志「……なんか、一か所おかしなところが無いか?」
刑「む? そんなはずはない。勇者部はお前を含めて七人だろう? それのどこがおかしいんだ?」
志「……いや、確かにそうなんだけど……」
刑「ふむ。まぁ良い。それより、気が付いたらあと少しで二周年となる天海志騎は勇者である、第四十七話。どうぞ楽しんでくれ」
志「……何か、変なんだけどなぁ……」
――――今日の天海志騎の一日の始まりは普通のものだった。
普通に朝起きて、普通に朝食を食べて、普通に幼馴染と登校し、普通に授業を受ける。バーテックスの記憶の共有による悪夢を見る事も無く、そのおかげで気分が落ち込む事も無かった。
昼休みは仲良くなった高橋在人と佐藤良太と一緒に弁当を食べて、満腹になった事により生じる軽い倦怠感と眠気を我慢しながら、午後の授業。
放課後は勇者部の部室へ向かい、部活を行う。いつものパターン。いつものルーティン。
志騎は勇者部の部室の前まで来ると、コンコンと扉を三回ノックする。中からはーいという先輩の声が聞こえたのを確認して、扉を開けて中に入る。
「天海志騎、入ります」
そう言って先に来ていた勇者部の面々と挨拶をしてから、部室の中を見渡す。
今部室の中にいる勇者部の数は自分を除くと七人。どうやら、もう自分以外の全員が揃っているようで――――。
「ん?」
と、そこで志騎は思わず怪訝な表情を浮かべた。するとそんな志騎に気が付いたのは、彼の幼馴染である三ノ輪銀だ。
「どうした、志騎?」
「……なぁ、銀。勇者部って、俺を入れて何人だっけ?」
確認のために彼女に尋ねると、銀は困惑したような表情を浮かべながらも答える。
「七人、だろ? 友奈に夏凜に風先輩と樹。で、アタシと園子とお前が入って来て七人。……それがどうしたんだ?」
どうして志騎がそんな事を尋ねるのか分からない、というような表情だった。銀からの確認を聞いた志騎は黒板に貼られている写真を見る。そこにはこの前のキャンプの時の写真やサバイバルゲーム部との対戦の時の写真、さらには自分達が入部するよりも前に撮影された、友奈達四人の写真が貼り付けられている。
「……そう、だよな。七人……だよな」
そう。勇者部の数は全員で七人。それは間違いない。
それなのにどうして、七人という数が自分の頭にひっかかったのだろう?
志騎がその違和感に思わず黙り込むと、銀だけではなく周りの少女達も志騎の様子に気づいたらしい。
「志騎君、どうしたの? もしかして、どこか具合が悪いとか……」
「え、ちょっと大丈夫? なんなら、今日だけでも休む? 今日の依頼は別にアタシ達だけでも捌けるし……」
志騎の体調を心配した友奈と風が声をかけるが、別に体調が悪いわけではない。ただ、何故か気になっただけだ。志騎は苦笑を浮かべると、ふるふると首を横に振って、
「いいえ、俺は大丈夫です。ただの気のせいですよ」
「そう? なら良いけど、何かあったらきちんと相談しなさいよ」
悩んだら相談。勇者部が守るべき掟とも言える勇者部五箇条にも、きちんとそう書かれている。志騎が頷くと「それなら良し!」と言って今日の依頼を説明するために部員達を黒板の前に集め、本日の依頼について説明する。
志騎も黒板の前に並べられている椅子の前に座ると、風の説明を聞く。
単なる気のせい。ただの勘違い。
なのに。
何故か志騎の頭から、違和感のようなものが消え去る事は無かった。
「………」
ニ日後の夜、志騎は自分の部屋で勉強をしていたが、どうにもある事が気になり集中できなかった。
無論それは、この前勇者部の部室で感じた違和感だ。くるくると器用にペンを回しながら、違和感について考える。
勇者部部員の数は全員で七人。友奈に夏凜、風に樹、最近入った銀と園子と志騎。それは間違いない。
……間違いない、はずだ。それなのにどうしてか強い違和感がある。数日経てばその違和感も無くなるかと思ったが、結局それは叶わなかった。まるで違和感という名前の釘が自分の頭に突き刺さっているようだった。
しかし理由が分からない。なので、志騎はどこに違和感があるのか一つずつ整理をしてみる事にした。
まず七人という数字。そして、自分達が入る前の勇者部の人数。自分達が入った時にいたのは友奈に夏凜、風に樹の四人。そこに自分達が加わり――――。
「……四人?」
ふと胸に生じた違和感。それは、今日部室を訪れた時に感じたものと同じものだった。
そこがまず一つ。ノートに『四人』という文字を書き込む。
次に勇者部に入部した人間の数。自分と銀と園子。それはたぶん間違いない。元々勇者だった銀と園子は勇者のお役目から解放され、人間としての記憶と姿を取り戻した自分は讃州中学に転入する事になった。自分と銀と園子は神樹館にいた時から一緒で、三人で勇者として戦い続けてきて……。
その、瞬間。
「っ!?」
三人、という数を頭の中で思い浮かべた瞬間、強烈な違和感が志騎を襲った。
それは部室を訪れた時や、ついさっき四人という文字に抱いた違和感とは比べ物にならないほど強いもの。それこそが、志騎が部室を訪れた時に感じた違和感の正体。
頭の中で、神樹館の時の記憶を整理する。自分と銀と園子。神樹館に自分と彼女達がいた事は間違いない。なのに何故、これほどまでに強い違和感を感じるのか。
そう言えば、銀が言っていた。
園子は二年間、満開の代償で志騎の事を忘れてしまっていたと。その間彼女はずっと勇者は自分と銀の二人で戦い続けていたと。それは彼女の脳内から天海志騎という存在が消えたために、記憶の整合性が取られた結果だ。
……もしもそれと似たような事が、勇者部の面々にも起こっていたとしたら?
単に記憶を失っているのではなく、記憶の書き換えのような事が起きて、本来いるべきはずの誰かを忘れてしまっているのだとしたら?
