刑「え、何を読んでいるだって? そもそも何を言っているんだって? 前にも言ったかもしれないが、まぁ良いじゃないか。それはこれからのお楽しみだ」
刑「では第五十一話、楽しんでくれ」
讃州中学勇者部にとって激動の年だった神世紀300年が終わり、代わりに彼女達にとっても四国にとっても新たな年である神世紀301年がやってきた。人々は家族や友人、恋人と共に新たな年を祝い、神社に赴いて四国を守る神樹に自分達の願いを祈祷する。
無論それは、勇者部も例外ではない。
「志騎と銀、遅いわね……」
「まだ待ち合わせの時間から三分過ぎたくらいでしょ? もうすぐ来るわよ」
「そうですね。今日は志騎君も銀と一緒ですから、風先輩の言う通りもうすぐ来ると思います」
近所の神社に、志騎と銀を除いた讃州中学勇者部六人が集まっていた。東郷と園子を除いた四人はラフな私服姿だが、あとの二人は正月という事もあってか和服姿である。
二人の姿が見えない事をぼやく夏凜を風と東郷がたしなめると、園子があっと声を上げた。
「噂をすれば影、だね~。お~い、あまみん、ミノさ~ん」
そう言って園子が手を振った先には私服姿の志騎と、東郷と園子と同じように着物を身に纏った銀が二人揃って歩いてきていた。二人が六人に合流すると、銀が苦笑しながら申し訳なさそうに、
「ごめんごめん! ちょっと着物の着付けに手間取っちゃってさ。志騎にも見てもらったんだけど、変な所とかない?」
「全然ないよ~。可愛いよ、ミノさん~」
「ええ、そうね。本当に(パシャパシャパシャパシャ)」
「……ええと、須美さん? そのカメラは一体どこから出したんですか?」
どこにしまってあったのか、やけにごついプロ用のカメラを取り出して銀の姿を激写する東郷に銀が顔を引きつらせる。するとそんな東郷に志騎はため息をつくと、
「おい須美。友奈が『私より銀ちゃんを撮るなんて……。東郷さんは、私より銀ちゃんが大切なんだ……』って傷ついた表情で見てるぞ」
「はっ!? 違うの友奈ちゃん!! これはちょっとした条件反射のようなもので私にとって友奈ちゃんが大親友って事に変わりはないから! だからそんな顔をしないで友奈ちゃん!!」
「ど、どうしたの東郷さん!?」
と志騎の予想以上に東郷が慌てふためき、そんな東郷の姿に友奈も同様に慌てふためく。予想以上の反応に、言った張本人である志騎も「ここまで過剰反応するとは……」と軽く自分のした事に後悔していた。
その後、風と夏凜の助力でようやく東郷を落ち着かせると、風が志騎に尋ねる。
「クリスマスは残念だったけど、年明けまでにどうにか退院できて良かったわね。もう体の方は大丈夫なの?」
「はい。すいません、俺が休んだ事で、部活の方にも迷惑かけちゃって……」
「別に良いのよ! あたしの方は危うくトラックに轢かれそうなところを助けられたんだし、気にする事はないわ」
そう言って風は軽く志騎の肩を叩いてから、はぁと何故か憂いがこもったため息をつく。
「でも、年を越して新年を迎えてしまったわ……」
「何よ、めでたい事でしょ?」
「良い女が一つ歳を取るのよ? 三月で卒業だし」
するとその事実を思い出したのか、横にいる樹と夏凜の表情がかすかに曇った。
「もう一年いてくださっても良いんですよ?」
「いや、それはちょっと……」
と、東郷と風のやり取りに勇者部全員が笑った。しかし途中で友奈と志騎の顔から笑みが消えた事には、誰も気づかなかった。
「ねぇ! あ・ま・ざけ、飲みたいな!」
「おお! 良いねぇ! いっぱいひっかけていきますか!」
「風先輩、オヤジっぽい……」
「オヤジッ!?」
「ってか、甘酒にアルコール入ってませんし……」
「それは
「あ、そうだったのか……」
そんなやり取りをしながら、勇者部は大赦が作っている甘酒をもらいに向かった。全員が甘酒を受け取りそれぞれが飲む中で、一番飲みっぷりが良かったのは犬吠埼姉妹だった。
「「っぷはぁ~」」
「おお~! 二人共、良い飲みっぷり!」
紙コップに入った甘酒を飲み干した風と樹に、園子が声を上げる。よく見ると二人の顔はまるで酒を飲んだかのように赤らんでいた。
「なんかノンアルコールなのに、場酔いしてない……?」
夏凜が困惑した顔で言った直後。
「あはははははははっ! 酔ってない酔ってない~」
バシバシバシ! と樹が勢いよく風の背中を勢いよく叩き始めた。それに勇者部が目を丸くしていると、風が目から涙を勢いよく流しながら両腕を上げた。
「うわぁ~! 花の中学生時代が終わっちゃう~!」
どうやら犬吠埼姉妹は酔うと人格が変わるらしく、風の方は泣き上戸に、樹の方は笑い上戸に変貌するらしかった。
「なんだこいつら……」
「重要な記録だわ……!」
「いや、須美。その記録を何に使うつもりだよ……」
熱心にカメラを覗き込んで今の姉妹の醜態を記録している東郷に、銀がツッコミを入れる。
すると、友奈の手にしている紙コップの中に甘酒がまだ残っている事に夏凜が気づいた。
「友奈、飲まないの?」
「あ、熱くて……」
「大変だわっしー! ふーふーしないと!」
「はっ!」
「いや、はっ! じゃないだろ……。こら須美、園子、友奈の甘酒を本当にふーふーするんじゃない。友奈が困ってるぞー」
しかし銀の注意を尻目に二人は友奈の甘酒を少しでも冷やそうとし、友奈の方も困りながらも「あ、ありがとー」と二人に律儀にお礼を言っていた。
「ねぇ! とーごーぱいせん! きねんしゃしん、とりましょー!」
