だった。それは銀も同じだっただろう。

 と、銀はうっすらと笑みを浮かべて、

「……友奈に東郷さん。今日は来てくれてありがとう。こんなに楽しかったのは久しぶりだよ。志騎が死んじゃって、他の二人と会えなくなってから、全然笑ってなかったから……。簡単に会う事はできないと思うけど、できたらまた会いに来てくれると嬉しいかな。アタシ暇だからさ」

「うん! また会いに来るよ! 絶対に!」

「私も楽しかったです。……きっとまた、会いに来ます」

 二人の返答に、銀はにっこりと笑った。しかし直後、彼女の表情が真剣なものになる。それに思わず友奈が戸惑い、銀に尋ねた。

「ど、どうしたの?」

「志騎の事だけ話しておこうかと思ったけど、やっぱり二人には話しておこうと思う」

 そう前置きして、銀は二人にある事を話した。話自体はすぐに終わり、話が終わると友奈と東郷は銀に改めて礼を言い、銀はまた来てねと笑った。そして病室を出た二人はイライラした表情の刑部姫と安芸に合流し、部屋を見張っていた式神を回収してから病棟を出るのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後友奈と東郷は病院を出ると再び車に乗り、讃州市への道路を走っていた。助手席には変わらず刑部姫が座り、運転は女性神官が行っている。しかし来た時と違うのは、友奈と東郷が助手席に座っている刑部姫に二人揃って険しい視線を向けている事だった。

 東郷は刑部姫を見ながら、病室を出る時に銀から伝えられた話を思い出す。

『この話が役に立つかは分からないけど、一応伝えておく。刑部姫には気を許さない方が良い』

 突然そのような事を口にした銀に友奈と東郷は戸惑いながらも、彼女の表情から黙って聞いておいた方が良いと悟り、銀の話に真剣に耳を傾ける。

『一応刑部姫は大赦所属の精霊って事になってるけど、そんなの建前だ。あいつは大赦の味方じゃないけど、勇者の味方ってわけでもない。背中から刺すような奴じゃないけど、誰かの背中に刃物が迫っている事を知ってても、自分に被害が無ければ黙っているような奴だ』

 確かに刑部姫は、最初自分達と接触した時から勇者システムの事を知っていたにもかかわらず、自分達に真実を話さなかった。そういった意味では確かに気を許せない精霊だが、そうするとある事が気になってくる。

『……彼女は一体、何者なんですか?』

 自分達は彼女について何も知らない。知っている事と言えば、非常に優れた知能と凄まじい毒舌を持つ事。そして今聞かされた通り、大赦の味方でも勇者の味方でもないという事。何者にも自分の考え・正体を悟らせない彼女は、一体何者なのだろうか。

『あいつは確かに刑部姫っていう名前だけど、もう一つ名前がある』

『もう一つの名前?』

『そう。その名前は、氷室真由理』

 聞いた事のない名前だった。友奈も東郷も、眉をひそめている。だが銀はその反応を予想していたようで、名前の人物について説明をする。

『氷室真由理は、大赦の科学者の名前なんだ。そしてV.H計画の立案者であり、最高責任者でもある』

『最高責任者……』

 最高責任者という事は、その氷室真由理なる人物が志騎を作ったと言っても過言ではないだろう。しかし、それではある疑問が残る。

『でも、刑部姫のもう一つの名前がその科学者の名前というのはどういう意味なんですか?』

『聞いた話になるけど、氷室真由理は昔病気にかかったらしい。それで自分がいずれ死ぬ事に気づいた氷室真由理は死ぬ前に、自分の頭脳と人格をデータ化して、精霊に移してから死んだんだ。その頭脳と人格を受け継いだのが、刑部姫なんだよ』

『そうだったんだ……』

 精霊としての名前は刑部姫であるが、その精霊は氷室真由理という人物の人格と知能を受け継いでいる。とすると、確かに氷室真由理というもう一つの名前があってもおかしくないかもしれない。明かされた事実に友奈が驚きの声を上げると、銀は険しい表情を崩さず、

