志「息抜きか……。まぁ、戦いの合間にはちょうど良いかもな」
刑「ああ。精々ゆっくりしておくといい。……これが終わったら、運命の分岐点が待っているからな」
志「……? 何の事だよ?」
刑「なぁに。お前はまだ知らなくていい。勘のいい奴ならもう気付いているさ」
志「相変わらずお前の言っている事はよく分からないな……」
刑「まだ分からなくていいさ。じきに知る時が来る。では第八話、張り切って行ってこい」
神樹館は格式が高いとはいえ小学校なので、施設自体はごく普通のものである。
だがその広い敷地には、他の小学校ではなかなかお目にかかれない施設がある。
それは、勇者達が鍛錬を行うために使用される訓練場だ。
そして今、訓練場では四人の勇者達が鍛錬に励んでいた。
「はぁっ! そいっ!」
「えいっ! やぁっ!」
「はっ! しっ!」
安芸が見守る前で園子、銀、志騎がそれぞれ武器を鋭く振り、ゆっくりと構えを変えながら再び武器を鋭く振るうといった動作を繰り返す。
三人の近くでは須美が素早く移動しながら訓練場のそばにある池に浮かぶ的に次々と矢を放っていた。矢が的のど真ん中に当たると、そのたびに生じる爆風が鍛錬をしている三人に吹く。そして須美が最後の的の台に矢を放ち、台に矢が当たると同時に爆発して的が空中に浮かぶと、素早く的に狙いを定めて矢を放つ。例え相手が空中に浮かんだ的であってもその狙いは非常に正確で、矢は見事的の真ん中に当たると爆発を起こした。
ちなみに、安芸の隣では刑部姫がつまらなさそうにタブレットを操作している。正直、志騎は何のためにお前はいるんだとツッコミたい気持ちでいっぱいだった。
やがて安芸の近くにある砂時計の中にある砂が完全に落ちて訓練の終了を告げると、安芸が声を張り上げた。
「それまで!」
それを合図にして四人は鍛錬を終えると、安芸の前に集まった。
「勇者の力は、唯一の例外である天海君を除いて、神樹様に選ばれた無垢な少女でなければ使えない。あなた達に頑張ってもらうしかないわ」
「ま、私としては正直お前達のような奴らに任せるのは不安でしかないがな」
安芸の言葉の合間にそんな野次を飛ばす刑部姫に、志騎の反撃が飛んだ。
「この間の戦いに出てこなかった馬鹿は黙ってろ。お前俺のサポートなのに何してるんだよ」
「うぐ……仕方ないだろ。私にも私なりの事情があるんだ」
どうやらこの間出現した地震を起こすバーテックスとの戦いの時に現れなかった事を根に持っているらしく、志騎の言葉と視線はややきつい。さすがの刑部姫も、いつもと比べるとその口調にはやや力が入っていない。しゅんとした刑部姫の姿はまるで母親に怒られる子供のようで、いつも憎たらしい笑みを浮かべている姿とは売って違って可愛らしさすら感じさせる。その姿に須美達がこらえきれずにくすくすと笑うが、それには我慢がならなかったのか刑部姫が三人をギロリと睨む。そしてお得意の毒舌が炸裂しかけたその時、安芸がこほんと咳払いをしてそれを止めた。私語はやめろという事だろう。それに四人は表情を引き締めて安芸に向き直り、刑部姫もちっと軽く舌打ちをすると腕を組んで黙り込む。
「……そこで、次の任務を命じます。あなた達の次の任務は……」
安芸は一度言葉を区切ると、緊張で唾を飲み込む四人に命令を下す。
だがその命令は、四人にとっては意外なものだった。
「----しばらくの間、しっかりと休む事」
「「「「えっ?」」」」
予想外の言葉に、四人は思わずきょとんとしながらそんな声を出す。安芸は口元に笑みを浮かべながら、
「安定した精神状態でなければ変身はできない。張りつめっぱなしでは、最後まで持たないからね」
「やったー! 休むのだったら任せてください!」
「私も私も! イエーイ!」
安芸の言葉に銀は歓声を上げ、同じく歓声を上げた園子と嬉しそうにハイタッチを交わした。そんな二人を横目に見ながら、志騎は内心こんな事を思う。
(休みか……)
確かに考えてみれば最近は勇者の訓練ばかりだったので、あまり休んでいなかったように思える。だがそれでは肉体も精神を疲れ切ってしまい、いざという時に力を発揮できないかもしれない。ここは安芸の言葉に甘えて、少し休ませてもらうのも良いだろう。
そこまで志騎が考えていると、安芸が志騎に向かって口を開いた。
