刑「では第五十話、楽しんでくれ」
「はぁ、ようやく退院か……」
今まで自分が入院していた病院の前に一人、志騎はため息をつきながら呟いた。
本日は十二月二十八日。祝日でも何でもない平日なのだが、讃州中学はすでに冬休みに入っている。なので学校に行く必要はない。ふとスマートフォンを取り出してチャット画面を見ると、画面には勇者部の面々からのメッセージ、さらに別グループのチャット画面には友人である高橋在人と佐藤良太からの志騎への励ましメッセージが表示されていた。
「勇者部や高橋達には、改めてお礼を言っておかなくちゃな」
彼女達の事情もあっただろうに、暇があれば勇者部の面々は志騎のお見舞いに訪れ、銀などは毎日欠かす事無くお見舞いに来てくれた。それはクラスメイトの在人と良太も同様で、お見舞いの品を持って病室に来てくれた事もあった。……まぁ、志騎に元気になってもらうために在人は彼渾身の一発ギャグを披露したのだが元気が出るどころか病室の中が寒くなり、おまけにタイミング悪く病室の前を通りがかった看護師さんに大声を出さないよう注意されたのだが。
とは言っても、在人は間違いなく善意百パーセントで行ったので、志騎が彼を責めるような事は無かった。
そしてこうして今日、志騎は無事退院する事が出来た。
――――いや、無事にというのは嘘になる。
「………」
志騎は黙って左目にそっと左手をやる。彼の左目はもう、何の光景も映していなかった。左目から除く視界は真っ暗で、さらに味覚も失われてしまっている。入院してからもちゃんと食事を取っていたのだが、昨夜の食事などまるで味のないガムを食べているかのようだった。
しかしだからと言ってこんな事を勇者部に話したり、ましてや視力が無い事をわざわざ伝えるように眼帯をするわけにはいかない。志騎は左手を下ろすと顔を引き締めてある場所に向かおうとする。
「まずは、友奈に何があったか聞かないとな……」
ここ最近の勇者部の異変には、間違いなく友奈が何らかの形で関わっている。彼女がそれについて話そうとしないのは、恐らく話してしまったら周りの人間に何らかの不幸が降りかかるだろう。先日の事故がその証拠だ。まずは、彼女から話を聞き出さなければならない。
とは言っても、彼女の事だから自分にも話そうとしないだろう。自分の事よりも友人の事を思いやる彼女の事だから、志騎を傷つけるわけにはいかないと話さないかもしれない。
しかし、だからと言ってこのままにしておくわけにもいかない。どうにか彼女を説得して、解決策を見つけなければならない。……そうでなければ、誰も救われない。友奈も、彼女の親友である東郷も、勇者部の少女達も。
そして志騎が病院の前から歩き出し、友奈の家に向かおうとしたその時だった。
「ねぇ、お兄さん」
勢いよく歩き出した志騎を背後から呼び止める声があった。志騎は最初自分の事とは思っていなかったので、そのまま無視して歩き去ろうとしたが、さらに少女の声が志騎に放たれる。
「あなただよ、天海志騎」
その声に、志騎はようやく足を止めると怪訝な表情をしながら振り返る。今少女の声は、間違いなく志騎の名前を呼んだ。だとすると、自分の関係者だろうか? そう考えて志騎が振り向くと、その先に少女はいた。
背中まで伸びる白い長髪に、赤い瞳。身に纏っているのは白い着物のような服で、荘厳な雰囲気を見る者に感じさせる。幼いその容貌は愛らしくあると同時に、どこか神々しさを感じさせる。
少女がにこりと笑みを向けると、志騎は何故か背筋にぞわりと寒気が走るのを感じた。少女は笑顔なのに、何故かその笑顔が今にも自分を食い殺そうとしている獣のように感じられたからだ。同時に、少女の笑みに志騎は既視感を感じた。
(……前に一度、見た事がある? どこでだ?)
