刑「では第五十二話、ご覧あれ」
正月が明け、讃州中学に新学期がやってきた。出会うクラスメイト達は互いに久々の挨拶をかわし、近づいてくる卒業と進級に想いを馳せる。
そして頼れる部長の卒業を控えた、讃州中学勇者部はというと。
「お? ふっふーん♪」
「風先輩、自然体で大丈夫ですよ」
自分を東郷がカメラで撮っている事に気づいた風がポーズを取ると、東郷がやんわりと言う。風はポーズを解きながら、
「いやー、ついね。でも最近熱心にカメラ回してるわね」
「もうすぐ先輩が卒業してしまうので、揃っての活動記録は貴重だと思います」
「……ていうけどさ、あたし卒業した後もここに入り浸ると思うわよ?」
「入り浸るんだ……」
樹が苦笑すると、夏凜がやれやれと言いたそうに肩をすくめながら撮影に入ってくる。
「そうなる予想はついてたけどね」
「とか言って嬉しそうねかりーん?」
「………」
「え、何その反応……」
どうやら夏凜の方は冗談半分の言葉を真面目に受け取ってしまったらしく、風から顔を逸らしながら顔を赤くしていた。
「二人を見てると創作意欲が沸いて来るよ~! ねー、サンチョ」
『シィー、ムーチョ』
「え、その子喋るの!?」
「なんという高機能な枕……!」
見た目からは想像できないダンディな声を発した猫の枕に、東郷と銀が驚いた声を上げた。
「ふーみん先輩とにぼっしーで想像はかどっちゃったから、帰って二人の本書こー」
「ちょっ!?」
園子の爆弾発言に風と夏凜の二人が慌てるが、園子の方はマイペースに「また明日ー」と手を振って部室を出てしまった。
「うん! また明日ー!」
「またねそのっち!」
「園子、またな! 遅刻するなよー!」
「お前じゃあるまいし……」
園子に手を振る銀に、志騎が苦笑しながら呟く。
「「待ちなさぁあああああああああいっ!!」」
園子と風の二人が必死に叫ぶも、時すでに遅く園子の姿はすでに無かった。それから二人は互いに目を合わせると、少し頬を赤くしながら顔をそれぞれ正反対に向ける。
「あ! そういえば、卒業旅行とかどこ行こうかしら?」
「年末はどこへも行けませんでしたからね」
「そうなのよー。あ、大赦のお金でみんなで温泉とか行く?」
「おおっ! 良いですね温泉! アタシも久しぶりに、須美のメガロポリスをお目にかかりたいですし!」
「デカい声で何言ってんだお前は」
「もう、銀ったら……」
温泉と聞くや否や目を輝かせて大はしゃぎする銀の頭を志騎がチョップして黙らせ、東郷が困った笑顔を浮かべながら頬に手を当てる。
と、風の言葉を聞いた友奈がこんな事を言った。
「温泉は前に行ったから、違う所とかどうでしょう?」
その言葉のおかげで話題が温泉から逸れ、東郷達は別の場所についての話をし始めた。
そんな友奈を志騎はじっと見てから、銀にトイレに行ってくると一言断って部室を出ると、男子トイレに向かう。トイレにある鏡の前に一人立つと、Yシャツを微かにはだけて肌を見る。
そこには、黒い禍々しい紋様がびっしりと志騎の体の前面を覆っていた。
「温泉を遠慮したって事は、多分友奈も同じ状態だろうな……」
確かにこれでは、温泉に入るどころではないだろう。日が経つごとに、友奈のタタリの影響は強くなっている。それに比例して自分のタタリも強くなっているが、自分の場合はどうでも良い。早く友奈のタタリをどうにかする方法を探さなければ。
そして志騎が男子トイレから出ると、そこで志騎はある人物と出会った。
「あれ? 天海君?」
「藤田先生……」
志騎が出会ったのは、彼の担任の教師である
「どうしたの? 顔色が少し悪いようだけれど……」
どうやら彼から見ても、自分の体調は良くないように見えるらしい。とは言ってもそれはきっと、たった今体の紋様を見てしまったからだろう。銀達の所に戻る頃には、きっと元に戻っているはずだ。
「そんな事ないです、大丈夫ですよ」
「そっか……。でも、何かあったら言ってね。いつも天海君には助けられてるから、いつでも相談に乗るよ」
「……ありがとうございます」
生物の授業の教師である藤田は授業を行う過程で、授業に必要な機材などを運んだりする必要がある。しかしそれ以外にも授業で使用した資料や生徒達のレポートなど様々なものを運ぶ事もあり、いくら藤田が大人とはいえ一人で運ぶには荷が重い時もある。そしてそういう時は志騎を始めとしたクラスメイト達が藤田の手伝いをするのだ。ちなみに、志騎が勇者部に向かうのが一番遅いのはそれが原因だったりする。
とは言っても、志騎がそれを恨んだりしたことは一度もない。志騎が好きでやってる事だし、何よりも志騎は藤田の事を讃州中学校の教師の中で一番信頼していた。別に他の教師が信用できないという事ではないのだが、自分の髪の毛の色について最初から全く気にせずに志騎に接してくれていたのは藤田だけだったのだ。彼の髪の色は志騎の密かなコンプレックスなので、それを気にせずに普通に接してくれる藤田に好印象を抱いていたのだ。
なお、後に志騎はどうして藤田に自分の髪の毛の色を気にしなかったのかと聞くと、それには藤田の過去が関係していた。
なんでも彼は実は幼少期の頃に両親を亡くしており、たまに連絡を取り合っている今の家族とは養子の関係らしい。別にそれで家族関係がギクシャクした事は無かったが、幼少期の頃は名前とその事に大分苦労した事があったと藤田は言っていた。
『事前に聞いてはいたけど、天海君も確か幼少期の頃に両親を亡くして、それでその髪の色でしょ? 僕も似たような経験があったから、ね』
クラスメイト達の前では親についてはあまり深く言っていなかったが、志騎の家庭の事情については事前に共有されている。なので藤田も志騎に親がいない事を当然知っていた。
そして彼も親を幼少期に親を亡くしていたからこそ、彼は志騎の髪の色について気にしたり言及せず、一人の生徒として接してくれたというわけだ。ちなみに、この話を聞いた際に志騎の彼に対する好感度と敬意がさらに上がったのは言うまでもない。
「じゃあ、僕はこれで。部活頑張ってね」
そう言って藤田は手をひらひらと振って、廊下を歩いて志騎の前から立ち去って行った。志騎もぺこりと藤田に軽く頭を下げると、これ以上遅くなると怪しまれるとマズいので勇者部の部室へと急ぐのだった。
