刑「では勇者の章の一話目となる第四十一話、楽しんでくれ」
第四十一話 ノーハウス・ノーライフ
雲一つない晴天の下、天海志騎と三ノ輪銀は一棟のマンションの前に立っていた。外壁に汚れはほとんどなく、建築されてまだ間もない事を示しているかのようだった。
「ここが志騎の新しい家か……。なんか、他人の引っ越しだっていうのにわくわくしてくるな!」
「まぁ引っ越しって言っても、荷物はもう部屋に運び込んであるから、実質ただの荷解きみたいなもんだけどな」
目を輝かせる銀に、志騎が苦笑しながら返す。
何故二人がこのようなマンションの前にいるのか。
志騎が元々安芸と暮らしていた家はどうなったのか。
時間は、一週間ほど前に遡る。
「喜べ、志騎。お前の退院が一週間後に決まったぞ」
ベッドに座りながらお見舞いに来た銀が持ってきた柿をむしゃむしゃと食べている志騎に、刑部姫が言った。なお、彼の隣にはようやく体の機能が全て回復した銀がパイプ椅子に座り、彼と一緒にくし切りにされた柿を口に運んでいる。ちなみに座っている銀の姿を見た時、やはりと言うべきは刑部姫は舌打ちを忘れず、銀も嫌なものを見るかのように顔をしかめていた。
「やれやれ、やっとか。長かった……」
「もうすっかり冬も近づいてきてるしなー」
肩をすくめる志騎に、銀が苦笑する。銀の言う通り、最近は吹く風もすっかり冷たくなってきて、中学や高校の生徒達の制服はすでに冬服に切り替わっている。これからさらに寒さは厳しくなり、温かいものが美味しくなる季節に突入する事になる。
「で、だ。退院する前に、お前に見てもらいたいものがある」
そう言って刑部姫は着物からクリアファイルをいくつか取り出すと、ベッドの横にある机に置き始める。志騎が少々驚きながらクリアファイルの一つを取ると、中に入っていたのはマンションのチラシのようだった。というよりは他のクリアファイルに入っているのも、マンションとアパートのチラシやカタログばかりで、まるで不動産屋に来たかのような錯覚を志騎に抱かせる。種類も様々で、最近建てられた新築のものや数十年前に建てられたものまである。
「マンションにアパート? 何だよ、まさかこの中のどれかに住みたいから、俺に選んでくれとか言うんじゃないだろうな」
「選ぶのは確かにお前だが、住むのは私じゃないぞ」
「じゃあ、誰が?」
「お前」
すっと刑部姫が指差したのは、他の誰でもない志騎自身だった。志騎も思わず自分を指差すと、刑部姫はこくりと頷いた。それに銀が目を丸くし、志騎も怪訝な表情を浮かべると、
「いや、本当何言ってんだお前。俺の家は安芸先生と暮らしてた家があるだろ。そっちに住めば済む話だ」
「それは無理だ」
「どうして?」
「もう無いから」
あっさりと、刑部姫はそう言った。あまりにあっさりすぎたので、志騎自身聞き間違えたのではないかと心の底から思った。彼は目をぱちくりとすると、再度刑部姫に尋ねる。
「無いって、何が?」
「いやだから、お前の家が」
「面白いジョークだな。エイプリルフールにはまだ早いぞ?」
「志騎よ、さすがにジョークを言うためにこんなものまで用意するほど私は暇じゃないぞ」
「あはは、そうか。あはははははははは」
マンションのクリアファイルを呆れた表情でひらひらと振る刑部姫に志騎は思わず笑うが、その笑いもどこか棒読み気味である。志騎はしばらく笑ってからふぅと息をつき――――。
「――――ちょっと待てどういう事だテメェ!?」
ガッ! と刑部姫の胸倉をつかんで前後にぶんぶん揺らし始めた。あまりの揺れっぷりに刑部姫の首が激しく動くメトロノームのようになっているが、当然今の志騎にそんな事を気にしている余裕はない。
「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば」
しかし何よりも危ないのは、志騎に思いっきり揺らされている刑部姫だろう。が、そんな事で手を休めるような志騎ではない。彼は思いっきり刑部姫の体をガクガクと揺らしまくりながら、
「おいどういう事だ? 俺の家がもうないってどういう事だ? 安芸先生はどうした? いや、そんな事よりどうして俺の家が無くなる事になった!? 全部説明しろこの性悪精霊!!」