どこかで見た事があるのは確かだが、思い出せない。少女から放たれる威圧感と緊張感で、記憶を思い出すのに難儀しているのかもしれない。一方、少女は笑みを崩さないまま志騎に近づく。
「結城友奈の所に行くんでしょう? やめた方が良いよ。今のあなたには何もできないもん。こうなるように、全部仕組んだんだから」
「仕組んだ……? お前が……?」
少女は何も答えなかったが、彼女の笑みと沈黙が答えを告げているようなものだった。尋ねながら、志騎は必死に頭の中を検索し、そしてようやくいつ少女の笑みを見たか思い出す。
「……そうだ。お前は、友奈を助けた時の……」
友奈が何もない無の世界から脱出し、自分も脱出しようとした時に見た少女。
間違いなく、その時の少女と同一人物だった。外見はともかくとして、この見る者を圧倒する雰囲気を違う人間が持っているとは考えにくい。いや、そもそも本当に人間なのかすら疑わしい。
「……お前は誰だ」
最大限の警戒を込めて、志騎は問う。
すると少女はにんまりと笑うと、志騎の問いに答えた。
「誰だって言われると、それに対する答えはたくさんあるね。でもそうだねぇ……。この際だし、あなた達が付けた呼び名を名乗っても別に良いかな」
そして少女は。
自分の名前を、告げた。
「――――私は天の神。あなた達人類を滅ぼすものにして、あなた達をずっと見てきたもの。人類の粛清者にして、霊長の頂点たる人類の更なる上に位置する超越存在。それが、私だよ」
志騎と天の神を名乗った少女はその後、近くの公園に場所を移し、設置されていたベンチに二人揃って座った。志騎が険しい表情を浮かべている一方で、少女の方は足をぶらぶらさせながら誰もいない公園を眺めている。志騎は手を組みながら、横にいる少女に尋ねる。
「……お前、本当に天の神なのか?」
天の神。人類を滅ぼうとしている自分達の宿敵であり、バーテックスを用いて四国以外の世界を滅ぼした神。今も友奈に何らかの方法を用いて苦しめ、彼女から平穏な日常を奪おうとしている原因。
たくさんの人々の幸福と未来を奪い、こうして今も志騎の友人を苦しめている元凶がこんな幼い少女だとは、志騎には信じられなかった。
一方、少女――――天の神の方はつまらなさそうに、
「信じるのも信じないのもあなたの勝手だけど、そんな嘘をつくメリットが私にあると思う?」
「………」
確かにそうだ。だが、それでは分からない事がある。
「じゃあどうしてお前は四国に来る事ができるんだ? 壁の結界があるだろ」
四国には壁の外からの炎とバーテックスの襲撃を防ぐための結界があるので、いかに天の神と言えど結界を越えてこちらには来れないはずだ。
「今の私は精神体だからね。あなた以外の人間には見えないし、声も聞こえないよ。つまり、幽霊のようなものなの。いかに私の天使を阻む結界でも、幽霊のような存在には効かないだろうしね」
「天使……?」
「ああ。あなた達は確か『星屑』やら『バーテックス』って呼んでたっけ。いくら何でも失礼だと思わない? 私が作ったものに勝手に名前を付けるなんて。正直、あなた達が勝手に作った呼び名で呼んでほしくないよ」
「……そんなの、こっちの勝手だろ。大体、あれのどこが天使なんだよ。あんなの、ただの化け物だろうが」
「あはは。その理論だと、あなたも化け物って事になるね。ねぇ、天海志騎君?」
「………っ」
天の神の言葉に志騎は眉間にしわを寄せるが、否定はしない。彼女の言う通り、自分が化け物である事に変わりはないからだ。自分の沸き起こる感情を我慢するように、志騎は両膝の上に置いた両手をきゅっと握る。
「お前は一体、どうして俺の前に現れた? 今まで人類を滅ぼそうとしてきたお前が、どうして今更精神体にまでなって四国にまで現れたんだよ」
「一つはこの前の結果を見に来たってところかな? まぁ、君の様子だと結城友奈は十分に苦しんでくれてるみたいだけど」
「この前の……?」
彼女の言葉で志騎の脳裏に思い浮かぶのは、この前東郷を奪還するために壁の外へと向かい、東郷を取り戻した事だ。確かあれをきっかけに、友奈の様子がおかしくなったが……。
「……まさか、その時に友奈に何かしたのか?」