放課後。本日の勇者部の活動は仔猫探しだった。部員総出で仔猫が消えた場所の周囲を探しているのだが、さすがになかなか見つからない。
「迷子の迷子の仔猫くーん。どっこっかなー?」
友奈が歌いながら探し続けるも、仔猫の姿は見つからない。他の面々も辺りを探しているが、結果は芳しくないようだ。
「銀、そっち見つかったかー?」
「駄目だー、見つかんない。餌とかあったら来るかな?」
「お前の本気が足りないんだよ。もっと必死になって、豚のような鳴き声を上げろよ」
「アタシ達が捜してるのは猫だぞ!?」
「お前にはぴったりだろうが。そもそもお前、この前体重が……」
「何で知ってるんだお前ぇえええええええええっ!?」
もしゃもしゃと牛鬼と烏天狗と一緒に団子を食べながら銀の体重を暴露しようとした刑部姫に、銀が襲い掛かる。一気に猫探しどころではなくなった二人に、志騎は思わずため息をついた。
「ほらほら銀、遊んでないで早く猫を探しなさーい。日が暮れちゃうわよー」
「す、すいません……」
一通り刑部姫との肉弾戦を行った銀は、しょんぼりとしながら風に謝る。一方で風の方はふーと困ったように息を吐いて、
「見つからないわねー。ちょっと樹、猫語で呼び出してみて?」
「えっ!? にゃ、にゃーにゃーにゃー!」
姉の無茶ぶりに困惑しながらも、樹は両手を軽く握って可愛らしくにゃーにゃー言い始める。
それに猫ではなく、二人の獣が食らいついた。
「もっと! もっと獣になって!」
「いいよ! いっつん良いよー!」
「と、撮らないでください!」
樹の周囲を高速で走り回りながら彼女の姿を取りまくる東郷と園子に、樹が悲鳴じみた声を上げる。
「あっ、いたー!」
東郷と園子が一歩間違えれば危ない人と間違われそうな事をしている後ろで、友奈がようやく迷子になっていた仔猫を見つける。
「おいでー。お家に帰ろー」
しかし友奈が優し気な声で呼びかけたにも関わらず、猫は何故か驚いたような鳴き声を上げると友奈の横を走って通り過ぎる。その猫の体を風が優しく抱え上げた。
「おーよしよし! 友奈ナイス発見よー!」
「あはは、怖がられちゃいました」
「仔猫発見で依頼クリアね」
「それでは先輩! 記念に一枚撮りましょう!」
「お、良いね!」
そして猫を抱えた風をセンターにして、勇者部八人は記念写真を撮影した。
依頼を終えた勇者部はその後、いきつけのカラオケ店へと向かった。東郷と園子、銀の三人が歌い終えると風が楽しそうに口笛を吹く。
「ひゅー! やるわね三人共!」
「息もぴったりでした!」
「さすが神樹館三人娘だな」
風だけではなく、八人の中で一番歌が上手い樹と三人の仲の良さを知っている志騎も彼女達の歌の上手さを絶賛する。すると三人に触発されたのか、夏凜が自分の横に座っている友奈に言った。
「じゃあこっちも行こうか、友奈!」
「えっ? うん、宿題これからやるよー……」
「……?」
が、帰ったきた友奈の言葉には脈絡が無かった。それに思わず夏凜がきょとんとした表情を浮かべると、二人のやり取りを見ていた園子が笑いながら言う。
「あはは、寝ぼけてるんだねー。にぼっしー、私と熱唱しようよ!」
「あ、うん……」
夏凜は戸惑いながらも、園子とのデュエットを始める。自分の横で銀が二人にエールを送るのを横目に見ながら、志騎はじっと友奈の様子を観察する。
よく見ると彼女の頬はまるで風邪でも引いてるかのように紅潮しており、前までは賑やかだった彼女の口数も少ない。間違いなく、自分達にかけられたタタリのせいだった。
そうだと断言できるのは、志騎も今友奈と同じような状態だからだ。頭が熱でボーっとし、気を抜いたら今にも気を失いしそうな倦怠感が体を襲っている。自分はどうにか我慢して平常を装えているが、彼女の方はかなりキツそうだ。志騎はテーブルの上の水の入ったコップを手に取ると、友奈の横に立って彼女の目の前にコップを差し出す。
「……あれ、志騎君? どうしたの?」
「眠気覚ましに、水でも飲んどけ。今日は仔猫探しもあったし、疲れたろ」
「う、うん。ありがとう。じゃあちょっともらうね」
そう言って友奈はコップを受け取ると、コクコクと静かに水を飲む。しかしコップに入っていた全部を飲みきるまでにはいかず、ほんの少しを残すと彼女はコップをテーブルに置いた。
「大丈夫か? まだ眠いようなら、今日はもう早めに帰って寝た方が良いんじゃないか?」
「ううん、大丈夫! まだまだ全然大丈夫だよー!」
「……そうか」
志騎はそれだけ言うと、友奈から離れた銀の横に座る。元気を取り戻したように見える友奈は、端末を手にしながら風に何か歌わないかと誘っていた。それが志騎にはただの空元気だとすぐに分かったが、だからと言って今の自分には何もできないのが歯がゆかったし、苛立たしかった。そのせいで自然と表情が険しくなり、奥歯を強く噛みしめてしまう。
そんな、志騎の様子を。
「………」
銀が、志騎に気づかれないように静かに見つめていた。
翌日の放課後。本日の勇者部の活動は休みのため、志騎は一人教室の窓に軽く体を乗り出して夕焼けを見ていた。目に映る美しい夕暮れの色とは対照的に、志騎の心の内は曇っていた。
(……誰にも話せないって、こんなにキツイ事だったんだな……)
友奈がタタリにかけられた大分経つが、解決策は一向に見つからない。自分なりに考えたり資料を探したりしたが、大赦の力も借りられない志騎一人に解決策を見つけられるはずもなく、ただ時間だけが過ぎていく。
(いや、それも当たり前か)
今友奈に起こっている事をあの大赦が把握していないとはとても思えない。大赦にとって友奈は自分達が敬う勇者の一人だ。友奈がタタリに遭っているとしれば、どうにか解決策を見つけ出そうとするはず。それなのに一向に友奈のタタリが解除されないという事は、彼らも解決策を見つけ出せていないという事なのだろう。大赦でもできない事が、自分にできるとは志騎にはどうしても思えなかった。
そもそもの話、志騎のそばにはいつも誰かがいた。
大赦の神官である安芸はもちろん、幼馴染の銀、口と性格は悪いが頭脳は間違いなく最高の刑部姫、同じ勇者であり親友の東郷と園子。讃州中学に入ってからは勇者部の面々、さらに高橋在人と佐藤良太という友人と藤田悠という担任教師。自分が困っていた時には、いつだって彼女達が手助けをしてくれた。