「分かった! 分かったから、揺らすのをやめろ! 本当に苦しい!!」
その言葉でようやく冷静さを取り戻したのか、志騎がぱっと刑部姫の胸倉から手を離す。しかし表情は相変わらず険しく、もしもとぼけた冗談抜きで拳が飛んできそうである。一方銀の方は刑部姫から放たれた言葉と志騎の様子におろおろしながらも、彼女も事情が気になっているのか刑部姫に視線を向けている。刑部姫はけほけほと咳をしてから、こほんと軽い咳払いをして、
「二年前、お前が大赦の間じゃあ大橋の戦いで死んだ事になっているのはもう知っているな?」
「ああ。銀と園子から聞いたよ。で、それがどうしたんだ?」
「お前が死んだ事で、バーテックス・ヒューマンのお前がいた証拠となるものは全て消す事になっていた。何せ、バレたら大赦の信用が揺らぐ事に繋がりかねないからな。おまけに安芸もお前の監視の任務から外れた事で、あの家は不要になったんだ。で、二年前の大橋の戦いの後、家はすぐに取り壊されて売地になったという事だ」
「…………」
「ああ、それとあの家はもう売れたぞ。中々良い立地だったからな。結構な高値で売れたと聞いた」
「……………」
「えっと……あの……その……てへぺろ♪」
般若のような顔になっていく志騎を見て、刑部姫が場を和ませるためか舌を出したが、それは火事場にガソリンをぶちまけるのと同義だった。彼は再度刑部姫の胸倉をつかむと、今度はバーテックスの能力まで発動して腕力を強化し刑部姫の体を勢いよくシェイクする。
「お前ふざけんなよぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
「わ、私が提案したんじゃない!! 提案したのは大赦だ!! 文句ならあっちに言え!!」
「やかましいわ!! 家が無いって事はあれか!? この歳で家なき子かよ俺!! もうすぐ冬だっていうのに、寒空の下で段ボールに包まって寝ろと!?」
「大丈夫だ、志騎! 家なき子の主人公は12歳だ! お前の方が後輩だ!!」
「知らねぇよ!!」
ちなみに家なき子というのは、旧世紀の一時期に流行っていたテレビドラマの名称である。旧世紀のドラマではあるが神世紀となってからリメイクされて放送された事もあって、今でも人気がある。とは言っても旧世紀のドラマは結構過激な内容だったらしく、大赦と監督が内容を修正した結果大分マイルドなドラマになったというのがもっぱらの噂だった。
「お、落ち着けよ志騎。それをどうにかするために、刑部姫もこんなもの持ってきたんじゃないのか?」
と、さすがに見るに耐えかねたのか銀が助け舟を出した。刑部姫と仲が悪い銀も、取り乱す志騎と激しくシェイクされる刑部姫を見て、ほんのちょっぴり刑部姫に同情したのだろう。
「な、なるほどな……」
ぜぇぜぇと息をつきながら志騎がぱっと両手を離すと、刑部姫は口元を抑えてうずくまってしまった。自分がやった事とはいえ、まさか吐かないよな……と志騎は刑部姫から若干距離を取ると、無造作に置かれたクリアファイルの中からチラシやカタログを見ながら、
「つまり、この中から俺の新しい家をどれか選べって事か……」
「そういう事だ……」
若干気持ち悪そうに、刑部姫が答えた。志騎はチラシとカタログを険しい表情で見ながら、
「でもさ、ちょっと古くてもマンションやアパートの家賃ってそれなりに高いだろ。電気代や光熱費、水道代もかかるし、俺まだ中学生だからアルバイトもできないし……。正直、住む家も重要だけど金銭面も心配なんだけど……」
「そ、それならさぁ志騎」
と、声を上げたのは銀だった。志騎が銀の方を向くと、彼女は何故か顔を赤らめながら、
「い、家が無いって言うなら、アタシの家に来て一緒に……」
「それなら安心しろ。金は全て私が払ってやる」
銀の言葉を遮って刑部姫が取り出したのは、なんと限度額無制限の黒いクレジットカードだった。大赦の科学者である刑部姫にしてみれば当然の事かもしれないが、初めて見るカードに志騎も息を呑んでしまう。なお、言葉を中断された銀と邪魔する形になった刑部暇は互いに睨み合っていた。
「払ってくれるって言うなら正直ありがたいけど……本当に良いのか?」