『それだけじゃない。V.H計画にはバーテックスの細胞と人間の遺伝子が使われたんだけど、使われた遺伝子は氷室真由理のものなんだ。それらを使って、志騎は作られた』

『……待ってください。それは、つまり……』

 銀の話を聞いて何かに気づいた東郷が青ざめた表情で尋ねると、銀はこくりと頷いた。

『そう。刑部姫----氷室真由理は、志騎のお母さんなんだよ。遺伝子上ではあるけど、ね』

 お母さん。その言葉に、友奈と東郷が目を見開いた。

『で、二年前志騎の精霊は刑部姫だった。そしてバーテックスの襲来の時、アイツは志騎を……自分の息子を、兵器として切り捨てたんだ』

 銀の口調に、先ほどまでは消えていたはずの憎しみと怒りが混じる。ふー、と息を吐いて自分を落ち着かせてから、友奈と東郷に言った。

『気を付けて。アイツとは何回か話したけど、簡単に信用できるような奴じゃない。お腹を痛めていないとはいえ、アイツは自分の息子の志騎すらも切り捨てた。正直大赦よりも、アタシは刑部姫の方が数百倍怖いよ』

 銀との会話を思い出し、東郷はしばらく助手席に座っている刑部姫を睨みつけていたが、やがて微かな怒りを込めて口を開く。

「刑部姫。聞きたい事があるのだけれど」

「何だ?」

 振り向く事すらせず、刑部姫は真正面を向いたまま東郷の言葉に返事をした。

「……三ノ輪銀さんから聞いたわ。かつていた四人目の勇者、天海志騎さんの事を……。そして、あなたが彼を作り出した張本人であり、その人格と知能を受け継いだ存在であることを」

「あの馬鹿ガキ、いくら何でも口が軽すぎるだろう。今度、ホッチキスで物理的に止めるか……」

 チッ、と舌打ちする刑部姫に、東郷が皮肉を言う。

「口が重すぎて、何も大切な事を教えてくれないよりかはマシだと思うわ」

「……今日は随分口が回るな。何が言いたい」

 うんざりとしたような口調で刑部姫が言うと、東郷は膝の上で掌を強く握りしめながら続ける。

「あなた達は、一体何がしたいんですか? 満開の事を黙って勇者を生贄に捧げて、バーテックス・ヒューマンを作り出して、散々戦わせた挙句使い捨てにして……。そんなに、人類の事が大切なんですか? ……天海志騎さんを切り捨てて、乃木園子さんや三ノ輪銀さんの涙を見ても、あなた達は何も感じないんですか!?」

 園子と銀の涙を思い出し、東郷は刑部姫に向かって声を張り上げた。と、そこでようやく刑部姫が振り返って東郷の顔を直視する。彼女の表情を見て、東郷と友奈は自分達の息が止まるのを感じた。

 そこにあったのは、無だった。

 悲しみも、憎しみも、怒りすらも無い。ただひたすらまでに、無感情だった。

「天海志騎が死んで悲しかった。私達も好きでやっているわけじゃない。乃木園子や三ノ輪銀には悪いと思っている。……そう言えばお前達のモチベーションが上がるのか?」

「な、んですって?」

 彼女の言った言葉の意味が分からず、思わず東郷が呟くと刑部姫は無表情を崩さず、

「分からなかったなら言葉を変える。そう言えばバーテックスとの戦いに勝てるのか? 人類を護る事ができるのか? 神樹の寿命を延ばす事ができるのか? それで今いくつも起こっている問題が一気に解決するというならいくらでも言ってやるよ。だがそれでも、問題は何も解決しない。だったら、自分が考えられる限界まで思考する。違うか?」