彼女の口ぶりからすると、その時に友奈に何らかの干渉を行った可能性がある。すると志騎の推理を裏付けるように、天の神はふふふと口元に笑みを浮かべた。
「私はただ筋書きを描いただけだよー。東郷美森を助けに来た結城友奈が、私の祟りに遭うように、ね」
「須美を助けにって……。待てよ、俺達は東郷の事を思い出して、助けに行ったんだぞ。誰に言われたわけでも、命令されたわけでもないのに……」
志騎を含む勇者部は誰かに東郷美森を助けに行けと言われてから助けに行ったのではない。東郷と結んだ絆を友奈と自分、園子と銀が思い出し、それに続くように、風と樹と夏凜も東郷の事を思い出した。そして誰に言われたわけでもなく、自分達の意志で勇者となって東郷を助けに言ったのだ。そんな事を天の神が予測できるはずがない。
しかし志騎の予測を裏切るように、天の神は変わらずに笑みを浮かべたまま続けた。
「おかしいと思わなかった? 東郷美森を助け出した途端、壁の外の炎が沈静化した事に。奇妙だと思わなかった? 東郷美森が生命力を全部吸い尽くされる前に、彼女が助け出された事に」
「………まさか」
天の神が語る事実に、志騎は思わず目を見開く。するとにんまりと笑みを浮かべて、天の神は告げた。
「そう! 全部私の予想通りだった! 東郷美森が責任を取るために自ら生贄になる事も! あなた達が東郷美森を思い出して壁の外に来る事も! そして結城友奈が彼女を救うために来る事も! 全部全部全部私の予想通り! あの時は本当、あまりにも上手くいきすぎてすっごく笑っちゃったよ!」
本当に、本当に心の底から嬉しそうに少女は笑う。志騎はただ呆然と、少女の哄笑を眺める事しかできない。
「彼女の事を思い出せたのは自分達の絆があったからとか考えてる? それはいくら何でも自分達を過信しすぎだよ! あなた達が思い出すまで、私がじっくりと待ってあげてたのも理由なんだよ? 本当はすぐに東郷美森から生命力を全部奪って殺してあげても良かったんだけど、私の目的は結城友奈だったからね。すっごく我慢して待っててあげてたんだよ。そうすれば、東郷美森の事を思い出したあなた達が彼女を奪い返しに来るって分かってたから! そしてその後は結城友奈が東郷美森を救い出して、彼女の代わりに祟りを背負うって事もぜーんぶ私の予想通りだった!」
「……じゃあ、壁の外の炎が静まったのは……」
「私の目的が達せられたからだよ。もしかして、東郷美森の生命力がほとんど奪われたから、それでお役目は終わりって思っちゃった? ざーんねーんでした! 全部私の予想通りです! いくら何でも、自分達の都合の良いように考えるのは良くないよ? まぁでも仕方ない! 自分達の都合の良いように考えて、そのまま破滅へと走るのが人間だもんね! そんなに頭が悪いんだから、仕方ない仕方ない! 気にする事は無いよ!」
無垢な少女のように笑いながら、天の神は人間というものを嘲る。志騎は膝の上の拳を握りながら、怒りで震える声で天の神に言う。
「……友奈が今苦しんでるのは……」
「祟りに遭ってるからだよ。それも、祟りに遭った人間を必ず殺す私特製の最悪の術式! 祟りの事を話そうとすれば他の人間にも祟りが移る特性を持ってるの! まぁあなたは天使だから私の祟りが効かなかったけど、それでも人間なら誰でも移るのがこの術式のすごいところなの! これで結城友奈は誰にも祟りの事を話せなくて、一人で死んでいく! ああ、良い気分! 私を散々不快にさせたんだから、それぐらい当然だよね! ほーんと人間って馬鹿ばっかり! 壁に穴を空けた東郷美森も! 助けに来た結城友奈も! ……ああ、そう言えばあの子もだね。暑っ苦しくてうざったい、あの三ノ輪銀という子も――――」
銀の名前が出た直後。
志騎の怒りの拳が、天の神の顔面に放たれた。
「おっと」
しかし天の神は簡単に志騎の拳を見切ると、後ろに跳躍して拳をかわす。志騎は右手の拳を血がにじまんばかりに握りしめながら、天の神を睨みつける。
「それ以上、喋るな……!」
どうしてこんな奴のために、友奈が苦しまなければならないのか。
どうしてこんな奴のために、勇者部が平穏を奪われなければならないのか。
どうしてこんな奴のために、銀が傷つかなければならないのか――――!