そこまで考えた所で、志騎はスマートフォンを取り出して刑部姫に連絡を取ろうとする。
このような事、勇者部の面々に話せるはずもない。彼女達の中では、勇者部の数は七人というのが当たり前なのだ。勇者部にはもう一人の誰かがいたと言っても簡単には信じられないし、何よりもこれはあくまでも志騎の想像に過ぎない。
だが、刑部姫ならば。
あの性悪だが天才である刑部姫なら、何か分かるかもしれない。
電話帳から刑部姫の携帯番号をタップして、スマートフォンを耳に当てるとワンコールで相手が電話に出た。
『どうした、志騎? 勇者部のガキ共に何か悪戯でもされたか? 任せろ、部室にロケットランチャーをぶち込んで奴らを皆殺しにしてやる』
開口一番物騒な言葉が飛び出すが、これは半ば挨拶代わりの冗談のようなものなので気にしない。……あと半分は本気なのがタチが悪いが。
「そんなんじゃない。今すぐ話がしたい。すぐに来れるか?」
『……少し待て』
志騎の声の調子からただ事ではないと察したのか、刑部姫はそれだけ言うと電話を切った。すると間もなく、志騎の目の前に刑部姫のぬいぐるみほどの体躯が現れる。彼女は志騎の目の前から部屋にあるベッドに座り込んで尋ねた。
「一体どうした? お前の口調からすると、ただ事ではなさそうだが」
「まだ確証は持てないけど、実際にただ事じゃないかもしれない。それについて、少し話して良いか?」
「ああ」
こくり、と刑部姫が頷くのを見て、志騎は説明した。
今日勇者部の部室を訪れた際に何か違和感を感じた事。それについて先ほど考えをまとめた時、勇者部に元々いた勇者部の部員数、そして神樹館にいた時の勇者の数に強い違和感を抱いた事。
これらの事をまとめた結果、自分達は元々勇者部や神樹館にいた誰かの事を忘れてしまっているのではないかという推測を刑部姫に話した。それらの推測を刑部姫は何も言わず、ただ黙って聞いている。
「これといった証拠はないし俺の勘違いかもしれない。だけど、単なる勘違いって事にしておくには、あまりにも違和感が強すぎる。それで、お前の考えを聞きたいって思って」
「私を呼んだというわけか」
刑部姫の言葉に、志騎はこくりと頷く。刑部姫は志騎の顔をまっすぐ見つめると、
「確かにこれといった証拠もない以上は、お前の勘違いという可能性も否定できない。第一そのような現象が起きれば、大赦の馬鹿共がすぐに気付くだろうしな」
「………」
「だが、単なる勘違いとも言い切れない。違和感がある、というのは案外馬鹿にできんしな。もう一度尋ねるが志騎、確かにお前や勇者部のガキ共の記憶だと、勇者部は七人なんだな? そしてお前の記憶の中の神樹館の勇者の数も三人。間違いないか? ちなみに言うと、私の記憶の中の勇者部の数はお前を含めて七人だし、神樹館だった時の勇者の数は三人だ」
どうやら刑部姫の記憶の中の人数は志騎と同じようだ。志騎はこくりと頷き、
「ああ、それは間違いないと思う。現に勇者部の写真もホームページに貼られてた写真も七人だったし、記憶の中の勇者の数も三人だった。……まぁ、それを信じられるかどうかは別の問題になるけど」
「…………」
それを聞いて、刑部姫は険しい表情を浮かべた。しばらく彼女は黙りこくって考え込んでいたが、やがてチッと舌打ちを漏らす。
「………厄介だな」
「え?」
彼女の口から漏れた言葉に志騎が聞き返すと、彼女は苦々しい表情を浮かべて、
「人の記憶だけならまだしも、写真からも存在を消すのは簡単な事じゃない。乃木園子がお前を忘れた時も、消えたのはお前の記憶だけでお前の姿を映した写真は残っていた。……なのに今回は記憶だけじゃなくて、写真などからも消えている。これはもはや個人規模なんてレベルじゃない。もっと大きな範囲……言うなれば世界規模による存在改変。こんなの、個人どころか人間にできる事じゃない。もっと高度な存在にしかできない事だ」
「おい、まさかそれって……!」
志騎が驚愕の表情を浮かべると、刑部姫は険しい表情を浮かべたまま志騎に言う。
「私も調べてみる。その代わりと言うのもなんだが、お前も付き合え。勇者部の奴らはほとんどが頭が花畑だが、そこにいた友人の事を忘れるほど馬鹿な奴らじゃない。お前のように違和感を覚えるかもしれないが、それでも少し時間がかかるだろう。調べるためには、今の段階で違和感を覚えているお前が必要だ」
そういう事なら、断る理由はない。志騎は頷き、
「分かった。力を貸す」
「よし。じゃあまず明日の授業の放課後、調べるぞ。犬吠埼風にはうまく言っておけ」
「分かった」
刑部姫の言葉に、志騎はもう再び力強く頷く。
こうして志騎と刑部姫による、違和感の正体を探るための調査が始まった。
翌日の放課後、志騎は風に『今日は用事があるので部活を休みます。埋め合わせは必ずします』とメッセージを送って、一人下校した。自宅に戻りリビングに向かうと、刑部姫がテーブルにノートパソコンを置いてしかめっ面を浮かべて画面を凝視していた。
「何か分かったか?」
「生憎、まだだ。だが、私とお前の予想が当たっている可能性が高くなってきた」
そう言うと刑部姫はノートパソコンの画面を志騎に見せる。そこには、志騎を含めた讃州中学勇者部七人のデータが事細かに表示されていた。
「私のパソコンには私独自のセキュリティが組み込まれている。並大抵のハッカーでは破る事すらままならんし、無理に破れば必ず痕跡が残る上に相手のパソコンはウイルス感染間違いなし。なのにこれらには痕跡が全く残っていない。まるで、元々七人分のデータしか残していなかったようにな」
「……ちなみに聞くけど、セキュリティとかを破壊しないでデータそのものを書き換える事はできるのか?」
「できるかもしれんが、それはもう人間業じゃないな」
つまり、昨日の夜刑部姫が言っていた高度の存在による仕業という言葉の信憑性が高くなる。志騎と刑部姫がパソコンの画面を見ていると、志騎のスマートフォンに着信が入った。志騎がスマートフォンを取り出してみると、相手は銀だった。
「銀だ」
「ったく、手早く済ませろ」
自分達の時間が邪魔されたのが気に食わないのか、刑部姫が苛立った口調で言う。志騎が通話ボタンを押すと、銀の明るい声がスマートフォンから聞こえてくる。
