天海志騎は勇者である   作:白い鴉

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第四十九話 孤独

 

 

 東郷美森を奪還し、讃州中学勇者部にようやく平穏な日常が戻ってきた。彼女に関する記憶も勇者部を含む人々に戻り、勇者部は年末に向けて依頼をこなす傍ら日々を過ごしていた。

 そんなある日、部活が終わった志騎は行きつけの病院の診察室にいた。先日東郷美森を奪還した後、理由が分からないが吐血したため刑部姫に体を調べて欲しいと頼んだからだ。検査自体はつい先ほど刑部姫が終えて、今は結果待ちとなっている。

 そしてようやく検査結果が出て、診察室の丸椅子に座る志騎に刑部姫の口から結果が告げられた。

「単刀直入に言う。お前の寿命は、四月まで持たない」

 まるで明日の晩御飯の内容を告げる様なあっさりとした口調だったが、刑部姫の顔つきは険しい。しかし彼女の表情とは対照的に、志騎は特段驚いた様子も見せずただぱちくりと瞬きを一度しただけだった。すると刑部姫は怪訝な表情を浮かべて、

「……あまり驚いてなさそうだな」

「いや、これでも十分驚いているつもりだ。とりあえず、どうしてそうなったのか理由を聞いても良いか? 俺の寿命は確か二十歳ぐらいまではあったはずだろ?」

 自分は体に呪術的措置・薬物投与などを受けていたため、どんなに調整をしても二十歳までしか生きられないとは聞かされていた。それでも、まだ六年ぐらいの猶予はあったのだ。それなのに一気に三、四ヶ月ほどにまで縮まったのは何か理由があるからとしか考えられない。当然の疑問に、刑部姫は髪の毛をくしゃくしゃと掻くと、

「確かにお前の寿命は二十歳ぐらいまではもつはずだった。例えキリングトリガーを多用したとしても、大赦による体の調整を怠らなければ問題はなかった。だが、二年前に予想外の事が起こった。もう分かるだろ?」

「……バーテックスの、総攻撃か……」

 二年前、志騎は銀の満開の代償を少しでも減らすために彼女を壁外に逃がし、たった一人で壁の外で二年間戦い続けた。刑部姫はこくりと頷き、

「二年間の間お前は大赦の調整抜きで戦い続け、結果的に生き残り壁の中に戻ってくる事ができた。しかしその間私の予想をはるかに超えるペースで体の破壊と再生を繰り返した事で、お前の体自体がバーテックスの力に耐えられなくなりつつあるんだ」

 そう言って刑部姫は着物からコーヒーカップを取り出すと、テーブルに置く。

「分かりやすいように、このカップで例えるぞ。カップを壊しても、やろうと思えば接着剤でくっつけて元通りの形に戻す事ができるだろ? カップがお前の体で、接着剤がバーテックスの力だ。バーテックスの力は言うなれば超高性能の接着剤のようなものだ。心臓と脳さえ破壊されなければ、どれだけ酷く体を壊されてもすぐに修復する事ができる。……しかし、接着剤で再生しようにも限度というものはある。外見は元通りになったように見えても、中身はどんどん脆くなっていく。そして最後には接着剤の力でもくっつける事ができなくなり……」

「……完全に壊れるって事か」

 志騎が続きを言うと、刑部姫はこくりと頷いてカップを着物に戻した。

「私と大赦が想定していたバーテックスとの交戦回数通りなら、当初の想定通り二十歳まで生きる事はできただろう。だが、二年間の間にお前は戦い過ぎた。そのせいでお前の体の崩壊が少しずつ早まっているんだ。診察の時にお前が話したたまにある頭痛や味覚の喪失、この前の戦いの後の吐血もその影響だろう。……しかも時間が経つほど、他の影響が出ないとも言い切れない。もしかしたら、他の人間が見ても異常だと感じるような異変が起こるかもしれない」

「大赦の方で体の調整を行う事はできないのか?」

 すると刑部姫はふるふると首を横に振り、

「無理だ。もう調整にすら耐えられない可能性が高い。仮に施しても寿命は延びないだろうし、下手をしたら短い寿命がさらに短くなる可能性もある」

「万事休すって事か……」

 そう言って志騎は頭の後ろで両手を組んだ。だが言葉とは裏腹に、彼の表情に悲観さは感じられない。

「……悲しくないのか。自分が寿命がもうそんなにないと聞いて」

「いや、だって今更だしな。勇者になった以上いつ死んでもおかしくないし、二年前銀達と別れる時にもう死ぬかもしれなかったわけだし。こうしてまた生きてるのが奇跡のようなものだろ。ってか、元々二十歳までしか生きられないんだから、あなたの寿命が四ヶ月ほどにまで縮みましたって言われて悲しむのもなぁ……」

「………」

 困ったように呟く志騎を、刑部姫はじっと見て観察する。

 彼の様子はもう、達観などというレベルではない。もはや諦観だ。生きる事すら諦めている。

 だがそれも当然だ。自分達が、そう仕向けた。お前は兵器なのだと、バーテックスを殺すために作り出された殺戮兵器だと。人類の損害を最小限に減らし、天の神に奪われたものを奪還するために自分達が作り出した勇者。それが天海志騎が生まれた意味であり、生きている理由であり、存在価値なのだ。

 それにそもそも、彼自身が幸福や普通に生きている事を求めているようには見えない。

 それも当然だ。彼はバーテックスであり、世界中の人々の運命を狂わせ、未来と幸福を奪った怪物の同類。例え人間と同じ姿と心を持っていようと、彼がバーテックスである限りその運命から逃れる事などできない。だからこそ、自分が生きていて良いとは彼自身も思わない。

 しかし、刑部姫や大赦にとってはその方が都合が良い。

 志騎は元々戦いが終われば廃棄処分する兵器だし、下手に生きたいなどという願望を持たれてはこちらが困る。彼が最後の最後まで大赦の兵器としてバーテックスを殺し続け、最後に兵器として廃棄処分される事が、自分達にとっての最良の結末なのだ。

 ――――それなのに。

 どうして、まったく生きたいと思わない彼を見ているだけで、胸が苦しいのだろう。

 これでは、まるで。

 自分が、彼に生きたいと思って欲しいと、考えているようではないか――――。

「あ、そうだ刑部姫。一つ頼みたい事があるんだけど」

「………何だ?」

 考え事をしていたせいで返答が一瞬遅れたが、幸い志騎には気づかれなかったようだ。平静を装って刑部姫が返事をすると、志騎は苦笑しながら言った。

「俺の寿命が春までって事、銀達には言わないでくれ」

「……どうしてだ?」

「俺が春までしか生きられないって知ったら、きっとあいつらは死に物狂いで俺が生きられる方法を探すと思う。仮にその方法が見つからなかったら、あいつらは心の底から悲しむと思う。……そんなの、駄目だ。あいつらは今まで苦しい思いをして、ようやく楽しい日常に戻ってきたんだよ。須美がこっちに戻って来て友奈も嬉しそうだし、樹も自分の夢に向かって頑張ってて、風先輩も受験が間近だし、夏凜は勇者の任が終わってからこっちで楽しそうに過ごしてるし、園子と銀は体の機能が戻ってきた。園子は青春を謳歌してるし、銀はまた家族と会う事が出来て笑ってる。……俺なんかのために、銀達が悲しむ必要なんてない。化け物は化け物らしく、一人で死んでいくよ」

 そう言って、志騎は笑った。その笑顔に、死への恐怖や混乱などはまったく無かった。それどころか、自分を作り出した大赦は刑部姫への怒りや憎しみすらも無い。まるで友奈や銀のような、あまりに晴れやかな笑顔だった。

「………お、前は」

「刑部姫?」 

 珍しく歯切れが悪い刑部姫の顔を志騎が覗き込むと、刑部姫は顔をぷいっと背けた。

 ……こんな時にまで、自分ではなく誰かの事を考えている。本当に、自分に似て欲しい所は似ないなと刑部姫は心の底から思った。それが無性に腹立たしいと同時に、どうしようもなく悲しかった。

「そうだ。なぁ、最後に一つ聞いときたいんだけど、俺の体の寿命が延びる方法はもう無いんだよな?」

 すると刑部姫は苦々しい表情を浮かべた顔を再び志騎に向けて、

「……ああ、ない。それがどうした?」

「じゃあ逆に、何をしたら俺の体の寿命はもっと短くなるんだ? いや、別に短くしようってつもりはないけど、どんな事がきっかけで短くなるのか分からないからさ」

 志騎の質問にまったく……と刑部姫は呆れつつも彼の質問に答える。

「バーテックスの力は極力使うな。大怪我も避けろ。さっきも言ったが、お前の体はもう限界に近い。バーテックスの力そのものに耐え切れなくなりつつあるし、怪我を治す事は出来るだろうがその分体の崩壊も早まる。外見は変わらないだろうが、内側は使い物にならなくなるぞ」

「………勇者への変身は?」

 直後、刑部姫の視線が志騎の顔をまっすぐ捉える。彼女の視線から逃れるような素振りも見せず、志騎はまっすぐに刑部姫を見つめ返した。すると再度刑部姫はため息をつき、

「……お前の体はもう神樹の力にも耐えられなくなりつつある。吐血をしたのも、この前の戦いで勇者に変身したからだろうな」

「って事は、変身できる回数も多くないって事か……。お前の見立てだと、あと何回だ?」

 それに刑部姫は素早く、変身できる回数を口にする。

「一回だ」

「……一回」

「ああ。それもあと一回変身して、後は安静にしていれば大丈夫って問題じゃない。お前の今の体の状態を考えると、あと一回が限度だ。……よく覚えておけよ、志騎。もう一度、勇者に変身すれば……」

 そしてぐっと、自分の顔を志騎に近づける。

 少しでも自分の言葉が、彼の脳に深く深く残るように。

「――――天海志騎(お前)という存在は、確実に終わる」

 

 

 

 

 

 

 

 診察が終わった後、志騎は一人夜の街を歩いていた。街はすっかり迫るクリスマスのイルミネーションに彩られ、様々な色の光で街を飾り付けている。天気予報によると今年のクリスマスは雪が降るホワイトクリスマスになるとの事なので、そうなったらクリスマスも盛り上がるだろう。 

 街を歩く人々とすれ違いながら、志騎は刑部姫の言葉を思い出す。

『――――天海志騎(お前)という存在は、確実に終わる』

「……あれって単純に、変身したらもう死ぬって意味だよな」

 きっと刑部姫もそういった意味で言ったに違いない。つまり次バーテックスと戦う時が、自分の死ぬ時という事だ。

「……ま、でも次戦うかなんて分からないか」

 東郷美森は取り戻し、壁の外の火の勢いも沈静化している。このままならば星屑やバーテックスと戦う機会は訪れないだろうし、春を迎えて寿命が尽きる方がもしかしたら早いかもしれない。