「むー、私の天使の細胞が使われているとはいえ、やっぱり人間そっくりだね。いくら天使でも、人間の中に混じっていたら人間と同じになっちゃうって事か。やっぱり、人間っているだけで害悪だねぇ」
「うるせぇ、よ!!」
怒鳴りながら志騎はスマートフォンを取り出して、勇者システムを起動してブレイブドライバーを出現させようとする。
が、
「はい、ストップ」
いつの間にか天の神が志騎の目の前にまで接近し、彼の胸に軽く触れる。するとその瞬間体が猛烈に重くなり、志騎はその場で両膝をついてしまう。
「いくら精神体でも、これぐらいの力の行使はできるんだよ? まぁ、力を使い過ぎちゃうと神樹にバレちゃうから多用はできないんだけどね」
「……お、前」
ギロリと目の前の天の神を睨みつけるが、彼女は笑みを崩さない。彼女の笑みはまるで、目の前でペットがじゃれつくのを楽しむ飼い主のようだった。そしてしゃがみ込むと、睨みつける志騎と視線を合わせる。
「まぁまぁ落ち着いてよ。さっき言ったでしょ? 私がここに来たのは、結城友奈が東郷美森を取り戻しに来た結果を見に来たんだって。それは君の様子を見ればもう何となく分かるからもう良いんだけど、実は私の目的はもう一つあるんだよねぇ」
「もう、一つ……?」
「そう。それは君だよ、天海志騎」
トン、と天の神の人差し指が志騎の額に触れる。
「いくら人間に近づいているって言っても、君は人間の形をしただけの私の天使である事に変わりはない。正直神の力を使ってるだけでも嫌なのに、その上天使の細胞まで使われてるとなったら、正直壊したくてたまらないんだけど……。でもやっぱり、許してあげるっていうのは大事な事だと思うんだ。なので! あなたが今日、私の言うある事をしてくれたら、あなたを許してあげるだけでなく私の息子にしてあげちゃいます!」
パン! と天の神は嬉しそうに両手を叩いた。志騎は自分の体を襲う重さに耐えながら、天の神に尋ねる。
「……そのある事って、何だ?」
すると天の神はずい、と志騎に顔を近づけると、自分の要求を志騎に告げる。
悪意も何もないのに、ただひたすらに残酷な要求を。
「今から結城友奈以外の全員の勇者達の所に行って、全員の首を持ってきて?」
「………」
「そうすればあなたのしてきた事は全部許しちゃうし、私の息子に喜んでしてあげるよ! あ、大赦の方は気にしないで良いよ? あとで私が全員皆殺しにしてあげるから!」
よっぽど楽しいのか、神は立ち上がって鼻歌を歌いながらくるくると回る。それからピタリと止まり、
「君にとっても良い提案だと思うけどなー。私の息子になればいくらでも人間を殺して良いし、いくらでも好きなものを食べていいし、いくらでも女を犯して良いんだよ? それにその体だって治してあげるし。死にたくないでしょ?」
どうやら天の神は志騎の体が限界に近い事をすでに知っているらしい。外見は少女でも、さすがは人類を追い詰めた神と言うべきか。
「だからさぁ、今すぐに勇者を殺してきてよー。大丈夫大丈夫! 君なら勇者部も油断してるだろうし、天使の力を使えば全員殺せるって! 自分以外の全員の勇者が君に殺されたって聞いたら、結城友奈どんな顔するだろうなー。悲しむかな? 怒るかな? それとも、もう絶望して自殺してくれちゃったり――――」
「………る」
その時、志騎の口から何らかの言葉が天の神に届いた。
「ん? 何?」
天の神は笑いながら、志騎の口元に耳を寄せる。
志騎は憎たらしい笑いを浮かべる少女に、精一杯の怒りを込めて告げた。