『あ、志騎? 用事があるって風先輩から聞いてたけど、今大丈夫?』
「大丈夫だけど出来たら早く終わらせてくれると助かる。どうしたんだ、一体?」
今にも舌打ちしそうな表情の刑部姫を見ながら志騎が尋ねると、
『実は今日樹がケーキ作って来てさ。みんなで分けて食べたんだよ。でも今日志騎休みだっただろ? だから部活が終わったら届けに行こうと思ってたんだけど、良い?』
「ああ、良いよ。そうだ、何か風先輩から連絡事項とか無かったか?」
後で風から直々に連絡が来るかもしれないが、もしかしたら銀に何か伝わっているかもしれない。銀はうーんと何かを思い出すような声を上げてから答える。
『いや、特に無かったかな? 強いて言うなら土曜日に幼稚園で劇があるから練習を忘れないようにって事だけど、ちゃんと覚えてるだろ?』
「ああ」
今週の土曜日は幼稚園で友奈が主役の劇がある。友奈と風は大変だろうが、自分は裏方の仕事をするだけで特に役を演じるわけではない。ちなみに銀は風の手下役であり、園子は木である。人間の役ですらないのだが園子は今から張り切っていた。彼女演じる木が、劇の最中に動き出したりしないよう祈るばかりである。
『それなら大丈夫だな! 樹のケーキ、美味しいから楽しみにしてろよ? 風先輩が何故か八つに切っちゃったからちょっと困ったけど、それも皆で分け合って食べる事ができたし……』
「――――おい、銀。それ、どういう事だ?」
銀の口から出た言葉に、志騎は思わず声音を低くする。志騎の雰囲気が変わった事に銀と横にいる刑部姫が気づき、刑部姫の視線が鋭くなる。一方、電話の相手の銀は戸惑った様子で、
『え、どういう事って……?』
志騎はスマートフォンのスピーカーのアイコンを押すと、テーブルに置く。スマートフォンに向かって、志騎は再び尋ねた。
「今言ったよな? 風先輩がケーキを八つに切ったって。俺の分を入れても、ケーキは七つのはずだ。どうして風先輩は八つに切ったんだ?」
『それはさすがにアタシも分からないけど……偶然だと思うぞ? 風先輩も、何となくって言ってたし。……あ、そう言えば』
「何だ?」
『友奈が部室でぼたもちを食べなかったかなぁって言ってたよ。たぶんアタシ達が入部する前に家庭科の実習で作ったんだろうけど、その時の友奈の表情がなんか寂しそうだったんだよなぁ。あ、もちろんただのアタシの勘だぞ!?』
「………ぼたもち」
『え、どうした? もしかして、食べたいのか? ならアタシが今度作ってあげるけど……』
ゴニョゴニョと恥ずかしそうに銀が呟くと、それを遮るように志騎が口を開く。
「いや、良いよ。それより連絡ありがとうな。そろそろ用事を済ませないといけないから切るけど、大丈夫か?」
『いや、アタシの方こそごめん。じゃあ部活が終わったらケーキ届けに行くから!』
「おう、じゃあな」
そう言って志騎は通話を切ると、刑部姫に視線を向ける。
「何か分かったか?」
志騎の言葉に、刑部姫は腕組みをしながら、
「恐らく、勇者部の奴らの記憶の改変は行われてはいるが、深層心理にはその消えた誰かの存在が残っていると思う。現に犬吠埼風は無意識にその誰かの分までケーキを切り分けていたようだしな。しかし何より気になったのは、結城友奈とぼたもちだ」
「その二つが、何か関係があるのか?」
「他の部員と同様記憶が消えているに関わらず、結城友奈は何故かぼたもちという単語を口にした。それも恐らく菓子繋がりではない。三ノ輪銀が言っていた結城友奈の表情からして、ぼたもちは消えてしまった人物……この際Xと呼称するか。そのXとの思い出に関わるものなんだろう。そして結城友奈だけが呟いたという事は……今の勇者部部員の中で、一番Xと繋がりが深いのが結城友奈なんだ」
「って事は、友奈に何か聞けば分かるかもしれないって事か?」
刑部姫の推理に志騎は一縷の希望を持つが、刑部姫は首を横に振り、
「駄目だ。恐らく結城友奈の方もXについての事を完全に思い出せていない。無理やり聞いても、情報は得られないだろう。だったら、私達なりの手段でXの正体を見つけ出せばいい」
「俺達なりの……手段?」
ああ、と刑部姫は頷くとノートパソコンのキーボードを勢いよく叩き始める。すると画面に表示されたのは、讃州市内の地図だった。
「問題を解決するには、疑問点を一つずつ紐解いていく事が重要だ。まずXと勇者部、そして神樹館組との関係。この二つは讃州中学で縁が結ばれたわけだが、二つにはある共通点がある。言わなくても分かるな?」
当然だ。志騎は頷くと、答えを口にする。
「勇者部員と神樹館組の全員が勇者」
「そうだ。となると、Xも勇者であった可能性が非常に高い。では結城友奈達と同じように、讃州中学に入ってから勇者に選ばれたのか? ノーだ。お前が神樹館の勇者は三人だったという点に違和感を覚えるという事は、Xはお前達同様神樹館の勇者だった可能性が高い」
そこまで話したところで、刑部姫は右手の人差し指をピンと立てた。
「だがここで一つ新たな疑問が出てくる。Xは神樹館の勇者だったはずなのに、どうしてお前達ではなく結城友奈と関係が深かったのかという事だ。考えられる要因としては、バーテックスとの戦闘の際にある理由が原因で讃州市に引っ越してきたんだろう。神樹館に通っていたという事は、恐らく大橋市に住んでいただろうしな」
「その理由って……」
「簡単だよ。満開だ」
その言葉を耳にして、志騎は目を見開く。
満開。自分の体の一部の機能を神樹に捧げる事で強大な力を得る残酷なシステム。そのシステムによって園子と銀は体の大部分を、しかも園子はそれに加えて志騎の事すらも忘れてしまうという悲劇に遭った。
「これもあくまでも私の推測にすぎんが……。恐らくXはバーテックスとの戦いで満開を行って体の何らかの機能を失い、結城友奈の家の近くに引っ越したんだ。それで結城友奈と絆を結び、讃州中学に入学し勇者になったんだろうな」
「随分断定的に言うんだな」
「そうとしか考えられない。同じ神樹館にいたはずのお前達よりも結城友奈の方が繋がりが強いという事は、恐らくバーテックスの襲来が止まっていた二年間で絆を育んだんだ。そう考えれば辻褄が合う」