「構わん。三好夏凜の生活も大赦が支援しているし、勇者のサポートをする事は大赦の義務だ。それはお前でも変わらん」
「満開の事を隠してた組織に言われても、説得力がないけどなぁ……」
「サポートをしていた事に変わりはない」
苦言を呟く銀に、刑部姫はしれっと言った。しかし、そういう事なら金銭面についての心配はしなくてもよさそうだ。折角なので、あれこれ見て自分が納得できる所を見つける事にしよう。
「これ、いつまでが良い?」
「できればすぐにでもだな。手続きとかはこっちで行うが、一週間後が退院という事を考えると余裕がある方が良い。大赦の権力はあるが、それでも手間が無い方が正直私としては楽だ」
「了解」
そう言って志騎はチラシやカタログに目を通しながら、銀に尋ねた。
「そう言えば銀。お前は確かもう実家に帰ってるんだよな」
「うん、そうだよ。まぁ実家って言ってもアタシの家族も讃州市に引っ越したから、お前と初めて会った家ってわけじゃないけどな」
「そうだったのか……。鉄男と金太郎には会えたのか?」
志騎の脳裏に浮かぶのは、彼女の弟である鉄男と金太郎の姿だった。最後に出会ってから二年は過ぎたから、鉄男は七歳、金太郎は二歳のはずだ。その言葉に銀は嬉しそうに笑い、
「もちろん! 鉄男なんて、アタシと会った瞬間に大泣きして駆け寄って来てさ。まぁ泣いたのは鉄男だけじゃなくて、アタシもなんだけど」
てへへ、と恥ずかしそうに銀が言うがそれは恥ずかしい事でも何でもない。銀は二年間大赦によって祀られ、友人はおろか家族に会う事すら許されなかったのだ。泣くほど嬉しくて当然だ。
「金太郎は?」
「最後に会ったのが赤ちゃんの時だったから最初はきょとんとされたけど……母ちゃんがお姉ちゃんだよって言ったら、アタシの事覚えててくれたみたいでさ! お姉ちゃんお姉ちゃんってアタシの事呼ぶんだよ! それがもう可愛くてさー。そうだ、後で金太郎の写真見る!? あんまりに可愛くて、何枚も写真撮っちゃって」
「ブラコン」
「あぁっ?」
からかい半分、嘲り半分の刑部姫の言葉が銀の耳に届き、彼女がドスの声を出す。「やめとけよ……」と志騎は刑部姫に注意してから、
「今お前の家って、どこら辺にあるんだ?」
「えーと、ちょっと待ってくれ」
そう言って銀はスマートフォンを取り出して操作をしてから、「はい」と言って志騎に差し出す。画面には讃州市の地図が表示されており、地図の一角にポイントマーカーが表示されていた。
「ここか……」
志騎はそれを見てると、いくつもあるチラシやカタログをよく吟味する。そしてニ十分ほど経ってから、刑部姫を呼んだ。
「じゃあ刑部姫、ここにするよ」
そう言って志騎が差し出したのは、建築されて一年ほどのマンションだった。まだ新しいためか家賃はそこそこ高いが、その分セキュリティがしっかりしているようだった。それにあくまでも写真からの判断になってしまうが、マンションから見える風景も良さそうである。
「ふむ、お前が言うなら私は別に構わんが……お前は本当にここで良いのか? 中学からは少し遠いぞ?」
「自転車買えば余裕で間に合うだろ」
「それもそうだな。ではこの際だし、電動自転車でも買うか。滅茶苦茶性能の良いやつ」
「……別に電動じゃなくても良いよ……」
さりげなくクレジットカードを出す刑部姫に、志騎が呆れたように言った。
何故二人がこんな会話をしているかというと、もしも志騎が退院したら讃州中学に通う事になっていたからだ。園子と銀の体の機能が回復した事で、お役目から解放された二人は普通の生活に戻る事を大赦に要請し、それを大赦も了承した。そして志騎も次にお役目が来るまで普通の生活を送る事になり、どうせなら友達がいる中学校の方が良いという事で園子と銀と共に讃州中学に転入する手筈になったというわけだ。三人共小学校中退という事情を抱えてはいるが、そこは大赦の力でなんとかなるし、編入試験に合格すれば問題はない。その編入試験で唯一銀が頭を抱えてはいたが、なんとかなるだろう、たぶん。
そしてこのマンションの場所だと、志騎が通う事になる讃州市には徒歩だと時間がかかるので、志騎の言った通り自転車で通学する事になる。すると二人の話を聞いてた銀が志騎に尋ねた。