「……でもそれが、勇者を、彼女達を犠牲にする理由にはならないはずです」

 負けじと東郷が言い返すが、刑部姫はくだらなさそうに鼻を鳴らし、

「よくもそこまであいつらに肩入れできるな。少し前まで、あいつらがあんな目に遭っていた事などまったく知らなかったお前が」

「………っ」

 刑部姫の言葉に、東郷は思わず黙り込む。予想もしなかった方向からの攻撃に東郷が何も言えずにいると、刑部姫はさらに続ける。

「逆に聞くが、どこまでならやって良いんだ? 少女を勇者にしなければ良いのか? 満開をしないようにすれば良いのか? 一応聞くが、この前バーテックスとの戦いの時、満開をしない状態で七体のバーテックスに勝つ事が出来たのか?」

「それは………」

 できた、とは言う事が出来ない。

 実際あの時は、満開の力があって七体ものバーテックスを倒す事が出来た事は事実だ。もしも満開が無い状態で七体のバーテックスと戦っていたら、自分達は敗北し、世界は滅んでいた可能性が高い。

「いくらでも文句を言って良いのは、満開以上に良い案をお前が持っている場合だけだ。あるんだったら聞くが、ないのなら黙ってろよ馬鹿ガキが」

「………っ」

 あまりにも冷酷な言葉だが、言い返す事も出来ず東郷は唇を噛んで刑部姫を睨みつける事しかできない。一方刑部姫は東郷の睨みなど全く気にせず、彼女の顔をじっと見つめている。二人の間に険悪な空気が漂い始めると、東郷が低い声を漏らす。

「……だったらあなたは、体を生贄にする事を黙っていられて、平気だって言うんですか。自分の大切な人や友達が歩く事も出来ない体になっても、何も思わないんですか」

「東郷さん……」

 東郷の頭にはきっと、今日出会った園子と銀の姿が映っているに違いない。

 人類のためというお題目のために生贄にされて、歩く事も出来なくなった姿。確かにいたはずの大切な友人の事を忘れてしまった園子と、大切な友達と大好きな幼馴染を無くした銀。刑部姫にどう言われようと、あの二人の姿を見た後で彼女の言葉に納得できるはずなどできるはずがない。

 ただ、東郷は知らなかった。

 今自分達が話している相手が、どんな人物であるかを。

 そこで刑部姫は初めて表情を変えた。眉をひそめて、東郷が何を言っているのか本当に分からないという表情で。

「----逆に聞きたいんだが、

 

 

 

 

 何故その程度の事で悲しまなくてはならない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)?」

 

 

 

 

「………は?」

 思わず東郷の口から、間抜けな声が漏れた。横を見てみると、友奈も目を見開いて口をぽかんと開けている。

 二人には、今の刑部姫の言葉の意味がどうしても分からなかった。

 すると刑部姫は、はぁとため息をつき、

「確かに秘密にされるのは不満だが、それが目的を達成するために必要な事なら私は別に構わん。生活する上では面倒だし、記憶を失うのもまぁそれなりに不都合があるだろうが、それで目的が達成できるなら別に良いだろう。で、もう一度聞くが……何故、体の機能や友人の記憶を失ったぐらいで、そこまで動揺する事ができるんだ?」

 本当に、どうしてそんな事を聞くのかまったく分からないと言うような表情だった。

 刑部姫の顔を見て、東郷はようやく気が付いた。

(……ああ、そうか)

 自分達は例え目的のためでも、自分の体の機能を失ったり、友達が辛い目に遭うのを見過ごす事はできない。それはきっと、他の大多数の人間も同じだろう。というよりも、それが一般的な人間の反応なのだ。

 しかし、刑部姫----氷室真由理という女性は違う。思考形態というものが、自分達とはあまりに違い過ぎている。目的のためならいくらでも他者を切り捨てることができるわけではない。それでは収まらない。彼女の場合、必要ならば自分が傷つく事や友人が犠牲になる事すら許容する。友人や誰かの命だけではなく、自分の命すらも彼女にとっては目的を遂行するための駒に過ぎないのだ。

 そして、それは一般的な人間の考えとはあまりにかけ離れすぎている。自分達がどれだけ言葉を尽くしても、彼女を説得できるはずがない。彼女にとっては、自分の命すらも駒に過ぎないのだから。この時初めて、東郷と友奈は自分達の前にいる精霊が自分達とは違う存在なのだという事を自覚させられた。まるで怪物や、宇宙人を目の前にしているような気分だった。

 一方、東郷が答えを返す事が出来ずにいると、刑部姫はふいと視線を前方に戻した。彼女の視線に緊張していたためか、東郷の体から力が抜け、代わりに強い疲れが襲う。

 考えてみれば、今日は色々ありすぎた。

 未知のバーテックス、アンノウン・バーテックスの強襲。

 先代の勇者、乃木園子と三ノ輪銀から明かされた勇者システムの真実。

 そして存在を抹消された第四の勇者、天海志騎。

 たった一日の出来事にしては濃厚すぎる。体感時間だと、一ヶ月は過ごした気分だ。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、胸は不安と恐怖で満ちている。この前まではもう戦いは済んだと思っていたのに、アンノウン・バーテックスの登場でそれすらも怪しくなってきた。おまけに満開の事もある。もしも次にアンノウンと戦った時は、満開をしなければ恐らく勝てないだろう。だがそれは、代わりに何かを失う事を意味している。

 もしもそれが、自分の体の機能の一つだったら? 大切な人の----横にいる友人の記憶だったら? それだけではなく、もしも友奈が自分の事を忘れてしまったら、それに自分は耐えられるのだろうか。考えても考えても答えなど出るはずがなく、東郷の顔がどんどん暗くなっていく。

 と、彼女の顔を見ていた友奈は何かを考え込むように目を強く瞑ると、強く東郷の体に抱き着いた。

「ゆ、友奈ちゃん……?」

「勇者部五箇条。なるべく諦めない!」

 戸惑いの表情を浮かべる東郷に友奈が言うと、東郷は目に涙を浮かべて彼女に頭を預ける。さっき病室で、銀が彼女にそうしたように。

「友奈ちゃん……!」

 友奈の腕の中で泣く東郷を、友奈はまるで励ますように、

「東郷さん、大丈夫だよ。私、ずっと一緒にいるから! 何とかする方法を、見つけてみせるから!」

「友奈ちゃん……」

 東郷を抱きしめながら、友奈は強い意志が込められた瞳を前に向ける。

 そんな友奈を、刑部姫はバックミラー越しに冷たい目で見つめていた。

 二人を自宅近くに送り届けた後、刑部姫と神官は大赦の本部に向かって車を走らせる。しばらく二人は無言を保っていたが、やがて刑部姫はポツリと呟いた。

「やはり氷室真由理は、人間としては欠陥があるな」

「……先ほどの、東郷様との話を思い出しているのですか?」

 神官が前を向いたまま尋ねると、刑部姫はああと頷いて、

「もしもお前が生贄に出されたとしても、それが目的達成に繋がるならきっと私は止めない。それどころか、私からお前を切り捨てる事だって考えられる。実際私は、二年前志騎を切り捨てたからな」

「彼女を気絶させ、あなたに任せたのは彼だと聞きましたが」

 すると刑部姫はくっと苦笑し、

「本当に私が志騎の事を大切に思っていたら、奴をあの場に一人残すような真似はしなかった。あえて志騎の頼みを突っぱねて、三ノ輪銀と一緒に戦わせる事だってできた。そうすれば三ノ輪銀の状態はさらに酷くなっていたかもしれないが、志騎は生きる事ができたかもしれん。……そうしなかったのは、兵器である志騎を切り捨て、後に生き神となるだろう三ノ輪銀の状態が軽い方が、こちらのダメージが軽いと判断したからだ。三ノ輪銀の言っている事は間違っていない。私はあの時、志騎を兵器として切り捨てたんだ」

「………」

 自嘲するように言う刑部姫に、神官は何も言わなかった。

 刑部姫の言う事は間違っていない。彼女はそういう存在だ。例え自分の体の機能の一つが失われる事になったとしても、例え親友が生贄にされる事を知ったとしても、それが目的達成に繋がるならば彼女はなんのためらいもなくそれを実行する。というよりも、生前に実際に行った事がある人間だ。彼女の言う通り、人間としては欠陥があると言われても仕方がないかもしれない。

「まぁ、それは志騎も同様だったがな。あいつの場合は他人を犠牲にはしないが、その代わり自分の体ならいくらでも傷つけるし、いくらでも命を危険にさらす。ああいう所は私に似たんだろうな。全く、似て欲しい所は似なかったのに、どうして似る必要がない所は似たのかねぇ……」

 懐かしむように小さく笑う精霊を横目で見ながら、神官は車のハンドルを操作しながら口を開く。

「……確かにあなたは、人間としては欠陥があるのかもしれません」

「あるかもしれない、じゃなくて間違いなくあるだろ。親友を簡単に切り捨てる人間がまともなわけがない」

「……しかし、そういった人間も必要かもしれないと、私は思います」

「あ?」

 神官の予想外の言葉に刑部姫は思わずといった調子で声を上げると、神官はさらに続ける。

「あなたは確かに普通の人間とは違うのかもしれない。しかしそれはつまり、普通の人間では気付かないものに気づけるという事です。実際にV.H計画は、きっと大赦の科学者では思いつく事すらできなかったでしょう。今はもう死んでしまいましたが、彼の存在がバーテックスとの戦いに変化をもたらしたのは間違いありません」

「ま、良くも悪くもだろうがな」

「そしてそんなあなただからこそ、これからの戦いに必要な存在だと私は思っています。今はそうではないかもしれませんが、いずれはこれからの未来に必要になるはずです」

「……そのために、お前を切り捨てる事になってもか?」

「それがあなたが良かれと思ってする事ならば」

 しばらく刑部姫は神官の顔を見つめ、神官は車の真正面を見て運転を続ける。再び沈黙が車内を満たすが、刑部姫がふーと息をつき沈黙を破った。

「……それは嘘じゃなさそうだな。嘘だったら、嫌な事は嫌と言えと言うつもりだったが……」

「嘘をつくつもりもありませんので」

「よく言うよ。仮面を被ってるくせに」

「仮面が関係あるのですか?」

 そこで初めて、安芸が横目で刑部姫を見た。刑部姫は着物の裾から彼女がかぶっているものと同じ仮面を取り出して、

「仮面を被る、という事は自分とは違う役割を持った誰かになるという事だ。軽薄な自分、嘘つきな自分、真面目な自分……。使い捨てにされる道具になりきれる奴には便利だが、そうじゃない奴にとっては苦痛でしかない。何せ、仮面によっては自分とは正反対の役割を演じるんだからな。言いたくない事も言わなければならないし、やりたくない事もやらなければならない。今のお前のようにな」

 そう言って刑部姫は仮面を被ると、被った仮面を神官に向けた。まるで、今の彼女の状態をそのまま伝えるように。神官は何も言わなかったが、少し彼女の周りの空気が変化したように思えた。

 刑部姫は彼女から顔を逸らして仮面を外すと、それを着物に再びしまいながら、

「前にも言ったが、お前は駒になるために心まで売り渡せる人間じゃない。駒を演じながらも、いつも心の中で自分は本当に正しいのか悩んでいる人間だ。そういった人間が仮面を被り続けていたら、いずれ自分が今考えている事が本心なのか、それとも演じたものであるのか本当に分からなくなる。仮面を被り続けるのは勝手だが、何が嘘で、何が本心なのかは把握出来るようにしておけ。……それができなくなったら、お前の心が先に壊れるぞ」

「……覚えておきます」

「ああ、そうしておけ。……精々、私のように大切なものを簡単に切り捨てる事ができる人間にならないように気を付けるんだな」

 そう言って刑部姫はシートを倒すと、ころりと寝転がって目を閉じた。どうやら大赦本部に辿り着くまで、ここでひと眠りするらしい。

 そして二人を乗せた車は大赦本部まで、夜の闇の中を走り続けるのだった。

 

 

 




次回はついに、風先輩や夏凜が勇者システムの真実について気づきます。その時、それを知った刑部姫はどのような行動に出るのか。少々お待ちくださいますようお願い申し上げます。

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