姉を右腕に抱えながら振り回している樹が左手にカメラを持って、東郷に言った。なお、振り回されている風本人は右手に握った紙コップを握りしめながら「わたしのせいしゅんー!」と泣いていた。ただでさえカオスな事になりやすい讃州中学勇者部だというのに、今日はその中でも一際酷かった。場酔いだけでもこのザマなのに、彼女達が二十歳になってアルコール飲料が解禁された時にはどうなってしまうのか、考えるだけでも恐ろしい。
しかしさすがというべきか、二人の醜態を目の前にしても東郷は笑顔を崩す事無く言った。
「じゃあ、みんなで撮りましょう!」
そして三脚にカメラを設置し、タイマーをセットするとカメラの前に勇者部が並ぶ。
「撮りますよー!」
東郷の言葉の後、カメラのシャッターが切られ写真撮影が行われる。
……しかし、酔いに酔った二人を加えた勇者部の面々がまともに撮影されるわけがない。酔った二人が暴れた結果、笑っている樹が肩を組む形で風と夏凜の首を後ろに両腕を伸ばした結果笑っている樹が宙を舞い、泣いている風と驚いた夏凜が体勢を崩し、興奮した園子が友奈と東郷、志騎と銀の四人に両腕を広げて無理やり抱き着こうとし、体勢を崩した友奈と銀がそれぞれのパートナーに抱き留められるという混沌とした写真が撮影される事となった。
後日、自分達の行動がきっかけで撮影されたこの写真に風と樹は頭を抱えたものの、「まぁ、勇者部らしいと言えばらしいか」という事で、この写真も勇者部の大切な宝物の一つとして保管される事となった。
それから四日後の一月五日、讃州中学勇者部は讃州市内の園子のマンションに一同集まっていた。
「ええっ!? 八マス戻る……!?」
「ふっふっふ! また引っかかったわね!」
東郷の悲痛な声が部屋に響き、夏凜の計画通りと言いたそうな笑いがその後に続く。
勇者部の九人は現在、彼女達をかたどった駒を使用して、園子特製すごろくを行っていた。室内のテーブルには七面鳥やおはぎ、伊勢海老がのった豪華なおせちなど様々な料理が鎮座している。七面鳥を牛鬼がもしゃもしゃと食べ、カニを「美味いなこれ!」と刑部姫が食べていた。
「八マスって、スタート地点……!」
そう言って東郷は自分をかたどった駒をスタート地点に置くと、
「ありゃりゃ、こりゃ巻き返すのが大変だな……」
「別にそうでもないだろ。風先輩なんて十回休み食らってるんだし」
志騎の視線の先には、スタート早々サイコロの一の目を出した結果、十回休みというペナルティを食らってしまい、『十回休み』という鉢巻を頭に巻いている風の姿があった。どうでも良いがこのすごろく、スタートのマスの目の前が十回休みというのは、中々底意地が悪いと言えるのではないだろうか。
「だけど園子もやる事が派手だよな。怪我でクリスマスができなかったからって、正月とクリスマスをいっぺんにやるなんて……」
志騎の病室でミニクリスマスパーティーをしたとはいえ、本来考えていたパーティーと比べると規模がささやかだった事は否定できない。なので本日、クリスマスと正月祝いをいっぺんにやろうという事でこうして讃州中学勇者部は園子のマンションの部屋に集まったというわけだ。
なお、正月に関してはすでに志騎は退院していたのだが、今日になるまで部員それぞれに予定があったため、中々集まる事が出来なかった。特に東郷や園子、銀の家は大赦の名家なので、親族に挨拶したりとかなり忙しかったようだ。銀に至っては、『堅苦しい挨拶や言葉遣いで疲れた……』とここに来るまでの道中で志騎に愚痴っていたほどである。
「楽しい事は、みんなで盛り上がるべきなんよ~!」
「……うん。まぁその通りだとは思うけど、なんだその恰好」
本日のパーティーの主催者である園子は、獅子舞の衣装を身に纏っていた。彼女が喋るたびに口がパクパクと開閉し、そのたびに食われるのではないかと志騎は少し後ずさりする。
「何って、獅子舞だろ?」
「俺が言ってるのはそういう事じゃねぇよ」
はぁ……と志騎はため息をつきながら、サンタクロースの服を着た友奈に顔を向ける。
「友奈もありがとな。俺がいなかった間に、銀や風先輩と一緒に依頼を片付けてくれてたんだろ?」
「え、う、ううん! 私は……何かやってないと落ち着かなくて……」
すると友奈の奇妙な言葉に、勇者部部員達が不思議そうな表情を友奈に向ける。彼女の言葉の意図をすぐに悟った志騎は、思わず表情を曇らせた。
「じゃなくて! 元気が有り余ってるから!」
どうにか白い髭をつけた顔で明るく笑うと、一瞬おかしくなってしまった雰囲気を再び明るいものに戻す。そして再び勇者部部員達がすごろくに戻り、夏凜が自分の駒を進める。
「えっと……? ふと人生をやり直したくなって、スタートに戻るってなにこれ!?」
まさかの人生のスタートに戻るという結果に夏凜が叫び、夏凜が自分と同じ結末を辿った事に東郷がふふふ……と不穏な笑い声を漏らす。するとここぞとばかりに刑部姫が夏凜に近寄ると、殴りたくなるほど悪意のこもった笑みを浮かべながら夏凜の頭をポコポコ叩き、
「はははは、良かったじゃないか人生をリセットできて。次こそは少しはまともな人生を送る事ができると良いなぁ?」
「あんたの場合はその腐った性格を少しはまともにするべきだと思うけどね……!」
「スリングショーット」
「へぶしっ!」
刑部姫がいつの間にか取り出したゴム弾が夏凜の額に直撃し、夏凜は悲鳴を上げながら床に仰向けに倒れ伏した。一方すごろくの方は樹の番に回り、サイコロを持って回すと二の目が出る。
「一、ニ……。えっと、『歌コンテスト優勝を逃すも、一部ディープなファンに支えられ百万円もらえる』……園子さんこれ良い事なんですか悪い事なんですか!?」
「うふふ……秋から準備してたんよ。もう、いくつ寝ると~って」