 と、そんな事を志騎が考えていると、目の前に自分と同じ年齢ほどの少年が自転車の籠に中身が詰まったビニール袋を乗せて、さらに別のビニール袋とエコバッグを両手に持っているのが見えた。ビニール袋とエコバックはよほど重いらしく、ふーふーと苦し気に荒い息をつきながら袋を持って自転車を押している。

「……ん?」

 少年の後ろ姿に何故か見覚えがあり、志騎は少年の真正面にまで回り込むと彼の顔を見る。この気温にも関わらず暑そうに汗をかいているその端正な顔は、見覚えのある顔だった。というよりは、平日の学校の朝いつも見かける顔だ。

「……佐藤?」

「あれ、天海君?」

 自転車を押していたのは、彼のクラスメイトであり友人の佐藤良太だった。

 

 

 

 

「ごめんね、天海君。手伝ってもらっちゃって」

「別に良いよ。大変そうだったしな」

 偶然良太と出会った志騎が良太の話を聞くと、なんでも彼の姉と婚約者が経営する店の買い出しに出かけて、その帰り道だったらしい。彼が一人だったのは、買い出しの量が多いので最初は婚約者が彼の手伝いを申し出ていたのだが、店の方も忙しいので自分一人で大丈夫だと良太が言ったからようだ。そして無事に買い物は終わったのだが、帰りに彼の自転車のタイヤがパンクしてしまい、ビニール袋の一つを籠に乗せて、こうして泣く泣く自転車を押して帰っていたとの事だ。

 そんな事情を説明してくれた良太に、志騎は自分が二つの袋を持つと言った。随分と重たそうにビニール袋とエコバッグを持って自転車を押していたので、二つを自分が持った方が早く帰れるからだ。良太の方は最初遠慮していたのだが、このままでは帰る時間が遅くなり姉と婚約者が心配すると志騎が説得をすると、申し訳なさそうに手伝いを了承してくれた。そして、二人は並んで喫茶店へと歩いているという事だ。二つの袋は確かに重いが、元々両手が空いていた志騎ならば問題はない。むしろ、この二つに加えて荷物を載せた自転車を押していた良太の方がすごい。

「そういえばもうすぐクリスマスも近いけど、お前の姉さんがやっているっていう喫茶店は何かあるのか?」

「うん。今は僕と婚約者の人でお店の飾りつけをしながら、折角だしお客さんと一緒に星を観察しながらコーヒーを飲むイベントでもしようかって考えてる」

「星?」 

 言いながら志騎は空を見上げるが、生憎街のイルミネーションが明るすぎるせいで星の光がなかなか見れない。

「天海君には言ってなかったけど、婚約者の人は天文学者なんだ。だから、星にすごく詳しいんだよ」

「へぇ………」

「喫茶店自体はあまり大きくないけど、気に入ってくれてるお客さんもたくさんいるし、姉さんも張り切ってるから、今回のイベントを通してその人達に喜んでもらいたいんだ」

 そう言う良太の顔は、先ほどまで浮かべていた苦し気な表情など欠片も残っていないほど嬉しそうだった。彼は傍から見ると不幸体質で、今日も自転車のパンクという不幸があったのに、それをまったく気にもかけていない。そんな良太の姿が、志騎にはカッコよく映った。

「……なんか、お前ってすごいな」

「え? そ、そうかな……」

 するとそのような言葉をかけられるなど思っていなかったらしく、良太は照れたように笑った。

「うん。だって今日だって自転車がパンクしたのに泣き言も言わないで、俺と会うまで必死にお姉さんと婚約者の人のために荷物を持って自転車を押して……。なんていうか、根性があると思う」

「そんな事は無いよ。ただ、自分にできる事ややらなきゃならない事があるから、それを最後までやろうと思ってるだけだよ」

「……自分にできる事ややらなきゃならない事を、最後まで」

 志騎が呟くと、良太はうんと頷いた。

「前に、姉さんの婚約者の人が僕に言ってくれたんだ。弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらない事の理由にはならない。だから僕も、例え運が悪かったりしてもそれを言い訳になんかしないで、僕のやる事ややらなきゃいけない事を最後までやる。本当にそれだけなんだよ」

「………」

 彼の言葉に、志騎は思わず良太の顔をじっと見る。すると視線に気づいたのか、良太が困惑した様子で尋ねた。

「ど、どうしたの?」

「……いや、その通りだなと思って。ってかさ、やっぱり良太って根性があると思うよ。だって普通の人間なら、分かってても中々そういう事はできないからさ。そう言い切って自分のやる事をやれるっていうのは、間違いなくお前の強さだよ」

「そ、そうかな? きっと僕だけじゃないと思うけど……」

「いやいや、そんな事は無いよ」

「いやいやいやいや……」

 と、そんなやり取りをしながら、二人はしばらく笑い合いながら歩いた。

 やがて良太が自転車を止めると、志騎もそれに続いて歩みを止める。

「ここまで来ればもう喫茶店はすぐ近くだから。あとは僕一人で大丈夫だよ。荷物、運んでくれてありがとう」

「別に良いよ。だけど、本当に大丈夫なのか?」

「うん、本当に近くだから。そうだ、今度喫茶店に来てくれたらコーヒー奢るよ。今日のお礼も兼ねて」

「……そうだな。じゃあ今度来るよ。その時は、コーヒーに砂糖とミルクを入れてくれ」

「それも良いけど、最初はブラックで飲んだ方が良いと思う。姉さんによると、うちのコーヒー豆は良い仕事をするらしいから」

「勘弁してくれ」

 志騎は苦笑しながら、持っていたビニール袋とエコバッグを良太に渡す。良太は少し重たそうに受け取りながらも、どうにか左手で自転車のハンドルを握るとエコバッグを握った右手を横に振る。志騎も右手を振り返すと、彼に背を向けて歩き出した。

 そしてふと立ち止まって頭上を見上げてみると、イルミネーションが煌びやかな街から離れたためか、夜空には燦然と輝く星々と真っ白な光を放つ月が浮かんでいた。志騎に天体観測の趣味は無いが、確かにこれを見ていると天体観測をしたくなる気持ちも分かる。

「……弱かったり運が悪かったり何も知らないとしても、それは何もやらない事の理由にはならない、か……」

 良太の婚約者が言っていたという言葉を呟きながら、志騎は再び自宅への道を歩き始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日、勇者部の部室にはクリスマスツリーが鎮座していた。そのクリスマスツリーを、友奈と夏凜と樹、志騎と銀が飾り付けている。

「ねぇ友奈。飾り付け曲がってない?」

「大丈夫大丈夫!」

「銀、飾りの数足りてるか?」

「うん、問題なし!」

 さらに部室では東郷が勇者部のホームページをクリスマス仕様に変更し、風が勉強をして園子が採点をしている。それは良いのだが、何故か風はぐるぐる眼鏡をかけた状態で勉強を行っていた。

「何あの眼鏡?」

「視力が落ちたんだそうです」

 風の眼鏡が気にかかった夏凜が呟くと、樹が答えながら苦笑する。

「大変ね受験生。部室でまで勉強?」

「本当大変だよなぁ。アタシまだ二年生で良かった……」

「お前も来年ああなっているかもしれないぞ?」

「それは嫌だー!」

 志騎の言葉に未来の自分の姿を想像してしまったのか、銀が頭を抱えて絶叫する。一方風は眼鏡を外しながら、

「先週は色々大変で、勉強どころじゃなかったからねー。取り返さないと」

「陳謝!」

「ああもう! そういうつもりで言ったわけじゃないの気にしないで!」

 途端に東郷が非常に綺麗な土下座をして、風がそれに慌てた。だが確かに先週の事を考えると、勉強どころではなかっただろう。風の気持ちは非常によく分かる。

「受験よりブラックホールの方が急務だものね……」

「ええ……」

「あはは」

 夏凜が呟いた瞬間。

「陳謝!」

『わぁああああああああっ!!』

 東郷がカッターナイフで再び腹を切ろうとし、しかも今回は彼女の精霊である青坊主が小刀を持ち、さらに刑部姫がいつの間にか出現し日本刀を持って東郷の介錯をしようとしていた。いつもは出てこない癖に、こういう時にだけタイミングよく表れるのは本当にやめてほしい。

「まる、まる、まる、まる……と。よ~し、最後の問題も花丸花丸! ふーみん先輩全問正解だぁ!」

「よしっ! さすがあたし!」

 園子の言葉に風がガッツポーズをする。なお、東郷は友奈達に切腹を止められ、刑部姫は志騎に体を思いっきり踏みつぶされていた。中々苛烈な行動だが、普段の彼女の行いと今の彼女のやろうとしていた事を考えると仕方ないかもしれない。

「アタックチャーンス!」

「……何が?」

「なんの?」

 突然ぐっと拳を握ってまた意味の分からない事を言い始めた園子に、風と志騎のツッコミが飛ぶ。そんな二人に園子は両手の指を二本ずつ立てると、

「正解すると、女子力が二倍になります!」

「やります!」

「どんな試験勉強よ」

「ってか、女子力って数値化できるものなのか?」

「とまぁ、ふーみん先輩の女子力は置いといて」

「あたしの女子力ー!」

 と嘆く風をよそに、園子は風の答案用紙を見ながら、

「これだけできれば大丈夫ですよ。さすがっす~」

「うん。乃木が見てくれたおかげよ。来週は来週で、樹のショーがあるからねー」

 眼鏡を外しながら嬉しそうな顔の風に、納得したように夏凜がニヤニヤと笑う。

「ははー。それで詰め込んでたのかー」

「お姉ちゃん! 私のショーじゃなくて、街のクリスマスイベント! 学生コーラス!」

 風と樹が言った通り、来週には街で讃州市の中学校合同のコーラスがある。しかもそのコーラスに参加できるのは、その中学校の代表生徒達だけ。これには当然、歌が上手でなければ参加する事はできない。それに樹が選ばれたのだから、風が嬉しそうにしているのも当然だ。

「すごいねー! 学校代表だよ樹ちゃん!」

「友奈さんと刑部姫さんが練習を手伝ってくれたからですよ」

 樹の歌の練習には、友奈だけではなく刑部姫も手伝っていた。彼女の教え方は厳しかったものの、それに応えるように樹は音を上げずみるみる実力を上げていった。今回彼女が学生コーラスに参加できたのは彼女の実力もあるだろうが、刑部姫の指導も間違いなく理由の一つに違いない。

「それでこそ我が妹! 他の学校の代表者、ぶっ倒してきなさい!」

「趣旨が違うよー……」

 物騒な事を言う姉に、樹が少し戸惑う。すると友奈の横で話を聞いていた東郷がきらりと目を光らせ、

「じゃあ、風邪を引いたりしないようにベストコンディションで行かないとね!」

 東郷が言った直後、東郷と園子の二人が樹を挟んで手を奇妙に動かし始めた。見方を変えると、まるで手から何かの念波を樹に送っているように見える。

「「健康健康健康健康……」」

「よ、余計にプレッシャーだよー……」

「なんか、怪しげな宗教の儀式に見えるな……」

「奇遇ね銀、あたしもよ……」

 手から何かの波動を送る親友と洗脳されそうな妹を見て、風と銀が顔を引きつらせる。さらにその混沌とし始めた空間に乱入するように、夏凜がいつも持っているサプリメントが入っているプラスチックのケースを取り出して、