「それと、天海君。近い内に定期健診があるから、忘れないでね」
「あ、はい。分かりました」
志騎がその言葉に頷くと、安芸は解散を告げて刑部姫と一緒に訓練場から立ち去った。すると二人の会話を聞いていた園子と須美が志騎に声をかける。
「ねぇあまみん。先生が言ってた定期健診って、何の事?」
「学校の……じゃないわよね。もう四月に受けたし……」
二人は最初学校で受ける健康診断の事かと思ったが、それならば志騎一人に言うのは少しおかしいし、何よりも須美の言った通り四月に受けたばかりだ。だとすると、安芸が言っていた定期健診というのは一体何の事だろうか。
「俺が病気でずっと意識不明の状態が続いていたのは話したよな? 一応病気はもう治った事になってるんだけど、本当にきちんと治ったか、後遺症とかはないか調べるために月に一度病院で定期健診を受けてるんだよ。安芸先生の付き添いでな。大抵は土曜日とかにやるんだけど、病院や先生の都合もあるからたまに平日に受ける事もあるんだ」
「そうだったんだ……。仕方がない事かもしれないけど、大変ね。病気が治っても病院に行かなくちゃならないなんて……」
須美が言うと、話を聞いていた銀が補足するように口を挟んだ。
「いや、これでも回数はだいぶ減った方なんだよ。まだ神樹館に入りたての頃はそれこそ週に一回は通ってたし、なんか薬も飲んでたよな?」
「ああ。まぁ今はもう月に一回程度の検診で済んでるし、薬ももういらないって事になってるけどな」
「へぇ~。でも定期健診って事は、やっぱり注射とかするのかな~? うう、痛そ~」
注射されるときの痛みを思い出したのか、園子は泣きそうな声を出した。
「まだ神樹館に入りたての頃はあったな……。まぁ注射も今じゃしなくなったし、検査の時間もだいぶ減ったけどな」
「検査って、具体的には何をするの?」
「別に変わった事はしない。心音測定に血圧診断とか、あとはCT検査だな。最近はもう午前中で終わるしな」
「そうなんだ。でもお役目の事もあるし、定期健診を受けられるのはむしろ幸運かもしれないわね」
須美が言うと、何故か銀がにやにやといたずらを思い出した子供のような笑みを浮かべだした。
「なんだったらあたしもついていってやろうか? 注射の時不安にならないように手を握ってても良いぞ? ん?」
「注射は今じゃしなくなったって言っただろうが!」
ピン、と志騎は自分をからかう銀の額にデコピンをかました。銀は痛っ! と額を抑え、二人のやりとりに園子と須美が笑い、デコピンで軽い制裁を与えた志騎はやれやれと言うように肩をすくめるのだった。
日曜日の朝、志騎は自宅の縁側に座りながら何をするか悩んでいた。最近は勇者の訓練ばかりだったので、いざこうして休暇を与えられると何をやるべきか分からなくなってしまう。勇者になる前は普通に休日を過ごしていたのだが、勇者となった今では訓練やバーテックスの事が頭をちらついてしまい気を休ませる事が難しくなってしまっていた。なお、安芸先生は大赦本部で何やら仕事があるらしく、朝から出かけている。とは言っても仕事自体はすぐに終わるらしいので、昼には戻ってくるとの事だった。
「まぁ、折角の休みだし部屋の掃除でもしてからボトルシップを作るか。最近は訓練であまり作ってなかったし……」
実は志騎の趣味は読書ともう一つ、ボトルシップ作りである。しかもその腕前は一度作った船を分解してから、ピンセットを使って瓶の中で船を組み立てるという高度な作業を行えるほどだ。ちなみに、初めて作ったボトルシップは今も志騎の部屋の中の数少ないインテリアとして飾られている。
志騎が縁側から立ち上がったちょうどその時、ポケットの中のスマートフォンが着信音と共に震えた。スマートフォンを取り出してみると、志騎達四人が連絡に使用しているアプリが起動していた。画面の上部には『仲良し四人組』というグループ名が表示されており、その下にはグループ参加者の会話の履歴が表示されている。
そして会話の内容はこんな感じであった。
『今、そのっちと二人で向かっているわ』
『朝早っ!』
『ひょーーーーー!!』
『あたし…超待ってるわん!』
「テンション高いなあいつ……」