しかし今の自分は何も話す事が出来ない。もしも話したら彼女達にもタタリが降りかかる。タタリの性質上、こういった時に一番頼りになりそうな刑部姫にも話す事が出来ない。そして同時に、この状況での刑部姫の存在がどれほどありがたかったかを志騎は再認識させられていた。それを言うには今の状況はもう、あまりにも遅すぎると言えるけど。
もう、他に手は無いのか。
友奈は誰にも自分の悩みを言う事は出来ず、ただ一人で死んでいくしかないのか。
自分達は、友奈の大親友である東郷はそれを黙って見ている事しかできないのか。
そして最後は、友奈の死体を前にして絶望するしかないのか。
最悪の予想を頭に思い浮かべながら、志騎が拳を強く握りしめた、その時だった。
「――――志騎?」
後ろから、銀の声が聞こえてきた。
振り返ると、そこには鞄を持った銀が立っていた。いつから立っていたのかは、思考に没頭していた志騎は気付く事すらできなかった。
「………銀」
自分の後ろに立っていた幼馴染を前にして、志騎はどうにか平常を装うと銀に言った。
「どうした? 今日は部活は休みだろ? てっきり、もう帰ったと思ってたよ」
すると何故か銀はため息をつき、
「帰るわけないだろ? 今日は特に用事もないし。校門で待ってたんだけどお前が来るのが遅いから、見に来たんだよ」
「……なんだ、そうだったのか。悪い、すぐに準備する」
そう言って志騎が銀の横を通り過ぎて自分の席に向かおうとすると、銀が唐突に志騎の左腕を掴んだ。
「なぁ志騎。今日の放課後、暇か?」
「……え、まぁ暇と言えば暇だけど……」
志騎の返事を聞くと、銀は二ッと笑みを浮かべた。
「――――ちょっと、アタシに付き合えよ」
それから志騎は、準備を済ませるなり銀に腕を掴まれたまま学校を出た。
学校を出る途中で志騎は銀に、どこへ行くのか尋ねたのだが、彼女はすぐに分かるよと言ったきり何も言わなかった。彼女の左手は志騎の右手の手首を掴んでいるのだが、その力が結構強い。どうやら何が何でも連れて行くようだ。こうなったら諦めて、銀に従うしかない。そう思いながら、志騎はため息をつく。
そして二人がしばらく歩くと、ようやくそれまで無言だった銀が口を開いた。
「っと、ついたぞー」
二人が辿りついたのは、志騎が今まで来た事が無かった公園だった。広さは普通の公園と比べても広めで、敷地内にジェラートのキッチンカーが一台停まっている。しかし季節のせいもあるためか、今のところジェラートを買っている客はいないようだった。まぁそれどころか公園には今二人を除いて人がまったくいないので、それも原因だろうが。
「ちょっと待ってて」
そう言って銀は公園にあったベンチに志騎と持っていた鞄を残して、ジェラートに走って行った。まさかここでジェラートを食べるのか? と志騎は寒さに少し身震いしながらも、仕方が無いのでベンチに座って銀が帰ってくるのを待つ。
「………」
こうして一人でベンチに座っていると、つい先日天の神が現れた時の事を思い出してしまう。
天の神。突然自分の前に現れた、自分達勇者と大赦の宿敵。一見飄々とした態度だったが、あの赤い瞳の奥には人類への冷たい殺意と憎しみがあった。何故天の神があれほどの憎しみを自分達に向けているのか、志騎には未だ分かっていない。
しかしその殺意と憎しみのせいで自分と友奈は祟られ、彼女には何の罪もないのに今も苦しんでいる。それなのに、自分は何もできない。まるで今のこの状況すらも天の神の掌の上のようで、志騎は酷く腹立たしかった。
いや、きっと志騎の考えている通り、今のこの状況も天の神の掌の上なのだろう。さすがに四国の結界の中を彼女が見通せるとは思わないが、今頃は自分と友奈が苦しんでいるのを想像してほくそ笑んでいるに違いない。もしも今天の神の顔面が目の前にあったら思いっきりぶん殴ってやりたいと志騎が物騒な事を思っていた時。
「お待たせ!」
銀の声が聞こえ、志騎が顔を上げると銀が二つのジェラートを手に持って目の前にやってきていた。彼女は笑いながら、左手に持っていたジェラートを志騎に差し出す。
「はい、志騎の! 好きだっただろ? カスタード味」
志騎は戸惑いながらも、カスタード味のジェラートを受け取る。それから銀が右手に持っているジェラートに目をやりながら尋ねた。
「それもしかして、しょうゆ豆味か?」
「当然! やっぱりジェラートはこれだよ!」
「……別にそれは良いけど、なんでこんな寒い日にジェラート食べるんだよ。馬鹿じゃないのか?」
「ふふふ、それもちゃんと対抗策を考えてるのだ」
じゃん! と銀がコートのポケットから取り出したのはホットのコーヒーとココアの缶だった。彼女はココアを志騎に差し出して、
「これならジェラートを食べても寒くならないだろ?」
「……いや、あまり効果があるとは……。まぁ良いや」
ここでこれ以上何を言ってもジェラートを食べる事に変わりはないので、志騎はジェラートを大人しく食べる事にした。とは言っても、味覚が喪失しているので味は分からない。ただ、舌に冷たさだけが伝わって来て、まるで氷を舐めているような感じだった。すると徐々に体が冷えてきて、志騎はココアの缶を手に取って飲む。こちらもやはり味が無かったが、体が少し暖かくなった。横を見てみると、銀もしょうゆ豆のジェラートを美味しそうに舐めながら、やはり体が冷えたのか温かいコーヒーを飲む。
「……マッチポンプだな」
「え、何か言った?」
しかし志騎はその言葉を無視して、再び冷たいだけのジェラートと温かいだけのココアを交互に舐め、飲む。銀の方もきょとんとしていたが、再びジェラートとコーヒーを交互に口に入れる動作を再開し、二人はしばらく無言でジェラートを舐め続けた。
そして二人がジェラートを食べ終え、空き缶を自動販売機の横にあったゴミ箱に入れてベンチに戻ると、唐突に銀が志騎に尋ねた。
「ねぇ、志騎。気づいた?」
「え? 気づいたって……何にだよ」
思わず尋ね返すと、銀は「まだまだだなー」と言ってから肩をすくめて笑った。ちょっとムッとする所作だったが、何かに気づかなかったのは事実なので志騎は仕方なく銀が答えを言うのを待つ。
「実はあのジェラート作ってたの、イネスにあったジェラートのお店の店員さんなんだよ」
「え、そうだったのか?」
志騎がワゴン車があった方に目を向けるが、どうやら二人が食べている間に今日はもう閉店したらしく、ワゴン車の姿はとっくに無かった。
「イネスのお店は無くなっちゃったけど、一人になっても美味しいジェラートを作って売りたい! って決心して始めたらしいよ。この前初めて来たときにしょうゆ豆味のジェラートが同じ事に気づいて聞いたら、話してくれたんだ」
「そうだったのか。それに知っても、よく気づけたな」
「そりゃあ、イネスのジェラートは何回も食べてたしな!」
えっへん! と銀は可愛らしく胸を張った。そんな彼女に苦笑しながらも、志騎は銀に聞く。
「で? 今日俺を呼び出してジェラートを食べたのは、その事を俺に言うためか? だったら須美や園子も誘ってやれよ。あいつらもあそこのジェラート好きだっただろ」
「うん。もちろんまた今度須美も園子も誘うけど……。今日志騎を呼んだのは、また別の話なんだ」
そして、つい先ほどまで漂っていた雰囲気が一気にかき消える。銀は自分の両膝の上で手を組みながら、恐る恐る志騎に尋ねた。
「……あのさ、志騎。何かアタシ達に隠してる事ない?」
「………っ」
心の中で驚くも、どうにか表情を動かさない志騎に、さらに銀が聞く。
「いや、志騎だけじゃない。もしかして友奈も何か隠してるんじゃないか?」
「……友奈の方は知らないけど、どうしてそう思うんだ?」
「だって、年末あたりからお前の様子が少しおかしかったもん。それに最近、友奈をちょくちょく気にかけてるだろ? それでもしかしたら、友奈も何か関係してるんじゃないかって……」
「………」
正直、少し困った。前から三ノ輪銀という少女は勘が良い事を志騎は知っていたが、まさかこのタイミングで気づかれるとは思わなかった。彼女以外の勇者部員達は自分の異変には気づいていなかったというのに。さすがは志騎の幼馴染である。
「正直、お前と友奈に何があったのかは分からない。だけどきっと友奈の方は、須美か夏凜が聞くよ。あの二人は、本当に友奈の事を大切に思ってるから。だからお前も、何があったのかアタシに話してくれないか?」
「……別に、何も」
そう言って志騎が話をはぐらかそうとすると、銀が志騎の両手を力強く握りしめた。彼女の温かくて柔らかい手が志騎の両手を優しく包み込むと共に、銀のまっすぐな視線が志騎の顔を真正面から見据える。
「話してくれよ、志騎。アタシはお前のためなら何でもやる。だから、何があったのか言ってくれ」
心の底からの志騎の事を案じての言葉に、最初は何でもない風を装っていた志騎の心が揺れる。志騎はどうにか銀から距離を取ろうとするが、彼女が両手をしっかりと握っているため離れる事ができない。離れるためには、彼女の言う通り自分が抱えている事を話すしかないだろう。
だが。
「…………」
脳裏に、勇者部員達や風の胸元に浮かび上がったタタリの紋様、そして苦しむ友奈の顔が浮かび上がる。
ここで自分が話せば、間違いなく銀は自分の助けになってくれる。でもそうしたら銀もタタリにあうし、何よりもタタリの影響が強くなり友奈がさらに苦しむ事になる。そんな事は決してできない。
志騎は一瞬奥歯を噛み締めると、できるだけ何でもない風を装って銀に言う。
「……お前に言う秘密なんて、俺にはない。お前の考えすぎだよ」
「アタシの言ってる事が、嘘だと思ってるのか? 言っとくけど、嘘じゃないよ。何回でも言うけど、アタシはお前のためなら何でもする! だから……!」
なおも食い下がる銀に、つい志騎の口調も荒くなっていく。
「別にお前の言う事が嘘だとかそういう事を言ってるんじゃない! お前に言う秘密なんて本当にないって言ってるだけだ!」
「……っ! この期に及んでも、まだ嘘をつくのかよ!? お前が何か隠してる事ぐらい分かるに決まってるだろ!? 何年幼馴染やってると思ってるんだよ!」
「幼馴染だからって、全部分かるわけないだろ!?」
「分かるよ!! お前の事なら、何だって分かるし、お前のためなら何でもやるよ!」
なお真実を隠そうとする志騎と、志騎の悩みを聞きたいと思う銀。二人の想いが言葉という形で、真正面からぶつかり合う。
「何でもやるなんて、簡単に言うな! 大体、どうして何でもやるなんて言うんだよ!? どうして俺のために、そこまでするんだよ!!」
「――――そんなの、決まってるだろ!!」
そして。
銀は、今まで秘めてきた想いを、口にした。
「――――お前の事が、好きだからだよ!!」
静寂が、その場を支配した。
ついさっきまで公園に響き渡っていた二人の声は一気に静まり返り、どちらも言葉を発しようとしない。銀の方は顔を赤らめながらも、ただまっすぐに志騎の目を真正面から見据えている。
それに対して、志騎の反応は。
「…………は?」
全く予想外の言葉を食らい、志騎は目を大きく見開いて銀の顔を見ていた。
志騎自身、今まで何回も衝撃的な事実に直面した事はあった。例えば自分が勇者に変身した時や、自分がバーテックスだと知らされた時などだ。だがそれでも、きっとこの時ほど驚いた事は無い。そう断言できてしまうほど、銀の今の言葉は衝撃的すぎた。
「……ちょっと待て。誰が誰の事を、好きって?」
すると銀の方は、顔を赤くしながらも恥ずかしさでどもるような事はせず、堂々と告げた。
「アタシが、お前の事をだよ。信じられないって言うなら、何回でも言ってやるよ。……アタシ、三ノ輪銀は天海志騎の事が好きだ。……友達としてじゃなくて、一人の男の子として、お前の事が好きなんだよ」
銀の静かな言葉が、志騎の脳内を埋め尽くす。
頭の中が真っ白になって、何も考えられない。どうして、と理由を考える以前の問題だ。頭が回らなくて、何も考える事が出来ない。ただこうして馬鹿みたいに目を見開いて、彼女の顔を真正面から見つめる事しかできない。
志騎がそうしている最中にも、銀の告白はさらに続く。
「……お前の事を好きになったのがいつなのか、正直アタシも覚えてない。あの時、お前がこの花の髪飾りをくれた時から好きだったのか、その後お前と遊ぶようになってからなのかは分からない。でも、お前の事を好きだって思うのは。お前の事を失いたくないっていうのは嘘でも何でもない、アタシの本心なんだ。……心の底から好きな人のために何かをしてあげたいっていうのは、当たり前だろ?」
だから、と銀は自分の大切な少年を前にして、再び告げた。
「――――何があったのか、アタシに言ってくれ。何回でも言うよ。アタシはお前のためなら何でもする。命だって掛ける。何があってもアタシはお前の味方でいるから……話してくれ」
何の誤魔化しも偽りも無い、ただただまっすぐで純粋な愛の言葉。生まれて初めて、とすら言えるほどの愛に満ちた言葉。それに志騎は目を見開きながら、思わず彼女に言われた通り自分が抱えているものを話してしまいそうになる。
タタリの事だけではない。
自分の寿命がもう春まで持たない事も、全て。
しかし。
「………っ」
やはり、言う事が出来ない。
それは少女や友達の身を案じて、という事もあったが……。何よりも志騎の口を閉ざしていたのは、皮肉な事に銀が志騎に自らの想いを告げた事で彼の胸に生じてしまった戸惑いのせいだった。
「……言えない」
すると見る間に、銀の表情に強い失意の表情が広がっていく。
「……やっぱり、アタシの言葉は嘘だって思うのか?」
その言葉に、志騎は俯いたままふるふると首を横に振る。何故かその姿は、小さな子供が親にするような動作に見えた。
「違う。お前の言葉が嘘だなんて思わない。……でも、駄目なんだ。俺は、誰かに好かれたり、愛されたりするような奴じゃない。俺はバーテックスで、たくさんの人達の命と幸せを奪ったんだ。そんな俺が、誰かに愛されるわけがないし、幸せになって良いはずがない。俺にそんな事があって良いはずがない。俺は最後まで人を助けて、死ななくちゃならないんだ」
天海志騎という少年が抱えてきた苦しみと歪さ。
他の人は幸せになって欲しいけれど、自分が幸せになって良いはずがない。そんな事は間違っている。
他の人が最後まで大切な人と笑って生きて、そして穏やかな死を迎えるのは良いけれど、自分の場合はそれをするのも、望むのも間違っている。
あまりにも歪んでいて……あまりにも悲しすぎる想いだった。
「だから、お前も俺なんかを好きになる事なんてない。お前には、俺よりももっと良い人がいるよ。その人と家族になって、幸せになって……」
「……なんだよ、それ」
そこで初めて志騎が顔を上げて銀の顔を見ると、彼女の目は涙でいっぱいになっていた。彼女の表情に志騎が絶句していると、銀はついに瞳から涙をこぼしながら叫んだ。
「お前よりも良い人とか、そんなのどうでも良いよ! アタシは他の誰でもない、お前の事が好きなんだよ!! 天海志騎って男の子の事が、アタシは大好きなんだよ!! なのに、どうして自分は幸せになっちゃいけないとか、好きになる事なんかないって言うんだよ!!」
「……ぎ」
「……どうしてだよ。どうしてそこまで他人の事を考えられるのに、自分の事を考えてあげないんだよ。誰かの事を幸せにしてあげたいなら、自分がまず幸せにならないと駄目だろ……。それなのに、どうして……」
「………だって、俺は、化け物で………だから、生きてちゃいけなくて……」
戸惑いながらも志騎がなおも自分を否定すると、ついに銀は志騎の両手から手を離した。そして銀は志騎から離れると、ボロボロと涙をこぼれてコンクリートの地面に丸い点々を残す。
「……ごめんね、志騎。ただの幼馴染にアタシにこんな事を言われても、困るだけだよな……。それなのにアタシ、お前に怒鳴っちゃって……。こんなんじゃ、お前に相談されなくて当たり前だよな、本当、馬鹿みたいだ……」
「違う、それはお前のせいじゃ……」
しかし志騎の言葉を聞かず、銀は志騎の前から走り去っていく。彼女の目から零れた涙が、夕方の光を反射しながら宙に舞う。
「銀っ!」
必死に彼女の後を追おうとするが、その瞬間全身に激痛が走り志騎はその場にうずくまってしまう。銀の方もそんな志騎に気づかず、彼との距離を離して行った。
「銀、待って……」
どうにか彼女の背中に右手を伸ばすが、紋様から伝わる焼けるような激痛と吐き気のせいでろくに動く事も出来ない。しかし何よりも志騎にショックだったのは、ずっと笑顔でいて欲しいと願った少女を、他の誰でもない自分が泣かせてしまった事だった。その事実に何よりもショックを覚えていた志騎が右手の拳を握りしめた、その時。
『あーあ。まったく酷い子だね』
「っ!?」
突然頭の中に声が響き、目の前に少女の姿が現れる。少女――――天の神はニタリと笑うと、かがみこんで志騎の顔を見る。
『あなた達の事を心配して話さないようにしてたのに、勝手にあれこれ考えて逃げちゃうんだもん。本当に苛立たしいよね?』
「……うる、さい。お前には、関係ない……!!」
どうして天の神が再び現れたのかは分からないが、そんな事はどうでも良い。今は銀を追わなければ。
『ねぇ、もうこれで分かったでしょ? 人間って本当身勝手で救いようがない生き物なんだよ。あんな奴ら、命を懸けて護る価値なんてないよ。もういい加減、全部忘れて楽になっちゃいなよ』
「うるさい……!!」
『それとも、ここまでされてまだ人のために戦うの? ねぇ、もう素直になっちゃいなよ。全部全部忘れよう? どうせ人間なんてあなたが護らなくても勝手に自分達で憎み合って滅んでいくんだし、それだったらいっそ私達の手で皆殺しにした方が良いと思わない? その方が、あなただってきっと楽――――』
「……うるせぇ、っつってんだよ!!」
ブン!! と志騎の裏拳が天の神の顔面に放たれるが、裏拳は天の神の顔を通り過ぎる。天の神はそんな志騎の様子をつまらなさそうに眺めてながら、さらに言う。
『……ふぅん。まだあきらめないんだ。まぁでも、この状態だと時間の問題かな? あなたが諦めるその時まで、もう少し待ってあげるよ』
最後まで憎たらしい言葉を吐きながら、天の神の姿はすぅっと消えた。その場に残されたのは、体に走る激痛と吐き気、さらに突然発生した通常では考えられない高熱で意識が朦朧とし始めた志騎だけだった。
「く、そ……」
志騎はベンチにある自分の鞄を手にして、ふらふらとした足取りでどうにかマンションへと歩いていった。
それから志騎一人歩いていたが、現在の体調は最悪だった。
紋様から叫び出したくなるほどの激痛と吐き気が体を襲い、頭が高熱を帯びているせいか意識が朦朧とする。足取りはフラフラで、少しでも気を抜いてしまえば人にぶつかってしまいそうである。視界も薄ぼんやりとしか見えておらず、耳に入ってくる人々の言葉が何を言っているのかすらも分からない。
(……あ、れ? おれ、いつのまに、しょうてんがいのほうに……?)
どうやら自分はあれから住んでいるマンションではなく、学校近くの商店街まで来てしまったらしい。意識が朦朧しているとはいえ、まさかここまで酷くなっているとは。少し休んだ方が良いと思い、志騎は人気のない裏路地に入り、人に見つからないようにしばらく歩くとその場に座り込もうとする。しかしその直後、胸の奥から吐き気が沸き上がり口元を抑える。朦朧とする意識の中、志騎が荒い息をついた時だった。
「――――い、――――み、――――じょう――――か?」
どこからか声が聞こえ、志騎が目を向けるとそこに二人ほどの男性が自分に歩み寄っているのが見えた。ぼんやりと見える姿から推測すると、恐らく警察官だろう。この辺りは薄暗く人の通りもほとんどないが、それは同時に犯罪にも使われやすいという事でもある。そのため、警察官もこの辺りを巡回していたのだろう。
「――――てる、――――い? ――――かな?」
「――――ぱい、――――う?」
「――――――――な。――――――――ず、――――しゃを」
目の前の警察官が何かを言っている。何かを言いながら、自分に手を軽く当てようとしている。
それを見た志騎は、左手で警察官の手を払った。
誤解が無いように言っておくと、警察官が志騎に何か危害を加えようとしたわけではない。単に顔が赤い志騎を見て、ひとまず熱がどれぐらいあるか確かめようとしただけだ。
が、意識が朦朧としている志騎にそんな事はどうでも良かった。
ただ、目の前の
志騎が手を払うと、警察官二人が困惑している。しかしどうでも良い。
人間が何か騒いでいる。しかし、そんな事はどうでも良い。
「――――るな」
志騎がふらりと立ち上がりながら、人間二人を睨みつける。
視力の機能を失っているはずの左目に青色の幾何学模様が浮かび上がり、背中からバキキ……と音を立てながら刃物のような形をした純白の翼が広がる。
「俺に、触るな……!!」
直後。
ドッ!! という音と共に翼が振るわれたかと思うと、柔らかい肉が切り裂かれるような音と液体が飛び散る音が響いた。
空白になっていた意識が戻ってくる。
ぼんやりとしていた思考が動き始める。
ようやく正常の思考を取り戻した志騎の視界に飛び込んできたのは、毒々しい赤だった。
「――――えっ?」
場所はどこかの路地裏の一角。その一角だけが少し広くなっており、中央に志騎は立っていた。今夜は月が明るく、街灯などが無くても辺りの様子が簡単に見て取れる。
だからこそ、志騎には見えてしまった。
自分の周囲に、警察官らしき男性が二人が転がっているのを。
彼らの体から、決して少なくない量の血潮が流れているのを。
そして。
自分の体が、血にまみれているのを。
自分が立っている一角の惨状、倒れている警察官達、そして自分の体についている血液。
それで志騎は、察してしまった。
自分が、やったのだと。
彼らを、殺したのだと。
「………っ!!」
その瞬間、鼻孔に血の鉄臭い匂いが入り込むと共に、猛烈な吐き気が志騎を襲う。そこまで来たところで、志騎の我慢は限界を迎えた。
「う、おぇえええええええええええっ!!」
びちゃびちゃ、とうずくまって胃の中に残っていたものを全てその場に吐き出す。
血液と吐瀉物が混じり合い、奇妙なマーブル模様を描く。鉄の臭いと吐瀉物の臭いが混じり合った、吐き気を催す悪臭が周囲に漂う。
しかしそんなの、志騎にはどうでも良かった。荒い息をつきながら、自分の周囲に転がる二人の警察官の姿を志騎は見る。ついさっきまでは生きていたはずの、人の姿を。
そして両手を持ち上げて掌を見ると、うずくまった際についたのか掌一面に血液がべっとりとついていた。目に飛び込んでくる赤に、彼の血に染まった両手がカタカタと震える。
そんな彼の頭に、この前出会った天の神の言葉が木霊する。
『私がいたから人が死ぬんじゃない』
「――――あ」
『君がいるから、人が死ぬんだよ』
そして。
天海志騎は、壊れた。
「あ、ああああああああああああああああああああああああっ!! ああああああはは、あははははははははははははははははははははっ!!」
もしも志騎がいつもの状態であれば、人を傷つけてしまった事に動揺すれどここまで壊れる事は無かっただろう。すぐに刑部姫に連絡をし、警察官達の救命措置を行ったに違いない。
が、今日の志騎の精神状態は最悪だった。
苦しむ友奈に対して何もできない自分に対する無力感。自分を好きだと言ってくれた銀を泣かせてしまった強い精神的ショック。さらには天の神の精神攻撃に加え彼女の接触により志騎のタタリの力は増し彼を苦しめた。そしてついに人の命を奪うという決してやってはならない事をしてしまった。
それらの事実が、覚悟を決めていたはずの志騎の心を呆気なく壊してしまったのだ。
叫ぶ彼の口から、笑い声が漏れる。
壊れてしまった化け物の、悲しいまでの笑い声が夜空に木霊する。
「あははははははははははははっ!! 殺した!! 殺した!! 俺が殺した!! 俺が壊した!! あはははははははははははははは!!」
笑いながら、地面を両手の指で引っ掻く。傷つく指先から血が流れると共に体内のバーテックスの力で修復され、回復する。さらに彼は頭を両手で抱えると、血で濡れたコンクリートの上をゴロゴロと転がる。耐えがたい鉄臭さが彼の体を覆い、血でコートが汚れ、水色がかかった白髪が赤く染められる。しかしそんな姿になっても、志騎は血の上で暴れ続けた。
「はははははははははは、ああ、ああああああああああああああああああああっ!! あああああっ!? あああ、ああああああああああああああああああああっ!!」
天海志騎は暴れまわりながら獣のような咆哮を上げていたが、徐々にその叫び声は小さくなり、ついに何も聞こえなくなる。静かになった志騎は、全身血まみれで地面に両膝をついて何も言わずにしゃがみこんでいた。
そんな彼に近寄ってきたのは、天の神だった。彼女は血の上を足跡も残さずに歩きながら、この場にそぐわない呑気な声で言葉を紡ぐ。
『あーあ。ついに殺しちゃったね』
「…………」
『でも、これで分かったでしょ? 私がいるから人が死ぬんじゃない。君がいるから、人が死ぬんだよ。だってそれがあなた達天使だもん。そこにいるだけで人を殺す、私の可愛い可愛い殺戮の天使達。そんな子が、そもそも人を護りたいって思う事自体が間違いだったんだよ』
「…………」
『……あらら。完全に壊れちゃったか。ま、それも仕方ないよね。今まで人を護るために頑張ってきたのに、ついに人を殺しちゃったんだもん。こうなっちゃうのも無理ないか。――――良かった! タタリの紋様を通して色々仕込んだ甲斐があったよ!! ……じゃあ』
そして天の神はしゃがみ込んでいる志騎の真後ろに近づくと、笑みを浮かべながら彼の背中に手を当てた。
『――――君の
すると天の神の体が志騎に吸い込まれるように消えていく共に、彼の体が純白に光っていく。人間の姿から、別のものへとゆっくりと変化していく。
やがて光が収まると、そこには志騎のもう一つの姿である彼のバーテックス態があった。バーテックス態に変化した志騎はゆっくりと立ち上がると、自分の両手の指先をくいくいと動かす。
「ふーん。うん! 悪くないね! さすがは私の天使、動かしやすい!」
だがバーテックスとなった志騎から放たれたのは、彼の声ではなく天の神のものだった。志騎……否、彼の肉体を乗っ取った天の神は身体の調子を確かめると、嬉しそうな口調で呟く。
「さーてと! これからどうしようっかなぁ。折角だし、結城友奈以外の勇者を殺しに行こうかなぁ? 大赦を潰すのは最後にしておきたいし、潰せるものは今から潰しておいた方が……」
まるで明日の遠足を楽しみにする小学生のような声音を天の神が出していると、カツンという足音が響き渡った。
「……ん?」
人っ子一人いなかった路地裏に、その足音は殊更に大きく響いたようだった。天の神が音の聞こえてきた方向に目を向けると、そこには二人の少年が怯えた表情で立っていた。
――――天の神は知らなかったが、その場所は二人の少年……高橋在人と佐藤良太がたまに通る近道だった。とは言ってもさすがの二人も暗く人通りが少ないこの道を夜に歩く事はあまり無かったのだが、この日在人は良太のいる喫茶店にいた。そして良太が買い出しを頼まれ、友達想いの在人がその手伝いを申し出た。もうすでに日は落ちていたため、二人は早く帰るために少しでも時間を稼ごうとしてこの道を通っていたのだ。
しかし、本日に限ってその選択肢は悪手だった。
物音を聞いてやってきた二人の目に入ったのは、血を流しながら倒れる二人の警察官。そのそばに佇む、全身白色の異形だった。その異形が、銀色の双眸を自分達に向けている。
一瞬で異形の脅威を悟った在人は、良太に叫んだ。
「良太、逃げろ!」
だが良太の方は異形を目の前にして頭が真っ白になったのか、身動きする事すらできないようだった。それも仕方ないと早々に察した在人は少しでも彼が逃げる時間を稼ぐために、異形目掛けて走り出すと体当たりをかます。普通の人間なら、その威力によろめくか、最悪地面に倒れていただろう。
「……なぁに、君?」
が、相手はバーテックスの体を乗っ取った神。天の神は自分に体当たりしてきた在人の胸倉を掴むと、コンクリートの塀に叩きつける。背中から走る衝撃に在人の呼吸が一瞬停止し、地面に落ちると咳き込んだ。
「あはは、運が悪いね君達。安心してよ、君を殺したら、すぐにあっちも……」
天の神が在人にゆっくりと近づこうとした瞬間、バーテックスの頭部にガン! という音と共に何かが直撃した。
天の神がゆっくりと振り返ると、そこには落ちてあった大き目の石を天の神の頭に降ろ下ろした良太の姿があった。どうやら倒れている在人の姿に我を取り戻して、どうにか逃げる時間を稼ごうとしたのだろう。だが、そんなものは銃弾すら無効するバーテックスの肉体に通じるはずもない。
「あはは、馬鹿だね、君。この子を見捨ててさっさと逃げれば良かったのに」
良太の浅慮を嘲笑うように、天の神は良太の顔面に裏拳を放つと、華奢な彼の体が宙を舞い地面に倒れる。攻撃を受けた彼はぐったりとして、動かなくなってしまった。死んではいないようだが、どうやら気を失ってしまったらしい。
「良太!!」
在人は叫びながら、とどめを刺そうと良太に近づく天の神にしがみつく。けれどやはり力の差は歴然で、天の神は乗っ取った身体の膂力で在人を振り払うと彼の体を殴り飛ばす。良太と比べると肉体が弱いわけではないとはいえ、それでもバーテックスの打撃を食らった衝撃のせいで口の中を切ってしまったらしく、良太のすぐそばの地面に倒れた在人は口の中に血の味が広がるのを感じる。
「あはははははははっ! よくもまぁそこまで無駄な事ができるね!」
嘲笑いながら、天の神は二人に近づいていく。一方で在人が天の神を睨みつけると、ん? と天の神はそこでようやく在人の顔に見覚えがあるのを感じ取った。否、正確には自分が乗っ取った天海志騎の記憶の中に、彼の顔と良太の顔があるのに気づいたのだ。
「あれ? 君は……ああ、確か高橋在人だっけ? この子と同じ学校の」
「……なんで、俺の名前を……?」
今まで見た事が無い怪物が自分の名前を知っていた事に在人は驚くものの、当然その理由を目の前の異形が話すわけもない。天の神は何がおかしいのか、笑いながら言う。
「知ってるよー? 常日頃から、夢について色々言ってる子でしょ? 言っておくけど、無駄だよ? だって
二人を殺す事を忘れたように、天の神は笑う。
が、この時在人の脳裏にある映像が浮かび上がっていた。
自分のギャグで笑う父親。
自分達に迫るトラック。
そして、血まみれになりながらも自分に微笑む父親の顔。
『……在人、夢に向かって飛べ』
「……笑うんじゃねぇよ」
「ん、何か言った?」
天の神の目の前で、在人はダメージが残る体で立ち上がる。
彼の目には、確かに目の前の存在に対する怒りが宿っていた。
「何も分かってないくせに、人の夢を笑うんじゃねぇよ!!」
が、天の神はまだ余裕を崩さない。クスクスと、表情のないバーテックスの体で笑いながら、
「分かってるよー。夢っていうのは、将来の目標や、希望、願望を示す言葉で、なーんの根拠も無いただのもうそ……」
「人の夢っていうのはな!!」
在人の言葉が、天の神を遮る。
例え何の力も無くても。
夢を叶えるために毎日を生きる、強い力を秘めたただの人間の言葉が、その場に響き渡る。
「検索すれば分かるような、そんな単純なものじゃねぇんだよ!! たくさんの人達が胸に抱いて、そして受け継いできた大切なものなんだよ!!」
高橋在人は知らないが、それはこの三百年間欠かさずに受け継がれてきたものでもある。
またの名を『勇気』。またの名を『希望』。またの名を『願い』。
例えどれだけ時がかかってしまっても、奪われたものを、平和な世界を取り戻す。
何人もの勇者達がそのバトンを受け取り、そして今に至るまで繋いできた『夢』なのだ。
それを笑う権利など誰にもないし、誰にもできない。
ましてや、こうして目の前で夢について嘲笑う神になど。
この時確かに……何の力も無いちっぽけな人間は、絶対的な神に対して牙を剥いた。
対する、神の反応は。
「…………うっざ」
雰囲気が、変わる。
ついさっきまではまるで子供のように無邪気で残酷な雰囲気を漂わせていた天の神の気配が、一気に冷酷になる。明らかに人間のものでは無い威圧感が辺りを満たし、在人の体がビリビリと震える。が、彼の目が逸らされる事は無い。怒りという感情が込められた彼の目は、まっすぐに天の神に向けられた。
それすらもただただ腹立たしくて、天の神が背中の両翼を広げた。
「もう良いよ。うるさいし、あなたは死んじゃえ。夢を語りながら死ねるなら、あなたも本望でしょ? 夢を見る権利も資格も未来も無いくせに、ただ威勢だけは良い。……本当、
背中から大量の羽が舞い散り、全てが光り輝いたかと思うと全ての羽の切っ先を在人と良太に向ける。霊力が込められたそれらはいわば羽の形をした弾丸だ。これらが全て直撃すれば、二人の少年など原型をとどめずにぐちゃぐちゃの肉塊になる。
「はい、これで終わり。――――死ね」
冷酷なる断罪の言葉の直後。
大量の羽の弾丸が、在人と良太の二人を襲った。
凄まじい破壊力を持った羽の弾丸は地面を破壊し、土煙が周囲に舞う。そのせいで二人の姿も見えなくなってしまったが、別に構わない。どうせあの攻撃を食らってしまえば、人間如きでは耐えられないのだから。
「………はぁ。嫌な気分になっちゃったなぁ」
さっきの在人の顔を思い出して、天の神は自分の心の中で不快感が膨れ上がるのを感じる。どうにか自分を落ち着かせようと、二人がいた場所に背を向けて一度深呼吸しようとしたその時。
ある、異変に気付いた。
「………?」
背後から突然霊力を感じた。ついさっきまでは感じられなかったのに、まるで突然現れたように。
思わず天の神が振り返ると、土煙が徐々に晴れていて、地面に気を失った在人と良太が倒れているのが見えた。
いや、正確には二人だけではない。
まるで二人を護るように、白色の大蛇が巻き付いていた。
「式神……!?」
驚愕する天の神はそこである事に気づき、倒れていたはずの警察官二人にも目を向ける。
今まで気づかなかったが、彼らの体にも大蛇が巻き付いている。しかもよく見ると、彼らの体に合ったはずの傷が徐々に小さくなり、出血も収まっていた。
(隠蔽と回復の術式。二つの複合術式が重ね合わさった式神! いくら人間でも、こんな事は簡単にできない! って事は……!)
天の神が初めて内心驚愕していた刹那。
彼女を襲うように大量の鳥の形をした式神が天の神を襲い、刃のように高質化した翼と弾丸の如く突進力でバーテックスの体を襲う。
「ぐっ!」
いくらバーテックスの肉体を乗っ取っているとはいえ、霊力が込められている以上バーテックスの体を傷つける事はできる。思わず天の神が両腕で顔面を覆うと、大量の鳥型の式神の中にいた一体がナイフの形に変化、バーテックスの胸部に放たれる。
(マズい! 大量の鳥の式神は囮! 本命はこっちか!)
気づくものの、もう遅い。
式神が変形したナイフがバーテックスの胸に突き刺さり、そこから大量の純白の光が迸る。
「ぐ、あああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
天の神は叫びながら、どうにか胸に刺さったナイフを抜こうとするが、すでにナイフの実体はない。勝負はナイフが突き刺さった時についていたのだ。となると、結果はもう明らかである。
パァン!! という何かが弾ける音と共にバーテックスの体から天の神の精神体が飛び出し、吹き飛ばされた彼女の体はどうにか地面へと両足をつける事に成功する。一方でバーテックスの体の方は志騎の姿に戻り、気を失った彼は地面に倒れそうになるがその体を何者かが優しく抱き留める。
「志騎を見張っておいて正解だったな。まさかこんな大物が釣れるとは。しかし三ノ輪銀の奴、ここまで志騎を追い詰めやがって……。本当に殺すかあのクソガキ」
荒々しい口調でここにはいない少女を罵りながら、志騎を抱き留めた少女は精神体となった天の神に視線を向ける。天の神の方は、ふーふーと荒い気をつきながら現れた少女に好戦的な笑みを浮かべた。
「あはは……。失敗したなぁ、あなたが来る可能性を忘れてたよ。考えてみれば、気づくべきだったんだよねぇ。結城友奈や天海志騎にタタリがかかってるのを、あなたがいつまでも気づかないはずがないし。それにこれだけ大騒ぎして人が全然来ないのもおかしいし。ようやく彼の体が手に入った事に喜んで、警戒してなかったってのもあるけど、私も間抜けだねぇ」
「別にそう悲観する事は無い。相手が私以外だったら、とうに志騎を手に入れて勇者共を殺していただろう。さすがは人類を滅ぼしかけた張本人だな、天の神」
「あはは。あなたに言われても、嬉しいどころか逆にムカつくだけだからやめてくれない?」
笑いながらも、天の神は敵意と憎悪を秘めた鋭い眼差しを相手から外さない。真正面の相手を睨みながら、天の神は少女の名を口にした。
「――――ねぇ、氷室真由理?」
天の神の言葉に。
少女――――勇者装束を身に纏った氷室真由理は、小さく口角を上げた。
今回在人が天の神に啖呵を切った場面は、例え勇者の力が無くても、自分が信じるも のを馬鹿にする者は相手が神でも許さない。そういった、なんの力も無いただの人間の信念や想いが伝わるように書きました。
さて、今回は氷室真由理と天の神という、本作で間違いなくヤバイ二人が出会いました。次回は必然的にそのヤバイ二人の会話から始まりますので、もうしばらくお待ちください。