言いながら刑部姫は再びパソコンのキーボードを操作し始め、
「だが、そこまで分かれば後は簡単だ。お前達の代の勇者は、基本的に大赦の家系から選ばれていた。大赦の家系で、結城友奈の自宅の近くに引っ越してきた家族。それが分かれば、手掛かりになるかもしれん」
「でも、記憶が消えてるんだろ? 最悪、その家族が引っ越してこなかったって事も考えられるんじゃ……」
「いや、あくまでも消えたのは記憶だけだろう。引っ越したという事実まで消えたら世界そのものに矛盾が起きる。その矛盾を消すためにまた力を行使する必要があるから、流石にそこまでしないはずだ。まぁ、こればかりは祈るしかないな」
そう言って刑部姫がパソコンを操作すると、讃州市の地図にいくつもの大赦の名前が表示される。それを見て、志騎はようやく気付いた。刑部姫は今、結城友奈の自宅近くの大赦の家をリストアップしているのだ。さらにそこから元々住んでいた家、二年前に引っ越してきた家を調べている。彼女は目をぎょろぎょろと動かしながら、次々と条件に当てはまらない家を削除していく。
そして。
「よし、あった!」
タン! とキーボードを強く叩きつけて、刑部姫が歓声のような声を上げる。だがすぐにその顔が、どこか怪訝そうな表情へと変わった。彼女のその表情に不安を覚えて、志騎が尋ねる。
「どうしたんだ?」
「……いや、確かにこの家は大赦の家系だが……。そこまで格式が高くない。勇者に選ばれた大赦の家系は、それなりに格式が高かったんだ。乃木園子が良い例だな。三ノ輪家もそれなりに格式があるが……。正直、この家だと勇者には選ばれないと思う。外れか……?」
刑部姫が顎に手を当ててブツブツと口の中で呟いていると、彼女と同じような姿勢で何かを考え込んでいた志騎が刑部姫に尋ねた。
「なぁ、格式が高い家の人間じゃないと勇者には選ばれないんだよな?」
「ん? ああ……今はそうではないが、お前達の代はそうだな」
「じゃあ……。格式が低い家系から、格式が高い家系に子供を養子に出すっていうのは、できないのか?」
彼の口から飛び出した発想に、刑部姫をまなじりが裂けんばかりに目を見開くと、指をパチンと鳴らした。
「いや、できる! 確かに普通はしないだろうが、そいつの勇者適性が高ければ可能性は十分にある! だとすると条件を少し変える必要があるな。格式が高い家で、子供がおらず、大橋市に住んでいる大赦の家系! それが分かれば……」
この時代大赦の家系は少なくないが、勇者に選ばれる可能性のあるほど格式が高く、二年前の時点で大橋市に住んでいて子供がいない家系となれば大分数が絞られるはずだ。カタカタという音が続き、やがて刑部姫の声が室内に響いた。
「あった!」
「どこだ!?」
志騎は立ち上がると、刑部姫の肩越しにパソコンに表示されている名前を見る。
その名前は――――。
「………『鷲尾』?」
「ああ。乃木家ほどではないが、ここもかなりの名家だ。おまけに子供はいない。勇者になる素養を持った子供が養子に出されるには、ちょうど良い家だ。他にも一応候補はあるが、格式や条件から考えるとそこが一番可能性が高い」
しかし刑部姫の台詞は、志騎の耳には届いていなかった。
鷲尾。何故かその名前の響きが、彼の頭から離れない。あともう少しで何か分かりそうな、そんな感覚がある。
「……さっき、友奈の自宅の近くに引っ越した大赦の家系が分かったって言ったよな? これが養子に出された家だとすると、引っ越した家は……」
「ああ。恐らくその家がXの生まれた家であり、元々の苗字なんだろう。養子に出されたって事は、名前が変わっても不思議じゃない」
「………何て名前だ?」
志騎の質問に、刑部姫はパソコンの表示を切り替えて、静かに告げた。
「………東郷だ」
「東、郷………」
バチリ、と。
志騎の頭の中で電流が走ったような音がした。
……少し前、志騎は結城友奈を助けるために、魂のみとなった彼女を助けた。
だが、彼女を助けたのは本当に自分の力だけだったのか?
自分は本当に結城友奈のためだけに彼女を助けたのか?
彼女の帰りを心の底から待っていた人物が、いたのではないか?
まるで、自分にとっての三ノ輪銀のように。
だからこそ自分は……結城友奈を助けに向かったのではないか?
志騎は無言で右手を挙げると、頭をゆっくりと抑える。
頭の中で、思い出せなくなっていた記憶が蘇っていく。
神樹館の勇者の一人であり、優秀な後衛。武器は自分達の時は弓矢で、後に銃へと変わった。
普段は物腰は穏やかだが、怒ると怖く、銀もしょっちゅう叱られていた。
勇者部の中では友奈と特に仲が良く、彼女の魂をこの世界に戻したのも彼女の力が大きい。
その名前は、確か。
「鷲尾……須美……」
いや、違う。
もう一つ名前がある。
神樹館にいた自分や銀、園子はその名前で呼んでいたが、もう一つ名前がある。勇者部の面々からはそっちの名前で呼ばれていた。
それは。
「東郷、美森………!」
土曜日。銀は一人今日劇が行われる幼稚園への道を歩いていた。と、歩く彼女の背中に明るい声がかけられた。
「ミノさーん! こんにちわ~!」
「あ、園子!」
銀に声をかけてきたのは手をぶんぶんと大きく振っている園子だった。喜色満面という表情が良く似合う彼女は銀に駆け寄ってきて、
「今日はついに劇の日だね~! 私、木の役頑張るんよ~!」
「おう! アタシも風先輩の手下役、園子に負けないように頑張らないとな!」
「その意気だよ~!」
ただ立ってるだけの木に頑張るなどがあるのかというツッコミが飛んできそうだったが、流石にそれを指摘するのは野暮というものだろう。二人は両手を胸の前でぐっと握ると、並んで幼稚園へと歩き出す。
と、歩きながら園子が少し残念そうな顔で銀に言った。
「でも、残念だったね。あまみん、今日来れなくて」
「うん、そうだね……」
頷く銀の表情も、園子同様残念そうだった。
本来なら今日の劇に志騎も裏方として参加するはずだったのだが、なんでも急な用事が入ってしまったらしく行けなくなってしまったというメッセージが昨日チャットアプリに届いた。裏方そのものはどうにかなりそうだったが、突然の志騎の知らせに勇者部は戸惑いを隠せなかった。この前の部活動も用事で休んでいたし、大変な用事なのかと銀がその後志騎にチャットアプリで尋ねたのだが本人から返信は来なかった。どうやら、よほど大変な用事らしい。
「この前ケーキ届けに行った時は何でも無さそうだったんだけどなぁ……。志騎の奴、大丈夫なのかな。もしかして、退院したけど体に何か問題とか見つかったりして……」
悪い想像をしてしまい、銀の表情がみるみる暗くなっていくと、おもむろに園子がふっふっふーとやけに明るい笑い声を漏らした。
「実は今日~。勇者部の皆さんに良いものを持ってきたんだぜ~!」
「え、何?」
良いものと言われると、気になってしまうのが人のサガである。銀の質問に園子は持っていたバッグからプラスチック容器を取り出す。容器と一緒に箸が輪ゴムで止められており、仲には美味しそうな焼きそばが入っていた。
「焼きそばだ! 美味しそー! これ、園子が作ったの!?」
「うん! 神樹館にいた時に、ミノさんが焼きそばの作り方を教えてくれた事があったでしょ? 良い機会だと思って、作ってきたんよ~! みんなの分もあるから、お昼ごはんに食べよう~!」
「食べる食べる! でも志騎の奴、残念だなぁ。園子の焼きそばが食べられないなんて……」
「ふふふ、乃木家の園子さんは抜け目がないんだぜ~。きちんとあまみんの分も作ってあるから、この後あまみんの家に届けに行こう!」
「さすが乃木家の園子さん!」
と、焼きそばでテンションが高くなっていると、唐突に園子が不思議そうな表情を浮かべた。
「……でも不思議なんだよね~。何故か私、八つも作っちゃったんだよ~」
「八つ? アタシに志騎に園子、で勇者部の皆の分も入れると……七つだよな?」
「うん。私も作った後に気づいたんだけど、どうしてだろうね~」
「そう言えば、風先輩もこの前ケーキを八つに切り分けてたな。どうして、八……」
その瞬間。
強い風が吹き、少女達の服と髪の毛を揺らす。
――――刑部姫の推測通り、彼女達の記憶から消えてしまった少女と一番関係が深かったのは友奈だ。
しかし次に関係が深かったのが誰かと聞かれると、それはその少女と同じ神樹館に通っていた銀と園子、志騎だ。そして今回園子が作った焼きそばは、彼女を入れた四人の絆を象徴するものの一つ。
絆の深さとそれを象徴するもの。組み合わさったそれらが、彼女達の消えてしまった記憶を呼び覚ます。
やがて風が止み、二人の少女達は互いの顔を見合わせる。
すると二人の目から同時に、涙が一筋零れ落ちた。
「乃木と銀がまだ来てないって!?」
本日の劇の舞台となる幼稚園の前で困惑した表情を浮かべている友奈と銀と樹に、魔王の姿に扮した風が駆け寄った。そろそろ劇の開始時間となるのだが、木の役である園子と風が演じる魔王の配下役の銀が姿を見せてないのだ。
「もう時間なのに……」
「メッセージ既読にならないし、まだ寝てんのかしら?」
「園子さんに銀さん、あんなに張り切ってたのに……」
「園子は木、だけどね……」
しかし二人共、劇を盛り上げる事に非常に張り切っていた。銀も寝坊などをする事は多いが、その場合は何らかのメッセージを送るはずである。それすらも無いと言うのが、勇者部の面々に嫌な予感を感じさせた。しかし、だからと言ってここで劇を中止にするわけにもいかない。もう準備は整ってしまっているし、園児達も劇を楽しみにしている。風はため息をつくと、
「しょうがない。今日は木と手下無しで行くか。ちょっと迫力に欠けるけど」
それから風は勇者の姿に扮した友奈に視線を向ける。友奈は何故か不安そうな表情を浮かべて俯いていた。
「友奈!」
「………」
「………友奈?」
彼女からの返答がない事に訝しんだ風がもう一度彼女の名前を呼ぶと、そこで友奈は風が自分が呼んでいる事に気づいたらしくはっとした表情で風の顔を見た。
「あ、うん……」
「ちょっと、友奈までどうしたの? 本番だよ?」
「具合が悪いんですか?」
彼女の様子を心配した風と樹が口々に声をかけると、
「体は、大丈夫。………あのね」
「………? うん………」
「なんか、ざわざわ変な感じがするの。みんなは、しない?」
実は友奈は、最近奇妙な感覚に襲われていた。
とは言ってもそれはいつも起こっているわけではなかった。その感覚は、特定のものを見るたびに友奈の胸中に沸き上がった。
ある時は、自分のそばを横切る車椅子。
ある時は、いつか食べたか思い出せないぼたもち。
ある時は、立派な屋敷の門。
それらを見るたびに、よく分からないが友奈の感情がざわざわと騒ぎ出し、落ち着かなくなる。原因は友奈自身も分からないが、何故かそれを感じるたびどうしようもなく不安な気持ちになる。
そしてその感覚が起こる頻度は日毎に増えていき、今日はいつにもまして酷い。こうして立っているだけで、まるで骨が喉に刺さったようにいつまでも胸から消えないのだ。
だが友奈自身はどうして自分がこんな感覚を覚えるのかさっぱり分からない。なので今こうして勇者部の面々に尋ねているのだが、彼女達は怪訝な表情を浮かべて顔を見合わせるだけで答えない。どうやら、それを抱いているのは自分だけのようだ。
すると、友奈の不安を察した風が心配そうな声で友奈に尋ねる。
「今日は、中止にしようか?」
「勇者部の皆さん!」
と、勇者部の四人に声がかけられた。風が振り返ると、幼稚園の先生が自分達に向かって歩いてきているのが見えた。
「今日はありがとうございます!」
「あ、実は……」
自分達に向かって礼をする先生に風が事情を説明しようとするが、笑顔で顔を上げた先生がさらに言葉を続ける。
「子供達が今日の劇を楽しみにしていて! 今か今かと!」
喜色満面の先生の表情に、風は何も言えなくなってしまった。すると背後から二人のやり取りを聞いていた友奈がいつも浮かべているような明るい表情で言った。
「大丈夫! やろう! みんな待ってる!」
当の本人がこう言っている以上劇を中止にしようなど言えるはずもない。
友奈の言葉もあり、本日の劇は無事に行われる事となった。
裏方の志騎、魔王の配下の銀、木の園子はいないとはいえ、元々その三人が入る前から勇者部は幼稚園で劇などのボランティアを行ってきた。人数は少なくなってしまったが、そこは彼女達のアドリブ力でどうにかなる。
「一緒に好き勝手に暴れよう! 我慢なんてしなくて良いんだぞー!」
魔王に扮した風が悪役のような笑みを浮かべながら台詞を言うと、劇に見入っている子供達が歓声を上げる。さすがは風と言うべきか、例え魔王役でも子供達に非常に好かれているようだ。と、子供達を堕落の道に誘う風に、勇者役の友奈が勇ましい声で叫んだ。
「待て、魔王! 子供達に悪い事を吹き込むのはやめろ!」
「何を生意気なー!」
「えーい!」
友奈が手に持った剣の小道具で風に軽く切りかかると、当然風が杖で剣を受け止める。
「ふん、はははははははははっ!」
風が杖で剣を軽く振り払うと、友奈はバタンと床に倒れた。子供達の声が部屋に響くと共に、樹のナレーションが入る。
『勇者は傷ついても傷ついても、けして諦めませんでした。全ての人が諦めてしまったら、それこそこの世が闇に閉ざされてしまうからです』
友奈は再び立ち上がると、再び剣で風に軽く切りかかり、再び振り払われて床に倒れる。
『皆が次々と魔王に屈し、気が付けば勇者は一人ぼっちでした』
そして倒れた友奈が、剣を杖にするように立ち上がろうとした瞬間。
彼女の脳裏に、
『勇者が一人ぼっちである事を、誰も知りませんでした』
「………っ!」
その声に、友奈の動きが一瞬止まる。風に背中を向けたまま、今が劇の真っ最中だという事すら忘れて、友奈はゆっくりと立ち上がると唇を動かす。
「……一人ぼっちになっても、それでも勇者は」
「………?」
「………友奈?」
友奈に夏凜が声をかけるが、それすらも今の友奈の耳に届いてないようだった。いつの間にか、友奈の目には涙が溜まっていた。
「……それでも、勇者は」
脳裏に、彼女の声が再生される。
絶対に忘れないと誓ったはずの、親友の声が。
『諦めない限り、希望が終わる事は無いから……です……。何を失っても、それでも……! 私は一番大切な友達を、失いたくない……!』
――――どうして、忘れていたのだろう。
彼女の事だけは、決して忘れないと誓っていたはずなのに。
どんな事があってもそばにいると、約束したのに。
友奈の目から涙が溢れ、園児達が不思議そうな目で、勇者部が戸惑いの表情で友奈を見る。
するとそこに、更なる変化が起こった。扉が開く音が聞こえ、樹が目を向けると息を切らした園子と銀の姿があった。
「乃木に、銀?」
連絡が取れずにいた二人の登場に風が呆気に取られるが、二人は風の声に答える事無く真剣そのものの表情を浮かべている。二人の視線は涙を流し続ける友奈の顔に、友奈の視線は息を切らしている二人の顔に向けられていた。
「私……私は……」
小さく呟く友奈に園子は歩み寄ると、彼女の体を抱きしめた。
「私は……ずっと一緒にいるよって……約束したのに……したのに……!」
泣きながら友奈は、園子に抱きしめられたまま泣き続ける。彼女の体を、園子は何も言わず抱きしめ続けるのだった。
その後幼稚園の先生に劇を中止にしてもらった勇者部は、讃州中学の勇者部部室へと向かった。本日は土曜日だが部活動をする生徒もいるため、校舎から自宅へと返る生徒の数がちらほら見られる。
「友奈さん……」
「園子に、銀も……」
「三人共、一体どうしたのよ」
事情が呑み込めない三人が、幼稚園にいた時から様子がおかしい友奈と園子と銀に尋ねる。
「よく、聞いてね?」
普段とは違う真剣そのものの園子の言葉に、三人はこくりと頷く。
「今この記憶は、嘘って事」
「え?」
「アタシと園子も今日気が付いたんだけど……。なにか、アタシ達なんかじゃ予想もつかないぐらいマズい事が起きていて、それがなんだか分からないけど、アタシ達はそれを無かった事にしてる」
「……もしかしたら、無かった事にされてるっていう方が正確かもしれないけど……」
しかしまだ三人は二人の説明にピンと来ていないらしく、三人からは戸惑いの感情が伝わってくる。
「何を言ってるの? ねぇ、友奈……」
夏凜が同意を求めるように友奈に言うと、
「私……思い出した……」
「ちょっと……」
「勇者部にはもう一人……。とても大切な友達がいたんだよ……。忘れられるわけがない……。絶対に忘れたりなんかしちゃいけないのに……! 私、どうして……!」
「友奈、落ち着いて……」
しかし風の言葉を遮るように、友奈が叫んだ。
「みんな、思い出して!」
そして。
友奈はここにいる全員の記憶から消えてしまった、自分のかけがえのない少女の名前を口にした。
「――――東郷さん! ここに……東郷美森って子がいたんだよ!!」
東郷美森。
知らない名前。聞いた事の無いはずの名前。
それなのに、その名前を聞いて風と樹が目を見開いた。
「あ、そう言えば東郷って今どこ?」
夏凜が言った直後、彼女の表情が凍り付く。
彼女の事を知っているはずの自分達が、今友奈から名前を聞くまで彼女の存在を忘れていた事に。
園子と銀が静かに頷くと、三人の間に愕然とした雰囲気が漂う。
「東郷……東郷、美森……」
そうだ。この部活には、もう一人の勇者がいた。
東郷美森。
日本文化が大好きで、普段は優しいけれど怒らせると怖くて、銀と園子と志騎の親友で。
そして、友奈の大親友である少女。
勇者となってから、自分達はずっと彼女と一緒だった。
悲しみも喜びも、彼女と共有してきた。
それなのに、忘れていた。
大切な存在である彼女を、忘れていた。
「え……どういう事? 何これ……何で、なんで私達の誰も、東郷の記憶がないの!?」
夏凜の動揺に満ちた質問に、誰も答える事が出来ない。こういった場面で的確な判断を下す事ができる園子も、答える事ができないようだ。
「これ、最初から世界にいなかったみたいになってる!」
「お姉ちゃん………」
樹が心配そうに横にいる風に声をかけると、風は苦しそうな表情で、
「私……部長なのに……。また………」
部員に起こっていた事態に気づく事が出来ず、風も友奈と同じように自分を責めるように苦しそうな表情を浮かべる。一方、涙を目に浮かべながらも友奈が静かに言った
「でも、もう思い出した。なんで……何が起こってるの?」
「……わっしー……。今どこで、何してるの……?」
その園子の言葉に答えられるものはおらず、重苦しい雰囲気が部室内に漂い始めた、その時。
ガラッ!! と勢いよく扉が開かれ、誰かが部室に入ってきた。思わず全員がその方向に目を向けると、入ってきた人物の名を銀が呆然と呟く。
「……志騎?」
入ってきたのは、水色がかった白髪の少年、志騎だった。頭には険しい表情を浮かべた精霊、刑部姫を乗せ、左手には銀色のスーツケースが握られている。いつもはきちんとノックをして入ってくる彼にしては、随分と荒々しい入室の方法だった。
「全員いるみたいだな。ちょうど良かった」
そう言うと志騎は部室のテーブルにスーツケースを置くと、ロックを外していく。テーブルに勇者部部員全員が駆け寄ると、銀が志騎に言った。
「ちょうど良いってどういう……。それより、大変なんだよ! 実は……!」
「須美の事だろ。全部言わなくても良い。もう分かってる」
須美。それは間違いなく、自分達が今まで忘れていた東郷美森の事だ。彼女は神樹館で銀達と一緒だった時は、鷲尾須美という名前だったのだ。肝心なのは、その名前を志騎が覚えているという事だ。
「志騎、あんた東郷の事覚えてるの!?」
「俺も思い出したんだよ。まぁ、思い出したのは昨日の事だけどな。で、俺と同じように思い出した刑部姫と協力して、今日一日走り回ってた。あちこち走り回ったから大変だったけど」
「走り回ったって、何のために?」
風が尋ねるが、それに志騎は答えず代わりにスーツケースを開いた。中にはA4サイズの紙の束がいくつも入っていた。どうやら何らかの書類らしく、それをテーブルに広げると志騎が説明する。
「刑部姫と一緒に、東郷美森と鷲尾須美に関係する場所全てに行った。神樹館、讃州中学、鷲尾家に東郷家。あと東郷が通ってたはずの病院の関係者にデータ、福祉車両のサービス。全部探すのはさすがに骨が折れた。刑部姫がいなかったらたぶん途中で詰んでたな」
東郷の事を思い出した友奈の記憶の中では、東郷は自分と出会った時は車椅子に乗っていた。なので、車椅子の彼女でも乗る事ができる福祉車両のサービスを何回か使用していたのを見た事がある。
「でも、病院のデータってどうやって調べたんですか? 普通の人じゃ、教えてもらえないんじゃ……」
同じ医療関係者なら分からないが、ただの学生である志騎に医者が教えるとは思えない。個人情報というのもあるし、真正面から言っても門前払いだろう。と、志騎は少しバツが悪そうな表情で、
「……刑部姫にハッキングを頼んだ」
「え、ハ、ハッキング!?」
予想通りと言うべきか、風の口から驚愕の声が漏れる。彼女に続いて、夏凜が志騎に言った。
「そ、そんな事して大丈夫なの!?」
「こっちも手段を選んでられなかったんだよ! 大赦の神官のフリをしてデータを見せてもらうって手もあったけど、医者や看護師の記憶に残るのはマズいから、刑部姫にハッキングを頼んだんだ。一応こいつの後ろから余計な事しないか見張ってたけど、サーバーをダウンしたりデータを壊したりしなかったら大丈夫だと思う」
「言われなくても、そんな余計な真似はしないさ」
「よく言うよ」
普段の志騎らしくない強引さに友奈達が驚くが、考えてみればそれだけ彼も東郷美森という少女が消えた事に動揺しているのだろう。自分の身近な存在や大切な人間のためなら手段を選ばないというのは刑部姫に似ている。やはり、血というか遺伝子には逆らえないのだろうか。
「それであまみん、何か分かった?」
園子が冷静に志騎に尋ねると、彼は書類を一つ一つ確認しながら、
「結論から言うと、東郷美森っていう存在に関係するもの、出来事が全部消えてた。神樹館にいた時の在籍記録、通ってた病院のデータは丸ごと消えてて、福祉車両の顧客リストにも名前が載ってなかった。一応鷲尾家と東郷家にも行ったんだけど、鷲尾家の方には養子を取ったっていう事実そのものが消えてて、鷲尾須美っていう名前も出してみたけど心当たりはなし。東郷家に至っては、娘はいないって返事が来た。一応こっちにも念のために東郷美森の名前を出したけど……」
「……反応は、無かったの?」
友奈の言葉に、志騎は苦々しい表情を浮かべて頷いた。「そんな……」と友奈の消え入りそうな言葉が、そのまま部室内の空気に消えていった。
これは明らかに異常だった。彼女と家族関係を築いていたはずの鷲尾家と東郷家からすらも彼女の存在が丸ごと消え、それ以外に彼女に関係する場所からも彼女に関係する事実がすっぽりと抜け落ちている。しかもそれだけではないらしく、刑部姫が舌打ち交じりに言った。
「ちなみに私の方も同様だ。東郷美森を含む勇者のデータは全て厳重に保存していたはずなのに、奴に関するデータだけが綺麗に消えている。……正直、非常に不愉快だ」
「……今何が起こっているか、お前なら分かるか?」
銀がそう刑部姫に尋ねた。銀は刑部姫の事を嫌っているが、彼女の天才的な頭脳だけは認めている。彼女ならば、今起きている現象に何らかの見通しをつけているのではないかと思っているのだろう。
「絶対にこうだという断定はできんが、ある程度の推測はある。東郷美森という存在だけが見事に消えているから、今回の出来事は満開による記憶喪失などではなく存在改変だと考えられる。おまけに奴に関係する事象に辻褄が合うように人間の記憶が操作されているから記憶改変も入っている。原理としては、私の認識阻害に近いな」
「認識阻害……。そう言えば前に刑部姫さんが言ってましたね。確か……人間は認識できないものを見る事も出来ないし、聞く事も出来ない。ただ認識は出来なくても、
樹の言葉に刑部姫は「よく覚えていたな。褒めてやる」と言ってから、
「例え個人の存在や記憶を消したとしても、人間の無意識化にある深層心理に消えた個人の記憶が残る事はある。結城友奈と三ノ輪銀達がいち早く気づいたのは、東郷美森という存在と深く結びついていたからだろう。それを引き金にして、お前達も今まで気づく事ができなかった東郷美森という存在を改めて思い出す事が出来た」