「断るって言ったんだよ。とっととそのよく喋る口を閉じて、尻尾巻いて帰れ」
すっ、と。それまで笑顔を浮かべていた天の神の顔が、冷たい無表情に切り替わる。天の神は冷たい眼差しで志騎を見つめると、先ほどの感情が込められた声とは正反対の声で聞く。
「……あくまでも私にたてつくんだ。君、死にたくないの?」
「どうでも良いよそんなの。それに、お前みたいな奴の息子になるなんて反吐がでるね。それだったら、まだ刑部姫の方がマシだよ」
「…………ふぅん」
天の神はそれだけ言うと、じっと志騎の顔を見つめる。志騎も負けじと天の神を睨み返し、二人の間に沈黙が降りる。
「……馬鹿な子」
そう言って、天の神は再び右手を伸ばして志騎の体に触れようとする。
「っ!!」
咄嗟に志騎には後ろに逃れようとするが、体にかかる重圧がそれを許さない。天の神は志騎の胸に人差し指を当てると、そこから灼熱の痛みと猛烈な吐き気が志騎の全身を襲う。
「がっ……!」
「もうこれで君は誰にも祟りの事を話せない。話したらその分結城友奈が苦しみ、君達の呪いも増していく。君達の苦しみを共有できるのは君達二人だけだけど、例え互いに話しても呪いが増え、さらに傷ついていく。そんなにお友達が大事なら、誰にも自分の事を話せないで、ただ一人孤独の中で死んで行け」
どこまで冷たい言葉を吐く天の神の目の前で、志騎は自分の意識が朦朧とするのを感じる。だんだんと視界が暗闇に包まれていく中で、天の神の声が聞こえてくる。
「ああそうそう、最後に一つ良い事を教えてあげるよ。これから先、また人が死ぬ。でも勘違いしないで。それは私がいたから人が死ぬんじゃない。――――君がいるから、人が死ぬんだよ」
それを最後に。
志騎の意識は、暗闇へと落ちて行った。
「く………」
志騎が目を覚ますと、どうやら今自分は地面に倒れているようだった。周囲には人はおらず、そのおかげと言うべきか救急車を呼ばれるような事態にもなっていない。志騎はゆっくりと立ち上がると、体についた砂を払いながらポケットの中のスマートフォンを取り出して時間を確認する。現在の時刻は天の神と出会ってから三十分ほどしか経っていなかった。
それから周囲を見回してみても、あの少女の姿はどこにも無かった。眉をひそめながら、一歩足を踏み出した瞬間。
「……っ!」
ズキリ、と。胸元から焼けるような痛みが襲い、志騎は思わず胸元を右手で抑える。それから服を少しずらして自分の胸元を見る。
そこには。
黒い太陽を模した、禍々しい紋章が焼きつけられていた。
「……これが、天の神のタタリか」
天の神が嬉しそうに語っていた、彼女が編み出した人間を必ず殺す最悪の術式。この事を誰かに話せば祟りが誰かに移り、その誰かに不幸をまき散らす。
自分の胸元の紋章を見ながら、志騎は天の神が最後に言っていた事を思い出す。自分も祟りにかかった以上、もう自分も祟りの事を誰かに話す事は出来ない。話せば友奈と自分の呪いが増していき、さらに自分達が傷ついていく。正直自分が祟られるのは別に良いが、友奈がこれ以上苦しむのは志騎も嫌だった。
「………どうにか、しないとな」
誰かに話せばその誰かに祟りが移る。それは幼馴染である銀も、志騎の精霊である刑部姫も例外ではない。どうにかして、解決策を見つけなければならない。
本当ならこの後友奈の家に行く予定だったが、自分がタタリを背負ってしまった事を話しても友奈を苦しめるだけだ。こうなった以上、自分の家に戻るしかない。まるで天の神に踊らされているようで、業腹な事この上ないが。