「でも、どうしてこのマンションなんだ?」
他のマンションのチラシやカタログを見ると、讃州中学へ徒歩で通えるものもある。どうせなら近い方が良いのではないかと思い銀が尋ねると、何を言っているのかと言いたそうな表情で志騎が答える。
「だってどうせお前、学校に行く途中で俺の家に寄るだろ」
「え、もちろん」
当然と言わんばかりの反応だった。二年間の空白が空いてしまったとはいえ、それまではこの二人にとって一緒に学校に行くのは日常茶飯事であり、二人の大切な『日常』だったのだ。今更その日常を変更するつもりなど銀にはない。と、そこでようやく銀は志騎の意図に気づき、
「あ……もしかして志騎、それで……」
志騎が選んだマンションの位置を確認すると、新しく引っ越した銀の家とさほど遠くない位置にある上に、銀が通学する道の途中に位置していた。ただ学校に通うだけなら讃州中学の近くの物件で良いだろうが、そうなったら銀が志騎の家に来るまで時間がかかってしまうし、学校へ一緒に行く時間も短くなってしまう。つまりそれらを見越して、志騎はこの物件を選んだのだ。
「だったら何なんだよ?」
呆れたように言うが、それが銀の指摘が正しい事を示していた。銀は何故か無性に嬉しくなり、笑顔になると志騎の肩をバシバシと叩く。
「痛いんだが……」
志騎がチロリと銀を睨むが、彼女は気にせず志騎の肩をバシバシと叩き続ける。刑部姫はそんな銀を阿呆が……と口の中で呟きながら睨んでいたが、ため息をついてから物件のカタログを見て、
「まぁ、引っかかる事はあるが別に良いか。セキュリティはしっかりしているし、建築年数もそんなに経っていない。部屋の広さも十分。ふむ、良いだろう。最後に改めて聞くが、本当にここで良いんだな志騎」
「ああ、良いよ」
「分かった。手続きは早急にこっちの方でしておく。家具等はこっちで揃えておくが、何か必要なものがあったら言ってくれ」
そう言ってカタログとチラシを刑部姫が片付け始めたが、途中で「ああそうだ」と何かに気づくと志騎に言った。
「取り壊された家にあったお前の私物等もまとめて送っておくから、来週の引っ越しの際に荷ほどきするぞ。その際は私も手伝ってやる」
「………え?」
刑部姫の言葉に、志騎が思わずきょとんとした表情を浮かべて刑部姫の顔を見る。さらに銀も同じような気持ちだったのか、志騎と似たような表情を浮かべていた。
「……? 何だ、二人共そんな顔をして」
「俺の荷物ってあるのか? てっきり家が壊された時と一緒に全部捨てられたと思ったんだけど……」
すると刑部姫も二人がどうしてそのような表情を浮かべたのか納得したようで、
「ああ、そういう事か。確かに最初はそうなるはずだったんだが、 ある人物が保管すると言いだしてな。家が取り壊されてからは、そいつがずっと保管してたんだ。で、今回お前が生きている事が分かったから、荷物を全てお前に返す事になったというわけだ」
辻褄は通っている。しかしそうなると、新しい疑念が浮かび上がってくる。
「……その人物って誰だ?」
志騎の問いに、刑部姫はふっと悲し気な笑みを浮かべた。その表情を見て、銀はこいつこんな表情ができるのか……と内心驚いた。
「安芸だよ」
「安芸先生が?」
刑部姫の口から出た名前に、志騎は思わず声を上げる。それは銀も同様だったようで、驚きで目を見開いていた。驚く二人を前にして、刑部姫はカタログとチラシを片付けながら、
「二年前家を取り壊される前、安芸はお前の私物を全てまとめてそのまま保管しておいたんだ。もちろんお前がいたという証拠を全て消し去りたい大赦は苦い顔をしていたが、絶対に誰の目にも触れさせないという条件付きでどうにか許可を取った。で、それ以来それらは約束通り誰の目にも触れられる事無く、安芸がずっと保管していたというわけだ」
「そうだったのか……。でも、どうして安芸先生が?」
銀からの疑問に、刑部姫は苦笑を浮かべ、
「……あいつはああ見えて、大赦の他の神官ほど信心深いわけでも、私ほど合理的というわけでもない。頭では分かっていても、お前がこの世界にいた証拠を無くす事に耐えられなかったんだろうよ」