会話の履歴を見て志騎は思わずそう呟いた。会話から見て分かる通り、履歴の一番上に表示されている文章を送ったのが須美、次にテンション高めに文章を送っているのが銀だ。朝から元気な少女である。
それに志騎は思わず口元に笑みを浮かべると、『了解。家で待ってる』と入力して送信した。部屋の掃除やボトルシップ作りはいつでもできるし、彼女達となら勇者やバーテックスの事を少しは忘れて休日を過ごす事ができるかもしれない。
と、そこで志騎はある事に気付いた。
「そう言えば、安芸先生や銀以外の誰かと休日を過ごすのは初めてだな」
今まで休日は、大抵部屋の掃除やボトルシップ作りなど一人で過ごす事が多かった。誰かと一緒に過ごしてきた事もないわけではなかったが、その場合は安芸や銀と一緒に過ごす事が多く、それ以外の人間と休日を過ごした事はあまり記憶にない。クラスに話す人間が全くいないというわけではないが、休日に一緒に遊ぶほどの仲である人間は銀ぐらいで、それ以外のクラスメイトと一緒に休日を過ごす事はこれまで無かった。だから、銀もいるとはいえクラスメイトと遊ぶのは今回が初めてとなる。
「………」
言葉にしてみれば、四人一緒に集まって遊ぶだけだ。
なのに、何故か志騎にはそれが少し嬉しく思えた。
銀のように言うならば、『ワクワクしている』と言い換えても過言ではないほどに。
「……着替えるか」
四人集まって何をするかは分からないが、とりあえずまず行う事は部屋着から外出用の服に着替える事だ。志騎はスマートフォンをポケットにしまうと、自分の部屋へと向かうために朝日が照らす縁側を歩いていく。
そしてその後、志騎は天海家に来た須美と園子が乗ってきた車が豪華なリムジンである事に驚きで顔を引きつらせるのだった。
四人を乗せたリムジンが向かったのは園子が住む乃木家だった。乃木家に足を踏み入れるのは志騎自身初めてだったが、さすがは大赦の中でも最高の権力を持つ家だからか、住んでいる屋敷だけでなく敷地もかなり広い。おまけにクラスの噂通り使用人の数も多いので、一般家庭の出身の志騎としては表情には出さないものの気圧されるばかりである。
そして四人は、屋敷の一室で早速休日ライフを満喫しようとしていたのだが。
「何で俺だけ追い出されたんだか……」
志騎は何故か、部屋に入るなり園子に「あまみんはちょっと待っててね~」と告げられ、理由も分からず部屋の外で待っている事になった。スマートフォンを取り出して時刻を確認してみると、十分ほど経過している。一体中で何が行われているのだろうか。
気になる事は気になるが、中を覗くわけにもいかない。部屋から出される際、園子から「良いというまで、部屋の中を決して開けたり見てはいけませんよ~」と念押しされているからだ。なお、その際どこの鶴の恩返しだとツッコむのも忘れなかった。
だからこうして待っているのだが、中からは何故か液体が飛び散る音やシャッター音が時たま聞こえてくる。シャッター音は何かの写真を撮っているのかと思うが、液体が飛び散る音は分からない。飲み物のような物も三人は持ち込んでいなかったので、そもそも液体がない。じゃあ、何故あんな音が聞こえてきたのだろうか。
志騎は首をかしげていると、ようやく中から園子の声が聞こえてきた。
「あまみん、入っていいよ~」
「ちょ、ちょっと待ってって園子! やっぱりこの服はあたしには……!」
何故か銀の慌てる声が聞こえてきたが、園子が入っていいと言ったからには入らないわけにはいかない。志騎は襖を開けると、部屋の中へと再び足を踏み入れる。
----そして直後、目を丸くした。
「し、志騎……。その……あまり見ないでくれると助かるんだけど……」
そう言ったのは照れたように頬を赤くしている銀だった。彼女の横では園子がニコニコと笑顔を浮かべており、須美に至っては何故か鼻にティッシュを詰めて、プロのカメラマンが持っているようなカメラを手にして銀を撮っていた。どうやら先ほどから聞こえてきたシャッター音は彼女だったらしい。どうでも良いが、彼女のカメラのシャッターを押す速度が速すぎる。下手をすれば残像すら見えそうだ。
だが、今の志騎の目は銀の服装に目を奪われていた。