志騎はギリリ……と強く奥歯を噛み締めると、ふらつく足取りで自宅への道を歩いて行った。
自宅に戻り、入浴と夕食を終えた志騎は自分の部屋のベッドでくつろいでいた。ベッドに仰向けになり天井を見ながら、自分の体に痛みを与えてくる胸元の紋章をそっと抑える。
「……友奈の奴、こんな痛みに耐えてたのか……」
全身を襲う焼けるような痛みと吐き気。さらに呪いが進行すれば、食べ物すらも受け付けなくなるだろう。こんなものを友奈が誰にも言わず耐えていたという事実に志騎は歯噛みすると同時に、今日見た天の神について思い出す。
「あいつ、なんであんなに人間を憎んでるんだ……?」
今日出会った天の神から感じられたのは、人間への果てしなく冷たい殺意と憎しみ。恐らくあの憎しみが、三百年前ほとんどの人類を殺し、三百年に至る今もバーテックスを使って自分達を殺そうとしている原動力なのだろう。一体どうすればあれほどの憎悪と怒りを抱けるのか、志騎には見当もつかない。
「まぁ、良いや。今はそれよりもタタリの事だ」
本当はこんな時に一番相談しやすいのが、性格は悪いが頭脳は随一の刑部姫なのだが、自分にタタリがかかっている以上彼女にも話す事は出来ない。彼女に頼れないとなると、実質自分一人でどうにかしなければならない。
さて、どうするか……と志騎が悩んでいると、すぐ横に置いてあるスマートフォンに着信が入った。スマートフォンを手に取って相手を確認すると、銀からの電話だった。志騎は通話ボタンをタップすると、耳に当てる。
「もしもし」
『あ、志騎? 今大丈夫?』
すると銀の恐る恐るとした声が志騎の鼓膜を揺らした。いつも元気に電話をかけてくる彼女にしては少し珍しい反応で、志騎は思わず眉をひそめる。
「どうした? もしかして、また何かあったのか?」
先日の、銀の家の給湯器が壊れた事を思い出して尋ねる。自分が事故に遭ってから友奈は誰にもタタリの事を話していないようだし、自分も彼女には何も話していない。だから何らかの異変が起こる事は無いと思っていたのだが、万が一という事を考えると油断はできない。思わず志騎は身構えたが、彼の予想に反して返ってきたのは、銀の困ったような笑い声だった。
『いや、そういうわけじゃないんだけど……。なんか、急に志騎の声が聞きたくなったって言うかさ。あ、もしかして、迷惑だった?』
「……なんだそりゃ。いや、迷惑じゃないけど。本当に突然だな。俺の声ならいつも聞いてるだろ」
『そ、それでも急に聞きたくなる事があるんだよー!』
他愛のないやり取りをした後、二人は笑った。ちなみに、傍から聞いたら割と照れ臭い会話をしている事には、志騎はおろか電話を掛けた張本人である銀も気づいていなかった。
『……なぁ、志騎。この前事故に遭ってから、本当に大丈夫なのか?』
「………どういう事だ?」
急に銀の声のトーンが落ち、志騎は怪訝な表情をしながら尋ねる。彼女に今の自分の表情は見えていないだろうが、銀は不安そうな口調で、
『ほら、最近変な事が続いてただろ? ようやく須美が帰ってきたと思ったら、みんなに不幸な事が起こって、それで志騎は事故に遭って……。なんか、嫌な予感がするんだよ。だって、やっとみんなに日常が返ってきて、志騎も壁の中に戻ってこれたのに、また何か起こったらアタシ……』
彼女の声は、不安で押しつぶされてしまいそうだった。彼女は学力は低いが勘は良い。もしかしたら彼女なりに、今起こっている異変に薄々気が付き始めているのかもしれない。すると銀を落ち着かせるように、志騎が肩をすくめながら言う。