「……安芸先生」
二年間離れ離れだった育ての親の名を志騎はポツリと呟き、銀は最後に見た安芸の姿を思い出す。あの時は刑部姫に言われた言葉で頭に血が昇ってしまっていたせいで気づく事が出来なかったが、もしかしたらあの時の彼女の言葉は本心では無かったのかもしれない。もしもそれが本当だとしたら、あの時彼女はどのような気持ちで、志騎の事を失敗作の兵器と口にしたのだろう。
……そんなの、決まっている。彼女に育てられた志騎と親友の刑部姫ほどではないが、自分も須美や園子と一緒に彼女の下で教えられ、接してきた。彼女がクールで怖そうに見えるけれど、本当は生徒と自分の弟とも言える存在の事を大切に思っている事は分かっている。きっと彼女はあの時、文字通りわが身を切り裂かれるような気持ちであのような嘘をついていたに違いない。……例えそれで、志騎と自分達からどれだけ非難され、侮蔑されようとも。全ては神樹と多くの人達が住むこの世界のために。
志騎はしばらく俯いていたが、やがて小さな声で刑部姫に尋ねた。
「……安芸先生は、どうしているんだ?」
「今は大赦の本部で活動している。体調だけを見て言うならば元気だし、今でも時々私と顔を合わせる事はあるが……正直、前よりもつまらなくなった」
「つまらなくなったって、どういう意味だ?」
「前の安芸は、自分のしている事に悩みながらもそれでもお前達の事を考えていた。なのに今じゃ、他の神官同様まるで神樹の操り人形のようになっている。あれが奴なりの決意なんだろうが……正直私は、前のあいつの方が好きだった」
どこか悲しそうな口調で語られる安芸の現状に、志騎と銀は何を言えば良いか分からず黙り込んでしまう。カタログとチラシを全て片付けて自分の着物にしまい込みながら、刑部姫がさらに続ける。
「……だが、私の所感になるが、お前が生きていると報告を受けた時安芸は喜んでいたぞ」
「そう、なのか?」
「仮面を被っていたから表情は分からないし、反応も『そうですか』だけだったから他の人間から見たら素っ気なく感じられただろうが、その後隠れて見てたら体を少し震わせて目元を拭っていたから、多分泣いてたんだろうな」
「相変わらず趣味悪いなお前……」
「やかましい。ま、仮面を被って何を考えているのか分かりにくくなっているが、安芸はお前の事を今でも大切に思っているというのは確かだと私は思うぞ」
「………そうか」
志騎の反応は薄かったが、彼の口元には笑みが浮かんでいる。彼も育ての親が今でも自分を大切に思ってくれているという事を聞いて、きっと嬉しいに違いない。すると、銀が刑部姫に尋ねる。
「安芸先生に会う事は出来ないのか?」
刑部姫の話を聞くときっと安芸は志騎に会いたいに違いないし、志騎も二年間会えなかった育ての親に会いたいはずだ。刑部姫が彼女と顔を合わせているという事はこちら側から安芸に会いたいと連絡を取る事ができるかもしれないし、難しいようなら自分がどうにか口利きをする事も銀は考えていた。散華によって失われた体の機能が返って来たとはいえ、かつて生き神として祀られていた園子と銀の権限は今も有効であるはずだからだ。しかし二人の希望に反して、刑部姫は首を横に振り、
「無駄だ。あいつは今でも二年前、自分が志騎を兵器として切り捨てた事を気にしている。会いたくても、あいつが志騎に会いたいという事はないだろう。おまけにあいつは頑固だからな、こちらがいくら会いたいと言ってもそれに応ずる事はまずない。例えお前の権限があってもだ、三ノ輪銀」
「でも……!」
それでは、安芸の心の傷は癒されないままだ。なおも銀が反論しようとすると、待ったをかけたのは志騎だった。
「良いよ、銀。あの人が会いたくないって言うなら、仕方ないだろ」
「だけど……」
本当は、志騎だって会いたいはずなのに……。銀が志騎の顔を見ると、彼は苦笑を浮かべながら首を横に振り、
「確かに会いたくないって言ったら嘘になるけど、先生が元気なら今はそれで良い。諦めなければ、またいつか会えるさ。俺がお前達に会えたようにな」
そう言って笑う志騎を見て銀は切なげな表情を浮かべ、刑部姫も何も言わず黙っている。志騎はそうだ、と言ってから刑部姫に視線を変えると、