彼女が着ているのはいつもの彼女ならば着ないであろう、上品な雰囲気を漂わせているワンピースだったのだ。当然乃木家に来た時には着ていなかったでの、この部屋で着替えたのだろう。だとすると志騎が部屋から出されたのも当然だ。男子がいる前で着替えを行うわけにもいかないだろう。
「あ、あのさ志騎……やっぱりあたしにはこんな服……似合わないかな……」
と銀は消え入りそうな声で言うが、正直なところそんなわけはまったく無かった。
基本的に勝気な口調で話す銀だが、そもそも彼女の容姿はかなりと言っていいほど整っている。まさに、お人形さんのようという形容詞をつけてもまったく問題がないほどだ。そんな彼女が今着ているようなワンピース姿でいると、まさに園子のような名家のお嬢様と言っても過言ではない。おまけに髪の毛につけている一輪の薔薇の髪飾りが、その魅力をさらに引き出している。正直もう少し成長した姿でこの格好をして街を歩けば、周囲の男性の視線を引く事間違いなしだろう。
志騎は驚いたようにぱちぱちと数回瞬きをすると、銀に言った。
「いや、結構似合ってると思うぞ」
「そ、そうか? あたしには可愛すぎるんじゃないかと思うけど……」
「……? 何故だ? そうでもないだろ。元々お前美人だし」
「美……!?」
志騎の発言に、銀はさらに顔を赤くすると志騎に背中を向けてうずくまってしまった。その銀を須美がさらにカメラを向けてパシャパシャと撮りまくるという、ある意味カオスな光景が志騎の眼前で展開される。一方、思った事をそのまま言っただけなのに銀が何故かうずくまってしまった事に志騎が困惑した表情を浮かべると、そんな志騎に園子がほんわかとした調子で告げた。
「あまみんは天然さんだね~」
「……え? ちょっと待て。俺お前に言われるほどなの……?」
どうやら園子に言われるとは思っていなかったらしく、志騎は驚きを通り越してショックを受けてしまったらしく園子の顔を目を見開いて凝視した。普段あまり表情を変えない彼にしては、かなり珍しい反応と言える。
そして志騎がショックで固まっている間にも銀の写真を撮りまくる須美を見て、園子が言った。
「何だか今のわっしーって……プロみたいで素敵ー!」
「………」
どちらかと言うと変質者……という言葉をショックから立ち直った志騎は飲み込んだ。さすがにそんな事を言っては須美が傷つく。基本的に人には無関心そうに見えるが、志騎は人への気遣いがきちんとできる子である。
「はぁ~……写真は愛よ! 愛! 今日はとことん見目好い服に挑戦よー!」
「ええっ!?」
須美の言葉に銀は慌てるものの、時すでに遅し。その後銀は着せ替え人形のように様々な服を着せられ、そのたびに須美から高速でシャッターを切られる羽目になった。
ようやく銀のプチファッションショーが終わる頃には、銀は両腕で膝を抱える形でしゃがみ込み、恥ずかしそうに頬を膨らませていた。そして半ば銀の専属カメラマンと化していた須美は部屋の中心に横たわりながら、満足したように息を吐いていた。
「はぁ~……良かったわ」
「何がだよ!」
本当に満足そうに言う須美に、銀の突っ込みが飛ぶ。と、何やらクローゼットをいじっていた園子が口を開いた。
「じゃあ次は、わっしーの番ね」
「……えっ!?」
園子の口から出た自分の名前に、須美は驚いて体を起こす。そんな須美の目の前で、園子は一着のかわいらしいドレスを取り出しながら、
「このお洋服とか、似合うと思うよ~」
「だ、駄目よ! そんな非国民な恰好!」
「いやー似合うと思うなー!」
「ええっ!? そんなぁ!」
さっきの意趣返しだと言わんばかりに、銀が
「た、助けて志騎君!」
「着替え終わったら呼んでくれ」
「志騎くーん!?」
だが悲しきかな、志騎は須美に一瞥をくれる事もなく襖をぴしゃりと閉めて部屋から出て行ったしまった。そして志騎に見捨てられた須美に、銀が勢いよく飛びかかった。
それから数分後。
「おお! 良いじゃん! 須美こそはくいじゃん! アイドルにだってなれるぞー!」
「私ファン一号になるよ~!」
「へぇ、中々似合ってるな」
ドレスに着替えた須美を見て、三人はそれぞれの言葉で須美の姿を褒めた。一方ドレスを着ている須美も困ったような表情を浮かべながらも、
(そ、そんな……駄目よ……こんな……非国民の洋服……)
と思いながら、案外悪くないかもしれないと思いかけた瞬間、
(………はっ!)