「サプリ、キメとく?」

「じゃあ効く奴を……」

「いっつんいっつん! いっつんのグッズ展開して良い?」

「やめてくださいー!」

「あはは……」

 案の定と言うべきかカオスになり始める空間を見て、友奈が笑い声を上げる。だがいつもとは違い、その声にはどことなく力が入っていないように感じられた。そんな友奈のささいな異変に気付き、風が尋ねる。

「ん? らしくないわね、何か考え事?」

「ふぇ? 何も考えてないですー」

「それはそれでどうかな……? 本当はどっか具合悪いんじゃないのー?」

「確かに先週から色々忙しかったですもんね。もしかして、風邪引いたとか?」

 友奈の体調を心配した二人がそう言った瞬間、この部室内で一番友奈への想いが強く想い人物が凄まじい表情をして叫んだ。

「ええっ!? 友奈ちゃん具合悪いの!?」

「いや顔っ!!」

「ホラー映画に出演する気かお前は!?」

 東郷の顔に銀と志騎からの全力のツッコミが飛ぶが、当然彼女の耳には届いていない。友奈の具合が悪いと聞いて、東郷は園子と一緒に友奈に健康波動を飛ばし始めた。

「そんなの効くはずが……」

「ああーポカポカする……」

「ええっ、嘘! そんなはず……!」

 驚愕する夏凜に、東郷と園子がにやりとターゲットを友奈から夏凜に変えた。すぐさま二人は手を奇妙に揺らし始め、夏凜に健康波動を送り始める。

「やめろー! ……あれ、なんかポカポカしてきた……」

「マジで!?」

 東郷と園子の健康波動の感想を夏凜が呟き、銀が驚愕する。ここまで来ると彼女達から本当に何かの波動が出ているのかもしれない。

 そんな勇者部のやり取りを見ていた友奈がふと横に視線を変えると、棚のガラス戸に貼られた紙が目に入った。紙には勇者部五箇条が書かれており、その中の『悩んだら相談!』という言葉が強く友奈の視線を引き付ける。

「風!  勉強終わったなら飾り付け手伝いなさいよ!」

「別に良いんじゃないか? 飾りつけはもうアタシ達でほとんど終わってるんだし、あとはクリスマス当日を待つだけ……」

「み、みんな! あ、あのね……」

 友奈が声を上げると、友奈を除いた勇者部全員の視線が友奈に向けられる。友奈はどうにかいつも通りの笑顔を引っ張り出すと、どんな風に話を切り出そうか頭の中で考えながらとりあえず指を一本立てて、

「え、えっと……。ここで問題です! キリギリスが、アリの借金をこっそり肩代わりしたとしたら……その後、どんな問題が起こるでしょうか!?」

 しかし、七人の反応はぽかんとしたものだった。突然の友奈の問題の意図が分からず、風が友奈に尋ねる。

「何、それ?」

「私も分かりません……」

「はぁ?」

「社会学の実証問題?」

「随分難しい事知ってるな、園子……」

 すると、何故か問題を出したはずの友奈がうろたえて、

「え? ええっと……学校新聞のクイズを考えていて……」

 少々怪しかったが、どうやら風と夏凜はそれで納得したらしい。

「ああ、それで……」

「それ、クイズになってないわよ」

「あはは……」

 友奈は作り笑いを浮かべながら、再びどんな風に話を切り出すかと悩む。しかし、やはりこういった事は自分には向いていない。自分にできる事は、ただ自分に起こった事を正直にみんなに話す事だ。友奈は意を決すると、今度こそ自分に起こった異変を話そうと口を開く。

「あのね! 実は、私……!」

 その、瞬間。

 友奈の目に、あるものが映った。

 彼女達の胸に現れる、禍々しい黒い太陽のような紋章が。

「………っ!」

 それに友奈は思わず絶句し、口を閉ざしてしまう。

「肩代わりの話か~」

「え……う、うん!」

 園子の言葉に友奈が思わず笑いながら答え、その際に目を閉じる。次に目を開けると、彼女達の胸から紋章は消えていた。友奈が出した問題について園子達は話し合っているようだが、もう彼女達の会話は友奈の耳には届いていない。ただ険しい表情を浮かべて、俯いているだけだった。

 結局その後友奈は自分の身に起こった事を誰にも言う事が出来ず、その日の部活動は終了する事になった。下校時刻となり全員が雑談をしながら帰り支度をしていると、浮かない表情をしていた友奈に志騎が声をかけた。

「友奈」

「え、な、何? 志騎君?」

 突然声を掛けられた事に動揺しながら友奈が返事をすると、志騎は友奈の目をまっすぐ見ながら尋ねた。

「お前、大丈夫か? 元気無さそうだけど」

「え……」

 自分の身を案ずる志騎に、友奈は戸惑いながらも自分の身にあった事を話そうかと悩む。

 しかし、先ほど自分の目に映った光景を思い出して友奈は唇をきゅっと噛むと、無理やりに笑顔を絞り出す。

「ううん! 何でもないよ! 心配してくれてありがとう!」

 そう言って友奈は志騎から離れると、東郷と一緒に部室を出る。しかし志騎はどこか納得していないような表情を浮かべながら、友奈が出て行った部室の扉をじっと見つめるのだった。

 

 

 

 その日の夜、友奈は自宅のベットの上で一人寝転がりながら今日の昼間に見た光景について思い出す。 

 勇者部の面々に浮かび上がっていた、不気味な紋章。それを見て連想するのは、やはりつい先日東郷を助け出した時の事だった。

(東郷さんを助けようとした時、お役目は私に引き継がれた。こんな事を知ったら、きっと東郷さんが悲しむ事になる。折角今、みんながやっと揃って楽しいのに……!)

 友奈がそう考えていると、胸の紋章がある位置から焼ける様な痛みが友奈を襲う。思わず紋章のある位置を抑えると、さらに彼女のスマートフォンから着信音が鳴る。スマートフォンを取って画面を見ると、勇者部の使用するチャットアプリに東郷からのメッセージが届いていた。

『クリスマスって名前は外国産過ぎてしっくりこない』

『モミの木祭りというのはどうかしら?』

『風情が無い』

『バカなの?』

『さあすがにちょっと……』

『ムードぶち壊しだよ……』

『わっしーは変わらないなぁ』

『死ねば良いと思う』

『悪い。今のは刑部姫が俺のスマホを使って打ったから、あとで処刑しておく』

『我が国の良さを伝えきれないおのれの筆力が憎い!!』

『我が国www 痛すぎwww ワロタwww』

『刑部姫は釜茹でにすべきである。異論のある者は挙手を』

『異議なし』

『異議なし』

『異議なし~』

『おぉい!?』

 と、立て続けに送られてくる混沌としながらも平和なメッセージのやり取りに、友奈は思わず微笑んでしまう。こういうやりとりができるのも、平和な証だ。そして自分が悩みを話せば、ようやく手に入れたその証が再び無くなってしまう。友奈は笑みを消すと、両腕の力をだらりと抜いて天井を見つめる。

(私は……)

 自分は、どうすれば良いのだろうか。どうするべきなのだろうか。

 しかし考えても考えても何も思い浮かばず、結局その日の夜の内に答えが出る事は無かった。

 

 

 

 

 

(私は、生かされている。だからこっち側にいられるんだ)

 翌日になっても、友奈の悩みは晴れなかった。授業中も、一人でいる時も不安がぐるぐると彼女の頭と胸の中を回っている。考えてみたら、自分が今こうしていられるのは天の神の気まぐれにすぎない。会った事は無いが、もしも天の神がやろうと思えば自分はもう東郷を助け出した時点で死んでいるはずだ。まるで真綿で首を絞められているようで、友奈は苦し気に表情を歪めた。

 それからようやく放課後の部活動の時間となる。友奈が東郷と話していると、彼女のあとに部室に来た夏凜がコートをハンガーにかけながら困ったように呟く。

「もう、こんな寒い時になんでマンションのエアコン壊れるかなぁ」

 自分の身に起こった不幸に夏凜がぼやくと、さらに東郷も彼女に続くように言う。

「私も昨日は、急に電灯が切れてとても困ったの」

「実はアタシもなんだよなぁ」

「銀も?」

 東郷の言葉に銀はああと頷いて、

「昨日給湯器が突然壊れてさ、お風呂に入れなくなっちゃったんだよ。父ちゃんの車で銭湯にいけたから良かったんだけど、一番風呂がアタシで給湯器壊れてる事に気づかなかったからさ。シャワー浴びる時に超冷たくてビビった……」

「それは辛いな……」

「だろ?」

 それから銀は、昨夜のシャワーの冷たさを思い出したのかブルルと震えた。この時期に冷水のシャワーはさぞ応えた事だろう。

「みんな大変だったんだね」

「そう。災難よ災難!」

 腕を組んで夏凜がふーと息をつくと、そこに風の声が割り込んできた。

「そんな事ぐらい! うちなんて昨日樹が鍵を落として、寒空の下二人して大変だったんだから!」

「わわっ……。言わないでぇ~!」

「ちょっとコンビニに行っただけだったのに、大騒ぎだったわよー」

「あぅう~」

 自分の失態を暴露され、樹はちょっと涙目になった。

「ったく、ドジねー」

「本当、しっかりしてきたと思ってたんだけどねー」

 樹は涙目ながら、それでもこれはまだ笑い話の範疇だ。しかし友奈の方は、ひどく険しい顔で風と樹のやり取りを見ている。

「園子参上なんだぜー」

「お、来たか園子……ってどうしたんだその包帯!?」

 部室に現れた園子の右手を見て、銀が声を上げる。彼女の右手は包帯で巻かれており、右手の動きに支障は無さそうだが痛々しい。

「大丈夫大丈夫~。スポッと! こうしてサンチョをかぶせれば、あってないようなものシュレディンガー!」

「って、食われてる食われてる!」

 自分の右手をいつも持っている猫のぬいぐるみの口に突っ込ませておどけるが、右手の傷という事実を消す事は出来ない。

「一体どうしたのよ?」

「今朝、ポットで火傷したんだ」

「大怪我じゃなくて良かったわ」

「うん。小怪我~」

 しかし、志騎と友奈以外の六人全員が何らかの不幸にあうという事態に、友奈の表情が暗くなると共に昨日の光景が彼女の脳裏をよぎる。もしかしたら、あれが原因で彼女達は不幸な目に遭ったのかもしれないという考えすら出てきた。……いや、この紋章の性質の事を考えるとあながち間違いじゃないのかもしれない。