「今度差し入れ作るからさ、先生に持って行ってくれないか? それぐらいならできるだろ?」
「……ああ。分かった。だがその前にまず引っ越しの件だ。一週間後のお前の退院日となる日に直接マンションに向かう。それまでに家具の配置、荷物の郵送は済ませておく。だからあっちでする事は住居の簡単な説明と荷ほどきだな。荷ほどきもそんなに数はないから、すぐ済むだろう」
「あ、じゃあアタシも行って良い!? アタシもまだ学校に行けないし、荷ほどきするなら人手が多い方が良いだろ?」
「そうだな……。じゃあ、頼むよ」
「うん!」
志騎の言葉に、銀は力強い返事をした。一方の刑部姫は、私不服ですという気持ちが前面に出た表情を浮かべていたが、当然の如く二人はそれをスルーする。気が付くと先ほどまで病室に漂っていたしんみりとした雰囲気は消え、賑やかな空気が戻っている。
それから志騎にこれといったトラブルが起きる事も無く、一週間後晴れて退院の日を迎える事になった。
退院兼新居への引っ越し当日、病院を出た志騎を待っていたのは笑顔の銀と彼女と一緒のためか不機嫌そうな表情を浮かべている刑部姫、そして大赦が所有する車だった。大赦の神官が運転する車に三人が乗り向かった先は、新築一年ほどのマンションだ。そこで三人は車から降りて、マンションの三階へと向かう。なお、物件の説明等はすでに大家から大赦の神官に説明され、その神官から刑部姫に対して行われているため説明と鍵の受け渡しは刑部姫から実施されるようだ。その神官が誰なのかは聞いていないが、刑部姫に接触する事ができる神官は限られているので、志騎と銀は誰なのかもうすでに分かっていた。
エレベーターで三階に向かうと、共用廊下を歩いて部屋の扉の前へと向かう。そこで志騎は刑部姫から鍵を受け取ると鍵を開けて、扉を開いた。
「お邪魔します、と」
先に部屋に入った志騎と刑部姫に続いて銀がそんな事を言いながら入り、三人は部屋の中の様子を確認していく。
志騎の部屋となる洋室にはすでに机やら本棚等が設置され、志騎の私物が詰まっているであろう段ボールが三つほど置かれている。さらに志騎の部屋よりも大きめの洋室、トイレと風呂場、さらにキッチンと一体化したリビングにはやはりすでにテーブルやソファ、テレビが設置されている。志騎と銀が部屋の中を見渡していると、志騎が驚いたように言った。
「なんて言うか……至れり尽くせりだな」
「なに、お前が気にする事は無い。お前が使いやすいようにソファの位置やテーブルの位置も計算し、さらにキッチンの道具もお前が使いやすいものに揃えておいた。存分に使って良いんだぞ?」
「親バカ」
一週間前にからかわれた意趣返しのつもりなのか、銀がふっと鼻で笑う。それを引き金にして二人の血で血を洗う抗争が始まりかけるが、間一髪志騎がそれに待ったをかける。
「はいはい。まず俺の部屋の荷物の荷ほどきから始めるぞ。それとやるなら外でやってくれ。さすがに俺の新しい家を血で汚したくない」
志騎の言葉で、三人は志騎の部屋となる洋室で荷物の荷ほどきをする事になった。三つの段ボールを開けていくと、中に入っていたのはたくさんのミステリー小説とホラー小説、勉強道具、さらには志騎が趣味で作っていたボトルシップが丁寧に入れられていた。
「安芸先生……。全部入れるのは、大変だったろうに……」
「あいつからすると、これらは全てかつてお前がいたという事を示す宝物だったんだろうな」
本を一冊ずつ本棚に詰めていきながら志騎が呟くと、ボトルシップを置いていた刑部姫が言う。不思議と、志騎を作った張本人であり安芸の親友である刑部姫が言うと、説得力があるような気がした。
そして三人が荷ほどきを全て終える事には、時間はすでに12時を過ぎていた。荷物自体はそんなに多くないと言っても、やはり引っ越しの作業には時間がかかる。となると、当然お腹も空いてくる。
「そろそろ昼食か……。何か作るか」
「となると、食材を買ってこなくちゃ駄目だな」
銀の言う通り、立派な冷蔵庫はあるものの食材が無ければ宝の持ち腐れだ。スーパーに行って何か買ってこなければならない。しかしそれに何故か刑部姫がふふふと笑い声を漏らし、
