『ところでよぉ宗次郎。鬼はどうやって増えていくと思う?』
文献を借りて読んでいる最中に、背後から
『…そうですね、やはり人間みたいに子を成すんじゃないですか?』
『まぁそう思うわな。だがそんな非効率な繁殖の方法だったら、世の中鬼でごった返してねぇよ』
『人間はごった返してるじゃないですか。勿体ぶってないで早く言って下さいよ』
卓袱台に広げていた資料や文献を簡単に整理整頓してから宗次郎は重吉の方へ向き直る。
『聞いて驚け……
『……え?それだけで?』
彼の言う通りだったとすれば、並の感染症よりも恐ろしいではないか。尋常ではない速度で人が鬼へと変えられてしまう。下手をすれば、戦闘の最中で相手の血が口などに入ってしまう可能性もある。最終選別の時は身体に少量かかった程度だったが、今度から注意を払わなくてはならない。
『あー、言葉が足りなかったな。そんな芸当が可能な血を持つのは"たった一体の鬼"だけだ』
『そうなんですか?じゃあ普通の鬼の血が体内に入っても…』
『問題ないな』
それを聞いて少し安堵したと同時に話の内容が思いの外重要だったことを認識し、こちらから疑問をぶつける。
『つまり、その"鬼"こそが…』
『……ああ。鬼の始祖にして元凶、そして
—————————彼が、"鬼舞辻無惨"………
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宗次郎が屋台を離れ走り始めてまもなく、炭治郎の後ろ姿を視認できた。当の本人は動揺し過ぎて周囲に気を配れていないのか、一定の距離を保ちながら着いていく自分に全く気付かない。合流して共に目指す場所へ向かう事も出来たが、今回は敢えて実行しなかった。彼の辿り着く先が自分の
やがて多くの人々が行き来する町の中心部に戻ってきた頃に、遂に彼は足を止め一人の"男"の袖を掴んだ。
「…………」
西洋風の出で立ちをした細身で色白の男性。年端もいかない少女を両腕で抱えており、二人揃って鬼気迫る表情をした炭治郎に訝しげな視線を送っている。普通に見れば何の変哲もない親子である。
しかしあの男性だけは……確実に「鬼」だ。
炭治郎の家族は、彼自身が留守の間に鬼に皆殺しにされ、その中で禰豆子だけが存命していた。…そう、
…だが未だに確信は持てない。宗次郎は人混みに紛れ空気にすら溶け込むように気配を断ち、いつでも動ける様に刀に手を添えながら静かに見守る。
「あら、どうしたの?」
「お母さん!」
やがて母親らしき大人の女性が合流した。その姿を見た炭治郎は中途半端に刀を抜きかけたまま、先程よりも更に平静さを失い困惑している。彼の様子から察するにあの女性と少女はやはり人間…。
「この子、お知り合い?」
「いいや……困った事に少しも知らない子ですね」
彼女達は男が鬼だと知らないのか、逆に敢えて承知の上で共に行動しているのか。背後関係が全く見えてこない。また彼が
「人違いでは、ないでしょうか」
その瞬間—————
すれ違った男のうなじを、
「「!!!」」
常人では到底反応出来ない速度で繰り出された
「ゴッ……ガアァァアアアア!!!!!!」
狂乱し隣の女性の首筋に噛み付いた。炭治郎が叫びながら男性を引き剥がし地面に押さえ付けている。彼の身体にどういった変化が起こったかは一目瞭然であり、同時に九分九厘まで確信していたあの鬼の正体が「確定」した瞬間だった。
まさか、こんなにも早く………
「麗さん危険だ。向こうへ行こう」
「え、ちょっと月彦さん…」
始まりの鬼、"鬼舞辻無惨"は興味無さげにもつれ合う男性と炭治郎を一瞥し、女性と少女を連れて遠ざかっていく。
「ッ!!鬼舞辻無惨ッ!!!!!」
普段は温厚な彼が初めて見せた激昂は、正に想像を絶するものであった。段々と遠ざかる仇敵に向かってひとしきり叫び終え、即座に追撃すると予想していた。
しかし意外にも追跡せずに、鬼となった男性を必死に駆けつけた警官から庇っている。家族の仇であり妹を人間に戻す鍵でもある鬼舞辻よりも、鬼に変えられた見知らぬ男性を助ける事を選んだ。抜刀を躊躇っているのも、周囲の人達を巻き込まない為。そういった行動全てが彼の根底を成すもの…彼自身の"真実"なのだろう。自分にはあの様な判断は難しい。けれど、彼にはあるものが無いからこそ出来る事もある。
宗次郎は目前で起こっている騒動から背を向け、人に紛れて見えなくなった「討伐目標」が去った方向を眺めて歩を進めた。
ーー自分は
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炭治郎達の元を離れた宗次郎は、単独で鬼舞辻を追跡しながら様々な考えを巡らせる。
鬼殺隊士を殺さずに正体を隠し、一般人を鬼に変えわざと騒動を起こして自分は立ち去る…。彼はどうも周囲からの注目を浴びたくないらしい。本性を現さない理由として挙げられるのは、やはり共にいる女性の親子。あの二人は先程の動揺ぶりからして、「鬼」という存在を知らないのはほぼ確実。仮の家族の前…と言うより
人間の親子…特に娘との仲睦まじさは際立って宗次郎の目に焼き付いていた。時折彼女の頭を撫でつつ談笑しているその姿は、正に人間のような完璧な振る舞いであった。鬼を増やしている元凶が、ご丁寧に偽名まで使用して良いご身分だ。そのような人間ごっこに勤しむ暇があるなら、いくらでも付け入る隙はある。
ーーこれは"絶好の機会"だ。
十本刀に所属していた時期の宗次郎の主な任務は「要人暗殺」。感情欠落と縮地の組み合わせによる絶技を志々雄に認められ、明治政府の重鎮を数えきれないくらい葬り去ってきた。その中には明治政府内務卿"大久保利通"なども含まれている。
今回の標的は大久保卿と同等かそれ以上の大物、失敗する訳にはいかない。宗次郎は一切の足音を立てずに建物の上に跳び移り、屋根伝いに追跡を続ける。
「…………」
多少の問題はあった。仮にこれで鬼舞辻の討伐が成功すれば、禰豆子を含む他の鬼はどうなるのか。何より自身の新たな
気配を完全に消した宗次郎は、斜め前の通路を歩いている鬼舞辻一行を静かに見下ろす。技を放つ瞬間を見極める為だ。己に接触をした鬼殺隊士を排除するべく彼は間も無く単独行動をとる筈だ。独りになってしまえば警戒心は今の何十倍にも跳ね上がるが故に、絶対に親子と行動している内に仕留めなければならない。
鬼舞辻を斬ってしまったらあの二人は絶望し泣き叫ぶやもしれぬ、優しい
(…さて、そろそろかな)
彼等の歩みが止まった。車に向かって鬼舞辻が手で合図すると、親子の前で停車する。彼女達を送り単独で行動に出るつもりだ。
宗次郎は接近できる範囲で最も奇襲を掛けやすい位置へ移動し、日輪刀に手を添え"縮地"の構えを取った。今宵の標的は敵の頭目、出し惜しみをする気など全く無い。無いのだが……
実は、今の"縮地"を完全には制御できていない。
三段階速くなったのは良いが、自分が思う以上の速度が出て身体の方が付いていかなかった。旅の途中から脚力を慣らすように鍛錬を重ね続け、つい最近"一歩手前"までを制御可能になったのだ。しかし零歩……即ち"縮地"だけは未完全のまま。
それを完成すべく宗次郎が目を付けたのが「全集中の呼吸」、その基礎となる"常中"と呼ばれるものだ。あの特殊な呼吸法を組み合わせれば、更なる能力の向上へと繋がるかもしれない。そう考えて今夜は炭治郎に教わる予定だったが……致し方ない。
速度において、"縮地"と"一歩手前"は
迷った挙句、宗次郎は前者を選んだ。捨て身の一撃と例えるなら大袈裟に聞こえるかもしれないが、制御不可能な故に身体を何処かにぶつけて無理矢理勢いを殺さなければこの暗殺は成功しないのだ。
「………………」
今一度呼吸を整え、目を見開き真顔となる。こちらの世に来てから最も集中しているだろう。極限まで感覚を研ぎ澄まし抜刀せんと体を前に倒す。後は彼の警戒が最も弱くなる瞬間に、技を決めるのみ。
(まだ………)
車の窓から少女が顔を出す。
(まだ………)
少女が鬼舞辻に向けて笑顔で手を伸ばした。
(まだ………)
その手に鬼舞辻も自分の手を………
——————————今ッ!!!!!!