 そんな事を友奈が考えているとは露知らず、夏凜がため息をついて、

「はぁ。揃いも揃って師走にロクなもんじゃないわねぇ。勇者部全員厄払いにでも行った方が良いんじゃない?」

「ちょっと縁起でもない事言わないでよー! ……いやでも、必要かも……」

「ちょ……本気にしないでよ」

「でも風先輩は受験が近いですし、万が一のために受けた方が良いんじゃないですか?」

「そうねぇ……」

 と勇者部がそんなやり取りをしていると、東郷から志騎と友奈に質問が向けられた。

「友奈ちゃんと志騎君は何もなかった?」

 それに友奈はようやく東郷が心配そうな目で自分を見ている事に気づくと、慌てて笑顔になり、

「うん! 平気!」

「こっちも何もなし。平和な夜だったよ」

「良かった。二人にまで何かあったら、いよいよ怪しいものね」

「また、大赦かー! って」

 しかし、園子の一言で部室内の空気が一瞬凍り付いた。彼女達が黙り込むと共に、脳裏に大赦が真実を隠していた事により起こった悲し気な出来事が彼女達の脳裏をよぎる。

「い、いやいや!」

「まさか、さすがに!」

「それはないって園子ー!」

「だよね~」

 どうやら園子の方も半ば冗談だったらしく、笑いながら可能性を否定する。

「私達、めちゃくちゃ疑い深くなってるんじゃない?」

「まぁさすがにあんな事があったから仕方ないけど、いくら何でもこじつけが過ぎるよな」

「あはは……」

 夏凜と銀の言葉に友奈は笑うが、やはりと言うべきか彼女の笑いには力が入っていない。

 そして彼女の笑みを、園子がきょとんとした表情で、志騎がじっと何かを探るような目で見つめていた。

「はいはい! それぞれ持ち場につけー!」

『はーい!』

 手を叩きながら風が促すと、七人は返事をして持ち場につこうとする。友奈は不安に満ちた表情を浮かべていたが、やがて真剣な顔になると持ち場につこうとする風に声をかけた。

「あ、あの! 風先輩!」

「……?」

「ちょっと、良いですか?」

 それから友奈は誰にも聞かれないように、風に部室が終わった後二人きりで話したい事を伝えた。

 話の内容は小声で話したので、勇者部の誰にも聞かれていなかった。

 ただ一人。

「………」

 友奈と風のやり取りを気づかれないように観察していた、志騎を除いて。

 

 

 

 

「どうしたの? 悩み事?」

「えっと……」

 部活動が終わった後、讃州中学の渡り廊下に風と友奈の二人はいた。そして物陰に志騎がこっそりと隠れて、二人のやり取りを見ている。

(友奈の奴に何か起こってるんじゃないかって思ってたが……この様子だと、ビンゴかな)

 実は昨日友奈が自分の体の異変をみんなに話そうとした時に、彼女達の胸元に紋章が浮かび上がる所を、志騎も見ていたのだ。

 いや、正確には何故か志騎の左目がまるでバーテックスの能力を発動する時と同じようにわずかに反応したと思ったら、彼女達の胸に紋章が見えたというのが実際の所なのだが。

 それで友奈に探りを入れてみたが、彼女は何も答えなかった。そこまでは良いのだが、一晩明けると自分と友奈を除いた全員に何か不幸が起こっていた。その原因は間違いなく、彼女達の胸に浮かんでいたあの紋章だろう。

 あの紋章と同じものを、以前志騎は見た事がある。

(俺が暴走した時と、同じもの……)

 二年前志騎が初めてバーテックスの本能に呑まれて銀達に襲い掛かった時、バーテックスの頭部に現れた紋章と同じ形をしていた。それに反応するように、自分の左目が……正確には、自分の中のバーテックスの細胞が反応していた。つまりあの紋章は、自分達の敵である天の神のものなのだ。それが何故自分には現れなかったのかは分からないが。

 あの紋章が天の神のものであり、彼女達に危害を加えるものならば、自分に何かできるかもしれない。しかし昨日と今日の友奈の様子からすると、素直に話してくれると思えない。なのでこうして、彼女達のやり取りをこっそりと聞いているのだ。

(本当ならバーテックスの能力で聴力を強化して聞くって手もあるけど……。刑部姫から力は使うなって言われてるし、仕方ないな。……こんな姿を他人に見られるのは嫌だけど……)

 嫌だが、背に腹は代えられない。ここならば友奈達に発見される事は無いだろうし、ギリギリ二人の会話の内容も耳に届く。志騎が息を殺して友奈が話すのを待っていると、風が友奈の顔を覗き込みながらニヤニヤと笑う。

「恋愛の事だったりして~。あ、そしたら東郷が怒るか」

「怒ったりしませんよ~」

「どうかな~?」

 やりかねないわよ? と言うように、悪戯っ子のような笑みを風は浮かべた。

「そんな事より、何? 言ってみ?」

 しかしさすがは先輩、すぐに友奈の顔を見て用件を聞く。それに友奈もぐっと決心したような表情を浮かべ、隠れている志騎もわずかに身を乗り出して話が少しでも耳に入るようにする。

「実は……この間……」

「……どの間?」

「あ、ええと……スマホを返してもらった日……」

 スマホを返してもらった日というと、自分達が東郷を捜索するために壁の外へと向かった日だ。その日友奈はブラックホールの中へと突入し、東郷を連れて壁の中へと戻ってきた。

 しかしそこまで言ってから、友奈は再び言いにくそうに口をつぐんでしまった。

「何かあった?」

 そして風にそう聞かれると、ようやく友奈は意を決して自分の身に何が起こったのかを風に話そうとした。

「実は……! 東郷さんを……!」

 その瞬間、友奈の顔が強張った。

 それに反応するように、志騎の左目に青い幾何学模様が出現し、友奈の見ているものが志騎の視界にも入ってくる。

「……? 何?」

 風がきょとんとした表情で尋ねるが、友奈の耳に入っているかは分からない。

 今友奈と志騎の目には、風の胸の部分に黒い太陽の紋章が現れるのが見えていた。しかも昨日東郷達に現れていたものよりも、はっきりと見えている。

「……いえ」

 友奈は風の顔を見て答えてから紋章があった部分に視線を戻すと、もう紋章は消えていた。それは志騎も同様で、友奈が返事をしてからすぐに左目の幾何学模様が消えてしまい、それに伴い紋章も見えなくなってしまった。

「………?」

 一方、風の方は何故か険しい表情を浮かべている友奈を不思議そうな目で見つめていた。するとそれを誤魔化すように、友奈は頭の後ろに手をやりながら笑う。

「ま、前にみんなで撮った写真とか大事なやつ、スマホから消えちゃってて……」

「あー、それは仕方ないわね。大赦の検閲で消えちゃったのかも……」

 それから友奈と風の話は、いつも通りの他愛のないものへと変わっていった。友奈の方も話を元に戻すような事はせず、しばらくその場で話をしてから風と一緒に立ち去っていく。やがて二人の姿も声も完全に感じられなくなると、志騎は物陰から姿を現して自分の左目に手をやる。

(……さっき俺は、自分からバーテックスの能力を使っていない。それなのに、勝手にバーテックスの能力が発動した……。いや、もしかして天の神の力に反応した?)

 という事は、どうやら自分の中のバーテックスの細胞は天の神の力を察知するレーダーにもなるらしい。まったく、忌々しくも便利な力だと心の中で毒づく。しかしそうなると、先ほどの風に見えた天の神の紋章が気になる。

 これまでの事と先ほど友奈が話そうとしていた事から推測すると、やはり先日友奈の身に何かが起こったのは確かだ。肝心の何かは友奈に聞いてみないと分からないが、それを誰かに話そうとすると先ほどの紋章が誰かの体に出現し、不幸な事が起こる。先ほど友奈が風に話そうとしていたのをやめてしまったのも、それが原因だろう。もしもあれ以上話していたら、風の身に何が起こるか分かったものでは無い。

 いや。

「……マズいな」

 チッと思わず舌打ちして呟く。

 先日勇者部の面々に現れた紋章は小さなものだったにも関わらず、それぞれに何らかの不幸が出た。園子に至っては火傷まで負ってしまっている。

 今回の風の場合の紋章は、その時出現した時のものよりもはっきり出現していた。だとすると、彼女の身に降りかかる不幸もその時よりも大きいものである可能性が高い。 

 志騎は急いでその場から駆け出すと、自分の鞄とコートが置かれている教室へと急ぐのだった。

 

 

 

 

 

 教室でコートと鞄を持って勇者部部室へと向かった志騎は、運よく部室を出る所だった風の姿を見つけた。志騎が彼女に見つからないように彼女を尾行すると、彼女は駐輪場の所で樹と合流し、一緒に自宅へと帰っていく。志騎もいつも駐輪場に置いてある自分の自転車を引きながら、彼女達の後を距離を保ってついていく。なお、銀は用事があるからと先に帰らせている。

 志騎の前方で風と樹は来週のクリスマスイベントについて話し、笑い合っている。本当ならもう少し距離を取った方が良いのかもしれないがこれ以上離れると何かあった際に動けない。かと言って近すぎると二人に気づかれる可能性が高くなるので、この距離が限界だ。

 そして前方の風が何か暖かい物でも作ろうかと言ってスーパーに行くのを提案し、樹もそれを快諾する。三人は交差点に近づき、風と樹が青色に変わった横断歩道を渡ろうとする。

 直後。

 橙色の光を放つ太陽が雲に隠れると共に奇妙に歪み、風の胸部に紋章が現れ、それに呼応するように志騎の左目に青色の幾何学模様が出現した。

「っ!!」

 自分の左目の違和感に、志騎は表情を強張らせながら辺りを見回す。このタイミングで左目が勝手に反応したという事は、十中八九何かが起こるはず。そう思った志騎の両目の視界に、あまりに予想外過ぎるものが飛び込んできた。

(トラッ、ク!?)

 横断歩道を歩く風目掛けて、小型トラックが突っ込んできていた。しかも生半可な速度ではない。もはや暴走とも呼べる速度で、風に突っ込んできていた。あれでは仮に運転手がブレーキを掛けたとしても、風の目の前で止まる事は不可能だ。今まさに風に突っ込んでいるトラックが止まる事が出来なかった結果どうなるかなど、言うまでもない。

「くそっ!!」

 ガチャン!! と志騎は自転車を放り出すと風の元に走り出す。だが、風と自分の位置関係ではまず間に合わない。このまま自分が全速力で走っても、風がトラックに轢かれておしまいだ。――――志騎の身体能力を爆発的に上げる裏技でもない限り。

「………っ!」

 もちろん、それを志騎が躊躇するはずもなかった。

 志騎が両目を見開くとバーテックスの細胞により、身体能力が一気に向上する。刑部姫からもうバーテックスの能力は使うなと忠告されていたが、そんな忠告は今の志騎の頭からはすっかり吹き飛んでいた。

 強化された身体能力で一気に樹の横を通り過ぎると、トラックの前で思わず立ちすくんでいる風の体を突き飛ばす。全力でやると逆に風の体を壊しかねないため手加減し、どうにか風の体をトラックの進行方向から逃がす事に成功する。

 それにほっと安堵の息をついた志騎の体を。

 小型トラックという鉄の塊の凶器が、襲った。

 ゴッ!! という壮絶な音と共に何かが飛び、地面に何かが叩きつけられる音が響く。ビシャッ! という水っぽい音と共にコンクリートに飛び散った液体の色は、毒々しい赤色をしていた。

 コンクリートに叩きつけられた物体の正体を突き飛ばされて地面に倒れた風と、何が起こったかよく分かっていない樹の二人が確認した直後。

 風の口から誰かの名前を呼ぶような絶叫と、樹の口から喉が張り裂ける様な悲鳴が空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 夜、友奈は自宅で花の絵を描いていた。彼女の横では精霊である牛鬼が園子が持っているのと同じ猫型の枕をかじっている。相変わらず、食べ物だろうとそうでなかろうと何でも口に運んでしまう食いしん坊すぎる精霊だ。

 今日の夕方の事を思い出して友奈は浮かない表情をしていたが、突然スマートフォンからチャットアプリの着信音が鳴った。友奈がスマートフォンを取って内容を確認すると、相手は風からだった。

『全員、特に銀、落ち着いてよく聞いて。志騎が、トラックに撥ねられた』

 思考が冗談抜きで停止した。友奈が呆然とスマートフォンの画面を見ている間にも、チャットの連絡は続いていく。

『あたしと樹は、今病院にいる。刑部姫が今志騎の様子見てる』

『せんぱい』

『どういうこと』

『なんで』

 しかしやはりと言うべきか、今回の連絡に一番動揺しているのは彼の幼馴染である銀のようだった。立て続けに送られてくる短文からも、彼女の心境が伺える。と、動揺する銀を落ち着かせるように他の部員達からも続々とメッセージがやってきた。

『銀。落ち着いて』

『今すぐ病院に行く』

『私も行きます』

『もう出た』

 さすがと言うべきか、他の三人の行動は早かった。今頃は風と樹がいる病院に全員向かっているだろう。友奈は自分の呼吸が荒くなるのを感じながら、紋章がある自分の胸に手をやる。

「そんな……どうして……どうして、志騎君が……」

 そこまで考えた所で、友奈はようやく気付いた。

 志騎はどうやら自分の元気がない事に気づいているようだった。そして彼はバーテックスの力を持っている。東郷達では気づかない事も、彼ならば気づいていた可能性はある。

 だとすると、勘の良い彼の事だ。自分と風の会話をどこかで隠れて聞いていた可能性は高い。それで自分と同じように、風の胸に紋章が現れているのを彼も見ていたとしたら。その結果風に降りかかろうとしていた不幸からどうにかして彼女を助けようとして、結果彼女の代わりにトラックに轢かれたのだとしたら、辻褄が合ってしまう。

 だが、それはつまり。

 志騎がトラックに轢かれたのも、風がそうなりかけたのも、全ては自分の――――。

「………っ!!」

 こみ上げてくる恐怖と吐き気をどうにかこらえながら、友奈はふらふらと立ち上がる。

 それからどうにか身支度を整えて家を出ると、志騎が治療を受けているという病院に向かった。

 志騎が治療を受けているのは友奈達がまだ勇者だった時、彼女達もお世話になった病院だった。そこでバーテックスと戦った後の検査などをしてもらい、東郷も一時期ここに入院していた。

 友奈が病院の待合室に入ると、そこには勇者部部員のうち五人がすでに集まっていた。風、樹、夏凜、東郷、園子の五人。銀はまだ来ていないのか、姿は見えない。

 息をつかせて友奈が五人に近づくと、五人の視線が友奈に向けられる。

「友奈ちゃん……」

「みんな……志騎君は……」

「今はまだ、刑部姫の治療を受けてるわ。ねぇ、友奈。銀の奴知らない? あいつ、まだ姿が……」

 風が尋ねようとした直後、ダン! と病院の床を強く踏みつける音が友奈の背後で響き渡った。勇者部部員全員が目を向けると、そこにいたのは今まさに噂をしていた三ノ輪銀本人だった。

 しかし、彼女の憔悴ぶりは友奈の比では無かった。家から全速力で駆けつけてきたのか顔は汗だく、顔面蒼白で体が小刻みに震えている。彼女は目の前に立つ友奈の横をすり抜けると、現場に志騎と一緒にいた風に尋ねた。

「風先輩、どういう事ですか……!? どうして、どうして志騎が!?」

「銀! 静かに! ここは病院よ!」

 銀の体を東郷が静かに、しかし強く抑えて彼女をなだめる。彼女の声に銀も我を取り戻すと、深呼吸をしてから椅子に座り込む。それからも荒く息をつく銀に、あらかじめ買っていたのか夏凜がペットボトルの冷たい水を差し出す。

「まずは、これでも飲んで落ち着きなさい」

 銀は夏凜の差し出した水を受け取ると、キャップを外して静かに飲み始めた。やがてようやく落ち着いたのか、銀はペットボトルのキャップを閉めると夏凜に返す。

「ありがとう、夏凜。頭冷えてきた」

「礼なんて良いわよ。それより風。事故の時の事を説明してちょうだい。私達もまだ詳しくは聞いてないけど、何があったの?」

 どうやら事故の事を説明するのは、勇者部が揃ってからにしていたらしい。風は集まった勇者部の顔を見回すと、静かに当時の事を話し始める。

「あたしも、正直何が起こったのか今でも完全に分からないんだけど……。樹と横断歩道を歩いていたら突然トラックが飛び込んできて、あたしが跳ねられそうになったの。でもその時、後ろから誰かに突き飛ばされて、あたしは間一髪助かった。その突き飛ばした相手が……」

「あまみん、だったんだね?」

 確認するような園子の言葉に、風がこくりと頷く。彼女は当時の事を思い出しているのか、険しい表情で、

「でも、トラックに轢かれた志騎はピクリとも動かなくて……。それであたしは救急車を呼んで、樹に刑部姫を呼んでもらったの。樹なら刑部姫の連絡先を知ってたし、志騎の体の事に誰よりも詳しいのは多分刑部姫だから……」

 風のその判断は正しかったと言う他ない。刑部姫は志騎を作った氷室真由理の記憶と頭脳を受け継ぐ精霊だ。最初に彼女を呼んでいた方が志騎が病院に運ばれた後の手続きの手間などが色々と省ける。

「それですぐに現場に来た刑部姫は志騎の体の様子とかを調べて、自分のスマートフォンで大赦に何か指示を出してたみたい。それで志騎を救急車に乗せてここに運んで、大赦を通して何か手続きをしたのか今は一人で志騎の様子を見てる。それで、あたしはみんなに連絡をしてここで樹と一緒に待ってたの」

 これが、志騎がこの病院に搬送されてからの出来事という事だろう。すると、風の話を聞いていた夏凜が不安そうな面持ちで尋ねた。

「ねぇ、だけど確か志騎ってどれだけの酷い怪我でも脳と心臓を破壊されなければすぐに治るのよね? それが回復にも検査にもこれだけの時間がかかるって事は……もしかして、今回志騎が受けたダメージって、相当酷いんじゃ……」

 彼女の言葉に勇者部全員の間に重い雰囲気が漂い始め、誰も言葉を発する事ができなくなってしまう。特に銀など体が小刻みに震え始め、今にも倒れそうな錯覚を見る者に抱かせた。すると、みんなを安心させるように風が明るい口調で言った。

「だ、大丈夫よ! 志騎の事は心配だけど、検査をしてるのは性格は腐ってるけど頭と腕だけは一流の刑部姫よ? 頭の良さを取っちゃったら何も残らないあいつだけど、あいつならどうにかしてくれるわよ! 正直、頭の良さと腕の良さ以外は信用できないけど!」

「スリングショットを知っているかクソガキ」

「え、何それいったぁっ!!」

 パァン!! という音と共に風の背中に何かがクリティカルヒットし、風は背中を抑えたまま膝をついてうずくまるという、言葉は悪いが間抜けな体勢になった。他の勇者部部員達が唖然とする中、風の体の横を跳ねていたのは小さなゴム製の弾だった。その弾を小さな影が拾い上げ、さらにゴミを見るような目つきで風を見下す。

「人が働いている間に陰口とは恐れ入ったよ。次に言ったら私が作った小型レールガンの的にするからな」

 小さな影――――刑部姫がそう言うと、左手に持っていたゴム弾と、右手に持っていたパチンコらしきものを着物に入れる。そこでようやく自分達の前に現れたのが刑部姫だという事に勇者部達は気付くと、夏凜が声を上げる。

「って、刑部姫!? あんたいつからいたのよ!?」

「あ? たった今だよ。それがどうした?」

「いや、たった今って、じゃあ志騎の検査は……」

「呼んだかー?」

「志騎!?」

「志騎さん!?」

 さらにそこに、場違いとも思えるほどのんびりとした志騎の声が全員の耳に届き、彼女達が声の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには……。

『無傷!!』

 お前本当にトラックに突っ込まれたのかと言いそうになるほど、見事なまでに傷一つない志騎が立っていた。彼は首をコキコキと動かしながら、

「いやー、まさかトラックに吹っ飛ばされるとはな……。おかげで再生にも時間がかかったよ。ようやくついさっき、壊れた箇所の修復が全部終わった」

「それで、こんなに時間がかかってのね」

 どうやら今回のトラックの衝突によるダメージは、人間を越えた再生能力を持つ志騎でもすぐに回復してはい終わりとはならないほど酷かったようだ。しかしそれでも普通の人間ならばもっと時間がかかるほどの回復をこの短時間で終わらせてしまうのだから、やはりバーテックスの細胞が持つ回復能力は凄まじい。志騎は集まった勇者部全員の顔を見回すと苦笑して、

「……みんな、悪いな。心配かけちゃって」

 志騎が謝る事ではないのだが、自分を心配して病院に集まってくれた友奈達に何も言わないというのも失礼だと思ったのだろう。すると、夏凜が腕を組んでツンとした表情で、

「まったく、人騒がせなのよね!」

「こらこら、ちょっとは労わってやりなさいよ。治ったとはいえ、トラックに轢かれたんだから。それより志騎、悪いわね。あたしを庇って……」

 責任感が強い風らしく、申し訳なさそうな表情を浮かべる。しかし志騎はひらひらと手を振って、

「別に問題ないですよ。それより、風先輩が無事で良かったです。今回の事故が原因で受験ができなくなってでもしてたら大変でしたし」

「でも、事故に遭いかけたというだけですでに風先輩の受験が危うくなってきたような……」

「そういう事言うのやめてくれない!? 志騎のおかげで無事で済んだのに、すごく不安になってきたんだけど!」

 悲観的な事を言う東郷に風が悲鳴じみた声を上げた。

「でも志騎、どうしてあんたあたし達のそばにいたのよ? いや、そのおかげで助かったようなものだけど……」

「ちょうどスーパーに買い物があったから、そこに向かおうとしてた所だったんですよ。そしたらあのトラックに遭遇して……。いやぁ、参った参った……」

 言いながら志騎が肩をすくめると、きっとこの中で一番志騎の様子を心配しているであろう銀が恐る恐る志騎に尋ねる。

「し、志騎、本当に大丈夫なのか? どこか痛い所とか、後遺症とかないか?」

「本当に大丈夫だよ。……お前にも、悪かったな。心配かけて」

「そ、そうか……。なら、良かった……あっ」

「銀!?」

「ミノさん!?」

 突然安堵の表情を浮かべていた銀が足元から崩れ落ち、慌てて東郷と園子が支える。すると、二人に支えられた銀はえへへ……と恥ずかしそうな笑みを浮かべた。

「ごめんごめん……。安心したら腰が抜けちゃったよ」

「ったく、驚かせるんじゃないわよ。志騎に続いて、あんたにも何かあったんじゃないかと思ったじゃない」

 ごめんごめん、と夏凜の言葉に銀は頭を掻いて謝った。

「じゃあ、これであとは帰るだけ――――」

「――――いや、志騎は今日からしばらく入院だ」

 え、と勇者部全員の視線がそんな言葉を放った人物に向けられる。そう言ったのは、それまで勇者部のやり取りを見ていた刑部姫だった。

「いくらバーテックスの能力で回復できたとはいえ、まだ体にダメージが残ってないとも言い切れん。それに、前の壁の外での戦いでの影響も改めて調べておきたい」

「前の壁の外での戦いって……。まさか、志騎君の体に何か悪い影響が?」

 ある意味その戦いの引き金になってしまった東郷が表情を強張らせると、刑部姫は険しい表情で、

「それを調べるための検査だ。入院期間は……そうだな、来週のクリスマスが終わるまで、と言ったところか」

『……!』

 それを聞いて、勇者部全員の顔が驚愕で強張る。

 当然だ。来週は樹のクリスマスイベントがあり、そして……志騎と銀の初めてのクリスマスイブのデートがあるはずの週なのだ。クリスマスが終わるまで入院となると、当然デートの予定も無しになってしまう。

「待ちなさい、刑部姫! いくらなんでもそんなの無茶苦茶よ!」

「そうだよ! クリスマスが終わるまでなんて、せめて入院期間を短縮するとか他に方法はないの!?」

 さすがにこの条件を簡単に呑む事はできず、東郷と園子が猛反対する。

「駄目だ。徹底的に志騎の体の検査を行い、問題が無いと判断できる時間を考慮すると最短でもそれぐらいの時間がかかる。別に良いだろう。クリスマスイブが駄目なら、また別の日にすれば良いだけの話だ」

「そういう問題じゃないわ! あなたには分からないだろうけど、銀は本当にその日の事を楽しみにしてたのよ!! こんな事、簡単に聞き入れろっていう方がおかし……」

「――――グチグチうるっせぇなクソガキ共が!! グダグダ言うな、黙ってろ!!」

 ビリビリ、と刑部姫の怒号が響いた。刑部姫は精霊なので彼女の声が勇者部以外の人間に聞こえる事は無いが、彼女の怒声は東郷と園子を黙らせるには十分だった。と、そこで夏凜はある事に気づく。

「……ねぇ、刑部姫。一体どうしたのよ? あんたらしくないわよ」

 そう、彼女の言う通り今の刑部姫はいつもの彼女らしくない。普段の刑部姫ならば、こういった場面で口調を荒げたりするような事は決してしない。むしろ冷静な態度で理路整然と理由を話し、自分達を悔しがらせながら納得させるのが彼女のやり方だ。なのに、今の彼女にはそんな様子は欠片も見られない。冷静どころか、余裕の無さすら感じられる。彼女のこのような姿を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。

 刑部姫は夏凜の質問に答えず、ただ自分の頭を冷やすように一度深呼吸を行う。

「……別に何でもない。ただ、志騎の入院期間がクリスマス後までなのは確定だ。それ以上は短縮できん」

「でも……」

 なおも東郷が食い下がろうとすると、そこに銀が割り込んできて苦笑を浮かべながら東郷をなだめる。

「落ち着けって須美! アタシの事を考えてくれてるのはすごくありがたいけど、仕方ないだろ? 志騎はトラックに轢かれたわけだし、今後のためにも検査はしておいた方が良いよ。それに、デートにならいつでも行けるからさ!」

「銀……」

 本当は、彼とのデートが行けなくなって一番悔しい思いをしているのは彼女のはずなのに。だけど彼女はそんな感情はおくびにも出さず、ただひたすらに志騎の身を案じている。そんな彼女の一途な想いを考えると、東郷は胸が痛くなった。

 と、銀はパン! と手を叩き、

「そうだ! 折角だし、クリスマスイブにケーキ持っていくよ! それなら良いだろ!?」

「……ああ。構わん」

 刑部姫は珍しく天敵である銀に毒舌を吐く事も無く、ただ静かに頷いて肯定しただけだった。銀はそれに満足したようで小さくガッツポーズをする。

「じゃあ、クリスマスイブはデートは出来ないけど、その代わり志騎の病室でミニパーティーをしよう! じゃあ、話はこれで終わり! それで良いでしょ?」

「……ええ」

 渋々とした表情ではあったが、東郷はこくりと頷いた。しかし勇者部の間には微妙な空気が残ってしまい、それを振り払うように風が志騎に尋ねる。

「そ、それじゃああんたもう今日からここに入院? 着替えとかどうするの?」

「後で刑部姫が大赦の人と一緒に持ってきてくれるそうです。必要なものとかも、その時に持ってきてもらいますよ。あ、そうだ。勇者部の俺宛ての依頼とかどうしましょうか?」

「今はそんなに来てないし、あたしと銀でどうにかしておくわよ。この際だし、あんたは検査をきっちり受けて帰ってきなさい。クリスマスが終わったら、すぐ新年なんだし」

「その時は、みんなでお正月パーティーしようねあまみん!」

「……ああ、そうだな」

 その時の事を思い出して、志騎の顔が少し緩む。ようやく空気が明るくなってきたところで、本日はこれで解散する事になった。そろそろ志騎は自分の病室に戻らなければならないし、いつまでも彼女達が病院にいるというのも他の患者や医師達の迷惑になってしまうからだ。

「じゃあ、帰るとしましょうか。志騎、またね! ちゃんと元気になって帰ってくるのよー」

 風はそう言って、病院の出口へと向かって行った。他の勇者部の面々も去り際に志騎に一言告げて、風の後に続いていく。唯一友奈だけは、何故か複雑な表情を浮かべて、志騎に小さく手を振っただけだったが。

 そして最後に銀が残り、志騎が残った彼女に言った。

「じゃあ、またな銀」

「あ、うん。……あのさ、志騎」

「……?」

 しかし銀は何かを尋ねるような事はせず、ただ何か困ったような表情を浮かべてもじもじしている。それに志騎が怪訝な表情を浮かべていると、銀はたははと苦笑いして、

「な、何かあったら連絡くれよ? 志騎のためならアタシ、すっ飛んで行くからさ!」

「……ああ。頼りにしてる」

「そ、そっか。ありがとな。じゃっ!」

 そう言って銀は小走りで他の部員達の後を追って行った。その場には志騎と刑部姫だけが残り、志騎は部員達が去って行った方向をじっと眺めている。

「……行ったか?」

「ああ。もうあいつらの気配はない。完全に病院を出た」

「そっか。なら、良かった」

 直後。

 志騎の顔からぶわっ! と大量の冷や汗が流れ、全身を襲う倦怠感とこみ上げてくる吐き気に思わず膝をつく。今まで普通を装っていたが、ずっと彼はそれらを我慢して立っていたのだ。

 すると、その様子を見て刑部姫が舌打ちする。

「馬鹿が。バーテックスの能力は使うなと言っただろう。おまけに体の修復にも力を使ったから、その分反動も倍増だ。クリスマスが明けるまでは大分キツイぞ」

「……だな。銀には、悪い事をしちゃったな……」

 つい先ほどの銀の顔を思い出して、志騎は苦笑する。それに刑部姫はため息をつき、

「まったく。能力を使わなければそうはならなかったものを……」

「そういうわけにもいかなかったよ……。あのままだったら、風先輩がトラックに轢かれてたし……。使うしか、無かった……」

 自分の体の事よりも他人の事を優先した志騎に刑部姫はやれやれと言うようにため息をつくと、壁にもたれかかりながら真剣な表情を浮かべる。

「……本当か? 犬吠埼風に奇妙な紋章が見えて、その直後天の神の気配がしたというのは」

「ああ……。そのあとすぐにトラックが突っ込んできたから……。あれもきっと天の神の力が関わってるんだと思う。それに友奈がどういう形で関わっているのかは、まだ分からないけど……」

 今日志騎はトラックに轢かれて、病院に搬送されて体を修復している最中に、刑部姫に最近銀達に奇妙な紋章が見えた事、今日友奈が風に何かを話そうとした時風にまた紋章が見えて、その後トラックに轢かれそうになった事など全て話した。

「それより、お前の方で何か大赦から連絡は来てないか? 紋章の事や、トラックの事について何か……」

「……いや。私の所には何も来てない。それより、今日はもう病室に戻れ」

「ああ、そうす……」

 そう言って志騎が立ち上がろうとした時、その体がふらついて危うく転びそうになる。

「おいおい、大丈夫か?」

 しかしその質問に志騎は答えなかった。ただ左手をゆっくりと動かすと、左目の前で軽く振るう。すると彼の行動に違和感を覚えた刑部姫が、嫌な予感を感じて志騎に尋ねる。

「……どうした?」

「……いや、なんか左目の景色が見えずらいっていうか、かすむ……」

 その言葉に、刑部姫の表情が強張る。

 幾たびの戦いを得て、志騎の体はもうボロボロになっていた。傍から見るとそうでもないが、体の内側はもう限界が近づいている。彼の体を襲っている倦怠感や吐き気は、まさにその証明だ。

 そして、今志騎の左目の異常もその一つだ。……今日のバーテックスの能力を使った反動と体の再生の反動で、左目の視力が急速に衰えつつあるのだ。このままいけば、まず間違いなく左目の視力は失われる。いや、それどころか他の体の機能にも影響が出る可能性が高い。

 刑部姫はきゅっと唇を噛み締めると、動揺を志騎に悟られないように声をかける。

「……きっと今日の事故で疲れたんだろう。早くベッドに行って休め」

「……そう、だな」

 志騎は刑部姫に支えられながら、よたよたと自分の病室に向かって歩いていった。

 

 

 

 

 学校を出た友奈達は、赤色の信号がついている横断歩道の間で信号が青色になっているのを待っていた。すると、東郷がかすかな怒りがこもった口調で呟く。

「道路交通法違反……許せない」

 彼女に続くように、夏凜と風も口を開いた。

「命に別条が無かったから良かったようなものの……」

「あたし達だったら精霊がいるから大丈夫だったかもしれないけど、志騎は刑部姫に精霊バリア無いもんね」

 もしも刑部姫に精霊バリアがあったら、志騎は入院する事も無く七人と一緒に帰っていたかもしれない。そう考えると、やりきれない想いが湧いてくる。

「ねぇ銀、あんたは大丈夫なの? 志騎とのデートも無くなっちゃったし……」

 風の言葉に、銀は苦笑しながら、

「さっきも言いましたけど、アタシは大丈夫ですよ、風先輩。また今度都合の良い日を探せば良いだけなんですから。今は志騎の体の方が大切ですよ」

「……まったく、さすがね。風なんかよりよっぽど女子力高いんじゃない?」

「ちょ、夏凜!?」

「違うよにぼっし~、ミノさんの場合は女子力じゃなくてお嫁さん力だよ~」

「園子ぉ!?」

 夏凜に風が焦った表情で、園子に銀が顔を赤くしながらそれぞれ焦った声を出す。と、東郷が思い詰めた顔で、

「もしみんなの身に何かあったら、私、きっと正気じゃいられない……」

「東郷先輩……」

 大切な友達のためならどこまでも思い詰めてしまう東郷に樹が心配そうな声を出し、一瞬しんみりとした雰囲気が七人の間に漂う。

 しかし、

「国防仮面もブラックホールももう無しだからね」

「くっ……!」

「本当止めて……」

「あはは……」

 何故か非常に悔しそうな表情を浮かべる東郷に夏凜がツッコみを入れ、樹が困ったような苦笑を浮かべる。この六人ならば東郷がまたブラックホールになっても再び助けに行くのだろうが、さすがにあんな思いは何度もしたくないのでできればやめて欲しいというのが本音だろう。まぁ東郷の方も彼女達を困らせたくはないので、もうそんな事はしないだろうが。

「………」

 そして、勇者部の中で唯一沈んだ表情を病院から浮かべている人物が一人いた。

 その人物――――友奈は、浮かない表情を浮かべてじっと黙り込んでいる。いつもならば事故に遭った志騎を心配して、今度全員でお見舞いに行きましょー! と元気よく言いそうな彼女が今日に限って何故か反応がない。まるで、何か大事な事を考え込んでいるかのようだった。

 と、そんな友奈の顔を覗き込んで東郷が声をかけた。

「友奈ちゃんも」

「私!?」

「怪我だけは、気を付けてね」

「う、うん」

 自分の身を案じてくれる東郷に、友奈はどうにか笑顔を作り出して返事をする。

「そう言えば友奈さん、病院に来てから口数が少ないような気がしましたけど、大丈夫ですか? もしかして、どこか具合とか悪いんじゃ……」

「え、アルファー波の出番?」

「はいはい。園子はちょっと落ち着こうな」

「しょぼ~ん」

 具合が悪いかもしれないと聞くや否や、目を輝かせて手を奇妙に揺らし始める園子を銀がなだめると、友奈は精一杯の空元気を出して笑う。

「わ、私は大丈夫ですよ? もう元気もりもりで、うどん何杯でも食べられちゃいます!」

「それなら良いけど、何かあったらきちんと言いなさいよ? 最近はなんか変な事ばかり続くし……」

 勇者部の面々は不幸な目に遭うわ、風はトラックに轢かれかけるわ、実際に志騎はトラックに轢かれるわ……。東郷や風が友奈の体調を心配するのも無理はないだろう。一方、風の言葉に友奈が何故か表情を暗くしたが、それに彼女達が気づく事は無かった。

「これで友奈も事故に遭ったら、もう本当に勇者部総出でお祓いに行った方が良いよな」

「その時は任せて頂戴。私の全能力を生かして、最高の神社を探して見せるわ」

 そう語った東郷の顔がこれまでにないほど真剣だったので、彼女以外の勇者部は思わず顔を引きつらせながら苦笑を浮かべた。

 そんなやり取りをしていると、ようやく横断歩道の信号が青になった。

「あ、青だ~」

「渡る前に、よく確認しておきなさい。暴走している車やトラックは無い? 無かったら渡って良いわよー」

「お姉ちゃん、すっかり疑い深くなっちゃってるね」

「さすがにあんな事の後だと、疑い深くもなるわよ……」

 何せ自分は轢かれそうになり、後輩は自分を庇って重傷を負ったのだ。風でなくともしばらくは青信号でも周りに神経を張り巡らせてしまう。

「じゃーねー!」

「また明日!」

「二人共、気を付けて帰るのよー!」

「ばいばーい!」

 別れのあいさつを交わしながら、友奈と東郷は五人と別れて彼女達の帰路につく。

 その時、

「…………?」

 園子は東郷と話しながら歩く友奈の横顔を見て、以前の彼女とは違うある変化に気づく。

 しかしその変化はとても些細なもので、自分以外の少女達は気付いていないようだった。きっとその変化に気づく事ができたのも、勇者部員八人の中で一番観察力に長けた園子だからだ。

 しかし確証も無いのに友奈を呼び止める事もできず、園子は東郷と一緒に自分達から遠ざかっていく友奈の横顔を、ただじっと見つめるのだった。

 

 

 

 それから友奈は自宅に帰った後、自分の部屋で机に向かっていた。と言っても勉強をしているのではなく、最近自分の身に起こった事をノートにイラストとして書いて整理しているのだ。 

 暗い表情で友奈がノートを見つめている、胸元の紋章がある位置からズキンと焼けるような痛みがはしった。胸元を抑えてどうにか痛みにこらえながら、最近の出来事について思考を巡らせる。

(私がみんなに話そうとしたら、みんなに少しずつ嫌な事があった。改めてちゃんと話そうとした風先輩は事故に遭いかけて、先輩を庇って志騎君が代わりに事故に遭った。天の力は、現実の私達の世界に影響を及ぼす事ができるほど。なんとかしようとしても、代わりにどこかに影響が出る。そうやってバランスを取ってるんだ。私に起きてる事は、言っちゃ駄目な事なんだ……)

 もしも言おうとすれば、また同じような事が起きる。今日はきちんと話そうとした風がトラックに轢かれかけたが、志騎が庇わなければ彼女は間違いなく重傷を負っていた。

 いや、少々酷な言い方をするとそれでもまだ良かった。もしも友奈が天の神からタタリを受けた事について全てを風に話していたら、風はもうこの世にいなかったかもしれない。それほど強力なタタリを、今の友奈は受けているのだ。

(私がルールを破ると、みんなに不幸が起きる。もう、私たちの戦いは終わったんだ! みんなはもう、苦しまなくて良いんだ! 私が黙っていれば、いつも通り何も変わらない、勇者部の楽しい毎日いが続くんだ。誰も、絶対に巻き込んじゃ駄目なんだ!)

 自分が話さなければ、もう誰も傷つかない。平穏な日常を過ごす事ができる。

 だから、話さない。この痛みも苦しみも全部自分一人で抱えれば良い。

 十四歳の少女にはあまりにも悲痛すぎる覚悟を決めて、友奈はぐっと唇を噛み締めた。

(私が黙っていれば、それで良いんだ)

 そして、少女達にいつも通りの日常が再びやってくる。

 志騎が事故に遭って入院した事は彼のクラスに伝えられ、勇者部は志騎抜きでの日常を送っていた。勇者部部員達が自分達にできる事を行いながら、毎日を笑い、銀は毎日欠かさず志騎のお見舞いに向かい、きたるクリスマスと年末を楽しみにしていた。……天の神のタタリに遭い、一人苦しみと痛みを抱え込んでいる友奈を除いて。

 この頃の友奈の顔からは、以前浮かべていた明るさが少しずつ失われていた。外見は前と変わらない笑顔だが、感情というものが少しずつ削り取られている。

 そしてこの日、友奈は志騎が入院している病院へと向かっていた。

 何故なら今日はクリスマスイブ。銀が以前から約束していた、志騎の病室でのミニパーティーを行うのだ。なお、樹は以前から公言していたクリスマスイベントに、風は言うまでもなく妹の勇姿を見に行っている。パーティーには参加できないが、その分後で写真をたくさん送ると風は張り切っていた。

 友奈が志騎の病室の前まで辿り着き、扉を開けようとした時……中から声が聞こえてきた。

「体調の方はどうだ?」

「ああ。だいぶ良くなってきたよ」

 声は二つ。志騎と、彼の精霊である刑部姫だ。どうやら今は病室に二人しかいないらしい。今入ると刑部姫から何か言われそうなので、東郷達が来るのを待とうかと友奈が考えていたその時だった。

「……本当の所は?」

 と、何故か刑部姫が唐突にそんな事を言った。それに思わず友奈が困惑した表情を浮かべると、中から志騎の声が聞こえてくる。

「左目はもう駄目だな。完全に見えない。あと味覚が……大分まずくなってきた。もう味が薄すぎて、何食べてるか分かりにくくなってきてる」

「……予想以上に体機能の低下が著しいな。やはり、この前の事故がきっかけか……」

 ひゅっ、と友奈の呼吸が一瞬停止する。

 中の二人が何を話しているのかは分からない。ただ、これだけは分かる。

 志騎の左目が見えなくなって、味覚ももうほとんどない事。

 そして、その原因が……この前自分が風に話そうとした事がきっかけで起こった、事故である事。

 さらに、友奈が病室の前にいる事など知らない二人は、さらに話を続ける。

「こうなってくると、寿命も大分縮まっただろうな。下手をしたら、冬が明けるまで持たないかもしれないぞ」

「別に良いよ。風先輩を助けた事に後悔はしてない。先輩が助かったなら、別に良い。それより、勇者部には話してないだろうな?」

「……ああ。私としては、とっとと話して原因の結城友奈を問い詰めたいんだがな」

 原因、と言われた友奈本人の体が震え始める。

 もう彼女の精神は限界だった。顔は青ざめ、肉体は震えている。事故の原因が自分だと直接言われたようなものなのだから仕方ないが、それでも彼女にとってはあまりにも衝撃的すぎる言葉だったのだ。

「そう言うなよ。まだ理由については探ってる最中なんだろ? それより、友奈の奴大丈夫かな……。どうも元気が無さそうだったし、一人で抱え込んでなければ良いけど……」

「他人の事よりまず、お前自身の事を心配したらどうだ。冬まで持たないかもしれないと言ったはずだぞ」

 刑部姫の声が苛立ちを帯びるが、志騎の声が迷う事は無かった。

「言っただろ? 俺の事は良いよ。今はまず、友奈の事を考えないと。……だってこんなの、あんまりだろ。あいつらの戦いはもう終わったのに、まだ天の神に苦しめられるなんてそんな事、あって良いはずがない。俺の体はもう持たないかもしれないけど、完全に壊れるまでどうにかしてやりたいんだ」

 それを聞いて、友奈の心臓がまるで鷲掴みにされたように苦しくなる。

 詳細は分からないが、自分のせいで寿命が縮んだというのに志騎は勇者部の事を――――自分の事を考えてくれている。彼の気遣いがとても痛くて、自分の手が震えているのを感じる。

 ――――本当なら、彼に話したい。

 自分には天の神の祟りにあっていて、そのせいで苦しい思いをしている事。それを誰かに話してしまったらその人にも不幸が訪れる事を、何もかもぶちまけてしまいたかった。

 でも、できない。話してしまったらまた志騎を、勇者部を傷つけてしまう。だから自分が黙っていればいい。そうすれば、物事は全て良い方に進むのだ。

 その、はずなのに。

「………っ!!」

 友奈の胸は押しつぶされそうだった。

 勇者部を傷つけ、志騎を事故に遭わせてしまった罪悪感。

 例え寿命が縮まっても自分を心配してくれる志騎に対する申し訳ない気持ち。

 そして、それでもずっとみんなと一緒にいたいという気持ち。

 自分の胸の内に生まれる矛盾に葛藤しながら、友奈はゆっくりと病室の前から離れる。

 一方、友奈が今まで自分達の病室の前にいた事などまったく知らない志騎と刑部姫は、ふと窓の外の空から降ってくる白いものに気づく。

「お、雪だ」

「本当だな。天気予報通りになったか」

 先ほどまで重い話をしていたとは思えない二人が呑気な会話をしていると、病室の扉ががらりと開けられた。扉を開けたのは、サンタの帽子をかぶった銀に夏凜、東郷の三人だった。扉を開けた銀は、ベッドの上の志騎に二ッと笑いかける。

「メリークリスマス志騎! 約束した通り、ケーキ持ってきたぞ!」

「いや、今日はまだクリスマスイブなんだけど……」

「遅くなってごめんなさい」

 三人は口々に言いながら、志騎のベッドに近寄ってくる。すると志騎の視線が三人の頭の上に乗っている帽子に向けられた。

「一応聞いておくけど、なんだその帽子」

「いやだって折角のクリスマスイブなんだし、こっちの方が雰囲気出るだろ?」

「馬鹿かお前ら。折角ならトナカイの格好してこいよ。そしたらサンタ姿の私が鞭を持って背中に跨がってやったのに」

「何その動物愛護に真正面から喧嘩売ってるサンタ!? こっちからお断りなんだけど!?」

 やれやれと何故か呆れたように言う刑部姫に夏凜がツッコみを入れると、志騎のスマートフォンにチャットの通知が来た。志騎が近くの机に置いてあったスマートフォンを取って画面を見ると、チャットを送ってきたのは風だった。チャット画面を開いてみると、そこには満面の笑顔の風の自撮り写真と、クリスマスイベントで他の生徒達と共に合唱する樹の写真が添付されていた。さらに写真と共に、『一足早いクリスマスプレゼントよ!』というメッセージが送られてきた。すると、志騎の横から夏凜と刑部姫が志騎のスマートフォンの画面をのぞき込む。

「相変わらず、樹が大好きね風は」

「もっと良いものを寄こせと返信しておけ」

 自分と妹の写真を送ってきた風に夏凜が苦笑し、刑部姫が呆れ交じりに呟く。すると、何かを探すように病室を見回していた東郷が尋ねた。

「あれ? 友奈ちゃんは? 先に来てると思ったんだけど……」

「友奈? いや、来てないけど……」

 今までずっと病室にいたが、友奈の姿どころか声も聞いていない。すると、銀が東郷に言った。

「きっとすぐに来るって! それより友奈が来た時のために、先にケーキの準備しとこうよ」

「……ええ、そうね」

 東郷は笑みを浮かべると、銀と共にケーキを取り分ける準備に取り掛かる。

「今日はアタシの手作りケーキだからな! 味わって食べてくれよ?」

「ああ、そうするよ」

 銀に答えると、志騎は未だ姿の見えない友奈の事を考えながら窓の外に目をやる。

 窓の外の光景は段々と薄暗くなり、街のクリスマスのイルミネーションが煌びやかに志騎の右目に映る。闇に映えるその風景を、志騎はかすかな胸騒ぎと共に見つめていた。

 ちょうどその頃、志騎の病室の前に園子がやってきていた。彼女は病室の前に落ちている押し花のしおりを見つけると、しおりの目の前でしゃがみ込み、まるで全てを悟ったような表所を浮かべて呟いた。

「――――私、分かっちゃったかも」

 

 

 

 

 結城友奈は一人、街外れの道を歩いていた。息も絶え絶えになりながらも、ただひたすらに腕を振って走る。

 自分がどこを目的地として走っているのかすら分からない。

 自分がどうして走っているのかも分からない。

 ただ、こうして走っていなければ今抱えている苦しみに押しつぶされそうで、そうならないために走っている。今の友奈はそんな状態だった。

 しかし今まで滅茶苦茶なペースで走ってきたせいか、足がもつれて地面に倒れてしまう。地面を薄く覆う雪の感触と天から降ってくる雪がひどく冷たく、おまけに転がったせいで手と両足に痛みが生まれた。

「う、うううう………っ!」

 地面に倒れ込んでしまった友奈は手を握りながら、呻き声を上げる。

 理性がタタリの事は誰にも言ってはいけないと囁き、感情がもっと皆と一緒にいたいと叫ぶ。

 もしもタタリの事を誰にも言わなかった場合友奈は一人で死んでいき、みんなが一緒にいたいと本音を言ってしまったらまた勇者部を不幸な目に遭わせてしまう。

 そんなのは駄目だ。ようやく勇者部に平穏な時が来たのだ。このまま言わない方が良い。

 それが最善。それが最適。

 なのに。それなのに。

「うううう、うぁあああああああああああああああああああっ………!!」

 吐く息が白くなり、凍える様な寒空の下で友奈は泣き声を上げた。

 みんなの事を考えるなら、このまま黙っていた方が良い。

 だけど、自分はもっとみんなと一緒にいたい。この先もみんなと一緒に生きていたい。

 しかし結城友奈の友達の事を一番に考えるその性格が、その選択肢を潰してしまう。

 皮肉な事に、彼女の誰かを思いやる心が、彼女自身を何よりも苦しめていた。

 自分の苦しみを、自分の悩みを誰にも言えぬまま、友奈は孤独に泣き声を上げる。

 彼女の慟哭を聞く者は、誰もいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 志騎達が病室でケーキを食べている間、刑部姫は一人病室の外である人物に電話をかけていた。

 ワンコールの後、電話の相手が通話に出る。

『……はい』

「よぉ、安芸。調査の方はどうなっている?」

 彼女が電話をかけたのは、刑部姫の唯一の親友であり、志騎の育ての親である安芸だった。刑部姫の質問に、電話の向こうの彼女は淡々と返す。

『天海志騎を轢いたトラックに異常はなく、運転手にも飲酒運転や居眠り運転をした様子は無かったようです。運転手の言葉によると、走っていたら急にトラックの操作が効かなくなり、少年を轢いてしまったとかなり青ざめた様子で話していたそうです。ちなみに本人に前科はなく、免許を取得してから無事故無違反でした』

「……となると、やはり運転手やトラックには問題がない可能性が高いな。分かった、もう警察の奴らに事情を話してトラックの運転手は解放して良い。これ以上捜査しても、奴らにどうこうする事は出来ん。ここからは、私達の領分だ」

『了解しました。では、これで』

「ああ、待て。もう一つ尋ねたい事があった」

『尋ねたい、事ですか?』

「ああ。……お前ら、何を企んでいる?」

 急に刑部姫の声音が低くなり、気のせいか元々下がっていた気温がさらに低下したように感じられた。刑部姫は目を鋭く細くしたまま、安芸に尋ねる。

「この前の東郷美森を奉火祭に捧げようとした事を黙っていたのはまぁ良い。私の口から志騎に漏れる可能性は無いわけじゃないからな。だから私に計画を話さなかったのは別に良い。ただ、今回結城友奈の身に起こっている事を私に共有しないのはどういう事だ?」

『………』

「これだけ立て続けに起こっている事をお前達が把握していないとは思えん。となると、結城友奈の身に何が起こっているかお前達は知っているはずだ。ガキ共はともかく、私にまで話さないのはどういう事だ? 確かに私はお前達の完全な味方じゃないが、最低限の事はしてきたつもりだ。……それとも、完全に私を敵に回すつもりか?」

 ズッ……と刑部姫から殺意と敵意が漏れる。それを察したのか、電話の向こうの安芸が答える。

『勘違いしないでいただきたいのですが、私達はあなたを敵に回すつもりはありません』

「となると、情報を隠していた事は認めるんだな? できればその理由を話してもらいたいんだが」

『………話せません』

「ほう、話さないのではなく、話せないと来たか。となるとお前も情報を提供するつもりはあるが、その情報を話すと私が敵に回る可能性があるから話せない。そういう解釈で良いのか?」

『………』

「沈黙は是、と取るぞ」

 しかしそれでもなお、安芸が話す事は無かった。刑部姫はふーと息をつくと壁にもたれかかり、

「まぁ良い。それよりも今は、結城友奈の事だ。お前達は奴をどうするつもりだ?」

『………友奈様の事については、後々分かると思います』

「あ? それはどういう……」 

 と、怪訝な表情で尋ねようとした刑部姫のスマートフォンの通話口から、車のエンジン音が聞こえてきた。それを聞いて、刑部姫はようやく気付く。

「おい安芸。お前今、どこにいる?」

 車のエンジン音が聞こえた以上、安芸がいつもいる大赦本部というのはあり得ない。とすると彼女が今いるのは屋外。それもこの時間に屋外となると、何らかの任務である可能性がある。

『申し訳ございませんが、時間が無いのでそろそろ切ります』

 だが安芸からその理由が返ってくる事は無かった。それに刑部姫はちっと舌打ちをすると、最後にある事を安芸に告げる。

「……最後に言っておくが、志騎の寿命はもう半年も持たん。今回の事故で、さらに寿命が縮まった」

『………っ』

 刑部姫の口から出た志騎の名前に、沈黙を保っていた安芸の雰囲気がかすかに変わる。それを見逃さず、刑部姫がさらに言葉を続けた。

「お前が何を考えているかは知らんが、自分の選択に後悔をするような事だけはするなよ。仮面を被っているとはいえ、そのぐらいの事はできるだろう」

『………誰もが』 

 すると、それまで無感情だった安芸の声音に感情が宿る。彼女は何かを我慢しているようなかすかに震えた声で告げた。

『誰もが、貴女みたいに強いわけじゃないのよ……っ』

 そう言って彼女は刑部姫との通話を切った。手の中のスマートフォンをじっと見下ろしながら、刑部姫は壁にもたれかかったまま天井を見つめると、苛立ちと悲しみが入り混じった声で呟く。

「……馬鹿が。確かにお前は弱いかもしれない。だが、私にないものを持っているだろうが。何故それに気づかないんだ、大馬鹿が……」

 ギリ……と奥歯を強く噛み占める音が、病院の廊下に静かに響いた。

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