「お前ら、私がそんな事も考え付かないと本気で思っていたのか?」
「……お前、まさか」
志騎がちらりと銀にアイコンタクトを飛ばし、銀が頷いて冷蔵庫のあるキッチンへと向かう。そしてすぐに戻ってくると、唖然とした表情で志騎に言った。
「……食材、揃ってた」
二人が無言で刑部姫を見ると、彼女は見事なドヤ顔をしていた。……正直助かるが、これでは銀から親バカと言われても無理が無いと、志騎と銀の二人は心の底から思うのだった。
本日の昼食は手早く済ませるため、サンドウィッチにする事にした。さすがと言うべきか調理器具等もすでに揃っている。志騎と銀は協力して、三人分のサンドウィッチを手早く作っていく。二年間のブランクはあるとはいえ元々料理上手の二人の手つきは見事なもので、おまけに以心伝心の動きで作業を進めたため調理は案外早く終わった。皿にできたサンドウィッチを乗せてリビングのテーブルまで持っていくと、三人座って「いただきます」と合掌する。手始めに志騎はハム卵サンド、銀はツナサンド、刑部姫はカツサンドに手を伸ばす。自分達が作ったサンドウィッチを口にして、よほど美味しかったのか銀は嬉しそうな表情を浮かべ、刑部姫も同感だったのかもぐもぐと何も言わずにサンドウィッチを口にしている。無愛想な態度に見えるだろうが、もしも口に合わなければ何らかの毒舌が飛んでいるので、この反応はむしろ良い方である。一方、
「………っ」
銀が作ったハム卵サンドを口に運んだ志騎は、何故か若干眉間にしわを寄せてもくもくと口を動かしていた。他人から見ると分かりにくいか反応かもしれないが、生憎ここには彼の微妙な反応を的確に見抜く人間しか存在していない。
「志騎、どうした? もしかして、マズかったか?」
恐る恐ると言った感じで銀が尋ねると、それに気づいた志騎は笑みを浮かべると首を横に振り、
「いや、美味い。お前また腕上げた?」
「さ、さすがにそれはないかなー。アタシ二年間寝たきりだったし、その間料理も全然できてなかったし」
「その割には美味いけどな」
言いながら黙々とサンドウィッチをさらに口に入れていく。銀も謙遜しながらも満更ではないのか、照れたような笑みを浮かべている。唯一刑部姫だけは、カツサンドを口に放り込み咀嚼しながら志騎の顔をじっと見つめていた。
昼食と洗い物を済ませると、銀は自宅に戻る事になった。銀本人はこのまま何か手伝いたいと言ってきたのだが、今日する事はこの後自転車を買いに行く事ぐらいで、それは志騎一人でできる。それに何より彼女は二年間家族と離れ離れだったので、少しでも家族のそばにいてやれという志騎の言葉もあった。
さすがの銀も家族を引き合いに出されたら強く反対する事は出来ず、それにこうして退院できた以上志騎ともいつでも会えるので、今日は彼の言う通り帰る事にした。
「じゃあ志騎、アタシ帰るね。次会えるのは、学校に行く時かな」
腕を組んで壁にもたれかかる志騎に、玄関で靴を履きながら銀が言う。ちなみに刑部姫は空気を読んでか、リビングでテレビを見ながら笑い声を上げている。すでに家主よりもこの部屋に早速馴染んでいるようだった。
「ああ。その時は、園子と須美にも会えるな。当日は寝坊しないようにしろよ?」
「分かってるよ。その日は目覚ましニ個……いや、三個ぐらいかけて寝るようにするって!」
へへ、と笑う銀に志騎もつられて笑う。大袈裟かもしれないが、彼女にとってはそれだけ重要で大切な日だ。何せ、失われてしまった自分達の青春を取り戻す事ができるのだから。
「あ、そうだ。志騎に返さなきゃならないものがあったんだ」
「俺に?」
何か彼女から返されるものがあっただろうか。首を傾げている志騎に銀が着ていたジャケットから何かを取り出す。取り出されたのは、夜空のような深い青色の石がはめ込まれた指輪だった。
「それって……」
忘れるはずもない。二年前の夏祭りの時に、銀が志騎に渡した魔除けの指輪だった。大橋の戦いの時に刑部姫に銀に返すように頼んでいたのだが、銀が持っていたところを見ると相棒の精霊はきちんと彼女に返していたらしい。
「もうアタシが持ってる必要はないだろ? お前はちゃんと帰ってきてくれたんだから。……今度はちゃんと着けといてくれよ?」