「た、楽しみだったんですね……」
園子お手製の一万円札が百枚束になっている札束を見て、樹が苦笑を浮かべる。
「では、ここは部長の威厳で優勝をかっさらっていくとするかね!」
と、ようやく十回休みの縛りが解けた風が威勢よくサイコロを持った右手を突き出した。
「たぁっ!」
そして転がした結果は、六の目。その結果に『おー!』と勇者部全員から歓声が上がる。
「ふふ……ん?」
しかし何故か、駒を進めた風の顔が見開かれる。
それも当然で、何故なら風の駒が止まった位置には。
「『車にはねられてお楽しみを全部失う。心のショックで……』十回休み!? キー! 何これ!」
再びの十回休みに、風が鉢巻をぎゅーっ! っと思いっきり握りしめて悔しがる。まぁやっと動けると思ったら、再び十回休みになってしまったのだからそれも仕方ないだろうが。
「そのちゃん、過酷なゲームだね……」
「じーんせい!」
と、園子の獅子舞が風の頭にかぶりつく。それでようやく頭が冷えた風は切ない表情をしながら「強烈な人生観ね……」とぼやいていた。
「では次は私の番だな……ほれ」
自分の番が回ってきた刑部姫がサイコロを手に取り、サイコロを回す。本日は珍しく、刑部姫もすごろくに参加していた。彼女の中の、志騎と同じゲーム好きの血が騒いだのかもしれない。ちなみに彼女の駒は用意されていなかったのだが、刑部姫がすぐに駒を作成して用意した。相変わらず、才能を無駄な事に全力で使う女性である。
「三、か。まぁ良しとしよう」
出たサイコロの目を見て刑部姫が呟き、駒を空白のマスに進める。すると、それを眺めていた夏凜がため息をついた。
「それにしても、このままのペースだと刑部姫が優勝って事になっちゃうわね」
刑部姫も他のメンバー同様一回休み、二回休みなどにはあってはいるが、それでも他のメンバーに比べるとゆっくりとではあるが確実なペースでゴールへと近づいている。このままだと、刑部姫の一人勝ちは間違いない。それは刑部姫も確信しているのか、勝利を確信した笑みを浮かべている。
しかし勝負はまだ決まったわけではない。すごろくの怖い所は、決まりかけた勝利がひっくり返されかねない事だ。まだ自分達の敗北が決まったわけではない。何より自分達は勇者なのだ。最後まで気を緩めず、刑部姫より先にゴールしてみせる……! と東郷と風と夏凜が固く心に誓った時だった。
「おい刑部姫。いい加減にやめとけ。それじゃあお前のワンサイドゲームだろうが」
ケーキをむぐむぐと食べていた志騎が、何故かそんな事を口にした。突然の言葉に志騎以外の部員達がきょとんとし、対照的に刑部姫の肩がギクリと跳ね上がる。
「志騎、それどういう意味?」
「どういう意味も何も、そのままの意味だよ。馬鹿正直にやっても刑部姫には勝てねぇよ。やってる事がまともじゃないんだから」
「それってもしかして、イカサマって事!?」
風が叫ぶが、東郷が困ったような顔をしながら呟く。
「でも、それは不可能じゃないかしら? だってサイコロはそのっちが用意したものだし、イカサマを仕掛ける事なんて……」
東郷の言う通り、サイコロは園子が用意したものだ。それを刑部姫がすり替えたような素振りはまったくないし、もしもすり替えたなら刑部姫以外の誰かが気づくはずだ。しかし志騎は首を横に振ると、
「サイコロに細工なんてしなくても、やりようはいくらでもあるよ」
貸してみろ、と志騎が言うと夏凜がサイコロを持って志騎に渡す。一方刑部姫の方は、志騎に見られないためか顔を背けていた。
「今日は新世紀三〇一年一月五日だから……。うん、そうだな。今からサイコロの数を三、一、一、五の順番に出す。その後は、一の数を四連続で良いか」
そう呟いて志騎はサイコロを持つと、「よく見てろよ」と勇者部部員達に念押しする。友奈達が静かに見守る中、志騎は手を振ってサイコロを転がした。
出た目の数は三。志騎の言った通りの目が出たが、これだけならまだ偶然で済む。
再び手を振り、サイコロを振るう。
出た目の数は一。それを見て、誰かが唾を呑み込んだ。
再びサイコロを振るう。
出た目の数は一。友奈の息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
サイコロを振るう。
五の目が出るのを見て、刑部姫と志騎を除いた全員が驚きの声を上げた。
そしてその後四連続で一の目を出すと、樹が志騎に尋ねた。
「ど、どうやってるんですか!?」
「タネは単純だよ。サイコロの出したい目に気を付けて、一定の回転をかけてサイコロを振るだけだ。別に天才じゃなくても、練習すれば誰でもできる。……まぁ、誰にもバレないようにするのはよほどの練習と才能、それと仕掛けが必要だけどな。例えば、出目を操作してるのを気づかれないように、休みのマスにわざと止まったり」
その言葉でもうネタは完全に割れたようなものだった。
勇者部全員が刑部姫に目を向けると、刑部姫はパチリ、と腹立たしいが非常に可愛らしいウインクをして、さらにこつんと自分の右手で頭を軽く叩いた。
「……てへぺろ♪」
直後。
「「それで済むかぁああああああああああああああああああああっ!!」」
風と夏凜が怒声を上げながら、刑部姫に勢いよく襲い掛かった。
「何新年早々イカサマ仕掛けてんのよ!! なんか大人しいと思ってたら、やっぱりやってたわねこの腹黒精霊!!」
「イカサマじゃない! 敵に勝利するために磨き上げたテクニックと呼べ! 大体志騎も言っていただろう! 練習さえすれば誰でもできるんだよこんな事は! 人の事を批判するより、まず自分達で調べて練習するんだなぶぁあああああかぁあああああああああああああああああああああああああっ!!」
「開きなってるんじゃないわよぉおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! 夏凜、手伝って! こいつ縛って瀬戸内海に沈めるわよ!!」
「当然、そのつもりよ!!」
風と夏凜の二人が逃げ回る刑部姫を捕まえようと走り回り、広い室内に荒々しい物音が響く。しかし部屋の主である園子はおろか東郷も止める気はないようで、のんびりと座ってお茶を飲んでいる。テーブルの上のケーキが蹴り倒されでもすればさすがの彼女も実力行使に出るだろうが、今のところはまだその段階ではないという事だろう。
「でもあまみん、よく分かったね~。私見てたけど全然分からなかったよ~」
「やったのが刑部姫だからだろ。同じ事を俺がやったら、お前ならすぐに気付くよ」
「でも志騎さん、いつあんな事を覚えたんですか?」
樹の問いに、志騎は頬をポリポリと掻きながら、
「覚えたっていうか……。あれ教えたのが、当の刑部姫……氷室真由理本人だったんだよ。俺がまだ銀に会う前にやり方を教えてもらったんだ」
「ああ、なるほど」
合点が言ったように銀がポンと手を叩く。銀と出会う前という事は、志騎がまだ鳥籠にいた時に氷室真由理からサイコロの投げ方を教わったのだろう。
「まぁその後、それを俺に教えてるのを安芸先生にバレて、『子供にそんな事を教えるんじゃないの!』ってパイルドライバー食らってたけどな」
「……意外に肉体派だな、安芸先生」
担任の教師だった安芸の意外な一面に、銀の顔が引きつった。
「園子様、他にお申しつけはございますでしょうか」
と、突然部屋の外から女性の声が聞こえてきた。刑部姫を捕まえて縄でぐるぐる巻きにしようとしていた風と夏凜を含めた全員が部屋の扉の方に視線を向けると、そこに人影がしゃがみ込んでいるのが見えた。
「うん、ありがと~。今日はもう大丈夫だから」
「それでは……」
そう言って女性は立ち上がると、部屋の前から立ち去って行った。
普段の姿からは想像できないが、園子は大赦の家系の中でも一番の権力を持つ乃木家の一人娘だ。お手伝いさんが一人や二人いるのが当然なのだろう。
「はー……」
「すごいねー! お手伝いさんがいるんだね!」
「家を出るための条件だったんよー」
「あんたも苦労してんのよね……」
「えへへ」
園子は笑うと、ほっと声を上げてその場から立ち上がる。驚く一同の目の前で獅子舞の衣装を脱いで部屋の片隅に丁寧に畳んでおくと、何故かステップを踏んで一同から死角となっているリビングの片隅に向かう。
「さてと! 面倒なのもいなくなったし……」
そう言って彼女が持ってきたのは紫色の大きな包みだった。その大きさから分かるようにかなり重たいらしく、両手で袋を持っている園子の体がふらふらと危なっかしく横に振れている。
「ここからが、本番よっと!」
そう言って袋を床に置くと、その途端もうもうと茶色の埃がリビングに舞う。
「ちょっ、埃臭い!」
「なに、それ?」
驚いた表情で風が尋ねると、園子が包みの結びをほどきながら説明する。
「ほら私、複雑な事情で家にいろいろあるじゃない?」
「それは、確かにそうだけど……」
園子の実家である乃木家は大赦で一番の権力を持っている。
では何故そうであるかというと、乃木家が一番初めに勇者になった人物の一族であるからだ。そして一番初めに勇者になったという事は、バーテックスが世界を滅ぼしかけた三百年前から今に至るまで続く家系という事でもある。そうなれば、貴重な資料が眠っていたとしても不思議ではない。
「またいきなりねぇ……」
「それで、荷物の整理に行ったんだ」
「なんでまた?」
風の質問に園子は答えず、ただ黙って友奈をじっと見つめた。友奈は一瞬それにたじろぐも、園子は何も言わず口元に笑みを浮かべると袋の中に入っていた行李から一冊の本を取り出す。
「んー、色々調べたかったしね」
取り出した本を、園子が目を細めて本の表紙を見る。いつもは滅多に見ない彼女の姿に、勇者部とようやく縄から脱出した刑部姫が近寄ってくる。
「手の込んだ前振りだったけど、本当の目的はそれね?」
つまり園子が今日友奈達をここに呼んだのは、パーティーではなくその本をみんなと一緒に見るためだったのだ。いや、彼女の事だからみんなと一緒に楽しくパーティーをするというのも目的の一つだったのだろうが、この本をみんなと一緒に読むのが一番の目的だったのだろう。
園子が無言で本を差し出すと、東郷が本を受け取る。そして表紙に書かれている文字を見て、東郷がはっと表情を変えた。
「勇者御記……」
表紙には確かに、『勇者御記』とはっきり書かれていた。するとそれを見て、刑部姫がほぉと声を漏らす。
「勇者御記……。しかもこれはオリジナルか。よくもまぁこんなものを見つけたな」
「知ってるのか?」
志騎が尋ねると、刑部姫は珍しく楽し気な笑みを浮かべ、
「その名の通り、大昔の勇者達の日記のようなものだ。私も大赦のデータベースに保存されているものを見た事はあるが、オリジナルを見るのは初めてだな」
「随分、古い物みたいですけど……」
「乃木の祖先の時代のものだからな。約三百年前のものだろう。古くて当然だ」
「三百……」
刑部姫の口からできた数字に、銀が驚愕の声を上げる。
三百年前、初代勇者が書いた日記。今それが時を越えて、自分達の目の前にある。その事実に、勇者達は思わず身が引き締まる思いだった。
「刑部姫の言う通り、乃木家に伝わる三百年前のものみたいだよ」
「園子はこれ、読んだのか?」
「これから。もう私だけが知ってるなんて良くないし、私も嫌だしね」
それは、大赦に満開の事を秘密にされ、体の大部分と大切な友達、そして一人の友人の記憶を失ってしまった園子の確かな本音だろう。園子は東郷の持つ勇者御記に軽く指を当て、
「初回は、みんなと一緒に読もうと思って」
「……こいつがいるけど良いのか?」
志騎が大赦の精霊である刑部姫を指差すと、園子は笑って、
「大丈夫だよ。中身はもう大赦にあるんだし、どうせあなたの事だから内容は全部知ってるんでしょ?」
「……ああ」
誤魔化す事無く、刑部姫はこくりと頷く。
そして東郷が勇者御記を開くと、一節の文章を声に出して読む。
「『……私達の戦いの記録を記し、未来の勇者へ託す』」
「……未来の勇者って」
「乃木、なんてものを見つけてくるのよ……」
未来の勇者と書かれているという事は、つまりここに書かれているのは友奈達を含めた、彼女達よりも先の時代でバーテックスと戦う勇者達に向けて書かれたメッセージのようなものだ。それだけで、この勇者御記に書かれている文字の重みがひしひしと感じられてくる。
「これ、私達が何故今こうなのか、私達は読まなきゃならない。みんなも一緒に読んでくれる?」
「そのっち……」
しかしそれは、自分達は何故勇者になったのか、どうして神世紀と呼ばれる時代が生まれ、今に至るのか真実の歴史を知るという事だ。それを知るのは、誰だって怖いだろう。当然これを持ってきたの、園子自身も。
すると、園子の手を風が手に取って迷いのないはっきりとした声で告げた。それは他の部員達も同様で、みんな園子を安心させるように笑みを浮かべている。
「もちろんよ」
「……ありがと、ふーみん先輩。ありがとう、みんな」
それから園子は何故か困ったような笑顔を志騎に視線を向けた。
「本当を言うとね、あまみんにこれを見せて良いのか、迷ったんだ」
「志騎に? 何でよ。……っ」
そこで夏凜は園子の意図に気づき、思わず黙り込む。それは夏凜以外の、勇者部員も同様だった。
「………」
一方の志騎は、ただじっと黙り込んでいる。彼も、園子がどうして自分に本当にこれを見せるべきか迷っていたのか、その理由に気づいていた。
勇者御記。三百年前の勇者が記した日記であり、彼女の切実な想いが記されたもの。未来の勇者達に向けて書かれた、彼女達の記録。
だがそれは同時に、この世界を滅茶苦茶にしたバーテックスの罪が生々しく書かれたものでもある。これを見れば間違いなく、同じバーテックス――――園子達は微塵もそんな事を思っていないが――――の志騎の心に傷を与えてしまう。それで園子は、志騎にもこれを本当に見せて良いのか迷っていたに違いない。例えこれを読む事が、真実を知るためであったとしても。
「でも、あまみんにだけ見せないのは駄目だって思ったから。だから今日あまみんもここに呼んだの。……でもね、辛くなったら途中でやめても良いから。その時は遠慮しないで言ってね?」
それはきっと、園子なりの優しさだろう。ここに書かれているバーテックスの罪を見たら、志騎が辛くなるだろうと考えての配慮。志騎がこの日記を読んだら、優しい彼の事だからまた背負ってしまう。今でもたくさんのものを背負っていっぱいっぱいなのに、また必要以上のものを背負って苦しんでしまう。いくら真実を知るためとはいえ、そんな思いはできればさせたくない。
そんな園子の想いに気づいているからこそ、志騎も彼女の言葉に怒る事はしない。
ただ、一度微笑むと園子に告げた。
「……気を使わせてごめんな、園子。でも俺は大丈夫だよ。途中でやめる事もしないし、目を背ける事もしない。……背負うって、決めたからな」
言葉はそれだけで十分だった。園子は一瞬目を見開くと、安堵と悲しみが入り混じったような笑みを浮かべて、
「……うん、分かった。でも本当に、具合が悪くなったりしたら言ってね?」
「分かってるよ」
そう言って志騎は園子を安心させるように笑った。銀は不安そうな表情を浮かべながらも何か言うようなことはせず、ただ黙って志騎のそばに寄りそうように立っていた。他の勇者部達も不安そうな表情は浮かべていたが、志騎本人がそう言っている以上野暮な事は言わない。ただ彼の意志を尊重して、彼と一緒に真実に目を向けるだけだ。
東郷は勇者御記の最初の一節のすぐ横に書かれている、園子の祖先の名を口に出す。
「乃木、若葉……」
きっとそれが、初代勇者の名前なのだろう。
そして一同は、勇者御記を読み始めた。
最初に書かれていたのは、世界が崩壊するきっかけとなる二〇一五年七月の事。何の因果か、志騎の誕生日と同じ月に終末は始まっていた。
その日、絶望が空から降ってきた。
人々は食い殺され、文明は破壊され、生き残った人々は絶望と恐怖を抱きながらどこにあるかも分からない安全地帯を目指していた。不可解な力の前に対抗策はなく、あらゆる常識が覆された状況の中、それを打破するかもしれない存在が現れる。
その名は、大社。神話の時代から真実を知る者達。絶望的な状況の中で神からの声を聞いた集団。
彼らはその存在を公にしてからすぐに、人々の導き手となった。人類は霊的な力で護られた防護壁の中に逃げ込み、人々はそれらを神樹様の結界と呼んだ。
それから三年後、二〇一八年。四国の他に人々が生き残っていた土地である長野県、諏訪が陥落。結果的に多くの人々と勇者を擁する四国は、諏訪を囮にする形でバーテックスを迎撃するための時間を稼いだ。……代償として諏訪に住んでいた人々と、彼らを護っていた勇者と巫女を犠牲にする形で。
とは言っても、彼女達の死が無駄になったわけではない。勇者がたった一人だったにも関わらず、諏訪は三年もの間バーテックスからの攻撃を耐え、四国のバーテックス迎撃のための時間を稼いだのだ。
そして諏訪が陥落したのをきっかけとして、ついにバーテックスの四国への襲撃が始まる。
しかし、三年という年月を彼女達はただ無為に過ごしていたわけではない。四国を守るために個々が訓練を積み、勇者達は襲い来るバーテックスを打倒していった。
無論いつも無傷での勝利というわけではなかったし、少女達の間に何のトラブルもなかったわけではない。強いバーテックスとの戦闘もあったし、各々の考えのために勇者達の関係がギクシャクする事もあった。
けれど、そのたびに少女達は互いに話し、心を開き、それらの問題を一つ一つ乗り越えて行った。その結果一度大規模な侵攻があったものの、強くなった絆の力と連携でそれを撃破した事もあった。四国に住む人々も状況を悲観するのではなく、今をたくましく生きる事で希望が生まれていき、勇者達も世界を元に戻すために邁進していく。この時は勇者達だけではなく四国の人達も、また元の日常を取り戻す事ができると心の底から思っていた。
しかし……現実は彼女達が考えていたよりも過酷だった。
バーテックスの大侵攻の後、四国には一時的な平穏が訪れた。その間に勇者達は壁の外の世界へ向かい、壁の外の地域の調査を行う事となった。調査の主な目的としては、生存者の探索と環境状態の調査だ。これで環境になんの異変も無ければ、日常を取り戻した後に再び人が住む事だってできる。
こうして勇者達は調査に向かったのだが……結論から言って、調査の結果は芳しくなかった。
別に悪い事ばっかりだったわけではない。空気や水質の調査を行った結果、環境の状態は著しく良かった。むしろバーテックスが出現した二〇一五年前よりも大気の状態は良くなっていたほどである。
だが、生存者は一人も見つからなかった。建物は破壊尽くされ、生存者の姿は食われたのか一人も見当たらず。結局環境調査のサンプルなどを見つける事が出来たものの、生存者は誰一人見つからなかった。
そしてこの後、勇者達は当初予定していた調査期間の終了を早めて四国に戻る事となる。神託で、四国が再び危機にさらされるという結果が出たからだ。
四国へ戻った乃木若葉達を待っていたのは、彼女達に告げられた神託……すなわち、バーテックスの襲撃だった。バーテックスによる神樹の破壊を防ぐため、若葉達はバーテックスと交戦する。
結果だけを述べるなら、若葉達の勝利に終わった。
……勇者である、土居球子と伊予島杏の死を代償として。
今回勇者に死者が出てしまったのは、バーテックスの進化が理由だった。ありとあらゆる状況に対応し、進化するバーテックスは今までのもの――――『星屑』よりもさらに殺戮に特化した形態のバーテックスの進化体を生み出し、勇者と交戦。これにより戦闘には勝利したが、勇者の方にも死者を出すという結果に繋がってしまう。
さらに、悲劇はまだ終わらなかった。その後再びバーテックスとの戦闘が発生し、その際に勇者の一人、高嶋友奈が命に関わる重傷を負ってしまう。幸い死には至らなかったものの、友奈はすぐに戦闘できる状態ではなくなり、しばらくの間戦線を離脱する事となった。
その後は残った二人の勇者で四国を守る事となったのだが……状況は勇者側の劣勢だった。
それも当然だ。相手は完成体のバーテックスを含めた、無数の星屑。対して勇者は二人だけ。多勢に無勢とはまさにこの事だった。何回も起こる侵攻に勇者達は体にも心にも傷を負っていく。
そして再びバーテックスとの戦闘が発生し、三人目の勇者の犠牲が出てしまった。
……ここで一つ、奇妙な事がある。この三人目の勇者の名前が、勇者御記のどこにも記されていないのだ。
いや、正確にはそれらしき文はあるのだが、名前の上から黒く塗りつぶされてしまっていたその人物の名前が分からない。なので結局、友奈達が勇者御記からその勇者の名前を知る事は出来なかった。
それからしばらくの間バーテックスの侵攻や収まり、その間に残った二人の勇者は準備を整え、やってくる大規模侵攻に備える。大赦の言葉によると、次が最後の戦いになるという事だった。
その最後の戦いまでの期間を、勇者達は共に過ごした。
最後の戦いを乗り越えて、日常を取り戻すために。
バーテックスの侵攻を防いで、またこうして一緒に歩くために。
そしてついに、彼女達の最後の戦いが始まった。
襲い来るバーテックスは無数。対して四国を守る勇者の数はたった二人。
自分達の力の全てを総動員し、二人の勇者はバーテックス達と戦った。
その結果、彼女達はついに最後の戦いでバーテックスの侵攻を防ぐ事に成功する。
だが、やはりと言うべきか犠牲は出てしまった。高嶋友奈という、一人の勇者の犠牲が。
その後、大社は六人の巫女を炎の海の中へ捧げる『奉火祭』を実行、天の神の赦しを請いこれが成立。人類は今後四国の外に出ない事と神の力である勇者の力を放棄する事を条件に生存を許され、大社は赦された者として自覚する『大赦』に改名。しかし陰でいつの日か天の神を打倒すべき勇者システムの開発を続け、組織自体も大きく拡大していった。まるで、いつか奪われた世界を絶対に取り戻すという、乃木若葉の想いを示すかのように。
そして勇者御記の最後には、こう記されていた。
『我らは国を譲ったわけではない。これは休戦に過ぎない。自らの国土を必ず取り戻す。そして復興させる。
必ず。
何代かけようとも。』
『…………』
最後に書かれていた乃木若葉の想いに、誰も声が出せなかった。刑部姫すらも腕組みをして座り込みながらも、じっと目を閉じて黙り込んでいる。
「そ、それで?」
「それがこの代での最後の戦いだったみたい」
「若葉って子だけが、生き残ったの?」
「ええ……。その後天の神を鎮めるための奉火祭が検討、決行。巫女達が捧げられ、当代の勇者達が出撃する事は無かった……」
「ま、事実上の敗北宣言だからな。天の神もそれ以上追い打ちをする事は無いと判断したんだろうよ」
宙に浮かび上がった刑部姫がそう言いながら、テーブルに置かれていた串団子から団子を咥えてもぐもぐと食べる。
「これで、記録は以上みたい……。志騎君、大丈夫? 顔色が少し悪いみたいだけど……」
東郷が志騎の顔を見ると、彼は東郷の言う通り少し苦しそうな表情を浮かべていたが、「大丈夫……」と元気のない返事をする。
「そんな声で言われても説得力がないっての……。ほら、水」
「ん……」
そう言って志騎は銀から差し出されたコップに入れられた冷たい水を、コクコクと飲んだ。あらかじめ覚悟していた事だが、やはりバーテックスの所業は志騎の心に強い影響を及ぼしていたようだ。
「奉火祭って、つまりは時間稼ぎの事よね?」
「三百年ものね」
「園子さんのご先祖が護ってくれなければ、私達生まれてこれなかったんだ……。世界を守るってこういう事?」
樹の問いに、風は何も言う事が出来なかった。代わりに彼女の問いに、刑部姫が答える。
「無論だ。世界を守るというのは言葉で言えば簡単だが、それはつまり今の世界に生きる人間達の命、未来全てを敵から守りきるという事だ。本来なら、人間数人の命で守り切れるほど軽いものじゃない。乃木若葉達の戦いも結果で言えば天の神との戦いには負けたが、人類を継続するという意味ではどうにか首の皮一枚の所で繋がったと言えるだろう」
「そして、今の私達の代にまで至るって事か……。バーテックスが襲ってこなかったその間に大赦は勇者システムを開発して……」
「――――最強の兵器であるバーテックス・ヒューマンを作り出した」
夏凜の言葉に、刑部姫が続ける。
神の力を使う勇者システム。使用者に強大な力と犠牲を強いる満開。兵器として特化した勇者である人間型バーテックス、バーテックス・ヒューマン。三百年もの間、天の神に奪われた国土を奪還するたための様々なものが作られた。
大赦としての思想が人に犠牲を求める歪なものになってしまったとはいえ、奪われたものを取り戻すという意志が三百年もの間絶える事は無かったのは、また確かな事実だ。
とは言っても、だからと言って大赦のやり方を勇者達が認めるのは、また別の問題になるが。
「託されちゃってるんだね~。次の代へ託すのも、そして終わらせるのも勇者次第」
「不吉な事言わない!」
「でも、私達での戦いはもう……」
「終わったと思いたいけどね~」
意味深な園子の言葉に、風達は思わず黙り込む。最近東郷を奪還するために壁の外に行った事もあり、中々自分達の戦いが本当に終わったのか信じられないのかもしれない。
「ん? なにこれ?」
と、別の箱を探っていた園子がきょとんとした声を出した。彼女が見つけた箱の中に、奇妙なものが入っていたのだ。
「……くわ?」
それは農作業でよく使われる、くわだった。先端の部分が白い布で巻かれているが、その特徴的な形状を間違える事はない。
「大切なものみたいですけど……」
しかし、どうしてくわが大切に保管されているのか理由が分からない。とりあえず巻かれている布を外してみるが、やはり何の変哲もないくわそのものだった。
「くわだ」
「くわね」
「くわよね」
「くわですね」
意味が分からず、思わず四人は困った表情を浮かべた。くわを持った園子は振り返り、友奈に尋ねる。
「秘密兵器かな? ね、ゆーゆ」
「へっ? う、うん!」
しかし友奈はどうも噛み合っていない返事をし、そんな友奈を園子はじっと見つめる。一方で銀は園子に近づくと、彼女が持つくわを見上げて、
「でもこのまま取っておくっていうのももったいないし、いっそ本当に農作業とかに使っちゃわない?」
「そうは言っても私達農作業とか全然分からないわよ? 勇者部にも、農作業を手伝って欲しいとか依頼ないでしょ」
「そうねぇ……。それにしても、どうしてくわを大事に取って置いたのかしら。貴重なもの、にも見えないし……」
夏凜と風が呟く横で、銀はくわの持ち手に静かに手を当てた。
「アタシも分かんないですけど……。でも、園子のご先祖様が御記と一緒に大切に取って置いたって事は、これも誰かから託されたものなのかもしれないですね。ご先祖様が大切に思う、誰かから」
銀の言葉で、一同は何の変哲もないくわに視線を向ける。
誰かから乃木若葉に引き継がれたそれは、今代の勇者達の視線を、何も言わず黙って受け止めていた。
夕方、銀と志騎は一緒に家への帰路を歩いていた。二人はしばらく黙って歩いていたが、唐突に銀が口を開く。
「なぁ、志騎。アタシ達がしてた事って、アタシ達が考えた以上にすごい事だったんだな」
「……いきなり、どうした?」
志騎が尋ねると、銀は夕暮れに染まった空を見上げながら、
「だってそうだろ? 三百年前の園子のご先祖様の意志が、今もこうしてアタシ達の中に受け継がれてる。アタシは今まで家族や友達を護るために戦ってきたけど、それはアタシだけじゃなくて、本当に昔の勇者達の願いでもあったんだよな。その願いや希望を受け取って、アタシ達は今を生きてる。なんかこれって、すごい事だと思わない?」
そう言って、銀は志騎の少し先を歩くとくるりと振り返って彼の顔を見る。
「……まぁ、確かに考えてみればすごい事だな」
「だろ?」
そして再び正面を向くと、ゆっくりと歩きながら、
「もう戦いは起きないかもしれないけど……。でもそうなったら、次はアタシ達が引き継ぐ番だって思ってさ。アタシ達の願いや希望、感じた想いを伝えていく……。それが、次の代の勇者の役に立つ事かもしれないって思うんだ。ま、本当ならアタシ達の代で終わらせるのが一番なんだけどな!」
二ッと銀は笑うが、それは難しいという事を彼女も分かっている。
三百年間続いてきた戦いを終わらせるというのは、言うほど簡単な事ではない。壁の外の世界は炎で包まれていて、星屑やバーテックスは無数におり、さらに後には天の神までいる。世界を取り戻すというのは、これらすべてを倒すというのと同じ意味だ。簡単に覆せるほど、目の前の問題は容易くない。
だが、だからと言って諦めるような事だけはしない。
例えどれだけの時間がかかっても、初代勇者である乃木若葉から託されたものを次の代へと託す。
そしていつの日か問題を全て解決し、世界を取り戻す。
今日の勇者御記を見て、銀も強くそう感じたはずだ。
銀はしばらく志騎の先を歩いていたが、ピタリとその歩を止めた。
「なぁ、志騎。お前の方は大丈夫か?」
「何の事だよ?」
「いや、今日の勇者御記を見てからもショックを受けてたみたいだし、今も何か悩んでたりしてないかなーって思って……」
どうやら乃木若葉の意志を受け継ぐと改めて誓った一方で、志騎の事も案じてくれていたらしい。彼女の優しさに志騎は微笑みながらも、彼女に近づいて安心させるように告げる。
「言っただろ。俺は大丈夫だよ。確かにバーテックスのやった事にショックを受けなかったって言えば嘘になるけどさ。でも、もう俺は迷わないよ。俺は人を傷つけるためじゃなくて、人を護るために戦う。……最期まで、な」
最期、という言葉に銀は自分の心臓が締め付けられるような感覚に襲われながらも、きゅっと唇を噛み締めて「そっか!」とどうにかして笑顔を振り絞る。……そうでもしなければ、志騎にくしゃくしゃした、今にも泣きだしてしまいそうな顔を見せてしまいそうだったから。
それから二人はいつもの通り、他愛のない会話をしながら帰路につく。やがて銀の家の近くになると、銀が名残惜しそうな顔で志騎に言った。
「じゃあ、今日はここまでだな。次は学校で!」
「ああ。……じゃあな、銀」
そう言うと、何故か銀は志騎の顔をじっと見つめる。しかしすぐに笑顔になると、右手を大きく振った。
「うん! またね、志騎!」
そして彼女は志騎に背を向けて、家へと帰って行った。彼女の背中に手を振っていた志騎は右手を下ろすと、彼のすぐ横に刑部姫が花びらと共に出現する。
「……あのガキ、お前の体の事に気づき始めてるんじゃないのか?」
「それはない……とは言い切れないかもな。あいつ、結構勘は良いし……」
二人が志騎のマンションに向かい始めると、空中を漂っている刑部姫が志騎に尋ねた。
「で、お前は大丈夫なのか? 勇者御記の内容は、中々ハードだったが」
「お前まで聞くのかよ。俺って、そんなに頼りなさそうに見えるのか? いや、まぁ二年前はそれであいつらに迷惑をかけたから無理もないかもしれないけどさ……」
園子と銀に続き、刑部姫にまで聞かれて志騎は思わずため息をついた。
「仕方がないだろう。あの日記はいわば、『奪われた側』の人間の日記だ。それを『奪った側』のお前が見るのは、少しキツかったんじゃないかと思ってな。……だがお前の様子を見るに、杞憂だったみたいだが」
「………」
志騎はポリポリと頭を掻くと、ふぅと息をつく。
「……ま、確かに正直な話、俺に本当に乃木若葉や歴代の勇者の意志を受け継ぐ資格があるのか、本当に受け継いで良いのかって思いはしたよ。お前の言う通り、俺はあいつらから当たり前にあった未来も幸せも、全部奪った側の存在だからな」
「………」
「でも、奪ったからこそ受け継がなくちゃいけないと思ったんだ。今の俺の行動が本当に正しいのか、それとも間違っているかなんて俺には分からない。だけど、もう奪いたくないって思ったし、奪われたくないって思った。例え
「………そうか」
志騎の言葉に、刑部姫はそれだけ返した。
志騎を突き動かしているのは、人間を愛しているという感情もあるが、決してそれだけでは無い。
人の未来と幸福と命を奪ってしまったのだから、今生きている自分は必死にそれを守らなければならないという罪悪感と脅迫観念。そのためならば自分の体を傷つけ、命を危険にさらす事すらも意に介さない。
それはもう、使命感などといった言葉を越えて『呪い』とすら言える。
過去に生きた人々の想いに触れるたびに志騎は強くなる。しかしそのたびに志騎は苦しみ、悩み、自分という存在を軽く扱うようになる。
園子が勇者御記を志騎に見せるのをためらったのも仕方がない。過去の勇者達の強い想いを知るたびに、天海志騎にかかった呪いは強くなるのだから。そしてその呪いを解く方法は、今のこの時代にはない。例え苦しくても、志騎は呪いと罪を背負って前に進み続けるしかないのだ。
それを分かっていながら、刑部姫はそれを口にするような事はしない。
言ったところで志騎は変わらないし、自分に何かができるとも思っていないからだ。
内心でそんな自分を嘲笑いながら、刑部姫は志騎と一緒に彼のマンションへと帰っていくのだった。
原作のゆゆゆの時系列では、勇者部が乃木若葉の勇者御記を読む→お参りに行くというような感じになっていましたが、本作ではちょっと流れを考えてお参りに行く←勇者御記を読むという流れにしました。勇者の章と大満開の章では放送時期が大分空いていたので仕方ないですが、ちょっと流れが掴みづらかったので少し苦労しました。