「……じゃあ、もしも友奈と銀達が気づけなかったら……」
「お前達は二度と東郷美森の事を思い出せず、ずっとこのまま過ごしていただろうな」
ゾッとする話だった。大切な友達を忘れたという事実すら忘れて、何事も無かったように日常を過ごしていく。一歩間違えたらそうなっていたかもしれないという事を改めて聞かされて、七人は背筋が凍り付くようだった。
「一体、どうしてこんな事が……」
「それはまだ分からんが、これもある程度の予想はつく。……見ろ」
刑部姫が差し出したのは、讃州市が発行している新聞だった。新聞には、この前の学園祭で撮影された勇者部の写真が載っており、写真には今日の劇と同じ勇者と魔王の格好に扮した友奈と風、そして樹と夏凜の姿があった。だがこの写真にはある決定的な間違いがあり、風がかすれた声で間違いを指摘する。
「写真からも、消えてる……」
この写真には本来、東郷の姿があった。なのに今では四人しか映っていない。まるで元から、彼女の存在など無かったように。
「どうなってるのよ、これ……」
スマートフォンを操作していた夏凜が、震えた声を出す。彼女が今見ているスマートフォンには、今まで彼女が勇者部と過ごしてきた大切な日常の写真が何枚かある。それらにも、東郷の姿はなかった。
すると樹がはっとした表情でパソコンに駆け寄ると、マウスを操作して勇者部のホームページ画面を表示させる。そこにはこの前父母ヶ浜で撮影した写真が表示されていたのだが……やはりと言うべきか、東郷の姿だけが無かった。
「個人の記憶だけじゃない。写真など現実で起こった事実すらも書き換える、世界規模の存在改変。志騎にも言ったが、これは人間にできる所業を遥かに超えている。つまり今回これを行ったのは、人間じゃない」
「人間じゃ、ない……」
「ちょっと待ってよ! 人間じゃなかったら、一体誰が……」
友奈のかすれた声に続き夏凜が聞くと、まだ分からないのかと言いたそうに刑部姫は舌打ちし、
「答えはもう出ている。世界規模による存在改変を行える奴なんて、人間よりももっと高度な存在だ。そしてこの四国は、誰の手によって守られている」
刑部姫の言葉で、ようやく彼女達は理解する。
人間よりももっと高度な存在。
四国を守る存在。
その二つから考えられる存在は、たった一つ。
「……神樹、様……?」
神樹。
四国を守る存在にして、絶大な力を持つ幾多もの神の集合体。
だがそれだと、分からない事がある。その疑問を、樹が口にした。
「でも、どうして神樹様が東郷先輩の存在を無かった事にしたんですか!?」
「知るか。だが仮に神樹が存在改変を行ったとすると色々と納得できる。四国を守る神樹なら四国全土に存在改変を行う事も出来るしな。何より今回の件が神樹の仕業だと一番納得できる根拠は、志騎だ」
「あまみん、が?」
刑部姫の言葉に勇者部全員の視線が志騎に向けられる。居心地悪そうにする志騎の頭の上で、刑部姫が説明する。
「志騎は人間型のバーテックスだ。そして、バーテックスは神の使いだ。人間よりも神が行う改変が効きにくいんだろう。分かりやすく言うと、お前達が東郷美森の事を忘れてしまった事すら忘れていたのに対し、志騎は忘れた事に違和感を覚える事ができる。現に一昨日の時点でもう気づいたしな」
そして志騎に対しては改変の効きが悪かったという事が、今回の事態が神樹が引き起こした事だという何よりの証拠だった。バーテックスである事から今回の異常に気付く事が出来たとはいえ、志騎本人としては複雑な気分だった。
「だが問題は、何故神樹が東郷美森の存在を消したかという事だ。何のメリットがあって、そんな事を……」
刑部姫が自分の疑問を口にするが、バン!! という音がそれを遮った。音の出どころは、銀の両手によって強く叩かれたテーブルだった。彼女はギリ……と奥歯を噛み締めると、
「神様の考えてる事なんか分かるかよ。それより今の問題は、須美がどこにいるかだろ!? 何でも良いから、手掛かりを見つけないと!」
彼女の言葉に勇者部は一瞬呆気に取られた表情を浮かべたが、すぐに気持ちを引き締めて力強く頷く。それには刑部姫も同意見だったのか、髪の毛をわしゃわしゃと掻きながら、
「……確かに、私も見逃している所があるかもしれないしな。手がかりの捜索はそっちに任せる。私も少し調べたい事があるしな。……そして乃木園子、お前のやる事は分かっているな?」
確認するような刑部姫の言葉に、園子はこくりと頷いていた。どうやら刑部姫が何を言いたいかは彼女も察していたらしい。それぞれが自分の役割を改めて確認し終わると、東郷の行方を知るために部員達が勢いよく部室を出て走り出す。
校舎を出た友奈は一人走り、冬特有の冷たい空気を肺に取り込みながら思う。
(私……東郷さんの事、絶対に覚えてるって約束したのに……。それなのに……!)
親友の存在を、親友と交わした約束すらも忘れてしまった事に対して深い罪悪感と自分に対しての怒りを抱きながら、友奈は東郷の手がかりを探すためにさらに走る速度を上げるのだった。
何もない無の世界。普段は誰もいないその空間に、今は一人の少女が静かに浮かんでいた。
少女――――東郷美森は両腕を真横に伸ばし、灼熱の業火に焼かれていた。
とは言っても、その体は生身のものでは無い。青いアサガオを連想させる魂だけの状態だ。目を閉じて炎に焼かれるその姿は、磔にされた聖人のようでもあり、重い罪をその身をもって償う罪人のようにも見えた。
そしてそれを、真正面から眺めているのは純白の長い髪の毛に赤い瞳の少女だった。彼女は口元に楽しそうな笑みを浮かべながら、焼かれている東郷を見ている。
「あはははははは。早く来てね、勇者。あなた達が来るまで、私いつまでも待ってるからね? 早く来て、私の手から大切な友達を助けてあげなよ?」
その笑みには悪意はない。その笑みには楽しみしかない。
なのに。
何故か彼女の笑顔は、傍から見ると寒気がするものだった。
これから先の事を想像して、少女は笑い続ける。
本当に、心の底から楽しそうに。
この小説が始まって、気が付いたらあともう少しで二年。今年こそ完結する事ができるよう努力します。