ニッと笑いながら差し出された指輪を、志騎は困ったような笑みを浮かべながら受け取った。大橋の戦いの時、彼女からもらった大切なそれをずっと机の中に入れっぱなしにしておきたくなくて彼女に返すよう刑部姫に頼んだのだが、またこうして自分の手元に戻ってくるとは夢にも思わなかった。銀から言われた事もあるし、今回はきちんとネックレスにして着けておくとしようと志騎は思った。
「じゃあ、またね志騎!」
「おう。じゃあな」
さっと手を上げて扉を開ける銀に、志騎も手をひらひらと振って見送る。バタン、と閉められた扉を見て志騎がリビングに戻ろうとして、ふとその足を止める。
「……またね、か」
考えてみれば、あと何回銀と顔を合わせる事ができるのだろうと志騎は思う。
以前園子と会った時、銀は志騎の体について何かを言いかけていたが、志騎にはその目星がついていた。そしてそれを裏付けるように、後日刑部姫から直々に志騎に彼の体についての真実が明かされた。
自分の体は勇者になるための呪術的措置と薬品の投与のため、二十歳しか生きる事が出来ない事。
もしもバーテックスと天の神との戦いが終わったり、自分の役目を放棄するような事をした場合、自分は使い終わった兵器として廃棄処分される事になる事。
今はバーテックスの動きが治まっているため戦う必要はないが、もしもまた戦う時が来たらその時はまた勇者として戦う事になる事。
しかしそれらを聞いても、志騎は憤ったり悲しんだりはしなかった。むしろ、当たり前の事とすら思っていた。自分はバーテックスを殺すために作り出された兵器で、多くの人達の命と未来を奪った化け物と同じ存在。そんな自分が人並に生きる事や真っ当に死ぬ事を望む事自体が間違っている。だから大赦の自分に対しての扱いや自分の末路を聞いても、特にこれといった感情は浮かんでこなかった。
(まぁ、こんな事を銀達が知ったら怒るだろうけど)
そう思いながら、志騎は自分の手の中の指輪に視線を落とす。自分がバーテックスと知っても、須美や園子、銀は自分と普通に接してくれた。自分がこんな事を考えていると知ったら、きっと怒って説教をするに違いない。……そんな風にどこまでも誰かの事を思いやれる彼女達の事が、志騎は羨ましかった。
(それにしても一体、何なんだろうな)
つい先ほど志騎はサンドウィッチを食べた時、気のせいかもしれないが味が薄く感じられた。銀が調理を間違えてしまったせいかと一瞬思ったが、料理上手な彼女がそんなミスをするとは考えられず、さらに自分が作ったサンドウィッチにも手を伸ばしてみたが味はやはり少し薄いようだった。しかし一緒に食べていた銀や刑部姫にはそんな様子は見られず、料理自体に問題はないようだ。とすると、問題があるとすれば。
(俺の味覚、か)
自分の舌を動かしながら、志騎はそんな事を思う。
考えてみれば最近どうも自分の体におかしい事が起こる。前はこめかみに軽い痛みが突然はしったし、さっきは味が薄く感じられた。病院で行われた検査の結果刑部姫は異常なしと言っていたから、傍目からは分かりづらいのかもしれない。
が、自分の体に何か異変が起こっていると考えるのはまだ早いとも志騎は思っていた。もしかしたら二年間戦い続けっぱなしだったのでまだ体が日常に慣れていないせいかもしれないし、それどころか単なる気のせいという事もある。まだ確証を持てる状況ではないし、今はとりあえずこの普通の日常を送って行こうと思う。
いつか自分の命が尽きる、その時まで。
そして志騎は一緒に自転車を買いに行くために、テレビを眺めて志騎を待っている刑部姫のいるリビングへと、再び歩き出すのだった。
次回から園子、銀、志騎達の三人が讃州中学に転入し、友奈達勇者部との本格的な交流が始まります。
そして天海志騎は勇者であるのお気に入り件数が50件を越え、UAが10000目前となりました。これも志騎と友奈達の戦いをいつも見てくれている読者様達のおかげです。これをモチベーションにして、少しでも面白い小説を書けるようにもっと精進しいたします。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございます。