刑部姫----氷室真由理の変身という事態に風は最初戸惑っていたが、すぐに頭を振って我を取り戻すと目の前で笑みを浮かべている少女を睨みつける。
相手が勇者に変身しようとも関係ない。ましてや相手は、自分達をずっと騙していた大赦の精霊だ。ならば、戦うのを避ける理由などない。
自分はここで目の前の少女を倒して、大赦を潰す。
風の脳裏に、笑顔でマイクを握って楽しそうに歌う樹の笑顔が浮かび上がる。
その笑顔を力にするように風は大剣を握る手の力を強めると、一気に真由理に肉薄して大剣を振り上げる。
が、
「遅いぞ、間抜け」
自分を心の底から馬鹿にする言葉と共に。
風の腹に、真由理の拳が勢いよく突き刺さった。
「ごっ……っ!?」
精霊バリアで護られているはずの風の腹に拳がめり込み、風の体の動きが止まる。一瞬棒立ちの状態になった風の顔面に、今度は真由理の蹴りが放たれた。
なす術もなく顔面を蹴られ、風は地面を転がる。しかし真由理は追撃などせず、ただトントンとステップを踏んで風を笑顔で見下ろしている。
風をあまり痛めつけたくないから追撃しないのではない。
単純に、彼女を馬鹿にしているのだ。
お前の力はその程度か、と。
「こ、のぉおおおおおおおおおっ!!」
風は立ち上がると、大剣を持って真由理に襲い掛かる。しかし真由理は攻撃を簡単にかわすと挑発するように右手の人差し指をくいくいと風に向かって動かし、それにさらに風が大剣を振るうと攻撃をかわしてがら空きになった胴体に蹴りを入れる。
攻撃の衝撃で風がたたらを踏むが、蹴りを入れた際に真由理は自然と風に背中を向けた体勢になる。チャンスと思った風は大剣を再び振り上げると、真由理目掛けて切り込む。
が、背中を向けている状態の真由理はにやりと笑みを浮かべた。
「馬鹿が」
そして勢いよく振り向くと、左手に彼女の専用武器『ブレイブアロー』が出現する。普通の弓とは違い、機械で作られたそれはフレームの部分に刃が備え付けられており、真由理は大剣の腹をブレイブアローの刃で滑らせる事で剣の威力を受け流すと、その勢いのままブレイブアローで風の体を切り裂く。
「あ、っぐ!」
精霊バリアで護られているとはいえ、自分の体を走る衝撃と痛みに風が後退すると、それを見逃さずブレイブアローのグリップ部分を素早く引き、手を離すと射出口から黒色の霊力の矢が風目掛けて放たれる。間一髪風は攻撃を防ぐと真由理に接近して大剣を横薙ぎに振るうが、真由理はわずかに体を逸らして攻撃を避けると、反撃と言わんばかりにブレイブアローによる射撃を行う。今度は矢は見事に風の胸に直撃し、精霊バリアの光がまるで血のように吹き出し、風は大きく後ろに吹き飛ばされた。
「どうした? もう終わりってわけじゃないだろう?」
風は胸を抑えながら真由理を睨みつけるが、どうやらまだダメージは残っているらしく、中々立ち上がる事が出来ない。一方、戦いを後ろから見ていた夏凜は真由理の強さに目を見開いていた。
(噓でしょ……? 風が、手も足も出ないなんて……)
一応言っておくが、風が弱すぎるわけではない。剣術などの腕前ではさすがに夏凜の方が上だろうが、それでも素の身体能力では夏凜や友奈には決して引けを取らない。あの大剣を自由に振り回せているのが、何よりの証拠だろう。並大抵の相手ならば、風でも後れを取ったりしない。
しかし、今風が戦っている相手はその並大抵の相手では無かった。体術、判断力、観察眼。そのどれもが高い水準であり、大赦で厳しい訓練を受けた夏凜でも真正面からやり合って勝てるかどうか分からない強さだった。すると、夏凜の考えが伝わったわけではないだろうが、真由理が立ち上がる事ができない風に笑みを向けながら、
「おいおい。まさかお前、私は科学者だから戦い慣れてない、楽勝だなんて思ってたんじゃないだろうな? ……舐めるなよクソガキ、殺すぞ」
笑みを消してドスの聞いた声を響かせると、真由理はスマートフォンを持ちドライバーにかざす。
『ブレイブストライク!』
真由理がグリップ部分を引くと黒い霊力が射出口に集中し、そして手を離すと濃密な霊力の矢が風目掛けて発射される。どうにかダメージから回復した風は立ち上がると大剣を巨大化させて盾のようにし、強力な矢の一撃を受け止める。
「ぐ、ぅううううううううううううううっ!!」
どうにか防いだものの、あまりの威力に風の足が少し後退し、大剣を支える両腕に激痛が走る。しかしここで耐える事ができれば、反撃の一手を打つ事ができる。そう考え風は奥歯を噛み締め、その一撃に耐えようとする。
が、それを真由理はつまらなさそうな表情で眺めると、右手の指をパチンと鳴らす。
すると大剣によって防がれていた強力な矢が一気に数十本の矢に分裂し、空中で止まると一斉に風に矢じりを向ける。
「なっ……っ!」
しかも矢が分裂した事で風の防御の体勢が崩れてしまい、風は無数の矢に無防備に体を晒してしまう。
そして次の瞬間、空中で停止していた矢が一気に風に殺到した。
「うわぁああああああっ!!」
「風っ!!」
数十本もの矢の威力と衝撃で風は大きく吹き飛ばされ、地面を転がった。精霊バリアのおかげで致命傷は負っていないようだが、それでも体中をいくつものハンマーで殴られたような衝撃が風の体を襲う。風が激痛をこらえながらどうにか立ち上がろうとすると、真由理の半ば感心したような声が聞こえてきた。
「ほぉ、良く気を失わなかったな。中々タフだなお前」
見てみると、ブレイブアローを手にした真由理がゆっくりと自分に歩いてきているのが見えた。彼女は風の目の前で止まると、彼女を冷たい目で見下ろし、
「で、これで終わりか? そうだったら変身を解除してさっさと家に帰れ。そうしたら今日の事は何も見なかった事にしてやってもいい」
その言葉に風は自分の胸の中から沸々と怒りの炎が立ち上っている事を感じると、恨みと怒りがこもった声で真由理に言う。
「……ふざけんじゃないわよ。樹の声を奪っておいて、何も見なかった事にしてやっても良いですって? お前達大赦は、どれだけ人を馬鹿にすれば気が済むのよ!!」
怒りと共に大剣を横薙ぎに振るおうとするが、その前に真由理の反応の方が早かった。彼女は素早くベルトの後部に装着されているクナイ型の武器の柄に手を伸ばすと、素早く鞘から抜き放ち風の顔面目掛けてクナイを振るう。しかしそれを見ても、風はかわす素振りすら見せず大剣を振るおうとした。
どうせ自分にはバリアがあるから致命傷を負う事は無い。ならば、クナイによる一撃を食らってでも今はこの一撃で目の前の少女を叩き潰す方が先決だ。そう考えて風が大剣を振るおうとした時、ある考えが頭をよぎった。
精霊バリアの事は、目の前の少女はよく知っているはずだ。それにアンノウンとの戦いの時でも、今の戦いでも、それが発動するところは何回も見ている。ならば精霊バリアがある限り、自分がこのような戦い方を取る事も、目の前の少女ならば予測できるはず。そんな事が分からないほど、この少女は馬鹿ではない。
ならば。
明らかに無駄に見える行動を、目の前の少女が取ろうとしているのは、どうしてだ?
「--------っ!!」
間一髪、クナイの刃が風の顔面に迫る直前、風は全力で地面を蹴って後退した。結果真由理のクナイの一撃は空振り、風の大剣の刃が真由理に届く事は無かった。真由理は飛びのいた風の顔と自分のクナイの刃を驚いたように交互に見ながら呟く。
「……勘が良いな。今のが当たっていたら、決着はついていた」
「何を……?」
しかし言いかけた風の頬に、ズキリと鋭い痛みが走った。
驚いた風は自分の頬に右手をやり、そして右手を見て驚愕した。右手の掌に、鮮血がついていたからだ。それは夏凜も同様で、彼女の目には風の頬から切り裂かれ、そこから血が流れているのが見えた。精霊バリアで護れているはずの、風の頬から、だ。
自分の手を赤く汚す血を見ながら、風が呆然と呟いた。
「バリアを、無効化した……?」
すると彼女の頬を切り裂いたクナイをくるくると弄びながら、真由理がほぉと感心した声を出す。
「正解……とは言っても、まぁ今のを見せられれば嫌でも理解するか。こいつの刃には精霊バリアを無効化する術式が組み込まれていてな、直接勇者の体を傷つける事ができる。もう少しでお前の顔面に一生消えない傷を残してやる事ができたんだがな」
彼女の言葉に、風は思わずごくりと唾を飲み込む。バリアを無効化し、直接勇者の体を傷つける事ができる武器。つまりそれは、勇者の命を簡単に絶つ事もできるという事だ。自分よりも遥か上の戦闘能力を持つ相手に、バリアを無効化するクナイ。まさに鬼に金棒といった状況がふさわしい。
だが、
「……だからってここで退くわけにはいかないのよ。あんたも大赦も、全部潰してやる!!」
それが、どうしたと言うのだ。
自分の最愛の妹である樹は、満開の代償として声を奪われたのだ。ようやくやりたい事ができたというのに。ようやく叶えたい願いができたというのに。そしてそれを大赦は今までずっと隠して、自分達を戦わせていた。こんな事が、許せるわけがない。
だからこそ、例えここで一生体に残る傷を負ってでも目の前の少女を倒し、大赦を潰さなければならないのだ。
しかし、それに対する真由理の反応は信じられないものだった。
「………は。はは、あはははははははははははははははっ!!」
なんと真由理は、突然大声で笑い始めたのだ。まるで、今の風の決意と怒りをまとめて馬鹿にするように。突然の彼女の笑いに風はおろか戦いを見ていた夏凜ですら戸惑いを隠せない。
「何がおかしい!!」
我に返ると同時に哄笑を上げた真由理に怒りを覚えた風が怒鳴ると、真由理は今の笑いが嘘のようにすっと冷たい表情を浮かべると、風に言った。
「何がおかしい、だと? おかしいに決まっているだろう。ずいぶんと妹の声が失われた事を大赦のせいにしたいようだが、それにこだわりすぎなんだよ。私から見ると、まるで自分のした事から必死に目を背けているように見えるぞ?」
「--------」
すると真由理の言っている事に心当たりがあるのか、風の体の動きが硬直する。
「その様子からすると、どうやら薄々気づいてはいるようだな。ま、それに気づいていなかったらただのゴミクズだからまだマシか」
「……何が、言いたいのよ」
「そんなに妹が大事なら、どうしてお前は犬吠埼樹を勇者部に入れたんだ? 勇者部がバーテックスを殺す勇者候補を集めておく部活というのは、すでに知っていたはずだろう? 妹の事を想っていたなら、勇者部から遠ざけておく方が良かったんじゃないのか? それともお前達には精霊バリアがあるから、バーテックスとの戦いになっても死ぬ事は無いとでも思っていたのか?」
クナイを腰の鞘に戻しながら、真由理が言葉を投げかけていく。それに風が黙り込むと、真由理は忌々し気に風を睨みながら吐き捨てるように言った。
「甘いんだよ、クソガキ。この世に絶対や完璧なんて事象は存在しない。ましてや戦場ならなおさらだ。例えバリアに護られていようと、重傷を負ったり命を失う可能性はゼロじゃない。もしかしたら、私のクナイのようにバリアを無効化する攻撃を持ったバーテックスがいたかもしれない。もしかしたら、戦闘中に勇者システムを破壊され、勇者の変身が解除されて致命傷を負うかもしれない。そういった可能性は常について回る。絶対に大丈夫なんて言葉は存在しないんだよ。そうと分かっていて妹を勇者部に入れたくせに、いざ満開で代償を払ったらピーチクパーチクうるっせぇったらありゃしない。妹を命がけの戦いに巻き込んだのはお前のくせに、何今更被害者面してんだよ」
いつもよりも冷酷な刑部姫の言葉に、風の顔が徐々に青くなっていき、手がカタカタと震え始める。夏凜は一瞬二人の間に割って入ろうとするが、真由理の視線の鋭さが夏凜が動くのを許さない。
「もしもお前が本当に妹を傷つけたくなかったんだったら、お前は大赦に土下座をしてでも、無様に泣き喚こうとも、妹に本当の事を話して軽蔑されようと、犬吠埼樹を勇者部に入れるべきじゃなかった。そうすれば少なくとも、犬吠埼樹が声を失う事は無かった。お前だってそれを分かっていたからあんなに必死で大赦を潰そうとしていたんだろう?」
「……そ、れは」
「言っておくが、お前のそれはただの八つ当たりだ」
「違っ……!」
風が声を上げようとするが、当然真由理はそんな事を許さない。ただひたすらに冷酷で救いのない言葉の刃で、風の心を切り裂いていく。
「違わねぇよ。確かに犬吠埼樹が声を失った責任は大赦にも私にもあるだろう。大赦は散華の事を知っていながらそれを話さず、私も話さなかったからな。それについては認めてやる。だがお前が奴を勇者部に入れたのは別の問題だ。お前は自分の責任を、大赦に押し付けているに過ぎない」
「違う……」
「大赦を潰そうしているのも、責任を纏めて押し付けて自分は悪くないと言い張りたいからだろう? そこまで図々しいともはや清々しくさえあるな」
「黙れ……やめろ……!」
「それとも、最終的に勇者になるのを選んだのは妹だから自分は関係ないとでも言うつもりか? この期に及んで妹のせいにするとは恐れ入る。よくもまぁ姉面して大赦を潰すなんて言えるな」
「黙れ……黙れ……!!」
「そうやって耳を塞ぐのも勝手だが、これだけは言っておくぞ」
そして。
真由理は風の心にとどめを刺すための、一言を放った。
「----自分に妹の声を奪った責任の一端があるからって、大赦や私に八つ当たりしてんじゃねぇよ」
その言葉で。
風の中の大切な何かが切れた。
「黙れぇぇええええええええええええええええええええええええええええええっ!!」
両目から涙を溢れ出させ、声から激情を吐き出しながら、風は大剣を大きく振り上げて真由理に肉薄する。
「馬鹿が……」
忌々しそうに呟きながら真由理はブレイブアローを握りしめ、向かってくる風に突進しようとする。激情に駆られた今の風では、真由理の一撃を防いだりかわす事は出来ない。いや、そもそも真正面から真由理と戦おうとする方が無謀だろう。
そして風の大剣が降り下ろされるよりも早く、真由理の容赦のない一撃が風の意識を刈り取る。
しかし、そうはならなかった。
突然現れた結城友奈が真由理の目の前に現れ、風の攻撃を防いだからだ。彼女の精霊である牛鬼が大剣の攻撃を防ぎ、桜色の光が派手に散る。
「友奈!?」
現れた友奈に夏凜が驚きの声を上げるが、一方で真由理は特に驚きの表情などは見せず、友奈の後ろで立ち止まるとブレイブアローを持つ手をゆっくりと下げる。すると、攻撃を邪魔された風が目の前の友奈に叫ぶ。
「どきなさい!」
「嫌です! 風先輩が人を傷つける姿なんて、見たくありません!」
「どきなさいって、言ってるのよ!!」
再度大剣を振るうが、友奈は防具に包まれた両腕で大剣の攻撃を防ぐ。
「風先輩が傷ついているのも、大赦のした事が許せないのも分かってます!! でも、もし後遺症の事を知らされていても、結局私達は戦ってたはずです!!」
「え……」
「世界を守るためにはそれしかなかった!! だから誰も悪くない! 選択肢なんて、誰にも無かったんです!!」
「それでも!! 知らされてたら、あたしはみんなを巻き込んだりしなかった!! そしたら、少なくともみんなは、樹は、無事だったんだぁあああああああああああああっ!!」
風の脳裏に勇者部の部室の光景が蘇る。
みんなで色々な事を考えた部室。
誰かのためになる事を考えるのが本当に楽しかった時間。
しかし、もうそれが返ってくる事は無い。
自分が、彼女達を勇者部に巻き込んだせいで。
自分が、何も知らなかったせいで。
怒りと後悔、悲しみの言葉と一撃が友奈に放たれるが、友奈はそれら全てを受け止めると負けじと風に叫び返す。
「風先輩! そんなの違う! 駄目です!」
「何が、違うの!!」
「友奈だめ!!」
「………!!」
そこで何かに気づいた夏凜が友奈に叫び、真由理がブレイブアローで風を狙撃しようとする。しかしその前に風と友奈が跳躍し、友奈が拳で風の大剣を思いっきり殴りつける。衝撃で吹き飛ばされるも、どうにか着地した風の目にある光景が飛び込んでくる。
それは、友奈の右拳の位置にある満開ゲージ。
前のアンノウン・バーテックスとの戦いでもうすでに溜まりつつあったゲージが、今の攻防で全て溜まっていた。
「風先輩を止められるなら、これぐらい」
それを見た風が大剣を下ろし、後ろにいた真由理も構えをゆっくりと解除すると、友奈が優しい微笑を風に向けた。
「だって私は、勇者だから」
「友、奈………」
ようやく頭が冷えたらしく、風が呆然と立ちすくんでいると、後ろにいた夏凜が立ち上がって友奈に尋ねた。
「でも友奈、あんたどうしてここが分かったの?」
「刑部姫が教えてくれたんだ」
え? と夏凜がきょとんとした表情を浮かべると、友奈はスマートフォンを取り出して画面を夏凜に見せた。
『勇者部各員に通達。犬吠埼風が暴走。至急現場に急行すべし』
「あんた、いつの間にこんなの……」
夏凜がそばにいた真由理に聞くと、真由理はブレイブアローを肩に乗せながら、
「お前が犬吠埼風とやり合っていた時だ。私が力づくで抑えても良かったが、落ち着かせるなら結城友奈かあいつが適任だろう」
そう言って真由理が風の背後に視線を向けるのと、風を背中から誰かが抱きしめたのはほぼ同時だった。風を後ろから抱きしめたのは、
「樹……」
勇者の服を身に纏った樹だった。彼女は今にも泣きそうな顔をしながら姉の背に抱き着きながら、駄目だよと言うように首をゆっくりと振る。それに風は膝から崩れ落ちると、嗚咽を漏らし始める。友奈と夏凜、真由理が歩み寄ると、風が涙でかすれる声を発する。
「ごめん……ごめんみんな……。刑部姫の言う通りだった……。私が甘かったから……私が何も知らないで、みんなを勇者部に巻き込んだから……」
すると謝る風の眼前に、樹がそっとスマートフォンの画面を見せた。
『お姉ちゃんが謝る必要なんて全然ないんだよ。お姉ちゃんは、何も悪くないんだから』
「でも! あたしが勇者部なんて作らなければ……!」
しかし樹はそれを否定するように首を振ると、何かを取り出して風に見せる。
それは、歌のテストの時に勇者部の面々から樹に贈られた寄せ書きだった。彼女は丁寧に紙を二つ折りにすると、ペンを取り出して紙に書き加える。それを風と横から友奈が覗き込む。
「樹……」
妹の顔を風が見ると、彼女はにっこりと笑った。紙には、こう書き加えられていた。
『勇者部のみんなと出会わなかったら、きっと歌いたいって夢も持てなかった。勇者部に入って本当に良かったよ』
確かに、楽しい事ばかりではなかったもしれない。
バーテックスとの戦いの中で、怖い思いもした。
死ぬかと思うような恐ろしい思いもした。
声を失うという、辛い思いもした。
でも、それだけではない。
勇者部と、刑部姫と出会えたからこそ、歌いたいという夢を持つ事が出来た。
勇者部に入って得たのは、決して辛い思い出だけではない。
自分の人生を決定づける、大切なものを得る事ができた。
その文面からは、樹の真摯な気持ちが確かに伝わってきた。
するとそれを見ていた友奈も風に言う。
「風先輩。私も同じです。だから、勇者部を作らなければなんて、言わないでください」
それを聞いて、風の体が震え始め、嗚咽がさらに大きくなる。すると樹が、震える風の体を頭ごとぎゅっと抱きしめた。
そして、風の感情が決壊した。
「うう、うぅうううううううう……! うぁあああ、ああああああああああああああああっ! うぁああああああああああああっ!!」
まるで子供のように、風は大声で泣いた。今まで貯めこんでいた感情を、一気に吐き出すように。
友奈は何かを心配するように上空を見上げ、夏凜は自分の左肩にある満開ゲージを複雑そうな目で見る。真由理は泣く風と抱きしめる樹の二人をじっと見つめていたが、やがてスマートフォンを取り出すと画面をタップする。真由理の全身が光り輝いた次の瞬間、大量に花びらが散り真由理は刑部姫の姿に戻った。小さくなった彼女に視線を向けぬまま、夏凜が尋ねる。
「……ねぇ刑部姫」
「何だ」
「あんた、本当に樹が声を失った事に何も感じてないの?」
「……その問いには、何か意味があるのか?」
「別に。ただ、聞いただけよ」
「………」
刑部姫は少しの間黙り込むと、やがて静かに告げた。
「感じないさ。犬吠埼樹が声を失ったのは力の代償だ。力を得るには代償が伴う。それで何かを失うのは当然の事だ」
「………」
「----だが」
と、そこで刑部姫はさらにこう続けた。
「もしも満開の代償で犬吠埼樹が声を失うと事前に分かっていたら、恐らく忠告しただろうな」
「……そう」
刑部姫の答えに、夏凜はそれだけ言った。
それ以上言葉を交わさなくても、刑部姫の考えている事は何となく夏凜には分かった。
彼女が樹が声を失ったのは力の代償だと思っているのは事実だろう。何かを失うのは当然と考えているのも、きっと事実。
だが、何も感じていないというのは嘘だ。本当に何も感じていないのだとしたら、今のような言葉は出てこない。夏凜はそこで初めて刑部姫の方を見ると、彼女に言った。
「刑部姫。あんたって意外に不器用ね」
「………仕方ないだろう。それが私なんだ。自分を曲げる事はできない」
二人の姉妹を見ながら、刑部姫は静かにそう返した。今まで刑部姫と何回も言葉を交わした事はあったが、今の言葉は間違いなく、葛藤が込められた彼女の本心だった。そう、と夏凜はもう一度呟くと刑部姫と同じように風と樹に視線を向ける。
が、その直後の事だった。
突然友奈と夏凜の目の前にそれぞれのスマートフォンが出現、さらに風と樹の足元にも二人のスマートフォンが出現し、今まで聞いた事も無いアラームを鳴らす。
「何……?」
そしてそれは刑部姫のものも同様で、着物からスマートフォンを取り出すと画面を食い入るように凝視する。画面には、『特別警報発令』の文字が赤色に表示されていた。
「馬鹿な……!」
「ちょ、ちょっと刑部姫! このアラーム何!? まさか、アンノウンが来たの!?」
「違う。このアラームはある特定の状況にのみ発せられる。私も聞くのは初めてだ」
「その特定の状況って、何なの!?」
友奈の言葉に、真由理はチッと舌打ちしながら答える。
今この世界に起こった、最悪の状況を。
「----何者かによって、壁が壊された」
刑部姫の言う通り、四国を守る壁にある異変が起きていた。
四国をぐるりと囲む壁の一か所に巨大な穴が空き、もうもうと土煙を上げている。そして壁の上に、一つの人影があった。
人影----東郷美森は静かに呟いた。
「これで……、皆を助ける事ができる……!」
時は少し遡る。
東郷は一人、円鶴中央病院という病院を訪れていた。そこにいる一人の人物に、どうしても確かめたい事があったからだ。
「やっぱり来てくれた~。分かってたよ。この前は嬉しすぎて話が飛び飛びだったけど、今日はちゃあんとまとめてあるからね、わっしー。あ、東郷さんか」
その人物は、この前出会った先代の勇者である乃木園子だった。東郷は自分にできる限りの情報収集を行い、彼女がこの病院にいる事を突き詰めたのだ。自分が気になっていた、ある事を彼女から聞くために。
「わっしーでも良いわ。記憶は飛んじゃってるけど、その約二年間、私は鷲尾という苗字だったのだから」
すると、園子は驚いたように目を見開き、
「わっ、すごい。よく分かったね~」
「適性検査で、勇者の資格を持っていると判断された私は、大赦の中でも力を持つ鷲尾家に養女として入る事になり、そこでお役目についた……」
「鷲尾家は立派な家柄だからね。高い適性値を出したあなたを、娘に欲しかったんだよ~」
「私の両親は、それを承知したのね……。神聖なるお役目のためだからね」
だが、それでも血を分けた実の娘と別れるのは身を切られるよりも辛いはずだ。両親の判断は、まさに苦渋の決断だったに違いない。
「私は、あなた達と一緒に戦い、散華して、記憶の一部と足の機能を失った。敵を殲滅できる力の代償として、体の一部を供物として神樹様に捧げる勇者システム……」
「うん。私とミノさんはもっと派手にやっちゃって、今はこんな感じだけどね。えへへ」
おかしそうに笑うが、心中はそんなに穏やかなはずはない。こうして旧友である東郷が来てくれているから、どうにか空気を明るくしようとしてくれているだけだ。
「私は……」
「大赦は、身内だけじゃやっていけなくなって、勇者の素質を持つ人を全国で調べたんだよ~」
「東郷の家に戻されて、両親も事実を知ってて、黙っていた。事故で記憶喪失と嘘までついて、引っ越しは友奈ちゃんの家の隣だったのも、仕組まれたもの」
つまり全てが、大赦の思惑だったという事だ。自分と親友の出会いが仕組まれたものであったという事を知った時、東郷は自分の胸の内から怒りが沸いてくるのを感じた。
「彼女、検査で勇者の適性値が一番高かったんだって。大赦側も、彼女が神樹様に選ばれるって分かってたんだろうね」
「満開してからは、家の食事の質が上がったわ」
「大赦が手当てとして、家に十分な援助をしているんだろうね」
「思えば、合宿での料理も豪華なものだった……」
バーテックスを全て倒した後、友奈達勇者部は海辺の旅館に合宿として泊まり込んだのだが、その際の夕食は東郷の言う通りとても豪華なものだった。----勇者とはいえ、中学生の少女達に振舞うものとは思えないほどに。
「あれは労っていたんじゃなくて、祀っていたのね。私達を。そして親達は事情を分かってて、今も黙っている」
「神樹様に選ばれたんだから、喜ばしい事だって納得したんだろうね」
正確には、納得するしかなかったのだろう。東郷は膝の上で両手を握りしめると、震える声で、
「どうして私達がこんな……! 神樹様は人類の味方じゃなかったの……?」
「……味方ではあるけど、神様だからね。そういう面もあるよ。そもそも……」
と、そこで園子は何かをためらうように言葉を切った。真実を明かしてあげたいと思う半面、本当に受け入れられるだろうか……という思いが入り混じっているような表情だ。しかし話す決心がついたのか園子は静かに東郷に言った。
「落ち着いて聞いてね。壁の外の秘密。この世界の成り立ちを教えてあげる」
「えっ……」
「あのね……」
そして、園子の口から東郷に明かされた、壁の外の秘密とこの世界の成り立ち。
それを、東郷は愕然とした表情で聞いている。
だからこそ、彼女は少し離れた所に置いてある鞄の中のスマートフォンに、友奈からの着信が入っている事に気づかなかった。
『もしもし? 東郷さん? 昨日の話、私ショックだったけど、樹ちゃんの事もあるし、風先輩が心配になって、大丈夫かな……。また連絡するね』
留守番電話のメッセージが終了するのと、園子が東郷に世界の成り立ちと真実を話し終えたのは、ほぼ同時だった。
「真実は、あなた自身の目で確かめると良いと思うよ……。どういう結論を出しても、私は味方だからね。本当は、私は今の勇者達が何かの形で暴走したら抑える役目なんだ。もう一人の勇者のミノさんは、もう勇者に変身できないようにスマホを回収されてるから、、私だけの役目になってるの」
「抑えるって……その体で……?」
歩く事すらもできない体で一体どうやって勇者達を抑えるのか分からず、東郷が困惑した口調で呟くと園子はさらに驚くべき事実をその口から発した。
「私の精霊の数は、二十一体」
その数に、東郷は息を呑む。
精霊の数は元々勇者が持つ一体を除くと、勇者が満開し、失った体の機能の数と同じだ。その数が二十体という事は、それだけ彼女が満開をし、同時に散華をしているという事を意味している。
「えへへ。すごく強いんだよ~。戦いになったら、大量の武器でずがーんだよ。普段は怖がられて、手元にスマホが無いから変身できないんだけどね~」
口調は明るく聞こえるが、もう東郷には分かる。彼女は園子の感覚が失われた左手をそっと握り、
「辛い、でしょう……。二十回も、散華して……」
「うん……。何もできないからね。神樹様の体に近づいたからって、こんなに祀られたところで、私は……」
----園子の病室は、以前東郷が見た三ノ輪銀の病室とほとんど同じだった。
まるで、神様を祀るような部屋。
常人ならば、数日過ごしただけでおかしくなってしまうような空間。
こんな所で、彼女達はずっと一人で過ごしてきたのだ。決して満たされない孤独を、胸に抱えたまま。
「でも今はね、不思議と、辛くないんだよ」
それはきっと、そばに大切な友人がいてくれるから。
しかし東郷は彼女との思い出を思い出す事が出来ない。何一つ。
それに東郷が思わず目を瞑ると、園子が東郷に言った。
「あのね、私からも一つお願いして良い?」
「……何?」
「私の勘になっちゃうんだけど、わっしーと友奈ちゃんは多分この前ミノさんの所に行ったんじゃないかな」
それに東郷がどうして? と言うように目を微かに見開くと、園子はあははと笑って、
「私からミノさんの名前が出れば、きっと気になって彼女の所にいくんじゃないかなって。刑部姫が許してくれるかは分からなかったから、一種の賭けだったけど、ちゃんとミノさんに会えたみたいだね。ミノさん、元気だった?」
「……少なくとも、私と話す時は少し明るかったわ」
「そっか。なら良かった。ミノさんとも全然会えなくなっちゃったし、心配してたんだ。動き回るのが大好きだったから」
「……そうだったのね。私にお願いしたい事って、彼女の様子を聞く事?」
「それもあるけど……。もう一つは、ミノさんから何を聞いたのかを聞かせて欲しいなって」
彼女の言葉に東郷が思わず目を見開くと、園子はちょっと困ったような笑みを浮かべた。
「ミノさんが私にも会えないのは、きっと誰にも知らされたくない秘密を知っているから。だから祀られている私にも会う事は許されていない。そしてそれは、きっとあなたや、私にも関係している事。合ってるかな?」
「……ええ。百点満点よ」
「やった、花丸だ~」
喜ぶ園子を前にして、東郷は三ノ輪銀から聞いた話を思い出す。もしも話せば、園子はきっと辛いと思うはずだ。彼女にとっては大事な親友を忘れてしまっているという、あまりに悲しすぎる真実なのだから。すると東郷の考えを察したのか、園子がやんわりと告げる。
「話したくないなら、話さなくても良いよ。私のわがままなんだから」
が、東郷は一度深呼吸をすると、園子にまっすぐな視線を向ける。
「……いいえ、話すわ。話さなくちゃいけないと、私も思うの」
確かに園子にとっては辛い話だろう。聞いて彼女はきっと傷つくに違いないし、それに刑部姫との約束も破ってしまう。相手が誰であれ、約束を破ってしまうのは良い事ではない。
だが、それがなんだと言うのだ。園子だって自分達に勇者システムの真実や、自分の知りたい事に真摯に答えてくれた。それに銀から聞いた話が彼女にとって辛い話になるのは、彼女自身もとっくに気付いているはずだ。それなのに東郷に聞きたいと言ってきたのは、東郷と同じ気持ちだからだ。
もう思い出せないとしても、かつては友達だった誰かの事を忘れたままにはしたくない。自分だってそう思って、三ノ輪銀の所へ向かい、彼女自身の事と一人の友人の事を聞いたのだから。
東郷は決心すると、園子の顔を真正面から向き合う。すると園子も笑みを消して、東郷の顔を真正面から見据える。
「私が三ノ輪銀さんから聞いたのは----」
そして、東郷は話し始めた。
四人目の勇者であり自分達のもう一人の親友だった、天海志騎という少年の事を。
さっきとは立場が逆転し、東郷が話し手になり、園子は聞き手になった。園子は東郷の言葉に頷きながらも、言葉をほとんど発する事無く、ただ聞かされる情報の一つ一つに静かに頷いている。
ようやく東郷が天海志騎という自分が聞いた少年の情報について話し終えると、園子は何も言わなかった。彼女はしばらく黙って俯いていたが、やがてポツリと呟いた。
「……私ね、バーテックスとの最後の戦いの時、ミノさんに言ったんだ。ミノさんの事も、わっしーの事も、誰一人忘れたりしないからって。だから一緒に帰ろうって、約束したんだ」
「……うん」
東郷が相槌を打つと、園子の服に涙が零れ落ちた。片目から涙を流しながら、彼女は無理やり笑おうとどうにか唇の端を上げようとしているが、どうしても笑う事ができず歪な笑顔になってしまう。
「でも、その場にはきっとその天海って人もいたんだよね。だからきっと私は、その友達の事も忘れないって思ってたはずなんだよ」
「…………うん」
「だけど、思い出せないんだぁ……。その人がどんな人で、何が好きで、私達とどんな事をしてたのか。何も思い出せないの。……最低だね、私。これじゃあ天海って友達に、顔向けできないよ……。例えバーテックスでも、その人だって私の大切な友達だったのに……」
「………」
それに東郷も涙を瞳に溜めると、自分の額と彼女の額をコツンと合わせた。
「……最低なんかじゃないわ。私も、あなた達の事を忘れてしまっていたもの。私の方がもっと酷い」
「あはは……。じゃあ私達二人共、仲間だね……」
「……そうね」
二人共、確かに自分達の横にいたはずの友人の存在を、忘れてしまっていた。
東郷は三人の記憶を、そして園子は、一人の記憶を。
互いに大切な友人を忘れてしまったという消えない罪悪感と傷を抱きながら、二人はしばらく静かに額を合わせていた。まるで、互いの痛みと悲しみを共有し合うかのように。
そして二人は、面会時間の限界まで、涙を流し続けるのだった。
園子との面会を終えた後、東郷は四国を覆う壁の下に来ていた。移動の補助装備を使って一気に壁の上まで跳躍する。壁の上に立つ東郷の視線の先には、自然の風景が静かに佇んでいた。
「綺麗な景色だけれど……」
そう言うと東郷は壁が切れる位置までゆっくりと歩く。
そして次の瞬間、東郷の見ていた風景が一変した。
「……え?」
目の前に広がる風景に、東郷は思わず目を見開いた。
赤。赤。赤。
そうとしか表現できない風景が、自分の目の前に横たわっていた。
地表はおろか空をも埋め尽くす深紅の炎。白い体色をした無数の怪物が空を飛び回るという、地獄のような風景。普通の生物がいるべきではない世界。そんな場所に、今東郷は立っていた。
『壁を越えれば、神樹様が見せていた幻が消えて、真実が姿を現すよ』
東郷の脳裏に、園子から聞いた話がこだまする。
「なんて事なの……。あの子が言った通り、これが本当の、世界……」
園子から聞かされた真実に、東郷は呆然と呟く。
今彼女が立っているのは、黄金色に輝く巨大な樹木の一番下の幹の部分だった。否、樹木とは言っても、そう見えるだけで本当の樹木というわけではない。東郷を、四国を守っているのは。
「世界は、宇宙規模の、結界の中……」
すると、結界から出てきた東郷に狙いを定めて、白い口だけの怪物----『星屑』が口をぐぱぁと開けて東郷に食らいつきにかかる。東郷は銃を出現させて星屑を迎撃しながら、園子から聞かされた話を思い出す。
『人類を滅亡寸前に追いやったのは、ウイルスなんかじゃないんだよ。天の神様が粛清のために遣わした、生物の頂点、バーテックス。西暦の時代、世界は突如彼らに襲われた。人類に味方してくれた他の神様達は、力を合わせ、一本の大樹となり、四国に防御結界を張った。その時、神様の声を聞いたのが、今の大赦。神樹様を管理している人達』
「まるで地獄じゃない……!」
襲い来る星屑達をどうにか撃退し、荒く息をつく東郷の目に、さらに恐ろしいものが飛び込んでくる。
「あれって、友奈ちゃんが倒したはずの……! バーテックスが生まれてる!?」
大量の星屑が群がり、融合しながら巨大なバーテックスを作り出している。体色は周りの炎のように赤いが、あれがいずれ自分達が戦ったバーテックスと同じ存在になるのは簡単に予想がつく。
そしてそうなったら、また四国に襲来するだろう。それを迎え撃つのは、自分達。その後脳裏をよぎった想像に、東郷は表情を恐怖で強張らせる。
「こいつらがまた、次々と攻めてくるのを、私達が迎え撃つの……? 何回も、体の機能を失いながら……。何回も……」
『体が樹木のように動かなくなって、最後はこうして祀られる』
園子の言葉を思い出しながら、東郷は結界をくぐり自分達の世界に戻る。
壁の上で両手両膝をつき、荒く何回も息をつき、こみ上げる吐き気をこらえながら顔を上げると、香川の街並みがちらほらと見えた。
「ううう……あああ……ああああああああああっ……!」
両目から涙がこぼれだし、抑えきれない嗚咽が口から漏れる。自分の胸から溢れ出す苦しみと恐怖に怯えながら、東郷は両手で頭を抱いた。
「この苦しみを一つ一つ、また味わう……! それも皆が……! 絶対、絶対駄目よそんなの……! どうすれば良いの……!? 考えなきゃ、考えなきゃ……みんなを助けなきゃ……!!」
負の感情の嵐に飲み込まれそうになりながら、東郷は自分の脳を限界まで稼働させる。どうしたら、友奈達をこの運命から救い出せる。どうしたら、友奈達を生贄となる道から救い出す事ができる。
考えて考えて、考えぬいて、そして----。
「……あった。たった一つだけ……」
だが今の東郷は気付かなかった。
その方法が、自分達が護りたかったものを全て無にするものだとは。
今の彼女は、気づく事ができなかった。
そして、時間は再び友奈と樹が風の暴走を止めた時まで戻る。
驚愕の事実を告げた刑部姫に、夏凜が怒鳴る。
「か、壁が壊されたってどういう意味!? 一体誰が!?」
「知るか! それより構えろ! 樹海化するぞ!」
刑部姫が怒鳴り返した直後、色とりどりの花びらと光が世界を覆い、世界は樹海へと姿を切り替える。
「樹海化……。って事は、アンノウンが……?」
この状況で樹海化するという事は、バーテックスが襲来したという事。そして残ったバーテックスは、アンノウンしかいない。動揺する友奈とは反対に、夏凜はどうにか冷静を保ちながら、
「落ち着きなさい! まずは現状確認! アンノウンがどこから来るか確かめないと……!」
そしてスマートフォンのマップを開いた夏凜の目が、驚愕で見開かれた。
「何、これ……」
それを見た刑部姫もマップを開き、そこに映し出された情報を見てちっと舌打ちする。
マップの上部に、無数の赤い光点が自分達目掛けて迫っていた。とてもこの場にいる四人で太刀打ちできる数ではない。刑部姫がスマートフォンの画面から顔を上げて壁を見ると、無数の星屑が壁に空いた穴を超えて樹海に侵入してきているのが見えた。画面に映し出されている赤い光点は、間違いなくあれだ。
と、刑部姫の視線の先にある壁が、突然爆発した。爆発によって壁にもう一つ穴が空き、煙を上げる。
刑部姫は着物から彼女特製のデジタル双眼鏡を取り出すと、穴が空いた壁の近くを双眼鏡越しに見る。
何か所か視点を変えていくと、壁に穴をあけた人物の姿がようやく見えた。
その人物は。
「……東郷美森?」
え、と友奈が刑部姫の呟きに反応し、夏凜は思わず耳を疑う。友奈がスマートフォンを取り出してマップを確認すると、確かに壁の位置に『東郷美森』というマーカーが表示されていた。
「そんな、東郷さん……!?」
「友奈!?」
信じられない、という思いを抱きながら友奈は跳躍すると、東郷がいるであろう壁へと向かう。彼女の後ろ姿を見送りながら、刑部姫が夏凜に告げた。
「結城友奈を追え」
「え、って、あんたは!?」
「別件がある。こっちは任せたぞ」
すると刑部姫は夏凜の返事を聞く事なく、花びらを散らしてその場から去っていった。
「ああ、もう! 一体何が起こってるのよ……!」
苛立ち交じりに呟きながらも、夏凜は刑部姫に言われた通りに友奈の後を追った。
そして樹海を疾走する友奈の目に、壁に空いた穴から無数のバーテックスらしき怪物が次々と溢れ出てくるのを見て、友奈は思わず壁の真下の根で立ち止まって呟く。
「なんで……」
もうバーテックスは、アンノウン以外はいないはずなのに……。そう友奈が思っていると、壁の真上に親友がいるのが見えた。
「東郷さん……?」
呆然と友奈が呟いた直後、怪物----星屑の何体かが東郷目掛けて接近する。しかし東郷の周囲に二機ものビットが出現し、それらが霊力の弾丸を自動的に発射して星屑達を打ち砕いていく。星屑を蹴散らす東郷の真後ろに友奈は着地すると、ためらいながらも東郷に尋ねた。
「東郷さん……何をしてるの……?」
が、それに東郷は何も答えなかった。
「東郷さん!」
友奈が声を大きくして再び尋ねると、東郷は静かに返した。
「壁を壊したのは、私よ」
「えっ……?」
彼女が言った事が本当とは信じられず、友奈が戸惑いの声を上げると、ようやく東郷は振り返って友奈の顔を見た。彼女の顔は、今まで友奈が見た事も無いほど悲痛な決意が込められているように見えた。
「友奈ちゃん……私、もうこれ以上、あなたを傷つけさせないから」
それに友奈が戸惑うと、友奈に星屑が二体襲い掛かる。
「てぇええええいっ!!」
しかし星屑が友奈を襲うよりも早く、上空からやってきた夏凜が両手に持った双刀で星屑を撃破する。右手の刀を東郷に向けながら、夏凜が鋭い口調で東郷を問い詰める。
「どういう事よ東郷! 壁を壊したってあんた、自分が何やってるか、分かってるの!?」
夏凜の言葉に、東郷は悲しそうな表情を浮かべながら狙撃銃を持ち、
「分かってる……。分かってるからやらなければならないの!」
そう言うと東郷は、跳躍して壁の外へと向かう。
「東郷さん!」
東郷を追って友奈と夏凜も跳躍し、壁の外への結界を通過する。
直後、
「え……?」
「なっ……」
二人が目にしたのは、炎が支配する世界。
無数の白い星屑が宙を舞い、融合してバーテックスを形成する風景。
それは決して命の存在を許さない、まるで地獄のような光景だった。
「何……これ……」
それを見た友奈が呆然とした表情を浮かべると、隣にいる夏凜も言葉を失う。
「これが、世界の真実の姿」
後ろから聞こえてきた東郷の声に二人が振り向くと、そこには狙撃銃を手にした東郷が立っていた。
「壁の中以外、全て滅んでいる。そして、バーテックスは十二体で終わりじゃなく、無数に襲来し続ける。アンノウンという例外はいるけれど、あれはもしかしたらバーテックスが進化した姿の一つかもしれない……。この世界にも、私達にも、未来はない。私達は満開を繰り返して、体の機能を失いながら戦い続けて、いつか、大切な友達や、楽しかった日々の記憶を失って、ボロボロになって、それでも戦い続けて。もうこれ以上、大切な友達を犠牲にさせない!」
言葉を失う二人の前で東郷は狙撃銃を二挺拳銃に変え、
「勇者という生贄から逃れるためには、これしか方法が無いの!」
「ま、待って……!」
東郷を止めようとする夏凜だが、明らかになった真実に彼女の声も力を失っている。すると、自分を止めようとした夏凜に東郷が尋ねた。
「夏凜ちゃん、何故止めるの?」
「私は……、大赦の勇者だから」
「大赦は真実を隠し、あなたを道具として使ったのに?」
「道具……」
東郷から告げられた残酷な事実に夏凜は一瞬動揺するかのように瞳を揺らした。
「で、でも……」
「分かって友奈ちゃん……。友奈ちゃんや勇者部の皆が傷ついていく姿を、これ以上見たくない……。友達が傷ついていくのも、私もう耐えられない。耐え切れない……」
東郷は、泣いていた。手も悲しみで震え、今にも銃を取りこぼしてしまいそう。
どうして、こうなるまで彼女の気持ちに気づく事が出来なかったのだろう。悲痛な表情を浮かべる親友の姿に友奈が言葉をかける事が出来ずにいると、背後にかつて彼女が倒したバーテックス----ヴァルゴ・バーテックスが出現していた。友奈、東郷が気づいた直後、ヴァルゴは爆弾を発射し、三人は辛うじて攻撃を避ける。
壁の内側に戻った友奈は夏凜に支えられながら、別れてしまった東郷の姿を捜す。
「と、東郷さんを……!」
「駄目! 一旦引いて……!」
しかし壁から離れようとする二人を逃がすまいとするかのように、壁の内側にやってきたヴァルゴは爆弾を数発発射、二人の目の前で爆弾が爆発する。バリアのおかげで直撃は避けられたものの、その際に生じた衝撃で友奈と夏凜の変身は強制解除されてしまい、二人は樹海へと落下していくのだった。
一方、友奈達から離れた場所では、樹が星屑が宙を舞う樹海を不安そうな目で見つめていた。彼女の後ろでは、戦う意志を失ってしまった風が両膝を抱えてしゃがみ込んでいた。樹が彼女の両肩を支え、必死に体を揺らして何かを懸命に訴えかけるが、風は何も喋らない。それはまるで、心を失ってしまった人形のようだった。そしてそんな二人に、星屑達が迫り来ていた。
状況はまさに絶望的だった。
友奈と夏凜は変身を強制解除され樹海に落下。
風は戦う意志を無くし、樹がどうにか彼女を奮い立たせようとするも上手くいかない。
東郷は四人とは別行動を取っているものの、その目的は壁と神樹の破壊。
四国の……世界の滅亡が刻一刻と迫る状況。
そんな中。
たった一体、鳥を擬人化したような怪物----アンノウン・バーテックスが、樹海に一人佇んでいた。
するとアンノウンに星屑が数体襲い掛かるが、アンノウンは右手に持っていた大刀を一振りし、星屑達を薙ぎ払う。そしてアンノウンは大刀を一度振るってから、その場から高く跳躍するのだった。
今回出たブレイブアローとクナイが、真由理の専用武器となります。詳細は以下の通りです。
『ブレイブアロー』
勇者となった氷室真由理の弓型専用武器。霊力の矢を放つ遠距離戦の他に、フレームの刃を使用しての近距離戦もこなす。氷室真由理独自の技術が使われているため攻撃力が高いにも関わらず燃費は非常に良く、また発射する際の音も非常に静かなため精密射撃は勿論隠密性にも優れている。
『ブレイブクナイ』
氷室真由理のクナイ型専用武器。刀身には精霊バリアを無効化する術式が組み込まれており、これにより精霊バリアを無視して直接勇者を傷つける事が可能となる。
ブレイブアローとブレイブクナイのモデルは、仮面ライダー鎧武のソニックアローと仮面ライダーカブトのカブトクナイガン、クナイモードとなります。真由理の戦い方は仮面ライダーカブトや仮面ライダー滅などの戦い方を参考にしているため、この二つを武器として選びました。
次回。彼、参上。