「——————"瞬天殺"」
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「ぁ…………………が…ッ………」
「………お、とうさ、、」
透き通る様な真白い柔肌を朱に染めた少女は、愛する父親の惨劇を……
辺りの人々も何が起こったのか分からない。悲鳴を上げるのも忘れ…重力に従って徐々に千切れていく男の首を、ただ愕然と眺めている。そして一斉に、先程轟音と共に向かいの建物に激突した影に目をやると……
「…退いて下さい」
刀を手に握り、頭から血を流した青年が起き上がった。土埃を払い除けながら歩を進め集まった人々を退かすや否や、その場で跳躍し一直線に男の元へ飛び込んで行く。凄まじい速さで動いた青年を誰一人として捉える事は出来ない。
———僅かに、逸れてしまった。
やはり今の"縮地"で正確に狙いを付くのは無理があったらしい。文字通り
まだ斬ってから十秒程度しか経っていない。相手は始祖の鬼……そこらの鬼と同様の常識で捉えていては足を掬われる可能性がある。再生する暇も与えず速やかに次の斬撃を叩き込む。
疾風の如く荒々しく、絶大な推進力を活かした斬撃が鬼舞辻の頚に振り下ろされる寸前———
「やだ…………やだよぉ……」
彼に接近する小さな存在に気付き、動きを止めた。鬼舞辻を父親と認識している人間の少女だ。いつの間に車体から出てきたのか、半ば放心状態で彼自身の側に寄り添っている。夥しい鮮血の中心で、その表情は歪み始め……
「お父さ……いやぁぁぁあああああ!!!!!」
感情の糸が切れて一気に爆発した。涙で顔をぐしゃぐしゃに濡らした少女は、小さく痙攣を繰り返す鬼舞辻に顔をうずめる。その光景に、宗次郎は大きく溜息をついた。其処にいてはどの角度から斬っても巻き込んでしまう。
「……離れて下さい、邪魔です」
この瞬間どんな黄金にも勝る一秒一秒を、こんな子供に割く訳にはいかない。出血で少し意識が朦朧とする中で、鬼を庇うように背中を向ける少女を片手で掴み引き剥がそうとするが、彼女のしがみ付く力も相当なもので絶対に離れないという執念を感じられる。もたついている内に、周りの人々も異変に気付き騒ぎ始めた。
(……ああ、面倒だなぁ)
もう彼女を刀で脅す時間も惜しい。可能なら避けたかったが共に叩き斬ってしまおう。そう決意し、再び刀を振り上げたその時——————
「—————ッ!!!!」
紅く煌めく眼光が……か弱い少女に抱かれているとは思えない程の、強烈な殺気と憎悪を宿して此方を射抜く。そして闘いの最中で何度も見てきた、
ーー「弦楽器」のような音が、脈絡もなく頭の中に鳴り響いた。