「俺は大丈夫だよ。ちょっと大怪我したから入院が長引いてたけど、今も元気だしな。だからお前がそんなに不安がる必要なんてない」
『……そっか。それなら、良いんだけど……』
しかしそれでも、銀は少し不安そうだった。やれやれと志騎は苦笑して肩をすくめると、二人の間の雰囲気を明るくするために話を変える事にした。
「それより、俺とばっかり話してて良いのか? 鉄男と金太郎とも話してやれよ」
『それなら大丈夫! 二人とは毎日勇者部の事でたくさん話してるよ! 鉄男も勇者部の話を聞いていつも笑ってくれるし、金太郎は可愛いし! やっぱり、家族って良いなーって思うよ』
「そっか。そう言えば最近、鉄男の奴に会ってないな……」
『そう言えばそうだな。そうだ! それなら大晦日に家に来いよ! 鉄男も金太郎も喜ぶだろうし、みんなで年越しそば食べよう!』
「そこはうどんじゃないんだな」
『まぁ、さすがにな。郷に入っては郷に従えって言うし』
そして二人はしばらく、そんな平穏なやり取りを交わした。
学校の事。鉄男と金太郎の事。大晦日の事。そして正月の事……。二人の話は続いていき、気が付くともう一時間も経過していた。
「っと、もうこんな時間か。そろそろ終わりにしようか」
『あ、本当だ。気が付かないうちにこんなに時間が経ってるなんてなー。……やっぱり、お前と話してるとすごく楽しいよ』
「そりゃどうも。じゃあ次に会えるのは大晦日か。鉄男と金太郎によろしくな」
『ああ! じゃあ、またね!』
「……ああ。またな」
その言葉を最後にして、通話が切られる。志騎はスマートフォンをベッドに置きながら、ポツリと呟く。
「そう言えば銀の奴、『またね』って言葉が好きだよな」
彼女の場合、結構な頻度で口にしていると思う。しかし彼女の性格から考えると、彼女がそう言うのも何となく分かる。
『さよなら』だと、もう二度と会えないような響きが感じられて少し物寂しい。
しかし『またね』は、文字通りまた会えるニュアンスがあって物悲しさや寂しさは感じられない。
銀は友達や家族との絆を大切にすると同時に、それらの絆が壊れるのを強く嫌うと共に恐れている。そんな彼女だからこそ、『またね』という再会の言葉を多用するのだろう。
「俺の場合、あと何回『またね』が言えるやら」
そう言いながら志騎は、自分の机の引き出しを開ける。そこには、鎖で通された指輪が入っていた。銀が自分のためを思って送ってくれた魔除けの指輪を優しい笑顔で見つめながら、志騎は思う。
自分の寿命が春を越せるまでに残されていない以上、銀と過ごせる時間もそんなに残っていない。
それまでに、友奈の問題を解決できるかも分からない。
だけど。
友奈が、東郷達といつまでも『またね』を言い合えるように。
彼女達の中で銀が、いつまでも笑って幸せでいられるように。
自分の命が尽きる最後の時まで、精々頑張ってみる事にしよう。
そして志騎は引き出しの取っ手に手をかけると、そっと元の位置に戻した。
今回ついに元凶である天の神が出現しましたが、当然この天の神の口調や性格などは本作オリジナルですので、ほぼオリキャラと呼んでも良い存在となっています。自分としては、『非常に絶大な力を持つ子供』としてイメージしながら書きました。本作を含めたゆゆゆシリーズのラスボス兼黒幕のような存在ですので、今後もちょくちょく出していきたいと思います。