どうにか我に返る事に成功した須美は、素早い動きで三人の前から離れると部屋を出て襖を閉める。それから数秒後、再び三人の前に出てきた須美は乃木家にやってきた格好に戻っており、先ほどまで着ていたドレスは丁寧に畳んだ状態で胸に抱いていた。
「あ、ありがとうそのっち! 悪いけれど、やっぱり私には似合わないと思うから返すわね!」
「ええ~。可愛かったのに~」
丁寧に返されたドレスを受け取りながら、園子は残念そうな口調で言った。するとそれを見ていた銀はポリポリと頬を掻きながら困ったように笑い、
「んじゃ、あたしも着替えてくるよ。あたしもやっぱりこの格好は慣れないし……」
「そっか~。あ、その前にミノさん、ちょっと良い?」
「ん? 何?」
銀が園子に尋ねると、園子は一瞬志騎の方をちらりと見てから、何故か楽しそうな笑みを浮かべながら銀の耳に口を寄せる。
「(またそのお洋服が着たくなったら、いつでも言っていいからね)」
「……? 分かったけど……どうして?」
「さぁて、どうしてでしょう~」
うふふふふ、と園子は銀の質問に答えず、ただ楽しそうに笑う。それはまるで、いずれ今の服を銀がまた着る時が来ると言いたそうな笑みだった。
そんな園子の様子に、銀は首をかしげるのだった。
二日後。
「はぁ……ようやく終わった」
神樹館の制服に身を包んだ志騎は少し疲れたように独り言を呟きながら、学校への道を一人歩いていた。
現在の時刻は正午近く、普通の小学生ならばすでに学校にいなければいけない時間である。
だが志騎は今日、市内の病院にて安芸から伝えられていた通り定期健診を受けに行っていたのだ。行った健診内容もいつもと変わらず、心音測定や血圧検査、CTスキャンなどだ。そして一通りの検査が先ほどようやく終わり、現在学校に向かっているというわけだ。学校に着くころには休み時間に入っているだろう。ちなみに安芸は病院の先生と何やら話をしているので、あとで遅れて学校に来る予定となっている。
「ってか、あいつ定期健診の診察までできたのかよ……」
あいつ、というのは志騎の性悪パートナー精霊、刑部姫の事だ。
いつもならば定期健診を行うのは病院の先生なのだが、今日は何故か病院の先生ではなく彼女が志騎の診察を行う事になった。その際に病院関係の人間が一人もいなかったのは、恐らく安芸が病院に何らかの手引きを行ったからだろう。彼女は大赦所属の人間だし、バーテックスと戦うお役目を担う志騎の検査を行うという名目であれば大赦の名を使う事も簡単にできる。何せ大赦は総理大臣すらも凌ぐ権限すら持っているのだから。
しかしそうなると大赦の権力を利用しているだけのように見えるが、当の大赦にとっても悪い話ではない。勇者の志騎の検査を行う事が出来れば、大赦は志騎に何らかの異常がないか調べる事ができるし、安芸にとってもいつも行っている定期健診を迅速に行う事ができる。つまり大赦の名前で志騎の検査を行う事は、大赦と安芸双方にとって益になる事なのだ。
そんなわけで、一応大赦所属の精霊である刑部姫がたった一人で志騎の検査を行う事になった。正直どうして刑部姫が志騎の検査を行う事になったかは分からなかったが、志騎は最初刑部姫が検査をする事に不安だった。彼女に自分の体を任せたら、命がいくつあっても足りないような気しかしなかったからだ。しかしわがままを言うわけにもいかないので、仕方なく志騎は刑部姫に渋々検査を任せる事にした。
だが、定期健診を行う刑部姫の様子はいつもとは全く違っていた。真剣そのものの表情を浮かべながら電子カルテに表示されている志騎の身体情報をじっと見つめていたかと思えば、別の電子カルテにも素早く目を通して、そこに表示された情報も頭に叩き込んでいるようだった。健診の際の質問や健診で使う道具を扱う手際もまったく淀みがなく、独り言だろうかその口からは医療の専門用語らしき言葉が次々と飛び出していた。
その姿は精霊というよりも、医者や科学者のようにも見えて、志騎は思わず滅多に見ない彼女の姿に驚いて舌を巻いてしまった。本当に、性格とは裏腹に頭脳と能力だけは高い精霊だと思う。
だが、同時にこうも思う。
(あいつ……本当に何者なんだ?)
神樹に蓄積された概念的な存在が具現化した存在だとは聞いているが、正直あの知識や能力の高さを見るとそれだけの存在とは到底思えない。精霊という神秘的な存在というよりは、科学者と言われた方がまだしっくりとくる。
そうして考えてみると、志騎は刑部姫の事を何も知らない。
どれぐらい前から大赦にいるのか、安芸と知り合ってどれほど経っているのかも分からない。
分かっているのは少しだけ。安芸とはだいぶ前からの知り合いである事、毒舌家でリアリストである事、何故か志騎に対して信頼を置いている事、そして銀達に対しては非常に手厳しい態度をとっている事……。
だがこれらはあくまでも刑部姫の一面で、彼女の正体が何なのかはまだ掴めていない。例えるならば、ジグソーパズルのピースは集まっているが、それらが組み立てられて完成する絵が何なのかが分からない。そういった謎めいた感じが、彼女からは感じられるのだ。
そんな事を考えながらしばらく歩き続けていたが、結局刑部姫の正体は分からなかった。彼女の正体を突き詰めるには、もう少しパズルのピースが必要になる。まぁ彼女の性格を考えると、そもそも簡単にそのピースを集めさせてもくれないだろうが。
そして考えている間に、志騎はようやく神樹館へと辿り着いた。予想通り学校は現在休み時間中らしく、校舎からは生徒達の楽しそうな声が聞こえてきている。志騎は下駄箱で上履きに履き替えると、下級生達から向けられる、自分の髪の毛に対する悪意のない好奇の目を無視しながら教室へ向かう。
やがて教室に辿り着くと、黒板の前で銀達三人が何やら絵を描いているのが見えた。志騎が教室に入ると、それに気づいた三人が志騎に挨拶をしてくる。
「おっ! お疲れ志騎!」
「志騎君、おはよう」
「おはようあまみん~」
「ああ、おはよう。……って言っても、もう昼だけどな」
志騎が自分の席に向かいランドセルを置いてから三人のもとに向かうと、チョークを動かしながら園子がが志騎に尋ねた。
「あまみん、健診大丈夫だった?」
「ああ。どこも異常なし。……って、須美の絵やたらと上手いな。何だそれ?」
三人の絵の中で、クオリティがかなり高い須美の絵を見て志騎が言った。ちなみに園子が描いているのは二足歩行の不思議な猫の絵で、銀のは弟の鉄男だった。
「翔鶴型航空母艦の二番艦……瑞鶴よ」
「すげーリアル!」
あまりにクオリティが高い戦艦の絵に銀が驚愕すると、須美は目をきらりと輝かせながら、
「でしょう? 旧世紀、昭和の時代に数々の戦いで主戦力で活躍した、我が国の空母よ! 囮になって最後の最後まで頑張ったのよ!」
感動したように目に涙を滲ませながら右手で瑞鶴に敬礼をする須美を見て、銀はきょとんとした表情を浮かべ、園子は口元に笑みを浮かべ、志騎は顔をひきつらせた。
「……須美って、そういうのやたら詳しいよな」
「夢は歴史学者さんだから!」
「やっぱり真面目さんだ……!」
「わっしーっぽい夢だよね~」
「確かに向いてそうだな」
少々行き過ぎてしまう面もあるが、彼女の国を愛する心だけは本物である。彼女の愛国心と目の前の物事に地道に取り組む実直さがあれば、今ではほとんど失われてしまったこの国の更なる歴史を紐解く事もできるかもしれない。
「そのっちは、何か夢があるの?」
「私は小説家とか良いなって思って、時々サイトに投稿したりしてるんだよ」
「あー……なんか納得」
「独特の感性だもんね……」
「ある意味天職かもな……」
そう言いながら志騎は園子が描いた黒板の絵をちらりと見る。黒板には服を着た二足歩行の四匹の猫に、ペットなのだろうか、その内の一匹に手綱を握られている普通の四足歩行の猫が描かれていた。どうでも良いが、猫が自分と同じ猫をペットにするというのはどうなのだろうか。いや、猫は基本的に愛玩動物として扱われているので、扱いとしては間違ってはいないのだが……。
絵を見ながら志騎がなんとも言えない表情を浮かべていると、そんな志騎に気付いていないのか園子が話を続ける。
「三人も小説の中に登場人物として出演して欲しいな~。優しく頼れるミノさんに、真面目で時々面白いわっしー、しっかり者で皆の弟君のあまみん!」
「と、時々面白い……」
「え、つまらないより良いじゃん」
「そうなのだけど……私も頼って欲しいわ……」
そう言って軽くしょんぼりする須美を励ますように、銀は彼女の両肩に手を置きながら、
「あたし、そうやって軽くいじける須美の顔、好きだなー」
「えっ!? そんな風に褒められても………」
だが戸惑う須美の表情を前にしても、銀は笑顔を崩さない。そんな二人を前にして、何故か園子は楽し気な笑みを浮かべながらパンッ、と両手を合わせた。
「おおっ……! なんか良いよ! 今の二人の空気! とっても良いよ~! 良いですよ~!」
嬉しそうな声を上げながら、園子は右手と左手の人差し指を合わせてカメラのような形にすると、照れている表情を浮かべる須美と笑顔でピースを取る銀を枠内に収める。そんな三人に肩をすくめながら、志騎がキロリと園子に視線を向ける。
「ってか園子、何で俺が弟なんだよ」
「え~? だってあまみん、なんだか弟って感じがするよ~」
「あっ! なんか分かる! 昔から一緒にいるけど、志騎ってなんか兄ちゃんとかには思えないんだよな~。どっちかって言うと、しっかり者の弟?」
「お前ら……」
園子と銀の自分への評価に志騎が頬をひくひくとさせると、頬を赤くしながら銀から体を少し離した須美が銀に言った。
「そ、それより! そういう銀の夢は!?」
その言葉に銀は一瞬考え込んでから、
「んー……。幼稚園の頃は、皆や家族を護る、美少女戦士になりたかったなー!」
「分かる! お国を守る正義の味方! それは少女の憧れよ!」
「憧れ……なのか?」
再び右手で敬礼をする須美の言葉に、志騎は疑問の表情を浮かべながら首を傾げた。
「今は?」
と園子が尋ねると、銀は何故かえへへ……と照れたように笑いながら俯く。
「んー? 何で照れたのかなぁ?」
すると銀は両手の人差し指を合わせながら、
「いやー、家族って良いもんだから……。普通に家庭を持つのもありかなって思って……。でも、そうなると将来の夢が……。お、お嫁……さん……」
恥ずかしそうな笑みを浮かべながら小さく言った銀の表情は、いつもの活発な彼女とは打って変わって、非常に可愛らしいものだった。その銀の笑みに、園子と須美はぱぁっと笑顔になり、志騎もこの答えは予想外だったのか「意外だ……」と小さく呟いている。
「ミノさんならすぐ叶うよ~」
「白無垢が楽しみだわ!」
そう言いながら二人は銀に寄り添い、園子に至っては銀の頬をぷにぷに突ついている。それに銀は困ったように笑いながら、
「何だよ~。突っつくなよ~」
「小説のネタにするね!」
「えっ!」
園子から放たれた言葉に銀は一瞬固まると、彼女の柔らかい頬をムニムニと左右に軽く引っ張る。
「やーめーてー! 恥ずかしいから!」
だがそんな事をされても、園子は笑顔のままだったし、須美もニコニコと嬉しそうに笑っていた。
と、恥ずかしい思いをさせられた銀は、まだ自分の夢を言っていない幼馴染に言った。
「ってか志騎! お前も夢言えよー! これじゃああたしだけ恥ずかしいじゃんか!」
だが志騎の方は困ったような表情を浮かべながら、
「夢って言われても……。そんな事真面目に考えた事無いしなぁ……」
「重く考える事はないわよ。とりあえず自分のやりたい事を言うだけでも良いと思うわ」
「そうだよね~。思い付きでも良いから、自分の心に正直になれば良いんだよ~」
須美とようやく銀から解放された園子からもアドバイスを受けたが、それでも志騎の表情はあまり浮かない。彼はうーんと悩んだ声を出しながら、
「そうは言われても……俺のやりたい事って言われてもなぁ……。やっぱりパッとは思い浮かばないし……。言い方は悪いけど、正直無駄だろ」
「無駄?」
きょとんとした表情で銀が言うと、志騎はぽりぽりと頬を掻きながら、
「だって、俺達勇者だぞ? いつバーテックスとの戦いの中で死んでもおかしくない。もしかしたら明日死ぬかもしれないのに、叶うかも分からない夢なんて語っても無駄だろ」
志騎の言葉は悲観的な意見かもしれないが、間違っているとも言いづらい。事実バーテックスとの戦いのたびに志騎達は傷つき、死にそうな目に遭っている。夢を語るのは確かに素敵な事だろうが、勇者として戦う以上は明日の命の保証すらない。そんな中で、夢を語る事は果たして本当に意味がある事なのだろうか……それが、志騎の正直な意見だった。
すると、園子はんーと口元に指を当てながら、
「私は無駄じゃないだと思うけどな~」
「どうしてだ?」
「確かに、私達は明日死んじゃうかもしれないけど……。でも将来こうなりたい、あれをしたいって事を決めておけば、きっとそれが戦いの中でも大切な力に変わるんだよ~」
「……? つまり、戦いでそういう力が必要だから、夢を持っておけって事なのか?」
そんな解釈に須美はちょっと困ったような笑みを浮かべながら言う。
「そういうわけではないけれど……。でも、夢があるから一生懸命生きていこうって思える事はあると思うわ。それは戦いとか関係なくて、普段の生活の中でもとても大切な事だと思うの。もちろん夢がないからその人は一生懸命生きていないとは私は思わないわ。でも心の底から本当に叶えたい事があって、そのためにまっすぐ進む事ができたら、それはとても素敵な事だと思うの」
そして、最後を締めくくるように銀が言った。
「ま、つまり……夢を語るのは無駄な事なんかじゃなくて、あたし達が毎日を一生懸命生きるためにも、バーテックスとの戦いで勝ち残っていくためにも必要だって事だ!」
銀の言葉に、志騎は目を軽く見開いて銀の顔を凝視する。それから、たっぷりと間を置いてからようやく口を開く。
「…………そう、なのか」
「そうなんだよ!」
「……そう、か」
言葉を繰り返すその様子は、まるで親から教えられた事を繰り返す子供のようであった。銀はにやりと笑みを浮かべると、志騎の両頬を軽く左右に引っ張った。
「大体、志騎はいっつも笑わないでいるからそんな事考えちゃうんだよ! ちょっと笑う練習してみろって! ほれほれ~」
「や、やーへーほー(やーめーろー)!」
頬を引っ張られながら銀に抗議するが、当然その程度で終わるわけはなく銀はいたずらっぽい笑みを浮かべながら頬を引っ張り続け、そんな二人のじゃれ合いを須美と園子はにこにことしながら見守る。
それから休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、四人はそれぞれ自分の席に戻る。そして席に戻った志騎は次の授業の教科書を用意しながら、こんな事を思った。
(……夢、か……)
須美は歴史学者、園子は小説家、銀はお嫁さんと、それぞれ自分のやりたい事、なりたい自分をイメージして各々の夢をはっきりと形にしている。
では、自分は?
自分のやりたい事は何で、なりたい自分はいったい何なのだろうか?
そんな事を考えてはみたものの、結局その日のうちに志騎がそれらに対する答えを見つけ出せることは無かった。